50億ドルの遺産
[紹介]
インドネシアから独立した小さな島国スマリ。この小島に、ベトナム戦争で使われた50億ドル相当の兵器が隠されているという。スマリ国元首のジョワンは、この隠匿兵器をタネに国際金融機関から国土開発の資金を得ることに成功した……。
一方、放浪の末にたまたまスマリを訪れていた若者・中尾英輔は、殺人事件を目撃したことから、否応なしに国家規模の陰謀に巻き込まれて、女子学生・美川祐子らとともに、隠匿兵器の埋蔵地へと向かうことになったが……。
[感想]
東南アジアの小島を舞台にした冒険小説ですが、陰謀の(ある程度の)真相が比較的早い段階で明らかにされているところに、ややもったいなさを感じます。また、国家規模の陰謀を、これほど簡単に明かしてしまうものか、という疑問も禁じ得ません。しかし、その後の展開はまさに冒険小説の醍醐味を感じさせてくれます。ラストの評価が難しいところですが、よくできた作品だといえるでしょう。
チョウたちの時間
[紹介]
ある夏の日、少年は図書館で、長い髪の美しい少女と出会い、一匹のチョウを手渡された……。だが、その美しい夏の思い出の背後には、人類の命運がかかった、〈時間〉をめぐる壮絶な戦いが隠されていた……。その鍵を握るのは、1930年代のヨーロッパを放浪する原子物理学者マヨラナ。吹き荒れるファシズムの嵐から逃れようとする彼は、どこへたどり着き、何を目にするのか。
[感想]
この作品はタイムトラベルものではなく、“時間”そのものをストレートに扱ったSFです。ここでの“時間”は、ただ過ぎてゆくだけの、つかみどころのないものではありません。時間粒子で満たされた“純粋時間”の青い世界のイメージは鮮烈です。そして、そこで戦う者たちの姿も、鮮やかに描かれています。作中でも触れられているように、人間にとっては“時間”を空間のように把握することは困難ですが、この作品ではその“時間”が確固とした存在として描かれているのです。
原子物理学者ボーアとハイゼンベルクの会談、ブラックホール生命体、“結晶時間都市”、“神殿”など、テーマを彩るモチーフも魅力的です。そしてすべてを象徴するチョウ。ハードなテーマであるにもかかわらず、わかりやすいイメージ、そして叙情性までも兼ね備えた傑作です。
竜の眠る浜辺
[紹介]
湘南の小さな町・百合ヶ浜。何もかもが停滞した平穏で退屈なこの町を、夏のある日、突然の変事が襲った。町全体が奇妙な霧に包まれ、外部との連絡が不能になったのだ。さらに雑木林には古代のシダが生え、空にはテラノドンが舞い、ティラノサウルスまでが闊歩していた。町全体が白亜紀にタイムスリップしてしまったのか? 大混乱の中、住民たちは事態に対応すべく奮戦するが……。
[感想]
異常事態に放り込まれた小さな町と、そこから立ち上がろうとする人々の姿を、ユーモラスな筆致で描き出した作品。SF的な設定ではありますが、どちらかといえば冒険小説に近い雰囲気です。
この作品の最大の見所は、やり手の父に支配された無気力な直巳、孤独なタバコ屋のシズ婆さん、そして変わり者で怠け者の文筆家・田代など、“さえない町”・百合ヶ浜を象徴するかのような“さえない人々”が、異常事態を糧として気力を取り戻し、あるいは自分を見いだしていく過程にあります。異常事態によって挫折を余儀なくされた直巳の父・直吉でさえも、最終的に何かを取り戻すことになります。百合ヶ浜の人々にとって、この異常事態は新たな一歩を踏み出すための予期せぬチャンスであり、その意味でこの物語は一種のビルドゥングス・ロマンであるともいえるでしょう。
宝石泥棒
[紹介]
魚が空を飛ぶジャングル、巨大な蝗が跋扈する草原、火を吹くサラマンドラが棲む砂漠――神が人々を厳しく律する世界で、〈甲虫の戦士〉ジローはいとこに恋するというタブーを犯してしまった。かつて夜空にかかっていた、失われた宝石〈月〉を取り戻すことができれば望みがかなうという神の託宣を受けたジローは、〈狂人{バム}〉チャクラ、牡牛の頭の仮面をかぶった女呪術師ザルアーとともに旅に出る。〈空なる螺旋{フェーン・フェーン}〉へと向かって……。
