病魔の棲む街 (ミステリ)
(米山 公啓 / 双葉文庫 2003)
現役医師でもある作者が、病気と医学に関する知識を駆使して描く、「病気」をテーマとしたミステリ短篇集。これまでにも、ミステリ作家森村誠一さんの「感染都市」という短篇集を読んだことがありますが、これは森村さんが過去に発表した多くの短篇の中からそのような題材のものだけを選んで編まれたもの。こちらの「病魔の棲む街」は、最初から疾病にからむキーワードを決めて、書き下ろしたシリーズものです。6つの作品が収められています。題材そのものよりも、その題材を利用する人間のエゴや醜さ、さらに登場する医師の言葉として挟み込まれる、現役医師の本音ともとれる冷徹で醒めたセリフが怖ろしいです。
「複視」:ものが二重に見えるという症状に何度も襲われたデザイナーの江口は、脳腫瘍ではないかと怖れ、学生時代の友人が開業している諫早医院に駆け込みます。医院の玄関で意識を失った江口がベッドで目覚めてみると、諫早医師が診察室で刺殺されていました。数日前に諫早から奇妙な正方形の絵画を預けられていた江口は、殺人事件の謎を解く鍵がその絵に隠されているのではないかと疑いますが・・・。
「発熱」:事務機器メーカーのエンジニア・富岡は、たまたまコピー機の修理に訪れた会社の女性社員・真理子と不倫関係になります。関係を知った富岡の妻は、真理子と話し合った直後に、風邪のような発熱から衰弱して急死してしまいます。富岡と真理子は同棲生活を始めますが、富岡が真理子の旧友、萌子と浮気してしまったことから、真理子は部屋を出て行ってしまいます。慰謝料代わりに、ペットの世話をするよう命じて・・・。感染症の知識のある読者には最初からバレバレのネタでした。
「頭痛」:フリーライターの比留間はしつこい頭痛に悩まされていました。脳のMRI検査の結果、大脳の一部が石灰化していることが判明しますが、原因は不明。比留間は、3年前に交通事故で頭を打ち、入院したことがあるのを思い出しましたが、その前後の記憶があやふやなのに気付きます。手がかりを求めて、比留間は入院していた医院を訪れますが――。悪意ある特定の意図を持った医師が、患者に何ができるのかがあからさまに描かれ、空恐ろしい気分にさせられます。
「動悸」:5年前、不整脈の治療のためペースメーカーを埋め込んだ西村は、最近、夜中になると強い動悸に悩まされ、同時に悪夢を見るようになっていました。ペースメーカーの手術を受けた病院へ行ってみると、院長は息子に代替わりしていました。ペースメーカーのプログラミングを調整するために入院することになった西村は、5年前に手術を受けたとき担当だった看護師・里香子のことを思い出します。そして、その後に起こった、思い出したくない悲劇も――。
「腹痛」:救急医の新居は、夜中に激しい腹痛を訴えて運び込まれた青年を診察しますが、異常は見つからず、鎮痛剤を与えて帰します。その後、都内の病院の雇われ院長に就任したばかりの新居のところに、暴力団風の男がやって来ます。例の腹痛を起こした青年が、その晩のうちに急死した、医療過誤で訴えると脅して来たのです。必死に対応を画策する新居は、その裏に隠された過去の秘密に気付きます。
「発疹」:コンビニチェーンの本社統括部に勤める梅多は、新商品企画会議で、部長が推薦した輸入品のサプリメントカプセルをのみます。その後、サプリメントをのんだ梅多を含む数人に、激しい痒みを伴う発疹が出、さらに発疹が出た社員がひとり、またひとりと変死します。恐怖を感じた梅多は、サプリメントの正体を知ろうと、独自の調査を開始しますが、彼が行き着いた先は会社に潜む闇の部分でした・・・。
オススメ度:☆☆☆
2007.3.4
恒星三角形の呪縛 (SF)
(H・G・フランシス&ハンス・クナイフェル / ハヤカワ文庫SF 2007)
『ペリー・ローダン・シリーズ』の第333巻です。
今回は、ある意味ちょいと特異で、ふたつのエピソードとも、ローダンやアトランをはじめとする主要登場人物がまったく出てきません。唯一の例外は、後半の冒頭にブリーが数ページ出てくるだけです(もともとブリーは登場頻度がかなり少ないですから、主要人物と言えるのかどうか・・・笑)。どうやら、今後の展開へ向けていろいろと伏線を張る巻のようです。
「火山泥棒」(H・G・フランシス):なんか“火事場泥棒”みたいなタイトルですが(笑)。地球から1万7千光年あまり離れたトウ=トノ星系の第2惑星には、先史時代の文明の遺跡があり、その中心に位置するクモル火山は、人類の知性を向上させる放射を出す稀少物質クモル金属が銀河で唯一、採鉱できる場所でした。人類にとって貴重なこの金属がラール人の手に落ちるのを防ぐべく、火山全体を惑星から切り取って運び出そうと、ローダンの密命を帯びたコマンドがトウ=トノ星系にやってきます。指揮官は、何十巻ぶりの登場でしょうか、悪魔のような外見のシェボパル人で知性捜索コマンドのチーフ、シェFでした。ところが、クモル火山に建てられた大学では、学長のアンティ、パイルシェ=パモの主導でレトルト培養人間の実験が行われていました。クモル金属がなくなれば実験が続けられなくなるパイルシェ=パモは、シェFに敵対して古代文明が遺した兵器を投入します。しかし、事態をかぎつけたラール人の意を受けた超重族の艦隊が迫っていました・・・。フランシスよりもフォルツが好んで書きそうな思わせぶりなエピソードですが、ここで初登場したレトルト人間のフランクが、今後のストーリーに大きくからんできそうな予感がします。
