題菊池容齋圖 | ||
藤田東湖 |
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蛟龍得雲雨, 非復池中物。 如何風塵裡, 徒使英雄屈。 |
蛟龍 雲雨 を得 ば,
復 た池中 の物に非 ず。
如何 ぞ風塵 の裡 ,
徒 らに 英雄をして屈せしむる。
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◎ 私感註釈
※藤田東湖:文化三年(1806年)〜安政二年(1855年)。幕末の水戸学派の儒者。尊皇攘夷思想の主導者の一。その思想は彼の代表作である『和文天祥正氣歌・有序』「天地正大氣,粹然鍾~州。秀爲不二嶽,巍巍聳千秋。注爲大瀛水,洋洋環八洲。發爲萬朶櫻,衆芳難與儔。…」によく顕れている。日本では、文天祥の『正氣歌』「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。皇路當C夷,含和吐明庭。時窮節乃見,一一垂丹。… 」を超していよう。
※題菊池容斎図:菊池容斎の絵を詩題にして詩を作る。 ・題-:…を詩題にして詩を作る。 ・菊池容斎:江戸末期〜明治初期の日本画家。天明八年(1788)年〜明治十一年(1878年)。江戸の人。本名は武保。通称は量平。狩野派・土佐派などの画法を学び、有職故実に詳しく、歴史画に優れ、忠臣孝子達の肖像画集・『前賢故實』の木版本がある。(余談になるが、わたしはこの木版本『前賢故實』集のほとんど全てを持っている) ・図:絵。
※蛟龍得雲雨:蛟龍は、(狭い池の中にいる器量のものではなくて、雲雨(=機会)を得れば(、天に昇るものであり)。 *後出『三國志・呉書・周瑜』に基づいた句。南宋・文天の『酹江月・和友驛中言別』「乾坤能大,算蛟龍、元不是池中物。風雨牢愁無著處,那更寒蟲四壁。槊題詩,登樓作賦,萬事空中雪。江流如此,方來還有英傑。 堪笑一葉漂零,重來淮水,正涼風新發。鏡裏朱顏都變盡,只有丹心難滅。去去龍沙,江山回首,一綫青如髮。故人應念,杜鵑枝上殘月。」に拠るか。 ・蛟龍:〔かうりょう;jiao1ong2○○〕鱗のある龍。みずち。龍の雌。龍の母。角が一本ある龍の子。また、みづちと龍と。古代の想像上の動物で、洪水を起こすと云う。 ・得雲雨:「蛟龍得雲」として、雲(=機会)があれば天に昇るもの。蛟龍は、池中の物として、収まっているものではない。
※非復池中物:狭い池の中にいる器量の小さいものとは、まったく異なる。 ・非復-:(以前の時とは)まったく異なる。南朝・梁・沈約の『別范安成』に「生平少年日,分手易前期。及爾同衰暮,非復別離時。勿言一樽酒,明日難重持。夢中不識路,何以慰相思。」とあり、北宋・王安石の『觀明州圖』に「明州城郭畫中傳,尚記西亭一艤船。投老心情非復昔,當時山水故依然。」とあり、南宋・陸游の『沈園二首其一』に「城上斜陽畫角哀,沈園非復舊池臺。傷心橋下春波香C曾是驚鴻照影來。」とある。 ・池中物:狭い池の中にいる器量のもの。規模の小さいもの。鱗獣の王である蛟龍とは異なる、普通の魚のこと。なお、周瑜が劉備の人物を批評して「非池中物」と言ったのに:『三國志・呉書卷五十四・周瑜』「瑜上疏曰:『劉備以梟雄之姿,而有關羽、張飛熊虎之將,必非久屈爲人用者。愚謂大計宜徙備置呉,盛爲築宮室,多其美女玩好,以娯其耳目,分此二人,各置一方,使如瑜者得挾與攻戰,大事可定也。今猥割土地以資業之,聚此三人,倶在疆場,恐蛟龍得雲雨,終非池中物也。』」がある。「非池中物」とは、非凡な者、大物のこと。 ・非:…ではない。…にあらず。名詞を否定する。 ・復:また。ここでの用法は、リズムを整えるために使われている。東晋・陶淵明の作品にもこの用例が多い。
※如何風塵裡:(「如何(風塵裡)徒使英雄屈。」といった構造で、)どうして俗世間では(徒(いたずら)に英雄(=詩の作者・藤田東湖)に屈節させようとしているのか)。 ・如何:どうしよう。どうか。どのように。いかに。いかん。対処・処置等の手段・方法を問う。 ・風塵:煩わしく穢らわしい物事の喩え。浮き世。俗世界。世間の俗事。本来は、風と塵(ちり)。砂ぼこり。 ・裡:うち。
※徒使英雄屈:(どうして俗世間では)徒(いたずら)に英雄(=詩の作者・藤田東湖)に屈節させようとしているのか。 ・徒:いたずらに。 ・使:(…に)…させる。(…をして)…しむ。 ・英雄:ここでは、詩の作者・藤田東湖自身を指す。
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◎ 構成について
韻式は、「aa」。韻脚は「物屈」で、平水韻入声五物。この作品の平仄は、次の通り。
○○●○●,
○●○○●。(韻)
○○○○●,
●●○○●。(韻)
平成31.2.21 2.22 |
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