篠婆 骨の街の殺人
[紹介]
正体不明の名陶・篠婆陶杭打焼が伝わる小さな街・篠婆{ささば}。ミステリ作家志望の鹿頭勇作は、ここを舞台にトラベルミステリを書こうとローカル線に乗り込んだ。ところが勇作が眠り込んでいるうちに、同じ車内の唯一の乗客が殺されていたのだ。走行中の車内からは出入り不可能にもかかわらず……。
これを皮切りに、篠婆で相次いで発生する怪事件。篠婆陶杭焼に隠された秘密が謎を解く鍵なのか? そしてついに、新しく作られた窯が炎上し、その中から人骨が発見された……。
[感想]
山田正紀流“トラベルミステリ”です。とはいえ、冒頭に時刻表こそ提示されているものの、幻想に包まれた不可能性の高い事件、どこかが壊れたような登場人物たち、そしてカタルシスではない何かを感じさせる結末と、中身はやはり山田正紀ミステリの独特の雰囲気が満ちあふれています。特に、事件を包み込む幻想については、“世界全体を構築する”というSFを長年書いてきたこともあってか、舞台となる“骨の街”からしっかりと作り上げられているため、物語の中で浮き上がってしまうこともなく有効に機能しているように感じられます。
なお、この作品単体で事件は一応決着していますが、“血の街”、“目の街”、“息の街”、“夢の街”とあわせて全五作のシリーズとなるようで、未解決の謎もいくつか残されています。次作の早い刊行が待たれるところです(→残念ながら中断されています)。
シリーズ全体を貫く(であろう)重要なモチーフは「オズの魔法使い」。かつて『戦艦奪還指令OZ』でも使われていますが、このシリーズでは“臆病なライオン”鹿頭勇作を始めとする登場人物たちが、姿を消した“魔法使い”を探し求めて旅をすることになるのでしょうか。
日曜日には鼠{ラット}を殺せ
[紹介]
統首{ファーザー}を頂点とする最新鋭の恐怖政治国家では、数多くの政治犯が監獄に囚われていた。だが統首の誕生日である今日、八人の囚人が選び出され、命がけの脱出に挑むことになった。誕生パーティが行われている一時間の間に、監獄のある“恐怖城”を脱出することができた者には特赦が下されるのだ。元公安刑事、テロリスト、主婦、ニュースキャスターなど八人の男女が今、鼠のように追いつめられていく……。
[感想]
長編というよりは中編の長さなので仕方ないのかもしれませんが、やはり物足りなく感じられます。物語は時おり背景などの説明を交えながら、ほぼ全編が“恐怖城”からの脱出劇にあてられていて、一応のストーリーの決着はあるものの、全体が長いプロローグのような印象も受けます。
ラットの行動解析になぞらえた脱出防止システムは面白いと思いますし、その裏をかく手段もまたユニークです。ちょっとしたトリックめいたものも仕掛けられていて、個々の要素は比較的よくできていると思います。しかし、それを組み合わせた解決がやや安易に感じられてしまいます。ちょうど『ナース』と同じような印象の作品です。
サブウェイ
[紹介]
地下鉄を舞台に、ひそかに広まる都市伝説。それは、“地下鉄ではいつも死んだ人間がさまよっている”というものだった。特にどこよりも深いところにある永田町駅では、“死んだ人間に会うことができる”というのだ。かくして、今日も永田町駅には死者との再会を望む人々が集まり、死者の面影を求めてさまよい続ける。そして、ついに死者が姿を現す時……。
[感想]
『デッドソルジャーズ・ライヴ』と同じく“死”をテーマとした作品ですが、『デッドソルジャーズ・ライヴ』では“生命現象としての死”が徹底的に描かれていたのに対し、この作品はより社会的な側面(といったらいいでしょうか)である“生者と死者の関係”、すなわち、身近な人間の死に遭遇した人々の心情と行動に焦点が当てられています。
登場人物たちが死者との再会を求めるそれぞれの理由は、いずれも重く、切実なものです。そんな彼らの前に死者たちが姿を現す時、生者の世界と死者の世界が微妙に重なり合いながらも、同時に“生”と“死”の間に厳然と横たわる境界が浮き彫りにされています。
“エンターテインメント”という言葉はそぐわないかもしれませんが、短いながらもよくできた作品であると思います。
僧正の積木唄 The Bishop Murder Case, Again
[紹介]
あの“僧正殺人事件”がファイロ・ヴァンスによって解決されてから数年後。凄惨な事件の現場となった邸を久々に訪れた関係者が殺害されてしまった。現場にはなぜかアインシュタインの数式が残され、さらに郵便受けにはかつての事件と同じように、〈マザーグース〉の“積木唄”と“僧正”の署名を記した紙片が……。
おりしも全米中に反日感情が渦巻く中、捜査当局は被害者の給仕人として働いていた日系人を容疑者として逮捕した。容疑者を窮地から救い出し、日系人社会を守るため、久保銀造は米国滞在中の金田一耕助を呼び寄せるが……。