「恒星三角形の呪縛」(ハンス・クナイフェル):ラール人から人類を守るために意を砕くブリーが取り寄せた、20年前のエクスプローラー船の記録。それは、“大群”が銀河に出現する直前に、古レムール人が建設した恒星転送機を探すために銀河中枢部へ送り込まれたエクスプローラー船2隻の冒険でした。アンドロメダ星雲につながる転送機とは別の恒星転送機を発見したエクスプローラー・コマンドですが、待機中に“大群”の痴呆化放射に襲われ、乗組員のでたらめな操作の結果、偶然にも古レムール人が疎開した二重星系にたどりつきます。船長のレルクは、そこに地球型の惑星を発見しますが・・・。
前半のシェFといい、“アンドロメダ”サイクルや“大群”サイクルなど、ディープなファンには懐かしい舞台や名前が次々出てきて、もしかして懐古モードに入ったのだろうか、という気になりましたが、途中からシリーズを読み始めた人には、何が何やらというエピソードかもしれません(笑)。
このエピソード、まだまだ続きそうです。
オススメ度:☆☆☆
2007.3.14
真空ダイヤグラム (SF)
(スティーヴン・バクスター / ハヤカワ文庫SF 2003)
ビッグバンによる宇宙の始まりから恒星がすべて死に絶える終焉までを壮大に描いた、宇宙年代記連作集の後半です。前半「プランク・ゼロ」では、宇宙に進出した人類が遭遇する驚くべき生命体や宇宙の神秘、想像を絶する姿やメンタリティを持った異星人との知恵比べ、超種族ジーリーの謎の解明など、センス・オブ・ワンダーに満ちた作品が多かったのですが、こちらは特に後半になると、人類と宇宙の運命をペシミスティックな視点で見つめる内容に変わってきます。全体的な雰囲気はベンフォードの機械知性v.s.有機体知性の対立を描く例のシリーズか、ブリッシュの『宇宙都市』シリーズでしょうか。
収録作品は、エピローグの「イヴ」(「プランク・ゼロ」冒頭の「プロローグ:イヴ」の直接の続き)を含めて、10篇です。
「ゲーデルのヒマワリ」:銀河系には、ジーリーと異なる太古の宇宙文明の遺物が、様々な場所に遺されていました。そんな異文明の遺産を人類のものにするのが、カプールの任務。軍人のメイスと共に巨大なスプライン船に乗り組んだカプールは、とある古い恒星系に存在する“雪片”という巨大構造物の調査に赴きます。フラクタル構造をとる“雪片”は、これを作り出した異質知性のデータバンクのようでした。数学者ゲーデルが証明した定理に秘められた“雪片”の秘密とは――。
「真空ダイヤグラム」:ジーリーが遺した巨大建造物“角砂糖”を調査する人類。内部へのあらゆる探索を拒み続ける“角砂糖”に対して、グリーン中佐は特殊な能力を持った記憶喪失の青年ポールを送り込みます。しかし、ジーリーとの共存を唱えるタフト博士はグリーンに反旗を翻し・・・。混乱の中、量子力学的波動関数を操る能力を発揮したポールは“角砂糖”内部に入り込み、ジーリーの驚くべき企てを知ることになります。
「密航者」:長篇「天の筏」の一部(冒頭または冒頭に近い部分でしょう)を抜き出して加筆した作品だそうです。ジーリーの“大放射点”を攻撃して蹴散らされた人類の末裔は、驚くべき重力定数を持つ宇宙で生活していました。鉄鉱山で働く少年リースは、宇宙への憧れに突き動かされて、天に浮かぶ“筏”を目指して密航を敢行します。
「天の圧制」:“大放射点”への攻撃が失敗した結果、付近の星系に散った人類は、それぞれコロニーを築いて孤立して歴史を刻むことになりました。そして数万年後、宗教的情熱をもって、散在する人類コロニーへ布教を続ける“全一”のスプライン船団。新人パイロットのロディは、中性子星上で生活できるよう進化した人類コロニーとコンタクトし、かれらが先祖代々伝えてきた詩の断片を耳にします。ほかのコロニーでも、同じような詩が収集されていましたが、言葉の断片が組み合わさったとき、隠されていた歴史の真実がよみがえります。
「ヒーロー」:「フラックス」で描かれた中性子星が舞台の一篇。森で凶悪なエイに襲われかけたテアを救ってくれたのは、伝説のスーツに身を固めた“ヒーロー”でした。しかし、彼の正体は――。どことなく「ドラえもん」や「パーマン」のような藤子不二雄テイストが漂っています。
