杉浦重剛挽乃木将軍　日本漢詩選詩詞世界　碇豊長の詩詞：漢詩 Ribengushi


挽乃木將軍

	杉浦重剛
赤城熱氣存餘瀝，松下遺風傳不言。心事明明還白白，神州正氣賴君尊。


乃木神社（京都市伏見区）	乃木神社内（京都市伏見区）

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乃木(のぎ)將軍(しゃうぐん)を挽(ばん)す

赤城(せきじゃう)の熱氣　　餘瀝( よれき)を存(そん)し，
松下(しょうか)の遺風( ゐふう)　　不言( ふげん)に傳(つた)ふ。
心事(しんじ )　明明(めいめい)　　還(ま)た白白(はくはく)，
神州の正氣(せいき )　　君に賴(よ)って尊(たふと)し。

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◎　私感註釈

※杉浦重剛：明治、大正時代の教育家・評論家。安政二年（１８５５年）～大正十三年（１９２４年）。幼名は譲次郎、号して梅窓・天台道士。近江国膳所藩（現・滋賀県大津市）の人。父は膳所藩の儒者・杉浦重文。大学南校に学び、イギリスに留学、化学を専攻する。帰国後、東大予備門長。東京英語学校を設立。以後、教育家・評論家として活躍。国粋主義を倡え、政教社設立に参劃。三宅雪嶺、志賀重昂らと政教社発行の『日本人』に力を尽くす。東宮御学問所御用掛などを務めた。

※挽乃木将軍：乃木将軍を弔（とむら）い送る。 *乃木希典の殉死を詠う。　・挽：〔ばん；wan3●〕ひく。ひっぱる。弔（とむら）い送る。柩（ひつぎ）の綱を引く。　・乃木将軍：乃木希典のこと。明治天皇大葬の日、静子夫人とともに殉死した軍人。嘉永二年（１８４９年）～大正元年（１９１２年）。長州藩出身。藩校明倫館に学び、戊辰戦争に参加、西南の役に従軍。苦戦して、軍旗を奪われ、終生の恨事となる。明治十九年、渡独して軍制・戦術を研究し、帰国後陸軍の改革に着手。一時退役して半農生活を行うが、日清戦争に従軍。台湾総督を経て、日露戦争に第三軍司令官として、旅順を攻略、苦闘の末に麾下の将兵の多大の流血とともに陥落させ、戦勝に導いた。後、参議官、学習院院長を歴任。明治天皇大葬の日、静子夫人とともに殉死。乃木希典に『金州城外作』「山川草木轉荒涼，十里風腥新戦場。征馬不前人不語，金州城外立斜陽。」や同・『爾靈山』「爾靈山嶮豈攀難，男子功名期克艱。銕血覆山山形改，萬人齊仰爾靈山。」外がある。明治・竹添井井の『雙殉行』に「戰雲壓城城欲壞，腹背受敵我軍敗。聯隊旗兮臣所掌，爲賊所奪臣罪大。旅順巨砲千雷轟，骨碎肉飛血雨腥。二萬子弟爲吾死，吾何面目見父兄。靑山馳道連朱闕，萬國衣冠儼成列。靈輿肅肅牛歩遲，金輪徐輾聲如咽。弔砲一響臣事終，刺腹絶喉何從容。旁有蛾眉端坐伏，白刃三刺繊手紅。遺書固封墨痕濕，責躬誡世情尤急。言言都自熱腸迸，鬼哭神恫天亦泣。嗚呼以身殉君臣節堅，舎生從夫婦道全。忠魂貞靈長不散，千秋萬古侍桃山。」とある。

※赤城熱気存余瀝：赤穂義士の熱気は、余韻を残し（乃木将軍に取り込まれていたことだろう）。　・赤城：赤穂城のことで、赤穂義士を謂う。元禄十五年十二月十四日の夜、江戸本所松坂町の吉良上野介義央の屋敷を襲って、主君・浅野内匠頭長矩の仇を報いた、四十七人の元・赤穂藩の浪士とその事件。乃木希典の父は江戸詰の藩士であったため、長府藩上屋敷において生活したが、ここは、赤穂浪士の武林唯七ら十名が切腹するまでの間、預けられた場所であり、乃木希典も赤穂浪士に対して関心が深かったと云う。　・余瀝：杯の酒の余った滴（しずく）。＝余滴。

