Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


九日齊山登高

唐・杜牧


江涵秋影雁初飛,
與客攜壺上翠微。
塵世難逢開口笑,
菊花須插滿頭歸。
但將酩酊酬佳節,
不用登臨恨落暉。
古往今來只如此,
牛山何必獨霑衣。






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九日 齊山せいざんに登高す

かうは 秋影しうえいひたして  がん 初めて飛び,
かくと 壺をたづさへて  翠微すゐ び のぼる。
塵世ぢんせい がたし  口を開きて笑ふに,
菊花 すべからく 滿頭にして歸るべし。
だ 酩酊めいていって 佳節 か せつむくい,
もちゐざれ 登臨  落暉らっ き を恨むを。
古往 今來 こ わう こんらい  くの如く,
牛山ぎうざんに 何ぞ必ずしも  ひところもうるほさん。

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◎ 私感註釈

※杜牧:晩唐の詩人。八○三年(貞元十九年)〜八五二年(大中六年)。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。

※九日斉山登高:九月九日の重陽の日に(刺史として赴任していた池州(現・安徽省貴池(県にある)齊山(せいざん)に登った。 ・九日:ここでは、陰暦九月九日の重陽の日のこと。 ・齊山:〔せいざん;Qi2shan1○○〕池州(現・安徽省貴池(県)。江州と南京の中間点で、長江南岸)の東南3キロメートルのところにある。 ・登高:九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。高きに登る。重陽の日に登高して、茱萸(しゅゆ;zhu1yu2)かわはじかみ。ちょうせんごしゅゆ(朝鮮呉茱萸)。日本では、ぐみとしている。初夏に黄色い花をつける)の実を頭に挿して邪気を払うという後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。(「茱萸」の解釈について、NPO法人武蔵野自然塾 梅田 彰氏より次のような論考のメールをいただいた。正鵠を得た御指摘なので、以下に紹介する。
      ----------------       
「茱萸」の解釈については、ハジカミとかワハジカミとかの解説がされておりますが、小生は和名をカラスザンショウ、漢名を食茱萸、茱萸、食椒と呼ばれている植物が正しいと考えております。以下、その理由を下記します。

「茱萸」自体の意味は「赤い実」の意味ですが、これはカラスザンショウの刮ハの果皮が秋に赤熟するからです。そして、中国では産地の略称を頭につけて命名する慣習があり、コショウ(胡椒)は「胡の国の小さい実」、キュウリ(胡瓜)は「胡の国の瓜」、ゴシュユ(呉茱萸)は「呉の国の赤い実(カラスザンショウと同様に刮ハの果皮が秋に赤熟する)」、ショクショウ(蜀椒)は「蜀の国の小さい実」およびセンショウ(川椒)は「四川省の小さい実」ならびにカショウ(花椒)は「(刮ハの果皮が赤くて)花のような小さな実」の意味で、いずれも華北山椒の別名です。この華北山椒はマーボ豆腐やザ―サイに使われている山椒の仲間で、日本のサンショウによく似ています。この華北山椒も日本のサンショウも刮ハで赤熟します。

日本では「茱萸」はグミ(グミ科)のことを指しますが、これは漢方薬として有名なサンシュユ(山茱萸・ミズキ科)「太行山脈地域の赤い実」についての漢書(本草書など)を読んだ日本人が、グミと同じくらいの大きさの「赤い(液)果」をつけるところから、グミの仲間であると誤認してグミに茱萸の字を充てたのだと思います。上記ゴシュユ(呉茱萸)「呉の国の赤い実」はカラスザンショウによく似たミカン科の植物で、液果ではありませんが、刮ハの果皮が秋に赤熟し、漢方に使われます。一方、カラスザンショウも同様に刮ハの果皮が赤熟し、食茱萸、略称茱萸、あるいは食椒と呼ばれ、健康食品的な位置づけであったと考えます。

