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イクシーの書庫・過去ログ(2006年7月〜8月)

<オススメ度>の解説
 ※あくまで○にの主観に基づいたものです。
☆☆☆☆☆:絶対のお勧め品。必読!!☆☆:お金と時間に余裕があれば
☆☆☆☆:読んで損はありません:読むのはお金と時間のムダです
☆☆☆:まあまあの水準作:問題外(怒)


海の仮面 (ミステリ)
(愛川 晶 / 光文社文庫 2002)

美少女剣士探偵・栗村夏樹シリーズの第3巻にして最終巻です。
第1作「黄昏の罠」で初登場して女子大生誘拐殺人事件を解決し、第2作「光る地獄蝶」では探偵事務所でアルバイトすることになって資産家一家にまつわる殺人事件を解決した栗村夏樹。ベテラン看護師の母と二人暮しで、短大に通って保母を目指す夏樹は、身長175センチで低い声と短髪のために男性に間違えられること数知れず、しかもインターハイを制した剣道の達人で、地元警察の道場でも一目置かれている猛者でもあります。
しかし、前2作を通じて、幼い頃に死に別れた父親は、実は聞かされていたような地方公務員ではなく刑事で、しかも殺されたらしいということがわかってきます。本作は、実行不可能とも思える状況で実行された連続殺人を解決するとともに、夏樹が父の死の謎に迫る物語でもあるわけです。
保育園で保母の実習をしていた夏樹は、園児のひとり憲也が描いていた無気味な絵に気付きます。七つの頭を持つ蛇と、緑色に顔を塗った人物――憲也の母親はカルト団体にハマっていました。そんな時、夏樹の母親・幹子が思わぬ場所で車に当て逃げされ、意識不明になってしまいます。さらに、自宅には脅迫めいた電話がかかってきます。幹子が娘にも内緒で逢いに行っていたという男性・衣川と対面した夏樹は、衣川に亡き父の面影を見るのでした。
幹子が持っていた手荷物の中に見慣れないペンダント(実は例のカルト集団の紋章)とビデオテープを見つけた夏樹は、そのテープに映っていたシーンに愕然とします。冬の夜、暗い海の上で爆死する、タミオという男性の映像だったのです。一方、都内のアパートの一室では男性の他殺死体が発見されますが、彼は村中民男と名乗っていました。旧知の青年刑事・牧田からそのことを知らされた夏樹は、衣川の謎めいたアドバイスに従って、テープが撮影されたと思われる新潟へ赴くのでした。
新潟で新聞社の支局員、美貌の女性・亜季の助けを得た夏樹は調査を進めるうち、事件の関係者の中に、十数年前の父の死に関わりがある人物の存在がいることに気付きます。あまつさえ、その人物は夏樹のことも知っているようでした。
オカルトマニアの友人・真奈から、ペンダントがムー大陸の紋章であることを知らされた夏樹は、この紋章を奉じているカルト団体「クイランズ・ピープル」を知り、潜入しますが、教祖とされる老人・室伏の異様な存在感に圧倒されるのでした。あまつさえ、夏樹はイニシエーションの儀式を受けることになってしまいます。
教祖・室伏が豪語する、「神の力で人を殺す」という予言は実現するのか、夏樹の父・武範の死は事件とどのように関わってくるのか――?
容疑者が超能力で遠隔殺人をやってのけると宣言するミステリには、「読者よ欺かるるなかれ」(カーター・ディクスン)がありますし、古代文字やムー文明、古史古伝などオカルト趣味を横溢させた点も、カー(ディクスン)を彷彿とさせる道具立てですが、トリックの性格や作品の雰囲気はまったく違います。生真面目でお人好しな夏樹が、すべてを抱え込みながら事件の深部にどんどん巻き込まれ苦悩する姿も前2作以上。本人自身に係わる事件なのですから当然とも言えるでしょう。
父の死の謎を明らかとなり、シリーズは大団円を迎えるわけですが、続篇も考えられそうな結末ではあります。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.3


魔石の伝説4―エイビニシアの虐殺― (ファンタジー)
(テリー・グッドカインド / ハヤカワ文庫FT 2002)

『真実の剣』の第2シリーズ第4巻です。世間からは4年も遅れていますね(笑)。
第1シリーズ
「魔道士の掟」の事件の影響で、地上世界と死者の住む地下世界とを隔てる<ベール>に裂け目が生じてしまいました。この裂け目を修復できるのは<探求者>リチャードのみですが、リチャードはおのれの魔法の才をコントロールする必要がありました。
本巻では、<光の信徒>シスター・ヴァーナに導かれて旅を続けるリチャード、偉大な魔道士ゼッドに会うために<泥の民>の戦士とともにミッドランズを旅する<聴罪師>カーラン、そして闇の生き物と戦って傷つき、治療の技を求めるゼッドと<骨の女>エイディの旅が、三者三様に描かれます。
ミッドランズを襲う戦乱の中で、カーランの異母姉シリラが治めるゲイリアの首都エイビニシアが全滅し、シリラが恐ろしい運命に遭うなど、目を背けたくなるような残虐な描写がある一方、カーランと<泥の民>チャンダレンがわだかまりを解く感動的なシーンもあり、展開に応じてジェットコースターのように印象が変わります。このあたりの転換のバランスの巧みさは、作者グッドカインドの真骨頂でしょう。
本シリーズは残り3巻。主要メンバーはそれぞれの旅の先に待つ運命に立ち向かっていきます。特にリチャードが行く先には恐るべき策謀が待ち構えているようで、怖いような楽しみなような・・・。

オススメ度:☆☆☆

2006.7.4


ヨーロッパホラー&ファンタジー・ガイド (ノンフィクション)
(荒俣 宏 / 講談社+α文庫 2002)

よく考えてみたら、この本、10年前に単行本で読んでいました(汗)。その時のタイトルは「ヨーロッパ ホラー紀行ガイド」で、微妙に違っていました。むうう、出版社の策略に騙されたあ!(^^;
気を取り直して・・・。
本書は、おなじみの荒俣宏さんが、ヨーロッパ各地の怪奇・幻想・オカルトに満ちたスポットを実際に訪れた体験を元にレポートしながら、薀蓄を傾けてくれるという贅沢な旅行ガイド。実地の旅のみならず、それらの驚異が創られた当時にまで想像の翼をはためかせて、時を遡る旅にまでいざなってくれます。豊富な資料と知識、実体験に基く解説には説得力があり、文献を孫引きするだけで中身のない類似本を乱発している作家とはレベルが違います。
紹介されているのは、オカルトファンにはポピュラーなものが多いです。トランシルヴァニアのドラキュラ城、「青鬚」のモデルとなったジル・ド・レー伯爵が無数の子供を虐殺したチフォージュ城、一介の郵便配達夫が半生をかけて建設した「シュヴァルの理想郷」、
「ボマルツォの怪物」に代表されるイタリア各所に残るグロテスクな庭園、太古のレイラインを示す巨石群、キリストの子孫が隠れ住んだ(某ベストセラー小説のネタは、決して目新しいものではありません)と言われるレンヌ・ル・シャトーに秘められた謎(荒俣さんもこの地に触発されて伝奇大作「レックス・ムンディ」を書いたのでしょう)、解剖死体の模倣から見世物へと変化した蝋人形の歴史、ゴーレムや自動人形・・・など、マニアにはたまらないラインアップです。

オススメ度:☆☆☆

2006.7.5


プロフェシー (オカルト)
(ジョン・A・キール / ヴィレッジブックス 2002)

20年ほど前に「モスマンの黙示」というタイトルで邦訳されていたオカルト本の復刊です。当時、書店で見かけてタイトルに惹かれて買おうかと思ったものの、文庫本でなかったので(笑)なんとなく見送ってしまった本です。ただし、今回は映画化されて日本でも公開されるというので、あくまで映画の原作という位置付けで出版されたもの。出版社も、トンデモオカルト本を出すつもりはなかったのでしょう(笑)。
内容は、1966年から67年にかけて、アメリカのウエストヴァージニア州とオハイオ州の境界付近の町を中心に各地で目撃された、赤い目をして翼を持ち、高速で宙を飛びまわる身長2メートルを越える怪生物――通称“モスマン”を調査しながら、UFOやコンタクティ、あるいはMIB(メン・イン・ブラック)の正体を分析するというもの。文献からの引用や伝聞ではなく、著者キール自身が現地で調査とインタビューを実施しており、その過程で本人も様々な怪現象に遭遇した体験が生々しく(?)語られます。しかし、いかにも説得力がない(笑)。
冒頭、冬の深夜に車が故障して電話を借りるために民家を訪れた時に、自分が悪魔に間違えられたというエピソードを紹介し、「特定の世界観や信念に囚われた共同体に異分子が入り込むと、当たり前の事物であっても超常現象類似のものと受け取られることがある」という主張には共感できたのですが、納得できたのは、ほとんどそこだけでした。
確かにキールは、売名や妄想にかられて空騒ぎするだけのUFO信者を痛烈に批判し、政府当局や軍の無知無策を嘆きます。でも、基本的に彼はビリーバーであり、独自のUFO理論を振りかざして断定的に主張するため、読む方はつい盛大に眉に唾をつけざるを得なくなってしまいます。
キールの主張は、おおまかに言えば以下の通りです。
・UFOは外宇宙から来たエイリアンの乗り物ではない。異次元(「別の時空連続体」と言っています)からやって来る超知性体が操っているのだ。
・モスマンや、各地で目撃されている毛むくじゃらの怪物は、異次元の知性の手先である。
・UFO研究家のところに現れては無気味な警告をして去っていく黒服の連中(MIB)も、別の時空からなんらかの目的を持って送り込まれてきている。
・いわゆるUFOコンタクティ(アダムスキーのように宇宙人または宇宙存在とコンタクトしたと主張する人々)は、体質的に異次元の存在を影響を受けやすい人々である。また、コンタクティたちの主張には奇妙な共通点があるが、そこにはかれらに呼びかけて来る未知の存在の共通の意図が感じられる。
・自分を初めとする超常現象研究家は、電話を盗聴されたり活動を妨害されたりすることが頻繁に起こるが、ここにも人類を超越したなんらかの意図が働いている。
・・・で、結局は「この世界には、なにかがいる」という、どうでもいい結論に(笑)。
確かに、モスマンを初めとする怪物や夜空を彩る怪しい光体の描写はリアルなので、怪物ホラーとして映画化するには適しているのかも知れません。ただ、ノンフィクションとしてはまったく説得力がなく、SFホラーとして読むには話が発散しすぎていてまとまりがないという結果になっています。

オススメ度:☆

2006.7.7


七銀河同盟 (SF)
(クルト・マール&ウィリアム・フォルツ / ハヤカワ文庫SF 2006)

『ペリー・ローダン・シリーズ』の第325巻。この巻の後半より、ついに噂の“公会議”サイクルへ突入します。これは非常に感慨深いものがあります。
ローダン・シリーズを知ったのは高校2年の時。その段階ではシリーズは30巻を少し越えたあたりのところで、姿なき敵ドルーフが銀河に出没し、アルコンのロボット摂政との駆け引きが白熱化していた頃でした。それから2年かけて追いつき、アコン人と遭遇する頃からは日本版ローダン・シリーズとリアルタイムで付き合ってきました。当然ながら、長大なシリーズですから、はるか先のストーリーがどうなるのかは興味津々、でも、知りたいような知りたくないような複雑な気分で数少ない情報に接したものです。
80年代当時、一般に出回っていた情報源といえば、早川書房から出ていた「ペリー・ローダンの世界」と、日本版「スターログ」のスペースオペラ特集号に掲載されたシリーズ解説でした。どちらも将来のストーリーのほんのさわりを記載しているだけで、前者は大群サイクルの冒頭まででした。後者では途中をかなり端折って(笑)、カピン族サイクルや大群サイクル、銀河のチェスサイクルは無視していましたが、公会議サイクルについて触れているところが印象に残っています。そこでは、新たに登場する強敵のことを“ラーレン帝国”と称していましたね。その後、94年に刊行された「ローダン・ハンドブック」(ハヤカワ文庫SF)では“ラーレ人”でした。そして今回、正式に“ラール人”に決定したようです。
さて、前半はベテランのマールが“銀河のチェス”サイクル(または“それ”サイクル)を締め、後半はいよいよプロット作家として自立したフォルツが満を持して新たな展開を導いています。 脳だけが異銀河に飛ばされていたローダンは、“反それ”の最後の悪あがきに妨害されながらも惑星タフンに生還、人類文明を揺るがせた“銀河のチェス”も“それ”の勝利に終わり、苦難を耐え抜いた人類は報酬を約束されます。
その報酬は、意外なところからもたらされました。ある日突然、太陽系全体が謎のフィールドに包まれて宇宙から孤立し(このあたりはイーガンの
「宇宙消失」にそっくりですが、こちらの方が書かれたのは先)、続いて人知を超えた宇宙船が地球に飛来します。威嚇することもなく強大な科学力を誇示して人類を威圧する姿は、明らかに「幼年期の終わり」(クラーク)へのフォルツのオマージュでしょう。無言の駆け引きの後に出現したラール人ホトレノル=タアクは、七銀河連合の代表を名乗り、銀河系の代表としてローダンを連合に迎えたいと申し出るのです。しかし、強大な権力を志向するラール人のメンタリティは、ローダンを初めとするテラナーには受け入れがたいものでした。
科学力・軍事力に圧倒的な差がある潜在的勢力の出現を前に、人類の新たな戦いが始まります。“それ”が約束した報酬は、人類をひとつ上のスケールの宇宙情勢に巻き込むことでもあったわけです。とりもなおさず、それは人類が進化の階梯をひとつ登ったことになりますが、これまで以上の苦難を強いることにもなるのでした。
フォルツも張り切っているようで、今回初めて登場した一反木綿の親玉のような異星人シスラベンなど、思わせぶりな伏線を敷いています。ただフォルツの場合、思わせぶりにしたあげくにその伏線を忘れてしまうという悪い癖があるので、そこが心配ですが(笑)。
ともかくも、久しぶりに骨太の設定で始まった“公会議”サイクルに期待しましょう。

<収録作品と作者>「暗闇のチェス」(クルト・マール)、「七銀河同盟」(ウィリアム・フォルツ)

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.8


鋼鉄都市 (SF)
(アイザック・アシモフ / ハヤカワ文庫SF 2000)

