「黒猫」傑作選 (ミステリ:アンソロジー)
(ミステリー文学資料館:編 / 光文社文庫 2002)
「ロック」傑作選に続く、戦後間もない昭和20年代の推理小説雑誌を発掘する『甦る推理雑誌』のシリーズ第2巻。
タイトルになっている「黒猫」のほか、「トップ」、「ぷろふいる」、「探偵よみもの」の合わせて4誌の作品が収められています。「ぷろふいる」は、戦前にも出ていた同タイトルの雑誌の復刊です(戦前版については「ぷろふいる」傑作選をご参照ください)。
「黒猫」からは7篇。幻想味の強い「憂愁の人」(城 昌幸)や「黒いカーテン」(薄 風之助)、純粋幻想小説「白い蝶」(氷川 瓏)の他、本格毒殺ミステリ「三つめの棺」(蒼井 雄)と一対の鬼女の面がふたつの殺人現場に残されていたという「鬼面の犯罪」(天城 一)が収められています。特筆すべきは、十代の頃を思い出す作品がふたつ載っていたことです。ひとつは、映画雑誌「スクリーン」誌上で辛口の映画評をよく読んでいた双葉十三郎さんのミステリ「密室の魔術師」(カーを意識していたのではないかと思われる、怪奇趣味が横溢した密室と犯人消失もの)。もうひとつは香山滋さんの「天牛」。これは十代の頃に現代教養文庫『香山滋傑作選』に収録されていたのを読んでいましたが、当時はここに描かれた男女のどろどろした情欲絵巻を理解できず、今回読み直して「ああ、そういうことだったのか」と納得した次第(笑)。
また、坂口安吾さんが内外の探偵小説をばっさりと切り捨てた「探偵小説を截る」も、内容の是非はともかく、その過激さが小気味よいものです。
「トップ」からは、戦前から第一線で探偵小説を書いていた作家の2編、「蔦のある家」(角田 喜久雄)と「吝嗇の真理」(大下 宇陀児)。どちらも人間心理の綾を細やかに、また大胆に描いています。
「ぷろふいる」からは小説4編とエッセイを4編。青鷺幽鬼というペンネームは、角田喜久雄と海野十三の両氏がエラリー・クイーンを真似た合作ペンネームで、同じ主人公(現実派の中年警部と、美貌で聡明なその夫人のコンビ)を探偵役とした連作ミステリを試みたもの。ただし、ここに収録した2作(各1作)しか書かれなかったのは残念です。「能面殺人事件」(角田)と「昇降機殺人事件」(海野)は、言われなければどちらも同じ作者の作品だと思ってしまうほど、トリッキーでかつ夫婦探偵のユーモラスな掛け合いといったパターンが確立されています。
他にユーモア・ミステリ「豹助、町を驚ろかす」(九鬼 澹)とヨーロッパを舞台にした大時代的な「湖畔の殺人」(小熊 二郎)。
「探偵よみもの」からは、いずれも大家の3編。迫力ある心理描写が印象に残る「詰将棋」(横溝 正史)、マムシに噛まれて村人が死んだ事件の謎を解く「村の殺人事件」(島 久平)、終戦時に満州の金山で起きた連続怪死事件を凄絶に描く「芍薬の墓」(島田 一男)。
<収録作品と作者>「憂愁の人」(城 昌幸)、「黒いカーテン」(薄 風之助)、「三つめの棺」(蒼井 雄)、「密室の魔術師」(双葉 十三郎)、「白い蝶」(氷川 瓏)、「鬼面の犯罪」(天城 一)、「天牛」(香山 滋)、「探偵小説を截る」(坂口 安吾)、「蔦のある家」(角田 喜久雄)、「吝嗇の真理」(大下 宇陀児)、「豹助、町を驚ろかす」(九鬼 澹)、「能面殺人事件」(青鷺 幽鬼=角田 喜久雄)、「昇降機殺人事件」(青鷺 幽鬼=海野 十三)、「探偵小説思い出話」(山本 禾太郎)、「甲賀先生追憶記」(九鬼 澹)、「二十年前」(城 昌幸)、「小栗虫太郎の考えていたこと」(海野 十三)、「湖畔の殺人」(小熊 二郎)、「詰将棋」(横溝 正史)、「芍薬の墓」(島田 一男)、「村の殺人事件」(島 久平)
オススメ度:☆☆☆
2006.9.23
招かれざる客たちのビュッフェ (ミステリ)
(クリスチアナ・ブランド / 創元推理文庫 2001)
マニア好みのミステリを書く女流作家だという評判を聞いて(しかもクリスティやセイヤーズと同じ英国女流作家!)、楽しみにしていたブランドの初読みです。
