日 記

(2012年2月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ 2月も最終日なのですが、依然、寒い日です。
 午後、といっても12時半には県庁に行って、県議会開始時間を待ちます。少し早めに家を出て、本屋によりました。
 本屋を出ようとしたら、昔お世話になった元校長のA先生にお会いし、しばし立話。地元の会津美里町と大学との協定までの仲介をしていただきました。4月以降は、只見町の実家にお住まいとか。
 フォーラムへの参加をお願いして、別れました。

 県庁は微妙な時間なので、久しぶりに職員食堂で、ラーメンを食す。
 県議会は一般質問の日で、5人の質問者が登壇し、知事はじめ担当部局長が答弁する形。結局、午後1時から5時半までかかりました。
 原発事故からの復興の課題がほとんどですが、フォーラムのテーマになりそうなものも少なくありません。我々のフォーラムも、議員や行政マンも含めて、立場を超えて話のできるフォーラムにしたいものです。

 全国的に寒いようですが、県庁からの帰りも寒かった。
 夜、サッカーのテレビ観戦。男子は1対0で負けて、女子は前半終了で1対1。容易に勝てるスポーツではないのでしょうが、善戦しています。(2/29)<10123>


◇ 我々夫婦の風邪症状は、あまり変化せず。私が先行しているので、相対的には軽減。
 義母をデイサービスに送って、お迎えまで、有意義な仕事は何もできず。仕方がない。
 でも、女川の図書館が3月23日に開館のお知らせがうれしい。日本評論社からの共著の発刊など、ささやかでもうれしいこと。
  ディサービスの迎え後は、夜に予定されていた「飯舘村弔慰金審査会」の出席。時間の経緯から、震災関連死の認定は難しくなるが、弔慰金はともかく、葬式を飯舘村でやりたかったという故人や遺族の意見には、心が痛む。
 今晩も早く寝て、明日の全面復活が期待するが、そんなに甘くないか。明日の午後も、長時間の県議会本会議。体力を温存しておかないと。(2/28)<10096>


◇ 月曜日になったのに、体調は完全復調はしていない。今度は、妻も風邪を引いたようだ。
 義母のショートステイは、今日が最終日。妻が午前、私が午後の仕事なので、結局、午後に妻が迎えに行くことになった。

 朝の最低気温はそれほどでもないが、体感はきつい。これは、体調のせいかもしれない。とにかく、妻も体調が悪いので、車で送っていって、いったん帰宅。コタツにゴロン。これではいけないと、12時少し前に食事を済ませ、県庁へ。県議会本会議への出席。
 午後1時から5時まで、がっちり4時間。ティッシュペーパーを鞄に詰め込んで、議場へ。4人の代表質問。鼻水は抑えられたが、静粛な議場なので、思わず咳が出てしまうのも憚られる。原発事故からの復旧・復興の課題。いずれも切実な質問内容。

 帰宅したら、案の定、妻は風邪でダウン。熱も出てしまった。義母の世話も、なかなか私ではできない世話があるので、妻も寝てばかりもいられない。タイミングが悪かった。無理をしたわけではないが、寒さに油断したせいかもしれない。なんとか明朝まで、回復しているといいのだが・・。(2/27)<10074>


◇ 2月26日は、2.26事件の日。歴史の日である。
 孫第3子の11箇月。1歳のお誕生日まで1箇月。震災も1年になる。
 午後4時からのNHK総合の女川特集は、被災の事実だけでなく、どう復興していくか、個々人の努力を放映。こうした努力と行政の協働で、なんとか復興をして欲しいし、微力ながら支援したい。
 テレビの中で高村光太郎の記念碑の立役者の貝広さんが取り上げられていたが、残念ながら犠牲となったが、彼のお姉さんは、私の中学時代の同期生。何年かまえに、小中学生向けの話をさせられた時、彼女は、終了後、逢いに来てくれた。話はあまりできなかったが、みんな女川を大切に発展させてくれているとうれしかった。

 マイナスイオン全身浴のイオラに行く途中、コラッセふくしまで開催されている南会津のフェアに寄る。
 栃餅が目当てだったが、ジュウネンの食べ物など、いろいろ美味しい。
 ついつい、試食三昧していたら、南会津の振興局勤務の行政社会学部1期生に見つけられた。
 風評被害の克服のため、卒業生もがんばっている。南会津は、会津若松とは異なる独自の文化、もっと大切にしたいものだ。

 イオラは風邪気味なので、無謀かなと思ったが、今夜はぐっすり眠れるだろう。
 ただ、イオラもホテルの休業が多くなるため、今年の年末までは、営業日が少なくなる。
 原発事故のせいだが、こうした趣味(?)の世界まで、影響は及んでいる。一日も早く回復したいものだ。(2/26)<10048>


◇ 朝起きたら、一面の雪景色。気象台によると福島市の積雪は14センチ。 放射線量も、0.8から0.6μSvに落ちたようだ。ずっと、積雪があって欲しいとも えないね。

 体調がまだ回復しないので、午前中は、雪掻きもしないで、コタツムリ。花粉症がピークの感じ。
 午後のフォーラムの開催があるので、テッシュー箱を抱えて、会場へ。無料の駐車場からしばらく歩くが、手袋を忘れてきた。本当に、近くの有料駐車場にでもいれればいいのに、いちどそう思うと修正がきかないのが、私の欠点。しかし、始まるとひどい状態でなくなるので、こんなのは、「タレカ」者というのかも。
 第6回となったフォーラム、内容のまとまり難さがあったが、いつになく仮設住宅の住民が来てくれて、それなりきに意味があった。加害者や行政が復興をすべきとの意見もあったが、被災者・被害者の目線で、復興を議論することは大事なのだろう。(2/25)<10030>


◇ この日記のカウンターを見たら、10,000を越している。2010年10月10日からのカウンター。ほぼ14ヶ月、430日くらいかな。1日平均23人から24人のアクセスか。
 役職についていたときは、仕事の報告などだから関係者が多かったが、今は、書くことが少なくなって、少々内向きになっている。