アシモフの代表的SFシリーズといえば、はるか未来の銀河帝国の興亡を描いた『ファウンデーション』シリーズが第一に挙げられますが、それに匹敵するもうひとつのシリーズが、かの有名な「ロボット工学の三原則」に基いて書き進められた『陽電子ロボット』シリーズ。なんと、このふたつのシリーズは最後にはコラボしてしまうわけですが、それはまた別の話です。
さて、『ファウンデーション』シリーズは、高校時代に創元推理文庫で最初の三部作を読んで以来、すべてを読みつくしました(
他のSF作家によって書き継がれた分は未読→【追記】2012年に読了しました)が、ロボット関係のシリーズは第一短篇集「わたしはロボット」(創元SF文庫。ハヤカワ文庫では「われはロボット」)を読んだだけでした。この「鋼鉄都市」はロボット関連の長篇第1作です。
舞台は30世紀の地球。世界人口は80億を数え(意外と少ないですな)、かれらは完全管理社会のもと、最低限の生活を保障されるかわりに、鋼鉄とコンクリートで作られたドーム都市の画一的で狭いスペースで暮らし、まずい合成食糧の配給を受け、出産制限や様々な生活制限を余儀なくされていました。一方、宇宙人(異星人ではなく、過去に地球から外宇宙へ植民した人類の子孫)は地球よりも進んだ科学技術を持ち、優れたロボットを開発して使用していました。宇宙人の影響から、地球でも単純労働をこなすロボットが導入され、各所で働いていますが、ロボットに職場を奪われた人々を中心に不満がくすぶっていました。
そんな時、ニューヨーク・シティ警察に務める刑事のイライジャ・ベイリは総監に呼ばれ、宇宙人の居住区で起きた殺人事件の捜査を指令されます。高名なロボット学者が射殺された事件を、ベイリと協力して捜査するために宇宙人側から派遣されてきたのは、人間そっくりの姿をした高度なロボット、ダニール・オリヴォーでした。
ふたりはさっそく、ショッピングセンターで発生した暴動に遭遇しますが、ダニールは沈着な行動で暴徒を鎮めてしまいます。地球人の例にもれず、ロボットに対して本能的な反感を持つベイリは、妻子がいる自宅にダニールを同居させなければならないことに苦悩しますが、ダニールはそつなく行動します。
常に論理的で冷静な(ロボットだから当たり前)ダニールの態度に反発しながらも、ベイリは刑事としてのプロ意識で押し殺し、ふたりは協力しながら捜査を続けます。ベイリ自身も現場となった宇宙市に乗り込むなど、苦悩を押し隠して積極的に行動するうちに、ベイリも宇宙人の立場を徐々に理解してきます。そして、浮かび上がってきたのは、宇宙人やロボットのみならず管理社会への不満を抱えた過激な懐古主義者のグループでした。
未来社会を舞台にした本格SFでありながら、本作は謎解きミステリの要素もすべて備えています。あらゆる手掛かりはフェアプレイに則って提示され、消えた武器のトリックや意外な犯人など、ミステリ作家でもあるアシモフの面目躍如たるものがあります。また、舞台設定やキャラクター造型など、ジョン・ボールの名作「夜の熱気の中で」(「夜の大捜査線」として映画化されていますね)のSF版と言えるかも知れません。ロボット(黒人)であることが激しい嫌悪と差別を受けるニューヨーク・シティ(南部の田舎町)で、ロボット刑事ダニール(黒人刑事バージル・ティッブス)が孤軍奮闘し、最初は偏見を持っていたベイリ(署長)がだんだんと信頼感を抱いて偏見を解いていく――読み比べてみると、非常に興味深いかも知れません(カッコ内は「夜の熱気の中で」の設定)。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.10


20世紀SF2 1950年代 初めの終わり (SF・アンソロジー)
(中村 融・山岸 真:編 / 河出文庫 2000)

20世紀を代表する短篇SFを年代別にセレクトするオリジナル・アンソロジー『20世紀SF』の第2巻。今回は1950年代です。
50年代といえば、アメリカで優れたSF映画が数多く作られた時代ですが、一方、第二次大戦後の東西冷戦が激化し、特にアメリカでは共産主義などに対する社会不安が高まった時代でもありました。そのような時代背景を色濃く反映した作品が集まっています。収録された14人の作家はいずれ劣らぬビッグ・ネームばかりで、初読みだったのはコーンブルースとラッセルの2名のみでした。他の短篇集で読んだことがある作品も4篇(「父さんもどき」、「隣人」、「なんでも箱」、「燃える脳」)。
では、
第1巻と同様、各作品を簡単に紹介していきます。
「初めの終わり」(レイ・ブラッドベリ):息子が乗り組む人類初の有人ロケット発射を見送る老夫婦の話。基地へ行って間近で見るわけでもなく、庭仕事をしながらその時を待って、寄り添いながら花火のような光景を静かに見守るふたりの姿と、父親が述懐する言葉に万感の思いがこめられているノスタルジックな一編。
「ひる」(ロバート・シェクリイ):ずっと前からタイトルは知っていて、読みたかった作品です(理由は後述)。宇宙空間を漂っていた一個の胞子が、田舎の農場に落ちてきます。その胞子はあらゆるエネルギーを吸収しながら成長し、数メートルから数十メートルの大きさになっていきます。軍隊が投下する爆弾もすべて栄養にしてしまう“生物”は、ついに原子爆弾までもエネルギーとして吸収し、地球全土を飲み込んでしまうのも時間の問題でした――。と、ここまで書いてくれば明らかですが、この作品は「ウルトラQ」の「バルンガ」の原型なのです。だから読みたかったというわけで(笑)。
「父さんもどき」(フィリップ・K・ディック):8歳のチャールズは、ガレージに父親がふたりいるのに気付きます。夕食の席に現れた父は、父ではない方でした。危うく逃げ出したチャールズは、遊び仲間と知恵を絞りますが・・・。ジャック・フイニイの「盗まれた街」のエッセンスだけを凝縮したような侵略SFです。
「終わりの日」(リチャード・マシスン):世界が終末を迎えるというのも、この時代のSFに顕著に登場するモチーフです。人類の知識と技術が増えただけに、核戦争や天変地異による滅亡がリアルに予想できるようになった証左でしょうか。本作も、(事情はわかりませんが)今日で世界は終わるという一日が、それまでふけっていた暴力とドラッグとセックスに見切りをつけて家族の下へ帰る若者を通して、淡々と描かれます。長篇「渚にて」(ネビル・シュート)や「グレイベアド」(B・W・オールディス)と共通する、諦観にも似た平穏さが出色。
「なんでも箱」(ゼナ・ヘンダースン):小学校教師の語り手は、内気な女子生徒スー・リンの秘密に気付きます。他の誰にも見えませんが、スー・リンは何でも願いがかなう“なんでも箱”を持っていたのです。子供の無垢な純真さが心に響く佳作。
「隣人」(クリフォード・D・シマック):一名“田園SF”と称されるシマックの作風を代表する一編。閉鎖的な田舎の農村に住み着いたヒース一家はいっぷう変わっており、東側からの亡命者ではないかと噂されます。しかし、かれらが次第に地域に溶け込んでいくうちに、村は徐々に変化していきます。病気になる人はいなくなり、日照りも長雨もなく、毎年豊作に恵まれるようになったのです。新聞記者が調査にやってきましたが、彼の身にも異変が起こります。もちろん、ヒース一家の正体は――。
「幻影の街」(フレデリック・ポール):工場に勤めるバークハートは、ひょんなことから自分を含む町全体が、同じ6月15日という一日を延々と繰り返していることに気付きます。まるで「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のような設定で始まる物語は、黒幕の出現によって背筋が寒くなるような真相が曝露されます。でもこれに類することは(手段はまったく異なりますが)、現代社会では普通に行われているような気もします。
「真夜中の祭壇」(C・M・コーンブルース):宇宙時代の都会の片隅で、はぐれ者や社会から偏見の目を向けられる人々が集まる酒場を夜な夜な訪れる語り手の意外な正体。
「証言」(エリック・F・ラッセル):プロキオン星系からたったひとりで地球にやってきた、異様な外見の異星人、メイスを巡る裁判の物語。メイスを侵略者として糾弾する検事が次々と証人を召喚して弁論を進めるのに対し、弁護士はほとんど無策のように見えます。しかし、最後の最後に思いがけない証人が登場し――。法廷ミステリのような迫力、意外などんでん返し、ヒューマニティあふれるラストと三拍子揃った傑作。
「消失トリック」(アルフレッド・ベスター):未来のアメリカは、大義なき戦争の泥沼にはまり、国を挙げて戦争遂行だけを目的とする管理国家となっていました。そんな中、鍵のかかった密室から兵士が忽然と消え失せ、一定期間をおいて再び出現するという不思議な現象が起こります。かれらの秘密が明らかになると、それを軍事利用すべく命令が下されますが――。ひねりの効いた皮肉な結末に、にやりとさせられます。
「芸術作品」(ジェイムズ・ブリッシュ):22世紀のアメリカで、復活させられた偉大な作曲家シュトラウスが、まったく異なる音楽シーンに当惑しながら、新たな作品を作り出そうと苦悩する話。
「燃える脳」(コードウェイナー・スミス):『人類補完機構』シリーズに属する作品。二次元航行する宇宙船が、技術的なミスから遭難します。唯一の可能性に賭けて、ベテランの船長は危険な手段に出ます。
「たとえ世界を失っても」(シオドア・スタージョン):当時はタブーだった性の問題を正面から描いた作品――とはいっても、過激な性描写があるわけではありません。地球との交流を避けるダーバヌー星から鳥のような姿の愛らしいヒューマノイド(ラヴァーバードと呼ばれます)が2体、地球にやってきますが、かれらはダーバヌーから亡命してきた犯罪者でした。ダーバヌーとの外交を求める地球当局は、ラヴァーバードを逮捕し、特別宇宙船を仕立ててダーバヌーへ送還することを決定します。宇宙船を操縦するクルーのひとり、グランティは誰にも知られてはならない秘密を持っていましたが、ふとしたことからラヴァーバードに秘密を知られてしまいます。しかし、ラヴァーバードが示したメッセージは驚くべきもので、グランティに癒しをもたらしてくれるのでした。これ以上は秘密(笑)。
「サム・ホール」(ポール・アンダースン):ディックが描く世界もかくやという管理国家となったアメリカで、ソーンバーグはありとあらゆる個人情報を収集管理するスーパーコンピューターの管理責任者でした。特権を利用して、家族のために簡単なデータ偽装などをやってのけるソーンバーグですが、ちょっとした悪戯心から、サム・ホールという架空の個人情報をでっちあげ、さらに実際に起こった殺人事件の容疑者に仕立て上げます。ところが、サム・ホールという存在は一人歩きを始めてしまい、遂には管理国家に反抗するレジスタンス勢力のヒーローに祭り上げられてしまいます。あわてるソーンバーグのところに、国家保安局の少佐が現れて――。
国民全員が番号を持っていて(住民基本台帳番号みたいなものですな)、それを右肩に入れ墨せよという法律が制定されていたり、笑えない設定もありました。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.12


男性週期律 (ミステリ)
(山田 風太郎 / 光文社文庫 2001)

『山田風太郎ミステリー傑作選』の第7巻。今回は「セックス&ナンセンス篇」ということで、ミステリのようなSFのような、ばかばかしくも、身につまされて笑えなかったりする(笑)奇想小説が17篇、収められています。
別にどぎつい性描写があるわけではなく、医学を修めている山田さんらしく、セックスに対しても医学的なアプローチのナンセンスなホラ話が多いです。科学的な虚飾が施されているだけに、ナンセンスなくせに真に迫っているわけで。
※以降、若干、教育的に怪しからぬ表現が出てきますのでご注意ください。

タイトルにもなっている「男性週期律」は、女性の月経と同様、男性にも性周期があるという仮説を検証するために、3年間の禁欲生活を誓い合った医学生たちが悲惨な運命に見舞われる話。似たようなプロットでは、高級宿の宿泊代を賭けて、学生たちが一晩で最高の美女をナンパしてくるのを争う(いずれも悲惨な結果となります)「ドン・ファン怪談」があります。
また、ミステリ風味の作品としては、恋人が暴行された敵を討つために、容疑者が住んでいると思われる近所の女性を片っ端から襲う青年の話「痴漢H君の話」、互いの性癖を隠して結婚した貞淑な夫婦が本性をあらわにした瞬間に悲劇に見舞われる「殺人喜劇MW」、借金のカタに絶世の美女を養う羽目になったミステリ作家が完全犯罪を目論む「美女貸し屋」など。
SF的な社会風刺のバカバカしさで笑える作品では、放射能汚染の影響で発生した特殊な毛ジラミのために日本人男性の大部分が睾丸を失ってしまうという「男性滅亡」(ウェルズの
「宇宙戦争」みたいなオチが出色です)、人口爆発を防ぐために日本国民全員に貞操帯の装着を義務付けるという法律が施行された大混乱を描く「満員島」、同じく出産制限のために発明された機械にまつわる大騒動を描く「自動射精機」(バブル期以降の某風俗産業を先取りしています)などが収録されています。これらの作品はみなベビーブームの時代に書かれているため、日本の将来の人口爆発を予測しているわけで、現在の少子化問題かまびすしい世相からは隔世の感があります。作者が存命だったら、どんな作品が書かれたことか興味はつきません。
他にも、顔の鼻があるべき場所に別のものがぶら下がっているという奇形の男性の苦悩(?)を描く「陰茎人」、どんなエロチックな場面を見ても興奮しないことが称賛される「自立神経失調同盟」、異種タンパクへのアレルギー反応(実際、男性の精液によって女性がアレルギー反応を起こした症例は報告されています)を応用した薬品によって、女性の性体験が露見してしまうという「ハカリン」など、よくもまあここまでしょうもない(笑)お話を書けるものだと感心してしまいます。そういえば、山田さんの忍法小説も奇想天外ですよね。

<収録作品>「春本太平記」、「痴漢H君の話」、「美女貸し屋」、「ドン・ファン怪談」、「紋次郎の職業」、「童貞試験」、「色魔」、「ウサスラーマの錠」、「女妖」、「殺人喜劇MW」、「男性週期律」、「陰茎人」、「男性滅亡」、「ハカリン」、「自動射精機」、「自立神経失調同盟」、「満員島」

オススメ度:☆☆

2006.7.14


千里眼 洗脳試験 (ミステリ)
(松岡 圭祐 / 小学館文庫 2000)