[感想]
奇怪な生物に満ちあふれ、神と人間が共存するファンタジー風の世界を舞台として、物語は幕を開けます。世界の説明はなされず、ただひたすらに描写されるだけです。しかし、この緻密な描写の積み重ねによって、“世界”の姿がおぼろげにつかめるようになっています。そしてそれを支えるのが、各章の終わりに置かれた注釈です。この注釈は、単なる注釈にとどまらず、中盤以降の“世界”の変容をスムーズにさせるのにも一役買っています。つまり、本文と注釈という二つのレベルを持った、メタフィクション的な構造を持っているとも言えます。
上記のように、中盤以降、当初描かれた“世界”とは相容れない要素が少しずつ姿を現します。すべての謎が解き明かされるわけではありませんが、世界が解体されてゆく醍醐味を味わうことができます。間違いなく山田正紀の最高傑作の一つです。
【関連】 『螺旋の月 宝石泥棒II』
デッド・エンド
[紹介]
数百年の周期で氷づけの寒さから灼熱地獄へと変化する、二重星系惑星アスガルド。自ら滅びを求めるかのように、そこへ移住してきた謎の種族オーディン。絶望の果てにアスガルドへたどり着き、オーディンの研究に最後の情熱を傾ける女流民俗学者ルーだったが、ある日もう一人の地球人と出会う。彼は“裁断者”と名乗り、オーディンが人類を滅ぼそうとしていると告げるのだった……。
[感想]
北欧神話をモチーフにした宇宙SFです。“神々の黄昏”としても知られる、独特の終末神話を採り入れた世界観は魅力的なものです。冒頭から引用してみましょう。
――イーグはこの世が始まるまえの霧のなかに浮かぶ赤子{あかご}のことを語る。(中略)赤子の泣き声を耳にし、その涙を熱い掌{たなごころ}で受けとめたのは時間だったと伝えられている。その涙は最初の素粒子だったと伝えられている。(中略)時間と重力はしだいに疲れはじめている。しかし、宇宙を投げあうのをやめるわけにはいかない。宇宙が静止したときには、赤子が泣きだすにちがいないからだ。そして、こんど赤子が泣きだせば、その泣き声をしずめることができるのは無しかいない。無は宇宙を均質な、冷たいかたまりにかえ、赤子を永遠の眠りにつかせようとするだろう。それが終末{ラグナレクル}である。(中略)だが、イーグは断言する。時間と重力を救ける者の名は螺旋{らせん}でなければならない。なぜなら、螺旋こそ宇宙を統べる究極の力、赤子をはぐくむ母親であるのだから。(文春文庫版6~8頁より)
オーディンの長であるイーグが語る終末神話。それは彼らオーディンだけでなく、宇宙の終末をも予感させるものです。宇宙SFでありながら、このような神話をもとに、民俗学的アプローチからスタートするところが実にユニークです。ルーの助けを借りながら“裁断者”が追求していくオーディンの正体は魅力的です。
そして、もう一つのモチーフが螺旋です。オーディンの世界観の柱となり、宇宙を貫く究極の力の象徴、螺旋。同じく螺旋にとりつかれた作家、夢枕獏の傑作『上弦の月を喰べる獅子』・『月に呼ばれて海より如来る』の先駆的作品といってもいいでしょう。
“終末”と“螺旋”が結び合わされ、途方もないスケールのラスト。文句なしの傑作です。
アフロディーテ
[紹介]
海上に浮かぶ人工都市・〈アフロディーテ〉。それは、建築家・カーン氏が半独立の都市国家を理想として作り上げた楽園だった。十八歳の少年・雄一は、夢を託してアフロディーテに移住し、カーン氏のもとで働いていた。友人の紹介で出会った美少女・アニタに密かな想いを抱きながら……。
だが、五年、十年と時間が経つにつれ、楽園だったはずのアフロディーテは変貌を遂げていく。そして雄一もまた、青春との決別の時を迎える……。
[感想]
この作品は近未来を舞台にした青春小説です。四つの章からなっており、それぞれ十八歳、二十三歳、二十八歳、そして三十二歳の雄一の姿が描かれることで、この間の雄一の変化と、変貌していく人工都市アフロディーテの姿が重ね合わされています。その意味で、この作品は青春小説であると同時に、青春との決別を描いたものであるともいえるでしょう。
