日 記

(2012年4月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ 今日で4月も最終日。月曜日ですが、昨日の昭和の日(昔の天皇誕生日)が日曜日なので振り替え休日。私の月曜日の非常勤講師もお休み。パートと同じく、ノーワーク・ノーペイです。有給ではなく、休日の増加に抵抗する非正規の方々の気持ちがよく分かります。
 ニュースは、高速バスの事故による7人の死亡と多数の負傷者の報道。自分も乗ってみて、運転手さんの長時間運転が気になっていました。安い運賃にひかれてしまいますが、仕事がない為、かなりダンピングされているのではと気になります。運転手さんの労働時間規制等、少しまとめておかなければと思っています。
 フェースブック情報では、二女が女川から弘前へとんぼ帰り、長女は用事で猪苗代湖まで来たようです。
 老人家庭は、静かに自宅に籠っていました。来月早々私が誕生日を迎えるので、我が家の平均年齢を計算したら、76.7歳から77歳になります。「超高齢家庭だ」と言ったら、そんな計算している暇人に尊敬の眼はありませんでした。
 午後、テレビで東北楽天⇔日本ハムを観戦。辛うじて2対1で勝ちました。仙台の球場で見ていたゼミ卒業生が、フェースブックで報告をしています。
 退職生活1ヶ月が過ぎます。積極的になれば、自由を満喫できそうですが、今のところはまだ初心者マーク。明日から5月。頑張りましょう。(4/30)<11703>


◇ 日曜日ですが、ゴールデンウィークといった方がいいでしょう。本当に今日は、初夏のようです。福島市の最高気温は31.8度。全国で最高らしいです(何も喜ぶようなことではありませんが)。
 妻が同じ仕事をしている方の送別・慰労会に出かけるので、福島駅まで送り、あとは義母とお留守番。
 昨日見えた義弟の奥さんに、震災時の姪の次女の話をしたが、時が経っているので、資料を探して、メールを送った。「NHKラジオ」の放送長女の書いた新聞コラム東京新聞の記事。甥の奥さんにも読ませたらしく、えらく感動されたとのメール。
 夕方、あづま運動公園まで一人ドライブ。桜の並木、散り始めた桜吹雪。こども達が喜んではしゃいでいる。こういうのが普通だったんだなと、感ずる。
 女川の仮設商店街がオープンしたとのラジオニュースを車で聞く。二女は女川に行っている。どんどん、変わっていくだろう。(4/29)<11678>


◇ 土曜日、4週一度の定期の通院、義母の見舞い寄る義弟の奥さん・浩子さん(京都)を駅で車に乗せて、我が家へと進む予定だった。
 ところが走り出してから、警告ランプ。うーん、困ったと思い、交差点で止まるときに一旦エンジンを切ったが、再びかけるとまた点灯。
 病院の駐車場からかかりつけの整備工場へ。連休前で休みだが、ディーラーにかけてくれた、病院は受付をした上で外出。コンピューター制御なので、テストですぐに分かるらしいが、結果は排気ガスの不調で、走行には問題ないということ。
 連休明けに部品を取り寄せて、ということになるが、この際、車を買い換えようかという話になった。
 7月末には、7年目の車検も近づいているが、走行距離は11万5千キロ。今の車(マークX)は安定性があり、コーナーワークもいいが、問題は燃費。ハイオク専用で、新車のときから1リッター8キロ。震災に弱かった。今度は、ハイブリッドに決めていたが、小さめにしようと思っている。
 いつまでも車に乗れるわけでもなし、今度、買い替えるのは、運転する最後の自家用車と思ってたが、身の丈に応じた車にしようとかかりつけの整備工場主(宇田さん)と相談している。(SAIではなく、プリウスαかな?)
 注文して、すぐには入手出来ないということなので、時間がかかるかも。車検の前には入手しないと・・。
 というわけで、駅に行くには少し時間があったので、病院で検査だけをして、駅へ。駅で出迎え、自宅に送ってから、また病院へ(土曜日なので11時半が限界)。滑り込みセーフ。
 何とか午後1時前には帰宅できました。いろいろ積もる話をして、3時過ぎ、娘さんが住んでいる東京に向かう新幹線に送る。
 結果的に大したことではなかったが、車のトラブルで、少々疲れました。25度の暑さも影響しているでしょうが。
 5月3日の関係で、岩手の沼田先生から電話をいただく。(4/28)<11651>


◇ 今日は自宅で本読みと見守り。デイサービスはありません。
 早めに1050円の散髪屋に行く。ゴールデンウィークで混雑しては困るとも思い、早めの対策。
 小雨が降っているので、午後からの妻の仕事への送迎が、仕事らしい仕事かな。
 夜遅い日が続いたせいか、睡魔が抜けない。珍しく夕食前の昼寝。

 3人の孫の1人が高熱を出して、長女の所は大変。女性の育児と仕事の両立は、本当に困難。何も改善していない。
 三世代同居時代から核家族へ、公的保育事情が改善していないが故に、かえって当事者の負担。
 これでは少子化解決の展望が開けない。政府も担当大臣たらい回しの軽視。
 自己責任で、身内で解決しないとダメな段階。
 育児は時間が解決するともいえるが、今後30〜40年働く若い人たちと対比して、こちらはせいぜい2〜3年の仕事。
 何か具体的な手助けを考えるべき時かもしれない。(4/27)<11623>


