Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye


      
                            
壬戌八月廿七日亡命櫻邸
 

高杉晉作


官祿於吾塵土輕,
笑抛官祿向東行。
見他世上勤王士,
半是貪功半利名。





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壬戌(じんじゅつ)八月廿七日 櫻邸(あうてい)を亡命す

官祿(くゎんろく) (われ)(おい)て  塵土(ぢん ど )(かろ)く,
笑ひて 官祿(くゎんろく)(なげう)ちて  東に向かひて()く。
他の 世上( せ じゃう) 勤王(きんなう)の士を見れば,
半ばは()れ 功を(むさぼ)り  半ばは利名。


        *****************





◎ 私感註釈

※高杉晋作:天保十年(1839)〜慶應三年(1867)。幕末の尊皇攘夷運動の志士。長州藩士。病歿する。

※壬戌八月廿七日亡命桜邸:文久二年(1862年)の陰暦八月二十七日に、櫻田邸から逐電した。 *所謂「勤王の志士」は、自分の功名や利益のために動いている者ばかりではないか、と内心の怒りを詩に表し、現代の政治情況にも通じることを詠った。この作品と同時期(同年・文久二年(1862年)?)に作られた攘夷の詩ものに幕末〜明治・山階宮晃親王の『生麥役』「薩州老將髮衝冠,天子百官免危難。英氣凛凛生麥役,海邊十里月光寒。」がある。 ・壬戌:〔じんじゅつ;ren2xu1〕みづのえ・いぬ。ここでは、1862年(文久二年)のこと。壬戌は、干支で表した序列表示の59番目。干支とは、十干と十二支の組み合わせのことで、十干とは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸のことをいい、十二支とは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことをいう。干支は、この十干と十二支の組み合わせによる序列表示をいい、十干のはじめの「甲」、十二支のはじめの「子」から順次、次のように組み合わせていく。甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、(以上、10組で、ここで十干は再び第一位の「甲」に戻り、11組目が始まる)甲戌、乙亥、……(ここで、十二支は「子」に戻り、13組目は)丙子、丁丑…となって、合計は60組になる。(壬戌はこの59組目。)これで、1から60までの順を表し、年月日の表示などにに使われる。なお、61番目は、1番目の甲子にもどる。作者が在世(二十三歳)の壬戌年は、1862年(文久二年)、(その60年前の壬戌は1802年(享和二年)で、60年後の壬戌は1922年(大正十一年))。後二者は作者が、在世ではないので不適切。 ・八月廿七日:陰暦八月二十七日。この年の五月に上海に渡航し、西洋列強の殖民地となっていく清国の実体を悉(つぶさ)に見、攘夷の重要性を感じた。帰国後、攘夷運動を深めるため、外国公使の襲撃を企てるも、長州藩世子・毛利定広に洩れ伝わって制止され、桜田邸内に謹慎を命ぜられたが、逐電して、年末に、英国公使館焼き討ち事件を起こす。 ・亡命:逐電すること。籍を抜けて逃亡すること。脱藩。 ・桜邸:長州藩の桜田藩邸。長州藩の上屋敷。後の日比谷公園の一角。 ・亡命桜邸:読み下しとしては、「櫻邸を亡命す」「櫻邸より亡命す」、また「櫻邸に亡命す」と読めるが、意味が変わる。前者は「桜田邸から逐電する」意で、後者は「(よそから)桜田邸に亡命して(駆け込む)」意となる。作者の当時の行動から見れば、「桜田邸から逐電する」意になろう。

※官禄於吾塵土軽:官位や俸禄は、わたしにとって塵土のように取るに足りない軽さであって。 ・官禄:官位と俸禄。政府からもらう俸禄。 ・於吾:わたしにとって。わたしにおいて。 ・塵土:〔ぢんど;chen2tu3○●〕ちりと土。取るに足りないものの喩え。また、穢れたもの・この世。ここは、前者の意。 ・塵土軽:この句を「塵土より軽し」と読み下すのは、国語(=日本語)の流れから謂えば、読みやすいが、「…より」との比較の意はなかろう。ここでは、「塵土の(ような)軽さ」の意。

※笑抛官禄向東行:官位や俸禄を笑いながら投げ捨てて、東に向かって出かけてきた。 ・抛:〔はう;pao1○〕なげうつ。投げ捨てる。 ・向東行:東に向かって行く。この「東行」の部分は、高杉晋作の号・「東行」と関係があろうか。

※見他世上勤王士:彼等・世上の勤王の士を見れば。 ・見他:彼等(・世上の勤王の志士)を見れば。「見他世上勤王士」の句は、「見+他・世上勤王士」で、「見」は「他・世上勤王士」にかかる。 ・世上:世間。 ・勤王:天子のために忠義を尽くすこと。

※半是貪功半利名:半(なか)ばは功績を貪(むさぼ)る(連中)であり、半(なか)ばは利益と名誉の(ための者)である。 ・半(是)…半…:半(なか)ばは…であり、半(なか)ばは…である。散文であれば「半是…,半是…」「半…半…」とするが、ここでは七絶としての節奏に合わせるため、こうなる。中唐・白居易の『杏園花落時招錢員外同醉』に「 花園欲去去應遲,正是風吹狼藉時。近西數樹猶堪醉,
落春風在枝。」とあり、中唐・元稹の『離思』「曾經滄海難爲水,除卻巫山不是雲。取次花叢懶迴顧,縁修道縁君。」とあり、晩唐・李渉の『重登滕王閣』に「滕王閣上唱伊州,二十年前向此遊。非君莫問,好山長在水長流。」とあり、晩唐・杜牧は『春日茶山病不飮酒因呈賓客』で「笙歌登畫船,十日C明前。山秀白雲膩,溪光紅粉鮮。欲開未開花,晴天。誰知病太守,猶得作茶仙。」とある。 ・貪功:功績を貪(むさぼ)る意。 ・利名:利益と名誉。ここでは、「貪功」と「利名」を対として使っており、「功績を貪(むさぼ)る」に対して「名を利する」ということになろう。


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◎ 構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「輕行名」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は、次の通り。

○●○○○●○,(韻)
●○○●●○○。(韻)
●○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成24.9.1
      9.2
      9.2
      9.3




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