ある登場人物の“このアフロディーテという街は男たちの、いえ、男の子たちのおもちゃじゃないのかって、そんな気がしてきたの”
(講談社文庫版183頁より)という台詞にも表れているように、アフロディーテは18歳の雄一にとって単なる新天地ではなく、無限の楽しみを与えてくれるおもちゃ箱です。しかし、やがて青年期を過ぎ、いつかはおもちゃを手放す時期がやってきます。その時、雄一はおもちゃ箱の始末をどうつけるのか。特に青春を過ぎた読者にとっては、感じ入るところが大きいのではないかと思います。
超・博物誌
[紹介]
奇想によって生み出された数々の生命体の、不思議な生態を描いた連作短編集。はるかな未来、数々の職を転々とした後引退し、辺境の惑星に腰を落ち着けて、生き物たちの観察にいそしむアマチュア博物学者、“わたし”がつづった、架空の博物誌。
- 「プラズマイマイ」
- 祭の夜、“わたし”の部屋に飛び込んできたプラズマイマイ。“わたし”はその生態を観察するために、“火の花”畑に赴く……。
- 「ファントムーン」
- 事故で母親を失った幼い少女を連れて、“わたし”は30,000ガウスの磁場の中へ、ファントムーンを観察しに行く。思い出を求めて……。
- 「カタパルトリッパー」
- 超高速で宇宙へ飛び出そうとして燃え尽きてしまう虫、“RUN”を観察していた“わたし”は、同じように“ここよりほかの場所”を求めて旅立った青年を思い出す……。
- 「シエロス」
- “わたし”は古い映画を見ながら、惑星“海の底”のサナトリウムで出会った少女の思い出にふける……。
- 「メロディアスペース」
- 地中3kmの深さから飛び出してくる“イカルス”を観察しながら、“わたし”はかつて宇宙空間で出会った、メロディアスペースと呼ばれる存在に思いをはせる……。
- 「タナトスカラベ」
- タナトスカラベを観察するために、絶壁をザイルで降下していた“わたし”だったが……。
[感想]
博物誌という体裁をとっている以上、当然ながら生き物たちが主役となっています。タイトルになっているもの以外にも、“甲虫{ビートルズ}”、“滅びの星{デザスター}”、“砂生み{サンドロピー}”など、魅力的な生き物が多数登場します。特に、多くの生き物が“宇宙”と何らかのかかわりがあるところが、SFならではのアイデアを感じさせます。
しかし、この作品ではそれにとどまらず、全編の記述者である“わたし”の回想を通じてその人生を追体験できるとともに、世界の姿、背景が少しずつ明らかにされていくという趣向が凝らされています。結果として、小品でありながらも、スケールの大きさが感じられるという、不思議な魅力を持つ作品になっています。
ふしぎの国の犯罪者たち
[紹介と感想]
誰もが職業や本名を明かすことを禁じられている奇妙なバー〈チェシャ・キャット〉――ママと、手伝いの女の子“アリスちゃん”、そして常連客の“兎{うの}さん”、“帽子屋さん”、“眠りくん”は、ふとしたきっかけで現金輸送車を襲撃する計画を立てたことから、犯罪というゲームの魅力に引きずり込まれていったが……。
『贋作ゲーム』にも通じる、“犯罪遊戯”を描いた連作長編です。
この作品の最大の特徴は、『ふしぎの国のアリス』をモチーフに、日常から切り離された空間となっているバー〈チェシャ・キャット〉を舞台としている点でしょう。このため、作品全体に奇妙な非現実感が漂い、登場人物たちもそれが犯罪であることをどこかで認識しながらも、現実から切り離されたゲームとしての魅力にのみ夢中になっていきます。、犯罪のゲーム性がクローズアップされた形になっています。
- 「襲撃」
- 〈チェシャ・キャット〉の常連たちは、ふとしたきっかけで現金輸送車を襲撃することになってしまった。だが、輸送車は装甲車を利用した頑丈なもので、さらにその非常ベルが鳴ってしまうと、警官が駆けつけるまでの時間はわずかに四分しかない。このきびしい状況に対して、奇術を趣味とする“兎さん”が立てた計画は……。