「秘史」:「真空ダイヤグラム」でジーリーの驚くべき計画に巻き込まれた青年ポールは、はるかな時の彼方で人類を超えた存在となって覚醒します。ポールは、人類の知らない宇宙の歴史――ジーリーが巨大なリングを建造して宇宙から去った理由、ジーリーや人類に代表されるバリオン生命体とはまったく異質な暗黒物質生命フォティーノ・バードの目的――を知ることになります。
「“殻”」:この作品から先は、三部作となります。ジーリーの最終的な攻撃によって、人類は故郷の地球に“封じ込め”を受けてしまいます。それから数百万年、人類はすべての歴史を忘れ去り、氷河時代を思わせる黄昏の地球で細々と暮らし、滅びるのも時間の問題でした。しかし、好奇心と冒険心に満ちた少女アレルは、頑固な母ボイドを説得して、空を覆いつくす巨大な“殻”を目指して熱気球を作り始めます。ポオの「ハンス・プファールの無類の冒険」を思わせる旅の果てに、アレルとボイドがたどりついた場所は――。
「八番目の部屋」:アレルの孫ティールが主人公。人々は、凍てついた故郷を離れ、アレルが発見した“殻”へ移住してきていましたが、気候の変化はこちらにも否応なく押し寄せてきていました。ティールは、“殻”の原住種族マミー・カウ――どうやら人類に奉仕するために遺伝子改変されて創られた半知性種族。おそらく先祖は牛――の伝承に歌われた“八つの部屋”を求め、家族を捨てて旅立ちます。“八つの部屋”を通り抜け、八番目の部屋にたどり着けば、外世界への道が開かれるというのです。同行したマミー・カウのオレンジに助けられ、なんとか“八つの部屋”へ到着したティールが発見したものは――。
「バリオンの支配者たち」:ティールの旅と発見から8年――。人類の居留地はさらに苛酷な気候にさらされ、食糧難と病気で全員が死んでしまうのも時間の問題と思われました。ティーンの妻だったアーワルは、かつては自分を裏切った夫の発見を信じていませんでしたが、わらにもすがる思いから、村人たちとともに“八つの部屋”を探して旅立ちます。たどり着いた“八つの部屋”は、人々に温かい寝場所を提供してくれましたが、アーワルは八番目の部屋の先にある黒い物体に気付きます。そして、声なき呼びかけが――それは、非物質知性となって宇宙をさまよっていたポールでした・・・。
「エピローグ:イヴ」:亡き妻イヴのヴァーチャル存在の導きで、数百万年先の未来を垣間見たラウールは、シルヴァー・ゴーストが行おうとしている実験の正体に気付きます。しかし、新たな未来を創造しようとしたゴーストの試みは思わぬ展開を見せ・・・。何とも言えない余韻を残すラストは、この壮大な年代記にふさわしい幕切れでしょう。いくらでも続篇が書けそうですし。
オススメ度:☆☆☆☆
2007.3.20
凶笑面 (ミステリ)
(北森 鴻 / 新潮文庫 2003)
人呼んで“民俗学ミステリー”。短篇集『蓮丈那智フィールドファイル』の第1巻です。伝奇的要素満載の贅沢な謎解きミステリが5篇。実に面白いです。こういう伝奇ネタは、付け焼刃の底の浅い知識を振り回す作家の手になると、途方もなく萎える結果になるのですが、そんな心配は杞憂。じっくりと描きこまれた古代史や遺跡、宗教的遺物の謎は、史実と虚構が見事に入り混じり、重厚なリアリティをかもし出しています。作者の北森さん自身、「短篇一つでも膨大な資料を集めなければならず、量産がきかない」とおっしゃっていますが、言ってみれば伝奇長篇5本分の上質のネタが300ページあまりの中に凝縮されているわけです。こんな贅沢な短篇集はめったにありません。第2集「触身仏」も出ています。
物語のパターンは決まっています。東敬大学民俗学助教授で、異端の学者と呼ばれる美貌の天才学者・蓮丈那智と、その助手の内藤三國が、民俗学の調査に全国各地に赴き、関連して発生する殺人事件などに巻き込まれます。しかし、那智が持ち前の直観力と観察力、論理構築力で快刀乱麻、事件を解決すると共に民俗学上の謎も解明してしまうという次第。しかし、諸々の理由により、その成果を学界に発表できない、いわゆる「X−ファイル」になってしまった事件が集められているというわけです。歴史ミステリと本格謎解きミステリの醍醐味が同時に味わえるという贅沢な趣向で、使われているトリックには森博嗣さんのテイストがあるものもあります。
ワトスン役の内藤も決して無能な研究者というわけではないのですが(那智がわざわざ助手に抜擢したくらいですから、並以上の能力を持っているはずです)、どうしても引き立て役の常識人という役回りになってしまっています。とはいえ、彼がいればこそホームズ役の那智が輝き、作品に安定感が出ていることは疑いありません。
では、収録作品をご紹介しましょう。
「鬼封会」:学生のひとり都筑が那智に送りつけてきたビデオには、彼の故郷である岡山県のある村に伝わる祭祀が映っていました。しかし、穢れを払うとされる「鬼封会」に属すると思われるその映像には、過去に収集された事例にはないパターンがありました。興味を引かれた那智と内藤は祭祀を伝える青月家にフィールドワークに出かけますが、調査を始めたとたん、都筑が殺害されてしまいます。ストーカー行為の末の事件ということでしたが、那智が「鬼封会」の真の意味を解くと同時に、都筑の死の真相も明らかになります。