[感想]
S.S.ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』の後日談にして、横溝正史の金田一耕助が事件の謎を解くという意欲作です(ぼかして書いてはあるものの、当然ながら内容に『僧正殺人事件』の解決と関連する部分がありますので、『僧正殺人事件』を未読の方はご注意下さい)。とはいえ、“ファイロ・ヴァンスと金田一耕助の推理合戦”ではなく、ヴァンスの出番はほとんどありません(ちょっとかわいそうな感じもしますが)。
このように二大作家の要素を導入しながらも、できあがった作品はやはり“山田正紀テイスト”としか表現のしようがありません。第二次大戦間近という時代によく合致した、非常に重いテーマが作品全体を貫いています。例によって(というべきか)細かいツッコミどころはありますが(例えば、『僧正殺人事件』の解釈などは今ひとつ物足りません)、この重いテーマの前にはどうでもよくなってしまうような、非常に重厚な作品といえるでしょう。
天正マクベス 修道士シャグスペアの華麗なる冒険
[紹介]
戦国時代に修道士として日本を訪れていた、英国の劇作家・シャグスペア。大英図書館には、彼が書き残したとされる『れげんだ・おうれあ』(LEGENDA AUREA)が秘蔵されていた。それは、織田信長の甥・織田信耀を主役とした異様な物語であった……。
- 「颱風{テンペスト}」
- 信長の命により、琵琶湖を舟で渡っていた信耀ら一行は、突然の嵐に巻き込まれて小島に漂着してしまった。そこで一行が出会った老人は信長の弟を名乗り、一行に魔法を見せるという。その言葉通り、老人は衆人環視の湖上の舟から鮮やかに消え失せたのだが……。
- 「夏の夜の夢」
- その異形の男は、隠れ頭巾をかぶって自在に姿を消すことができるという――村の代官となった信耀は、村名主の訴えをきっかけに、男を代官所の石牢に閉じ込めた。だが、信耀の婚礼を翌日に控え、盛大に催された宴の最中に、男は牢の外でくびり殺されていたのだ……。
- 「マクベス」
- 天正十年、夏。天下人・信長のあまりの暴虐ぶりに、信耀の周囲にも不穏な空気が漂い始める。そして今、ついに明智光秀が動いた……!
[感想]
かのシェイクスピアが日本を訪れていたという大胆な発想のもとに、各篇がシェイクスピアの戯曲になぞらえられた異色の歴史伝奇ミステリです。秘蔵されていた偽書という設定は柳広司に通じるところがありますが、本書では主役の織田信耀をはじめ架空の登場人物が多い分、より自由度が高くなっているといえるかもしれません。
探偵役となる信耀は、合理的かつ理性的な精神の持ち主であると同時に、恋に悩み、また殺された嫌われ者の死を悼むという、人間味を備えた魅力的な人物として描かれています。そして、その脇に控えるシャグスペアと猿阿弥のコンビもいい味を出しています。特にシャグスペアは、その独特のしゃべり方のせいか、愛嬌のようなものさえ感じられるところが面白いと思います。それだけに、「幕間」で描かれているシャグスペアの“その後”との落差が、何ともいえない印象を残します。
「颱風{テンペスト}」では衆人環視下での人間消失と不可解な殺人が、また「夏の夜の夢」では密室からの脱出と殺人がそれぞれ扱われていますが、伝奇小説的な部分が前面に出ていることもあり、純粋なミステリとしてはやや物足りないところがあるのは否めません。しかし、時代設定がうまく生かされたものになっているところは見逃すべきではないでしょう。また、「颱風{テンペスト}」が最後の「マクベス」の伏線となっているところはよくできていると思います。
そしてその「マクベス」では、信耀の目から見た“本能寺の変”が描かれています。明智光秀の謀反の裏に隠された陰謀もさることながら、光秀が信長を討とうとしたその動機が非常に秀逸です。
結末はかなりあっけなく感じられますが、それもまた山田正紀らしいというべきかもしれません。可能であれば、同じ時代を描いた『闇の太守II~IV』と読み比べてみるのも一興でしょう。
サイコトパス
[紹介]
〈援交探偵・野添笙子シリーズ〉で売り出した“女子高生作家”・新珠静香。彼女のもとに、連載中の小説の結末を彼女自身よりも先に書いて送りつけてくる男がいた。水頭男という変わった名前を持つその男は、R拘置所に収容されている囚人だった。面会に訪れた静香に、水頭男は“ぼくはバラバラ死体にされてしまった。ぼくの腕や足、頭がどこに行ったのか探してほしい”と奇妙な依頼をするのだが……。
依頼を受けた彼女の前に、やがて姿を現す“サイコトパス”、あるいは“ベラスケス・エンジン”とは、一体何なのか……?