◇ 朝から愚図ついた空模様。仕事に自転車で行くには無理なので、妻を笹谷駅まで送り、8時半前に迎えに来たデイサービスの車で、義母を見送り。
 何か、ずいぶん、余裕のある午前です。新聞を読んで、さあ、仕事を開始しようと思いましたが、10時寸前。小沢判決を思い出し、テレビをつけました。「無罪」の判決。少々、予測していましたが、証拠の問題、共謀の意思の問題などが根拠です。判決文の評価は、慎重にしなければなりませんが、検察審査会に対する新たな制度によるものとして、その影響は少し心配です。検察審査会に対する逆風が吹かなければいいのですが。裁判員裁判も含め、司法への国民参加であり、専門家論や素人論に堕さない様にしなければならないと思います。
 早めにテレビは切り上げて、盛岡での講演の準備。
 昼食後、アマゾンから「マサキ君のピアノ」が届き、読みふけりました。途中、仕事帰りの妻を迎えのために中断。一気に読みましたが、著者が病気で面会謝絶とのこと。編集者のあとがきが心配になりました。感動ものですが、特に姪が涙ながらに読んだということで、きっと自分のその時の行動・気持ちを反芻していたのかなと思います。
 夕方は、「AOZ(アオウゼ)」での第10回ふくしま復興支援フォーラム。お医者さんの松本先生に、「医療機関の被災と再生に向けた取組み」について、報告していただきました。
 難しい問題もあるのですが、医療の復興無くして、復興は難しいでしょう。活発な質疑応答が展開されました。
 なんと仙台から、1級先輩の出浦さんが来てくれました。わざわざ、ありがたい。6月に初めに、話をしに行く約束をしています。
 終了後、事務局メンバーで、夕食・懇談。そろそろ新たな展開をしなければなりません。(4/16)<11602>


◇ 原稿は今日までということだったので、今日のうちに、午後11時頃送信しました。添付ファイルにして、ボタンを押しただけです。
 研究者になりたての頃は、速達で送っていたので、ポストに投函するまでは、気が晴れませんでした。
 ポストや夜間窓口に行っていたときと比較すると、今はギリギリまでかかってメールで送るのですから、ずいぶん便利になったものです。
 しかし、その頃と比べて、質・量が向上したと、全く思えません。
 モノを書く気迫や緊張感がありません。全体の構想をギリギリまで考えて、書き始めることをしないで、書けるところから書くのですから、どうも頭を使っている感じがしません。
 ちょっと、統計や行政資料が欲しければ、インターネットで、原物が入手できます。
 論文は、必ずしもすぐには読めませんが(雑誌の売れ行きが悪くなるのでしょう。)、要約くらいは見れます。
 研究室から自宅に閉じこもって、変わったといえば、官庁のPDFファイルを、すぐに印刷して(貯めて⇒結局、安心して読まない)おくことは、財政上できないので、画面で読むようになったことかもしれません。「後」で読もうと思っても、そんなに「後」はないのです。
 「多作」は難しいので、「寡作」でいいのですが、短くても、少なくても、自分が感動して、人にも感動を与えられる仕事をしたいなあと思っているのですが、それが可能なのか、自信はありません。しかし、努力したいと思います。
 おこがましいことは言えないのですが、現代社会での研究者の役割が問われていますが、何か、スピードに追いまくられているのではないかと思って仕方がありません。
 研究者は「愚鈍」であるべきです。恰好のいい、タレント研究者は少しでいいでしょう。

 今日は、銀行が主宰している育英会の理事会。成績優秀で、家計困難な高校生で、大学進学する者に奨学金を交付する団体で、理事会はその審査。
 育英会は組織改編で消滅するので、最後の理事会で、業務は他の団体に引き継がれます。

 その後、福島シニアライオンズクラブの会長さん等と喫茶店で打ち合わせ。
 「福島県地域づくり総合支援事業」の震災対応案件に採択された事業(「仮設住宅及び借上げ住宅居住者等生活再建に伴う自立支援事業」)の実行委員を依頼されました。
 ライオンズクラブというとお金持ちの団体のイメージが強いのですが、「シニア」がついて社会的な活動を展開しているようです。特に借り上げ住宅に住んでいる高齢避難者に対する支援活動を展開するとのことです。あまり得意とはいえませんが、何とか協力をして、事業が成功できればと思います。

 明日からは、原稿から離れて、5月3日の盛岡での講演の準備をすることにしましょう。
 折角の機会ですので、折角、聴きに来てくれる人に、何か一つでももって帰っていただけるような話にしたいのですが・・・。(4/25)<11581>


◇ 昨日まで延期していただいた原稿、夜中のうちに送信しようと思いましたが、見直すと書き直しの繰り返し、結局午前2時頃でダウン。仕方がありません、朝食後、継続。うーん、内容不満ですが、仕方がありません。15000字ほどで送信。
 義母をショートスティに迎えに行く時間。11時です。帰ってくると、編集部からの返信。明日まで1割ほどダイエットしてほしいとのこと。さすが5000字ではないのですが、1,500字ほどの削減。足したいところもあるのですが、明日までなので何とかなるかな?

 昼食後は、眠いので昼寝。久しぶりです。1時間ほどで起きたが、いろいろ身のまわり整理、フォーラムの整理(お金等)。6時からの会議に出かけます。
 夜の会議は、飯舘村関係の会議。村の担当者も4月で交代した。以前からの知り合いが担当者に。会議後、飯舘村の復興について心配している旨話す。一番は住民のまとまり。大学関係者も、飯舘の復興のために尽力できたらと思うが、私の心配ほどでもなさそうなので、具体的な動きをつくりたいものである。

 帰宅後、睡眠不足がたたって、いまだボーッとしているが、明日、頑張りましょう(悪い癖!)。
 食堂開設の準備に忙しい姪からメール。「先日、石巻の本屋さんへ行った際、知り合いが書いた本を見つけました。もうご存知かもしれませんが…。橋本安代さんの本です。雅生くんやお母さんの事をよく知っているのでなおのこと心にしみる作品でした。昨日の夜、一気に読み、まだ胸が一杯のところに、金子のぶさんのメールを見てまたまた胸にぐっときました。ここのところ、お店のオープンが近づいたからなのか、母の事父の事、容子の事を思い、胸が一杯になることが多くて…。お店の事、喜んでくれているでしょうか…。金子様に早速連絡をさしあげてみます。」と。