タイトルから推察されるように、ビュッフェでのコース料理になぞらえたバラエティに富む短篇が16篇、収められています。ビュッフェ(軽食堂)なので、フルコースではないところにも作者のひねりの利いたセンスが感じられます。
では、順番に賞味して行きましょう(笑)。
食前のカクテルは、長編作品でも活躍するコックリル警部が探偵役を務める4篇です。
「事件のあとに」:シェイクスピア劇を演ずる劇団で起こった女優殺人事件。容疑者は起訴されましたが、陪審によって無罪とされました。それでも事件をしくじったわけではない、と自慢する担当の老刑事の話を聞きながら、コックリル警部が最後に新事実を指摘して老刑事をぎゃふんと言わせます。役者のメーキャップの影に真犯人を明示する証拠が隠れていると看破していた老刑事ですが、たった一点の見落としが致命傷となりました。もったいぶって話を小出しにする老刑事の先手を打って、言いたいことを代わりにしゃべってしまうコックリル警部が小気味よいです。
「血兄弟」:一卵性双生児であることを利用して、互いが犯した犯罪の隠蔽を図る兄弟ですが、お互いに念には念を入れすぎたために墓穴を掘ってしまうという倒叙ミステリ。
「婚姻飛翔」:狷介で横暴な富豪キャクストンが、自分の結婚式のパーティで毒殺されます。新婦エリザベスは、富豪の亡くなった前妻を世話していた元看護婦で、若く美貌の持ち主。キャクストンの死を願っていたと思われるのは3人――前妻の連れ子でギャンブラーのビル、キャクストンの実の息子シド、主治医のロスでした。コックリル警部の捜査では、この3人ともに動機(エリザベスを憎からず思っていた)と機会(青酸を入手しキャクストンに盛ることができた)を持っていましたが、いずれも決定的な証拠はありません。被害者が生前に発していた何気ないひとことから、コックリルが導き出した真相は?
「カップの中の毒」:医師である夫の不実を疑った妻が、狂言自殺を装って乗り込んできた浮気相手の看護婦を毒殺してしまいます。しかし、意外な事実が次々に明らかになって、妻は嘘を嘘で塗りかため、なんとか嫌疑を逃れようとしますが――。解説で北村薫さんが指摘されていますが、作者は妻が犯したミスをあからさまに提示していて、ちょっとミステリを読みなれた読者ならすぐに気付いてしまいます(実際、気付きました)。それを承知の上で、最後まで引っ張っていく心理描写の変化が秀逸です。毒殺ミステリとしては、セイヤーズの「疑惑」と並ぶ印象深い作品でした。
続いてはアントレ――メインディッシュの肉料理です。
「ジェミニー・クリケット事件」:弁護士ジェミニー・クリケットが密室で殺害された事件がきっかけで、ある老人のもとを訪れた青年ジャイルズは、老人に問われるままに、自分も関係者だったジェミニー殺害事件を語ります。人権派弁護士だったジェミニーは、被害者の遺児や加害者の子供たちを後見人となって援助し、成長すれば職の世話までしていました。ジャイルズもそんなひとりで、同じ境遇のルーパートやヘレンと一緒にジェレミーの仕事を手伝っていました。ジャイルズもルーパートもヘレンのことが好きで、いずれ結婚したいと思っていましたが、ヘレンは別の男性に熱を上げています。そんな折、急を告げる電話を受けたルーパートが、同じように連絡を受けた警官隊と駆けつけてみると、ジェレミーは鍵のかかった事務所で首を絞められた上、ナイフで刺されて死んでおり、室内には火が放たれていました。さらにその日の夜、地元の警官がジェレミーと同じ手口で殺されているのが、郊外で発見されます。ジャイルズの話に基いて、老人は次々と容疑者を挙げ、最後に真犯人を指摘します。あらゆる描写や会話が伏線として使われ、二重三重のどんでん返しは鮮やかで(真相を知った上で読み直すと、そのすごさが判ります)、本書の中で一番の出来と言われるのもうなずけます。ちなみにここで使われている密室トリックは、アニメ「ルパン3世」の第一期シリーズでも使われていました。
