huanying



                      
                       竹溪閑話

taoqian taoyuanming
****平成十六年(2004年)度****
yi YanShu LiHe CaoZhi QiaoJi WangWei LuYou


(平成15年(2003年)の分は、こちらです。)
  秦檜
        
稀代の奸臣?

 秦檜は、本サイトの豪放詞の章『碧血の詩篇』の中で、屡々出てくる。当然ながら、敵民族である女真族の金軍を撃滅しようとする時の、妨碍者としてである。厖大な量を誇る『宋史』でも、岳飛とは扱いが異なっている。岳飛は、『宋史』巻三百六十五で「列伝第一百二十四岳飛」にある。秦檜は、その遙か後、巻四百七十三で「列伝第二百三十二姦臣」の中に出てくる。その最後の条には「追奪王爵,改諡謬醜。」となっている。本朝の和気清麻呂と同じである。近くは、文革時、改名改称改姓運動があり、「紅…」「人民…」「革命…」「解放…」「衛…」「東…」と、“革命的”なものになり、「黄」姓(黄≒皇;huang2)が忌まれたのと軌を一にしていよう。
  余談に亘ったが、秦檜の奸臣、権臣としての評価は定まっていよう。

  ただ、わたしは感ずることがある。靖康之変後の混乱を乗り越え、秦檜が媾和を主導し、南宋初期の紹興八年に宰相となって和議を成立させた後、秦檜が死去する1155年(紹興二十五年)までは、対外的には安定しているように見えることである。不安定要因が岳飛などの武人の主戦派である。因ってこれを殺した。前出『宋史』では、「殺」字を使っている。秦檜の業績としては、総領所を置いて、経済改革に乗り出し、軍制も改革して軍閥の私軍を駐箚御前諸軍に再編し統一された禁軍を創り出したということである。いうなれば、「内 平らかに,外 成る」と、平成の世を迎えていたのである。主戦派、反対派を抑え込んで、当面の平和と安定を求めたのではないのか。

  この正月、中国の歴史教科書を見た。おもしろい。秦檜のことについては:
「在杭州西湖邊的岳飛墓傍,有一具鐵鑄的秦檜跪像。這具鑄像反映了人民對秦檜的痛恨。
   秦檜於北宋末被金軍俘虜,後來和妻子王氏來到臨安。他被人推荐進入南宋政府。同希求苟安的宋高宗一拍即合,很快很做了宰相。宋高宗委任他負責與金議和。他當政期間,排斥異己,謀取私權,許多正直的人キ遭到他的迫害。」
となっている。やはり、「同希求
苟安(苟安:一時的な平和)的宋高宗一拍即合」でも分かるとおり、平安を求めていることが分かる。岳飛は「岳飛堅持正義的抗金闘爭」となっており、「正義的抗金闘爭」と、正義の闘争と位置づけられている。

  やはり、暫しの平和や安泰を求めるよりも、民族の大義に立って、活路を求める姿勢こそ歴史に照らしてものを見る認識眼があると謂えるのだろう。「直搗黄龍府與諸君痛飮」と豪語すべきなのか。万古に芳しきを流し伝えてこそ、民族の平和と安寧を希求する精神を発揚しているのだともいえる。さもないと、西湖畔の岳飛廟前に縛られて永遠に跪く秦檜のようになろう。これが中国のこの時代に対する歴史認識である。

  上下、国を靖め、世を綏んじて、千古に亘る久しき平和を祈願する華胥之國たる我が家国。噫、我が民族の行く末はどうなるのか………。
「時窮節乃見,一一垂丹。」といわれるが、平成の代には誰がそうなるのか。秦檜が輩出するのか、岳飛が出るのか、それとも楊家将を待つのか。或いは、なおも縦横を説くのか……。風は楼に満ちている。

 現在,日中之間存在着不穩定的因素。這使我痛心。
                        (2004年1月)

                 ****************



 新造語
  日本語を豊かにするのか、貧しくするのか

 新たな漢語系の造語を見受ける。正確に言えば、漢字を使った造語になる。これらは、日本語を豊かにするのか貧しくするのか。欧米系の外来語に新たな意味を付与し、新日本語としたのと同様に、(口頭)日本語文法に即した日本製漢語(熟語)は、日本語表現力の一つの発展した姿ともいえるのか。たしかに、日本語が、日本国の中でのみの通用を想定していればるようで、そうといえる。
  ただ、それら漢字系の新語は汎アジア語、また、汎アジアの表記としては、力が落ちる。中国や台湾などの漢字使用圏には通じない。誤用とも謂える造語がままある。或いは、「同文(同種)」という概念の、結果としての間接的な否定をしているかのような……??
  聞けば、明治期の先覚は、漢語に対する造詣が深かったという。たしかに、西洋の事物や概念の翻訳は、古典籍に基づき、漢語語法に則った造語をしている。それ故、曾ては中国に言葉を輸出できる実力があったこの事実。驚くべき事である。「国際化」を呼号する現在、明治初期には既に汎アジアの実力があったことを想起すべきである。
  それにつけても、明治期の先覚の偉大さよ。外来文物の速やかな受容を可能にした、江戸時代の教育のすごさを今、しみじみ感じる。実は、わたしは、ずっと「江戸時代は、後れた封建制の…」と思いこみ、否定的な発想をしていた。
                        (2004年1月)


