失題 | ||
勝海舟 |
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他年蹤跡沒埃塵, 揣摩心情思天眞。 華屋雖美是浮榮, 富如泡沫名如烟。 笑看江山依然碧, 行藏豈亦關于人。 風捲敗葉夜寂寂, 嘯響凛然一劍寒。 |
他年の蹤跡 埃塵 に沒 す,
心情を揣摩 して天眞 を思ふ。
華屋 美なりと雖 も是 れ浮榮 ,
富は泡沫 の如く 名は烟 の如し。
笑ひて看る 江山 依然として碧 きを,
行藏 豈 に亦た 人に關せんや。
風は敗葉 を捲きて夜 寂寂 ,
嘯響 凛然 一劍 寒し。
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◎ 私感註釈
※勝海舟:江戸末期の幕臣・政治家。文政六年(1823年)〜明治三十二年(1899年)。名は義邦、後、安芳。通称は麟太郎。安房守(あわのかみ)。江戸の人。蘭学・兵学に通じ、蕃書翻訳係に採用され、更に、長崎に設立の海軍伝習所にはいる。万延元年(1860年)には、遣米使節を乗せた咸臨丸で太平洋を横断。軍艦奉行に就任。幕府海軍育成に尽力。征討軍に対し、幕府側を恭順に導き、西郷隆盛と会見して、江戸無血開城を実現した。維新政府の軍事総裁、旧幕臣の代表格として、外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿などを歴任。
※失題:題意は、作者がつけていなかったためのものか。或いは「題」を失ってしまったためものなのか。=逸題。≒無題。 *若い頃の懐憶して、人生を総括した詩。形式的には七言詩ではあるが(平仄や対仗の件では)律詩にはなっていない。敢えて分類すれば古詩。七言古詩。
※他年蹤跡没埃塵:昔の行動のあとは、埃(ほこり)に埋もれてしまったが。 ・他年:昔日(せき じつ)。昔。また、後年。将来。ここは、前者の意。 ・蹤跡:〔しょうせき;zong1ji4○●〕足跡。人の行ったあと。 ・埃塵:ほこり。
※揣摩心情思天真:(当時の)心情を穿鑿(せんさく)すれば、「至誠」「正心誠意」を(のみ)思っていた。 *この間(かん)の勝海舟の心遣いは、勝海舟著の『氷川清話』に「政治をするには、学問や知識は二番目で、至誠奉公の精神が一番肝心だということはしばしば話すとおりであるが…」(角川文庫版170ページ)、「畢竟、これも政治の根本たる至誠奉公という精神の関係だろうよ。」(171ページ)、「政治家の秘訣は、何もない。ただただ『正心誠意』の四字ばかりだ。」(119ページ)、「全体、徳川氏のやり方は、今いった『正心誠意』の四字の秘訣を体認して、よく民を親しみ、その実情に適応する政治をしくにあったのだ」(120ページ)と述べている。 ・揣摩:〔しま、すゐま;chuai3mo2◎○〕推し量ってあてようとする。推察する。穿鑿(せんさく)する。 ・天真:自然のままで飾り気のないこと。無邪気である。あどけない。前出・『氷川清話』中の言葉でいうと「至誠」「正心誠意」になろう。
※華屋雖美是浮栄:華麗な家で、素晴らしいといっても、浮き世の虚栄であって。 ・華屋:華麗な家。「華屋山丘」の意で使う。「華屋山丘」:興亡の速やかなこと。華麗な家に住んでいても、すぐに元のあるべきところである山丘(=墳墓)に帰らなければならなくなる、の意。 ・雖:…であるが。…というものの。…といえども。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B:AはBである〕。 ・浮栄:浮き世の栄え。世俗的な栄華。=虚栄。
※富如泡沫名如烟:富(とみ)は泡(あぶく)のようであり、名声は煙のような(儚(はかな)い)ものである。 ・富:とみ。富貴。 ・如:(…の)ようだ。(…の)ごとし。 ・泡沫:あわ。あぶく。 ・名:名声。名誉。 ・烟:けむり。=煙。