日本のサンショウにしろ、中国のカホクサンショウにしろ、葉は奇数羽状複葉ですが大変小さく、髪の毛の中に「挟む」ことはなんとかできても「髪に挿す」ことはできず、さりとて、小枝ごと髪にさすとトゲで痛く、また果実を挿すとしても、果柄は非常に短くて、いずれも、髪に挿すのは無理です。それに対して、カラスザンショウの花柄は10cm以上と非常に長く、髪に挿すことができますし、果皮が秋に赤熟し、健康食品(食茱萸、食椒)であったから、登高のときに、髪にカラスザンショウの果実付き果柄をさし、やはり健康食品である菊を酒にうかべ、健康を祈る行事に使われたのだと思います。

古い日本語では、ショウガのことをハジカミと呼び、サンショウのことをヤマハジカミと呼んでいたようですが、漢和辞典の筆者が華北山椒の別名である「川椒」(四川省の小さい実)を、茱萸のことであると判断し、かつ、別名の「川椒」を、そのままカワハジカミと訳したのだと思います。しかし、カワハジカミなどという植物は存在せず、したがって人によってはハジカミと訳したり、色々な混乱が起こっているように思います。

なお、台湾で入手した蝶の食草図鑑である「台湾蝴蝶食草植物全図鑑」洪裕栄著を見たところ、カラスザンショウは中国名で食茱萸、茱萸、食椒と書かれており、上記解釈は妥当であろうと意を強くしたところです。

また、深江輔仁著「本草和名」(918)に、山茱萸は和名を「以多知波之加美、一名加利波乃美」、食茱萸は和名を「於保多良乃美」と書いてありますが、この「於保多良乃美」すなわち「オオタラノミ」を、日本植物方言集成(八坂書房)で調べますと、カラスザンショウの方言として、オオダラ(福井・三方、三重・員弁、福岡・粕谷)、そしてその転訛としてオオバラ(神奈川、静岡、愛知・三河)などが見られます。

すなわち、山菜として有名なタラノキ(ウコギ科)は、奇数羽状複葉の非常に大きな葉をしており、幹や枝葉にトゲがあり、枝数が少ないのが特徴ですが、このカラスザンショウもまったく同じように、奇数羽状複葉で巨大な葉をしており、幹や枝葉にトゲがあり、枝数が少なく、シロウトでは区別が困難のほど似ております。しかし、カラスザンショウはタラノキよりも樹高がたかくなりますので、オオダラと呼んだものと思われます。それゆえ、オトコダラ(和歌山、愛知、鹿児島・姶良)、クマバラ(静岡)などの方言もあります。

以上から、カラスザンショウのことを、昔はオオダラとよび、また、中国の習俗の影響を受けて果実をたべていたからか、果実に注目してオオタラノミ(カラスザンショウの実)と呼んでいたものと思われます。(以上:NPO法人武蔵野自然塾 梅田 彰氏
http://www.shizenjuku.org/)(2013.9.24)
      --------------
)唐・王維の『九月九日憶山東兄弟』「獨在異ク爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟
登高插茱萸少一人。」や、唐・杜甫の『登高』「風急天高猿嘯哀,渚C沙白鳥飛廻。無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。萬里悲秋常作客,百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢,潦倒新停濁酒杯。」や、魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や杜甫「明年此會知誰健,醉把茱萸仔細看。」魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 や、南唐・李Uの『謝新恩』「冉冉秋光留不住,滿階紅葉暮。又是過重陽,臺登臨處,茱萸香墮。   紫菊氣,飄庭戸,晩煙籠細雨。新雁咽寒聲,愁恨年年長相似。」 や、南宋・陳亮『念奴嬌』「登多景樓」「危樓還望,嘆此意、今古幾人曾會?鬼設~施,渾認作、天限南疆北界。一水陳,連崗三面,做出爭雄勢。六朝何事,只成門戸私計。   因笑王謝ゥ人,登高懷遠,也學英雄涕。憑却江山,管不到、河洛腥無際。正好長驅,不須反顧,尋取中流誓。小兒破賊,勢成寧問強對。」 また、現代では在米留学生・朱海洪『元宵』「東風拂面催桃李,鷂鷹舒翅展鵬程。玉盤照海下熱涙,遊子登臺思故國。休負平生報國志,人民有我勝萬金。憤起直追振華夏,且待神洲遍地春。」 と、中国人には大切な風習である。