「凶笑面」:長野のさる村に、死者を続出させるという禍々しい面が伝えられているので、民族学的調査をしてほしい――依頼して来たのは、業界で悪名高い骨董屋・安久津でした。面を所蔵している谷山家を訪れた那智は、すでに他大学の民俗学者・甲山が調査を進めていることを知ります。安久津は凶笑面の他にもう一枚、喜人面が存在するという写真を見せ、謎はますます深まります。ところが翌朝、面を収めた蔵の中で、重いガラス瓶で頭を割られて死んでいる安久津が発見され、警察は当主の谷山玲子に嫌疑をかけます。画期的だという甲山の理論を聞いた那智は――。
「不帰屋」:かつて絶対的に男性中心だった中近世の日本社会で、年に1回だけ女性が男性よりも優位になれるという祭事――“女の家”。フェミニストの論客として名高い護屋菊恵の依頼で、東北の山村の屋敷に残る不思議な離れの正体を確かめに赴いた那智と内藤。茶室に似たその離れは、ふたつの巨大な一枚板から作られたもので、戸口の他は対面に小さな窓があるだけの狭い部屋でした。菊恵は、この部屋は女性が生理の期間中にこもることを強制された“不浄の間”だと考えていましたが、翌朝、当の菊恵が部屋の中で死体となって発見されます。現場はまさに“雪の密室”でした・・・。古典的な密室トリックが光ります。
「双死神」:全国各地に残る“だいだらぼっち”伝説と古代製鉄集団との関連についての仮説を検証するために、珍しくひとりでフィールドワークに出かけた内藤。中国地方の山間にやってきた内藤は、古代製鉄場の遺跡を見つけたという地元の研究家・弓削と落ち合い、調査に張り切る内藤ですが、宿で那智に雰囲気がよく似た謎の女性に声をかけられ、謎めいた警告を受けます。女性は“狐”と名乗り、“税所コレクション”という言葉を残して消えます。数日後、横穴式遺跡が崩落して弓削が死に、警告は現実のものとなりますが・・・。“狐”の正体は、実は――って、見え見えですが。
「邪宗仏」:聖徳太子はイエス・キリストだった――唐突につぶやいた那智の言葉に秘められた古代史の謎とは・・・。山口県のさる村に、両腕を肩から切り落とされた観音像があるという2通の手紙を受け取った那智は、内藤と共に現地に赴きます。ところが、到着してみると、片方の手紙の差出人は仏像と同じ両腕を切り落とされた姿の死体となって発見され、村は大騒ぎとなっていました。もう一通の手紙の差出人・佐芝は村の有力者で、謎の仏像を元ネタに日ユ同祖論やら何やらのトンデモ仮説を組み合わせて大々的に村おこしを目論んでいました。佐芝のセクハラ(笑)を軽々とあしらいながら、腕を切り取られた死体の謎を、那智が鮮やかに解きます。
オススメ度:☆☆☆☆☆
2007.3.23
夜鳥 (怪奇幻想)
(モーリス・ルヴェル / 創元推理文庫 2003)
戦前の探偵小説雑誌と、そこに掲載された作品を紹介した『幻の探偵雑誌』シリーズ(光文社文庫)には、各巻末に掲載作品全リストが付されています。国内作品、海外の翻訳作品、コラムやエッセイまで漏らさず載っているわけですが、そこによく登場する作家がモーリス・ルヴェルでした。現在では耳慣れない作家であるにもかかわらず、ポオやドイルと同じくらい、というよりポオやドイル以上に、作品が翻訳されているのです。
どんな作家なんだろう、と思っていたところ、いいタイミングで創元さんが作品集を出してくださいました。しかも、新訳ではなく、当時『新青年』などに掲載されたままの田中早苗さんの訳で。この訳文が、まったく古さを感じさせません。
作品としては、フランス作家らしいコント(風刺やひねりの利いた短篇小説のこと。短いもので、現在のショートショートに近いです)が中心で、ここには31篇が収められています。作風は、O・ヘンリー風の人情味あふれるものから、サキのように諧謔味のあるもの、ポオのような無気味なものなど、バラエティに富んでいますが、登場する人物は主に市井にうごめく下層階級が多く、それだけに貧困や不幸がかもし出す哀切な雰囲気に満ち、救いのない陰惨な結末のものが半数を占めます。特に悲惨さを強調するわけではなく、事実だけを淡々と描いているところに逆に凄みを感じるような気がします。また、医師という経歴から、医師や医療を題材にしたものも目立つのも特徴です。
では、簡単に収録作品を紹介しましょう。
「或る精神異常者」:主人公は、火事や転落などの突発事故を求めてサーカスや劇場に出かけるという異常性格者。自転車を使った綱渡りの見世物に入り浸りますが・・・。
「麻酔剤」:手術で麻酔をされるなら、恋人に施術してほしいと語る婦人に対し、老医師が語る若き日の苦い思い出。
「幻想」:ひとときでも幸せになりたいと願う乞食が、幸福感を味わった意外な事情とは?