「スケープゴート」:法廷ミステリの風味を持つ異色作。好色漢として名を馳せた奇術師が、病院の新館を建設するための定礎式で、建設中の別館から狙撃され、弾丸が命中した助手は死亡します。別館の3階には小銃が固定されており、なんらかの機械的手段で発射されたようでした。この建物には当時、屋上で撮影していたカメラマンと入口で見張りをしていた巡査しかおらず、このふたりが容疑者となりますが、決定的証拠はありません。13年後、関係者が一堂に会します。事件がきっかけで失職し、貧困のうちに死んだ巡査の息子の疑念を晴らすのが目的でした。擬似裁判が始まり、当時の意外な人間関係が次々に曝露されます。明らかになった真相とは――。
「もう山査子摘みはおしまい」:いわゆる“奇妙な味”に分類されそうな作品。知恵遅れの少女になつかれていたヒッピーの青年が、彼女から呼び出された場所へ行くと、少女は川で溺れ死んでいました。自分が疑われるのではないかと思った青年は仲間に相談し、知恵を出し合いますが、それが次々と裏目に出て――。目撃者した子供たちの証言を含め、悪人は誰もいないのに、些細な嘘とごまかしが悲劇を生むプロセスにぞくりとさせられます。
ちょっと暗い気分になったら、ユーモラスな犯罪ドラマで口直しをしましょう(笑)。
「スコットランドの姪」:老婦人の屋敷から値打ち物の真珠の首飾りを盗み出そうと考えた泥棒エドガーは、相棒のパッツィーと悪巧みをめぐらします。件の老婦人は、若い頃につらく当たったスコットランド人の姪がいつか復讐に来ると信じ込んでいて、防犯には異様に気を遣っています。エドガーは老婦人の家政婦グラディスを篭絡し、いよいよ犯行に踏み切りますが――。
「スケープゴート」と同様、「スコットランドの姪」の正体は誰か、最後の最後まで二転三転するサスペンスが秀逸。
続いてはプチ・フール(ひと口で食べられるケーキ)を4品です。
「ジャケット」:何事にも自分より優れている妻がうとましくなった夫が、完全犯罪による殺害を計画しますが、万全を期したことが皮肉な結果に繋がります。こちらも伏線の張り方が見事です。
「メリーゴーラウンド」:作者自身がアンソロジーを編んでいる、“恐るべき子供たち”テーマに分類されそうな作品。親の間でスキャンダルをネタに恐喝の輪が広がる中、子供たちは――。作者のシニカルな視点が光ります。
「目撃」:少女嗜虐趣味のあるアラブの金持ちが、豪華な自家用ロールスロイスの車内で刺殺されます。運転手が嫌疑を受けますが、ちょうどロールスロイスの隣を走るタクシーに乗っていた女性が「もうひとり男が乗っているのを見た」と証言し、運転手の嫌疑は晴れますが、真相は――? でもこの原題はネタバレでは(笑)。
「バルコニーからの眺め」:夫とふたり暮らしのミセス・ジェニングスは、隣家の老婦人から常に見張られていました。2階のバルコニーで車椅子に座った老婦人は、彼女の一挙一動を観察しては、自分の家族に言いふらしています。その声が聞こえるような気がするミセス・ジェニングスはストレスが溜まって夫ともぎくしゃくし、悲劇が訪れます。しかし、ラストでとんでもない真相が――。これも“奇妙な味”の典型ですね。
最後に、ブラック・コーヒーをお代わりしましょう。かなりブラックな味わいの4篇です。
「この家に祝福あれ」:ある雨の晩、ミセス・ボーンは宿無しの若夫婦を気の毒に思って納屋を貸し、身重だった若妻はそこで男の子を産み落とします。ジョーとマリリンという夫婦の名前から赤ん坊はイエス・キリストの再臨ではないかと思い込んだミセス・ボーンの言動は次第に常軌を逸し始めます。困った若夫婦がとった解決手段とは――。ああ、ブラック(笑)。
「ごくふつうの男」:現代風に言えばサイコ・サスペンスでしょう。実直そうな男を家に入れてしまった女性は、ここのところずっと、いやらしい悪戯電話をかけてきていた相手だと気付きます。自分の性格欠陥を切々と訴える男に、この女性がとった行動は――。