※江涵秋影雁初飛:長江は秋景色を水にひたす(かのようにして映して)、雁が初めて飛びたち、(秋の季節が深まっていく時)。 ・江:ここでは、長江のことになる。 ・涵:〔かん;han2○〕ひたす。水につける。 ・秋影:秋げしき。 ・雁初飛:(渡り鳥の)雁が初めて飛びたったことで、秋の季節が深まっていく様をいう。

※与客携壷上翠微:客人と、酒壷を携(たずさ)えて山の中腹まで上った。 ・與-:…と。 ・客:招き呼んだ人。きゃく。人士。ここでは、刺史の幕客のことになろうか。 ・攜壺:酒壷を携(たずさ)えて。杜牧は、『遣懷』で「落魄江南載酒,楚腰腸斷掌中輕。十年一覺揚州夢,占得樓薄倖名。」と表現する。 ・上:のぼる。 ・翠微:山の中腹、八合目あたりをいう。宋の岳飛の『
池州翠微亭』に「經年塵土滿征衣,特特尋芳上翠微。好水好山看不足,馬蹄催趁月明歸。」 がある。岳飛の時代(南宋の初め)にはそのあたりに翠微亭ができていたようだ。

※塵世難逢開口笑:穢(けが)れた人間世界では、口を大きく開けて(心から朗らかに)笑うことにも、出逢うことがなかなか無いので。 *「塵世難逢開口笑」と「菊花須插滿頭歸」とは対句なので、読み下しを揃えるべきだが【「難…」(…すること難(かた)し)】と【「須…」と(須(すべか)らく…べし)】との部分では、国語(日本語)の方が対応していないので対は不可能なところ。 ・塵世:〔ぢんせい;chen2shi4○●〕穢(けが)れた世。人間世界。 ・難逢:出逢うことがなかなか無い。 ・開口:口を大きく開けて(朗らかに笑う)。

※菊花須插満頭帰:(邪気を祓う)キクの花を頭いっぱいにさしはさんで、帰るようにしなければならない。 ・菊花:邪気を祓うとされるキクの花。古來、キクの花は邪気を祓うという習わしがあり、屡々菊酒として紹介されている。ここでは髪に挿して邪気を祓っているが、唐・上官婉兒の『九月九日上幸慈恩寺登浮圖群臣
菊花壽酒』「帝里重陽節,香園萬乘來。卻邪萸入佩,獻壽菊傳杯。塔類承天湧,門疑待佛開。睿詞懸日月,長得仰昭回。」や前出・王維の『九月九日憶山東兄弟』「獨在異ク爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高處,茱萸少一人。」のように茱萸(しゅゆ)を挿すことが紹介されている。重陽の節句に菊花を餐し、酒に浮かべて邪を去るという風習は、遙か楚の時代にあり、屈原の『楚辭・離騷』でも、「衆皆競進以貪婪兮,憑不厭乎求索。 羌内恕己以量人兮, 各興心而嫉妬。忽馳以追逐兮,非余心之所急。老冉冉其將至兮,恐脩名之不立。朝飮木蘭之墜露兮,之落英。苟余情其信以練要兮,長頷亦何傷。」、また、『九章・惜誦』に「檮木蘭以矯尸a,申椒以爲糧。播江離與滋兮,願春日以爲。恐情質之不信兮,故重著以自明。矯茲媚以私處兮,願曾思而遠身。」というふうに、屈原の時代から、身を清めるために菊の花を餐していたことが分かる。以降、長く伝えられ、陶潛の『飮酒二十首』其七「秋菊有佳色其英。汎此忘憂物,遠我遺世情。一觴雖獨進,杯盡壺自傾。日入羣動息,歸鳥趨林鳴。嘯傲東軒下,聊復得此生。」や、『飮酒』二十首其五「結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,飛鳥相與還。此中有眞意,欲辨已忘言。」、前出・東晉・陶潛『九日闍潤x「酒能祛百慮,爲制頽齡。」と、超俗的な作用をするものであり、重陽節の菊花にまでなった。 ・須:しなければならない。…することが必要である。すべからく…べし。 ・插:〔さふ;cha1●〕さす。さしこむ。さしはさむ。ここでは、花をかんざしにする意。 ・滿頭:頭いっぱいに(…する)。「滿頭歸」は「滿頭而歸」のこと。

