Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


野望 
                                                  

     隋〜唐・王績

東皋薄暮望,
徙倚欲何依。
樹樹皆秋色,
山山唯落暉。
牧人驅犢返,
獵馬帶禽歸。
相顧無相識,
長歌懷采薇。




******

野望 

東皋(とうかう)  薄暮に望み,
徙倚(しい)  (いづく)にか依らんと()る。
樹樹(きぎ)  (みな) 秋色,
山山(やまやま)  ()だ 落暉(らっ き )
牧人(ぼくじん)は  (こうし)()って(かへ)り,
獵馬(れふ ば )は  (とり)を帶びて歸る。
()(かへり)みるに  相識(さうしき) 無ければ,
長歌  采薇(さい び )(おも)ふ。

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◎ 私感註釈

※王績:隋末・初唐の詩人。585年〜644年。字は無功。東皋子と号した。絳州龍門(現・山西省河津)の人。初め隋の隋で秘書省の正字、唐になって門下省の待詔などを歴任し、二朝に仕えた。後、郷里に隠棲し、飲酒と田園を詠いながらそこに内心の不遇をもらして作る。

※野望:野原の眺め。

※東皋薄暮望:東の方の水辺の高地の夕暮れに(周りを)眺めて。/東皋子(=作者・王績)が(一日のうちの/人生の)夕暮れ時に(周りを)眺めて。/(二朝に仕えることを潔しとしないで「西山」に隠棲した伯夷・叔齊とは逆に)「東皋」(東の方の水辺の高地)に住んでいるわたし(=作者・王績)は(一日のうちの/人生の)夕暮れ時に(周りを)眺めて。 ・皋:〔かう;gao1○〕沢。みぎわ。水辺の高地。=皐。 ・東皋:東の方の水辺の高地。作者・王績の号が東皋子であり、単に「東の高台」の意の外に、「東の高台に隠居している作者」であり、作者・王績の号そのものでもあり、伯夷らが薇を采った首陽山(西山)の対でもあり、それらの意をかけている。殷末周初・伯夷の『采薇歌』に「登彼
西山,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農虞夏,忽焉沒兮,吾適安歸矣!吁嗟徂兮,命之衰矣!」と、「東皋」に対しての「西山」がある。東晉・陶淵明(陶靖節)『歸去來兮辭』に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我而相遺,復駕言兮焉求。ス親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝ク不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘耔。東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」とある。 ・薄暮:〔はくぼ;bo2mu4●●〕夕暮れ。たそがれ。日が暮れ〔ようとする=薄=迫〕頃の意。

※徙倚欲何依:退屈でしようがなくて、さまよい歩いている。 ・徙倚:〔しい;xi3yi3●●〕さまよう。たちもとおる。そぞろ歩く。徘徊する。後世、南宋・陳與義は『登岳陽樓』で「洞庭之東江水西,簾旌不動夕陽遲。登臨呉蜀分地,
徙倚湖山欲暮。萬里來遊還望遠,三年多難更憑危。白頭弔古風霜裏,老木蒼波無限悲。」と使う。 ・何依:退屈でしようがない意。何に凭(よ)りかかろうか。魏・曹操の『短歌行』に「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。青青子衿,悠悠我心。但爲君故,沈吟至今。呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。明明如月,何時可輟。憂從中來,不可斷絶。越陌度阡,枉用相存。契闊談讌,心念舊恩。月明星稀,烏鵲南飛。繞樹三匝,可依。山不厭高,水不厭深。周公吐哺,天下歸心。」とある。

※樹樹皆秋色:どの木々にも皆、秋の気配があり。 ・秋色:秋の気配。秋の景色。

※山山唯落暉:どの山どの山も、ただ夕日の輝きだけだ。 ・唯:ただ…だけ。 ・落暉:〔らっき(らくき);luo4hui1●○〕夕日。落日。沈む夕日の輝き。 *夕陽に心が乱れる詩歌は多い。唐・李商隱の『登樂遊原』「向晩意不適,驅車登古原。夕陽無限好,只是近黄昏。」や、范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映
斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。  黯ク魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸,化作相思涙。」や、柳永の『夜半樂』「凍雲黯淡天氣,扁舟一葉,乘興離江渚。渡萬壑千巖,越溪深處。怒濤漸息,樵風乍起,更聞商旅相呼。片帆高舉。泛畫鷁、翩翩過南浦。    望中酒旆閃閃,一簇煙村,數行霜樹。殘日下,漁人鳴榔歸去。敗荷零落,衰楊掩映,岸邊兩兩三三,浣沙遊女。避行客、含羞笑相語。   到此因念,繍閣輕抛,浪萍難駐。歎後約丁寧竟何據。慘離懷,空恨歳晩歸期阻。凝涙眼、杳杳~京路。斷鴻聲遠長天暮。」、馬致遠の元曲〔越調〕『天淨沙』秋思「枯藤老樹昏鴉,小橋流水人家,古道西風痩馬。夕陽西下,斷腸人在天涯。」など。

