墨上春遊 | ||
永井荷風 |
||
黄昏轉覺薄寒加, 載酒又過江上家。 十里珠簾二分月, 一灣春水滿堤花。 |
黄昏 轉 た覺 ゆ薄寒 の加 はるを,
酒を載 せ 又過 ぐ江上 の家。
十里の珠簾 二分 の月,
一灣 の春水 滿堤 の花。
*****************
◎ 私感註釈
※永井荷風:小説家。1879年 (明治十二年)1959年(昭和三十四年)。名は壮吉。東京の生まれ。東京外語中国語科中退。『地獄の花』、『夢の女』、『女優ナナ』を発表、ゾライズムの理解者として文壇に登場。渡米・渡仏後は『あめりか物語』『ふらんす物語』『歓楽』『すみだ川』『冷笑』などを書き、自然主義全盛の中にあって享楽主義的傾向を持し、一方、現代文化への鋭い批評眼を示した。趣味的な江戸美術の研究からそれへ熱中し、『腕くらべ』『おかめ笹』『墨東綺譚』などの花柳小説を著した。
※墨上春遊:隅田川の畔で春の遊びをした。または、隅田川の上で春の遊びをした。 ・墨:隅田川のこと。=墨水。江戸時代の服部南郭に『夜下墨水』「金龍山畔江月浮,江搖月湧金龍流。扁舟不住天如水,兩岸秋風下二州。」がある。 ・-上:(…の)ほとり。また、うえ。 ・春遊:春の遊び。
※黄昏転覚薄寒加:夕方の薄暗い時刻、何となく微かに寒さを感じるのが増えてきた。 ・黄昏:〔くゎうこん;huang2hun1○○〕たそがれ。夕方の薄暗い時刻。 ・転:何となく。ますます。うたた。 ・覚:(…と)感じる。 ・薄寒:〔はっかん(はくかん);bo2han2●○〕身に滲みる寒さ。「薄」は「迫」の義。ただし、ここでは、「薄(うす)ら寒(さむ)い」(うそ寒い)意として使われている。盛唐・祖詠の『終南望餘雪』に「終南陰嶺秀,積雪浮雲端。林表明霽色,城中暮寒。」とある。
※載酒又過江上家:酒を(舟に)載せて、(それを飲みながら)またしても川沿いの家を通り過ぎた。 ・載酒:酒を(舟に)載せる。酒を帯(たずさ)える。晩唐・杜牧の『遣懷』に「落魄江南載酒行,楚腰腸斷掌中輕。十年一覺揚州夢,占得樓薄倖名。」とある。この「載酒」は酒を(舟に)載せていた杜牧の場合と微妙に異なろう。 ・江上:川のほとり。河畔。
※十里珠簾二分月:十里(続く)玉の簾(をした女性の部屋の窓)に、他所(よそ)よりも多くの(三分の)二ほどの月光が射して。 *この句、「十里珠簾 + 二分月」と句中の対をなしている。 ・珠簾:玉の簾。謝の『玉階怨』に「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」とあり、唐・岑參の『白雪歌送武判官歸京』に「北風捲地白草折,胡天八月即飛雪。忽然一夜春風來,千樹萬樹梨花開。散入珠簾濕羅幕,孤裘不煖錦衾薄。將軍角弓不得控,キ護鐵衣冷難著。瀚海闌干百丈冰,愁雲慘淡萬里凝。中軍置酒飮歸客,胡琴琵琶與羌笛。紛紛暮雪下轅門,風掣紅旗凍不翻。輪臺東門送君去,去時雪滿天山路。山迴路轉不見君,雪上空留馬行處。」とある。 ・二分月:ほぼ十分な月光。(徐凝の詩に基づけば)三分の二の月光。他所よりも多くの月光。唐・徐凝の『憶揚州』に「蕭娘臉下難勝涙,桃葉眉頭易得愁。天下三分明月夜,二分無頼是揚州。」とある。 ・二分:この読み、「にぶ」なのか「にぶん」なのか、迷った。語調がいいのは「にぶ」だが、意味からは、「天下三分明月夜,二分無頼是揚州。」からとすれば「にぶん」になろう。ただ、永井荷風のこの詩が徐凝の詩に基づいて作られた根拠が(この詩からだけでは)無い。徐凝の詩に基づく「三分の二」=66%か、国語での二分(にぶ)「十分の二」=20%か。後者・二分(にぶ)=20%が自然に感じられる。
※一湾春水満堤花:入り江いっぱいに春の水が満ちて、土手にいっぱいに(桜の)花が満ちている。 *この句、「一湾春水 + 満堤花」と句中の対となっている。 ・一湾:入り江いっぱい。ここの「一…」は、「滿…」「全…」の意。 ・満堤花:土手にいっぱいの(桜の)花。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「加家花」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●●●◎○●○。(韻)
●●○○●◎●,
●○○●●○○。(韻)
平成23.7. 8 7. 9 7.10 7.11完 7.15補 8. 1 |
トップ |