※笑看江山依然碧:笑いながら(祖国の)山河を見れば、前の通りに碧(あお)く。 ・笑看:(余裕ある態度で)笑いながら見る意。北宋・蘇軾の『念奴嬌』に「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周カ赤壁。亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪。江山如畫,一時多少豪傑。 遙想公瑾當年,小喬初嫁了,雄姿英發。註綸巾,談笑間、檣櫓灰飛煙滅。故國~遊,多情應笑我,早生華髪。人間如夢,一樽還酹江月。」とあり、南宋・岳飛の『滿江紅』に「怒髮衝冠,憑闌處、瀟瀟雨歇。抬望眼、仰天長嘯,壯懷激烈。三十功名塵與土,八千里路雲和月。莫等閨A白了少年頭,空悲切。 康耻,猶未雪。臣子憾,何時滅。駕長車踏破,賀蘭山缺。壯志饑餐胡虜肉,笑談渇飮匈奴血。待從頭、收拾舊山河,朝天闕。とある。 ・江山:(祖国の)山河。晩唐・曹松の『己亥歳』に「澤國江山入戰圖,生民何計樂樵蘇。憑君莫話封侯事,一將功成萬骨枯。」とあり、両宋・李清照の『題八詠樓』に「千古風流八詠樓,江山留與後人愁。水通南國三千里,氣壓江城十四州。」とあり、清・袁枚の『再題馬嵬驛』に「到底君王負舊盟,江山情重美人輕。玉環領略夫妻味,從此人阨s再生。」とある。 ・依然:元のままであるさま。前のとおりであるさま。 ・碧:〔へき;bi4●〕あおい。みどりいろの。あおみどりいろの。また、あお。みどり。あおみどり。ここは、前者の意。盛唐・杜甫『絶句』に「江碧鳥逾白,山花欲然。今春看又過,何日是歸年。」とあり、宋末金初・呉激の『題宗之家初序瀟湘圖』に「江南春水碧於酒,客子往來船是家。忽見畫圖疑是夢,而今鞍馬老風沙。」とある。
※行蔵豈亦関于人:(わたしの)出処進退は、どうしてまた人間関係によるものだろうか。(いや、そうではないのだ。「笑看江山依然碧」のように、祖国の麗しい山河のためなのだ)。 ・行蔵:〔かうざう;xing2cang2○○〕)出処進退の態度。去就。世に出て進んで道を行うことと、世から退き隠れて才能を表さないこと。 ・豈:どうして…か。あに…(ん)や。反語の辞。 ・関于-:…について。…に関して。
※風捲敗葉夜寂寂:風は枯れ落ちた葉を巻いて、夜は静かに。 ・風捲-:風は…を巻いて。風の強いさまを謂う。 ・敗葉:枯れ落ちた葉。 ・寂寂:〔せきせき;ji4ji4●●〕さびしいさま。静かなさま。=寂乎、寂如、寂然。
※嘯響凜然一剣寒:(刀を抜いて)嘯(うそぶ)き歌えば、勇ましく凛々(りり)しい刀から凄さを感じさせる寒光が放たれた。 ・嘯響:嘯(うそぶ)き歌うの声の響き。 ・凜然:勇ましく凛々(りり)しいさま。寒気の厳しいさま。=凜乎。 ・寒:冷たさや凄さを感じさせる。ぞっとする。ひやりとする。おののく。寒光を放つ。前出・『氷川清話』に「おれはこれまでずいぶん外交の難局に当たったが、しかし幸い一度も失敗しなかったよ。外交については一つの秘訣があるのだ。心は明鏡止水のごとし、ということは、若いときに習った剣術の極意だが、外交にもこの極意を、応用して、少しも誤らなかった。……」(144ページ)とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAAA」。韻脚は、「塵眞烟人寒」。平水韻上平十一真(塵真人)・下平一先(烟)・上平十四寒(寒)。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●●○,(韻)
◎○○○○○○。(韻)
○●○●●○○,
●○○●○○○。(韻)
●◎○○○○●,
○○●●○○○。(韻)
○●●●●●●,
●●○○●●○。(韻)
平成27.3.11 3.12 |
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