 プライバシーの問題があるが、結構、備忘録になっている。後で、飯舘村に行ったのはいつだったかと思い出すときに、これを探すと役立つ。
 「ブログ」見てますよという反応があるが、ブログではない。ブログのようなコメントを通じた、交流を期待していない。
 娘たちが、「元気ないね」とか、「字が間違っているよ」とか反応してくるので、緊張している。
 延べ人数、1万人を越したので、もっと読んでくれた人に、元気の出る書き込みをしたいのだが。現実は、いつも元気ではないが。

 今日・午前は、義母をショートステイに送る。3日ほどの短期である。喜んで行ってくれるので助かる。
 風邪なのか、咳が出るので、心配していたら、インフルエンザではないかという。
 熱もないし、予防注射もしたのに、と思ったが、テレビは、予防注射をやっていても、必ずしも罹らないわけではないらしい。
 大学に行って、すごい鼻水のラッシュで、これは「花粉症」だと、いまは自己診断している。

 研究室で、明日の「ふくしま復興支援フォーラム」の資料作り。ニュースの中に取り込もうと思っていたが、報告者から出てきたのは、ワープロで10枚ほど。図表のほうは、貼り付けて済ませ、5枚ほどは打ち直した。ファイルでいただかないと結構しんどい。
 配布するのは、白黒のものだが、ホームページにpdfファイル(第8号第8号-2)を貼り付けた。16ページを組み込んで、自己満足。
 まあ、鼻水を処理しながらなので、まあ、よしとするか。(2/24)<10009>


◇ 一日、咳が切れず、不快な一日でした。
 午前中、県庁での会議。途中、郵便局で送金し、ということを考えましたが、前のお客さんがやり直しで、なかなか順番がきません。

 急いで県庁に行ったら、今度は許可されている駐車場が一杯。隣の工事用の駐車場にお願いして、雨でぬかるんでいる道を急いで会議室へ。1−2分の遅れ。駄目ですね、もう少し早めの到着が必要です。申し訳ない。

 大学で、フォーラムの資料作り。1週間に2回は疲れます。しかし、初めての方からの連絡・反応があり、その広がりがうれしい。
 少し遅くなったが帰宅・夕食。
 一昨日午前、肺炎の予防注射をやったが、昨日の夜になって、咳が出る。まさか、予防注射で、肺炎になることはないんだろうなと、奇想天外なことを考えている、葛根湯を飲んで、早く治さないと・・・。(2/23)<9985>


◇ 自宅のミニノートが不具合。
 しばらく前から、容量オーバーしているので、整理しろとは指示がされていたが、無視して続けていたら、ついにダウン。
 仕方なく、プログラムを消していったら、必要なものまで消すことになってしまった。
 研究室のデスクトップはあるし、最近ソニーのVAIOを買ったので、交代かなとあきらめていたが、なんとなく、再開ができた。
 しかし、写真などのデータは消してしまったかな?
 USBに大分、移したのだが、USBば満杯で途中までだった。
 災難は思わぬときに来ると思って、準備しておかないと。

 今朝は、コープふくしまの新町店がリニューアルオープン。そのセレモニーに参加。一応、非常勤理事ですから。
 セレモニーは、八島理事長の挨拶ではじまり、短時間であったが、10時からの開店時間には、多くの買い物客。
 いろいろ余分のスペースがあり、買い物とともに地域の住民の拠点になって欲しいと思います。

 大学に行き、昼食は飯舘村等のお母さんたちが結成している「かあちゃんの力・プロジェクト」作成の弁当試食。
 避難している仮設住宅などを拠点に、事業復興への活動を展開している。
 フェースブックに弁当の写真を紹介したら、イイですねとのコメントがあったので、こう書きました。
 「飯舘村から避難して、福島の仮設にいる母ちゃんたちが、頑張っています。女の人たちは強いね。戦後、戦地から帰って来て、呆然としていた男たちにたいして、女たちが復興の力になったのではと、思いますね。わたしの母は、48歳で亡くなったが、赤ん坊の私をおんぶして、ホヤの行商で農村を歩いたらしい。飯舘村の母ちゃんたちの姿に、ダブってしまいます。」
 そうしたら、それを読んだ娘が、「我が子のおんぶはとてつもなく温かい。重さの分、幸せもずっしり。きっと、苦労はしたけど、幸せだったでしょうね。願わくば、わたしも、おばあちゃんにおんぶされたかったかな。」と。

 何か、まとまりのない一日だったが、春の近づきを感ずる日でもありました。(2/22)<9957>


◇ 妻の仕事の関係から、デイサービスに送り出し、帰ってくる前に帰宅してお迎えする、忙しい日。それだけのことなのだが、短い日である。

 朝、コンビニで娘への宅急便を送り、その足で次々回のフォーラムの会場として仮予約していた「AOZ(アオウゼ)」へ、正規の申込み。
 ここは「さくらの百貨店」だったが、閉店後、時間が経過したが、店も入り、4階は福島市の管理する場。
 高校生や主婦などが多く集まっていて、閑散としている福島市にしては、賑わっている。人が集うところはいい。ここの会場の一室で、フォーラムを開催している。

 年金生活者らしく、ここで開かれている講座にでてみようか。
 「民謡を楽しもう」とか、茶道とか、詩吟とか・・・。本当は、「調理実習」なのだが。

 さらに病院へ。肺炎の予防注射。正式には、「高齢者(23価)肺炎球菌ワクチンの接種」。
 被災地支援の一環として、福島県内の高齢者の健康を守るために、本年度(23年度)に限り、接種費用を助成(無料)。
 5年間有効なので、次回までは長生きしないと。次回は有料かもしれないが。簡単に終了。

 出勤途上にいろいろやることが多いので、大学到着は昼前。昼食を取り、3時半には退散だが、学生のことで、同僚からさらに係から連絡。少々、ゴタゴタしてしまった。
 そういえば、プリンターの修理代の見積もりが来たが、生協の下請への手数料を含めると、買った値段より高くなるかも。だいたい、保証期間を過ぎると、なぜか故障になる。1年ではなく3年にして欲しいものだ。