「犬舎」:嵐の晩、夫人の浮気を疑う紳士がとった怖ろしい行動とは・・・。
「孤独」:独りでつつましく暮らしてきた実直な初老の公務員。人並の娯楽を求めてレストランで食事をしますが、周囲で笑いさざめく人々にかえって孤独感が強まる結果になります。
「誰?」:主人公の医師は、時おり町ですれ違う青年に見覚えがあると感じますが、相手は知っている素振りも見せません。たまたま診察を受けに来た青年の身の上話を聞いた医師は、真相に思い当たります。
「闇と寂莫」:年老いた乞食の3姉弟は力を合わせてなんとか暮らしていました。しかし、姉が死に、ひとりは目が見えず、もうひとりは耳が聞こえない弟たちを、悲劇が見舞います。
「生さぬ児」:妻の不実を疑った農夫は、幼い息子が自分の子かどうか疑い、そして・・・。
「碧眼」:“碧眼”という通り名だった娼婦が、1年前に死刑になった恋人の墓に供える花を買うため、病気を押して再び街角に立ちますが・・・。ブラックなO・ヘンリーといった風味。
「麦畑」:母親から、妻が地主の旦那とできているのではないかと聞かされた作男。麦刈りの途中、地主と一緒にいる妻を見つけ・・・。あっけらかんとしたスプラッターなラストが秀逸。
「乞食」:人のいい乞食が、夜の街道で馬車の事故で死にかけている御者に行き会います。近くの村にある御者の実家へ助けを求めに行きますが・・・。
「青蠅」:愛人の死体の前で、殺人容疑にシラをきり続ける男が、急に自白することになった理由とは。
「フェリシテ」:孤独なまま年を重ねる女工のフェリシテは、たまたま知り合った中年男と週末の2時間を一緒に過ごすようになります。ひそかに将来に希望を抱くフェリシテですが・・・。
「ふみたば」:パトロンのマダムとの恋に破れ、後腐れを防ぐために恋文までも返さなければならなくなった劇作家が、マダムに意趣返しをした手段とは。
「暗中の接吻」:痴話ゲンカの果てに、愛人から顔に硫酸をかけられて失明した男。しかし、法廷では愛人をかばい、実刑を免れさせます。男の真意とは――。
「ペルゴレーズ街の殺人事件」:収録作の中でいちばんミステリらしい作品。夜汽車に乗り合わせた4人の乗客が、最近起こった殺人事件の話をし始めます。遺体に決定的な証拠となる手形が残っていたことをはじめて聞いて、乗客のひとりがとった行動とは。
「老嬢と猫」:肉欲は悪魔の所業と信じ、純潔さに狂信的にこだわる老女は、飼っている牝猫プセットにも恋をすることなど許しません。しかし、ある晩、家を抜け出したプセットは――。
「小さきもの」:男に捨てられ、乳飲み子とふたりきりになってしまった若い女は、赤ん坊がいるという理由で女中の口も断られ、子供を施設に預けるかどうか苦悩します。決断の結果は?
「情状酌量」:息子が強盗殺人で捕まったことを知った年老いた母親。弁護士から情状酌量になるような事実はないかと問われ・・・。
「集金掛」:実直な会計係だったラヴノオは、練りに練った犯罪計画を実行に移します。しかし、たったひとつの名前を思い出せないばかりに――。
「父」:母親が病死し、老いた父とふたりだけの家族になってしまった青年。しかし、母が遺した手紙から母の不実を知り、本当の父は別にいるとわかります。息子のとった行動は――。
「十時五十分の急行」:かつて急行の運転手をしていた男が語る、暴走列車の恐怖。
「ピストルの蠱惑」:愛人をピストルで射殺するも、無罪放免になった男。自分でも、なぜ殺してしまったのかわかりません。その動機とは・・・。
「二人の母親」:語り手が公園で出会った、男の子と母親らしい女性。ところが、女性は男の子の姓も、自分が母親なのかどうかもわからないと語ります。戦争が招いた悲劇。
「蕩児ミロン」:かつては将来を嘱望された画家ミロンですが、女がらみでパリから夜逃げをし、田舎に身を隠したまま十数年が経ちました。ふと思い立ったミロンは、再び筆を執って絵を仕上げ、画廊に持ち込みますが・・・。
「自責」:かつて腕利きの検事だった老人が、死の床で自分が初めて死刑にした男性が実は無実ではなかったかという苦しみを告白します。真相は?
「誤診」:ある医師の誤診が、ひとつの家族を破滅に追い込んでしまいます。その結末は――。
「見開いた眼」:恐怖と苦悶を表情を浮かべて変死していた男性。愛人だった小間使いに疑いがかかりますが、彼女も恐怖を浮かべ――。
「無駄骨」:遺産を手に入れるために、吝嗇と評判の父を殺してしまった私生児の青年。しかし、それが無駄骨だった理由は?
「空家」:空家に忍び込んだ泥棒が、暗闇の中で味わう恐怖。その家に潜んでいたのは――。
「ラ・ベル・フィユ号の奇妙な航海」:波止場のごろつきガルールは、ラ・ベル・フィユ号の運転士を名乗る男に酒をおごられ、船を乗っ取る手助けをしてくれと頼まれます。船を手に入れればインドでお大尽の暮らしができると聞かされ、ガルールは仲間の悪党連を集めて船に乗り込みますが・・・。
以上のほかに、当時『新青年』に寄せられた、錚々たる日本作家がルヴェルを礼賛する短文が収録されています(「鬼才モリス・ルヴェル」田中早苗、「夜鳥礼賛」小酒井不木、「田中早苗君とモーリス・ルヴェル」甲賀三郎、「少年ルヴェル」江戸川乱歩、「私の好きな読みもの」夢野久作)。
オススメ度:☆☆☆
2007.4.1
カリブソの監視者 (SF)
(ウィリアム・フォルツ&H・G・エーヴェルス / ハヤカワ文庫SF 2007)
『ペリー・ローダン・シリーズ』の第334巻です。