                 ****************



 翻手作雲覆手雨 紛紛輕薄何須數
      
-------我的杜少陵箚記

  わたしの好きな詩人やその作品は、本サイトに採り上げているものがそうである。では、その逆は?というと、それもやはり、しっかりとある。
  例えば、杜甫の詩。(晩年の杜甫の澄んだ悲しさのものは、すばらしいと思うものの、)なんだか世に言われるほど佳いものと思えない部分がある。例えば彼の作品中の意対や仮対などは、甘いものと感じられるし、語法もアバウトなものだと思ってしまう。詩境についても、そこに自分(=わたし・碇豊長)自身の姿を見出してしまうのか、「あまりにも…すぎる」のでは、と辟易としてしまう時がある。
  古來、杜甫については、「盡得古今之體勢,而兼人人之所獨專」、「詩人已來(以來),未有如子美者。」と、広く中国や日本で認められた偉大な詩聖である。それ故、このようなことを述べれば、恥をかくだけとはよく分かる。しかし、好悪は今更変えにくい。

  特に、次のような交遊に関する詩には、独自の感想をもってしまう。
『貧交行』「翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。」、『贈高式顏』「自失論文友,空知賣酒。平生飛動意,見爾不能無。」…。言いたいことは、とてもよく分かるが…。
  『春日憶李白』「白也詩無敵,飄然思不群。」『不見』「不見李生久,佯狂眞可哀。」、『夢李白』『天末懷李白』「應共冤魂語,投詩贈汨羅。」…。友人としての李白を憶う気持ちは、強く伝わってくるが…。
  勿論、「花徑不曾縁客掃,蓬門今始爲君開」と、気を使いすぎるほど使っているのもよく分かるが…。

  また、『諸將』「獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。」、『蕃劍』「致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,毎夜吐光芒。虎氣必騰,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。」のような詩は、逃避行を続けて「何路沾微祿,歸山買薄田。斯游恐不遂,把酒意茫然。」と詠った経験者からは、言われたくない。しかし、この『諸將』『蕃劍』の気持ちも偽りのない本物だったのだろう。怒涛の時代の中にある人間とは複雑なものである。


  同時に、杜甫詩は自然でさり気ない描写で、上手に哀しみを表現した詩も豊かだ。
  最後に、次のものは、素直に哀しみが伝わってくる。心動かされるすばらしい作品だ。
『江南逢李龜年』「岐王宅裏尋常見,崔九堂前幾度聞。正是江南好風景,落花時節又逢君。」
『絶句』「江碧鳥逾白,山青花欲然。今春看又過,何日是歸年。」
         --------------------
     
正是江南好風景,落花時節又逢君!
                       (2004年1月)

         **********************



  莫思身外無窮事  且盡生前有限杯

  現在、四海が穏やかでない。郵票は「片片輕薄何須數」とはいえまい。「莫思身外無窮事,且盡生前有限杯」とは思うものの、やはり、しっかりと反応してしまう…。「直搗黄龍」?。如何すべきか。実に悩み多いことだ。(前後削除)わたしごときが憂えてもしかたがないのだが…。それでいて「剪不斷,理還亂」となる。「別是一般滋味在心頭。」
                       (2004年1月17日)

         **********************



  歴史會重演

  『詩経』「周南」の『關雎』「窈窕淑女,君子好逑。」、そして「鄭風」、下って『玉臺新詠』、やがて『花間集』……女性の麗しさ、我々自身の情愛の念、情慾が絶えることがないために艶体は、尽きることなく現代まで続く。「此恨綿綿無盡時」。
  涙も途切れることがない。『詩経』「王風」の『黍離』「行邁靡靡,中心搖搖。……悠悠蒼天,此何人哉。」、『麦秀歌』と、『楚辭・離騷』、下って『蒿里曲』、白居易の多くの諷諭詩また、文革の裏で流れた詩歌等々…。世を慨き、人生を嘆く。その詩は流れる涙で満ちている。人生は、ある意味で、哀愁の香が漂うものなのだろう…。
  さらに、血の色で満ちた詩篇が、古代の辺塞詩から、豪放詞は、辛棄疾、陸游と続き、秋瑾、毛澤東、『天安門革命詩抄』へと継がれている。愛国の熱情、民族の咆吼は、止められないものなのだろう。
  現在、望むと望まざるとに関わらず、「四海翻騰雲水怒,五洲震盪風雷激」となりつつある。「立,立,立!梟帥覺我立雄師」!


  時代が移り、人が替わっても、詩歌はこのように同じ歎きを歌い上げ、人の歴史は同じように際限なく繰り返されている。我々個人が体験する歴史時間は、鼎鼎たる百年内の人生なのだから、文明、文化が蓄積され発展していくのに比べ、個人史は百年以上蓄積され得ないで、血の中に記憶されている動物としての本能が全面に出てくるのか……?生命体として、闘争の記憶はDNAに組み込まれているのか。主体的に考え、自主的に判断を下しているつもりが、いつのまにか、お釈迦様の掌の内ということになってしまっている。醒めた瞬間、共になって行動している姿を発見するときがある。群をなして原野を駆けめぐる動物のように。そして、テリトリーに侵入してきた敵を追い払う魚のように…。重い歎息とともに考える。 嗟乎、歴史會重演!
                       (2004年2月7日)

         **********************



 惡覇地主黄世仁

  『白毛女』に「漢奸惡覇地主黄世仁」は、「漢奸・惡覇・地主」のため、“民主政府”は、銃殺刑に処した。農村プロレタリアートである「貧農、下層中農」に敵対する階級・「地主階級」であることによる処刑であるともいえる。プロレタリア人民の意思に則り、共産主義を標榜する人民革命政府が敵対階級に対して独裁を以てする。これを“無産階級専政”「プロレタリア独裁」「ディクタツーラ」という。わたしは、「そんなことも、あるか…」と、軽く思っていた。