 女川から年度最後の委員会の連絡(新町長)が来たが、丁度、福島で私が会長の審議会。
 「それでは欠席ですね。」ということで、まあ、それほどの必要もないのだろう。
 出身者の思い込みに過ぎないのかもしれない。
 珍しく名古屋大の研究者仲間から、講演の打診。被災地の現状を伝え、感謝もしてくる必要もあるのかも。
 未だに、女川と福島が一体的に展開できていない。勉強をしないと。(2/21)<9932>


◇ 夕方の第5回「ふくしま復興支援フォーラム」の資料作成・印刷等、少し時間がかかりました。プリンターを修理に出しているので、面倒です。

   今日は、弁護士の渡邊純さんから「損害賠償問題の現状と課題」の報告。
 30人の出席で、活発な議論が展開されました。自治体・住民・弁護団も、大きな団結を作りながら進めていくことが強調されました。

 輪が広がっているのですが、このフォーラムも拡散している感じです。双葉郡の方々も見えられるようですが、仮設が福島に隣接。もっと、地域的連携が求められているでしょう。住民サイドの大団結が叫ばれる時、フォーラムの出番です。(2/20)<9906>


◇ 2月も19日。あと10日で3月になります。本当に、2月が「逃げる」ですね。

 朝、昨日、お話を伺った雄勝石絵の作者・斎藤玄昌實先生の奥様から、自宅に直接、電話をいただきました。
 昨日、奥様から展示の説明を受けている最中に、作品の購入希望者が見えられて、そちらの方が忙しくなったようで、話は中断してしまいました。
 私は、事情が推察できたので、予定の時間に間に合うように、断りなしに離れてしまいました。
 お詫びをするのは、こちらの方ですが、丁寧なご挨拶に恐縮してしまいました。自宅の電話番号の入った名刺を手がかりに、わざわざ電話をいただきました。
 なかなか購入できる経済的余裕はありませんが、津波の中、探し当てた絵、並びに難を逃れた絵に感動。隣町・雄勝への関心を強めましょう。

 学会参加の途中、帰省していた娘と、福島市の隣町・桑折町の「桑折宿雛めぐり」を見に行きました。
 小さな店の多くが、店の中に様々なお雛様を陳列。皆さんにお見せしています。
 祭りとしては、5年の歴史らしく、まだ成熟はしていませんが、素朴で、それなりにホッとします。
 桑折町の仮設住宅には、浪江町から避難している方々が多いが、この祭りに影響を与えているようです。
 初めて、各店には、赤い「さるぼぼ」が陳列しているのもその影響とか。

 「さるぼぼ」は飛騨地方のものらしいが、Wikipediaによれば、
 『飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味である。
 災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起の良い物とされ、お守りとしても使われている。
 近年では、土産として飛騨地方の観光地で多く見られる。
 よく見かける基本形は、赤い体に赤く丸い顔(目鼻口は省かれる)、赤い手足(指は省かれている)、黒い頭巾と黒い腹掛け(いわゆる「金太郎」)を纏い、座って足を前に投げ出しているか両足を広げ、両腕を上げて広げた(いわゆる万歳の)姿である。
 尚、全身に亘って色が赤いのは、赤は古くから悪霊祓い、疫病(とりわけ天然痘)除けの御利益があると見なされてきたからであるが、近年では赤以外に黄色や緑色などさまざまなカラーバリエーションが見かけられるようになった。』とのこと。

 娘は、急いで新幹線に乗り、仙台での用事を済ませて弘前に向かう。
 桑折町を歩いたせいか、少々疲れ。
 コタツでウトウトしながら、来月11日の一周忌についての姪からの電話に応対している。
 昨日のことのようだが、もう1年ですね。(2/19)<4879>


◇ 4週間毎の土曜日は、病院の診察。血液・尿検査と診察。気になる値は、前回より少し低下したが、まだまだ。
 本格的な運動不足解消が課題。

 午後からの仙台での研究会。件数が少なかったこともあり、4時過ぎには終了。6時からの高校時代の同期会までの時間つぶしに、仙台三越へ。
 偶然、雄勝石絵の展示に遭遇。これが話題のもの。偶然ながらここで見れるとはラッキー。津波に流されて甦った絵には感動。
 雄勝は女川の隣。硯博物館に行ったことはあるが、もっと隣人を知るべきだった。これからの復興でも、関心を持ち続けよう。

   6時からの同期会(役員会)。みんな元気一杯の高齢者。昔の話で盛り上がった。早めの退散。学会からの帰途、自宅に立ち寄った二女を迎えて、久し振りの家族団欒。(2/18)<9867>

  


◇ 午前中、研究室で午後からの研修会講演の資料のセット。
 松川PAからETCで入り、郡山ICへ。東北道は快適。しかし49号線はあまり進まず。2時からの話で、1時20分頃の到着。
 「国保県中地区部会研修会」である。研修会だから、他の講義もあるのかと思ったら私の講義だけ。90分の講義である。レジメと資料3枚を持ち込んだが。
 テーマは、「社会保障制度の展開について」。柱としては、1.社会保障とは何か、2.社会保障の歴史、3.社会保障を取り巻く環境の変化と社会保障制度の再編・改革(社会保障・税一体改革案)、4.国民健康保険制度について。
 「一体化」によって国保はどう変わるかが最大の共通関心と思うが、なかなか噛み合ったとの実感がない。それ以上に、医療保険の中でも国保の置かれた状況の深刻さを知らされた。
 学生の講義と同様、話しっぱなしは良くないと思い、学生に真似て質問・意見票を書いてもらった。参加者の半数ほどが提出してくれたが、アフターケアで、コメントをつけて、再配布してもらうことにした(他の人の質問・意見も含めて)。
 学生と異なり、実際に国保業務を担当しているので、むずかしい。なかなかいいコメントが書けるかどうか。まあ、自分の講義・講演の足りなさを自覚させてくれる。
 講演のアフターケアが可能かどうか、実験でもある。(2/17)<9856>