まずは、訳者の名前を見て驚きました。まさか、嶋田洋一さんがローダン翻訳チームに参加されるとは!? 英語がご専門と思っていましたが、ドイツ語も一流なのですね。
前巻の後半のエピソードで存在が明らかになった、古レムール人の恒星転送機。ラール人の脅威が太陽系に迫ったときの脱出手段として、恒星転送機の技術をなんとか利用しようというローダンの命を受けて、アトランをリーダーとする超弩級戦艦“カリオストロ”が派遣されます。みっつの恒星からなる星系に迷い込んだ白色矮星を、太陽系へ転送しようというのですが・・・。
「カリブソの監視者」(ウィリアム・フォルツ):いかにもフォルツらしい、思わせぶりな一篇。過去にちょっとだけ登場して、物語から引っ込んでしまったいくつかの小道具・キャラクターが再登場します。アラスカ・シェーデレーアがサイノスのシュミットから受け継いだ、謎めいた“殲滅スーツ”と、“時間の穴”を抜けて時空を行き来する人形使いカリブソ。実は、アトランのコマンドが赴いた恒星系には、失った“殲滅スーツ”の手がかりを探すため、過去にカリブソが監視者を配置していました。しかし、監視ステーションにはレムール人が開発したバイオ兵器があったのです。5万年が経っても生き続けていたレムールの兵器は、ステーションに侵入したラス・ツバイにも牙をむきます。
「太陽ベビー作戦」(H・G・エーヴェルス):アトランの作戦が成功することを信じて、太陽系でも白色矮星を受け入れる準備が着々と進んでいます。しかし、計算データが改竄されていることが判明、中枢部にラール人の工作員が潜入している疑いが高まります。実は、工作員らしき存在は、冒頭で読者の前に明らかにされているのですが、この敵が誰に化けているのかが、ポイントになります。フォルツのデビュー作「戦慄」を彷彿させる、SFホラーと謎解きミステリが融合したような作風は、シリーズでは珍しいものです。もしかすると、プロット作家フォルツの意を受けて、このような雰囲気のエピソードが今後、増えてくるのかもしれません。
オススメ度:☆☆☆
2007.4.8
異形家の食卓 (ホラー)
(田中 啓文 / 集英社文庫 2003)
グロで悪趣味で、でも不思議な魅力にあふれたホラー作品集。半分は、アンソロジー『異形コレクション』に収録されていた作品です。
田中さんの作品と言えば、長篇ホラー「ミズチ 水霊」を読んで、いかにも自分好みだということを再確認したわけですが、ここでさらに再々確認(笑)。ダジャレで落とすという独特の作風も、あまり気になりませんでした。ダジャレ落ちの特徴が如実に表れているのは、表題にもなっている「異形家の食卓」にまつわる3篇の連作。ちょっと妙な素性の一家が食卓で繰り広げる団欒なのですが、なんとも人を食った話が展開されます。
良い悪いは別にして、非常に読者を選ぶ作品と思います。どろどろにゅるにゅるねちょねちょぐちゃぐちゃといった内容が苦手な方には、お勧めできません(笑)。
では、収録作品を簡単にご紹介しましょう。
「にこやかな男」:アジアの小新興国ゾエザル王国の外務大臣ジュサツが、アジア開発援助機構の外相会議に出席するために来日、ゾエザル王国の公用語が話せるただひとりの外務省職員・春山が世話係兼通訳として付き添うことになります。アジア各国はゾエザル王国を露骨に嫌っており、会議でも嫌がらせが続出します。それでも“にこやかな男”の異名をとるジュサツは心からの笑顔を絶やしません。彼がストレスを解消する手段とは・・・。
「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」:異形コレクション「グランドホテル」が初出。とあるホテルのシェフが年に1回だけ出すという特別料理。辛口の評価で知られるグルメ評論家までが絶賛するその料理の材料は――。グロなビジュアルイメージは、収録作品中いちばん。
「異形家の食卓1 大根」:異形家の長男タケルが、俳優を目指して上京したときの出来事。田舎者の大根役者とばかにされるタケルに、女優のマリアは優しくしてくれますが・・・。
「オヤジノウミ」:異形コレクション「トロピカル」が初出。家族と乗っていた船が遭難して、周囲の海域とは異なる異様な生態系(生物すべてが毒を持っている)の小島に漂着した少年タモツは、2年を生き長らえた後、救出されます。彼の命を支えたものとは――。二度目に読んで、初めてタイトルに二重の意味があることに気付きました(^^;
「邦夫のことを」:容姿とスタイルは抜群だが、男を食い物にして生きている秀子。語り手は秀子の現在の愛人で、秀子にすべてをつぎ込み、借金でがんじがらめになってしまっています。秀子が寝物語に語った、幼くして死んだ弟・邦夫にまつわる秘密とは・・・。
「異形家の食卓2 試食品」:異形家の長女ケロヒメが、気晴らしに訪れたスーパーの食品売り場。必死に食欲を我慢するケロヒメに、試食コーナーの女性がしつこく声をかけます。その結果・・・。
「三人」:異形コレクション「宇宙生物ゾーン」が初出。恒星間宇宙船に乗り組む3人。個室でホムンクルスの制作に取り組むジロウ、ジグソーパズルマニアで淫乱なマリア、自殺願望にとりつかれた霊感少女イヴと、いずれも宇宙船のクルーにはふさわしくない面々ですが、さらに誰が連れ込んだのか、船内にはナメクジとイソギンチャクを合わせたような無気味な宇宙生物まで這いずっています。P・K・ディック作品を思わせる悪夢の先に待っていた真実は・・・。
