Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye


      
                            
芳野懷古
 

國分崖


中原父老望龍旂,
魏闕浮雲事已非。
千載皇陵雷雨夜,
劍光猶向北方飛。





(それぞれ吉野-撮影年度が異なります)

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芳野懷古

中原の父老( ふ らう)  龍旂(りょう き )を望めども,
魏闕( ぎ けつ)の浮雲  (こと) (すで)()なり。
千載(せんざい) 皇陵  雷雨の夜,
劍光 ()ほも 北方に向かひて飛ぶ。

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◎ 私感註釈

※国分青崖:明治・大正・昭和前期の漢詩人。安政四年(1857年)〜昭和十九年(1944年)。名は高胤。字は子美。号して青香A青崖。別号に太白山人。

『日本外史』 後醍醐帝遺詔
『太平記』巻二十一 先帝崩御
後醍醐天皇陵(平成16.4.2)
後醍醐天皇陵入口(平成16.4.2)
※芳野懐古:吉野で(南朝の)昔を懐(なつ)かしく思う。この詩は其の二。青崖の同題に「聞昔君王按劍崩,時無李郭奈龍興。南朝天地臣生晩,風雨空山謁御陵。」がある。 ・芳野:吉野(山)の雅称。後醍醐天皇の行宮もある南朝の所在地。芳野三絶(吉野三絶)に、梁川星巖の『芳野懷古』「今來古往蹟茫茫,石馬無聲抔土荒。春入櫻花滿山白,南朝天子御魂香。」、藤井竹外の『遊芳野』「古陵松柏吼天,山寺尋春春寂寥。眉雪老僧時輟帚,落花深處説南朝。」や、河野鐵兜の『芳野懷古』「山禽叫斷夜寥寥,無限春風恨未銷。露臥延元陵下月,滿身花影夢南朝。」があり、頼杏坪の『遊芳野』「萬人買醉攪芳叢,感慨誰能與我同。恨殺殘紅飛向北,延元陵上落花風。」、後世、土屋久泰の『芳山懷古』「天子當年駐翠華,故宮啼老白頭鴉。山長是傷心地,輦路春風又落花。」等、多々詠われている。 ・懐古:昔のことをなつかしく思う。


※中原父老望龍旂:(曽ての大覚寺統(=後の南朝、吉野朝)の領域であった、)都周辺の年よりは、天子の御旗(の凱旋・還御)を待ち望んでいるが。 *南宋・楊萬里の『初入淮河』に「
中原父老莫空談,逢着王人訴不堪。卻是歸鴻不能語,一年一度到江南。」とあり、南宋・范成大の『州橋』に「州橋南北是天街,父老年年等駕迴。忍涙失聲詢使者,幾時眞有六軍來。」とあり、南宋・陸游の『夜讀范至能攬轡録言中原父老使者多揮涕感其事作絶句』に「 公卿有黨排宗澤,帷幄無人用岳飛。遺老不應知此恨,亦逢漢節解沾衣。」、南宋・辛棄疾の「渡江天馬南來,幾人眞是經綸手。 長安父老,新亭風景,可憐依舊。」や陸游の『書事』「關中父老望王師,想見壺漿滿路時。寂寞西溪衰草裏,斷碑猶有少陵詩。」、南宋・張孝祥の「六州歌頭」「聞道中原遺老,常南望,剃ワ霓旌」とある。 ・中原:本来の意は、黄河中流域の平原地帯で、漢民族の故地を謂う。現・河南省、山東省、山西省…一帯。ここでは、「失われた祖国だったところの地・レコンキスタ」の意。 ・父老:村のおもだった年より。老人の敬称。 ・龍旂:龍を描いた旗。天子の旗。天皇旗。大纛。なお、龍を描いた龍旗は、本来は清朝の国旗。ここは、前者の意。

※魏闕浮雲事已非:(京都の)宮城の門の上の天の日(=後醍醐天皇)を蔽(おお)う雲をめぐる事態は、すでにまずい状態になっている。 ・魏闕:〔ぎけつ;wei4que4●●〕高大な門の意。宮城の門。宮門外の建物で、政令を公布するところ。朝廷。 ・浮雲:天の日を蔽(おお)うもの。後醍醐天皇の威光を厭う勢力。足利氏等を謂う。天の日を蔽(おお)うものとしての「浮雲」の用例に『古詩十九首』之一『行行重行行』に「行行重行行, 與君生別離。 相去萬餘里, 各在天一涯。 道路阻且長, 會面安可知。 胡馬依北風, 越鳥巣南枝。 相去日已遠, 衣帶日已緩。 浮雲蔽白日, 遊子不顧返。 思君令人老, 歳月忽已晩。 棄捐勿復道, 努力加餐飯。」とある。 ・已非:とっくにまずくなっている。元・薩都剌の『滿江紅』金陵懷古に「六代豪華,春去也、更無消息。空悵望,山川形勝,
已非疇昔。王謝堂前雙燕子,烏衣巷口曾相識。聽夜深、寂寞打孤城,春潮急。   思往事,愁如織。懷故國,空陳跡。但荒煙衰草,亂鴉斜日。玉樹歌殘秋露冷,臙脂井壞寒螿泣。到如今、只有蒋山青,秦淮碧。」とある。

※千載皇陵雷雨夜:(後醍醐天皇崩御の後)千年に亘って、雷雨の夜は。 ・千載:千年。長い年月。 ・皇陵:天皇・皇后…の墓。みささぎ。ここでは、後醍醐天皇陵である塔尾陵(写真:右上)のこと。吉野の如意輪寺の後にある。

※劍光猶向北方飛:(後醍醐天皇が臨終の際に握っていた)剣の光に似た稲妻が、北の京都に向かって飛んでいるかのようである。 ・劍光:剣の輝き。剣から出る光。ここでは、稲光を後醍醐天皇の剣から出る光と喩えている。第九十六代の後醍醐天皇は吉野山の行宮で、剣を握ったまま崩御した。『日本外史』は、遺詔を次のように伝えている:「朕憾不滅國賊,平天下。雖埋骨於此,魂魄
常望北闕。後人其體朕志,竭力討賊。不者非吾子孫、非吾臣屬。按劍而崩。」(写真:右)という次第であった。 ・猶:まるで…のようである。なお…ごとし。 ・北方飛:吉野から北の方に当たる京都を謂う。



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◎ 構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「旂非飛」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。

○○●●◎○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○○●●,
●○●●●○○。(韻)
平成24.8.28
      8.29
      8.30




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