  話は飛ぶが、以前“奧姆眞理ヘ”について、次のような論調を読んだことがあり、ショックを受けた。
「日本では“奧姆眞理ヘ”の裁判が長びいているが、なぜいつまでも生かしているのか。なぜ、“奧姆眞理ヘ”に対して“無産階級専政”を行わないのか。」
ここで謂う“無産階級専政”とは、前後の文脈からしても、勿論即時の死刑執行のことのようである。

  この記事と『白毛女』とが結びついた。
「“無産階級専政”とは、死刑執行のことなのかぁ……!」。小さな驚きだった。
  政治システムと文化の違いを感じた一瞬だった。
                       (2004年2月11日)

         **********************



 詩人の魂

  詩詞を見ていくと、屡々語句に異同がある。甚だしいものでは、各句にみえる。底本の相違はどこからくるのだろうか。校勘の優れたものでは、例えば『全唐五代詞』などは、想像を絶する厖大な底本に当たっており、校勘の深さと異同の多さに圧倒される。
  ただ、解説書によっては違和感を覚える場合がある。それは、屡々次のような言葉が見られることだ。
  「『甲』字では意味が通りにい。『乙』字の方が適切だ。」「『甲』字では、、音韻上、不都合があり…」同様に、「同義反復になり…」「構成上…」「…の方がなめらかで…」「…は、俗で鄙であり…」「…平仄上…。」等々。これは、憶改であり、推敲に該る。「学」としての文学ではなく、芸術としての斧正になる。

  このように考えてくると、古典詩詞は特段に「原初の形」を追求するものではなく、厳密に解析されてゆくべきものになるのだろう。

  シャンソン風にいえば、詩人の作品は、政治的、文化的に有効なものとして、後世の人に研かれてゆき、新たな意味が附与され、より普遍性のある完成されたものとして万古に伝えられていく。歴史が詩を創って磨き上げていくのである。中華風シャンソン『詩人の魂』である。


          


  別の見方になるが、詩詞変遷のこじつけ其の一として、先ず、詩歌とは、本来未完成な要素が多く、それを補完して、合理的に古人を理解したいというものがあったのではないか?詩詞の語句(詩句)を穿鑿する場合、より充実した完成度の高いものを求めたいという欲求があるのではなかろうか?詩歌は、一瞬のうちに過(よ)ぎった感興を表現する芸術といった面がある。即興性を帯びている。そのような詩歌では、原初の形を追求してくことよりも、遺された辞から古人の感情や思考を合理的に理解していきたかったことになろうか?
 古典的詩文を護り育てていきたいという自然な感情に根ざして生まれた共通認識というようなものがあるのではないか?
 更に、詩とは志を述べるものとされてきた。単に感情を吐露するものではなく、系統的な思考の結果としての意思表示の際の有効な手段であった。コミュニケーション手段の少なかった時代では、過去の有名な詩を高らかに謳うことで、自己の政治的主張とした事実がある。そのためにに罪を得た事例も遺されているが、これらは政治的な手段として使われたためなのだろう。


            


  今まで述べたこととは、全く逆になるが、その保守性にも厳しいものがある。詩文では、古来より註釈が発達して、一定の理解を保障してきた歴史的事実がある。古典の註釈では、註釈の註釈といったことも普通のことになっている。ときあかす注疏の学がその発展を促したが、規范ともなったろう。
  (蛇足になるが、一番最初の註釈の根拠を知りたいと思う。亟見かけるのが「××のことについては、一番最初の註釈書にそう解釈しているからそうなるのだ」という結論だ。わたしの心の中では「本当かな〜? どうしてそうなるのかな〜??」とも思うが、注釈書といってもそれ自体が既に古典であるため、万人が当然ながらそれに従わざるを得ない。その書を古典として遺し、論じてきたという歴史的事実は、大きな重みとなって伝わってくる。 ましてや、『楚辭』や『詩經』の古典的註釈に至っては、逆らえるものではない。『楚辞』に現代人の判断は入っていけまい。現代人に上代の楚の方言との解釈の言のある場合があるが、ただただ、恐れ入るばかりである。そのことから思うと、朱子は偉大である。毛氏、王逸は、偉大である。
  語義を確認したいために字典を見ても、使用頻度の極めて低い上代の漢語では、語(字)義にしても、特異な語義の用例の一という具合である。用例というのがそれのみで、それ以外にはなく、恰もその語句をのみ解するためにのみ生まれてきたような字解があるのも、層の厚さを見せつけられる。) 

               (「魂」:2004年2月15日。「註」:11.13)

         **********************



  
板挟みを感ずる日々
   
  板挟みをますます感じる日々である。日本を愛して、中国が好きである。何故に、穏やかにできないものなのだろうか。何故に事を荒立て、民族意識を煽るのか。一体、どうなっていくのだろうか…。

                       (2004年3月19日)

         **********************



  
穏やかであってほしい
   
   艶陽天!今、桜の花が雪のように舞い落ちている。本当の春が来た。白居易に、『遊趙村杏花』という哀しくも美しい詩がある。「趙村紅杏毎年開,十五年來看幾迴。七十三人難再到,今春來是別花來。」。これからも、穏やかな日々が続いてほしい。

                       (2004年4月8日)

