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在唐憶本鄕 | ||
辨正 |
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日邊瞻日本, 雲裏望雲端。 遠遊勞遠國, 長恨苦長安。 |
日邊 日本を瞻 ,
雲裏 雲端 を望む。
遠遊 遠國 に勞 し,
長恨 長安に苦 しむ。
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◎ 私感註釈
※弁正:奈良時代の僧。生没年不詳。秦牛万呂の子。大宝二年(702年)留学僧として遣唐使に加わり入唐。唐の地で没した。
※在唐憶本郷:唐にあって、故郷を思い出す。 *この詩は『懐風藻』に遺されている。 *この詩、唐土にあって作ったものなので、、日本人側の理解の仕方とは別に、唐人に対しての意(唐人側の理解)というものがあろう。 ・憶:思い出す。思い起こす。 ・本郷:(自分の)ふるさと。 *この詩
という風に、同じ字を意図的に重ねて使う。
日邊瞻日本 雲裏望雲端 遠遊勞遠國 長恨苦長安
なお、これと同様な形式での意図的に同じ字を重ねて使う中国の詩歌は、本サイトの詩(千九百首)では殆ど見あたらない(北宋・蘇軾の『廬山煙雨』「廬山煙雨浙江潮,未到千般恨不消。到得還來別無事,廬山煙雨浙江潮。」)。(不立文字の精神を表すため、大韻を意図的におかした唐・懷濬の『上歸州刺史代通状』二首に「家在閩山東復東,其中歳歳有花紅。而今不在花紅處,花在舊時紅處紅。」
のようなものは別として。日本のものでは、深草元政の『日本橋作』「日本橋邊日本秋,更無一事掛心頭。今宵新見江城月, 影滿扶桑六十州。」
、日本・伴林光平の『辛酉二月出寺蓄髮時作』「本是神州淸潔民,謬爲佛奴説同塵。如今棄佛佛休恨,本是神州淸潔民。」
など、似通ったものがあるが…。)
※日辺瞻日本:(東方の)太陽が昇ってくる辺りに、日本を望み見れば。皇帝のいる(長安の)都にいて、日本を望み見れば。 ・日辺:〔にっぺん;ri4bian1●○〕太陽のある所。天子の側。みやこ。『長安日邊』の故事を指す。『世説新語・夙惠第十二・3』568ページに「晉明帝數歳,坐元帝膝上。有人從長安來,元帝問洛下消息。…因問明帝:『汝意謂長安何如日遠?』答曰:『日遠。不聞人從日邊來,居然可知。』元帝異之。明日,集群臣宴会,告以此意,更重問之。乃答曰:『日近。』元帝失色,曰:『爾何故異昨日之言邪?』答曰:『擧目見日,不見長安。』とある。(晋の明帝が数歳の幼い頃……元帝は(幼児で後の)明帝に:「おまえは、長安と太陽とはどちらが遠いと思うか」と、尋ねたところ、「太陽のほうが遠い。長安から来たという人のことは聞いたことがあるが、太陽から来た人のことなどは聞いたことがない、はっきりと分かりきっています」と答えた。元帝は今ひとつ同意できないので、翌日、群臣を集めて宴会をし、そこで同じことを言ってもう一度質問を(幼児で後の)明帝にした。そこで「太陽のほうが近い」と答えた。(元帝は)驚いて「おまえはどうして昨日と言うことが違うのだ」と言った。すると、(後の明帝は)答えて「太陽は見えるが、長安は見えないから」と答えた。)。盛唐・李白の『望天門山』に「天門中斷楚江開,碧水東流至北廻。兩岸靑山相對出,孤帆一片日邊來。」とある。 ・瞻:〔せん;zhan1○〕みる。眺める。仰ぎ見る。首を伸ばして見張る。 ・日本:我が国を「日本」と呼んだ比較的古い例でもある。
※雲裏望雲端:雲の中に、雲の端を望む(ばかりである)。(長安の都の)中にいて(東海の彼方の)雲の端を望む(ばかりである)。 ・雲裏:雲の中。 ・雲端:雲の最も高い部分。雲頂。雲外。雲の外。雲表。唐・祖詠の『終南望餘雪』に「終南陰嶺秀,積雪浮雲端。林表明霽色,城中增暮寒。」とある。
※遠遊労遠国:(祖国・日本から)遠く離れて旅をして、遠い国(=唐)で苦労をして。 ・遠遊:家から遠く離れてよそへ行く。遠く旅をする。 ・遠国:遠い国。都から遠く離れた国。
※長恨苦長安:長く忘れることのできない(望郷の)うらみのため、長安で苦しんでいる。 ・長恨:長く忘れることのできないうらみ。 ・長安:唐の都の名称。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「端安」で、平水韻上平十四寒。この作品の平仄は、次の通り。
●○○●●,
○●◎○○。(韻)
●○○●●,
○●●○○。(韻)
平成23.12.27 12.28 (12.29~31嶺外) 平成24. 1. 1 1. 2 1. 3完 2.26補 |
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