「囁き」:親の前では猫をかぶっているティーンエイジャーのダフネは、刺激を求めて、従兄弟のサイモンに無理やり頼んで、荒くれどもが集まる酒場へ連れて行ってもらいますが、そこでドラッグでハイになった結果、ヤクザ者にレイプされてしまいます。厳格な父親に叱られたくない一心で、ダフネは嘘を並べ立てますが、その結果、恐ろしい出来事を引き起こしてしまいます。
「神の御業」:ポーストのアブナア伯父シリーズにも、同じタイトルの短篇がありましたね。自分の妻と娘が交通事故で死ぬ現場を目撃した巡査は、公平中立な証言をして称賛されますが・・・。
特に後半の作品群では、「世の中、そんなものよ」というブランドのシニカルな視点が際立っているという気がします。文庫で出ているブランド作品はすべて購入済みです。いつか(笑)登場。
オススメ度:☆☆☆☆
2006.9.26
20世紀SF4 1970年代 接続された女 (SF:アンソロジー)
(中村 融・山岸 真:編 / 河出文庫 2001)
20世紀に書かれた英語圏のSF短篇の真髄を年代ごとにセレクトしたアンソロジー「20世紀SF」の第4巻。今回は1970年代です。
70年代というと、『人類の進歩と調和』を謳う大阪万博から華々しくスタートしたものの(それは日本だけ?)、宇宙開発計画は逆に停滞し、公害や石油ショックなど悲観的な未来を予想させる問題が次々と起こり、時代を反映したエコロジーブームや現実に背を向けたオカルト・ブームが一世を風靡しました。
しかし、実際70年代にどんなSFが出ていたのかというと、あまり思い浮かびません。サンリオSF文庫が、同時代の作品を多く送り出していたのは覚えていますが、「これだ!」というインパクトの強い作品は少なかったような気もします。
この巻には11の作品が収録されていますが、どれも名の通った作家で、読んだことのない作家はいませんでした。
では、収録作品を紹介してまいります。
「接続された女」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア):行き倒れになった何のとりえもない女性、P・バークは入院先で奇妙な申し出を受け、受諾します。彼女の肉体は容器に閉じ込められ、精神は新たな人工の肉体に接続されます。15歳の少女デルフィとして世間に登場した彼女は、さる企業複合体の広告塔として活動を始めますが――。露骨な商品広告が禁止された未来社会を舞台に、文字通り生きた広告塔として華やかな生活を送るデルフィの影としてしか存在できない“接続した女”P・バーク。しかし、彼女の正体を知らずに恋してしまった青年ポールの行動で、悲劇は起きます。この作品は「愛はさだめ、さだめは死」(ハヤカワ文庫SF)にも収録されています。
「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ):『新しい太陽の書』4部作(ハヤカワ文庫SFから復刊されましたね)で知られるウルフが、H・G・ウェルズの「ドクター・モローの島」へのオマージュとして書いた作品。でもただのオマージュでは終わっていません。ニューイングランドの小島に住む少年タックは、母親の再婚問題で悩む日々を過ごしています。彼は「デス博士の島」という、マッドサイエンティストと改造人間が登場するペーパーバックに現実逃避しますが――。空想と現実が入り混じっていく幻想SF。
「変革のとき」(ジョアンナ・ラス):フェミニズムSFの女流作家として著名なラスの作品。「究極のSF」にも“未来のセックス”テーマの代表として作品が収録されていました。男性がすべて死に絶えて、数世代にわたって女性だけで社会を築いてきた植民惑星(もちろん生殖問題も解決済み)に、宇宙船で男性がやって来たことから引き起こされる住民の混乱を描きます。
「アカシア種子文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』からの抜粋」(アーシュラ・K・ル・グィン):ル・グィンの異色作。アリの巣の奥で発見されたアカシアの種子に刻まれたアリ語の文書を解読したり、ペンギンの言語を論じたり、植物が言語を保有する可能性を追求したりという、架空の科学論文の断片を積み上げて、それだけ(笑)。でも実際に、似たようなテーマで大真面目に本を出しているトンデモさんがたくさんいるわけで、そういう人々への強烈な皮肉にもなっています。あるいは将来、このような事実が発見される可能性も・・・。