         **********************
  


  
四海之内皆兄弟」
   
  俗諺に「四海之内皆兄弟」というのがあるが…。友好を表す辞である。これは、願望の言葉なのか、もめている時によく聞く。ともかくも、言葉通りであってほしい。

                       (2004年4月8日)

         **********************



  
君子萬年
   
 『詩經』小雅に「君子萬年」や、「樂只君子,萬壽無疆」等があるが、これは、我が国でいえば、「君が代は 千代に八千代に」ではないのか。尊貴な人を頌えたいという人間共通の感情があるのだろうか。我が国でも「君」の解釈で、もめているようだが、『詩經』小雅でも、同様の感がある。
                      (2004年4月9日)

         **********************



  
二十四史
   
 『新唐書』には、多少唖然とするところもあるものの、『舊唐書』を始めとした二十四史の記録は凄い。現在の人権感覚を以てして見れば、驚くべきことも、詳細に記録している。前王朝には厳しいものの、現在の目から見れば自国に不利なことも、しっかりと載せている。さすがに、記録の大国であり、立派な態度である。ただ、紀伝体なので、襞が多く、人の目に触れていない部分も多いといえる。そのあたりの部分は、白話(現代中国語)に翻訳されているのかどうか。おそらく、日本語にも訳されていまい。わたし自身も、厖大な二十四史の全巻を読み通したわけではないが、必要事項の確認のため、捜しながら、それなりに読んでいる。ついでに余分な部分も読み進んで、驚かされてもいる。別に過去の中国を悪く言う気などは、さらさらないが、「えぐい」部分も充分にある。それも人の世の歴史の真実の一部分なのだろう。
                       (2004年4月10日)


         **********************



  
春愁
   
 以前、「春愁」の意味を調べなおしたことがある。意味が今ひとつピンとこなかった。ずっと、「惜春」の意にとっていた。今は、白居易の『遊趙村杏花』「趙村紅杏毎年開,十五年來看幾迴。七十三人難再到,今春來是別花來。」 や、頼山陽の『遂奉遊芳埜』「侍輿下阪歩遲遲,鶯語花香帶別離。母已七旬兒半百,此山重到定何時。」 の意に理解している。陶淵明の条でも述べたことと重複するが、再び思い起こされてくるので、また書いた。 
                    (2004年4月23日)

                 
            ****************




  陶淵明のイメージ
   
 わたしにとっての陶潜のイメージは、次のようなものになっています。                  (2004年4月24日)
           **********************




           

  コピーされたこと
   
 
4月末に、 「辛棄疾の語で検索した。自分のサイトが出てくるか確かめるためである。よそのサイトが出てきた。辛棄疾に興味を持っている人もいるのだな、と思って見てみると、註釈の言い回しがわたしと似ており、実際、はじめのうちは何だか自分のエコーを聞いているような変な気分になった。「まさか!」いやな予感がしたので、なおもよく見ていくと、何と、全てわたしのサイトの完全なコピーだった。それも極めて多量に亘っている。壁紙と、文字の色だけは、変わっていたが…。
強烈なショックだった。毎日の努力は何だったのか……!ひどい。
  そこで、トップ頁にもある、下記の文を掲げた。相手にも、メールを送ったものの、返事もなければ、変化もない。
            ----------
              
声明:
  インターネット上で、わたしのサイト 『詩詞世界 碇豊長の漢詩』を百ページほど、 註釈文・解説文の百%完全なコピーのみを 続けているサイトがあります。
 
(あまりにも、ひどい…。 哭!哭!哭! (T_T) 怒!怒!怒!)
全く同一内容の註釈文のページを 御覧になられた方に、 当方がオリジナルであることを ご理解下さるよう、お願い申し上げます。                  頓首。

           ----------
  まだ、憤りは、おさまらないが、少し落ち着いてきたので、書いた。相手に不当の意を伝えても梨の礫なので、どこに訴えたらいいものだろう。天よ。日本や中国に庶民の言を採りあげるインターネット上の苦情処理のところがあれば……。天圓地方,律令九章。吾今下筆,萬鬼伏藏。急急如律令!
                    (2004年8月5日)


           **********************



           
  
其爭也君子
   
 
 子曰:君子無所爭。必也射乎。揖讓而升,下而飮。其爭也君子。
  
何故、渝江の風は條を鳴らして、浪はさやぐのか、海棠の花を侵してまで。嘗て周恩来が「スポーツ外交」の時に言ったことが完全に消されている…。深深感覺寂寞……。

                    
(2004年8月5日)
           **********************





           
  
愛國主義和國際主義

               最高指示
   
偉大領袖毛主席ヘ導我們説:「我們要和一切資本主義國家的無産階級聯合起來,要和日本的、英國的、美國的、コ國的、意大利的以及一切資本主義國家的無産階級聯合起來,纔能打倒帝國主義,解放我們的民族和人民,解放世界的民族和人民。這就是我們的國際主義,這就是我們用以反對狹隘民族主義和狹隘愛國主義的國際主義。」
(われわれは、すべての資本主義国のプロレタリアートと連合し、日本、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアおよびあらゆる資本主義国のプロレタリアートと連合しなければならない。そうしてこそ、はじめて帝国主義を打倒し、わが民族と人民を解放し、世界の民族と人民を解放することができるのである。これが、われわれの国際主義であり、われわれが、せまい民族主義やせまい愛国主義に反対するための国際主義である。)

                    
(2004年8月5日)
           **********************




  「如何蓬廬士,空視時運傾」

 嗚呼……。
                        (2004年8月6日)