 思い出して、アマゾンで検索。橋本安代著『まさき君のピアノ』。思い出しました、女川のお母さんたちや女川関係のテレビで行っていた。

 アマゾンの本の紹介は、「災害弱者、という言葉を知っていますか? 災害が起こったとき、自閉症の子供たちは、どうすればいいのだろう? 避難所でパニックを起こしたら? 周囲の人々の白い目は? 2011年3月、震災と津波で孤立した港町・宮城県女川町。誰もが疲弊してゆく避難所で、自閉症の少年が起こした小さな奇跡。絶望の中で、誰かの役に立つこと...。悲しみの中で、笑顔になること...。 」。
 内容紹介「3.11。すべてを奪われた女川町。避難所の人々を癒した音色。自閉症の少年はなぜ、ピアノを弾いたのか?災害と障害、家族と地域の絆を描いた感動のドキュメント。 」
 購入が遅れたので、恥ずかしいのですが、そっとアマゾンに注文しました。楽しみです。(4/24)<11550>


◇ 月曜日は、唯一の非常勤講師の日。客人もあるので、大学へ。
 研究室がないので、講義開始前に準備をしようと思ったが、非常勤講師控室で予習。
 あまり十分とは言えなかったが、まあ良しとしよう。
 だんだん慣れてきた。
 友人等は、37歳の就職まで、連日の非常勤講師で生計を立てていた。
 私のような退職組はいいとしても、若い有能な研究者が、非常勤で食いつなぐのは惜しい。
 明日早朝には、原稿を送らないと。1万字の予定が、1万5000字を超えてしまった。要領が悪い。(4/23)<11525>


◇ 日曜日、静かに宅勤です。明日は講義があるし、その講義の準備。100人近い感想文をタイピングして、コメントをつけるのは大変。何とか終わりました16頁。そして明日発信する原稿。やるほどに拡散して困ってしまいます。
 研究室から持ち込んだ書籍等、以前から我が家にある書籍の山。ゆっくりやろうと思っていましたが(?)、妻が片づけ始めました。探しているものが出てくるものです。階下においた無線ランのステーションから、二階の机の上のデスクトップへは設定できないでいたのですが、探していた設定するCDが出てきました。一人でできるかなと思ったら、なんと簡単につながりました。ようやく、階下のこたつの上のノートVAIOと、ミニノート、そして書斎の机の上のデスクトップ。全部、無線ランにつながりました。あとは、しばらく捨てているiPadのみ。
 さっそく、26日に行う「ふくしま復興支援フォーラム」の案内を、研究室感覚で送りました。反応は鈴木さんだけだが、間違いなく届いているでしょう。
 気が付かなかったけど、研究室の環境は便利でした。研究室を離れて気づきます(時間がなかったが)。しかし、次第にそれに近づいてきました。大量印刷の印刷機はありませんが、あれは無駄な印刷をして、環境に優しくないと思っていました。今度は、多くなった時間の利用と資源の無駄遣いをしないで、課されている研究をすることができそうです。歩みはノロいのですが。(4/22)<11492>


◇ 土曜日、仕事が滞留しているので、基本的に宅勤。
 気分転換に、マイナスイオン全身浴の「イオラ」へ。5月の連休明けから、原則休業に入るが、まだホテルへの客は少ない。会津の方では、修学旅行の回復の兆しがあるものの、土湯はまだか。休業期間中、他の仕事をしながら頑張っているという。本当に残念。
 除雪して雪の回廊でもと、帰りは無料になっているスカイラインを通行。浄土平で、噴気上がる一切経をパチリ。
 知り合いの高湯温泉の宿で、山菜そばを頂く。山菜が取れないので、大切に塩漬けにしていた山菜。悔しいね。原発事故。客はがた減り、硫黄泉も震災で濁りはじめた。地熱発電の工事には複雑な気持ち。福島は、復興の道は険しい。

 最近、女川への国際的支援の記事に感動。カタールから冷凍施設建設への支援(20億円)、女川の病院へのスイス(赤十字)からの支援建築。
 小さな町だが、国際的な支援の手が差し伸べられて嬉しいとともに、それだけ被災の深刻さを示している。女川のシンボル、マリンパルは解体されたようだし、役場も解体へ。歯を食いしばって進まなければ。
 東京で、女川への元気を送る会の総会を5月19日に開催。関西の学会の途中だが、東京に立ち寄り、出席することにした。支援も新しい段階。

 姪たちの食堂開店や事務所移転に際して、デザインをやっている卒業生に打診のメール。津波で犠牲になった従兄の奥様に電話、孫たちの家に比較的近いので、そのうち遊びに行くことにした。仮設の一人住まいだが、趣味の活動も開始しつつあり、心配していただけにホッとした。
 長女も、二女も、今夜は当直。12時過ぎたが、私も頑張りましょう、宅直(?)(4/21)<11475>


◇ 金曜日。孫一家が来る予定が、おたふく風邪ということで、来福中止。残念至極。とはいうものの、原稿書き。
 昼前から夜まで、妻の会議(総会)らしく忙しいので、今日からのショートスティは9時半に送っていく。その後、会場のホテルまで妻を送り、後は自分の時間。原稿書き、そして学生の質問票などのタイピング。授業に直接関係ないことを長々と書く学生もおり、長い時間タイピングさせられて、少々腹立たしい時もある。仕方がない。