「逆行の夏」(ジョン・ヴァーリイ):ヴァーリイの代表作『八世界シリーズ』に属する作品。『八世界シリーズ』とは、異星人の侵略で地球を失った人類が、月や各惑星の植民地で独自の文化を発展させているという未来社会を舞台としたもので、長篇「へびつかい座ホットライン」、「スチール・ビーチ」、短篇集「残像」、「ブルー・シャンペン」(以上、ハヤカワ文庫SF)、「バービーはなぜ殺される」(創元SF文庫)などがあります。クローンや性転換が当たり前に行われている未来社会という設定を生かし、この作品は水星を舞台に、母親とふたりきりで暮らしている少年ティモシーが、月からやって来たクローンの姉と初めて会うことで、母親ドロシーと自分の出生の秘密を知る物語。同時に、水星という特殊な環境で暮らす人類の特異な文化も生き生きと描かれています。
「情けを分かつ者たちの館」(マイクル・ビショップ):名前は以前から知っていましたが、この作品が初読みでした(←と書いたのですが、調べてみたらアンソロジーに収録された短篇をふたつ読んでいました。印象が薄かったようです)。植民惑星での事故で重傷を負ったドリアンは、脳以外をすべてサイボーグ化されて生き延びますが、自分の運命を受け入れられず、妻をはじめ他人との交流を拒み続けていました。最後の手段として、ドリアンは地球にある“情けを分かつ者たちの館”という施設に送られます。“館”は、究極の癒しをもたらす施設と言われていますが、変態趣味を持つ一部の権力者に娼館として使われているという噂もあります。そこで出会う異形の異星人たちは、ドリアンに何をもたらすのか――。
「限りなき夏」(クリストファー・プリースト):第二次大戦初期のロンドンをさまようトマス・ロイド。彼の目には、常人の目には映らない“凍結者”という無気味な存在を見ることができました。30年前、恋人と結婚の約束をした歓喜の瞬間にロイドの身に起きた事件とは――。未来からの時間干渉を扱った無気味な時間テーマSFであるとともに、ジャック・フィニイのファンタジーを思い起こさせる叙情あふれるラストが出色です。
「洞察鏡奇譚」(バリントン・J・ベイリー):奇天烈なアイディアをベースにしたSFを書かせたら右に出る者がいない(ラファティも奇想天外ですが、奇天烈さの質が違うと思います)ベイリーが、本領を遺憾なく発揮した作品。この小説の主人公は、なんと岩石で埋め尽くされた宇宙に住んでいます。つまり、宇宙空間は真空の代わりに岩石があり、人類は無限の岩石の中にぽっかりと空いた空洞内で暮らしているというわけです。人々は、神は宇宙に空洞をひとつしか創造しなかったという宗教を信じ、岩石を貫く探検船で他の空洞が存在する可能性を探ろうとする科学者は異端として弾圧されます。しかし、科学者エルレッドは信念を貫き、探検船で脱出しますが――。タイトルの「洞察鏡」とは、こちらの世界でいう「望遠鏡」のこと。はるか遠くにある空洞を観察する鏡という意味ですね。奇想SFとしては、この巻いちばんの出来です。
「空」(R・A・ラファティ):ベイリーとは異質な奇想天外SFを書くラファティの作品は、大ボラSFとでも呼ぶのがふさわしいものです。“空(スカイ)”と呼ばれるドラッグ(?)を服用した若者たちがスカイダイビング(単なるシャレではありません)をしているうちに、物語はとんでもない方向へどんどんひん曲り、発展していってしまいます。これ以上は説明不可(笑)。