※松下遺風伝不言：松下村塾の昔のおもかげは（乃木将軍に具現されて）、言葉に表さず、実践するということに伝え遺されている。　・松下：松下村塾を指す。幕末に長州藩の萩町にあった私塾で、玉木文之進が創設し、吉田松陰が主宰した、明治維新の志士を輩出したところ。乃木希典は、玉木文之進に導かれた。　・遺風：昔のおもかげ。残っている名誉。昔からの風習。　・不言：言葉に表さない。「不言実行」の教え。また「桃李不言」のこと。古諺。『史記』にある。桃李は、それ自身の徳のために、自らが働きかけることがなくとも、人々は慕い寄ってくる。『史記』卷一百九「李將軍傳　第四十九」の末尾部分に「太史公曰：『…李將悛悛如鄙人，口不能道辭。及死之日，天下知與不知，皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也。諺曰：桃李不言，下自成蹊。此言雖小，可以諭大也。』」と出ている。「桃李不言，下自成行」ともいわれ、徳操の意で広く使われている。

※心事明明還白白：（殉死する乃木将軍の先帝の崩御、軍旗紛失、麾下の将兵の多大な犧牲といった）人に言えない心の中の悲しみや嘆きは、まことに明らかであり。　・心事：心に思う事柄。心で思うことと実際のこと。人に言えない心の中の悲しみや嘆き。　・還：また。その上。さらに。　・明明…白白：あきらかである。 *形容詞AB型（＝二音節形容詞＝異なる漢字二字構成の形容詞）「明白」を、重ね型のAABB型「明明白白」とした。重ね型（AABB型など）にすることで、強いニュアンスを出す。ここでは、語調を整えるために使われ、更に「還」を付け加えて、一層の語調を整えている。

※神州正気頼君尊：神国日本の天・地・人に宿る根本の気・正義と人倫を貫き、忠君愛国の信念と道義でもって、身を殺して悠久の大義に生きることの気概は、あなた（＝乃木将軍）によってすばらしさ（が具現されたの）である。　・神州：日本の美称。また、中国の美称。ここは、前者の意。　・正気：万物に宿る根本の精気。大きく正しい天地の元気（元気：万物の根本の精気）。天・地・人に宿る根本の気・正義と人倫を貫き、忠君愛国の信念と道義でもって、身を殺して悠久の大義に生きることの気概。南宋・文天祥の『正氣歌』に「天地有正氣，雜然賦流形。下則爲河嶽，上則爲日星。於人曰浩然，沛乎塞蒼冥。皇路當淸夷，含和吐明庭。時窮節乃見，一一垂丹靑。在齊太史簡，在晉董狐筆。在秦張良椎，在漢蘇武節。……哀哉沮洳場，爲我安樂國。豈有他繆巧，陰陽不能賊。顧此耿耿在，仰視浮雲白。悠悠我心悲，蒼天曷有極。哲人日已遠，典型在夙昔。風檐展書讀，古道照顏色。」とあり、日本・幕末の水戸学の儒者・藤田東湖の『和文天祥正氣歌・有序』「天地正大氣，粹然鍾神州。秀爲不二嶽，巍巍聳千秋。注爲大瀛水，洋洋環八洲。發爲萬朶櫻，衆芳難與儔。…」や、明治・廣瀨武夫の『正氣歌』「死生有命不足論，鞠躬唯應酬至尊。奮躍赴難不辭死，慷慨就義日本魂。一世義烈赤穗里，三代忠勇楠氏門。憂憤投身薩摩海，從容就死小塚原。或爲芳野廟前壁，遺烈千載見鏃痕。或爲菅家筑紫月，詞存忠愛不知冤。可見正氣滿乾坤，一氣磅礴萬古存。嗚呼正氣畢竟在誠字，呶呶何必要多言。誠哉誠哉斃不已，七生人閒報國恩。」等がある。　・君：ここでは、乃木将軍を指す。　・頼：…による。おかげで。幸いにも。ありがたいことには。また、頼（たよ）る。頼りにする。ここは、前者の意。

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◎　構成について

韻式は、「ＡＡ」。韻脚は「言尊」で、平水韻上平十三元。この作品の平仄は、次の通り。

●○●●○○●，
○●○○○●○。（韻）
○●○○○●●，
○○●●●○○。（韻）