 白河のアウシュビッツ平和博物館のニュースレター「imagine」が贈られてきた。なんと「企画展示」<女川に生きる人の今>が今日から1か月博物館で。女川出身の鈴木麻弓さん(父の遺志を継ぐ三代目カメラマン)。ビックリしたが、いい企画。タイミングをみて一度白河に行ってこようか。FacebookとTwitterに宣伝したら、即座に反応があった。賛助会員なんだから成功させたいものだ。
 間接的に、司法修習生の就活の相談。こんな就職難は聞いたことがない。知り合いの弁護士に電話して、聞いてみたが、数人来ているという。時代も変わったなあ。
 妻は世話役で二次会を終えて遅めの帰宅。電話で、来れなかった孫たちの声を聴く。(4/20)<11453>


◇ 今日は、午後から県の委員会の会議と転入した職員の歓迎会(懇親会)。
 午前・午後と自宅で机上作業。歩みはノロい。支所に身分証明書を取りに行く。コープの役員用のもの。
 遅く始まった委員会は、議題も多く2時間ほど要した。
 夕方は、「おりおり」で懇親会。県庁職員と一緒で、大学関係者でないので、経営者は驚いていたが。
 転入者は5人と多いが、それぞれの県庁職歴を紹介していただいて、会議の延長のような真面目な飲み会。率直な話し合いで、気持ちがいい。
 懇親会の後、近くの喫茶店でコーヒーで3人で雑談。リラックスできる、いい巡り合わせ。自分の職場だけでは得られない人間関係である。期待されている役目をきちんと果たしていかなければ・・。

 昨日の卒業生との話で、姪たちのところで、何か頼めないかと考える。津波で犠牲となった姉の長女は、居宅介護事業所(きんもくせい)を開設して女川で頑張っている。看板が欲しいというので、頼んでみたい。姉の次女は、多賀城で食堂を開店準備。看板は用意したので、店の宣伝のパンフレットが欲しいという。卒業生の金子さんの仕事と結びついてくれるとうれしい。東京の地だから、結合の方法が難しいが。私も、遠くからだが、多賀城の店の宣伝をして行こう。
 司会業を開始した三塚さん、この前は宮城の「カキ小屋」のイベントの司会を勤めたようだ。なにか、卒業生や姪たちの商売の手伝いをしてみようかな?これは面白いかも・・・。  明日、期待していた孫たちの来福。おたふく風邪を引いたというので、延期。残念。早く治って欲しいね。(4/19)<11427>


◇ 初夏のような暖かな日である。周りの山々は、桜の花色。春の盛りです。
 11時半前、ゼミ卒業生2人と福島駅西口改札口で待ち合わせ。18年前の1994年卒業のゼミ生の金子(旧姓・溝辺)さんと三塚(旧姓・亀井)さん。金子さんが親の郷里である山形に滞在、東京に帰る途中、福島に寄ってくれました。ちょうど同期の友人、三塚さんも仙台からかけつけてくれました。金子さんは、4歳の坊ちゃんも一緒です。

 昼食会場の、信夫山・御山角屋へ。いつもは客が少ないイメージがあったのですが、満杯。路上も、駐車場も花見客で一杯です。個室はとれず、大広間を仕切った囲炉裏の周りに座って、昼食。
 ちょいちょいは逢う機会もあるようですが、ゆっくり話ができました。それぞれ、自分の能力を生かし、かつ家族を絆を大切に、前向きに生活している様子が窺えました。逞しいね。

 食事後は、信夫山の第2展望台へ。放射線の関係で、戸外で遊ぶ子どもたちの様子はめっきり無くなった福島ですが、気にもしないで跳ね回ってくれました。東京行きの新幹線の出発時間を意識しながら、妻に聞いていた福島県立美術館の五味太郎作品展を見に入りました。10数名の観客ですが、なんと仕事帰り途中の妻が座っているではありませんか。あまりもの偶然と言えば偶然ですが、そもそも情報をキャッチしたのは妻から。小さな街ですから、それもありなん。卒業生から、妻も一緒にと誘われていたのですが、結果的に会うことになりました。

 午後3時過ぎ発の新幹線に見送って、また仙台への高速バス行きと別れて、帰宅しました。久しぶりの戸外に出て、少々、睡魔に襲われましたが、快い疲労感。また、お会いできることを楽しみにして・・・。(4/18)<11399>


◇ 編集者からメールが来て、1週間延ばしてもらった。23日の締め切り。安心しないで、何とか20日までに目途をつけよう。それにしても、読むべきこと、再確認する事が多い。自分の力ではここまでです、という到達点を目指して。
 午後、コープふくしまの理事会。6月の総代会総会に向けて、経営はいい状況で迎えられる。
 国際協同組合年で、震災のなかで、協同組合の役割を強く感じているが、具体的な形、またそれがほとんどの市民から確信的支持を得るには、さらなる努力が必要とも思われる。
 明日は卒業生2人が来て、昼食を共にする。94年の卒業だから、18年が過ぎた。苦難を乗り越え、元気にアラフォーを迎えている。話を聞くのが楽しみだ。(4/17)<11375>


◇ 「今日は原稿締切日ですよ。進行状況はどうですか」という、当然ですが編集者からの原稿催促メール。頑張ってますが、少し猶予いただけないかとの返信。頑張って、明日、見通しを送信しますと。
 月刊誌なので、穴をあけたら大変。特集号執筆の他の皆さんにも迷惑をかけてしまう。うまくいかない。何よりも問題に対する蓄積が不足。赤面の至りだね。こういうことを繰り返していると、研究者としての資格喪失。理由はいくら上げても、基本的には努力不足。不真面目なんだね。
 遅筆で有名な私の高校の大先輩(井上ひさし)。真似たといいたいところだが、できたものの質が違うので、比べるのは恥ずかしい。