◇ 明日の郡山での行政担当者向けの研修講演の準備をし始めたのですが、研究室のプリンターがトラブルとの表示。
 簡単になおるのかと思ったらメーカーのサービスへ。一週間はかかるというから、お手上げ。
 講演のレジメもあるし、困ってしまいました。まさかです。
 結局、夕方、同僚の中井先生のプリンターで印刷してもらいました。できることに疑わなかったことが、できないことのショックは大きい。

 帰宅は遅くなりましたが、きりたんぽ鍋というので、急いで帰ってきました。美味しかった。大潟村の米らしい。
 図書館問題研究会編集の「みんなの図書館」に寄稿したが、その雑誌が届きました。
 草津町図書館の中沢さんが、女川に行政支援で入っていたので、ネットを通じて図書館づくりについていろいろ聞いているうちに、寄稿するように云われて書きました。「故郷・女川町に図書館をつくる夢」。
 専門外で恥ずかしいのですが、夢を書きました。ホームページを立ち上げていたのが縁です。女川の現場では、大変な中、着々と準備が続けられています。

 ここまではいいのですが、テレビを見ながら、雑音の中パソコンを操作し、ホームページに上記小論の表題を追加していましたら、なんと別のページに上書きしてしまい、これまたショック。
 転送していなければ、何とかなるのですが、転送して更新してしまいました。
 大学のパソコンにキャッシュが残っていれば復元できるのですが・・・。
 みんなからの意見をもらったものなので、消すには惜しい。なんと、パソコン受難の日でしょう。
 一つ一つ、仕事を丁寧にやっていかないとダメですね。
 3月24日には、お世話になった職員の皆さんとの送別懇親会など、3月末までの予定が入りだし始めているので、撤退準備を急ぎましょう。プリンターないと、フォーラムの準備もままなりませんが。(2/16)<9832>


◇ 午後、大学の災害復興研究所の定例研究会に、県庁での会議のため、最初の30分だけ出ました。
 関満博先生の「東日本大震災 産業の復興に向けて」と題する報告。被災地の産業起こしの研究成果を上げています。
 最近、新評論から出版された『東日本大震災と地域産業復興』を取り寄せ、読みかけているので、是非と思ったのですが、3時からの県庁での会議に出席のため中座。
 女川町の産業復興が遅れていて、隣の石巻には300億円の予算投入されていますが、女川は3億円のみ。
 女川の産業起こしに積極的な事業者になんとかして支援したいという藁をも掴みたい感じです。
 研究会開始前に、女川に入っていただく訳に行かないかともちかけましたが、なかなか多忙で、当面の課題にはなり難そう。
 もっと、問題を具体的に把握して、教えを請いたいと思う。

 県庁で、来年度採用試験受験を希望する学生たちのセミナーを見学。
 各部門の職員が中心なって、8グループに分かれて説明。また新入職員の話を聞く場もありました。
 大学も同じですが、県も選ばれる立場になってきているし、意欲的な職員が欲しいところですので、こうした取組みの充実が必要でしょう。
 特に、原発事故の影響で、より明確な目的意識のある職員を積極的に集める必要があるでしょう。

 会議の後、帰宅。7時半からの「クローズドアップ現代」は、「除染技術」の問題の特集。
 福島大学の小山准教授がゲストとして出演。現地でも、農家に入って活躍しています。
 マスコミでも活躍している福島大学の先生方が多くなりました。
 他方、地味ですが、震災以来、避難所・仮設住宅で継続的に支援活動をしてきているS先生に逢いました。いまも地道に継続的に、足湯等など、頑張っている姿に、また感動します。
 何が必要か、いわゆる「日の目」を見るかどうかではなく、自分の確かな判断基準で進む必要があるのでしょう。
 危機の中に置かれた福島大学。否が応でも注目されますが、危機を克服して、新しい大学に脱皮できればと期待しています。(2/15)<9803>


◇ 今日は火曜日。テレビはバレンタインデーの大宣伝。無関係と思っていたが、朝出掛けの宅配便。弘前の娘からのチョコレート配達。6個の小さなチョコレート(イタリア、ボローニャのMAJANI)が山田平安堂の漆器に納まっている。漆器の方が、高そうだが?空き箱は小物入れとして有効活用可能。
 学生や職員と接点が多いときには、チョコレートをもらうことも多かったが、今年は期待もしていなかったので意外。
 震災の後遺症か、構内も華やいだ雰囲気はない。私の接点のない世界での出来事かもしれないが・・・。まっ、貴重なプレゼントに感謝。

 期末試験の評価を出して、あとは社会保障と税の一体化のお勉強。講演と来週月曜日のフォーラムの準備。

 今日は、地震が多い。12時半頃と3時頃に強い地震、そして今9時半、長野北部で震度4の地震。地殻はまだ落ち着かないのだろうか。
 女川町の町議の方とFacebookでのメッセージ交換。女川での事業復興への心配。隣の石巻は300億円の補助金投入があるが、女川は3億円。
 なかなか解決策を見出せないが、明日、この分野の権威、関先生が2時から講演。3時からの県の会議のため、ほんの20分ほどだが、教えを請うことができるか。期待している。(2/14)<9782>


◇ 月曜日。午前は、ショートスティのお迎え。
 天気もよく、青空の下に冠雪している吾妻小富士が美しい。
 種まきウサギが現れると田植えの時期ですが、原発事故で、今年はどうなるのでしょうか。
 ウサギさん、その時が来るまで、待ってて欲しいね。

 午後一杯、妻が仕事なので、自宅で見守りは私の仕事。ショートスティで疲れたのか、長めの昼寝です。
 私は、年度末処理。4月からの非常勤業務中心の生活では、こんな形態になるのかも。