ノンストップ・サスペンス・エンタテイメント「千里眼」シリーズの第4作。「千里眼」以来の好敵手、岬美由紀と友里佐知子が再び対決し、最終決着が着きます。
液体窒素を大量に積載した輸送機のパイロットが、不意に京都市上空で錯乱し、輸送機は延々と旋回を続けます。機長は副機長とエンジニアを殴り倒し、無線には「菅原道真が飛行機を捕まえている、陰陽師を呼んでくれ」と応えるばかりでした。燃料が尽きれば輸送機は墜落し、液体窒素の誘爆によって半径2キロは焼け野原になってしまいます。
国交省の要請を受けた「千里眼 ミドリの猿」以来のコンビ、東京カウンセリングセンターのカウンセラー、岬美由紀と嵯峨敏也は自衛隊のヘリで現場へ急行し、常識外れで命知らずの作戦で危機を回避します。
機長に精神や神経を病んでいたという前兆はありませんでしたが、最近、会社の命令で「ディーヴァ瞑想チーム」という自己啓発セミナーに通っていたことが注目されます。カルト集団による洗脳事件ではないかと判断した警視庁の捜査2課刑事・外山とともに、嵯峨と女性カウンセラー朝比奈は、セミナーの施設がある奥多摩へ向かいます。
一方、業務の一環でスクールカウンセラーを務めている美由紀は、校内で刃物騒ぎを起こした男子生徒・涼平をフォローするうちに、涼平の義父が「ディーヴァ瞑想チーム」のセミナーに参加していることを知ります。
セミナーの施設へ入り込んだ外山や嵯峨が目にしたのは、録音された音声の指示に従って延々と同じ行動を繰り返し続ける4000人の成人男性――いずれも、動体視力がアップし作業能率が上がるという効用に引かれてセミナーに参加した、運送業者たちでした。現時点では犯罪に該当しないと判断して去ろうとした嵯峨たちの目前で、建物の扉は閉ざされ、内部からは無数の銃声が聞こえてきます。そして、色めき立つ捜査陣や美由紀の前に現れたのは、死んだと思われていた最強最悪のテロリスト・友里佐知子からのビデオメッセージでした。
セミナーの建物には爆薬が仕掛けられていると宣言し、洗脳された4000人を人質に国外逃亡をはかろうとする友里。タイムリミットは8時間です。
美由紀は旧知の強面刑事・蒲生とともに現地へ赴き、なんとか建物への侵入手段を探そうとします。一方、嵯峨も事態を打開するために、封印された自分の過去と向かい合おうと、非常手段に出るのでした。
何の関係もないと思われていた複数の事件が思わぬところで結びついてくる、というのは作者の得意技ですし、個々のエピソードが単なる埋め草でなく、後で大きな意味を持ってくるという計算しつくされたプロットの妙が楽しめます。特に前半から中盤にかけての涼平の家庭環境をめぐるエピソードは、蒲生と美由紀の名コンビが演じる人情派刑事ドラマさながらで、作中もっとも強い印象を残してくれました。もちろん、クライマックスの“千里眼”と呼ばれたふたりの女傑の対決シーンも。

オススメ度:☆☆☆☆☆

2006.7.16


人獣細工 (ホラー)
(小林 泰三 / 角川ホラー文庫 1999)

「玩具修理者」でデビューした作者の第2作品集です。
タイトル作品「人獣細工」を含めて3篇の中短篇が収められています。
「人獣細工」は、難病を持って生まれ、臓器移植の権威である父親の手でほとんどの臓器を交換されて育った女性・夕霞の物語。父は、ブタを使ってクローン臓器を作り出し、それらの臓器を夕霞に移植しました。ブタによる安全なクローン臓器の供給を確立したことで、夕霞の父は医学者として高い評価を受けましたが、夕霞は父の愛情を疑い、父の死後、彼が遺した研究資料をひとりで調べ始めます。ブタから取り出された臓器がほとんどを占める自分は、本当にちゃんとした人間といえるのか――幼い頃からの苦悩を断ち切るために、父の研究と正対しようとした夕霞が最後に発見した秘密とは・・・。
「吸血狩り」は、年ごろになった従姉が謎めいた行動をとるようになったのを怪しんだ8歳の少年が、従姉をたぶらかした黒ずくめの怪しい男――吸血鬼を退治しようと、子供なりの知恵と行動力で奮闘する物語。――なのですが、巻末の朝松健さんの解説を見て、作品に隠された裏の意味を知り、自分がいかに表面的な読み方しかしていなかったかに気付かされて、慄然としたのでありました。
中篇「本」は、クライブ・バーカーのホラーとダークファンタジーを融合させたような不思議で無気味な物語です。OLの麗美子が受け取ったのは、名前も顔も忘れていた小学生時代の同級生が書いたという奇妙な本でした。何十年も古本屋の隅で埋もれていたような汚れた分厚い本は「芸術論」と題され、ファンタジーめいた場面や生物学の解説、美術論から意味不明のページまでありますが、冒頭に「最初から最後まで飛ばさずに順番どおり読まなければならない」という注意書きが記されています。途中まで読んだ麗美子の周囲には奇妙な出来事が起きますが、親友の未香と一緒に調べてみると、かつての同級生にも次々と同じ本が送りつけられていたことが判明します。そして、本を送られた人々の半数近くが死亡したり失踪したり入院したりしているのでした。級友のひとりは、血まみれになりながらピアノを弾き続けていました。著者と思われる人物が「名付けることを禁じられた場所」で出会う「親方様」の正体とは――。とある有名な設定を上手に使って、しかもちゃんとした(SF的な)論理的整合性があるラストには、唖然とさせられます。

オススメ度:☆☆☆

2006.7.17


天啓の宴 (ミステリ)
(笠井 潔 / 双葉文庫 2001)

「メタフィクションでもあり本格ミステリでもある」という紹介文にひかれて買いました。
従来、ミステリにおけるメタフィクションは、アンチ・ミステリと重なり合うことが多く、メタフィクションであることを前面に押し出した本格パズラーという作品にはなじみがなかったのです。特に竹本健治さんの
「ウロボロスの偽書」では、作者自身の「この話に本格ミステリのカタルシスを求めてはならない」という断り書きまでついていました(笑)。もちろん、アンチ・ミステリを否定したり、嫌いだと言っているわけではないですよ。
さて、物語は雪深い山荘で孤独に暮らしている男性・影山が一通のハガキを受け取るところから始まります。過激派「黒狼団」のリーダーとして同志を粛清殺害した罪で20年も服役していた、かつての親友・野々村辰哉が出所してくるという連絡でした。影山は、辰哉が山荘を訪れることを予測し、過去を清算するために一編の小説「天啓の宴」を書き始めます。
「天啓の宴」は、文学青年・天童が新人賞受賞後の第1作を書こうと苦悩している場面から始まります。天童は、作品を通して作者自身が消失してしまう、そのような作品を書こうとしていました。担当編集者・三笠から、かつて新人賞の受賞が内定しながら突然辞退し、その翌日に町田のマンションで他殺死体となって発見された女流作家の話を聞きます。殺された女性の名前は野々村葉子――野々村辰哉の妹です。室内で首を切断されて殺されていた葉子が応募した作品のタイトルは「天啓の宴」でした。そして、あらゆる文学を超越しているという、その原稿は既にどこにも存在しないというのです。興味を引かれた天童は、幻の「天啓の宴」を求めて調査を始め、やがて取り憑かれたように没頭していきます。そして、阿修羅山(影山の山荘がある山)で遭難した3人の女性にたどり着きます。
一方、影山の述懐でも、十数年前の真冬に山荘を訪れた葉子(ふたりは深い関係にありました)と、殺気立って葉子を追跡してきたふたりの女性・荻原可耶子と薄田冴美が描かれます。
物語は、奇数章が影山の述懐、偶数章が影山が書き進める原稿(天童が主人公)という構成で進んでいきますが、双方が複雑に絡み合い、小松原瑠璃のペンネームでティーンズノベル作家として活躍していた葉子の死の謎は深まっていきます。さらに、異なる「天啓の宴」という作品がいくつも提出され、ますます事態は混迷の度を増します。そして、ラストで明かされる真相――まさにメタフィクションと本格謎解きミステリが見事に融合しているのです。
笠井さん特有の哲学論・文学論が随所に散りばめられ(もちろん単なるペダントリーではなく、事件と密接に絡み合っているわけですが)、読み取るのに通常以上のエネルギーを必要としますが、それもまた心地よい疲労感です(笑)。
続篇「天啓の器」も近日登場。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.20


詐欺とペテンの大百科 (事典)
(カール・シファキス / 青土社 1996)

ここ2ヶ月ほど、メイン(笑)の文庫本と並行して、ちょこちょこと読んでいた本。
こういう百科事典的な書物は、少ない空き時間でも読めるので便利です。長くても1項目あたり2ページ程度ですし。
さて、本書はタイトルから想像できる通り、伝説的な詐欺師から有名な贋作事件、本当のようなウソの話、過去から現在にわたって連綿と続いている詐欺の手口などを、無数に収録した大著です。
どちらかといえば、莫大な金を巻き上げる金融詐欺よりも、不注意な庶民から小銭をかすめとる手口の方が、身につまされる分(笑)、興味深く読めました。現代でも猛威を振るっている振り込め詐欺やリフォーム詐欺、マルチ商法や株式投資詐欺などはすべて、ネタや手段は変わっても昔から伝統的に続いてきたペテンの現代版応用編だということが、よくわかります。
少なくとも、プロを相手に騙されないためには、敵の手口について正確な知識を持って(実践しちゃダメですよ)、自己防衛するしか手段はないのでしょう。その意味で、興味深いと同時に実用的な(笑)本だともいえます。それと、唐沢俊一さんがどこかで書いておられましたが、小説のネタ本としても使えます。

オススメ度:☆☆☆

2006.7.22


戦乱の大地(上・下) (SF)
(デイヴィッド・ブリン / ハヤカワ文庫SF 2002)

『知性化の嵐』三部作の第2部の登場です。第1部「変革への序章」を読んでから、ほぼ1年半ぶり。第1部では明らかになっていなかった事実が次々と判明し、惑星ジージョはますます動乱と混迷の度を増しますが、決着はまだまだ先(だってまだ完結編の第3部がありますから)。
さて、銀河協会法で休閑惑星(本来の生態系を復活させるために、知性種属の入植が厳禁されている)に指定されているジージョですが、過去数百年にわたって7つの種属が不法入植していました。銀河では絶滅してしまった車輪生物グケック、いくつもの円環が重なり合った集合知性トレーキ、準知性種属に退化しているグレイバー、甲殻生物ケウエン、人類にもっとも近いフーン、ケンタウルスのようなウル、そして最も歴史が新しいヒト。かれらは緩やかな協定を結び、“賢人会議”に導かれて相互協力しながら、それなりに平和に暮らしていました。もちろん、銀河協会に発見されれば厳罰を受けることは明らかでしたから、宇宙からの訪問者を極端に恐れ、最後の審判の時を待つ宗教も発達しています。
そんな時、密林の奥で、大火傷を負ったヒトの男性が発見され(記憶を失っていた彼は「賓(まれびと)」と呼ばれます)、それを追うように巨大な恒星間宇宙船が飛来、ジージョは否応なく『変革の時』を迎えることになる――というのが第1部「変革への序章」。
第2部である本作では、冒頭でいきなり「スタータイド・ライジング」の主人公だった宇宙船“ストリーカー”のクルーが登場し、ふたつの物語が密接な関係を持っていることが明かされます。というか、第1部のラストで賓(まれびと)がエマースンという自分の名前を思い出すところでわからなければいけなかったのですが、何せ「スタータイド・ライジング」を読んだのは十数年前でしたから、登場人物の名前にピンと来なかったのも無理はありません(^^;
人類初のヒト=イルカ混成チームが乗り組んだ恒星間宇宙船“ストリーカー”は、探索に赴いた辺境の星団で放棄されていた、銀河文明を遙かに超える太古の大宇宙船団を発見します。その情報に色めきたった銀河の各勢力は大挙して“ストリーカー”を追跡し、進退きわまった“ストリーカー”は水惑星キスラップに潜伏して脱出のチャンスを伺う――これが「スタータイド・ライジング」のストーリーです。その後、多くの犠牲を払ってキスラップを脱出した“ストリーカー”は、幾多の冒険を経て惑星ジージョに到達、深海に潜んでいたのです。
第1部の“海の書”で手作りの潜水艇に乗り組んで海底探検に出発したアルヴィンら4人の異種属の少年少女たちは、深海で遭難した(ここで第1部は終わっています)後、“ストリーカー”のクルーに救出されていました。“ストリーカー”の指揮官ジリアン(人間の女性)は正体を隠しつつ、アルヴィンの手記からジージョの驚くべき事情を知ります。
一方、人類の主属を名乗ってジージョに飛来したローセンの陰謀は、諸種属の必死の行動で打ち破られますが、ほっとする暇もなく、ローセンの恒星船を遙かに凌駕する巨大宇宙船が姿を現します。トレーキの従姉妹主属ですが、遺伝子操作により権力と野望を求める性質を付与された冷酷非常な種属ジョファーの船でした。ジョファーは列強の中で覇権を確立すべく、“ストリーカー”が秘蔵する情報を追って飛来してきたのです。圧倒的な戦力を誇るジョファーは、トレーキの賢者アスクスと強制的に結合してジージョについての知識を得、“ストリーカー”を引き渡すよう要求しますが、ジージョの住人はイルカ船のことを知りません。
物語は、別々の行動をとる複数の人物の視点から、様々な出来事が描かれて進んでいきます。“ストリーカー”のクルーたち、人類のSF小説に描かれた冒険に憧れるフーンの少年アルヴィンと仲間たち、トレーキの賢者アスクスと彼を取り込んだ侵略者、ジージョを救うために旅する女性数学者サラとエマースン、サラの弟で凄腕の猟師ドワーとジージョから脱出して星界へ行くことを追い求めるアグレッシブな少女レティ、サラの兄で異端派の賢者ラークとローセンに従属していたデニク派(語源が“古代宇宙飛行士”説を唱えたデニケンだというあたり、ブリンのユーモアが光ります)の女性リン――かれらは、あるいは窮地に陥り、あるいは光明を見出し、それぞれの運命が必然的に絡み合っていきます。
もちろん、物語はまだ1/3(1000ページ以上!)を残していますから、登場人物たちはそれぞれ、新たなクリフハンガー状態に置かれています。そして、ラストでは惑星ジージョに秘められた謎が垣間見え、第3部「星界の楽園」でどのようなクライマックスが訪れるのか、期待は無限大です。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.25


黒竜戦史8 ―竜王奪還― (ファンタジー)
(ロバート・ジョーダン / ハヤカワ文庫FT 2002)