               
  ***************



   
釜中豆

  嘗て、国家主席を“叛徒,内奸,工賊”と呼ばわっていたのが、耳にこびりついている。
  今、外国を“小××”と呼び、 “殺尽! 殺尽! 殺尽!”と叫ぶ。そう言えるのは朱元璋だけで充分である。
“誰是敵人,誰是朋友”、このことは、階級闘争の観点のみならず重要な問題である。蓋し名言である「兄弟鬩于牆,外禦其務」は、大切にすべきである。既に、外に欧盟、合衆国を見て、なおも内に「鬩于牆」のみでは、やがては、かの戦国の雄と同様に、倶に衰えていく道を辿ることになる。はたまた、春秋を戦い抜いた昭王始皇を目指しているのか…?君 聞かずや 西楚覇王項羽の歌。度を超した「興風作浪」には、誰もが注意すべきである。“社會主義國家内部的反動派同帝國主義者互相勾結,利用人民内部的矛盾,挑撥離間,興風作浪,企圖實現他們的陰謀。匈牙利事件的這種ヘ訓,値得大家注意”。これと類似のことが言え、華胥之國の民は、曹植を想い出すべきであって、開元の治世の矜恃と襟度を忘れないでほしいものである。
  釜中の豆の小さな小さな呟きである。
                      (2004.8.18)
            ***************



   
「蒼天胡以之爲木鐸

 
嘗て、「社会の木鐸」ということばがあった。輿論を喚起し、世人を教導することを指し、マスコミが以て任じていた。「拉致事件」が最近しきりに報道され始めているが、一市民であるわたしは、その一連の報道がなされるまでは、全く想像だにできなかった。天よ。
  まったく、恐ろしく感じる。結果として、天下の操觚界が「民可使由之,不可使知之。」を率先している事実には。既に孔夫子の言説を超越して、実践に至っている。
  甚だしきは、日本のマスコミ大陣営が二十余年に亘り、全然情報を把握するに至らなかったという
(お寒い)事実であり、これを思えば、背中に冷たいものが走る。
  優秀な日本のマスコミとはいわれて来たが、収集の能力は、こんなにも落ちていたとは夢にも思わなかった。
  まさか、よもや暗暗裡の黙契があって、情報統制がなされていたというのではなかろうに……?
(それとも、風邪をひいたのか。−−−最後は、つまらない言い方になってすみません。重すぎる内容なので、つい逃げ出したくなりました)
  ああ、咄咄たる俗中の愚たる我々、一体、何を信じて、誰に随いていけばよいのか……。天下の操觚とは、何だったのか…。 -自由と平和に身を捨てていけ、涙で語る母の俤。- 「子曰:惡紫之奪朱也。惡鄭聲之亂雅樂也。惡利口之覆邦家。」
  「當年佳節慶朱明,太歳兇妖發喊聲。強奪御妻爲壓寨,寡人獻出爲蒼生。…」
  混世魔王は、たとえ坎源山に隠れようとも、金猴の千鈞の棒によって倒される。しかし、斃されないのが現実社会…か。「莫思身外無窮事,且盡生前有限杯」。莫妄想、莫妄想……。


                      (2004.9.5)


            ***************



   
好在歴史是人民寫的

  
劉少奇は、文化大革命で失脚した際、“好在歴史是人民寫的”と呟いたという。「幸いにも歴史は(現在の統治者によって書かれるのではなく、後世の)人民が書くものだ」というこのことばは、中国の歴史認識をよく表している。“人民只有人民,纔是創造歴史的動力。”ということである。
  人の世を看れば、二十四史が光り輝いている。同時代人は書かないで、後世人がその前の世に対して「天地開闢以降、限りなく続いてきた歴史の一ページ」としての認識で、後代にも通ずる価値観によって判断を降しての記述は、重要なことだ。 …『宋史』『遼史』『金史』『元史』『明史』『清史稿』と王朝の歴史の記録が続き、統治民族が交替してゆく。伯夷叔齊の時のみならず、麥秀、黍離の歌は流れるのである。 請う 観よ、此の、時が窮れば命が革まるの理を。「革命」とは、階級闘争でもあるが、これらの時代は民族闘争でもある。二十四史は、これらが華麗に綾を織り成した血涙の記録である。
  わたしは、劉少奇のことばに深い共感を覚える。将来、第二十七史が書かれる際、「列伝・外国」の條もあろう。その際は、万古に亘るに堪え得る歴史認識で以て、客観的で厳正な記述を望む。このことは、我々当代人としては出来ないことである。凡胎凡骨であるがゆえに、感情が入り込んでくるからであって、我々は頂天立地の自覚した人であるとはいっても、やはり影響を受けやすい存在でもあるからだ。「死去元知萬事空,但悲不見九州同。王師北定中原日,家祭無忘告乃翁。」勿論、「定」の日ではなく、「和」であり「藹」の日のことである。この眼で見たいものであるが…「家祭無忘告乃翁」。
  本当に平和な時代が来てほしいものである。相互に国益をむき出しにして、いがみ合うことは寂しい限りである。


                      (2004.9.11)


            ***************


『太平記』に看る日本語音韻の変遷

  
『日本漢詩選』のページを設けたので、『太平記』などを屡々見るようになった。
  『太平記』卷二十六に、楠木正行は、先皇後醍醐帝の御廟に参り、今回のいくさが難義ならば、討死をすべきことを念じて、如意輪堂の壁板に「返らじと兼(かね)て思へば梓弓なき數に入る 名をぞとゞむる」と辞世の歌を書き留め、四條畷に散ったと記されている。鏃で書かれた辞世の現物は、今も如意輪寺に遺されており、拝観できる。そこには「かゑらじと…」と、刻されている。歴史的仮名遣いでは「かへる」が好ましいが、楠木正行が「かゑる」と表記したということは、この時代、〔へ〕〔ゑ〕〔え〕の三者の音が、近づいていたか、同じものとなっていたことが推測できる。