 今日は、週唯一の非常勤講師日。少々、余裕をもって大学へ。資料のプリント。100人の感想文とコメント、A3判両面2枚に収めて配布。またまた94人が出してきた。減らないなあ(不謹慎!)。
 パラパラと見たら、こんな感想文がありました。「(これは載せなくていいです。)1人1人の質問・感想をまとめ、さらにコメントを加えてレジュメ配布するというのは、他の講義などではないので、自分の番号を見つけた時は嬉しかったです。他の人の意見も知れて、授業のやる気が出ました。ありがとうございます。そしてお疲れ様です。」と。
 受講生数の見通しを間違えて、大風呂敷の(?)マニュフェストを出してしまったものですから、反省しています。やめますと言ったら、申し訳ないので、私のコメント部分を少なくして省力化を図りましょう。でも、一人でも、喜んでくれる学生がいると教師冥利に尽きるね。学生の感想文を読んでいると、彼らなりの真面目なものに接することができて、大変だと言いながら、私も嬉しい。今から社会を支える若者だから。

 昨夜は、1時過ぎまで起きていたが、朝早く、目が覚めてしまい、階下で朝が始まり、二度寝するきっかけも失って、睡眠不足。さすがに立ちっぱなしの3時間の講義が終わると、帰路の運転は睡魔に襲われて大変。危ない。夕食前に1時間ほどの仮眠を取って、再開をしたのですが・・・。
 今週は、コープの理事会、久しぶりの卒業生との昼食会、県の行政委員会の会議と職員の歓迎会と連日、重複することなく行儀よく予定が入っていますが、何とか20日まで(編集者には言えないが)には脱原稿を。20日は孫一家が滝桜を見に来て、一緒に温泉にでもと考えているので、爺のジタバタは見せられない。(4/16)<11349>


◇ 日曜日、妻は朝から町内会の年に1度の総会へ。我が家が役員の番ですが、ほとんど妻にやってもらっていますので、私は留守番です。
 午後の市内での研究会で報告をするというので、その準備。明日が締め切りの原稿に関連するテーマだったので、引き受けたのですが、二兎を追うものは・・ということ。
 午後1時半から、福島市舟場町の旧職員会館(街なかブランチ舟場)の研修室で、第4回の「原子力損害賠償・災害法研究会」が開かれました。私が「震災と雇用」のテーマで報告、岩渕弁護士が「小高区弁護団についての経緯と現状」の報告。10名ほどの参加者ですが、活発な議論が展開されました。

 午後5時から場所を変えて(珍満)、私の送別会と称する懇親会。何度も送別会を開いていただいていますが、大学からの退職・撤退で、相変わらず福島市に在住しているので、「送別」にピンときません。しかし、懇親会の口実と思えば、これも楽しからずや。原発災害を巡って、懇談が続きます。
 明日は、非常勤講師としての講義。前回、質問等票に書いてもらった感想などをタイピングして、16ページの原稿をつくりました。100人の感想を打ち、コメントを付けました。これから明日の授業の準備。そして明日締め切りの原稿を。どこまでやれるか、白旗(猶予)を上げる前に、最後まで頑張ってみましょう。(4/15)<11313>


◇ 雨模様の土曜日。訪問看護の車がくるので、家庭用品の買い物にサティ通りへ。しばらく、車を動かしていないので、大学までドライブ。往復30キロですから、このくらい走らないと体(車)に悪い(?)。飼い犬みたいなものです。
 月曜日の原稿締切は、間に合いそうではありませんが、昨夜は12時から開始して1時過ぎまで。今日は少し眠い。明日は弁護士さんたちとの研究会。私の送別会をやるとのことで、必ず出席しなければならず、また報告するということで、安請け合いを反省しています。まとまったものはできないので、分からない問題点などを率直に相談するつもりの報告になりそうです。

 家にいても、濱田さんから電話があり、被災地救援のプロジェクトへの協力要請。仮設の人々の介護支援などのプロジェクトのようですが、よく説明を聞いてみます。役に立てるかどうか分かりませんが、話をかけてくれるだけでもありがたい。忘れられていないということでしょうか。
 メールでは、元同僚の高橋さんが、友人と女川に行ってきたいとの問い合わせ。ここも忘れられないよう、できるだけ多くの人々に行ってほしいと思っています。残念ながら何もなくなりましたが、ゼロからささやかだが新しい動きが始まっている。

 大飯原発の再稼働を巡って、政府・枝野大臣が福井県に説得に行っている。福島原発の重大性が生かされていないような気がします。福島県がもっと、自分への同情のみならず、脱原発のアピールを強めないと、特殊な県として忘れられそうです。もっと発信を強めないと。「福島に未だに人が住んでいるの?」という若者の話が聞こえてきたが、有利不利の域を超えて、原発事故の過酷さを発信することが、被災者の責任ではなかろうか。(4/14)<11285>


◇ 昨夜から地震が多いね。慣れたものの緊張する時間。そのせいか、少し睡眠不足。
 13日の金曜日。朝から北朝鮮のミサイル発射情報(失敗)で、がたがたしています。結局、確認したのは1時間後。大騒ぎして準備していたのに、少々チグハグ。アメリカ依存の判断・情報収集では、心もとない。自分で判断したということが見えない。やはり自主独立の独自の対外政策が必要ですね。

 労働審議会の議事録署名捺印のために労働局へ。論文作成に必要な雇用情勢や労働行政の情報を教えていただく。
 部長さんに求職者支援制度の実情等、資料を整理していただいて、ありがたい。原発労働者及び除染の問題について課長さんからも話を聞いて階下に降りたが、事業者向けの簡単なパンフレットをもらおうと担当課を訪問し直し。昼休み中で、きちんと名乗らないで行ったためか、「社会保険労務士の方?」と聞かれて、「あっ、労働審議会のメンバーです」と。ついつい訪問の原則を忘れて失敗。何か、啓発的なパンフレットが並んでいると誤解していたもんですから。
 いずれにしろ、いい資料を戴いて、ラストスパート。内容はともかく、分量はまだ半分ですが。残る一日頑張りましょう。

