題李陵泣別圖 | |
明・袁凱 |
上林木落雁南飛,
萬里蕭條使節歸。
猶有交情兩行涙,
西風吹上漢臣衣。
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李陵の泣別の圖に題す
上林 木 落ちて雁 南飛し,
萬里蕭條 として 使節 歸る。
猶 ほ 交情 兩行の涙 有り,
西風 吹き上 る 漢臣の衣 に。
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◎ 私感註釈
※袁凱:明朝初期詩の第一人者。字は景文。袁白燕と称される。華亭(現・上海市松江)の人。洪武三年(1370年)に御史に任じられ、活躍する。
※題李陵泣別図:李陵が(涙を流して)泣いて別れる場面の絵を(見て題として、)詩を作る。 ・題-:(…を詩題として)詩を作る。「題…図」は「…の絵を見て詩を作る」だが、作者はその絵に託して、自分の心情を詠んでいる。 ・李陵:前漢の名将。字は少卿。騎都尉として、匈奴の征討をし、五千で以て八万の単于軍とよく奮戦した。(簡潔に「以少撃衆,歩兵五千人渉單于庭」と表されている。)孤軍の歩兵のため、武運が尽き、匈奴に降りた。単于は、李陵を壮として、単于の女(むすめ)を妻として与え、右校王に取り立てた。(『漢書・李陵列傳』) 彼はその地で二十余年を過ごし、そこで歿した。蘇武とともにこの時代を彩る人物。李陵、蘇武は、ともに漢の武帝の対匈奴積極攻略策で犠牲となったと謂える人物。二人は、漢の地、胡の地双方を通じての知己で、古来、両者を比して論じられる。一方の蘇武は、匈奴に使いしたが拘留されて十九年匈奴の地にさまよった。しかしながら節を持して、屈服しなかった。その節義は後世にまで永く讃えられ、豪放詞にしばしば取り上げられている。また、文天祥『正気歌』でも「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。…於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。…時窮節乃見,一一垂丹。…在秦張良椎,在漢蘇武節。」と歌われている。それに反して、李陵は『漢書・李陵列傳』での武帝の怒りの通りで、「投降派」「裏切り者」となった。なぜ玉と砕けなかったのか、なのである。しかし『文選』第四十一巻に遺された李少卿(李陵)の『答蘇武書』は、胸に迫るものがある。『漢書・李陵列傳〜蘇武列傳』でも、その間の事情と心の動きが描写されている。前出『漢書・蘇武列傳』では、武帝が亡くなった後、昭帝が立ち、匈奴との宥和外交が展開され、蘇武が匈奴の地に生きていることが判り、中国に凱旋することとなった。李陵は、蘇武の帰国を祝い、置酒して餞別の宴を張った。そこで李陵は、苦悩の胸の内を打ち明けて、起って、舞いながらこの歌を歌った。李陵の頬には涙が流れた…。原文では:「數月,昭帝即位。數年,匈奴與漢和親。漢求武等,匈奴詭言武死。後漢使復至匈奴,常惠請其守者與倶,得夜見漢使,具自陳道。教使者謂單于,言天子射上林中,得雁,足有係帛書,言武等在某澤中。使者大喜,如惠語以讓單于。單于視左右而驚,謝漢使曰:『武等實在。』於是李陵置酒賀武曰:『今足下還歸,揚名於匈奴,功顯於漢室,雖古竹帛所載,丹青所畫,何以過子卿!陵雖駑怯,令漢且貰陵罪,全其老母,使得奮大辱之積志,庶幾乎曹柯之盟,此陵宿昔之所不忘也。收族陵家,爲世大戮,陵尚復何顧乎?已矣!令子卿知吾心耳。異域之人,壹別長絶!』陵起舞,歌曰:『徑萬里兮度沙幕,……,雖欲報恩將安歸!』陵泣下數行,因與武決。」と二人の別離の場面と、この詩の由来を伝えている。また、『漢書・李陵列傳」では、「立政隨謂陵曰:『亦有意乎?』陵曰:『丈夫不能再辱。』」と端的にその心を述べている。余談になるが、中島敦の『李陵』は、この『漢書・李廣蘇建傳』の詳しい訳と謂える優れたものである。李陵の心の動きが活写されている。前漢・李陵に『別歌』「徑萬里兮度沙漠,爲君將兮奮匈奴。路窮絶兮矢刃摧,士衆滅兮名已隤。老母已死,雖欲報恩將安歸。」がある。 ・泣別:涙を流して泣いて別れる。前出・『漢書・蘇武列傳』の最後の部分(朱字部分参照)「陵泣下數行,因與武決。」による。 ・図:絵。