  木版の『太平記』では振り仮名が附いており、「大塔」には「ヲホタウ」や「ヲフタウ」と、ふられているので、やはり「大塔宮」は「おほたふのみや」と読むのが順当か。なお、木版『太平記』で、「大」を「ヲホ」と訓むが、「オホ」とすべきところ。〔お〕音と、〔を〕音とが近づいているのが分かる。

  ただ、『太平記』の記述で、大塔宮の名をふざけて「『大唐』〔だいたう、おほたう、もろこし〕なのか、『大塔』〔だいたふ、おほたふ〕なのか。」というくだりがある。この表現に基づいて考えると、「『大唐』〔だいたう〕なのか、『大塔』〔だいたふ〕なのか。」とみるのがすなおであろう。振り仮名を別とすれば、「大塔宮」は〔だいたふのみや〕となろう。日本史辞典では「おほたふのみや」「だいたふのみや」の二者があるが、大塔(おほたふ)(村)は吉野や比叡の地名で、人名とは異なるだけなのだろうか。恰度、誉田(「ほむた」:応神天皇の名。「こんだ」:応神天皇陵の所在地の現代地名)、二上山(「ふたかみやま」:『記紀』『萬葉集』での表記。「にじゃうざん」現代の地名)の如く。
  「塔」〔たふ〕、「唐」〔たう〕が同様の「とう」音ということは、〔ふ〕〔う〕音も近づいていたか、同じものとなっていたようだ。但し、ここの〔−ふ〕字は、入声音表記のものでもあるが。
                      (2004.9.14)


            ***************



 
現地音主義 是耶非耶?」

  ずっと以前、息子の地図帳の教科書を見て、些か驚いた。中国の地名表記が片仮名だらけなのは、教科書会社や文部省の編輯方針なのだから、仕方がないとしても、「山西省」と「陝西省」とに当たる所の表記が「シャンシー」と「シェアンシー」となっていた。これらは、普通話(共通語)に基づいていえば、「山西省」「陝西省」ともに仮名で表記するとすれば、「シャンシー」でしかない。中国人が「山西省」と「陝西省」を区別できるのは、声調の違いに因る。妥当かどうかは別として、この地図表記は中国語の声調の違いを文字遣いで表そうとした苦心の創作ともいえる。 たしかに「山西省〔shan1xi1〕」「陝西省〔shan3xi1〕」の発音は、中国人でもややこしいようで、『民警故事』では、警察官の職務質問で、ぼそぼそと答える田舎の人物の発言に対して、警察官はいらいらとして「えっ? 山西〔shan1xi1〕? 陝西〔shan3xi1〕? どっちなんだ?」というくだりがある。五大方言があり、相互の意思疎通もままならないという広大な言語生活の場にいる中国人には、普通話以外の多様な表現音があろう。以前、わたしが「××(地名)の発音は、“準”でないので…」と口を滑らせたところ、「北京の音が“準”であると決めたのは、統治上の判断にすぎない」と反論された。尤もなことである。どの地方であっても、その使っている言語は正当言語である。日本の教科書会社も、或いは方言音を採用したのかも知れない。“胃癌”〔wei4yan2→wei4ai3〕と“胃炎”〔wei4yan2〕との誤解を防いだように。(癌〔がん;yan2平声〕但し、口頭語では〔ai3上声〕)。
  幸いにも我が国では「山西省」〔さんせい〕、「陝西省」〔せんせい〕と読み分ける立派な伝統があった。日本の教科書会社の「シェアンシー」音は、もしかすると中国語音と日本語音「せんせい」との革命的三結合なのでは……。

  以下、本当にあったことである。本人たちも笑っていたので許してもらって書くが、日本に住んでいる中国人から、次のような質問を受けたことがある。「日本文に(仮名表記されている)『チョンツー』とは、どこのことか?」。実は、「チョンツー」とは彼が嘗て住んでいたところの省都である。また、別人のことになるが、わたしとの会話が食い違ってくるので、わたしは「その日本語の文章に『シェンチェン』と片仮名表記されていたところとは、“深”〔shen1zhen4〕のことですよ。」と念を押したら、その人は「えっ!」と絶句した。どうもそのことがもとで、大きな(??)失敗をしてしまったようだった。今は笑い話となったが…。
  その人たちにとっては、また、漢字で中国地名を覚えているわたし(たちの世代)にとっても現地音主義?による中国地名表記には、些か不便を感じている。