 風邪気味の症状は、改善しつつあり、明日からは正常業務に戻ることにしましょう。(2/13)<9754>


◇ 日記をつけ忘れ、朝になってしまいました。風邪を引いたのか、寒気がしてファイトがでません。やることは多いのですが、休みが勝ちと早く休みました。
 日曜日、研究室に。年度末(といっても、2,3日で)に処理しなければならない業務がありますが、どうも研究室でも後回しになります。

 土日も生協の売店が開いているので助かります。夜間主コースのあるせいか、生協や図書館が開いているので助かります。
 図書館(開いていたかどうか確認してませんが。震災後は臨時休館もありますので)も、最初は、山の上まで市民が来ないと反対論はありましたが、土日開館してみると、市民は多くはないが、学生が多い。
 学生の住宅は、構内の学生寮か、近くのアパート。暖房が完備しない寮やアパートに居るよりは、図書館が勉強部屋になっています。公務員試験などで好成績の原因かも。
 生協で田中専務と立ち話。大学生協のあり方、地域生協のあり方など、今年は国際協同組合年なので、本来のあり方について、いろいろ教えられました。3月に研究室を撤退するので、継続刊行物など事務処理を開始しました。なかなかキャンパスにはこれないでしょうから。ちょっと寂しいのですが、新しい書籍入手方法を開拓しましょう。

 帰宅すると、津波で亡くなった女川の従兄(門馬)の奥さんから電話があったというので、折り返し電話をしました。
 いまは仙台の借り上げ住宅に一人住んでいるようです。近くの子どもたちに助けられて、何とか生活を再建しようとしているので安心しました。気になっていた一周忌は、家族のみで済ませたとのことです。なんとか、前向きに生活をして欲しいと思います。

 NHKで放映された気仙沼信用金庫の事業再建支援の動きをみて、女川の事業再建を巡って、ツイッターで交流していました。
 事業を起こすための嵩上げが進まず、なかなか、事業起こしが難しいようだ。そのうちに民間からの支援も、公的補助金も対象にならなくなるのではとの若手事業者の心配。
 生業・雇用再建は、当面の私の最大関心。しかし、現実は難しい。困難でもこういう構想でやりたいという意欲が萎えないように、何か取り組みたいが、能力不足。研究会での講演で見える関先生は、この分野の権威。本は入手したが、県の会議とぶつかって参加できない。上手くいかない。現地・被災地で求めていることに寄り添って、何か出来ればいいのですが・・・。(2/12)<9742>


◇ 祝日・建国記念の日ですが、週休二日のところは、あまりメリットがなさそう。
 今日は、いろいろ集会があるのだが、体の休養で、土湯峠のマイナスイオン全身浴「イオラ」へ。
 外は、美しい雪化粧
 長い時間入りすぎたのか、帰ってきても、体がクターッとなって、こたつでゴロゴロ。

 「世界」3月号の宮本太郎論文「『一体改革』を新しい構造改革へ」等を読む。論点がスッキリ整理されていて、分りやすい。
 国会論戦は、消費税の議論のみに集中しているが、そもそもの社会保障改革の中身が出てこない。
 高齢世代に集中している社会保障費の支出を、若者や子育て世代等、全世代への支出に振り向けることも不可欠。急速な高齢化ではあるが、現役世代支出に対して高齢対策支出が、スウェーデンの1.8倍、韓国の3.3倍に比して、日本は7.3倍。これでは、社会保障=年金・介護等となってしまう。
 もっと、 現役世代への支出(子育て、職業訓練等)を厚くして、支えられるべき高齢世代の社会参加の機会、社会を支える機会を保障すべきか。病気でもない限り、高齢者も現役でいたいものだ。邪魔にならないように。(2/11)<9718>


◇ 金曜日、午前中はショートスティへの送り。3晩という短いショートですが。
 帰り、久し振りに、もち処・木の幡で「凍天」を買ってきました。本当に福島は美味しいものがあるなと思います。この食糧宝庫を復活させないと、日本人が可哀相。

 午後、コープふくしまの理事会。食品安全委員会の放射線暫定基準の見直し問題で、いろいろ議論が出ました。
 外部被ばくと内部被ばくの関係、新基準の検査可能性、地元の産業の問題等、いろいろ考えるべきことは少なくないでしょう。
 頭がスッキリするものではありませんが、一つ一つ丁寧に、納得しながら進むしかないのかなと思います。
 東京の審議会まで行って意見陳述した、S先生に、我々のフォーラムで話してもらうことにしました(3月8日)。心配している人も含め、多くの人に参加して欲しいなと思います。(2/10)<9703>


◇ 午前中、研究室で講演準備のための本読みをして、午後帰宅。家族を仕事場まで送って、散髪に寄り、帰宅して灯油を入れたところで、デイサービスからの迎え。

 塩竃から美味しいクッキーが届く。この前、葬儀場で初めて食べて美味しかったと云ったら、送ってくれた。まだまだ珍味がありそうだ。そういえば、朝のテレビ、「カーネーション」の後の今日の「朝イチ」では、塩竃特集。塩竃の魅力満載。魚市場だけでなく、藻塩の入った菓子類など。
 度々行ってても、狭いマンションの部屋への直行直帰。少し、塩竃市内を探訪してみたい。孫を連れて歩くには、もう少し時間が必要か。塩竃の「竃」は、「釜」ではない。藻塩の話など、おもしろそう。現場をもっと見つめる貪欲さが欲しい。「何でもみてやろ」と。
 風邪ではないだろうが、すこし咳が出るので、大事をとって早めの就寝。(2/9)<9682>


◇ 一日、研究室で、卒研読み、講演準備などの作業を、少しダラダラやっていました。
 久し振りに、同僚含め3人で、研究室でコーヒーを飲みながら井戸端会議(?)。研究者の結婚タイミングなど、まさに談笑です。
 パワーポイントへPDFファイルを取り込む方法が分らなかったので、教えてもらおうと声をかけて、そうなりました。昔は、こんなことは、度々でしたが、最近は珍しい。高齢者だけでなく、研究者も孤独になってきたのかな?