※上林木落雁南飛:(漢の長安の都の庭園の)上林苑(に秋が訪れ、)木から葉は散って、カリが南の方へ飛んで渡って。 ・上林:上林苑のこと。秦、前漢の皇帝のための大庭園。長安の西南すぐ(現・陝西省西安市長安区)にあった。建元三年(公元前138)に秦の始皇帝が創設し、漢の武帝が拡張した。蘇武の無事を雁信で確認したところ(上出:朱字)。ここでは、匈奴の地と対蹠的に漢朝を謂う。 ・木落:木の葉が落ちてしまう。魏・曹丕の『寡婦』に「霜露紛兮交下,木葉落兮淒淒。候鴈叫兮雲中,歸燕翩兮徘徊。妾心感兮惆悵,白日忽兮西頽。守長夜兮思君,魂一夕兮九乖。悵延佇兮仰視,星月隨兮天廻。徒引領兮入房,竊自憐兮孤栖。願從君兮終沒,愁何可兮久懷。」とあり、中唐・杜甫の『登高』に「風急天高猿嘯哀,渚C沙白鳥飛廻。無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。萬里悲秋常作客,百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢,潦倒新停濁酒杯。」とある。 ・雁南飛:カリが秋になって、南の方へ飛んで行く。漢・武帝(劉徹)の『秋風辭』に「秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。汎樓船兮濟汾河,中流兮揚素波。簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何。」とある。
※万里蕭条使節帰:遠路はるばるともの寂しく、節を持った天子の使者(=蘇武)が(漢土に)帰還した。 ・蕭条:〔せうでう;xiao1tiao2○○〕もの寂しいさま。東晉・陶潛の『挽歌詩 其三』に「荒草何茫茫,白楊亦蕭蕭。嚴霜九月中,送我出遠郊。四面無人居,高墳正嶕嶢。馬爲仰天鳴,風爲自蕭條。幽室一已閉,千年不復朝。千年不復朝,賢達無奈何。向來相送人,各自還其家。親戚或餘悲,他人亦已歌。死去何所道,託體同山阿。」とあり、盛唐・岑參の『山房春事』に「梁園日暮亂飛鴉,極目蕭條三兩家。庭樹不知人死盡,春來還發舊時花。」とあり、北宋・徽宗の『在北題壁』に「徹夜西風撼破扉,蕭條孤館一燈微。家山回首三千里,目斷天南無雁飛。」とあり、清・王士モヘ『夜雨題寒山寺寄西樵禮吉』で「楓葉蕭條水驛空,離居千里悵難同。十年舊約江南夢,獨聽寒山半夜鐘。」や『即目三首』其二で「蕭條秋雨夕,蒼茫楚江晦。時見一舟行,濛濛水雲外。」と使う。 ・使節:節を持った天子の使者。ここでは、漢の節を持した蘇武のことを謂う。蘇武は、匈奴に使いしたが拘留されて十九年匈奴の地にさまよった。しかしながら節を持して、屈服せずに、漢に帰還した。その節義は後世にまで永く讃えられている。 ・帰:本来あるべき所(自宅・故郷・母国・墓所)にもどる。ここでは、漢土にもどってくることを謂う。
※猶有交情両行涙:(蘇武と李陵との二人の)交誼は、二筋(ふたすじ)の涙(を見ても)まだあるようで。 ・猶:まだ。やはり。それでも。…のようだ。まるで…のようである。なお…ごとし。また、すら。さえ。ここは、前者の意。 ・交情:一義的には、蘇武と李陵の交誼。 ・両行涙:〔りゃうかうるゐ;liang3hang2lei4●○●〕二筋(ふたすじ)の涙の意。
※西風吹上漢臣衣:西(の方の李陵の居所)から吹いてくる秋風が、漢王朝の臣下(=蘇武)の衣を吹き上げてくる。 ・西風:西(胡の国:李陵の居所)から吹いてくる風。秋風。 ・漢臣:漢王朝の臣下。蘇武を謂う。ここでは、(漢臣を脱した李陵に対して)蘇武のことを謂う。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「飛歸衣」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。
●○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
2012.9.4 9.5 9.6 |
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