大河ファンタジー『時の車輪』シリーズの第6部完結編。
今回は、これ1冊のネタで数倍にふくらませるのではないかと思えるほど密度が濃い内容です。本シリーズの特徴として、各シリーズのラスト近くなると、もったいないくらいストーリーを端折ってしまうというのを感じるのですが、今回は特に顕著。やはりページ数の制約がある中でまとめあげなければならないという問題があるのでしょうね。前半でじっくり書き込む分、後半が窮屈になってしまうという・・・。
さて、アンドール王国の首都シームリンで、“小さな塔”から使者としてやって来た“異能者”との交渉に疲れたアル=ソアは、ケーリエンへ引き上げますが、そこで待っていたのは“白い塔”の“異能者”(タール・ヴァロンの“白い塔”とサリダールの“小さな塔”とは敵対中)たちの狡猾な罠でした。隙を突かれて捕えられてしまったアル=ソアは、一緒に捕まった予知能力者ミンとともにタール・ヴァロンへ連れて行かれようとしています。それを知った旧友ペリンは、アイール人戦士らと一緒に追跡を開始、狼との感応能力を身につけたペリンの本領が発揮されます。しかし、“白い塔”の“異能者”と意を通じるシャイドー・アイール(アイール人内部での反乱部族)の大群が行く手に待ち受けていました。両者の対決が、本編のクライマックスとなり、絶対力を駆使した壮絶な戦闘が展開されます。
そしてエピローグでは、今後の展開に重要な影響を与える断片的なエピソードがいくつか描かれ、やきもきさせられながら第7部
「昇竜剣舞」へ続くことになります。

オススメ度:☆☆☆

2006.7.28


諏訪湖マジック (ミステリ)
(二階堂 黎人 / 徳間文庫 2002)

二階堂ミステリに登場する名探偵といえば、二階堂蘭子が筆頭に挙げられますが、双璧とも言えるのが水乃サトル。本作は水乃サトルが登場する第2作です(第1作「軽井沢マジック」はまだ読んでいません。だってなかなか見つからなかったんだもん(^^; 【追記】現在は読了しています)。
二階堂蘭子はエキセントリックな天才肌の美少女探偵ですが、水乃サトルもとにかく美形・・・でも、とっても変な人です(笑)。超イケメンで全身をブランド物で決め、日替わりで高級な外国車を乗り回す28歳。大手旅行代理店の課長代理ですが、勤務態度は甚だ不真面目で遅刻欠勤は数知れず。しかも休んだ理由が、限定品のお菓子を地方まで買いに行ったとか、コミケで出す同人誌の追い込みでカンヅメになっていたとかだったりします。外見が外見ですし口も上手なため、女性からの人気も高いのですが、デートの途中で趣味に熱中して相手を放置したりして、愛想をつかされることが多いため、特定の相手と長続きすることはないようです。大学時代は100を越えるサークルに所属し、全国を放浪していたため(その時代を描いたシリーズ作品もあります)、あちこちに異常な人脈を持っています。
さて、物語は大宮駅近くの陸橋から男性が飛び降りて上野行き普通電車に跳ねられるという事件からスタートします。埼玉県警の要請で現場へ駆けつけた警視庁捜査一課の馬田と生島の両刑事は、現場検証の結果、被害者は別の場所で殺された後に陸橋から投げ落とされたことを発見します。現場の陸橋では数週間前にも同じ時間に主婦が投身自殺しており、近所の公園ではホームレスの男性が殺されるという事件も起こっていました。
一方、水乃サトルは、旅行代理店の仕事で部下の美並由加里(密かにサトルへ想いを寄せています)を伴って諏訪へ出張しますが、諏訪支店に勤務する安場今日子から個人的に相談を受けます。今日子の父・正一が、武田信玄の墓を見つけに行くといって家を出たまま行方不明になっているというのです。軽い調子で引き受けたサトルは、すぐに大学の先輩でもある警視庁の馬田刑事に問い合わせますが――。
ふたりの刑事の視点から描かれる序盤の重々しいドラマが、水乃サトルの登場でいきなりスラップスティックに変わってしまいますが、基本的にはアリバイ・トリックをメインとした謎解きミステリです。ところが、珍しいことに(笑)中盤を過ぎたところで、アリバイの謎がわかってしまいました(ラストまで行って、考えが正しかったことがわかりました)。ですから、中盤から後半にかけての展開では、読者の視点を真相から引き離そうとしている作者の努力がよくわかって――(笑)。アリバイ破りというテーマは、本質的に真犯人は途中で暗示され、その人物が守られている鉄壁のアリバイをいかにして崩すかということがポイントになります。本作でもその流れを踏襲しているわけですが、さすがは二階堂さん、ちゃんと結末では“意外な犯人”もどきのどんでん返しまで用意してくれています。
序盤で馬田刑事の部下として登場した新人の生島刑事は、かなり細かく人物描写がなされているのですが、水乃サトルが出てきたとたんに物語から消えてしまい、最後まで出てきませんでした。サトルの強烈なキャラクターに追い出されてしまったのか、それとも続篇狙いでしょうか。このシリーズ、続篇も出ています。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.7.29


髑髏島の惨劇 (ホラー)
(マイケル・スレイド / 文春文庫 2002)

マイケル・スレイドを読むのは7年ぶりです。スレイドは、カナダ在住の現役弁護士数人による合作ペンネームで、過去に出版・邦訳された3作ともに(いずれも創元ノヴェルズ → 創元推理文庫)、カルトな血みどろ悪趣味ホラー・ミステリでした。
第1作「ヘッドハンター」は、ヴァンクーバーで若い女性ばかりを狙う連続首切り殺人鬼と騎馬警察隊との対決に伝奇的要素をからめていますが、比較的ストレートな警察小説とサイコ・サスペンスの融合作品。首をはねられて殺されるところを被害者の視点(!)から描写した場面の生々しさは強く印象に残っています。
第2作「グール」(邦訳はこちらの方が先でした)で本格的にブチ切れ(笑)、ロンドンで“吸血殺人鬼”、“下水道殺人鬼”、“爆殺魔”といった猟奇殺人者が大量発生します。しかもそれを束ねる元締めは“グール”と呼ばれる筋金入りのラヴクラフティアン。古今東西のホラーへの薀蓄やパスティーシュをごった煮にしながら、事件は大西洋を渡って北米にも波及するというスケールで、例えて言えば“悪魔に魂を売ったキム・ニューマン”という雰囲気でした。
第3作「カットスロート」は、「ヘッドハンター」と「グール」の探偵役、ディクラーク警視とチャンドラー警部補が顔を揃えて、中国からカナダへ魔手を伸ばしてきた秘密結社と対決し、人類進化の謎を解く鍵を握るという巨大な頭蓋骨を巡って狂気の暗殺者“カットスロート”に挑むという作品。
そして本作は、ますます――というよりも相変わらず、狂気と血みどろとオカルト趣向を散りばめつつ、なんと20世紀前半の英米本格謎解きミステリ要素までを大々的に加えています。
発端は、ニューヨークからヴァンクーバーへ講演に来ていた著名なフェミニズム運動家の女性が、顔の皮膚を剥がれ下半身をメッタ刺しにされて、鉄橋から吊るされているのが発見されたことでした。ディクラーク警視の指揮で、科学捜査とプロファイリングが開始されます。大きな手掛かりは、殺害方法が、ある作家が書いたホラー小説の新作にそのまま描かれていたことでした。被害者が殺されたのは、その小説「髑髏旗」の発売前、作者は“スカル&クロスボーンズ”という匿名作家で、担当編集者すら正体を知りません(ちなみに“スカル&クロスボーンズ”というのは、海賊の旗によく描かれている、ぶっちがいの骨と髑髏の図柄)。そして、ディクラークはこの事件と、19世紀末のロンドンを震撼させた“切り裂きジャック”事件との共通項を見出します。
ヴァンクーバー警察の努力を嘲笑うかのように、さらにふたりの娼婦が惨殺され、顔の皮膚をはがれて発見されます。そして、犯人の魔の手はディクラークにまで伸びてきます。
一方、チャンドラー警部補は「カットスロート」事件の決着をつける際に頭部を銃撃され(その場面は「カットスロート」には出てきません)、リハビリをしながら現場復帰を機会を待っていますが、手術の後遺症で癲癇に悩まされ、薬を手放せない状態でした。しかし、ミステリ作家の団体による『ミステリ・ウィークエンド』という企画に警察代表として参加することになります。
『ミステリ・ウィークエンド』とは、13人のミステリ作家(+現役警察官)が孤島(その名も髑髏島)の屋敷で週末を過ごし、そこで起きる殺人事件(もちろんお芝居です)の真犯人当てを競うというもの。しかし、これを企画したベテラン女流作家フランクレンも、スポンサーが誰なのか知らないという、クリスティーの「そして誰もいなくなった」を地で行く展開となります。
案の定、晩餐の席で第一の殺人が発生し、チャンドラーの努力も甲斐なく、これでもかこれでもかという残虐な殺害方法で(作者は絶対に殺人方法を考案するのを楽しんでいますね)次から次へと作家たちは殺されていきます。このあたりは「人狼城の恐怖」(二階堂黎人)の
第1部第2部に近いです。
髑髏島の状況と並行して、ディクラークらによる捜査で犯人の正体が暴かれていきます。もちろん髑髏島に渡った作家の中に“スカル&クロスボーンズ”がいるわけですが、誰がそれなのかは最後までわかりません。
髑髏島へ向かうチャンドラーが不可能犯罪の勉強をしようと本屋で買い込むのは「ユダの窓」ですし、同行する老ミステリ評論家が密室トリックを講義するのにテキストとして引くのは「三つの棺」というわけで、作者がディクスン・カー(カーター・ディクスン)を意識しているのは明らかです。また、トリックの中にはヴァン・ダインの有名作品で使われているものがありますし、クイーンばりのダイイングメッセージなど、本格ミステリマニアにも喜ばれる趣向がいっぱいです(でも本格パズラーファンとスプラッターファンに共通項は少ないのでは?(^^;)。
とにかく最後まで飽きさせずに引っ張っていく圧倒的なパワーは健在でした。
しかし、このお話、ジャンルをホラーにするかミステリにするか迷いますね(笑)。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.1


斜め屋敷の犯罪 (ミステリ)
(島田 荘司 / 講談社文庫 2000)

名探偵・御手洗潔が登場する、トリッキーな初期作品。
北海道の北端・宗谷岬の近く、オホーツク海を望む高台に『流氷館』と呼ばれる奇怪な建物がありました。ハマー・ディーゼル社を一代で築いた現会長、浜本幸三郎が自ら設計した『流氷館』は南北に傾き、内部はエッシャーの絵を思わせるような階段で結ばれた不思議な構造をしています。幸三郎は既に一線を退き、自動人形や天狗の面など奇妙なコレクションに囲まれて、娘の英子や使用人とともに、この辺地に隠居していましたが、クリスマスに取引先の社長や英子の友人らを招いてパーティーを催します。
吹雪の夜、招待客のひとりキクオカ・ベアリングの菊岡社長のお抱え運転手が密室で殺されます。自衛隊上がりで屈強な運転手・上田はナイフで刺殺され、死体の右手は紐でベッドの支柱に結び付けられた上、四肢が奇妙にねじまがった体勢で発見されました。連絡を受けた北海道警と稚内署の刑事がかけつけますが、犯人の目星もつかないまま、第二の密室殺人が発生してしまいます。
途方にくれた刑事たちは警視庁に応援を求めますが、「そのような奇天烈な事件の謎を解けるのは、日本中でこの人物だけだ」という推薦とともに現れたのは、自ら占星術師を名乗る御手洗潔と相方の作家・石岡でした(時系列的には
「占星術殺人事件」の直後という設定です)。奇矯な振る舞いで住人や刑事から白い目を向けられる中、御手洗は捜査を始めます。
建物や殺害現場の見取り図が何枚も挿入され、最終章の前には「読者への挑戦」まで用意されているという本格パズラーで、トリックもその名に恥じないものです(現実に試してみようなんて考えてはいけませんが、カー風味の道具立てを取り入れることで小説としてのリアリティは十分にもたらされています)。

オススメ度:☆☆☆

2006.8.3


マットの魔法の腕輪 (ファンタジー)
(ニーナ・キリキ・ホフマン / 創元推理文庫 2002)

心洗われる、ファンタジーの秀作です。
ニーナ・キリキ・ホフマンの作品は、蔵書データベースによると(笑)短篇をふたつ読んだことがありました。吸血鬼テーマのアンソロジー
「死の姉妹」収録の「ダークハウス」と、「ノストラダムス秘録」収録の「平和行動」ですが、実はまったく印象に残っていません。なので、ほとんど初読みの気持ちで読み始めました。
主人公のマット(推定20代の女性、本名マチルダ)は、機械や道具(つまりは人の手になる物体)と話をすることができ、人の感情も読み取れるという特殊な能力の持ち主で、気ままな放浪の暮らしをしていました。マットはクリスマス・イブに、とある墓地の苔むした塀からいきなり出現した青年エドマンドと出会います。精霊に導かれて旅をしているというエドマンドに心惹かれるものをおぼえたマットは、エドマンドのおんぼろなボルボに乗って、ともに旅をすることになります。
最初に訪れたのはエドマンドの故郷ですが、ここには彼が少年時代に遊び場としていた幽霊屋敷がありました。14歳で死んだ少年ネイサンの幽霊が住み憑いており、エドマンドたち仲良し4人組で、いつも楽しく過ごしていました。しかし、エドマンドが18歳の時、なにかが起こったために楽しい日々は終わり、エドマンドはその時のことを覚えていません。ネイサンとマットの協力で、記憶を呼び覚まそうとしたエドマンドは、18歳の自分と現在の自分というふたつの人格に分かれてしまい、さらにもうひとり、危険な雰囲気を漂わせる赤い少年の姿も垣間見えます。どうやら、その第三の少年に、エドマンドの消えた記憶への鍵があるようでした。
精霊の導きに従い、エドマンドとマットは、エドマンドの幼馴染だったスーザンの行方を追ってサンフランシスコへ向かいます。途中、立ち寄ったエドマンドの妹アビー(夫と3人の子持ち)の家で、マットは黄金の魔法と出会い、願いをかなえてくれる(厳密には少し違いますが)腕輪を手に入れます。
一方、サンフランシスコで、スーザンはスーキーと名を変え、優秀なキャリアウーマンとして忙しく過ごしていました。ただ、スーザンは傷ついた辛い過去を忘れるため、他人と深いかかわりを持たないよう周囲に強固な壁を築いています。ところが、エドマンドと一緒に訪れたマットは、あっさりとスーザンの心の壁を乗り越えてしまうのでした。
魔法を力を借り、3人は過去への旅を始めます。それは、心の傷を再び開くことになる辛い旅でもありますが、その先には穏やかで安らかな癒しが待っているのです・・・。
派手な展開はありませんが、アニメの魔法少女シリーズが好きだった人ならば気に入ると思います。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.5