  相互主義、現地音主義は、中国側は日本の固有名詞に対しては、採っていない。中国語の読み方で呼ぶ。「豊臣秀吉」は〔Feng1chen2Xiu4ji2〕であり、「神戸」は〔Shen2hu4〕となる。恥を書くが、以前、空港で搭乗手続きの際、預けたわたしの荷物がばらけてしまって、(そこは親切な空港だったので)呼び出し放送があった:“………Ding4Feng1chang2(碇豊長)xian1sheng qing3 zhu4yi4(?)……”。この放送、一体、誰を呼び出しているのかとも思うが…。(もしかすれば、わたしが単姓(一字姓)なので中国人と誤解されたのか?)これらは、中国が別段、大中華主義を採っているのではなく、中国語の音韻体系の中で、日本語発音の単語をいうことが苦しいのだろうと理解している。その奥には、多民族・多言語の国として、同一言語には他の言語を介在させたくない感情が働いているのではないか。
  その例証にはならないが、古い記憶を一つ。嘗ての中国からの日本語放送では中国人名などを日本語訓みに統一して放送していたのを覚えている。「中央文革小組(こぐみ)の陳伯達(ちんはくたつ)、康生(こうせい)、張春橋(ちょうしゅんきょう)、姚文元(ようぶんげん)…」というふうに、統一していた。例外は“江青同志”で「ちゃんちん同志」と彼女だけ中国語に近い音だった。但し、〔Jiang1Qing1〕と中国語発音のものではなく、〔ちゃんちん〕と、しっかり日本語音韻にとけ込んだ言い方であった。恐らく、「江青」を〔こうせい〕とすれば、康生と重なってしまうからなのだろう。二十世紀の謂わば諱?

        --------------
  現地音主義といえば、「白村江」(『唐書』:白江;『三國史記』:伎伐浦)にも驚く。ふりがなが三つあった。曰く:「ペクチョンガン」「はくそんこう」「はくすきのえ」!!! 「ギョエテとは 俺のことかと ゲーテ言い」の通りである。『日本書紀・下巻・天智天皇』には、百済や新羅のことばが多く、「白村江」も出てくる。その編纂には、多くの百済人が係わったことだろう。「はくすきのえ」は『釋日本紀』以来の伝統であり、おそらく当時の百済人の正確な発音を反映しているのではないか。百済ことばという現地音を採用しておればこそ、日本語からみれば「変わった」訓みになっているのだろう。日本人のみで三国の歴史を纏めていくことは困難で、当時の国際性を強く意識した日本と百済人協業の下になる日本側の文書になるのではないか。
        ---------------

  わたし自身は、現地音主義とは、それまでの伝統や習慣を破壊する可能性があると感じる。 しかしながら、その破壊を通じて新しい文化や習慣を創造していくという大きな意義もある。新しい文化とは、新しい時代に即応した“新概念”でもあり、それを発展させることも重要である。幸いにも日本語は単音節によって構成される言語で、表音文字の仮名も万葉仮名以降、変体仮名、平仮名、片仮名と、その伝統も豊かである。嘗ては外来音を表すために濁点や半濁点の創出など、フレキシブルな対応の出来る文字でもある。 ただ、既に漢字表記で育った世代であるわたしなどは、「洛陽」との表記には夢やロマンを感じるが、「ルオヤン」と見れば「はて、どこかな?」と名探偵コナンの心情になる。わたしたちの日本が漢字使用をしているメリットは生かされないと、と、多少の疑問を感じる。しかしながら、なおもそうして表音主義に徹して、我が国固有の文字である仮名文字を推進していくほうが、よりすばらしい明日が開けるのならば、それも大切なことには違いないが…。それを解く鍵が韓国にあるかも知れない。漢字を廃止して表音文字・ハングルに統一したようだが、韓国のことは分からないものの、興味深く見ている。

  中国語に戻るが、中国語は複合母音で構成される声調言語なので、外来語音表記には向いていないようだ。単純に言えば、外来語の一単語の発音が長〜くなる。それを防ぐために途中の音を省略している。不正確な音表記になるが、やむを得ないことである。例えば「アレキサンダー大王」は“亞歴山大大帝”と、「ネルチンスク条約」は“尼布楚條約”(これは音訳なのか?『陽光燦爛的日子』ではこれを言っていた)。音訳を重視して“涅爾琴斯克條約”ともする。後者は厳しいのではないか。中国語が外国語音に因る外来語よりも意訳を重視しているのは、このような実態からも来ているのではないか。例えば「サンフランシスコ」は“舊金山”と。
                        (04.9.23。9.25補)
        ********************



  
白虹貫日

  「荊卿の匕首、張良の椎」--荊軻、張良等は、一身を抛って、仁を成したと讃えられており、赤穂や桜田門の浪士は、義士として千載に不朽の名を遺している。彼等は強大な敵と敢えて対決し、君国に忠義の心を尽くして、人の道を全うしたのである。人は何のために生き、何のために死ぬのか。彼等は、そこに自分を超える価値を見出したのだ。大義に身を献げたのである。これは、後世人の広く認めるところである。ところが、その手段としての直接の攻撃相手が強大な敵ではなく、不特定の人民を標的とすることは非難されている。
  両者は、ともに外来語では同一の語に概括されるものの、後者は人間の業(ごう)というのか、生物に附与されている本能とでもいうべきものに基づく行動ではないのかとも…。抑圧された民族は、一つの強力な国家・民族が、政治的経済的に他民族を支配して強大な勢力圏をつくろうとする覇権主義につながる運動には、生理的な反撥が起こってくるのだろう。慷慨は、ひとり秋瑾のものだけではない。かえりみてなおくんば千万人と雖も壮士は征くものなのだろう。然(さ)りとて、沸(たぎ)る血の宿る胸中には或いは蕭蕭とした風も吹きぬけていたのかもしれない。
  世にそれぞれの正義があり、大義のために血は流れて熄むところを知らない。真につらいことである。金錯刀は暫し匣に収められて、民族が融和の手を差し伸べあう大同世界の実現を庶(こいねが)うものである。我々は強く升平を希求して已まないが、それでも----やまれぬものなのか…。
     ………………
  戦国時代はいつから始まったかは分明でないように、如此,後世、今の世を「○○時代の初期」と概括することがあるかもしれない。一つの別の時代に足を踏み入れたのだろうか。白虹は、将に日を貫こうとしている。
                   (2004.10.17)
        ***********************