「怪獣ジウス」:異形コレクション「GOD」が初出。リアルな怪獣映画にしたいという監督の要請を受けて、莫大な報酬と引き換えに異星の怪獣ガガ竜と一時的に脳を交換することを選んだ三流俳優ジウス。しかし、不幸にも人間に戻ることができなくなり・・・。実はジウスの正体は(以下自粛)
「俊一と俊二」:異形コレクション「悪魔の発明」が初出。将来を嘱望されていたロボット研究者の俊一は、突然大学を辞めて山奥の山荘に引きこもり、人間型ロボットの開発を独自に進めていました。山荘を訪れた婚約者・里里香が見たものは、俊二と名付けられた無気味な人造人間でした・・・。切ないラストが秀逸。
「異形家の食卓3 げてもの」:異形家の当主、股太郎(桃太郎ではありません)が語る、若き日に鬼ヶ島へ鬼退治に行ったときの冒険(?)談。鬼にはいい迷惑です(謎)。
「塵泉の王」:曾祖母から「ゴミを粗末にしたらバチが当たる」と言われ続けて育った主人公は、ゴミとは縁がなさそうな一流ホテルに就職したものの、配属されたのは塵芥処理課でした。ホテルのゴミ処理場に秘められた秘密とは――。初期のクライブ・バーカーが書きそうな話です。
オススメ度:☆☆(←普通の神経の方には)
2007.4.9
Pの密室 (ミステリ)
(島田 荘司 / 講談社文庫 2003)
名探偵の子供時代を描いたミステリというのは、ありそうで、あまり聞いたことがありません(読んでいないだけかも知れませんが)。ホームズもポワロもクイーンも、少年時代の活躍を描いた作品は寡聞にして知りませんし、日本でも、伊集院大介(「早春の少年」)くらいでしょうか。最初から美少女(または少年)探偵という設定のものは除きます。
この「Pの密室」は、名探偵・御手洗潔が子供時代(なんと幼稚園と小学校2年生)に遭遇し、見事に解決したふたつの事件が収録されています。ワトスン役の石岡と、「龍臥亭事件」で初登場した女子大生・里美が狂言回しとなって、埋もれていた過去の事件が日の目を見ることになるという構成。
大人時代はエキセントリックで好きになれない(あくまで個人的意見)御手洗ですが、ここで描かれるキヨシ少年は一生懸命でいじらしく、強面で石頭の刑事を必死に説得する彼のセリフを、つい高山みなみさんボイス(←名探偵コナン)で脳内変換してしまったり(笑)。また、幼くして両親に死に別れ、厳格で世間体を気にする伯母に引き取られて、しかも女子大の敷地内(!)で育ったという事実が明かされ、ああいう人格が形成された事情も納得がいきます。とはいえ、どちらの事件でも、推理が当たったことを得意がることもなく、自分が真相を暴いたせいで関係者が不幸になることを思い、子供ながら苦悩する姿は胸を打ちます。
「鈴蘭事件」:名門女子大・セリトス女子大(現在、里美が在籍しています)の理事長を務める伯母の家で暮らす御手洗潔少年。女子大の近所にあるトリスバー「ベル」の一人娘、えり子は幼稚園の友達です。あるとき、えり子の父親が本牧埠頭から車で海に落ち、死亡します。同時に、「ベル」の店内では大量のグラスが割れて床に散乱しているのが発見されました。しかし、奇妙なことに、割れているグラスは無色透明なものだけでした。地元派出所の馬夜川巡査は簡単に事故で片付けようとしますが、キヨシは現場の状況に不審を抱き、大人たちに怒鳴られながらも証拠品集めに奔走します。案の定、その後「ベル」ではひと騒動起きるわけですが・・・。
「Pの密室」:「鈴蘭事件」の2年後、ふたたび本牧で奇怪な事件が起きます。著名な画家・土田が自宅で愛人・恭子と全身をめった刺しにされて死んでいるのが発見されますが、遺体があった部屋と家の双方が、すべて内側から鍵がかけられ、いわば二重の密室になっていました。さらに、部屋の床には真赤に塗られた画用紙が敷き詰められていました。死亡推定時刻の直前まで雨が降っており、周囲の地面はぬかるんでいたため、家に出入りした者がいれば、必ず足跡が残ります。その足跡から、恭子の夫が逮捕されますが、密室の謎や画用紙を敷き詰めた理由などはまったく明らかにならず、担当する刑事は焦りの色を濃くしていました。そこへえり子を伴って現れたのが、小学2年生のキヨシ少年。学校でえり子が見聞きしたとある出来事から、事件の真相を看破したキヨシは、ステロタイプな“おいこら”刑事・村木と一応は聞く耳を持つ橋本刑事を説得して現場へ入り込み、自分の推理を確認します。現場見取り図などもふんだんに活用される、トリッキーな一篇。
オススメ度:☆☆☆
2007.4.11
忌まわしい匣 (ホラー)
(牧野 修 / 集英社文庫 2003)
先日読んだ「ブラッド」の倉阪鬼一郎さんと同様、『異形コレクション』の常連でおなじみだった牧野修さん、1冊の本として読むのは初めてです。クライブ・バーカーの『血の本』もかくやというグロテスクでスプラッターな作品がてんこ盛りですが、バーカーと同様、いたずらに扇情的で下劣な方向に堕することなく、ある種の崇高な狂気とも言うべき雰囲気が横溢しています。
全部で13の短篇(うち5篇は『異形コレクション』で読んだことがあります)が収められており、それらをつなぐエピソードとして、「忌まわしい匣」というタイトルを付された掌篇が冒頭・中間・巻末に添えられています。連作短篇集にはこういった趣向が多く、ホラーの分野では前述のバーカー『血の本』や「人体模型の夜」(中島らも)などが挙げられます。
では、収録作品を簡単にご紹介しましょう。