「あの飛行船をつかまえろ」(フリッツ・ライバー):社会史学者の息子に会うためにニューヨークを訪れていた初老の男性は、エンパイア・ステート・ビルの屋上に係留されている巨大な飛行船を見ながら歴史を述懐します。ドイツ系の男性が住むこの世界では、どうやら電気自動車が走り、飛行船が主要な空中移動手段になっています。東側の著名な科学者と西側の偉大な発明家が結婚し、かれらの息子が(文字通り)歴史を変える発明を成し遂げています。起こったかもしれない最悪のシナリオとして語られる世界は、「気化したガソリンを燃料とする自動車が走り、プロペラ推進の鈍重な飛行機が飛ぶ、とんでもない世界」として描かれます。しかし、本来の世界はどちらだったのでしょうか――? 巨大飛行船の消失とともに、真実の歴史は霧の中にぼやけてしまいます。
「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」(ジョージ・R・R・マーティン):傑作吸血鬼歴史ホラー「フィーバードリーム」(創元推理文庫)を書いたマーティンは、実はSF作家としてスタートしていました。辺境の未開惑星にはジャエンシという類人猿に似た知性体が住んでいましたが、入植してきた狂信的宗教勢力“バッカロンの子ら”は、神の祝福を得られるのは人類のみという教えのもとに、ジャエンシの信仰対象であるピラミッドを破壊し、反抗するジャエンシを容赦なく殺戮していました。ジャエンシと交易していた商人ネクロルはこのことに憤り、武器を与えてレジスタンス勢力を組織しようとしますが、ジャエンシの長老たちは協力しようとしません。そして・・・。一種の宗教戦争・文化間闘争を扱っていますが、象徴的な結末ではあります。
オススメ度:☆☆☆☆
2006.9.30
地球最後の奇術師 (SF)
(ウィリアム・フォルツ&クラーク・ダールトン / ハヤカワ文庫SF 2006)
『ペリー・ローダン・シリーズ』の第328巻。相変わらず、ラール人との危うい駆け引きが続きます。なんか『グイン・サーガ』にも似たようなタイトルがあった気がしますが、関係ないですね(笑)。
前巻で、ラール人に人類の機密情報を知られるのを防ぐために、月面の巨大脳ネーサンのデータ抹消作戦に成功したアトラン。ラール人との(表向きの)信頼関係を崩さないでいるためには、ローダンはアトランを犯罪者として追跡し、逮捕しなければなりません。ところが、ラール人はローダンに先んじてアトランの身柄を確保し、公開法廷でアトランに死刑を宣告します。しかも、死刑執行はローダンの手に委ねられます。なんとかしてラール人の目をごまかし、アトランの命を救いたいローダンは、奇想天外な作戦に打って出ます。エネルギー分野では人類のはるか先を行くラール人の目を欺くには、エネルギーを使わない手段――すなわち単純な奇術のトリックでした。そして、地球最後の奇術師と呼ばれる男が呼び出されます。
かつてローダンは、超能力であらゆるエネルギー兵器を通さないアンティ・ミュータントのバリアを破るのに原始的な手段を使いましたが、歴史は繰り返されるということでしょうか(笑)。いえ、決してアイディアの使いまわしだなんて・・・。
そして後半は、もっとエポック・メイキングな出来事が。ローダンは3回目の結婚をします。しかし、時節柄の地味婚(笑)で、モリー・アブロと結婚した時に全銀河を挙げて祝われたのとは雲泥の差ですが、お相手(以前からローダンとの恋仲は噂されていたオラーナ・セストレ)の今後の活躍が楽しみです。さっそくラール人になにかされたみたいですし。
それから、後半のエピソードを担当しているベテラン作家のダールトンですが、本筋に関係のないところでマニアにしかわからないくすぐりを入れてくれています。261ページで、火星へ立ち寄らないことになったグッキーが「アクソ=ビールが楽しみだったけど」と残念がりますが、アクソというのは、グッキーと同族のネズミ=ビーバーで、25世紀にはビール会社の役員になっていたという人物(?)の名前です。この時代、彼が生存しているかどうかはわかりませんが、火星名産のビールにその名前が冠されていたということなのでしょう(笑)。
<収録作品と作者>「地球最後の奇術師」(ウィリアム・フォルツ)、「秘密保持者」(クラーク・ダールトン)
オススメ度:☆☆☆☆
2006.10.11