遊會津有感 | ||
蒲生君平 |
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廟古悲風對落暉, 白楊蕭索葉初飛。 山川顧望前封地, 涙下關東一布衣。 |
廟 は古 り 悲風落暉 に對す,
白楊 蕭索 として葉 初めて飛ぶ。
山川 顧望 すれば前封 の地,
涙は下 る 關東 一布衣 。
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◎ 私感註釈
※蒲生君平:江戸後期の尊王論者。明和五年(1768年)〜文化十年(1813年1813)。名は秀実、通称は伊三郎。字は君平。号して修静庵。下野宇都宮の商家の生まれ。はじめ、鹿沼の儒者・鈴木石橋に経史を学び、藤田幽谷・林子平らと交わり、林子平・高山彦九郎と並び、寛政の三奇人」と呼ばれた。水戸学の影響を受け、荒廃した歴代天皇陵を調査して『山陵志』を著し、尊王論の先駆といわれた。北辺防備を倡えた『不恤緯』を著した。蒲生姓は、祖先が会津藩主蒲生氏郷であるという家伝に基づき改めた。
※遊会津有感:会津に旅をして感じるところがあって(この詩を作る)。 ・遊:旅に出る。他国へ行く。 ・会津:会津藩の領地で、現・福島県の西部に当たる地域名。桃山時代以降、蒲生氏郷の領地で、次いで上杉氏の領地、加藤氏となり、江戸時代には会津藩(松平家)の領地となった。作者は会津へは、ロシア軍艦の出現を聞いた寛政七年(1795年)、陸奥への旅に出、その帰路、会津で先祖・蒲生氏郷、蒲生帯刀の墓に詣でた。
※廟古悲風對落暉:(作者の先祖とする蒲生家の)みたまやは古びて、悲しげな風が夕日に向かい。 ・廟:みたまや。ここでは、作者の先祖とする蒲生氏郷、蒲生帯刀のみたまやのことになる。 ・對:むかう。 ・落暉:落日。夕日。 ・對落暉:夕日に向かう意。ここでは、「何が(/誰が)夕日に向かう」のか。「風」か、「廟」か、「わたし」がか。
※白楊蕭索葉初飛:(墓地に植えられた)ハコヤナギは、もの寂しげで、葉が初めて飛んだ。 ・白楊:ハコヤナギ。墓場に植えられる木。『古詩十九首』第十三首に「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。下有陳死人,杳杳即長暮。」とあり、『古詩十九首』の第十四首に「去者日以疎,來者日以親。出郭門直視,但見丘與墳。古墓犁爲田,松柏摧爲薪。白楊多悲風,蕭蕭愁殺人。」とあり、東晉・陶潛の『挽歌詩』其三に「荒草何茫茫,白楊亦蕭蕭。嚴霜九月中,送我出遠郊。四面無人居,高墳正嶢。馬爲仰天鳴,風爲自蕭條。幽室一已閉,千年不復朝。千年不復朝,賢達無奈何。向來相送人,各自還其家。親戚或餘悲,他人亦已歌。死去何所道,託體同山阿。」とある。 ・蕭索:〔せうさく;xiao1suo3○●〕もの寂しいさま。雨や風の音などの寂しいさま。=蕭条。ここで「蕭索」を使い、「蕭条」を使わなかったわけは、平仄上、「蕭索」は「○●」で、「●●」(○●)とすべきところで用い、「蕭条」は「○○」とすべきところで用いる。この句・「秋風蕭索響空幃」は、「○○○●●○○」とすべき句で、「○○○●●○○」となっている。赤字部分に該当するのは「蕭索」であって、「蕭条」は適切ではないため。北宋・柳永の『少年遊』に「長安古道馬遲遲,高柳亂蝉棲。夕陽島外,秋風原上,目斷四天垂。 歸雲一去無蹤迹,何處是前期?狎興生疏,酒徒蕭索,不似去年時。」とあり、明末清初・呉偉業の『追悼』に「秋風蕭索響空幃,酒醒更殘涙滿衣。辛苦共嘗偏早去,亂離知否得同歸。君親有媿吾還在,生死無端事總非。最是傷心看穉女,一窗燈火照鳴機。」とある。
※山川顧望前封地:山や川のあちらこちらをながめて、以前の(先祖の)領地のようすをうかがえば。 ・顧望:あちらこちらをながめて、ようすをうかがう。かえりみ、はばかる。ここは、前者の意。 ・前封地:以前に(せんぞが)封(ほう)ぜられた領地、の意で使う。松平家や加藤家、上杉氏等以前の、蒲生氏郷の領地であることを謂う。
※涙落関東一布衣:涙が関東地方の平民の服(を着た我が身)に落ちてきた。 ・布衣:〔ふい/ほい/ほうい;bu4yi1●○〕官位のない人。平民。庶民。本来は、(絹織物ではなくて)布製の着物のことで、一般庶民の着物の意。日本・江戸・中島米華の『絶命辭』に「高情自與世人違,我是南豐一布衣。三十六鱗猶缺二,今朝天上化龍飛。」とある。 ・関東一布衣:作者自身を指す。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「暉飛衣」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●●○,(韻)
●○○●●○○。(韻)
○○●◎○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成30.2.24 2.26 2.27 3. 1 |
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