千里眼 メフィストの逆襲 (ミステリ)
(松岡 圭祐 / 小学館文庫 2002)

『千里眼』シリーズの第5作。
「千里眼 洗脳試験」の事件から4ヵ月後、またも日本はおろか東アジアを震撼させる事件が起きます。
冒頭1/3では、4年前、まだ岬美由紀が現役の自衛隊F15戦闘機パイロットだった時代に遭遇した出来事が描かれます。
新潟県の海岸を散策していた13歳の少女が、同行の父親がちょっと目を離した隙に失踪してしまいます。直後、日本海で不審船が発見され、美由紀を含む空自きってのF15パイロットに出撃命令が下されます。不審船は北朝鮮の工作船で、そこに拉致された少女が乗っているのは明らかでした。しかし、お役所体質の自衛隊は老獪な北朝鮮に翻弄され、美由紀は命令を無視して不審船へ向かいますが、日朝の一触即発の危機はなんとか回避されます。しかし、不審船を止めることはできず、美由紀には苦い思いが残ります。
一方、当時、東京カウンセリングセンターの見習いカウンセラーだった嵯峨敏也は、正式採用テストを兼ねた単独カウンセリングで赴いた都内の屋敷で、加藤太郎と名乗る異様な雰囲気の人物から、監禁された韓国人らしき人物の心理を読むよう強制されます。挙句の果てに殴られて気を失い、韓国人らしい女性に助けられます。
そして4年後――。外務省を通じて美由紀の元に依頼に訪れたのは、4年前に拉致された少女・星野亜希子の父親でした。少し前に北朝鮮の金成日総書記の長男と思われる男性が偽造旅券で日本に入国した事件があり(これは事実ですね)、それに同行していた女性(彼女は今も外務省の監視下に置かれています)が亜希子の名をほのめかしたというのです。美由紀が受けたのは、“千里眼”と言われる観察眼と心理分析能力で、李秀卿と名乗る女性から亜希子に関する情報を引き出してほしいという依頼でした。
4年前の拉致を止められなかったという責任感から美由紀は李と面会しますが、彼女は北朝鮮の人民思想省の幹部でマインドコントロールの特殊訓練を受けた工作員でした。そして、美由紀が持っていた李の写真を目にした嵯峨は、4年前に自分を介抱してくれた女性だと思い出します。
さらに、美由紀の周辺には、かつての最大の敵メフィスト・コンサルティングの影がちらついていました。勤務先である東京カウンセリングセンターの利益偏重の経営方針にも違和感を抱き、次第に美由紀は落ち着きを失っていきます。その点は嵯峨も同じで、美由紀に対してすら不信感を抱くようになっています。
そして、北朝鮮の謀略の一端をつかんだ美由紀が、ラストで衝撃の事実を知ったところで本書は終わります。続きは第6作「千里眼 岬美由紀」にて。近日登場。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.7


ダークホルムの闇の君 (ファンタジー)
(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 創元推理文庫 2002)

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの長篇ファンタジーを読むのは3作目です。ですが過去の創元推理文庫2冊とは毛色が違います。つまり、過去2作(「わたしが幽霊だった時」「九年目の魔法」)は、日常世界に魔法や魔法的要素が入り込むことによって騒動が起きるのに対し、本作は魔法世界に現実的な資本主義要素が入り込んだことが原因の混乱を描いているのです。
魔法が支配する世界ダークホルムは、この40年間で疲弊しきっていました。それは40年前、人間界の大実業家チェズニー氏が、魔法世界を観光地にしてしまってからのこと。つまり、毎年決まった時期に、人間の観光客(“巡礼団”と呼ばれます)がダークホルムを訪れ、異世界で怪物や盗賊と戦ってRPGもどきの冒険を繰り広げた末に、ここを支配する凶悪な闇王を退治するというアトラクションを体験するわけです。
これと似たような設定は、映画の「ウェストワールド」やニーヴン&バーンズの合作SF「ドリーム・パーク」(創元推理文庫、絶版)で扱われていますが、いずれも人工の広大なテーマパークで行われるもので、魔物や村人を演じるのは専門の役者やロボットでした。ところが、この作品では、魔法世界そのものがアトラクションの舞台となっています。現地の住民たちは総出で準備をし、自宅を宿舎として提供し、悪役や殺され役まで演じなければなりません。その間は仕事をすることもできず、RPGのNPC役や裏方をこなさなければならないのです。チェズニーから支払われる賃金は最低で、しかも手抜きや失敗をすれば損害賠償まで降りかかってきます。強力な魔物が後ろ盾になっている上、老獪な経営者チェズニーに契約でがんじがらめに縛られているため、ダークホルムの民は逆らおうにも逆らえません。
また、このビジネスには暗黒面もあります。“巡礼団”には“捨て石”というレッテルを貼られた参加者がいますが、この参加者は冒険する間に実際に殺されたり行方不明になってしまうのです。つまり、それらの人物が生きていることを快く思わない依頼者が金を積んで、チェズニー氏に抹殺を頼んでいるというわけで、チェズニーはこの裏ビジネスで莫大な収入を得ているはずでした。
今年も観光団が訪れる時期が近付いてきましたが、ダークホルムの有力者、魔法大学総長ケリーダのもとには全土からの苦情や不満が山のように寄せられています。チェズニーの意に従うのはもはや限界と悟ったケリーダはじめ有力者たちは、策を求めて神託を受けることを決めます。その結果、魔術師が持ち回りで勤める“闇の君”役には、奇妙な生き物を創り出すのが得意ないっぷう変わった魔術師ダークが、そしてガイド兼サポート役として“巡礼団”を導く“先導魔術師”にはダークの息子ブレイドが選ばれます。
大役を受けたダークは、さっそく家族の協力で準備を始めます。ダークには妻のマーラと息子ブレイド、娘ショーナの他に、魔法で創り出した知性あるグリフィン5人がいました。グリフィンはやんちゃ盛り、ブレイドとショーナには進学問題、妻のマーナとの間には若干の隙間風――と、一般の家庭にありがちな問題を抱えつつ、ダークは知恵を絞って数十組の“巡礼団”を楽しませる演出を考え始めます。しかし、マーナはケリーダとともにダークに内緒で別の計画を練っている様子で、準備のためと称して事実上の別居状態になってしまいます。さらに、数百年の眠りから覚めたという巨大竜が出現し、ダークは大火傷を負って寝込んでしまう破目に。ダークが不在の間にも期限は容赦なく迫り、ブレイドとグリフィンたちは手分けして、どうにかこうにか準備を整えます。この辺の姿は、親会社の無理難題を押し付けられて残業に継ぐ残業、過労死寸前の状態で働く中小企業の社員を見ているようで、身につまされます(笑)。
そして最初の“巡礼団”がやって来ると、事前の計画に応じて膨大なアトラクションとイベントが始まるわけですが、都市から住人が消えてしまったり、いるべき場所に軍隊がいなかったり、想定外の問題が次々と発生、復帰したダークと家族は対応に追われます。
後半になると、今度は“先導魔術師”としてとある“巡礼団”に同行することになったブレイドの視点から物語が展開します。“巡礼団”のメンバーは一癖も二癖もある扱いにくい人物ばかり。前途多難の不安を抱いて出発するブレイドですが、行く先に待っていたトラブルは想像を超えたものでした。この“巡礼団”パートの雰囲気は、なぜか世界一周する豪華客船で殺人事件が起きるミステリ「チャーリー・チャンの活躍」(E・D・ビガーズ 創元推理文庫)を思い出させます。
そういえば、ファンタジーでありながらミステリ要素も多く、クライマックスでは『意外な犯人』や『意外な探偵』(?)が続出して驚かされることになります。そしてラストは『水戸黄門』(笑)でハッピーエンド。

オススメ度:☆☆☆☆☆

2006.8.9


ヘトス・インスペクター (SF)
(エルンスト・ヴルチェク&H・G・フランシス / ハヤカワ文庫SF 2006)

『ペリー・ローダン・シリーズ』の第326巻。“公会議”サイクルに入って2冊目です。
“七銀河同盟”を牛耳るラール人により、銀河系の第一ヘトランに選ばれたと告げられたローダンですが、それを受け入れるのは銀河の全種族をラール人の奴隷としてしまうのと同じことでした。第一ヘトランとは言っても、それはラール人の傀儡に他ならず、拒否すれば別の人物が選定されて、銀河はさらに悪い事態を迎えることになるでしょう。
太陽系から一千万光年以上も離れた公会議惑星ヘトッサに招待(事実上の拉致)されたローダンや要人たちは、さっそくラール人のレジスタンス勢力とコンタクトを取り、実情を知ります。しかし、監視役ホトレノル=タアクはじわじわと心理的プレッシャーをかけ、ローダンを取り込もうと画策していました。ミュータントがラール人の思考を読み、テラナーの宇宙船を破壊しようという計画を察知したことで、ローダンやアトランは行動に出ます。ミュータントによる攪乱戦術を展開し、ついにはレジスタンスのリーダー、ロクティン=パルの協力を得て奇想天外な作戦で地球への脱出を敢行します。
一方、地球では、留守を守る国家元帥ブリー(この人も、出番は少ないけれど存在感がありますね)が、ある疑念を証明しようとしていました。太陽系帝国内に、以前からラール人のスパイが入り込んでいるのでなければ、やって来たラール人があれほど事情に精通しているはずはないからです。想定されたスパイはヘトス・インスペクターと命名され、地球に残っているミュータント部隊が捜査を開始します。そういえば、未知の進んだ文明が地球や太陽系を密かに監視しているという設定は、UFO信者やSFの定番ですね(ホーガンの某シリーズとか。本シリーズでもサイノスがそういう存在でした)。
後半のエピソードでは、この回だけのゲストキャラクター(たぶん)が主人公となって事態の推移が描かれますが、これはフォルツが得意とする手法です。プロット作家としてイニシアチブを発揮し始めたというところでしょうか。

<収録作品と作者>「ヘトッサの反乱者たち」(エルンスト・ヴルチェク)、「ヘトス・インスペクター」(H・G・フランシス)

オススメ度:☆☆☆

2006.8.10


「ロック」傑作選 (ミステリ・アンソロジー)
(ミステリー文学資料館:編 / 光文社文庫 2002)

戦前の探偵小説雑誌と代表的収録作品を紹介した『幻の探偵雑誌』シリーズ全10巻に続いて、光文社文庫から発刊されたのは、戦後間もない昭和20年代に創刊された推理小説雑誌をテーマにまとめられた『甦る推理雑誌』全10巻。第1巻で紹介されるのは雑誌「ロック」です。タイトルの意味は、ロックンロールのロック(ROCK)ではなく“鍵”を意味するロック(LOCK)です。
終戦の翌年、真っ先に創刊された推理雑誌が「ロック」ですが、その歴史は4年間と短いものでした。でも、小栗虫太郎の遺作「悪霊」を掲載したり、懸賞小説で入選した岡田鯱彦をデビューさせるなど、存在意義は低くありません。
本書には、短篇小説が11篇と、木々高太郎と江戸川乱歩が誌上で探偵小説論を戦わせた連続エッセイが収められています。
深夜のアトリエで起きた女優殺害事件にアリバイトリックをからめた「花粉」(横溝 正史)、酒場の主人が恐喝者を殺して自殺したと思われていた事件の裏面を敏腕警部が暴く「緑亭の首吊男」(角田 喜久雄)、自分の夫が殺人者なのではないかと疑う女性が娘に宛てた告白書の体裁をとって、妻であり母親である心の揺れを細やかに描く「不思議な母」(大下 宇陀児)、ダイイング・メッセージとアリバイをからめたトリッキーな「8・1・8」(島田 一男)、一高の同窓生5人の間で起きた、美貌の女学生をめぐる浅間山(作中では「A山」とされています)火口での決闘と転落死事件の真相を描いて同誌の懸賞小説で第一席入選を果たした「噴火口上の殺人」(岡田 鯱彦)といった、著名な推理作家のほか、鮎川哲也が本格的にデビューする前に別名義で発表した「蛇と猪」を収録。また、無名の作家の作品にも、雪の朝、女性の斬死体が新雪の中に突っ立っていたという「犬神家の一族」風味の怪奇な発端から始まる「飛行する死体」(青池 研吉)や、満員のプラットホームから転落死した女性をめぐる男たちの愛憎が暴かれる「遺書」(伴 道平)など、読み応えのあるものが少なくありません。
戦前、甲賀三郎との間で探偵小説の芸術・非芸術論を戦わせた木々高太郎(このふたりの論戦は
「探偵春秋」傑作選で読むことができます)が、甲賀(終戦の年に逝去)と並ぶ探偵小説の論客・乱歩に挑み、双方が追い求める理想の探偵小説のあり方をぶつけた連載エッセイ「新泉録」(木々高太郎)と、それに乱歩が真摯に向かい合った3篇のエッセイも読み応えがあります。

<収録作品と作者>「花粉(『笹井夫妻と殺人事件』の内)」(横溝 正史)、「写真解読者」(北 洋)、「緑亭の首吊男」(角田 喜久雄)、「不思議な母」(大下 宇陀児)、「みささぎ盗賊」(山田 風太郎)、「8・1・8」(島田 一男)、「蛇と猪」(薔薇小路 棘麿)、「火山観測所殺人事件」(水上 幻一郎)、「遺書」(伴 道平)、「噴火口上の殺人」(岡田 鯱彦)、「飛行する死人」(青池 研吉)、「新泉録」(木々 高太郎)、「一人の芭蕉の問題」「探偵小説の宿命について再説」「論議の新展回を」(江戸川 乱歩)

オススメ度:☆☆☆

2006.8.12


20世紀SF3 1960年代 砂の檻 (SF・アンソロジー)
(中村 融・山岸 真:編 / 河出文庫 2002)

20世紀に書かれた英語圏のSF短篇の真髄を年代ごとにセレクトしたアンソロジー「20世紀SF」の第3巻。今回は1960年代です。
60年代は、第二次大戦後の混乱が収拾され、冷戦が宇宙開発競争という側面を大きく進展させた時代です。人類が初めて月に立ったのもこの時代でした(1969年)。また、ベトナム戦争の泥沼と反戦運動、世間からドロップアウトした若者たちによるサブカルチャー(ロック音楽、ドラッグ、フリーセックスなど)が氾濫した時代でもあります。
SF界では“ニュー・ウェーヴ”という新たな波が起こり、かつての通俗SFに見切りをつけた新世代の作家たちが、文学的なものから意味不明の前衛的な作品まで、SFの可能性を極限まで発展させて見せました。余談ですがドイツで『ペリー・ローダン・シリーズ』が始まったのもこの年代(1961年から)。
実は、初めて読んだジュブナイルでないSFは“ニュー・ウェーヴ”の代表的作家J・G・バラードの「狂風世界」でした。パニック・スペクタクルだと思って買ったら、まったく違っていました(笑)。以降数年のSF遍歴は、甚だバランスを欠いたものでした。バローズの火星シリーズやスミスのレンズマン・シリーズ、アシモフの「銀河帝国の興亡」などの古典と並行して、バラード、オールディス、ゼラズニイといった60年代を代表する作家の作品を読んでいたのですから、いい意味では幅広く、悪い意味では脈絡なく、という状態。SFガイドブックといったものを読まず、書店で見かけたものを次々に手にとっていたからだと思います。
この巻には14の作品が収録されています。うち5篇は既にほかの短篇集で読んでいたもの(「復讐の女神」、「コロナ」、「メイルシュトレーム2」、「銀河の〈核〉へ」、「讃美歌百番」)。初読みの作家はR・A・ラファティとダニー・プラクタの2人でした。
では、各作品を紹介していきましょう。