 夜、従姉妹から昔の写真が送られてきました。来月の一周忌頃までに、せめて姉の写真集を作りたいものと思い、お願いしていたものです。私の小学生時代の写真(「神童時代」と本人だけは云っていますが、他の人は誰も云っていません。地震が多いので、「震動時代」かな?)も。
 私のはともかく、姉を含め小学校から高校生までの従姉妹連中。美少女(?)です。
 昔、従姉妹が多いので(伯父叔母の兄弟姉妹が多く、また子沢山)、それも一部です。みんな高齢者にはなりましたが。
 姉の写真を等と、言っていて、結局、自分の写真を集めているのかな?今はみな、懐かしい思い出です。

 一度暖かくなり、また冷え込んできました。表層雪崩など、事故も出ています。岡山・倉敷で海底トンネル工事最中の事故で、5人が行方不明。みな働き盛りの下請労働者。心が痛みます。労働者の安全にもっと力を注ぐべきだったのでは思い、残念です。まだまだやるべきことが山積しています。(2/8)<9658>

 


◇ 研究室で、講義関係の採点作業&引越し準備作業、あまり進みません。
 人事課に、4月以降の健康保険関係の相談。3つの方法がありますと。
 健康保険の任意延長(この場合には使用者負担部分も支払いますが、扶養関係などはそのまま)。二人で国保に加入、これは市役所に聞いてみないと分らないが、保険料が高そう、2人分。3つ目は、子どもの扶養家族になること。これが一番気楽。遠隔地の健康保険証も悪くないなと思ったが、年金や他の収入で扶養家族の資格なさそう。2年だけだが、任意延長と思っているが・・・。結構面倒くさいもんだ。みんなやっていることだが。

 仙台の友人弁護士から電話。高齢者雇用安定法関係での訴訟、再雇用で差別問題。可能な範囲で協力することにしたが、全力で尽力できないことがじれったい。依頼された社会保障と税の一体改革の講演のための勉強。担当している職員への話なので、手を抜く訳にはいけない。課題が積もるが、進む足取りは緩慢。

 女川一中の立志の会に、女川に元気を送る会のメンバーが講師として参加したが、生徒たちの感想文が送られてきた。
 <和田さんの3つのCHA(チャチャチャ)覚えやすく、どんな時にも使える言葉と思った。そして、何事にも 挑戦する心を持って仕事をしたい。>(Challenge,Chance,Change)、
 <勝又楽子さんが講話で最後に「私は『まだ』65歳ですが、あなたたちは『まだまだ』14歳です。」と言っていたことが印象に残っています。「まだ」14歳だから、いろいろなことに挑戦することをモットーにして働きたいと思います。そして、失敗をおそれずに積極的に仕事をしたいです。>、
 「村井昭郎さんの志と人生のついての話の中で、女川町をどう復興させるかという話が印象に残った。」。
 そして、「3人の講話を聞いて共通している事を発見しました。それは「諦めないこと」です。だから、これから生きていく上で、何事にも挑戦して、たとえ失敗しそうでも諦めないで頑張りたいと思います。」等など。
 大丈夫だ。女川の中学生は、元気だ。復興の第一は人。復興の有能な担い手になっていくだろう。(2/7)<9637>

 


◇ 月曜日。午後から妻の仕事の関係で、自宅で見守りが必要なので、一日中自宅待機。
 研究室の一部を持ち込むためにも、自宅の中にスペースを作ることが必要。整理を始めると、際限がない。
 問題は、捨ててもいいものは捨てることだが、それが上手くいかない。優柔不断の性格にもよるが。

 新聞の切抜きが意外と始末が悪い。ふと見たら、朝日新聞の2011年3月10日の記事。前日の地震の記事だ。
 あの時、行方不明になった姉に電話したことを思い出し、「大丈夫だ」との声。その二日後に大津波が来るとは信じがたい。
 あれが、最後に聞いた肉声だったのかと思う。
 そんな思いもあり、Facebookのノートを使って、書き記す(ノートは備忘録と思って)。

 「(朝日新聞3月10日付)   < 宮城で震度5弱  9日午前11時45分ごろ、三陸沖を震源とする地震があり、宮城県の栗原市と登米市で震度5弱を観測した。気象庁によると、震源の深さは約8`、地震の規模を示すマグニチュード(M)は、7.3と推定される。同庁は青森、岩手、宮城,福島4県の太平洋沿岸で最大50aの津波注意報を出し,岩手県大船渡市で午後0時16分に60a,宮城県石巻市で同25分に50aの津波を観測。注意報は同2時50分に解除された。
 同日夕までに、最大で震度3を観測した余震が2回発生。気象庁の横山博文・地震津波監視課長は「最大で震度4程度の余震が1週間ほど続く可能性がある」と注意を呼びかけた。
 今回の震源付近は地震活動が活発で、2月16〜26日にもM5.0以上の地震が4回起きていた。
 JR東日本によると、東北新幹線は白石蔵王(宮城)−七戸十和田(青森)間で送電がストップし、同区間で運転を見合わせた。山形、秋田の両新幹線や在来線の一部区間でもダイヤが乱れた。>」

 来月の3月11日は、一周忌。法要があるが、私の場合、お寺単位だと3つのお寺(各家が宗派・檀家が異なる)。2つは個人の葬儀だから、亡くなった個人を静かに偲ぶこともできたが、姉の場合、娘・孫・夫・叔母・義弟の子どもも含め6人の集団葬儀だったので、なかなか嫁の身である姉の人生に思い致すことができなかった。姉の多くの親友も居ただろうと思うと、心が落ち着かない。

 多くの不幸なので、そんな我侭は許されないが、姉の友人たちと偲ぶ場が欲しいと思いつつ、手がかりもなく今になってしまった。心残りである。せめて、姉の写真集をと思ったが、本体は流され、娘である姪が、辛うじて何万と行き場を失っていた写真の中から、3枚の写真を見つけて送ってくれた(姉が入っているのは1枚だけだが)。娘や姪、従姉妹に手がかりがないかとメールを出して、協力をお願いした。今のところ、正直4枚。せめての追悼として、ささやかなものでも実現したいと思うが・・・。