※牧人駆犢返:牧童は、子牛を駆り立てて戻って来て。 ・牧人:牧夫。牧者。ここでは、牛飼いのことになる。 ・駆:〔く;qu1○〕かりたてる。追う。かる。 ・犢:〔とく;du2●〕子牛。牛の子。ここでは、牛の群れのことになる。 ・返:かえる。もどってくる。

※猟馬帯禽帰:猟師は、獲物(えもの)の鳥を帯びて帰ってきている。 ・猟馬:馬に乗った狩人。 ・帯:〔たい;dai4●〕身に着ける。持つ。おびる。 ・禽:〔きん;qin2○〕鳥類の総称。とり。ここではを獲物(えもの)を謂う。 ・帰:かえる。もと出た所(自宅・故郷・故国・墓所等)に帰る。

※相顧無相識:見回しても、知り合いはいないので。 ・相顧:みまわしていく。また、互いに見つめ合う。ここは、前者の意。相-」は、動作が対象に及んでいくさまを表す時に使う。「…ていく」「…てくる」の意。「相互に」の意味はここではない。盛唐・王維の『竹里』に「獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。深林人不知,明月來。」とあり、中唐・白居易の『勸酒』「昨與美人對尊酒,朱顏如花腰似柳。今與美人傾一杯,秋風颯颯頭上來。年光似水向東去,兩鬢不禁白日催。東鄰起樓高百尺,題照日光。」 、盛唐・李白に『把酒問月』「天有月來幾時,我今停杯一問之。人攀明月不可得,月行卻與人。皎如飛鏡臨丹闕,拷喧ナ盡C輝發。但見宵從海上來,寧知曉向雲陝刀B白兔搗藥秋復春,娥孤棲與誰鄰。今人不見古時月,今月曾經照古人。古人今人若流水,共看明月皆如此。唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。」や、東晋・陶潜の『飮酒二十首』其一「衰榮無定在,彼此更共之。邵生瓜田中,寧似東陵時。寒暑有代謝,人道毎如茲。達人解其會,逝將不復疑。忽與一觴酒,日夕歡。」 、陶淵明の『雜詩十二首』其七の「日月不肯遲,四時催迫。寒風拂枯條,落葉掩長陌。弱質與運頽,玄鬢早已白。素標插人頭,前途漸就窄。家爲逆旅舍,我如當去客。去去欲何之,南山有舊宅。」や張説の『蜀道後期』「客心爭日月,來往預期程。秋風不,先至洛陽城。」盛唐・杜甫の『州歌十絶句』其五に「西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,趁鳧雛入蒋牙。」とある。南唐後主・李U『柳枝詞』「風情漸老見春羞,到處消魂感舊遊。多謝長條似,強垂煙穗拂人頭。」、唐〜・韋莊の『江上別李秀才』に「前年相送灞陵春,今日天涯各避秦。莫向尊前惜沈醉,與君倶是異ク人。」とあり、北宋・范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。   黯ク魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸,化作思涙。」とあり、唐末・韋莊の『浣溪沙』「夜夜思更漏殘 など、下図のように一方の動作がもう一方の対象に及んでいく時に使われている。
B
もっとも、李白の『古風』「龍虎相啖食,兵戈逮狂秦」、『遠別離』の「九疑聯綿相似,重瞳孤墳竟何是。」や『長相思』「相思,在長安」や王維の「入鳥不相亂,見獸相親。」などは、下図のような相互の働きがある。
B
勿論、これらとは別に言葉のリズムを整える働きのために使っていることも詩では重要な要素に挙げられる。 ・相識:〔さうしき;xiang1shi2○●〕顔見知り。知人。互いに知り合っている人。盛唐・杜甫の『復愁』に「 萬國尚戎馬,故園今若何。昔歸相識,早已戰場多。」とある。