 夜、釜石の津波犠牲者の家庭の一日のテレビ・ドキュメンタリーを見ながら、胸が詰まります。
 同時に、パソコンは、東北楽天と日本ハムの試合のテキスト情報を見ていました。田中が初勝利。相手は甲子園の好敵手・斎藤祐。若い二人とも、頑張って欲しい。楽しみです。(4/13)<11259>


/13

◇ 午前中、コープの事務所へ。いくつかの依頼を受けて、相談。ガソリンスタンドに寄って帰宅。なんとなく久しぶりの外出のような気もする。車の運転も久しぶりになると、自信がなくなるかな?いや、昨日も市内に出かけているので、外出はしているのだが。何というわけもなく、車で外出が毎日だったので、そう感ずるだけしょう。
 フェースブックで、2期生(1993年卒)の庄司君から友達リクエスト。早速、ゼミ卒業生のグループに登録して交流を期待する。貯金のように、少しずつメンバーが増えて楽しみ。
 原稿の関係で労働局に資料収集に行こうと思っていた矢先、先日の労働審議会の議事録署名の連絡。明日、労働局にお邪魔することにして署名をしながら、資料収集。事前に、対象資料をメールで送って、ウロウロしないようにした。相手も困るだろうから。
 うーん、それでも、まだまだ。集中が続かないので、研究室から持ち込んだ書籍等の山の整理。悪戦苦闘だね。それでも夕ご飯を食べると、人並みに居眠り。諦めないで、最後まで頑張ることにしましょう。(4/12)<11236>


◇ 終日、自宅勤務。セールスの電話が来て、断ってもいろいろ聞いてくるものですから、「仕事中」なので切りますと言ったら、「あっ、そこは職場ですか?」と聞かれて、がっくり。そうか、自宅で仕事をしているというの考えられないのかもしれない。

 月曜日の非常勤講師・「社会保障法」でも、質問票(感想文)を書かせて、翌週コメントをつけて返しますと大見得を切ってから後悔しています。
 人数が多いのです。最初だけかもしれませんが、100人ほど。40人ほど打ち込みましたが、途中。
 高等教育の機会均等の件で、家庭の経済力の違いが学歴に差をもたらしていること、本来授業料は無償化に向かうべきとの話の中で、東京の某大学の学生の家庭は年収1000万円以上が多いなど、学歴が経済力に影響されているような話をしたのですが、感想文に、「親に多少の恨みをもった」、「しかし、自分が1000万円以上になればいいんだと」とのを見て、ヒヤリとしました。

 コメントに何か書かなければと思い、こんな趣旨を書きました。
 「説明が不十分だったことを反省しています。基本は、高等教育を受ける権利は、家庭の貧富に拘わらず、保障されるべきであるとの趣旨で、無償に近づけるべきものと考えています。
 皆さんの高校時代の同級生にも、家庭の経済力を理由に進学をあきらめた人もいたのではないかと思います。授業料だけの問題ではありませんが。
 「勝ち組」に入るとの決断もありますが、そうしたシステム(「勝ち組・負け組」)に疑問を持っています。
 本人の努力とは無関係に貧富の差や格差が生じていることに対する現状を変えるために、まさに社会保障の必要性がありますね。
 ここまで育ててくれた親に対する「多少の恨み」を持たせてしまったこと、猛反省しています。親御さんに謝りたいですね。」
 みんなに渡すプリントですので、いちいち弁解しないで、淡々と渡すことにしましょう。
 年を人一倍重ねたが、聞いている人の思いへの気配りが足りなかったかなと思います。まだまだ人間としての努力が必要ですね。

 原稿は遅々とした歩みですので、間に合うか心配ですが、止まらないことが必要です。
 インドネシアで大地震のニュース。日本への津波はなさそうですが、インド洋は危険。なんとか無事であって欲しい。(4/11)<11201>


◇ 一日自宅で、お勉強。雑誌論文の原稿締切が迫っています。
 東日本大震災と雇用問題に関するものだが、新聞で学術会議での検討・提言が出された旨の情報を得たので、インターネットで検索。
 タイミングがいい。昨日、発表して、雇用問題についての提言もなされている。すべてではないが、いろいろ復興に向けた雇用の問題の一面を学ぶことができた。

 義母はディサービス、妻は午後から仕事。
 外は20度に近い暖かさで、室内は寒いが足温器以外の暖房は不要。
 まだ無線ランとつながっていないデスクトップと傍にランにつながったミニノート。プリンターも動き、研究室にいる気分に近づいてきた。
 運動不足になることは要注意。ということで、静かな一日は終わった。(4/10)<11175>

 


◇ 月曜日、非常勤講師第一日目。
 午前、ショートスティに3泊していた義母を迎えに老健施設へ。施設に行く前に講義の準備を済ませて、11時半に大学へ出発。
 時間がないので、妻が作ってくれた握り飯を食べて、午後1時から4時10分までの「社会保障法」の講義。
 講義内容よりは、いつも自分で行っていた教材の印刷などの準備が億劫。いつも止めていた駐車場に車を止めて、研究棟ではなく講義棟の教務課へ。印刷はしないで、コピーとのこと。もったいない感じもするが、受講生の数はわからないので、まずは80部の用意。どうしてか実数は100人以上。2コマの中間に増し刷り。係りの人は、最初だけ様子見ではないかと。

 何とか3時間の講義を終えつつあったが、何か背中に痛み。念のため、帰途にかかりつけの病院に寄って、心電図検査をしたが正常の事。まあ、2日前の長いバス旅行のせいか。立ったまま、3時間は無理か、慣れないしばらくぶりの講義のせいか。何とか15回の講義は、迷惑をかけないようにしないと。