 事務でお世話になった木村さんから、私ら2人(友人のM先生と)の送別会をやりたいと有難いお話。人知れず去りたいとは思ったが、いろいろ世話になったこともあり、楽しみにしている。試験や卒研の成績評価を出して、大学での後始末作業を急がないと。(2/6)<9612>

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◇ 日曜日、今日は二番目の孫の3歳の誕生日。
 どうしても2番目というのは、特に下に子どもがいる場合、落ち着かない。どうも自己の存在が危うい。
 一番目への期待、親も初めてなので、手をかける。一番目は、倒れる前に親の手が出るが、二番目は倒れてから親の手が出る。三番目は、いつまでも小さいから、親の目がかかる。二番目は立ち位置が不安定。
 そんなこともあるのか、少々手を焼いている。誕生日も、イベントになりにくい。そんなこともあり、何もプレゼントもないが、短時間でも逢いたかった。逢えば、また叱ってばかりいるのだが。

 私の成長期におけるきょうだい関係も、3人きょうだい。
 50代で亡くなった兄は、体が弱かったこともあり大事にされた。幼少の写真は、兄の写真ばかり。
 私は殆んどない。しかし、「バッツ」(末っ子)だから、いつまでも親に甘えている。
 真ん中(二番目)の姉は、反乱児だったか、積極的だったか。一番、外交的。少なくとも、長生きすると思っていたが、この津波で流されてしまった。まさかである。まあ、どの順番でも、もてる能力を花開かせられるように。

 昨日の集会もあり、まだ相馬市に行っていなかったので、朝市を見に行く。
 天気はよかったが、震災以来、土日連続の開店。NPOの方々の献身的な活動に頭がさがる。
 ご無沙汰している市長さんにも電話し、現状を聞く。事業の再興の為の資金と気持ちが必要か。復興の気持ちが萎えることが心配。
 支援を受けながらも、物心ともに自立することが必要。自分に何ができるか、浜通りの再興は私の宿題としなければと思う。
 孫たちの為にイチゴを買って、6号線を北上、亘理から仙台東部自動車道へ。
 山元町、亘理町など、津波の被害が気にかかったが、6号線からは見えなかった。

 2時間ほどお誕生会をやって、早めの帰途。あたたかく、睡魔に勝てず、いつもの菅生PAで仮眠。無事、帰宅しました。春を感じさせる一日でした。(2/5)<9583>


◇ 立春である。寒さは大分、緩んだ。午前中は、研究室で雑用。
 午後、MAXふくしま「AOZ」で、「ふくしま市民活動フォーラム2012」に出かける。NPOとはあまり縁がないが、我々の「フォーラム」を企画するようになってから、市民活動に関心が強くなった。
 今日のフォーラムは、「ふくしまNPO・市民活動団体連携復興プロジェクト会議(ふくふくプロジェクト)」の主催。
 前半は、パネルディスカッションで、『行政と協働で行う災害復興計画』について、牧田教授をコーディネーターとして、福島市の参事、ふくふくプロジェクトの事務局長、いいざかサポーターズクラブ理事長がパネリスト。それぞれ災害復興に向けた活動を報告し、行政とのコラボレーションをめぐる議論の展開。
 後半は、7つの分科会に分れたが、私は、【座談】原発事故から地域の生活・文化を守る「相馬・双葉地区におけるこれからの生活設計、文化の継承について」に参加。双葉郡の復興への関心から。参加者は相馬市と山形県の方が多いのが特徴。主に相馬の生活設計の議論。相馬はらがま朝市クラブの朝市活動の報告、相馬大堀焼の窯元(震災前25窯元があったが、避難先で5窯が再興)の話等など、リアルな話である。魚の汚染の中で、原料を小田原や日本海側など遠方から集め、加工を準備しつつある。逞しい。数字では理解のできない現実の姿。

 双葉郡といっても南双葉(4町村)の方は、いわきに集結しており、川内村はじめ帰村が話題になっているが、北の双葉は見えなかったのでいい勉強になった。相馬は、原発被害というよりも津波被害も甚大、宮城と類似性がある。相馬市長とも逢いたいし、新地町の町長(この前、国際交流協会の会議でしばらく立ち話)をも訪問したいと思っているが、すぐには無理だろうから、まずは明日の朝市を覗きたくなった。可能であれば、巨大なイチゴを購入し、6号線を北上、仙台東部道路から、孫宅に行こうかな?明日は、孫・次女の誕生日。プレゼントを買う暇がなかったが、まあ、イチゴでいいかな?まあ、明日は明日の天気を見てからにしょう。(2/4)<9561>

 


◇ 今日は金曜日。夜間の授業に対応する定期試験の予定。

 大学へ向かう途中、送付された更新カード(スイカつきビューカード)に自動移行しない旧カードのチャージを、返却してもらって、新カードに入れなければならないので福島駅に立ち寄る。
 結局、みどりの窓口の職員に教えられながら、8000円ほどの返却を済ませ、新カードに入金。上手くいったのですが、大学に着いて確認したら、どうも旧カードがない。
 ATMの傍に置忘れかと思い、駅に電話しようとしたら、駅の電話番号がホームページにも、電話帳にもない。結局、JR東日本全体のサービスセンターにかけ、そこから福島駅に間接的に聞いてくれる。
 幸いなことに、東西通路で拾った50台の男性が届けてくれたようだ。本当に、いい人に拾ってもらって助かった。2月までの有効期限なので、どちらのカードも使えるらしいのでホッとしました。大学からまた、福島駅まで戻る。
 何で落としたりするのか、相当な間抜け。がっかりして、鬱憤ではないが、駅のショッピング街で昼飯のための、一番安い恵方巻を買い、新しくできた書店(くまざわ書店)で、スマートフォンの解説書を買う。