[感想]
作者自身による「後書き」には、“「サイコトパス」はサイコ・スリラーであり、ニューロティックなサスペンスであり、広義な意味でのミステリーであり、アクション小説でもあります”
と書かれています。これは確かにそのとおりなのですが、初期の作品から一貫してフィクションと現実との関わりを追求してきた山田正紀ならではの作品ともいえるでしょう。
本書では、作中作である〈援交探偵・野添笙子シリーズ〉、そして「小説宝石」編集部までも交えたメタフィクション的手法が取り入れられ、フィクションと現実という主題が扱われています(特に、〈援交探偵・野添笙子シリーズ〉を書く“女子高生作家”という設定が非常に効果的です)。が、例えばかの大作『ミステリ・オペラ』と比べると、そのアプローチはまるで逆方向であるように感じられます(ネタバレになりそうなので、ここではこれ以上書きませんが)。
近年、(本格)ミステリを主な活動の分野としてきた山田正紀ですが、ミステリのガジェットを使ってSF的主題を展開するという手法をしばしば採用しています。それでも、それらの作品(例えば『神曲法廷』など)はミステリの枠内にはとどまっていたのですが、本書は明らかにそこから一歩踏み出し、ミステリのガジェットが完全に非ミステリ的主題に奉仕した作品となっています。その意味で、前述の『ミステリ・オペラ』よりもむしろ『エイダ』(SFですが、シャーロック・ホームズが“フランケンシュタイン殺人事件”の謎を解くエピソードが含まれています)などに通じるところがあるように思います。
ミステリとしても、豪快なトリックや逆説的なロジックなど見どころはあるのですが、全体としてはやはり、“作者が楽しんで書いた”(「後書き」より)という言葉の通り、ミステリにこだわることなく書きたいものを書いた山田正紀らしい作品というべきでしょう。
余談ですが、作中作の第一話「『赤後家の殺人』殺人事件」には、ジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)のファンとしてニヤリとさせられました(→カーター・ディクスン『赤後家の殺人』)。
イノセンス After The Long Goodbye
[紹介]
電脳と義体{サイボーグ}という二つの技術の発達により、人々の生活が大きく姿を変えた未来。増加する電脳犯罪やテロに対抗するために設立されたのが公安9課、通称“攻殻機動隊”だった――そのメンバーの一人・バトーは、バセットハウンドのガブ(ガブリエル)とともに暮らしていたのだが、ある夜そのガブが失踪してしまう。懸命にガブの行方を追い求めるバトーは、やがて思わぬ事件に巻き込まれていった……。
[感想]
本書は、漫画「攻殻機動隊」(士郎正宗 作)を原作としたアニメ映画「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(押井守 監督)の続編「イノセンス」(押井守 監督)の前日談にあたる作品です(かなりややこしいですが)。「攻殻機動隊」はよく知らないこともあって、どこまでが山田正紀のオリジナルなのかよくわからないのですが、近未来ハードボイルドというスタイルで展開される物語そのものは、いかにも山田正紀らしく内省的でどこかセンチメンタルなものになっています。
電脳と義体が普及し、人間が機械=人形に限りなく近づいた世界。人間関係は希薄であるがゆえに、より純粋なものになっているように思えます。それが表れているのが、主人公のバトーと、アンドウと名乗る男との出会いであり、その顛末はもの哀しくも美しい余韻を残します。
一方、機械=人形に近づいた人間と対比されているのが犬です。人間の変貌にもかかわらず、変わらぬ愛情を示してくれる犬の存在が、作中でも大きくクローズアップされています。かつて異色の犬SF『宇宙犬ビーグル号の冒険』を発表した山田正紀のこと、そのあたりの描写はお手のものといったところでしょうか。
アニメ映画「イノセンス」の前日談とはいえ、ある程度独立した物語なので、本書を単独で読んでもかまわないと思います。が、やはりアニメ映画「イノセンス」とセットで楽しむのがベストでしょう。