「復讐の女神」(ロジャー・ゼラズニイ):3人の超能力者(ミュータントと呼ぶ方が正しい)が協力して、凶悪な犯罪者を捕えようとする話。サンドールは驚異的な記憶力と参照能力を持ち、銀河系の人類居住惑星の風景映像を見るだけで場所を特定できますが、肉体的には手足がほとんどなく対人恐怖症。ベネディックは強力なサイコメトラー(誰かが触れた品物に触るだけで、その人の経歴や心象風景を察知できる)ですが、性格に欠陥があり知ってしまったゴシップをだれ彼構わず触れ回る癖があるため、怖れられ憎まれ疎まれています。リンクスは引退した秘密情報部員で、現役時代は凄腕の殺し屋でした。この3人が追うのは、宇宙艦隊のヒーローで正義の味方だったのにもかかわらず、ある理由から反体制の犯罪者となった“心臓のない男”ヴィクター・コーゴ。ラストではゼラズニイお得意の神話ネタに昇華されています。なお、本編は「キャメロット最後の守護者」(ハヤカワ文庫SF)にも収録されています。
「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」(ハーラン・エリスン):バイオレンスの作家エリスン(代表作は「世界の中心で愛を叫んだけもの」)の出世作。冷徹な全体主義の管理社会となった未来では、スケジュールの遅れは犯罪であり、遅刻をした者は自分の寿命をその分縮められるという仕組になっていました。それを管理するマスター・タイムキーパー“チクタクマン”と、サボタージュ活動を続ける謎の存在“ハーレクィン”との暗闘を描きます。オチも秀逸。
「コロナ」(サミュエル・R・ディレイニー):現在ではレアアイテムとなっている短篇集「時は準宝石の螺旋のように」(サンリオSF文庫)で読んだことがあります。宇宙港の工事現場で働く前科者の青年と、テレパシー能力で他人の心が読める故に傷ついて自傷行動を繰り返す少女とが、ひょんな偶然から出会って――。ラストは泣けます。
「メイルシュトレーム2」(アーサー・C・クラーク):巨匠クラークは第1巻に続き2度目の登場です。月面から地球へ帰還する射出カプセルの事故によって、5時間後には月面に激突してしまう運命に見舞われた技術者の心理をリリカルに描きます。タイトルはポオの「メイルシュトレーム」から。短篇集「太陽からの風」(ハヤカワ文庫SF)にも収録されています。
「砂の檻」(J・G・バラード):機械文明が衰退した黄昏の地球、なぜか火星の砂に埋もれたケープ・カナヴェラル(初期のロケット打ち上げ基地がありましたね)の廃墟に、不法居住する男女の偏執的とも思える姿を淡々とした筆致で描きます。特に、事故で亡くなった夫の遺体を乗せたまま軌道を周回している人工衛星を追い続ける女性ルイーズは、主人公以上に強い印象を残します。
「やっぱりきみは最高だ」(ケイト・ウィルヘルム):人間の感情そのものを視聴者に直接伝達できるマスメディアが発達した未来を舞台に、とある女優とプロデューサー、技術の発明者の葛藤を描きます。
「町かどの穴」(R・A・ラファティ):アメリカ開拓時代から受け継がれた大ホラ話の衣鉢を継ぐラファティのユーモラスな短篇。パラレルワールドものの変形とも言えますが、アシモフやクラークの科学的説得力のあるホラ話SF(クラークの「白鹿亭奇譚」とか)と違い、シュールなぶっ飛び方がすごいです。
「リスの檻」(トーマス・M・ディッシュ):どことも知れぬ小部屋に閉じ込められ、ひたすらタイプを叩き続ける生活を続ける青年の独白。物書きとしての存在意義を追求していくと、このような思想にたどり着くのかも知れません。この巻の中でいちばん怖い作品。
「イルカの流儀」(ゴードン・R・ディクスン):イルカとの意思疎通の研究を続けるマルコームは、研究資金の打ち切りに怯える日々を送っていましたが、取材に訪れた女性ジャーナリスト、ジェインに恋心を抱きます。マルコームには、地球は文明の進んだ宇宙人に監視されていて、ある段階まで進化を遂げたときに人類はかれらからコンタクトを受ける資格を得るのだという考えの持ち主でした。マルコームはイルカとの新たなコミュニケーションの手掛かりをつかみますが、同時に研究打ち切りの通告が――。ラストのいかにもSF的などんでん返しが鮮やかです。
「銀河の〈核〉へ」(ラリイ・ニーヴン):ニーヴン初期の『ノウン・スペース・シリーズ』の一編。宇宙をまたにかける冒険家ベーオウルフ・シェイファーは、がめつい銀河商人種族パペッティア人から、超光速宇宙船の提供を受け、宇宙船のPRをかねて銀河中心部への探検飛行という依頼を受けます。数万光年を一気に飛んだ彼が目にした銀河の核の光景は――。「中性子星」や「フラットランダー」など、ベーオウルフが主人公の短篇には印象的な宇宙SFが多いです。(いずれもハヤカワ文庫SF「中性子星」に所収)
「太陽踊り」(ロバート・シルヴァーバーグ):ネイティブ・アメリカンの血をひくトムは、植民惑星開発員として、人類の植民にとって弊害となる原住生物の駆除を行っていました。しかし、故郷を追われ滅亡に追い込まれた祖先の身に原住生物オオグイを引き比べ、もしかれらに知性があるとしたら――と悩み始めます。よく観察すると、足の生えたスライムといった姿のオオグイには文明と知性を感じさせる要素があるようでした。苦悩するトムは――。多くの作品で人間の複雑な内面世界を描いてきたシルヴァーバーグの面目躍如たる作品です。
「何時からおいでで」(ダニー・プラクタ):時間旅行テーマのショートショート。タイムトラベルが不可能だという証明としてよく挙げられる理由に、「これまで一度も未来からの訪問者がいないではないか」というものがあります。ですが、それ以外に、もっと現実的で身も蓋もない理由があるのではないかと思わせてくれる、ひねりの効いた一篇です。
「讃美歌百番」(ブライアン・W・オールディス):短篇集「爆発星雲の伝説」で読んだことがあり、タイトルは印象的だったので覚えていたのですがストーリーはすっかり忘れてました(汗)。はるか未来の荒廃した地球(なんと月の代わりに金星が地球の周囲を回っています)を舞台に、孤独な歌人ダンディの遍歴と苦悩を描きます。本当はいろいろな設定が施されているのですが、これ以上書くのはネタバレ。
「月の蛾」(ジャック・ヴァンス):大好きな『魔王子』シリーズ(ハヤカワ文庫SF)以来、久々にヴァンスSFの真髄に触れることができました。これ一篇を読めただけでもこの本を買った価値はありました。惑星シレーヌは、住民(植民して土着した人類です)のすべてが仮面を被り素顔を隠して暮らしているという不思議な星でした。しかも、無数の仮面にはそれぞれ意味があり、TPOに応じて使い分けないといけません。非常識だったりマナー違反になるばかりか、場合によっては相手に対する侮辱となり決闘を挑まれることさえあります。そして他人の仮面を暴こうとするのは最大の罪悪であり死刑に値します。さらに、住民は複雑な種々の楽器を操って歌うことで意思表示を行います。楽器も相手や状況によって使い分けなければなりません。奴隷に命令するとき、友人に話しかけるとき、目上の人や偉い人に相対するときなど、細かなマナーが決まっています。中央星域の領事として数ヶ月前に赴任した学究肌の青年ケッセルは、この異質な文化に慣れず、失敗の連続でした。そんな折、狡猾で凶悪な殺人犯ハゾーが惑星シレーヌへ逃亡したので逮捕せよという指令が入ります。しかし、連絡が遅れたために、ハゾーは着陸した後でした。仮面を被ってしまえば、他の住民との区別がつきません。シレーヌには外宇宙からやって来た人間はケッセルを含めて4人しかいないのですが、仮面のため素顔すら知りません。そのうち一人(素顔なので誰かは不明)の他殺死体が見つかります。ハゾーは誰かを殺害して化けているのだと推測したケッセルは、知恵を絞りますが――。ハードボイルドな設定に犯人探しのミステリ要素が加わり、ラストのどんでん返しも鮮やかで、エキゾチックな異世界SFを堪能できます。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.15


QED 百人一首の呪 (ミステリ)
(高田 崇史 / 講談社文庫 2002)

QED・・・quod erat demonstrandum. 証明終わり。
事件の謎を特にあたって、名探偵が好んで使うキーワードです。それがタイトルになっているだけで、中身を期待してわくわくしますね。一方、期待外れだったらどうしようという一抹の不安も(笑)。でも、この作品(たぶん、このシリーズ全体)に関しては杞憂でした。
『歴史ミステリ』という分野があります。歴史に残された謎を現代の探偵が解くもの、歴史上の人物がその時代に起きた架空の事件を解決するもの(現代人が何らかの理由でその時代に転生して謎解きをするというバリエーションもあります)に大別されますが、前者の場合さらに、過去の謎解きに限定したもの(ジョセフィン・テイの「時の娘」や高木彬光の「成吉思汗の秘密」など)と、過去の謎解きと現代の事件が関連しながら同時に解かれるもの(斎藤栄の「奥の細道殺人事件」や高橋克彦の「写楽殺人事件」など)に分けられ、この作品も現代の百人一首愛好家が殺害された事件と百人一首に秘められた謎が解かれるものです。
ワンマン経営者で百人一首マニアでもある真榊大陸が正月に自室で撲殺されます。前夜から幽霊を見たなどと情緒不安定だった被害者ですが、彼は死に際に、百人一首の読み札を一枚、握りしめていました(ちなみに文屋朝康の歌)。容疑者は息子ふたりと娘ふたり、秘書ふたりにハウスキーパーと、合計7人ですが、酒びたりの長男・静春、学者肌の次男・皓明、ちょっと頭がおかしい長女・玉美、不良上がりの次女・朱音など、誰もが怪しく見えるものの決定的証拠が見つかりません。さらに翌日、もうひとりが変死を遂げてしまいます。
この謎を解くのは、マニアックで豊富な知識の持ち主、漢方薬剤師の桑原崇です。友人のジャーナリスト小松崎が、真榊家の事件を担当する警察の岩築警部の甥だった関係から、真榊大陸が握っていた百人一首札がダイイング・メッセージなのではないかと相談された崇は、小松崎ともうひとり同席していた後輩の女性薬剤師・奈々を前に、百人一首の薀蓄を滔々と述べ立て始めます。このあたりのペダントリーは、ファイロ・ヴァンスというよりは京極堂の系譜と思われます(不必要で嫌味なものではなく、必然性があるという意味)。藤原定家が編んだ百人一首に謎が秘められているというのは、実はこれを読むまで知りませんでしたが、かなり有名な話のようです(何冊も本が書かれている)。
事件が描写されるパートは標準的なミステリですが、崇が百人一首の謎に取り組むシーンはまさにパズル・ミステリの面目躍如、ぐいぐいと引き込まれて本を置けなくなります。そして、定家が百人一首にこめた呪(まじな)いが鮮やかに提示され、ついでに事件の謎も解き明かされます。
2作目以降にも、期待大です。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.16


陰陽師 鳳凰ノ巻 (伝奇)
(夢枕 獏 / 文春文庫 2002)

『陰陽師』のシリーズ、4巻目である。
安倍晴明と相方の源博雅が、京の都であやかしを追い、魔を祓う。
そんな話が七つ、収められている。
すべての話に共通するのは、勧善懲悪の物語ではない、ということである。
魔のものやあやかしにも、れっきとした存在意義があり、晴明はちゃんとそれを理解しているのである。
だから、怪異を描いてはいるが、物語はすべて、切なく、優しい。
以前にも書いたが、これは伝奇小説でありながら、平安の風俗小説なのである。
“平安情話集”と言ってもよい。
岡本綺堂が“江戸情話集”ならば、夢枕獏のこれは“平安情話集”である。
この巻には、晴明と蘆屋道満が対決する話がふたつある。
巻頭の「泰山府君祭」と、巻末の「晴明、道満と覆物の中身を占うこと」である。
これまで、道満のイメージは、晴明の“敵役”だった。
だが、ここでは“好敵手”に変じている。
“ホームズ対モリアーティ教授”の図式が、“ホームズ対ルパン”に変化しているのである。
ここにも、“伝奇”から“情話”への転換が見て取れる。
それは、後退ではない。
ふたつの要素がバランスよく渾然一体となって、作品の質は上がっている。
これからが、楽しみなのである。
このシリーズは、次々と続きが刊行されている。
「読んでみるか」
「うむう」
「どうする」
「読もう」
「読もう」
そういうことになった。

・・・普段と調子を変えて、獏さんの文体を真似てみました(笑)。

<収録作品>「泰山府君祭」、「青鬼の背に乗りたる男の譚」、「月見草」、「漢神道士」、「手をひく人」、「髑髏譚」、「晴明、道満と覆物の中身を占うこと」

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.17


魔石の伝説5 ―総司令官カーラン― (ファンタジー)
(テリー・グッドカインド / ハヤカワ文庫FT 2002)