 夜の授業・試験の準備。講義はしないので、先週、書いてもらった質問票等へのコメントのタイプ。この作業も、終わり。丁度、パワーハラスメントの資料を渡す。試験後に、資料を配布。講義の延長みたい。試験で勉強は終わりにはしたくない。
 しかし、「この解雇は有効ですか?」との問い。早めに出した者の答案を見ると、無効、有効とそれだけ。ああ、「理由を付して述べよ」という当たり前のことを書かないでしまった。30分過ぎの退出者の多くが、そんな答案。失敗したと反省していたが、提出時間が遅くなっている答案は、きちんと理由を書いているのもいるので、少し安堵。二文字のみの回答で済むと思っているのか、当たり前のことが通じないので困ってしまう。

 大学退職後、地域で原水禁運動で活躍しているS先生が、1週間前程、会議中に倒れて入院している旨のメールが来る。意識はあるが、麻痺が進んでいるようだ。70歳ほどなので、もっと元気に頑張って欲しいと思う。見舞いに行きたいが、お家族に迷惑をかけないようにしないと。一日も早いご快癒を、今は祈っています。(2/3)<9549>


◇ 寒さが続きます。遅めの研究室出勤。明日の試験で終わる講義関係の資料整理をしました。
 予約している歯医者に出かけ、1時間ほどの治療。いろいろと通いましたが、一応の治療の終了。もっと、歯ブラシ、歯間ブラシについて、薦められました。歯は手入れが悪いので、少し大切にしましょう。

 早めの帰宅で、ディサービスのお迎え。結局、妻の仕事も早く終わったのか、早めの帰宅。私の戻りは不要になりましたが。
 夜は、母校同窓のオジサンたちの懇親会(新年会)。黒塀の料亭ですが、とらふぐ等を食べました。車で行ったので、ノンアルコール。ウーロン茶ですが、付き合いました。外は、寒く、マイナス3度の道を恐る恐る帰宅。明日は7時45分からの定期試験。最後に頑張って欲しい。

 弘前から新青森、新幹線、タクシーで、野辺地での仕事。日帰りの仕事。移動時間の方が長いとの悲鳴が、北からのメールで来る。テレビは、豪雪の交通渋滞などのニュース。福島も寒いけど、積雪が少なくて助かる。豪雪地帯の皆さんに、元気を送りたい。

 Facebookのグループ(福島大・今野ゼミグループ)に、卒業生のメッセージに、こんなことを書いた。「ふと、気がついたのですが、3月で研究室撤退と云うことばかりが頭にあり、その後の生活に不安でした。とにかく自宅以外に机があったのが45年間くらい。しかし、それは間違いだね。「****ができなくなる」という発想ばかりでしたが、こう考えるべきですね。「****ができるようになる」と。****がはっきりしませんが、ゼミ卒業生の職場と家庭の訪問かな?先生が、昔、家庭訪問やっていたよね。サボって、しないで来ましたが、突然、行くかもしれませんので、覚悟していてください。つまり、いつも、幸せな家庭生活と、意欲的な社会生活・仕事をしていれば、あわてる必要はありませんが・・・・。(笑)」(2/2)<9528>


◇ 2月になりました。寒ーい朝です。マイナス8度の福島の朝です。日本海側は大雪。雪に埋もれていた秋田の生活を思い出します。じっーと、我慢して息をしていました。一人しか歩けない歩道を、前の人の足を見て、追い越しもせず、我慢して歩きました。
 しかし、節分、立春(4日)、春の足音が聞こえてきます。何度も繰り返してきた季節巡りですが。しかし避難者の、そして福島の春は、四季の移り巡りの速度ではありませんが。昨日、川内村が4月からの帰村宣言をしました。賛否両論ありますが、いまは帰村を応援したいし、避難続ける人も支援したい。

 ショートステイに義母を迎えに行ってきました。寒い日が続いたので、暖かい施設内でよかったと思っていたのですが、どうして家に帰れないで、ここに居るのかと怒っていたみたいです。寒くても、自宅がいいのかな?
 昼過ぎ、大学へ。途中、ドコモの店に寄って、スマートフォンの機能のバージョンアップ。コープ関連のガソリンスタンドで、初めてグリーンカードを使い給油。市内で一番安い価格に設定されるはずだが、こちらの財布もさることながら、コープの売上に寄与したいと思ったのだが・・。
 研究室で、放送大学の書類を書き、依頼された本宮市の係に電話し帰宅したが、ゼミ卒業生、松山の鈴木さんから伊予疳の宅配便。お礼のメールを送ったら、明後日にノルウェー行きとのこと。そういえば、昨日のコンパに出たゼミ生も、明日当たり、イタリア旅行。世界中を巡って、羨ましい。研究でも遊びでも。

 妻と私への連名宛てで、大学時代の同期生の弁護士の宮本さんから、CDを送っていただきました。シャンソン歌手のMIKAKOのCD(「今どこにいますか」、「こもれびの中で」)。MIKAKOの顧問をやっているらしいのですが、被災者に勇気と希望をということで、各地でコンサート、高い評価を受けています。明日、カーステレオで聴くことにしますが、加藤登紀子の「今どこにいますか」の詞もいいですね。
 「今どこにいますか 寒くはないですか お腹はすいてませんか 眠る場所はありますか / 誰かと手をつないでいますか 暖かな火はありますか 誰かを胸に抱いていますか 青い空を見上げていますか / 大きな悲しみは嵐のように 突然に訪れるけど 夢じゃない 何もかも ほんとうの ことだから / 今日一日を生きましたね あしたのために眠りましょう かなしみはあなたの胸で 大きな愛に変わるでしょう / 出きることだけのして それでも足りなくて 悔しさに泣けてくる どうしようもない ことばかり 地団駄を 踏みながら / 泣きたければ泣けばいい 大きな声で歌えばいい みんなで笑い合えばいい 子供のようにころげまわろう / あしたは来る かならず来る 太陽はまわってる 出来ることをひとつずつ またひとつ 積み上げて / 泣きたければ泣けばいい 大きな声で歌えばいい みんなで笑い合えばいい 子供のようにころげまわろう / ララーラララー ラーララー・・・」  (2/1)<9514>



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