ロシアン・ルーレット
[紹介]
“いい人間だけが助かる。そうでないかぎりバスの乗客はみんな死ぬことになる。そんな人間がいるかしら”
――殺人現場のカラオケ・ボックスに駆けつけた刑事・群生蔚は、被害者・相楽霧子の幽霊に出会い、彼女の後を追ってバスへと乗り込んだ。だが、霧子の幽霊は群生に、そのバスが崖から転落する運命にあることを告げる。はたして乗客の中に、助かるべき“いい人間”はいるのか。群生は乗客たち一人一人の人生を体験することになるが……。
[感想]
ホラーに分類するのが妥当なのかもしれませんが、SFや(ダーク)ファンタジーのようでもあり、時に犯罪小説やサイコサスペンス、さらにはラブストーリーの様相をも呈するという、何とも形容し難い作品です。また、山田正紀の得意とする、短編のような独立性の高いエピソードを積み重ねて長編に仕立て上げるという構成も、特徴的です。
転落したバスを描いたプロローグから、カットバックという形で物語は始まります。まず最初は主人公である群生蔚の物語ですが、初っ端からかなり不安定な描写が続き、殺された相楽霧子の幽霊がいきなり登場してもそのまま普通に物語が進んでいくという状態で、現実と幻想が滑らかにつながり、入り混じった、一種異様な雰囲気です。
その、群生にしか見えないらしい相楽霧子の幽霊は、群生に対して“人間なんかどいつもこいつも生ゴミだよ”
と断言します。この台詞は、初期代表作の一つ『弥勒戦争』の“――人間というやつがどうしようもなく滓なのだ”
という一文を思い起こさせますが、その(少なくとも表面的には)シニカルな人間観が全編を貫く『弥勒戦争』に対して、霧子の言葉を受け入れることができず、乗客たちの中に“いい人間”を求めようとする本書の主人公・群生は、やや甘すぎるといわざるを得ないかもしれません。
しかし、群生がその望みをかける、一見すると善良もしくは平凡な乗客たちは、それぞれのエピソードの中で様々な罪と狂気――「手編み」の冷徹ともいえるエゴイズム、「ジャム」の出口のない絶望と暴発する嫌悪、「バタフライ・デス」の美しくも力なくリアリズムに打ち砕かれる幻想、「ダイ・エット」の妄執とやるせない怒り、「アリバイ」の罪深く哀れな自己欺瞞――をあらわにしていきます。このどうしようもなく強烈な救いのなさが、本書の中でも大きなウェイトを占めていることは間違いありません。
強迫観念に取り憑かれた男の体験を描いた「ウォッシュマン」を経て、ついに真打ち(?)である相楽霧子のエピソードが始まりますが、ここに至って物語は大きく舵を切ります。そしてそこから先は、意外な事実やアクロバティックなアイデアも交えつつ、ラストまでまったく目の離せない怒涛の展開。現実と幻想が交錯し、混沌とした状態の中で、最後に描き出される“真実”が、強く印象に残ります。
神狩り2 リッパー
[紹介]
1933年、ドイツ某所にて“総統{フューラ}”と“荒野を独り歩く者{heidegangerish}”は“死の天使”と出会った――200X年、かつて韓国・光州で島津圭助と出会った安永学{アンヒョクハク}は、善圀生{ソン・クニオ}と邪龍道{ヤマシ・ヨンド}という二人の少年を北朝鮮から脱出させる。20XX年、一家惨殺事件を捜査していた刑事・西村希久男は暴走族{エンジェルズ}と対決し、大学院情報学部の江藤貴史は“言語=クオリア論”を追究し、牧師とともに暮らしている理有{ゆりあ}は“リッパー”の秘密を追う――そして“零年”、彼らの眼前で天使たちが空に舞う……。
[感想]
デビュー作『神狩り』から実に三十年を経て完成した続編で、前作のテーマをしっかりと受け継ぎつつ、安易に前作に寄りかかるのではなく様々なアイデアを盛り込んで発展させた、“ど真ん中の剛速球”というべき作品に仕上がっています。
前作では言語学や哲学が目につきましたが、本書ではさらに大脳生理学や心理学、神学(キリスト教学/聖書学)などの知見やアイデアが大幅に導入され、“神”に対するアプローチがより多角的なものになっており、特に大脳生理学関連の展開は非常にスリリングです。そして、それら膨大な知見やアイデアがぎっしりと書き込まれ、“山田節”ともいうべき独特の文体と相まって、最初から最後までひたすら濃密な物語という印象です。