※但将酩酊酬佳節:ただ酩酊でもって、(素直に)めでたい日を迎えるべきであって。 *ただ素直に祝日を祝えばいいのであって。 ・但:ただ。 ・將:…を(以て)。 ・酩酊:〔めいてい;ming3ding3●●〕ひどく酔う。 ・酬:〔しう;chou2○〕受けたおかえしをする。(恩誼に)むくいる。(「仕返し」の意は無い)。 ・佳節:おめでたい日。節日。祝日。ここでは、陰暦九月九日の重陽の節を指す。

※不用登臨恨落暉:高い所に登って、夕陽を眺めて心残りを歎くようなことは、なさらないように。 ・不用:…なさるな。軽い禁止の語気を持つ表現。(…を)用いないで…。「…ざれ」は、打ち消しの助動詞「ず」の命令形。 ・登臨:山に登り水に臨む。高い所に登って、下方ををながめる。転じて、帝位に即(つ)いて人民を治める。 ・恨:うらむ。心残り、うらみの極めて深いこと。自分に対してのことば。蛇足になるが、「怨」は人をうらむこと。夕陽に心が乱れる詩歌は多い。唐・李商隱の『登樂遊原』「向晩意不適,驅車登古原。夕陽無限好,只是近黄昏。」や、范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映
斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。  黯ク魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸,化作相思涙。」や、柳永の『夜半樂』「凍雲黯淡天氣,扁舟一葉,乘興離江渚。渡萬壑千巖,越溪深處。怒濤漸息,樵風乍起,更聞商旅相呼。片帆高舉。泛畫鷁、翩翩過南浦。    望中酒旆閃閃,一簇煙村,數行霜樹。殘日下,漁人鳴榔歸去。敗荷零落,衰楊掩映,岸邊兩兩三三,浣沙遊女。避行客、含羞笑相語。   到此因念,繍閣輕抛,浪萍難駐。歎後約丁寧竟何據。慘離懷,空恨歳晩歸期阻。凝涙眼、杳杳~京路。斷鴻聲遠長天暮。」、馬致遠の元曲〔越調〕『天淨沙』秋思「枯藤老樹昏鴉,小橋流水人家,古道西風痩馬。夕陽西下,斷腸人在天涯。」など。 ・落暉:〔らっき(らくき);luo4hui1●○〕夕日。落日。沈む夕日の輝き。

※古往今来只如此:(人の生死というものは)昔から今まで、(変わることなく)ただかくのとおり(自然の摂理)であって。 ・古往今來:〔こわうこんらい;gu3wang3jin1lai2●●○○〕昔から今まで。古今を通じて。 *成語となった。=往古來今。 ・只:ただ…のみ。 ・如此:かくのとおり(である)。かようである。

※牛山何必独霑衣:(春秋時代、斉の景公が)牛山に(遊び、人の生死の儚(はかな)さを歎いて)涙で衣を濡らした(歎き)などは、必ずしも必要とはしないのだ。 ・牛山:現・山東省臨淄県の南にある山。斉の都の南東にある。ここでは「牛山歎」のことで、春秋・斉の景公が牛山に遊び、北の方にある都を望んで、涙を流して「どうして人はこんなにばたばたと死んでいくのか」と、人の死を歎いたところ。『晏子春秋・内篇諫上』の「景公登牛山悲去國而死晏子諫第十七』に、「景公遊于牛山,北臨其國城而流涕曰:『若何旁旁去此而死乎。』艾孔、梁丘據皆從而泣。晏子獨笑于旁。」とある。 ・何必:必ずしも…するに及ばぬ。何ぞ必ずしも…せん。 ・霑:〔てん;zhan1○〕うるおす。湿らす。ここでは、涙で濡らすことをいう。

               ***********




◎ 構成について

韻式は、「AAAAA」。韻脚は「飛微歸暉衣」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。

○○○●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○○●●,
●○○●●○○。(韻)
●○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
●●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
2010.6. 8
     6. 9完
2013.9.23



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