『真実の剣』の第2シリーズ第5巻。
今回は、これまでとがらりと様相を変え、
「運命の剣」もかくやという壮絶で勇壮なミリタリー・ファンタジーに仕上がっています。残酷度・アダルト度(?)もさらにアップし、ライトファンタジーだと思って読み始めた人は、驚愕戦慄することでしょう(笑)。
前巻、異母姉が治めるエイビニシア住人が虐殺された事実を知った聴罪師長カーランは、同行する“泥の民”の戦士チャンダレンらとともに、虐殺をもたらしたダーラの軍勢を追います。そして、同じように追跡をしていたエイビニシア軍の残存部隊に出会いますが、そこにいたのは戦闘経験のない少年兵ばかりでした。
復讐の念に燃えるばかりで実戦経験のない軍隊では、正面から立ち向かったところで百戦錬磨のダーラ軍に太刀打ちできるはずがありません。カーランは、魔道士の住むアイディンドリルへ向かう予定を遅らせて、自ら総司令官となり、ダーラ軍を打ち破るべく作戦を練り始めます。
ダーラ軍は“至高秩序団”と名乗り、自らを絶対正義として世界から魔法を一掃し、征服と略奪の限りを尽くす極悪軍団でした。単身、敵陣に乗り込んでそれを確認したカーランは、未熟で小数の軍隊が、経験豊富で人数に勝る軍隊に勝利するための奇策を次々と実行に移します。作戦上、必要だったとはいえ、全裸に全身白塗りの暗黒舞踏集団のような格好で夜襲をかける兵士の先頭に立つカーラン(汗)。魔法使いでもある彼女の存在感は、作戦立案能力・戦闘力を含めて“ヴァルデマール年代記”のタルマとケスリーを合わせたようなもので、胸のすくような(一方、胸の悪くなるような)活躍を見せてくれます。
一方、“光の信徒”シスター・ヴァーナとともに旅を続けるリチャードも、目的地を前にして沼地の野蛮人とひと騒動を引き起こすことに――。
ラストでは、さらに意外な裏切りが勃発しますが、さて次巻ではどのような展開になることでしょうか。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.18


千里眼 岬美由紀 (ミステリ)
(松岡 圭祐 / 小学館文庫 2002)

「千里眼 メフィストの逆襲」の直接の続篇・・・というより2分冊の長篇の後半部分。
前作の最終章がそのまま冒頭で繰り返され、ドラマチックな効果を上げるとともに、続けて読まない読者への配慮も感じられます。
4年前の少女拉致事件を防げなかったことを気に病む美由紀は、北朝鮮人民思想省の工作員、李秀卿に心をかき乱され、不安定な精神状態になっていました。暗躍する北朝鮮の工作員らしき人影を目撃した美由紀は、都内のとある廃ビルに潜入し、工作員と銃撃戦を繰り広げますが、そこで出会ったのは仇敵メフィスト・コンサルティングの幹部ダビデでした。
李秀卿は警視庁刑事・蒲生の監視を受けながら東京コンサルティングセンターの職員として、美由紀や嵯峨と一緒に働いていましたが、ある晩、一瞬の隙をついて姿を消します。しかし、その手口から、蒲生は4年前の少女拉致事件の真相に関する手掛かりをつかみます。そして、蒲生と嵯峨の前に突然現れた、拉致されたはずの少女・亜希子は記憶を失っていました。
一方、李秀卿が中国人のジャーナリストに化けてニューヨークへ向かったことを突き止めた美由紀は、後を追います。時に、2001年9月11日――。
作者はこれまでも、実在のテレビ番組やタレントの名前などを作中に散りばめて、リアリティを演出していました。これはスティーヴン・キングの十八番で、非日常を描くホラー・サスペンスの日常性とリアリティを付与する有効な手です。ところが、この回ではさらに一歩踏み込んで、この数年間に世間を震撼させた実際の事件――拉致事件はもちろん、新潟の少女監禁事件、外務省機密費汚職事件などを作中に取り込み、迫真性を増しています。メフィスト・コンサルティングが美由紀がかかわった事件をフィクション(もちろんシリーズ名は「千里眼」)として売り出し、大ベストセラーになっているという楽屋落ちまで(笑)。クライマックスの展開は、ちとやり過ぎという感がしないでもないですが、力技でねじ伏せられてしまいます。
ある意味では鏡に映った自分とも言える存在の李秀卿と接することで、岬美由紀はひとつの壁を乗り越え、一回り成長します。本書のタイトルが「千里眼 岬美由紀」となっていることも象徴的です。初登場作では、「千里眼」と呼ばれていたのは美由紀の師匠で上司の友里佐知子で、美由紀は「千里眼」の一番弟子に過ぎませんでした。しかし、「千里眼 洗脳試験」で師の友里を超えた美由紀は、この作品で名実ともに「千里眼」と呼ばれるにふさわしい存在となったのでしょう。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.19


イリーガル・エイリアン (SF)
(ロバート・J・ソウヤー / ハヤカワ文庫SF 2002)

「スタープレックス」以来、3年ぶりにソウヤーを読みました。「スタープレックス」で気に入って、ハヤカワ文庫から出ている邦訳はすべて買い揃えているのですが、なかなか順番が回ってきません(笑)。
この作品も期待にたがわず(いえ期待以上です)、SF法廷ミステリ(!)の傑作でした。
物語は、いきなりの臆面もないファースト・コンタクト・シーンから始まります。大西洋上に着水した飛行物体を追って現場に到着したアメリカ空母とロシアの原潜の前に現れたのは、四方対称形で4つの目と4本の外肢をもつ非ヒューマノイドの知性体でした。ハスクという名前のエイリアンは、太陽系から4.3光年の隣接星系アルファ・ケンタウリからやって来たトソク族と名乗ります。そして、太陽系進入の際に故障した恒星間エンジンを修理するために、地球人の協力を求めたのです。
ハスクを初めとする7人のトソク族(ひとりは太陽系進入の際の事故で死んでいる)は国連本部に招待された後、世界の諸都市を経巡りながら友好を深めます。しかし、ロサンゼルスに滞在中、トソク族の収容施設内で殺人事件が発生します。全身を切り刻まれて殺されていたのは、ファースト・コンタクトを担った科学者で、テレビの科学番組の人気キャスターでもあるカルフーンでした。しかも、現場の状況から、トソク族のハスクが最有力の容疑者とされ、警察当局はハスクを第一級殺人容疑で逮捕してしまいます。有罪ならば、ハスクは死刑を免れません。
カルフーンの親友で、大統領の科学顧問でもあるフランクは、エイリアンによる殺人が政敵に利用されることを怖れた大統領の極秘命令により、ハスクを救うべく行動を開始します。フランクが弁護人として選んだのは、人権派のベテラン黒人弁護士デイルでした。そして法廷は開かれ、担当検事ジーグラーと弁護人デイルとの間で丁々発止の論戦が始まります。
ファースト・コンタクトの直後に人間が異星人(敵対的な相手ではない)に惨殺されるというシチュエーションは、カードの「死者の代弁者」と似ていますが、以降の展開はかなり違います。被告が異星人であるというSF的設定を除けば、ここで展開されるのはリアリティあふれる法廷ミステリそのものです。陪審員制度の功罪が鮮やかに描かれ、迫力あふれる証人尋問、検事と弁護士の虚虚実実の駆け引きの中から、トソク族の風俗習慣や生態、そして事件の真相が徐々に浮かび上がってきます。本格謎解きミステリにも匹敵するトリックがちりばめられ、しかもSF的設定と丹念な伏線による説得力も十分。ラストのどんでん返しも見事なものでした。
中盤に法廷シーンが始まってからは、途中で本を置くことが困難になりますので、ご注意ください(笑)。

オススメ度:☆☆☆☆☆

2006.8.21


SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴 (評論)
(マイク・アシュリー / 東京創元社 2004)

某古書市で、ほぼ新品の状態で見つけ、定価の6割ほどで購入したものです。ところが、読もうとしたら、見開きのページに「乞御高評 東京創元社」と書かれた紙が挟まっていました。つまり、出版社から進呈されたどなたかが、ろくに読みもせず右から左へ売り払ったのでしょうね(笑)。だから新品。
著者アシュリーは、筋金入りのSFファン&研究家で、70年代後半に最初の労作「SF雑誌の歴史」を編んでいます。本書と同じタイトルですが、こちらは1920年代から1960年代までのSF雑誌に掲載された作品から年毎に優秀作を選び、全4巻のアンソロジーとしてまとめたものだそうです。日本の「20世紀SF」シリーズと似たような趣旨ですね。さらにアシュリーは各巻に詳細な解説を付し、それを通読すれば黎明期からのSF雑誌の盛衰の歴史がわかるようになっていました(創元推理文庫版「怪奇小説傑作集」1〜3巻の平井呈一さんの解説を読めば、英米怪奇小説の歴史がわかるのと同じですね)。実は本書は、その解説部分を基に大幅に加筆修正した完全版なのです。
英米のSF雑誌を中心に、20世紀前半の流れが克明に描き出されています。ヒューゴー・ガーンズバックとジョン・W・キャンベルという二大巨人をはじめ、SFの盛衰に影響を与えた多くの編集者と作家たちの事績を紹介していますが、特筆すべきは、SF以前の大衆雑誌の誕生と発展にもページを割き、また英語圏以外の国のSF雑誌(もちろん日本も)についても記述されていることです。また、ビブリオグラフィも充実していて、有名無名を問わず各雑誌の発行年月や、作家のみならず編集者や挿絵画家についても詳細なリストが付されています。
ただし、本書が扱っているのは50年代半ばのパルプ雑誌の終焉までで、以降は続巻に引き継がれるとのこと。翻訳が待たれます。

オススメ度:☆☆☆☆(←マニア向け)

2006.8.23


天啓の器 (ミステリ)
(笠井 潔 / 双葉文庫 2002)

メタフィクションにして本格ミステリという「天啓の宴」の続篇。帯には“天啓三部作”の第二弾と記されていますが、まだ第3作は出ていないようです。
「天啓の宴」の続篇とは言っても、一部の登場人物が重なるだけで物語としての連続性はありません。底に流れる理念が共通しているというイメージです。重なる登場人物も、もしかすると名前が同じなだけでキャラクターとしては別物なのかもしれません。
冒頭に断り書きがあり、本作に登場する三つの長篇ミステリ『ザ・ヒヌマ・マーダー』、『尾を喰らう蛇1』、『尾を喰らう蛇2』のモデルとなっている小説を先に読んでおくべきだと記されています。モデルとなっている作品とは、「虚無への供物」(中井英夫)、「ウロボロスの偽書」(竹本健治)、「ウロボロスの基礎論」(同)のこと。「基礎論」のみ未読だったのですが、竹本さんの2作は未読でもさほどの問題はありません。でも、中井さんの「虚無への供物」だけは、先に読んでおくのが必須です。なぜなら、この「天啓の器」の作中作として提示される「尾を喰らう蛇3」という作品(ちなみに512ページ/545ページを占めます)が、「虚無への供物」をモデルとしたアンチ・ミステリの巨編「ザ・ヒヌマ・マーダー」が生まれた裏事情を曝露するという設定になっているからです。登場人物名の暗合や作者の半生にまつわる謎などが次々と出てきますので、「虚無への供物」が未読だと、この作品の意義と意味がまったくわからなくなります。もちろん、そういう人は表面だけをなぞって、「なんだかよくわからない複雑なメタ・ミステリだったな」と感想を持つだけに終わってしまうでしょう。
主人公は、前作に引き続きメタミステリ作家・天童(竹本さんがモデル)と先輩作家の宗像(笠井さんがモデル)、編集者の三笠ですが、もちろんプロットは単純ではありません。
大作「ザ・ヒヌマ・マーダー」の作者・仲居(変換ミスではありません。このネーミングは笠井さんから竹本さんへの強烈なユーモアでしょう)の日記や、仲居のファンを自称する少年・晶夫の手記が挟み込まれ、構想した大作を書けずに呻吟する作家・仲居と彼を慕う晶夫の苦悩が描かれます。一方、天童は三笠から、病死したと公表されている仲居の死が実は殺人ではなかったのかという疑惑を告げられ、その謎を解くべく奔走することになります。そして浮かび上がってきたのは、小説に書かれた“ザ・ヒヌマ(氷沼)・マーダー”と無気味に重なり合う、現実に起きたと思われる“ザ・ヒヌマ(檜沼)・マーダー”でした。
解説によれば(もしかすると、解説も作品の一部と扱わねばならないのかもしれませんが)、“天啓”シリーズは、竹本さんの「ウロボロス」シリーズを批判して「俺ならメタミステリはこう書く」と真正面からぶつけてきた作品のようです。「ウロボロス」はあえてわざと物語を破綻させているのに対し、きっちりと真摯にまとめあげているという印象です。あとは好き嫌いの問題になると思いますが、こちらの方が好きです。また、作品全体を通じて「虚無への供物」とその作者・中井さんへの限りない敬意が感じられます。

オススメ度:☆☆☆

2006.8.25


地の果てから来た怪物 (SF)
(マレー・ラインスター / 創元SF文庫 2002)

ずっとタイトルだけ知っていたけれど手に入らず、ようやく創元さんの復刊フェアで入手したものです。わくわくして読み始めましたが、内容も予想通りというか、予想以上の出来で、満足しました。
現代ならSFというよりホラーに分類されるのではないかと思います。正統派の怪物小説。
舞台は南極圏に近い絶海の孤島、ガウ島(実在はしていません)。ここには南極観測隊(国籍は明示されていませんが、おそらくアメリカ)の補給基地があり、20人ほどの男女が駐屯しています。
南極基地から本土へ帰る隊員たちを乗せた輸送機が補給のためにガウ島に向かっているとの連絡が入り、退屈な日常に倦んでいた基地スタッフは色めき立っています。ところが、交信している最中、輸送機内部で悲鳴と銃声が響き、以降の通信が途絶してしまいます。それでも輸送機はなんとか島へ接近しますが、針路が定まりません。ようやく島に胴体着陸した輸送機ですが、10人いたはずの搭乗者は9人が姿を消し、唯一残っていた機長も着陸直後に操縦席でピストル自殺してしまいます。
基地の行政官(軍事基地ではないので司令官ではない)ドレイクは、動揺する部下たちを鎮め、調査を始めます。輸送機には失踪した隊員たちのほか、南極基地近くのホット・レイクで採取された植物標本や生きたアデリーペンギンが搭載されていました。
不安が募る中、基地には怪事件が続発します。真夜中に倉庫で何物かが蠢く音がし、踏み込んでみると機長の遺体が消えていました。次いで犬が怯えた様子を見せた後に行方不明になり、ついには歩哨に立っていた隊員のひとりが一瞬の隙に消失します。輸送機に潜んでどこからかやって来た怪物が跳梁していることは明白でした。隊員のひとりは、怪物は目に見えない存在なのではないかと主張します。ドレイクは一笑に付しますが、怪物が逃げ込んだと思われる繁みに光を向けても、木々は揺れ動いているのにその動きを引き起こしているものがまったく見えないという怪事に遭遇します。怪物の正体は――?
孤立した基地に正体不明の怪物が侵入してパニックを引き起こすという設定は、ジョン・W・キャンベルの名作
「影が行く」を思い出させます。キャラクター造型も、冷静沈着なリーダー(ドレイク)と、彼を恋する美人秘書ノーラ、ことごとくドレイクにたてつく部下スポルディング、科学分野をサポートする生物学者ビーチャム、ノーラを崇拝して活躍する若者トミーと、ハリウッド冒険映画の王道を行く構成です。脚本家としても活躍していたラインスターの面目躍如でしょう。
とにかく、面白いです。ラスト近くで明かされる怪物の正体を見て、なぜかブラウン神父の有名な警句を思い出してしまいました(謎)。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.26