 非常勤講師控室で、元同僚(名誉教授)や他の語学関係の非常勤講師の先生と雑談。
 業績を蓄積しながら、定職に辿り着けず非常勤講師をつないでいる先生の話も聞く。何かもったいない感じだ。日本の教育研究システムが、なかなか組み込むシステムになっていない。これでは、海外に出て武者修行する若者は減少する。日本の教育研究の国際レベルの低下も、こうした研究者や外国人を日本のシステムに組み込むことのできない結果なのだろう。一大学や一個人で解決できるものではないが、少しでも改善しないと。
 明日からは、来週月曜日までの原稿専念。何とかしないと。(4/9)<11148>


◇ 11時頃、大学到着。「原発と人権」の全国研究集会・交流集会に参加。昼飯を挟んで、6つの分科会(「放射能の影響とどう向き合うか」、「傷つき、破壊されたコミュニティの回復のために」、「被災者救済のための『完全被害回復』・『完全賠償』を」、「脱原発の司法判断を求めて」、「原水爆被爆者の運動に学ぶー広島・長崎から福島へー」、「原発報道を考える」)が並行してなされており、多彩です。
 途中からの参加なので、6つの分科会の雰囲気を見て回り、第2分科会(コミュニティ)に参加しました。
 3時過ぎからの全体集会に出ましたが、昨日から500人ほどの参加を見たようです。原発訴訟のように全国的な連携が進みそうです。弁護士の参加が多かったようですが、全国のエネルギーを感じました。
 NHKの全国ニュースをみると、大学に文科相も来ていたようで、地元の大学・研究者としての、しっかりと発信をする必要があります。
 県立大学との連携強化を要請されますがが、従来からの経緯から見れば、福島大学は大歓迎だと思うのですが、なかなか進まないことに県民も苛立っているのかもしれません。従来の枠組みからの脱却が求められているような気がします。(4/8)<11117>


◇ 今日は、「原発と人権」のシンポジウムが地元であったのですが、日程調整を間違えて、富士五湖周辺のバスツアーに妻と参加してきました。
 午前5時半に福島駅前発ですので、5時頃自宅を出て、終日700円の駐車場に車を預けて出発。山中湖、河口湖等を回りましたが、残念ながら富士山は頭の方が雲に隠れて、裾野ばかり。残念です。しかし、裾野の大きさは、富士の雄大さを示しています。浅間大社にも寄りましたが、以前、学長研修会で富士吉田市のセミナーハウスに宿泊し、赤富士の素晴らしさに感動し、近くの浅間神社で、弘前の遠藤先生と散歩したことを思い出しました。
 かなりの強行軍のツアーで、福島駅前に戻ってきたのは、午後11時半。バス運転手さんの過労が心配です。福島の営業復興のために、労働者にシワ寄せが起きているのではないかと心配になりました。安い旅行代金は有難いのですが、それが働く人にシワ寄せになっているのではないかと。とりわけ、被災地の労働者はかなり無理をして働いているのではと。これは、復興過程の雇用問題の重要な問題の一つでは・・・。職がない、職があっても臨時的、あるいは過酷労働・・・。原稿締切の素材が身近にありそうで、目をそむけてはならないことです。
 明日は、遅ればせながら、原発と人権のシンポジウムの二日目に参加しようと思っています。(4/7)<11095>


◇ 今日は、ふくしま復興支援フォーラムの第9回目。親友・同期生の境野さんに、原発と学校・教育にかかわって報告してもらった。37名の参加と多くの皆さんが参加し、活発な議論をしていただいた。
 終了後、世話役などで会食し、そこに昔の同僚・神戸さん夫妻も参加して、楽しい話し合い。
 帰宅は11時半だが、明日の早朝・5時半発のバス旅行のために、まずは休むとします。(4/6)<11076>


◇ 天気もよく、市内の雑用ドライブ。
 先日開催し議長を務めた、福島県国際交流協会の評議員会の議事録の署名。自分のオフィスにもってきて、確認したいというが、自宅は事務所の様相ではないので、こちらから行くことにした。署名捺印は、すぐに終わるが、しばし雑談。といっても行政機関での女性登用の実情の話。なかなか進まないように見えるが、どこが問題なのだろうか。
 健康保険は、共済組合から協会けんぽに2年前に移行したが、さらに今度の退職でそれも終了。任意更新(2年)をしてもらうことにして、その自動引き去りの届けを銀行に依頼(使用者負担部分がなくなるので、ほぼ2倍の保険料になる。)。けんぽ支部に行って、この手続きは終了。どうするかなと逡巡していたが、高齢社会のこと、かなり手馴れたものである。保険料が高くなるので、せっせと利用する(病院にいく=病気になる)のもおかしな話。
 書店に寄って、いままで大学生協から購入していた定期購読誌を申し込み。割引にはならないが、早めの入手を優先。こうしたことを一つ一つ進めて、地域の人と同じ生活に近づいていくのかと思う。これも楽しからずや。
 午後は、自宅で一人、明日の「ふくしま復興支援フォーラム」の資料づくりと次々回の折衝。やはり、傍に印刷機がないと不便。同じ事務担当の中井先生にメールで頼んで印刷をお願いする。時間的余裕がないので、ハラハラ。印刷物の受け取りでやり取りしたが、自宅まで届けてくれるというから申し訳ない。まあ、何とかなるかな。
 どうやら地域での生活が開始しつつある。ただ、研究室の机の前にいるときは、滅多に戸外を見ることにないため天候の変化に関心をもたなかったが、自宅ではそんな専心は不可能である。晴れていたと思っていたら、外は小雨。何時の間に変わったのだろう。地域で生活することは、自然の変化に敏感にさせるのだろう。考えようによっては、非人間的生活から人間的・自然的生活への回帰かもしれない。まあ、まだ「若葉マーク」だが。(4/5)<11051>