- 計画立案の“兎さん”、メカに強い“眠りくん”、そして荒事もこなす“帽子屋さん”という役割分担で、警察の意表を突いた見事な作戦が展開されます。が、個人的には一カ所だけ引っかかる点があり、ややすっきりしないものが残ります。
- 「誘拐」
- どこにも漏れるはずのない現金輸送車襲撃事件の真相が、凶悪な三人組に知られてしまい、〈チェシャ・キャット〉常連の面々は、政治家の孫の誘拐事件の片棒をかつがされる羽目になってしまった。常連たちは、奇想天外な計画で三人組に逆襲しようとするが……。
- 窮地に追い込まれた常連たちが立てた、想像を超える逆襲計画。よく考え抜かれているとともに、後味もいい、この計画がベストでしょう。
- 「博打」
- かつての友人からうまい話を持ちかけられた“帽子屋さん”。政治家の使いになりすまし、マカオのカジノでイカサマ賭博の金を奪い取ろうというのだ。だが、カジノに乗り込んだ“帽子屋さん”に、次々と危機が訪れる……。
- 逆転、また逆転。そして痛快なラスト。スピーディーな展開が楽しめる作戦です。
- 「逆転」
- “アリスちゃん”がふとした出来心で、アルバイト先の博物館からダイヤモンドを盗んでしまった。〈チェシャ・キャット〉の面々は、盗難未遂に見せかけてダイヤモンドを博物館に戻す計画を立てるが……。
- 何者かにあとをつけられる常連たち。そして“兎さん”の不吉な予感。
“どんなに楽しい遊びにもいつかはかならず終わりが来るものなんだ……”
(文春文庫版195~196頁より)という台詞が非常に印象的です。さて、犯罪ゲームの結末は?
ツングース特命隊
[紹介]
1908年、シベリアの奥地・ツングースで発生した、謎の大爆発。日本軍の謀略家・明石大佐は、かつてロシアに潜入した経験のある元部下・武藤淳平に、大爆発の謎を探るよう命じる。かくして武藤は、陸軍少尉の村井、“抗日義兵軍”に肩入れする銃の名手・伊沢、シベリアに郷愁を抱く用心棒・俊藤、そして謎の軍医・大隈らとともに、“悪魔が飛び交い、竜たちが地上を這いまわる”という〈地獄〉を目指すことになった。怪僧ラスプーチンや妖術師グルジェフの陰謀をかわしながら、爆発地点へとたどり着いた一行の目の前には……。
[感想]
『崑崙遊撃隊』の別バージョンのような、秘境冒険小説です。登場人物たちも微妙にキャラクターや役どころがかぶっているようです(例えば、武藤=藤村、村井=倉田、伊沢=天竜、俊藤=B.W、大隈=森田、といったところでしょうか)。
しかしながら、『崑崙遊撃隊』では伝説の楽園・崑崙を目的としているのに対し、この作品では〈地獄〉を目指している点が最大の違いとしてあげられるでしょう。この〈地獄〉が後半のSF的設定とうまく結びつき、独特の印象を与えています。
大爆発のSF的設定は一見ありがちなようですが、そこにひねりが加えられています。これによって、終章のグルジェフの台詞がより印象的なものとなっています。
孔雀王
[紹介]
女とみまがうような長い睫に、澄んだ瞳――その美貌と裏腹に獰猛なほどの行動力を備え、“孔雀”と呼ばれる男、佐伯鉄夫。暴力団を相手の現金強奪を生業とする彼は、待ちかまえていた男たちの銃撃を受けようとしたその瞬間、はるか未来、三十世紀の世界へとタイムスリップしてしまった。――あらゆるもの、植物や水、鉱物さえもが、自らの意志をもっている不思議な世界。そこでは、生物と無生物が融合し、人間もまた、それぞれの部族が守護神{トーテム}としていただく生物たちの遺伝子を取りこんでいた。孔雀を守護神として選び、ただ一人の部族を作るため、鉄夫は試練に挑むが……。
[感想]
タイムスリップものではありますが、むしろ異世界での冒険がメインで、ヒロイック・ファンタジーのような趣もあります……今のところ。解説によれば三部作となる予定だったようですが、続編は書かれていません。
ファンタジックな世界に異質な主人公(何といっても、冒険の目的が自分の貯めた金を取り戻す、というものですから)を放り込んだユニークな設定、そして最終的には宇宙へ飛び出すことを予感させるストーリーと、面白いものに仕上がりそうだっただけに、残念です。