黄昏の囁き (ミステリ)
(綾辻 行人 / 講談社文庫 2001)

「緋色の囁き」「暗闇の囁き」に続くダーク・サスペンス『囁き』シリーズの第3弾です。
ある雨の夜中、一人暮らしの青年・津久見伸一がマンション最上階の自室から転落死します。急遽、下宿先から呼び戻された弟の大学生・翔二は、事故死として処理された兄の死に疑問を抱き、兄が予備校生時代に講師をしていたという青年・占部と知り合います。
ふたりで調査を進めるうちに、伸一は死の一週間ほど前から怪電話に悩まされていたという事実を知ります。男とも女とも知れぬ怪電話の主は、「遊んでよ」とか「おじぞうさま、わらった」とか子供のように囁きかけてきたといいます。また、占部の旧友の刑事からは、現場に五十銭銀貨が落ちていたことを知らされます。それを知った時、翔二の脳裏になにかが浮かび上がりますが、明瞭な像を結びません。夕陽に照らされる風景で遊ぶ子供たち、丸く切り取られたその風景のバックにはサーカスのジンタが流れます。これは幼い日の記憶なのか――。たしかに15年前に、この地方都市にはサーカスが訪れていました。そして、一週間ほど前にも、同じサーカスが15年ぶりに興行しています。
そうこうしているうちに、伸一の幼馴染だった青年たちが次々と殺されていきます。現場には、やはり五十銭銀貨が残されていました。15年前、かれら遊び友達の間に、何が起こったのか。後から仲間に入り、いつもいじめられていた“ノリちゃん”とは――。
ラストで明かされる意外な犯人には、相変わらず驚かされますし、ここで作者は20世紀前半の本格ミステリ作家なら掟破りと言われるようなトリックを仕掛けています。でも伏線がちゃんと張られているので、久々に「騙されたぁ!」という快感が(笑)。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.27


死者は黄泉が得る (ミステリ)
(西澤 保彦 / 講談社文庫 2001)

デビュー作「解体諸因」以来、ほぼ4年ぶりに西澤作品を読みました(厳密には、その間にアンソロジー収録作品をひとつ読んでいます)。「解体諸因」の時に「ほかの作品も読んでみよう」と書いていたのに、このタイムラグ(汗)。いえ、他にもいろいろ買ってあるんですよ。順番待ちしているだけなんです。
さて、この作品、タイトルはもちろんディクスン・カーの「死者はよみがえる」(創元推理文庫)のもじりですが、内容的には関係はありません。文字通り死者がよみがえるという特異な状況での本格謎解きミステリです。死者がよみがえるのが当たり前の世界で起きる殺人事件の謎を解くミステリとしては「生ける屍の死」(山口雅也 創元推理文庫)があり、舞台も本作と同じアメリカ。作者もあとがきで「これは山口作品へのオマージュだ」と述べています。
アメリカの地方都市ヒドゥンバレイの郊外にひっそりと建つ館で、アンデッドの一団が共同生活(?)していました。“ファミリー”と自称する6人のメンバーはすべて女性ですが、前世の記憶はありません。屋敷に迷い込んできた生者は毒殺し、屋敷に設置された未知の機械に収めてアンデッドにしてしまうのです。その際、メンバー全員も同じ機械にかかるため、記憶はその度にリセットされてしまうのですが、なぜか機械の使用法などに関する共通記憶だけは残存しているという、かなり都合のいい(笑)設定。“ファミリー”のひとりである語り手は、誰がこの屋敷に機械を置いたのか、メンバーの誰が最初のひとりなのか疑問を抱いています。
一方、ヒドゥンバレイの生者の世界では、ハイスクールの同窓生にまつわる連続殺人事件が発生します。日本料理店で同窓会を開いていた5人の男女――かつての学園のヒロインで、フットボールの花形選手だったジェイクと結婚したばかりのクリスティン、日本への留学が決まったジュディ、刑事のスタンリー、陰湿な金の亡者になってしまった銀行員タッド、高校教師のマーカスは、近くのテーブルで醤油かけごはん(←笑 実は個人的には大好きです)を食べているみすぼらしいトレンチコートの男に目を止めます。
その晩、帰宅したマーカスに電話がかかります。相手はクリスティンの弟で教え子のフレッドでしたが、謎めいた言葉を口にした後、不意に電話は切れ、翌朝、クリスティンの家で他殺死体となって発見されます。なぜかあわてふためいてアリバイ捏造に奔走するタッド、トレンチコートの男が怪しいと直感するマーカス、おびえるクリスティンなど、各人各様の反応を示しますが、続いてクリスティンの家に賊が押し入り、新たな犠牲者が――。
物語は、アンデッドの“ファミリー”が、なにくれと理由をつけては屋敷を訪れる女性たち(彼女らは“ファミリー”の秘密の一部に気付いているらしい)を殺しては仲間に引き入れる過程が時系列を遡って記述されるのと、ヒドゥンバレイ連続殺人事件の経過が交互に描かれていきます。このふたつが交差する時、明かされる真相とは――?
中盤からは、後の展開が気になって、読むのをやめられなくなります。二転三転するクライマックスは、ちとやりすぎという雰囲気もありますが(最後には、わけがわからなくなって「もうどうだっていいじゃん」と感じてしまうきらいがなきにしもあらず)、細かな伏線にまで気配りがなされているので、説得力は(それなりに(^^;)あります。

オススメ度:☆☆☆☆

2006.8.29


究極のSF (SF・アンソロジー)
(E・L・ファーマン&バリー・N・マルツバーグ:編 / 創元SF文庫 2002)

SFにおける代表的なテーマを12種類挙げて、そのテーマの代表と言える一流SF作家の面々に当該テーマの短篇を書き下ろさせたという、ユニークなアンソロジー。12種類のテーマとは、ファースト・コンタクト、宇宙探検、不死、イナー・スペース、ロボット・アンドロイド、不思議な子供たち、未来のセックス、スペース・オペラ、もうひとつの宇宙、コントロールされない機械、ホロコーストの後、タイム・トラベルです(多少、表現に問題がある気もしますが。後述)。
ただし、そのテーマを得意とする一流作家が書いた作品が、そのテーマにおけるベスト作品になるかというと、必ずしもそうではないわけで、「究極の」という表現は多少割り引く必要があるかも知れません。とはいえ、バラエティに富んだ粒揃いの作品集という点は間違いありません。
では、各作品を簡単に紹介していきます。

「われら被購入者」(フレデリック・ポール):ファースト・コンタクト・テーマをポールに書かせるのは、妥当な選択だと思います。読んだことのある作品だけでも『ゲイトウェイ』シリーズ、「JEM」、「異郷の旅人」(いずれもハヤカワ文庫SF)など、このテーマを中心とするものが目白押し。この作品は、数万光年の彼方に棲むエイリアン・グルームブリッジ星人に買われて、地球までやって来られないかれら代理として働く男女の物語。サイコパスで矯正不能と診断された凶悪犯罪者が、グルームブリッジ星人に購入されます。購入された人間は自らの意識を保ちながらも異星人に操られ、外交交渉や物資購入、技術交流といった重要な仕事をこなしています。与えられる休暇はランダムで、1時間だったり1週間だったりしますが、その間だけは自由行動が許されるのです。そんなひとりウェインは、同じように異星人の代行をしている女性キャロリンに恋しており、自由時間のほとんどすべてを彼女を追いかけることに費やしていますが、ふたりともが自由でいられる時間など、ほとんどありません。ついに共に過ごせる機会が訪れますが、それはなんとも皮肉なものでした。本作のテーマは、異星人とのファースト・コンタクトであると同時に、人間精神の内面に潜むなにかとのファースト・コンタクトでもあるのでしょう。
「先駆者」(ポール・アンダースン):正確な科学技術知識に基くハードな宇宙探検SFの作家として、アンダースンはふさわしいでしょう。「タウ・ゼロ」や「アーヴァタール」(ともに創元SF文庫)など、このテーマの秀作をいくつも書いています。この作品で描かれる人類初の恒星間探検飛行は、高度なコンピューター技術とバイオテクノロジーとの組み合わせによって、実現可能性が高いものです。同時に、そこに含まれる人間心理の葛藤も。
「大脱出観光旅行(株)」(キット・リード):この作家は初読みです。不老不死テーマのSF作品としては、ハインラインのラザルス・ロングもの(実は「メトセラの子ら」しか読んでいません)やアンダースンの「百万年の船」がありますね。ペリー・ローダンも、作品の性格から必然的に、ごく早い時期に相対的不死を獲得しています。この作品は、「若返り」を売り物にした金持ち向けのサービスに憧れ、旅行機械を乗っ取って異世界へ出かけていく老人たちの悲哀を描きます。
「三つの謎の物語のための略図」(ブライアン・W・オールディス):60年代のニュー・ウェーヴ運動でSF界を席巻した、いわゆる内宇宙ものを書かせるなら、やはりオールディスかJ・G・バラードしかいないでしょう。この作品は、作者オールディスが構想している三つの作品の梗概を示すという設定(たぶん)で、不条理なみっつの物語が語られます。これ以上は説明不能(^^;
「心にかけられたる者」(アイザック・アシモフ):ロボット・テーマと言えば、これはもうアシモフ以外を選ぶことは不可能でしょう。この作品では、冒頭に「ロボット工学の三原則」が掲げられ、ロボット・テーマの永遠の課題でもある、この三原則の制約をいかにして超越するかというスペキュレーションが行われます。ここで出されたひとつの結論が、後期の『ファウンデーション・シリーズ』(
「ファウンデーションの彼方へ」および「ファウンデーションと地球」)に結実しているのだと思います。
「ぼくたち三人」(ディーン・R・クーンツ):作者は、あのクーンツですが、モダンホラーのベストセラーを量産して大ブレイクする前のクーンツです。SF作家として一流という評価を受けていたことは特筆すべきでしょう。ここでのテーマは“不思議な子供たち”ですが、ミュータント・テーマ(または新人類テーマ)と読み替えてもいいと思います。人類を滅ぼしてしまうほどの恐るべき超能力を持って生まれた3人の兄弟(男2人、女1人)を待っていた皮肉な運命を描きます。短篇集「闇へ降りゆく」にも収録されています。
「わたしは古い女」(ジョアンナ・ラス):未来のセックスというテーマだけは、2作品が収録されていますが、編者によれば「それぞれ男性の立場と女性の立場から書かれたものを載せるのが妥当」ということでした。ごもっとも。ということで、この作品は女性の視点から未来のセックスを描きます。内容は、当時は革新的だったのかもしれませんが、21世紀の現代では、あまりインパクトが感じられませんでした。
「キャットマン」(ハーラン・エリスン):男性視点からの未来のセックス・テーマ。エリスンといえば暴力とセックスは切っても切れない作家ですから、妥当な人選でしょう。未来の、窃盗行為が意味をなくしてしまった社会で、なおも泥棒を続ける青年と、彼を追うベテラン刑事(実はふたりは親子)の確執を縦軸に、そして青年が病的に追い求める究極の悦楽の正体を横軸に、狂的に歪んだビジョンが描かれます。暴力描写や超能力の扱いなど、アルフレッド・ベスターの作品だと言っても通りそうです(実は読みながら、作者名を確認してしまったり)。
「CCCのスペース・ラット」(ハリー・ハリスン):スペース・オペラがテーマなら、ハリスンは正しい選択肢でしょう。「死の世界」三部作(創元SF文庫)や「ステンレス・スチール・ラット」シリーズ(サンリオSF文庫)で、モダン・スペース・オペラを展開しています。この作品は、1930年代〜40年代のパルプ雑誌を中心とした荒唐無稽なスペース・オペラのスタイルを借りて、未だに古いスタイルで書き続ける一部の二流SF作家に痛烈な皮肉をかましています。タイトルも「ステンレス・スチール・ラット」のセルフ・パロディでしょう。
「旅」(ロバート・シルヴァーバーグ):“もうひとつの宇宙”というとわかりにくいですが、要するにパラレルワールド・テーマです。実はシルヴァーバーグのこのテーマの作品はひとつも読んでいません(汗)。この作品は、並行世界を次々に渡り歩きながら“自分探し”の旅を続けるひとりの男の物語です。元の世界での妻エリザベスを追い求め、異なる歴史を持つ様々な世界を遍歴するカメロンを最後に待ち受ける運命は――。いくつもの並行世界自体が独特の魅力を持っており、もしかすると別作品の舞台になる(なっている)のかもしれません。
「すばらしい万能変化機」(バリー・N・マルツバーグ):編者のひとりマルツバーグが自ら書いているのは、“コントロールを逸脱したマシン”テーマです。しかし、狂った機械が人類を襲うといったありきたりのストーリーではなく、バーチャル・リアリティとからめた異様な未来社会が展開されています。もっとも恐ろしいのは、機械がコントロールを逸脱しているのに、誰もそれに気づいていないという事態なのかもしれません。
「けむりは永遠に」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア):タイトルは記憶にないのにストーリーに覚えがあるな、と思っていましたが、短篇集「老いたる霊長類の星への賛歌」(ハヤカワ文庫SF)に「煙は永遠にたちのぼって」というタイトルで収録されていました。ティプトリーと破滅テーマというのは、あまりそぐわないのではないかと思っていたのですが、さすがはティプトリー、描かれているのは物質的な破滅よりも恐ろしい、精神の破滅――自ら信じていたものが崩壊し、しかもそれが永遠に繰り返されるという悲惨なドラマでした。
「時間飛行士へのささやかな贈物」(フィリップ・K・ディック):ハヤカワ文庫SF版『ディック傑作集』第2巻のタイトルにもなっている、彼の代表的短篇のひとつ。人類初の時間飛行に送り出された米ソの時間飛行士たちは、帰還の際の内破によって死亡したと発表されます。しかし、パイロットのひとりアディスンは、恋人のマリールウの元へ帰ってきます。無限ループする時間の罠に落ち込んでしまったのではないかと懸念するアディスンらは、懸命に輪を断ち切ろうと努力しますが――。時間旅行者が、未来や過去の自分と出会ったらどうなるかという古典的なテーマにひとひねりを加えた作品です。

オススメ度:☆☆☆

2006.8.31


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