森鴎外奉和聖製詠看護婦　日本漢詩選詩詞世界　碇豊長の詩詞：漢詩 Ribengushi


奉和聖製詠看護婦

	森鷗外
裙釵還有丈夫雄，好躡沙場戰血紅。應向汗靑增故事，玉纖爭奏裹創功。

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聖製の看護婦を詠ずるに和(わ)し奉(たてまつ)る

裙釵(くんさい)　還(ま)た有り　　丈夫(じゃうふ)の雄(ゆう)，
好んで躡(ふ)めり　沙場( さじゃう)　　戰血(せんけつ)の紅(くれなゐ)なるを。
應(まさ)に汗靑(かんせい)に向(おい)て　　故事を增すべし，
玉纖(ぎょくせん)　爭(きそ)ひて奏す　　裹創(くゎそう)の功(こう)を。

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◎　私感註釈

※森鴎外：小説家、戯曲家、評論家、翻訳家。軍医。１８６２年（文久二年）～１９２２年（大正十一年）。本名は林太郎。石見国（現・島根県）の生まれ。現・東大医学部卒業。軍医としてドイツ留学後、軍医総監、陸軍医務局長に進む一方、文学に励み、訳詩集『於母影』…を発表、『舞姫』『うたかたの記』『青年』『「ヰタ・セクスアリス』『雁』などを発表。大正時代に入って、『高瀬舟』『阿部一族』『山椒大夫』などの歴史小説を発表、更に『伊澤蘭軒』などの史伝体小説を書き、実証性と冴えた心理描写において、徹底した境地を示した。この詩は大正四年（１９１５年）のもの。

※奉和聖製詠看護婦：大正天皇の御製『聞赤十字社看護婦赴歐洲』に、謹んで次韻の詩を作る。　・奉-：…申し上げる。謹んで…する。（…し）たてまつる。謙譲の補助動詞。　・和：森鴎外が大正天皇の御製『聞赤十字社看護婦赴歐洲』「白衣婦女氣何雄，胸佩徽章十字紅。能療創痍盡心力，回生不讓戰場功。」に和して作った詩歌の次韻の詩。次韻とは、応酬や共感のため、作詩の際、全く同一の韻字を同一配列で使うことを次韻という。同一の韻字を自由な配列で使うことを用韻といい、同一の韻部の中の文字を使うことを和韻という。　・聖製：天子が作った詩歌。御製。　・詠看護婦：大正天皇の御製『聞赤十字社看護婦赴歐洲』のことで、大正三年（１９１４年）、第一時世界大戦の勃発に伴って、赤十字社より救護班がイギリスへ派遣されたことを詠んだ詩。

※裙釵還有丈夫雄：スカートにかんざしの婦人にも、男子の気概があり。　・裙釵：〔くんさい；qun2chai1○○〕婦人の喩え。本来の意は婦人の用いるスカート（裙）と、かんざし（釵）。　・裙：〔くん；qun2○〕スカート、もすそ。　・釵：〔さい；chai1○〕（婦人の用いる）かんざし。　・還有：〔hai2you3○●〕それから。その上に。現代（中国）語では、頻繁に使う語。　・丈夫：〔ぢゃうふ；zhang1fu1●○〕男子。また、男子の気概。清・乾隆帝の『從軍行』に「三邊烽火照軍營，十萬丁男夜練兵。但使腰閒懸寶剣，丈夫何處不成名。」とある。　・雄：雄々しい。

※好躡沙場戦血紅：自ら進んで、戦場に流された血を踏んで（従軍看護婦となっている）。　・好：〔かう；hao4●〕このむ。　・躡：〔でふ（じょう）；nie4●〕踏む。踏みつける。踏み込む。　・沙場：戦場。（砂漠地帯などの）戦場。乾燥した原野。乾燥して砂埃が立つ原野。戦場は、塵土飛揚し、飛沙走石となるため、戦場の比喩として使われる。この語、砂漠、すなわら等の大らかな意はない。。漢魏・蔡文姫の『胡笳十八拍』「十七拍兮心鼻酸，關山阻修兮行路難。去時懷土兮心無緒，來時別兒兮思漫漫。塞上黄蒿兮枝枯葉干，沙場白骨兮刀痕箭瘢。」とあり、盛唐・王翰の『涼州詞』に「葡萄美酒夜光杯，欲飮琵琶馬上催。醉臥沙場君莫笑，古來征戰幾人回。」とあり、盛唐・常建の『塞下曲』「北海陰風動地來，明君祠上望龍堆。髑髏皆是長城卒，日暮沙場飛作灰。」とあり、唐・嚴武の『軍城早秋』に「昨夜秋風入漢關，朔雲邊雪滿西山。更催飛將追驕虜，莫遣沙場匹馬還。」とあり、南宋・辛棄疾の『破陣子』爲陳同甫賦壯詞以寄之に「醉裏挑燈看劍，夢回吹角連營。八百里分麾下灸，五十絃翻塞外聲。沙場秋點兵。　　　馬作的廬飛快，弓如霹靂弦驚。了却君王天下事，贏得生前身後名。可憐白髮生。」とある。

※應向汗青増故事：当然、歴史に（この従軍看護婦の）物語を増やして（後世に伝える）べきである　・應：当然…すべきである。…なければならない。まさに…すべし。（助動詞）。　・向：おいて≒於。　・汗青：歴史書。古代、脂をぬいた竹を紙の代わりとし、そこに記録したことに因る。南宋・文天祥の『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經，干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮，身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐，零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死，留取丹心照汗青。」とある。　・故事：（中国語の意では）ものがたり。また、（日本語の意では）昔あった事柄。古くから伝わっているいわれのある事柄。ここでは､前者・中国語の意での「ものがたり」として使われている｡故事の内容は「玉繊争奏裹創功」。

※玉繊争奏裹創功：（その「故事（物語）」とは）美しい女性の手で、傷口に繃帯を巻く功労を立てたことである。　・玉繊：美しい指。　・争：きそう。あらそう。　・奏：「奏功」の「奏」では、生ずる。あげる。また、かなでる。ここでは、かけことばか。作者は、「奏功」（手柄を立てる意）である（とともに、或いは、看護婦の救急処置のさまを、琴等を演奏する動作に擬えているともとれる）。　・裹創：傷口に繃帯を巻く。　・裹：〔くゎ；guo3●〕包む。巻く。くるむ。　・創：〔さう；chuang1○〕傷。（名詞）。きずつく。（動詞）。なお、「創」には〔さう；chuang4●〕があり、はじめる、はじめて作る意。ここでは、平仄上からも、「創」は」〔さう；chuang1○〕傷（名詞）、きずつく（動詞）の意。　・功：功労。

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◎　構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「雄紅功」で、平水韻上平一東。この作品の平仄は、次の通り。

○○○●●○○，（韻）
●●○○●●○。（韻）
○●●○○●●，
●○○●●○○。（韻）