 茫茫往事

  遙かな昔、項羽と劉邦が天下に覇を争い、中原に三国の英雄が闘った。そして、陽光が燦爛と輝く日々も過ぎ去った。往事茫茫として、かえることはない。
  わたしといえば「往時茫茫」となろうか。最近、屡々その感懐を持つ。
                    (2004.10.23)
      *********************************



 「人民中国

  昔の中国の写真が見たくなったので、図書館で『図説中国の歴史 9 人民中国への鼓動』(小野信爾著 講談社)を借りた。昭和52年の発行である。とても懐かしい。嘗てのわたしの心にあった日中像である。或いは、日本人の心にある中国像と言った方が正確かも知れないが。

  ……半封建・半植民地状態で、地主・買弁・軍閥が支配していた旧中国。辛亥革命、北洋軍閥の興亡と五四運動。その間にあって、魯迅と藤野先生との師弟愛の交わりがあり、東京、横浜に孫文、秋瑾がいる。国民革命、土地革命、抗日戦争、人民解放戦争と続く民族解放のうねり。周恩来、内山完造、宋慶齢の交流と活動。また、日本人反戦同盟の活躍。蒋介石の決断。日本の降伏・人々が「惨勝」と呼んだ状態。内戦の勃発と国民政府軍の敗退。土地改革、「訴苦」、中華人民共和国の成立。チベット解放、国民政府の台湾への遷移。さらに、「大躍進」毛沢東の文革発動。新たな「長征」へ進発する中国人民……。
  日本と中国との国の関係だけではなく、その間に生きる人々の熱い吐息が感じられる。人と人との結びつきの濃い人民の歴史だ。わたしの理解していた歴史像だ。この本はこの部分を要約して『新中国を理解するために』として、次のようにまとめている:
  「日清戦争いらい、同文同種の関係を自負しながら、日本人は中国で現実に進行している事態をまったく理解できなかった。中国を侵略し搾取している民族=帝国主義民族としての身勝手な立場のために、中国人民の着実な前進がまったくの死角に入っていたのである。しかも一九四五年の日本軍国主義の敗退と一九四九年の中国革命の勝利とで、眼のうろこが落ちたように思えたのもつかの間、中国はふたたび日本人の理解から遠ざかりつつある。……
  しかし、今日の中国は天から降ったものでも、地から湧いたものでもない。半封建・半植民地の泥沼から立ちあがり、一世紀以上の苦闘の歴史を踏まえて生れた国である。理解のギャップを少しでも埋めるためには、革命中国が負うた宿業の深さと、その宿業の深さゆえに、かえって登りつめねばならなかった革命の高みとを知る必要がある。」と、毛沢東の表現を藉りて謳いあげている。

  今、これらの文や写真を見ると、隔世の感をいだく。今日、中国は世界の東方に屹立して、四海を睥睨している。新たな「長征」へ進発した中国は、大きく進んで第二次大躍進の時期を迎えている。
さようなら! 「人民中国」。

   これを記している時に潜水艦事件(11/10)があった。ますます今昔の感を深めた。日本人の心にある中国像が再び変わりつつある。「華夏の中国」よ…。
                          (2004.11.13)
          
−また−
  あの後、世の人々のことばが変わってきている。心の奥底を秘やかな緊張が静かに走る。
                          (2004.11.14)
         **************





       
平成17年(2005年)の分は
          こちらです。
平成15年(2003年)の分は
          こちらです。
2004. 1. 1
      1.12
      1.17
      2. 7
      2.11
      2.15
      3.15
      4. 8
      4.23
      8. 5
      8.18
      9.10
     10.17

秦観 陶淵明 陶潜 白楽天 宋詞


shici gaishuo竹渓閑話(次)平成17年
shici gaishuo竹渓閑話(前)平成15年
shici gaishuo竹渓閑話 平成20年
shici gaishuo
竹渓閑話 平成19年
shici gaishuo竹渓閑話 平成18年
shici gaishuo竹渓閑話 メニュー

shici gaishuo詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
唐詩格律 之一
詩韻
詩詞用語解説
詩詞民族呼称集
cipai yiming詞牌異名
cishi詞史
Hanyu yinyun現代漢語音韻
詩詞引用原文解説
陶淵明集
Huajianji歴代叙情詩選
Huajianji花間集
李U詞
李C照詞
Huajianji婉約詞:香残詞
Xin Qiji ci辛棄疾詞詞
先秦漢魏六朝詩歌辞賦
唐宋・碧血の詩篇
Qiu Jin ci秋瑾詩詞
Huajianji毛澤東詩詞
shichao shou ye天安門革命詩抄
wengeshige shou ye燦爛陽光之歌
shichao shou ye扶桑櫻花讚
riben gushi shou ye日本漢詩選
shichao shou ye読者の作品
zhuozuo碇豐長自作詩詞
漢訳和歌
参考文献(論日本)
参考文献(総目録)
参考文献(宋詞)
参考文献(詩詞格律)
参考文献(唐詩)
参考文献(韻書)
参考文献(漢語音韻)
参考文献(漢語方言)
Hanyu:zhici中国語ご挨拶  
laixinお便りのページ
propaty本サイト全情報
zhuzhang わたしの主張
guanhougan
メール
hui shouye
トップ

huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye