三人の『馬』 東京が震撼した悪夢の48時間
[紹介]
深夜の東京・中央区に、正体不明の都市ゲリラが潜入し、破壊活動を開始した。その目的はまったく不明ながら、三星電機ビルの爆破に続いて、内幸町にある変電所の爆破、さらに地下街の爆破と、ゲリラたちの活動は迅速で、しかもすさまじい破壊力を持っていた。警察、そして政府は必死の反撃を試みるが、戦闘のプロの前になすすべがなかった。解決の切り札は、自衛隊の治安出動しかないのか……。
[感想]
初刊時の『虚栄の都市』(ノン・ノベル)を改題した作品。東京を襲った悪夢のようなゲリラ活動に対して、知力を尽くして反撃しようとする警察、そして治安出動に持ち込むことを目論んでいる自衛隊。都市ゲリラとの戦いであったはずが、いつしか警視庁警備部課長・鳥居秀と自衛隊第一通信団・浅間三佐の個人的な対決に還元されていくストーリー、さらにそのスピーディな展開は、傑作『謀殺のチェス・ゲーム』を思い起こさせます。
作者の綿密な取材に裏付けられたゲリラの作戦は、非常によくできていますし、警察・政府・自衛隊の対応も非常にリアルに感じられます(余談ですが、この取材は『顔のない神々』などにも生かされているように思えます)。また、事件に巻き込まれたごく普通の人々の姿がしっかりと描かれており、これもまたリアリティを高めるのに一役買っています。ポリティカル・フィクションの傑作といってもいいでしょう。
それにしても、題名が『三人の『馬』』になっているのは、個人的に少々疑問なのですが……。
風の七人
[紹介]
関ヶ原の合戦にも決着がつき、巷には大坂方についた牢人たちがあふれ返っていた。そんな中、当代一の忍びの手練れ“きりの才蔵”は、真田幸村の命を受けた“ましらの佐助”から、カンボジア行きの話を聞かされた。シャム王家に恩を売るため、カンボジアを牛耳る日本人武将、天竜・水竜・地竜の三兄弟を討つというのだ。かくして、妖術使いの七宝坊主、怪力武者の裏切り陣内、豪剣を操る双子の群青・緑青、豊艶な美女さらを加えた総勢七人は、一路カンボジアを目指す……。
[感想]
忍者や兵法者たちの活躍を描いた作品は魅力的なものです。しかしながら、私見では、時代を関ヶ原・大坂の陣の前後に設定すると、どうしてもこれらの合戦を避けて通ることができず、ある種ありきたりなものになりがちであるように感じられますし、徳川家による支配が確立してしまった後では、巨大な標的が存在し得なくなる分、物語のスケールが小さくなってしまうように思えます。
これを回避するために、例えば夢枕獏『大帝の剣』では“天魔”という異質の存在が導入されていますが、この作品では同じような理由で、舞台がカンボジアに設定されているのではないでしょうか。一種の秘境、残されたフロンティアへと舞台を移すことで、登場人物たちが縦横無尽に活躍する余地が生じており、時代伝奇小説であるとともに秘境冒険小説の要素も備えた作品となっています。
さて、その登場人物たちですが、群青・緑青の描写がやや物足りなく感じるものの、いずれ劣らぬ個性的で魅力ある人物ばかりです。自由を愛し、屈託なく忍びの道と決別する才蔵、主の命と友情との板挟みに苦悩する佐助、底が知れない器の大きさを見せる七宝坊主、自由奔放に裏切りを繰り返しながら、実は“裏切り”という性癖に縛られている陣内、そして女が悲しまされる“男の世”を強く憎むさら。七人にとって敵となる天竜まで含めて、印象的な人物が揃っているだけに、戦いに赴く彼らの運命が重く迫ってきます。
痛快でありながら、もの悲しさを感じさせる作品です。
最後の敵 《モンスターのM・ミュータントのM》
[紹介]
遺伝子工学を専攻する大学院生・森久保与夫は、原因不明の性的不能に悩み、精神分析医・鳥谷部麻子の治療を求めた。しかし、催眠療法を受けた与夫は“進化”を夢見ていたのだ……。そして、大木うるわしと名乗る女性ジャーナリストのインタビューを受けた翌日、与夫は研究室の教授に呼び出され、教授と醍醐銀と名乗る美青年から、反・遺伝子工学団体〈カローン〉に研究内容を漏らしたと非難されてしまった。これをきっかけに、与夫にとっての“現実”が姿を変えていく……。
[感想]
第3回日本SF大賞に輝いた傑作。
山田正紀はアイデアに優れるだけでなく、それを表現する能力に長けた作家であると思いますが、この作品ではその能力が最大限に発揮されているといえるでしょう。主人公である与夫の戦いは非常に表現が難しい性質のものですが、アナロジーを駆使し、また重層的に描くことによって、この難題がクリアされています。特に、“レベルBの現象閾世界”という設定が、前述の重層的な描写を可能にし、かつ“現実”の変容をスムーズにする機構として、非常に有効に機能しています。
さて、この作品のテーマは進化ですが、単に進化の秘密を探るといった生やさしいものにとどまらず、物語は予想もつかない展開をみせます。奇想にもとづいたスリリングな物語、そして奔放に描き出されたイマジネーションあふれる世界。突拍子もないともいえますが、前述のような独特の表現力もあり、いつの間にか納得させられてしまう迫力に満ちています。山田正紀の代表作の一つとして、欠かすことのできない作品です。
裏切りの果実
[紹介]
本土復帰を目前に控えた沖縄では、日本円への通貨切り替えのため、多額の現金が準備されていた。到着した現金は、ほぼ10億円ずつ輸送トラックに積み込まれ、島内各地へと輸送されていたのだ。本土からやってきた青年・志郎は、地元の小悪党・伊波名らと組んで、輸送トラックの強奪を計画するが、内心では10億円の独占を狙っていた。そして、それぞれの思惑が交錯する中、ついに決行の日がやってきた……。
[感想]
輸送トラック強奪計画自体は比較的大ざっぱなものですが、お互いに裏切りを秘めた登場人物同士の心理戦が見所です。誰一人として信用できない状況で、主人公が立てた裏切りの計画。表向きは手を組んでいながら、主人公に一杯食わせようとする仲間たち。この緊張感が何ともいえません。特に山田正紀の作風からして、どのような結末であってもおかしくないのですから。
沖縄返還直前という状況がうまく生かされた、山田正紀らしい犯罪小説の傑作です。
なお、本書はnakachuさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。
2000.10.10再読了宿命の女
[紹介]
第二次大戦中、その美貌と天才を謳われながら、“ヒトラーの愛人”として歴史から抹殺された“呪われた建築家”ジネット・マリス。彼女の自画像“宿命の女”を入手し、展覧会を企画していた伊原は、多額の借金のため暴力金融に追われ、忽然と姿を消してしまい、さらに当の金融業の男までもが殺害されてしまった。伊原は、自画像とは別の“宿命の女”の秘密を追って、政財界に隠然たる勢力を誇る老人・簑島に揺さぶりをかけようとしていたらしい。ベトナムの密林で目撃された“宿命の女”とは、一体何なのか? やがてジネット・マリスの影が姿を現す……。
[感想]
山田正紀にしては珍しく、ゆっくりとした展開をみせる作品で、殺人事件なども起こるものの、物語は淡々と進んでいきます。何気ない日常から出発して、主人公少しずつ大がかりな謀略に巻き込まれていく展開はうまいとは思いますが、どうしても地味な印象を禁じ得ません。また、“宿命の女”の正体にもやや物足りなさを感じてしまいます。ジネット・マリスがそれに込めた意味、その皮肉な真相は秀逸ですが、描写がやや不足気味なのか、登場人物たちが納得している反面、読む側としては置いてきぼりにされているような感じもあります。もともと描写が困難なものであるとは思いますが、山田正紀ならば、という期待がある分、若干残念に感じてしまいました。
闇の太守
[紹介]
時は戦国。現世の影にひそむもう一つの国、〈根の国〉。この根の国を束ねる〈闇の太守〉と目される若者、贄{にえ}塔九郎は、明智光秀の命を受けた伊賀の幻阿弥によって牢から救い出され、自らの宿星を求めて出雲石上宮へとたどり着いた。中に踏み込んでいく塔九郎たちを待ちうけるものは……。そして夢使いの女・馬酔木に導かれて襲いくる、鹿島神宮の託宣を受けた兵法者との戦いの果ては……(出雲人外宮)。
かえりぐも城に住む内島一族によって治められ、戦乱の世に泰平を誇る飛騨国白川郷。だがこの桃源郷にも、各国からの間者が忍びこんできていた。塔九郎は幻阿弥とともに、領主・内島雅氏の暗殺に手を貸すことになったが……(飛騨桃源郷)。
北陸は氷見。潟の浜辺で塔九郎が出会った男は、「わが顔をとられた」と悲痛な叫び声を上げていた。男に慈悲の一撃を与えた塔九郎だったが、途端に強烈な妖気が襲いかかってきた……(氷見痩面堂)。
塔九郎と幻阿弥陀は、甲斐の山奥、さんき忍びの砦へとやってきた。時を同じくして、馬酔木に導かれた質{むかわり}佐馬助も砦に潜入する。ともに目指す敵は、武田の軍師・山本勘助道鬼……(甲州陽炎城)。
[感想]
山田正紀の戦国伝奇ロマン。初刊本の〈著者のことば〉によれば、““剣と魔法の物語”をなんとか日本の戦国時代に移しかえることができないものか”
という動機で書かれたようですが、〈根の国〉にはびこる物怪、いずれ劣らぬ個性的な兵法者たち、さらに暗躍する忍びの者など、独自の世界が見事に構築されており、目標は十分に達成されていると言っていいでしょう。屈託のない少年だった主人公の贄塔九郎が、果てのない戦いと自らの出自に疑問を感じながらも宿星を追い求める青年へと変貌を遂げていく様子も印象に残ります。さらに“八岐の大蛇”伝説も絡め、史実の隙間を縫うように作り上げられた物語。未完である(物語の展開からみて、あと四話書かれる予定だったはずです)ことが残念な傑作です。
なお、後に発表された『闇の太守II~IV』は本書の直接の続編ではなく、越前朝倉家の姫君にして剣士、疾風を主人公とし、そこに贄塔九郎を頭領とする御贄衆がかかわってくるというものです。
【関連】 『闇の太守II~IV』
神獣聖戦シリーズ
以下の四作品は、人類と世界が変貌していく姿を描いた山田正紀流の未来史のシリーズになっています。
生理的な超光速航法“非対称航行{アシンメトリー・フライト}”を実現するために、人間であることをやめて“鏡人=狂人{M・M}”へと変化していく人類。一方、“鏡人=狂人{M・M}”に対抗するかのように出現してきた“悪魔憑き{デモノマニア}”。両者の“千年戦争”を軸として、“非対称航行{アシンメトリー・フライト}”の鍵を握る“脳{ブレイン}”の持ち主・牧村孝二と、その恋人・関口真理、さらには“非対称航行{アシンメトリー・フライト}”の影響を受けて誕生した“幻想生命体”までもが絡んだ、スケールの大きな世界が描かれています。
連作集三冊と長編二冊という構成が予告されながらも、最後の長編『舞踏会の夜』は発表されず、長らく未完のままでしたが、2008年10月に追加エピソードを加えた“完全版”として『神獣聖戦 Perfect Edition』が刊行されました。
神獣聖戦I 幻想の誕生
[紹介と感想]
シリーズの冒頭を飾るこの作品集には、主に鏡人=狂人{M・M}側に力点を置いた「交差点の恋人」、変貌していく地球を舞台とした「怪物の消えた海」、幻想生命体の誕生を描いた「幻想の誕生」、そして悪魔憑き{デモノマニア}の視点で“千年戦争”の発端を描いた「ころがせ、樽」が収録されており、バランスのとれたラインナップです。
- 「交差点の恋人」
- “脳”の分泌する航宙刺激ホルモン{FISH}によって背面世界を航行していた宇宙船〈前頭葉号〉が、突然消滅してしまった。“鏡人=狂人{M・M}”を統べる“大いなる疲労の告知者”たちは、異常を来した“脳”を調べるため、電気信号に変換された関口真理を“脳”に送り込む……。
- ホルモンの分泌による生理的な超光速航法という設定や、航宙刺激ホルモン{FISH}=魚{FISH}の幻影、“大いなる疲労の告知者”と“蜘蛛”など、徹頭徹尾イメージを刺激される場面ばかりです。また、真理が“脳”に潜っていく場面、脳内の神経細胞や物質などが擬人化・具現化された描写は魅力的なものです。そしてその奥に隠されたものの正体は……。
短い中、シリーズ全体の設定が要領よく表現されています。
- 「怪物の消えた海」
- “非対称航行{アシンメトリー・フライト}”によって発生する重力の影響を受けて、自転速度が極端に遅くなり、“永遠の正午”を迎えた地球。人類の大部分は“鏡人=狂人{M・M}”となる処置を受けて旅立ち、残された者たちは、衰弱した世界で虚無感を抱えていた。そしてエーゲ海には、巨大な牡牛が……。
- ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』にも通じる、けだるい停滞感が全体を支配しています(やはりこのような世界には、夜ではなく正午(午後)が似合うのでしょうか)。“異変”とそれに続く人類の自我の虚無化という状況は、『地球・精神分析記録』とも共通していますが、この作品では人類の虚無化と反比例するかのように、強烈な幻想が描かれています。しかもそれが脈絡のないものではなく、一貫した意図を感じさせるものとなっており、これが物語を引っ張る役割を果たしています。
- 「幻想の誕生」
- 瀬戸内海の小島、海辺の水たまり。そこでは、長い時間をかけて誕生の準備が進められていた。やがて、“非対称航行{アシンメトリー・フライト}”によって発生する重力を糧としてエネルギー代謝が行われるようになり、そして今、最後の引き金が……。
- 海辺の水たまりから幻想生命体が誕生する過程が克明に描かれています。非対称航行{アシンメトリー・フライト}の影響を受けて、水たまりで発生する生命というアイデアが魅力的です。また、非対称航行{アシンメトリー・フライト}が開始された直後、地球が幻想に浸食されていく初期の様子が描かれているのも重要です。
- 「ころがせ、樽」
- 月都市では、悪魔憑き{デモノマニア}病質者が増加していた。その一人であるDは、“悪魔審問会”の管理を離れ、“樽{バレル}”へと向かう。そこは、見捨てられた“非対称航行{アシンメトリー・フライト}”の発着基地だった……。
- “鏡人=狂人{M・M}”と対立する存在である“悪魔憑き{デモノマニア}”の正体が詳しく説明されるとともに、重要な登場人物であるDが初登場する作品です。また、何人かでパーティーを組んで任務を遂行するという、山田正紀お得意のゲーム的要素が色濃く表れています(この要素は「円空大奔走」、「硫黄の底」、「落日の恋人」、「鯨夢! 鯨夢!」、そして『魔術師』に受け継がれています)。
神獣聖戦II 時間牢に繋がれて
[紹介と感想]
この作品集には、真理と孝二の出会いを描いた恋愛ロマン風の「渚の恋人」、江戸時代の蝦夷地を舞台とした歴史小説風の「円空大奔走」、中立地帯で起きた事件を描いたミステリ風の「時間牢に繋がれて」、現代を舞台に軽いタッチで描かれた「鶫(つぐみ)」、そして山田正紀流の『神曲』ともいえる「硫黄の底」が収録されており、バラエティに富んでいます。
- 「渚の恋人」
- 庭園で出会った真理と孝二は恋に落ちた。だが孝二は、その特殊な能力を見抜いたS-企業に囚われている身だった。そして、恋する真理は大胆にも、孝二の救出をたくらむが……。
- 真理と孝二の出会いを描いた作品。S-企業社長秘書の勢子規子や、ソ連のスパイと思われるレフ・アルバキンなど、重要な人物が登場しています。孝二が地上に作り出した“赤い荒野”が印象的です。
- 「円空大奔走」
- 江戸時代、木仏を彫りながら蝦夷地をさすらう僧、円空は、“まりも”という名の不思議な女性と出会う。彼女は、空中に曼陀羅を描き出すことができるという評判だった……。
- 千年戦争の影響が、はるか過去にも飛び火しています。そして、時空をさまよう千年戦争の観察者。その孤独と哀しみが印象的です。また、虚空間で行われている戦闘の一端をかいま見ることができます。
- 「時間牢に繋がれて」
- 幻想に覆いつくされ、時間の流れさえも異なる“永遠の三角形{エターナル・トライアングル}”。“千年戦争”の中立地帯であるこの場所で、悪魔憑き{デモノマニア}の大使、ローズマリーが殺されるという事件が発生した。現想者の“あい”とともに中立機関から派遣された、時間剥製者の“おれ”は、幻想薔薇園でローズマリーに尋ねる。「あなたはどうして殺されたのですか」と……。
- 鏡人=狂人{M・M}、悪魔憑き{デモノマニア}双方の大使が駐留する中立地帯という設定、そして“現想者”、“時間剥製者”、“観淫者{ヴォワユール}”などのアイデアが秀逸です。そして、現実と幻想の境界が消滅した、この上なく美しい風景は、鮮烈な印象を与えてくれます。
- 「鶫(つぐみ)」
- いつもの私鉄に乗り込んだ“ぼく”は、いつの間にか、森の中にある見知らぬ駅に降り立っていた。〈鶫〉という名のその駅で、何気なく鶫の写真を撮った“ぼく”は、とんでもない騒ぎに巻き込まれる……。
- シリーズ中、SF的要素が最も少ない作品。幻想的な「時間牢に繋がれて」の直後にあるせいか、余計に影が薄く、また軽く感じられます。レフ・アルバキンや牧村孝二が登場してはいますが……。
- 「硫黄の底」
- 自殺しようと火山の噴火口に飛び込んだ“翼”は、いつの間にか自分が戦場にいることに気づいた。“翼”、“女子大生”、そして“作家”の三人は、悪魔憑き{デモノマニア}、Dによって呼び集められたのだ。“地獄めぐり”をするために……。
- 鏡人=狂人{M・M}の背後にいる存在として、あまり描かれることのなかった“大いなる疲労の告知者”に、初めて焦点が当てられています。シリーズが変貌する予兆がここに表れているともいえるでしょう。そして最後の一行は、短いながらも圧倒的な迫力を持っています。
神獣聖戦III 鯨夢! 鯨夢!
[紹介と感想]
この作品集には、孝二奪還作戦に挑むアルバキンの姿を描いた「落日の恋人」、はるか未来、大戦の最前線にある基地を舞台にした「蝗身(いなご)重く横たわる」、反世界・反人間が広がっていく様子を描いた「鯨夢! 鯨夢!」、そして問題作「神獣聖戦13」が収録されています。すべての作品が人類を中心に描かれた、ある意味で異色の作品集です。
- 「落日の恋人」
- 上層部の都合でお払い箱になってしまった元ソ連のスパイ、レフ・アルバキンは、関口真理、そして勢子規子と共同して、牧村孝二を奪還するために丹沢の基地に潜入する。だが、そこには異世界が構築されていた……。
- 「恋人」シリーズの最終作。本書ではこの作品が唯一、前作までの世界とのつながりを色濃く残しています。“スーパー・キャット”ニーチェが大活躍。ラストに一カ所、とってつけたような部分があるのが気になります。
- 「蝗身(いなご)重く横たわる」
- プロメテウス星系の惑星シジフォス。そこには、人類最後の切り札として、タオの原理、八卦によって作動する超レーダー“八頭”が設置されていた……。中立機関から派遣された時間剥製者“くろの”は、悪魔憑き{デモノマニア}の攻撃から逃れてようやく基地へとたどり着いたが、“八頭”は「ここに“敵”がいる」という託宣を下した……。
- “観淫者{ヴォワユール}”や“時間剥製者”が登場するなど、一部の設定は「時間牢に繋がれて」と共通していますが、印象はかなり違います。中立機関さえも姿を変え、“千年戦争”に巻き込まれた人類の無力感が漂っています。
なお、このエピソードは『神獣聖戦 Perfect Edition』に収録されていません。
- 「鯨夢! 鯨夢!」
- “鶫”研究所の突然の消滅に続いて、付近一帯に広がっていく“湘南症候群{ショウナン・シンドローム}”。“反人間”・“反世界”の存在を感じ取る謎の病気を調査するために、人体生理学者の宮原、加西、木島らは“鶫”へと向かった。だが、私鉄が問題の地域へと近づくにつれて、世界はその姿を変えてゆき……。
- この作品には、鏡人=狂人{M・M}も悪魔憑き{デモノマニア}もほとんど登場していません。代わりに、“大いなる疲労の告知者”が直接姿を現しています。つまり、“鏡人=狂人{M・M}”vs“悪魔憑き{デモノマニア}”ではなく、“人類”vs“大いなる疲労の告知者”という図式に変化しています。この図式はほぼストレートに『魔術師』に受け継がれるとともに、やや違った形で「神獣聖戦13」にもつながっているといえるでしょう。
- 「神獣聖戦13」
- 精神を病み、病室に閉じこもる“わたし”。時おり病室を訪れる“彼”は、鏡人=狂人{M・M}と呼ばれる存在と、悪魔憑き{デモノマニア}と呼ばれる存在との、人類を超越したふしぎな物語、“神獣聖戦”の物語を語ってくれるのだった……。
- この作品は問題です。物語の積み重ねによって構築されてきた“神獣聖戦”の世界が、メタフィクション化されることで突然リアリティを失い、未来史が崩壊してしまっています。“現実”と“虚構(反現実?)”が交錯するこの結末は、ある意味でこのシリーズにふさわしいのかもしれませんが。
このエピソードも『神獣聖戦 Perfect Edition』に収録されていません。
なお、本書はkashibaさん(「猟奇の鉄人」)よりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。
2000.06.01再読了 (ミステリ&SF感想vol.7より移動)魔術師
[紹介]
沖縄近海に墜落した、所属不明のB52爆撃機。そこで発見された謎の巨人の死体を処理するために、米軍脱走兵の水島ら四人が米軍嘉手納基地に集められた。だが、死んでいたはずの巨人が突如蘇生し、悪夢が始まる。四人は、その瞬間に目にした絶望的な未来から逃れるため、巨人とともにB52爆撃機で幻生代の月へと向かう。“大いなる疲労の告知者”を倒すために……。
……という物語『魔術師』を執筆中だったSF作家は、突然の停電によってワープロの原稿を失ってしまう。作家は失われた物語を懸命に復元しようとするが、プリンタから打ち出される物語は姿を変えていた……。
[感想]
この作品は、ロールプレイングゲーム仕立て、さらにメタフィクションという、複雑な構成をとっています。さらに物語の中には、リアルな幻想が次々と登場します。重層的というよりも、内と外の区別が不能になっていく、異様な世界が展開されています。その意味で、この作品は完全に“未来史”から離れており、悪夢こそが主題となっています。
プロット自体は「硫黄の底」+「鯨夢! 鯨夢!」といった感じで、ついに“大いなる疲労の告知者”の“正体”が明らかにされているようにも思えますが……どうなのでしょうか。