憶江南 弔氷谷博士 | ||
河上 肇 |
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同遊地, 寂寞憶君時。 孤影龍鐘空曳杖, 百花落盡一溪遺。 水嗚咽風悲。 |
同 に遊びし地,
寂寞 君を憶 ふの時。
孤影 龍鐘 として空 しく杖 を曳 けば,
百花 落ち盡 して一溪 遺 り。
水嗚咽 して 風 悲めり。
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◎ 私感註釈
※河上肇:明治十二年(1879年)〜昭和二十一年(1946年)。マルクス主義経済学者。山口県の人。東京帝国大学卒業後、大学教授となり、次第にマルクス主義に近づき、やがて、新労農党、共産党と活動して、治安維持法違反で検挙された。主義のため、信念を貫くために地位と名誉を捨てた。詩作は検挙後に始めたというが、その詩は、作者の専門外とはいうものの、宋詩・宋詞の影響を受けた見事なものである。詠物、叙景の詩が文人の作詩の主流となっている現代日本詩では異色であり、興味をそそられる慨世の作品群を遺している。
※憶江南:詞牌の一。このページの『憶江南』は単調。『憶江南』は詞牌の一つで、詞の形式名。詞牌とは、実は、詞をうたう場合の楽曲名のことで、実質的な詞の題とも謂える。なお、詞題は無い場合も多いが、このページの作品の場合、『弔氷谷博士』が詞題。加えて、「詩と詞」、聞いた場合、どちらも「し」となるので、口頭で区別するため「詞」は“ツー”と言う場合がある。現代(中国)語を導入したわけである。なお「詩」は“シー”なので、日中同様の発音のため、口頭での導入は不能。「詩と詞」(詞牌についてはこちら。他の『憶江南』はこちらを参照)。このページの読み下しは、作者・河上肇のもの。
※弔氷谷博士:河田嗣郎教授の逝去をいたんで。 *この部分が詞題。 ・弔:〔てう;diao4●〕いたむ。とむらう。 ・氷谷博士:作者・河上肇の友人である河田嗣郎教授のこと。氷谷は号。明治時代〜昭和時代の経済学者。京都帝国大学教授。作者・河上肇とは、同郷の出身で中学・高校とともに学び、京大法科・経済学部では同僚となり、作者・河上肇とは家族ぐるみの親交を結んだ間柄。昭和十七年(1942年)五月二十一日歿。 *作者・河上肇は、近体詩では『弔氷谷博士』の題で絶句「遲日花間水閣游,同君流水落花愁。誰料春徂君亦逝,衰翁獨立夕陽樓。」を作る。
※同遊地:共に遊んだところを。 *作者が(詞ではなくて)詩(=七絶『弔氷谷博士』)の前書きで、「洛北・八瀬の平八茶屋で河田嗣郎(氷谷)博士の饗応を受けた」旨(「相携遊于八瀬,受博士之饗應於平八茶屋,對山臨溪,C談半日」)が書かれている。とすると高野川ぞいの平八茶屋の高殿のことになろうか。 ・游:=遊。 ・同:ともに。
※寂寞憶君時:あなたを寂しく、静かに思い出す。 ・寂寞:〔せきばく;ji4mo4●●〕寂しく、静かなさま。 ・憶:〔おくyi4●〕おもう。うあすれない。おもいだす。
※孤影竜鐘空曳杖:ひとりぼっちの寂しい影(=わたし)の年老いて疲れ病んで失意の涙を流すさまで、杖を曳き。 ひとりぼっちで落ちぶれた老いぼれが杖をつき。 ・孤影:ひとりぼっちの寂しい影。 ・竜鐘:〔りょうしょう;long2zhong1○○〕年老いて疲れ病むさま。失意のさま。涙を流すさま。行き悩むさま。 ・曳:ひきずる。
※百花落尽一渓遺:多くの花が散り尽くしたが、(八瀬の)谷川には遺(のこ)っている。 ・渓:(八瀬の)谷川。 ・遺:のこる。
※水嗚咽風悲:(あなたを思い起こして、谷川の)流れはむせび泣いて、風は悲しがっている。 ・嗚咽:〔をえつ;wu1ye4○●〕むせび泣く。
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◎ 構成について
憶江南: 単調。二十七字(これは単調。別体三種あり)(望江南、謝秋娘、夢江南ともいう) 平韻 一韻到底。韻式は「AAA」。韻脚は「時遺悲」で、第三部平声。以下は、『憶江南』。
○●,
●●○○(韻)。
●○○●●,
○●●○○(韻)。
●●○○(韻)。
令和3.9.20 |
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