※長歌懐采薇:声を長くひいて(二朝に仕えずに隠棲したことを詠った)『采薇歌』を歌う。 ・長歌:声を長くひいて歌う。 ・懐:思う。なつかしむ。しのぶ。 ・采薇:ゼンマイを採る。殷末の人物、伯夷・叔齊は、新王朝である周の統治下の畑でできたアワ(禄)を食むのを潔しとせず、首陽山に入って隠者となって、山野に自生している山菜(=薇(ゼンマイ))を食べた故事を指す。前出・殷末周初・伯夷の『采薇』に「登彼西山
。以暴易暴兮,不知其非矣。神農虞夏,忽焉沒兮,吾適安歸矣!吁嗟徂兮,命之衰矣!」とある。 ・采:取る。=採。上古『詩經』には、この野草採取の詩篇「采」が多い。『王風』「采葛」「彼采葛兮,一日不見,如三月兮。彼采蕭兮,一日不見,如三秋兮。彼采艾兮,一日不見, 如三歳兮。」と多い。 ・薇:ゼンマイ、ワラビ。シダ植物。山菜。『史記』の古註は、「索隱『薇,蕨也。』『爾雅』云:『蕨,鼈也。』 正義 陸『毛詩草木疏』云:『薇,山菜也。莖葉皆似小豆,蔓生,其味亦如小豆,可作羹,亦可生食也。』」日本語では薇字は「ゼンマイ」、蕨字は「ワラビ」としており、現代語でも“蕨〔jue2〕”は「ワラビ」の意、“薇〔wei1〕”は「ゼンマイ」や「ハマエンドウ」の古称。「ゼンマイ」の古称。“薇蕨”〔wei1jue2〕は「ゼンマイとワラビ」といった山菜のこと。
『采薇歌』は、ゼンマイを採る歌で、伯夷、叔齊が節義を通しながらも、世を慨いた歌。『詩經』「風」等、『史記』初期のものと同時代の、最も古い韻文の一である。それらと似た語彙が使われている。ここでは、周の統治下の畑でできたアワ(禄)を食むのを潔しとせず、山野に自生している山菜を食べた、周の禄を拒絶したということの強調でもある。伯夷・叔齊の故事による。殷末周初の二名の人物で、『史記・殷本紀』によると、周の武王は(周りの勧めにもかか
写真撮影:青木繁伸氏(群馬県前橋市)
わらず、一旦は「爾未知天命」と引き上げたものの、)「淫乱不止」「吾聞聖人心有七竅。剖比干,觀其心」等という暴虐・淫乱の殷の紂王を伐とうとして兵を起こした。これに対して、(伯)夷、(叔)齊の兄弟は、ともに「武王載木主,號爲文王,東伐紂。伯夷・叔齊叩馬而諫曰:『父死不葬,爰及干戈,可謂孝乎?以臣弑君,可謂仁乎?』」と、父親の埋葬も終わらない内の挙兵は、不孝者であり、臣下の身で、君主を弑するのは、仁でない、不忠者であると、諫めた。「左右欲兵之。太公曰:『此義人也。』扶而去之。」家来たちが殺そうとしたところを太公に「これは義人である」と、助けてもらったものの、相手にされなかった。「武王已平殷亂,天下宗周,而伯夷、叔齊恥之,義不食周粟,隱於首陽山。」やがて、殷を平らげて、天下は周のものとなった。伯夷と叔齊は、不義にして、新たな王朝の周の粟(禄)を食むのを潔しとせず、これを拒んで、首陽山に隠れ住み、薇(ゼンマイ)を採って生活し、やがて飢えて死んだ。このことは、『史記・伯夷列伝』に見える詩では、次の通りやや異なってうたわれている。「登彼西山兮,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農、虞、夏忽焉沒兮,我安適歸矣于嗟徂兮,命之衰矣!」とある。 蛇足になるが、後世文革時に「三家村反党集団」とされ、迫害されて死んだ呉ヨを悼んだ聯があるが、これに基づいて作られている。東晉・陶潛の『擬古』九首の其八に「少時壯且氏C撫劍獨行遊。誰言行遊近,張掖至幽州。饑食首陽,渇飮易水流。不見相知人,惟見古時丘。路邊兩高墳,伯牙與莊周。此士難再得,吾行欲何求。」、中唐・白居易の『訪陶公舊宅』に「垢塵不汚玉,靈鳳不啄羶。嗚呼陶靖節,生彼晉宋間。心實有所守,口終不能言。永惟孤竹子,拂衣首陽山。夷齊各一身,窮餓未爲難。先生有五男,與之同飢寒。腸中食不充,身上衣不完。連徴竟不起,斯可謂眞賢。」と多い。後世、現代・蔡希陶は『贈呉ヨ』の挽聯で「書歸天祿閣,人在首陽山。」とし、我が国では、山田方谷の『詠伯夷叔齊』「剪商計就竟戎衣,宇宙茫茫孰識非。君去中原幾周武,春風吹老首陽。」がある。

             ***********





◎ 構成について

韻式は、「AAAA」。韻脚は「依暉歸薇」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。

○○●●◎,
●●●○○。(韻)
●●○○●,
○○○●○。(韻)
●○○●●,
●●●○○。(韻)
○●○○●,
○○○●○。(韻)
2014. 9.27
      9.28.
      9.29
      9.30
     11. 1
     11. 3
     11. 4
     11. 5




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