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                       竹溪閑話


****平成二十五年(2013年)度****





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    花落蝶還稀

  于濆:〔うふん;Yu2 Pen1〕の『対花』(/武瓘の『感事』/于濆の『感事』)に「花開蝶滿枝,花落(/謝)蝶稀。惟有舊巣燕,主人貧亦歸。」というのがある。ここの承句中の「還」について:
  この「花落蝶還稀」の句、日本では「花落つ(/謝す)れば 蝶 還(ま)た稀(まれ)なり」と、「還」を副詞(:「また」)として読み下すのが伝統的なようだが、この「還」は動詞(:「かえる」、戻る。)なのではないか。

  この詩・「花開蝶滿枝,花落蝶還稀。惟有舊巣燕,主人貧亦歸。」の構成を見ると、
 @:「花開蝶滿枝,花落(/謝)蝶還稀。」の部分では、「 滿/謝) 。」のように青字に対する赤字の部分は「S+V構文」の連続で、(不完全ながら)対句・句中の対となり、ここでは動詞(戻る。かえる)と見るのが詩として自然。「還」は「滿」と対になり、「落(/謝)」と対になり、「開」とも対になっている。
 A:また、「還」は、「主人。」の「歸」(動詞)とも意味の上で、対比させるように作られている。

  ここは「還」を動詞とみて「花 落つ(/謝す)れば 蝶 還(かへ)ること稀(まれ)なり」と読み下すのが本来的には適切なのではないか。
                 (平成25.1.30)
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   毛沢東からのメッセージ

毛沢東の詞に、『漁家傲・反第一次大“圍剿”』一九三一年春に「萬木霜天紅爛漫,天兵怒氣冲霄漢。霧滿龍岡千嶂暗,齊聲喚,前頭捉了張輝瓚。   二十萬軍重入贛,風煙滾滾來天半。喚起工農千百萬,同心幹,不周山下紅旗亂。」というのがある。この詞は以下の二点で、メッセージを送ったのではないか。

  先ず第一に、この詞の中心部分は、先ず、(中華民国国民政府国民革命軍の将帥で、当時は第十八師団の師団長である)張輝瓚のことだ。その理由は、押韻からだ。詩詞を作る場合には、押韻が重要。ただし、(楚辭や漢賦等を除いて)唐詩以降、押韻の韻字は極めて基礎的な字(我が国でいえば常用漢字)が使われる。この詞の韻脚でも「漫漢暗喚瓚贛半萬幹亂」と、「瓚贛」の二字以外は「漫漢暗喚半万幹乱」と基礎的な字だ。ただ、「瓚贛」はそうではなく、特殊な字で、作者の思い入れがよく出ている部分だ。(私の作詩経験からすれば、)作詞する場合、「……瓚」「……贛」がまず先にあり(/思い浮かび)、他の韻字はそれに導き出されてできあがる。
  「瓚」は「張輝瓚」のことで、「贛」は「江西省」のこと。毛沢東はこれを強く言いたかった。この詞の実質的な主題である。
  張輝瓚師団長が「生け捕り」にされたことに対して、各方面からの働きかけがあったようなのだが、その詳細な事実関係は歴史の闇に隠されてしまった。ただ、言えることは、毛沢東は、この(下手をすれば陰惨となる)事件を明瞭に詞に残して、(文化大革命の四年前の)1962年に発表したということだ。
  ここから、「同郷人でも、顔見知りでも、(日本留学・ドイツ留学経験・後宮将帥という)エリートであっても、原則に反する者には容赦をしない」というメッセージを読み取るのは如何。

  第二に、後闋では「不周山下紅旗乱」と、唐突な感じで不周山の故事がでてくる。これも、作者は共工に藉(か)りて、メッセージを送っているのだろう。(共工顓頊とが帝位を争い敗れた共工が大地を激しく傷つけた…しかし、共工は敗れたのではなくて、勝利の英雄だ…と)。
  この詞が発表されたのは1962年の文化大革命発動の四年前のことだ。当時の毛沢東は、大躍進政策の失敗の責任を取って国家主席の地位を劉少奇に譲り、「七千人大会」において大躍進政策に対する自己批判に追い込まれ、政治の実権は劉少奇-ケ小平ラインに移った、この時のことである。
 帝位をめぐる争いにやぶれた共工とは、(国家主席の地位を譲り渡した)毛沢東のことであり、争いに勝った顓頊とは新・国家主席となった劉少奇のことである。毛沢東はこの詞の原注で言う:「共工は、(敗れてはいない。最終的には)勝利の英雄である。」と
 毛沢東は「帝位」(爲帝)の語に対して意識していたのが分かる。それは、彼が 『淮南子・天文訓』を引用する時、「昔者共工與顓頊爭爲帝」の部分をカットしているところから推し量れる。
 (以下、毛沢東の原注)
       關於共工頭觸不周山的故事:
  『淮南子・天文訓』:「昔者共工與顓頊爭爲帝,怒而觸不周之山,天柱折,地維絶。天傾西北,故日月星辰移焉;地不滿東南,故水潦塵埃歸焉。」
  『國語・周語』:「昔共工棄此道也,虞於湛樂,淫失其身,欲壅防百川,墮高堙庳,以害天下。皇天弗福,庶民弗助,禍亂並興,共工用滅。」(韋昭注:「賈侍中〔按指後漢賈逵〕云:共工,諸侯,炎帝之後,姜姓也。顓頊氏衰,共工氏侵陵諸侯,與高辛氏爭而王也。」)
  『史記』司馬貞補『三皇本紀』:「當其(按指女媧)末年也,諸侯有共工氏,任智刑以強,霸而不王,以水乘木,乃與祝融戰,不勝而怒,乃頭觸不周山崩,天柱折,地維缺。」
  毛按:諸説不同。我取『淮南子・天文訓』,共工是勝利的英雄。你看,「怒而觸不周之山,天柱折,地維絶。天傾西北,故日月星辰移焉;地不滿東南,故水潦塵埃歸焉。」他死了沒有呢?沒有説。看來是沒有死,共工是確實勝利了
                (平成25.9.2)
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