◇ 今日は終日、自宅にいました。強風で外に出る意気も消沈してしまいました。4月なのに小雪まで混じっています。福島大学の入学式は、1時間繰り下げ。ツイッターで宣伝しておきました。現場の教職員のご苦労が推察されます。
 午後6時のNHK全国ニュースで、福島大学の入学式が取り上げらていました。「はまなかあいづ」でも。教師になる夢、地方公務員になって福島の復興を語る新入生。若い人の覚悟を知らされます。さすが福島大学といいたいところです。
 私はといえば、昨日、研究室から運んできたお茶の道具など台所用品の運び込み。今度は、自分の部屋の掃除。ここでも捨てるものの選択中心。パソコンは無線ランのソフトが見つからないため、こたつ上のノート(VAIO)が、もっぱら通信専用。しかし、だんだん、研究環境が研究室に近づいてきているような気もします(20分の1程度ですが)。
 16日締め切りの原稿に手掛けはじめていますが、こんな横着なやり方で、間に合うのでしょうか?やるしかありません。市民生活の復興に向けての雇用問題、その法律問題なのですが、これだと確信が出てこない。やはり現場をあまり歩いていないからでしょう。
 東北初の優勝旗を期待して選抜高校野球のテレビ観戦。実力伯仲。残念だが、仕方がありません。惜しいけど。
 こんな一日でした。「三食昼寝付」という声も聞こえますが、まあ焦らないで・・・。(4/4)<11029>


◇ 今日は、研究室清掃最終日。主には、お茶の道具などの整理。
 単に研究室の清掃だけでなく、いろいろ用事が出てくる。職員証やコピーカードを返却。今後、図書館利用のためのFカードの申請。協会けんぽも終了、2年間の任意継続でお願いするが、使用者負担分も払うので保険料は2倍になる。被用者保険の使用者負担がいかに被保険者に有利なのか、当たり前のことだが痛感。国保と健保の最大の相違は、使用者負担だと講義では話しているのだが・・。
 最後に多くの事務職員にも会うことができた。H先生が花を持ってきてくれた。これで最後かなと思いつつ、20数年使った研究室に鍵をかけ、鍵を返却。当然、明日からは来ない。
 嵐のような風、風雨強かるべし。高校野球の決勝戦は順延となった。
 福島復興支援フォーラムの準備を、自宅で行っているが、これからはこんな調子かな?物珍しいが、慣れるでしょう。それよりも、法律雑誌の原稿締切、講義(非常勤)の開始等、当面のことで頑張ろう。
 卒業生の金子さんが、私のホームページを素敵に改善する提案をしてくれると、Facebokで呼びかけてくれた。私の技量で可能か、少し心配だが、うれしい提案。ありがたい。(4/3)<11011>


◇ 研究室清掃も最終盤。午前中、頑張りました。
 午後、妻の仕事の関係で、いったん自宅に戻りました。ついつい選抜高校野球の観戦。いやー、青森県・光星学院が、強豪・関東一高を破り、決勝戦進出です。あす、大阪桐蔭に勝てば優勝ですが、難しいかな?東北地方は、高校野球の優勝経験がないので、なんとか勝ってほしい。復興促進のためにも(?)。まあ、東北地方の高校の準優勝は何度か経験したが、最後に勝てない・・・。またかな、という思いと、今度はあるいは、という思いが交錯する。
 早めの夕食の後、大学へ。書籍というよりも、パソコン関係の始末。なかなか新しいものを買ったからといって、以前のを捨てていないので、どんどん増える。
 10時半頃、ひとまず終了。明日は、事務的なチェックを受ければ、晴れて明け渡しが完了する。何もなくなった研究室は、ガランとして見違える。明日からは、新たな生活が待っている。楽しみでもある。(4/2)<10975>


◇ 2012年度が開始しました。昨日で福島大学の職員(特任教授)の身分を失いましたが、問題の研究室の撤退がもう少しで、気分は3月32日の気分です。急ぎましょう。
 日曜日、長女一家が三人の孫を引き連れて、夫君の車で大学の研究室に来てくれました。
 小中学生の頃だったか、娘たちが研究室に遊びに来てくれて、日常とは異なる探検隊のような気分だったのでしょうか。父親の職場見学のようなものです。
 彼女らにとってみると、何か父親の隠れ家のような気だったのでしょう。研究室はこんなに小さかったかなと感想を述べていましたが、子ども時代の目から見ると大きく映っていたのでしょうか。彼女らが、父親の仕事を理解しようとしてくれたことに感謝です。
 ちびっこ孫たちの興奮の中で、過去を思い出すこともありませんでしたが、娘は娘なりに、20年以上もの父親の隠れ家を確認しておきたかったのでしょうか。また父親と娘たちの共有する思い出でもあります。
 孫一家が到着する正午過ぎまでに、車への書籍の積み込みも終え、廃棄するパソコン関係を廊下に出して、終了に近い形になりました。孫娘たちの研究室探検を終え、昼食は大学生協食堂へ。新入生の準備でしょうか、日曜日にも関わらず賑わっていました。1歳・3歳・5歳というちびっ子が生協食堂でも張り切っています。
 自宅に寄り、一緒に穴原温泉の日帰り入浴に浸かって、帰ってゆきました。当直明けのお父さん、お疲れ様でした。
 過去の終結点が延びていますが、あとは時間の問題。私も後ろ髪(余りありませんが)を引かれる思いではなく、新たな歩みを始めることにしましょう。そのことが、私を優しくかくまってくれた研究室に対する恩返しでしょう。また、私を助けてくれた友人や同僚、そして家族に対する恩返しでしょう。(4/1)<10939>

 



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