主人公・島津圭助に視点が固定され、ほぼ一本道のストーリーだった前作とは異なり、本書では様々に切り換わる視点から描かれたエピソードを積み重ねていく形になっています。最初の三分の一ほどは物語の背景となる過去のエピソードがメインで、相互の関連が薄いためにややとっつきにくくなっている感もありますが、そこから後は主要登場人物たちがほぼ同時並行で事件に巻き込まれ、それが次第に一つにまとまっていくというモジュラー形式のミステリに似た構成になり、作者の円熟した技巧を堪能することができます。
“おそらく千六百枚は書いた原稿を削って削って千百枚までに縮めるという作業”
(「あとがき」より)の結果、一部説明不足もしくは未消化のまま残されているのが残念ですが、これは仕方ないところか。また同様に、ラスト付近はやや駆け足気味ではあるものの、こちらについてはある人物((以下伏せ字)左文字功(ここまで))の行動が唐突に感じられる以外に不満はありません。そして何より、最後の一行が秀逸。文法的にはおかしいかもしれませんが、前作ではたどり着くことができなかった新たな階梯へと進んだことを高らかに宣言するかのようなその一行は、読んでいるこちらにも強い昂揚をもたらしてくれます。
三十年ぶりの続編ということで、正直なところ半ば不安もあったのですが、それを完全に吹き飛ばしてくれた期待以上の傑作です。
【関連】 『神狩り』
未来獣ヴァイブ
[紹介]
自分の中に邪悪で獰猛な獣が潜むという悪夢に悩まされていた高校生・北条充。その周辺では怪事が相次ぎ、やがて充は犯罪者として追われることになってしまう。逃避行の果てにたどり着いたのは、瀬戸内海に浮かぶ鬼牛島。その地下にある古墳に入り込んだ充を待ち受けていたかのように、地底から怪獣“ヴァイブ”がその巨大な姿を現した。目覚めた“ヴァイブ”は外海に出て、遭遇した海上自衛隊の護衛艦を圧倒的なパワーで一蹴し、そのまま北上する。いかなる兵器でも止めることがかなわぬまま、ついに東京に上陸した“ヴァイブ”は……。
[感想]
かつてソノラマ文庫から『獣黙示篇』・『獣地底篇』・『獣誕生篇』・『獣転生篇』の四冊が刊行されたところで中断された『機械獣ヴァイブ』を、改題の上加筆訂正して完結させた作品です(『神狩り2 リッパー』ほどではありませんが、スタートから実に二十年後の完結です)。実質的に文庫本四冊分+αが一冊にまとまり、かなりのボリュームになっています。
既発表部分の変更点で目につくのは、本来はかなり後のエピソードである海上自衛隊の護衛艦とヴァイブの戦闘場面がプロローグに置かれ、怪獣小説の要素がはっきりと前面に押し出されているところです。あとは、一部の登場人物に関するエピソードが少し追加され、敵役の名前が“雨戸タケル”から“天戸タケル”に変更された程度でしょうか。
もとの『機械獣ヴァイブ』でも、本書の671頁上段2行目にあたるところまでは話が進んでおり、新たに書き足されたラストは二段組みで20頁強と、それほど多くはありません。そのため、広げてきた風呂敷を力技で一気に畳んだような結末になっており、やや駆け足にすぎる印象は否めないところです。特に、魅力的に感じられる某登場人物たちの扱いは、非常に残念です。
しかし物語の結末そのものは、「あとがき」によれば当初の構想とはまったく違ったものになっているようなのですが、そうとは思えないほど着地がきれいに決まっています。そして、伝奇SF的な序盤から本格的な怪獣SFへと姿を変え、さらに時間SFの要素も加わった物語が、最後に××SFとなってしまうところも面白いと思います。また、それを明かすエピローグの会話にも、ニヤリとさせられます。
『機械獣ヴァイブ3 獣誕生篇』のあとがきでは“八冊が本篇で、二冊を外伝にするつもり”
と予告されていただけに、新たに加筆された部分だけ取り出してみると物足りなく感じられるのは致し方ありませんが、しっかりと完結しているのは確かですし、通して読んでみるとこれで十分なようにも思えます。ただ、ファンとしてはやはり、本来予定されていた物語も読んでみたかったところですが……。