「忌まわしい匣」1〜3:幸せな昼下がりを過ごしていた平凡な主婦・恭子の前に、突然“忌まわしい匣”と名乗る男が出現します。お前は“聞く女”だと名指しされた恭子は、異形の匣と化したテレビの中でうごめく無数の人々が語る言葉(つまり、それが本書に収められた各エピソードというわけです)に耳を傾けなければならなくなります。
「おもひで女」:初出は異形コレクション「時間怪談」。老母とふたりきりで暮らすサラリーマンの主人公。彼の記憶の中に巣食う、無気味な女性の影。過去の忌まわしい記憶を思い出すたびに、そこにいなかったはずの女性の姿がよぎり、不安はいや増します。その結末は――。
「瞼の母」:うらぶれた場末の歓楽街に流れ着いた初老の男、赤座。裕福な家庭に生まれ、教育熱心な母親からエリート教育を受けた赤座が、なぜこのような境遇に陥ってしまったのでしょうか。赤座の前に現れた見知らぬ若い男は、赤座を弾劾する言葉を浴びせます。
「B1伯爵夫人」:団地で暮らす小学生タカヒコの前に、夜な夜な現れる赤い鎧の男。彼の言葉に導かれて地下室へ向かったタカヒコは、“伯爵夫人”に出会います。タカヒコと一緒に地下室を抜け出した“伯爵夫人”は、団地を血に染めることに・・・。
「グノーシス心中」:変人で、友達もいない12歳の少年・千秋。カグヤマと名乗る男に誘拐された千秋は、カグヤマと霊的問答を繰り返しながら、連続殺人を続けます。
「シカバネ日記」:死んだような生活を送っている男。彼は、同じように死んだ生活を送っていた女を本当の死体にしてしまいますが・・・。
「甘い血」:外国人排斥運動が激化している日本。函崎は無気味な男に襲われている少女、ベニを救い、同居するようになります。「少なくともガイジンの血は流れていない」と語るベニの正体は・・・。
「ワルツ」:初出は異形コレクション「変身」。夜の街で老人に襲われ、四肢の腱を切られて強姦された女。車椅子生活になった彼女は、カリスマ的な音楽プロデューサー、ヒダカに引き取られ、ヒダカの屋敷で暮らすようになります。ヒダカは畸形や異形のもののコレクターとして有名で、彼女も実はコレクションの一部なのでした。やがて、彼女は暴行された際にみごもった両性具有の子供を産み落とします・・・。
「罪と罰の機械」:初出は異形コレクション「侵略!」。人知を超えた存在が創造した“罪と罰の機械”は、人間の罪をすべて吸い込んで測定しては、おぞましき暴力的な罰を下します。暴行するために母娘をさらった青年が、たまたま“機械”が潜む廃屋を訪れたことで、異変が起こります。
「蜜月の法」:初出は異形コレクション「月の物語」。“法”(“混沌”に相対するもの)が支配する現世には、数百年ごとに“扉”が現れます。今、“扉”を封じる“鍵”の役目を担った少年が、とある山小屋に潜む“扉”の元を訪れます。“扉”が開いてしまえば、“法”の支配が終わりを告げることになるのですが・・・。
「翁戦記」:縄文時代、異世界からやって来て世界を支配しようとした禍津霊は、3人の戦士によって封じ込まれました。そして現代、再び甦ろうとしている禍津霊を倒すため、古代から連綿と続いてきた勇士の血筋が目覚めますが、残念ながら3人とも年老いており、ひとりは老衰で死んでしまっていました。人類に明日はあるのでしょうか・・・。
「<非−知>工場」:初出は異形コレクション「悪魔の発明」。オカルト研究家の毛利は、初めての町で地下街に迷い込み、MIB(メン・イン・ブラック)に導かれて、異形の機械が並ぶ光景を目にします。アメリカCIAの機密実験の結果作られたという施設で、超常現象の認識論を戦わせた末に、毛利を訪れた運命は・・・。
「電波大戦」:ネットやトンデモ本で世間に蔓延する、いわゆる“電波な人々”について、異形ホラー的な解釈を施した一篇。無意味かつ狂気に富んだ電波系の専門用語とありがちなトンデモネタを散りばめ、RPG的な異世界冒険ファンタジーとしても読めるところがミソ。これ一編を読むだけでも、この本を買う価値はあります。
「我ハ一塊ノ肉塊ナリ」:小型宇宙艇に乗って、放棄された初期の植民惑星オモパギアを調査に向かった主人公。着陸した彼は、土木工事のために遺伝子的に作り出された亜種(「自由軌道」のクァディのようなもの)の集落で、思いもかけなかった異変に出くわします。バーカーの「丘に、町が」を宇宙規模に拡大したような壮絶なラストが秀逸。
オススメ度:☆☆☆
2007.4.15
ピーター卿の事件簿 (ミステリ)
(ドロシー・L・セイヤーズ / 創元推理文庫 2002)
いくつもの長篇で探偵役として活躍している小粋な英国貴族、ピーター・ウィムジー卿が登場する短篇集の第1弾。日本のオリジナル編集です。1920年代から30年代の英米本格ミステリ黄金時代の香りを伝える(その分、古めかしさは否めませんが)、7篇の中短篇が収められています。長篇と違って、カーのような怪奇趣味が目立つのが意外でした。
「鏡の映像」:ピーター卿と同じホテルに泊まり合わせた小男ダックワージーは、体中の内臓が左右逆になっているという不思議な人物でしたが、彼は一時的に記憶をなくしているうちに犯罪を犯しているのではないかと怯えています。案の定、その日の夕刊には、女性を絞殺した有力容疑者としてダックワージーとそっくりの写真が載っていました。ピーター卿の慧眼で、彼の体の秘密が明らかとなり、嫌疑も晴れることになります。
「ピーター・ウィムジー卿の奇怪な失踪」:民俗学の研究のためにバスク地方の山村を訪れたラングレー教授は、奇妙な噂を耳にします。数年前に村はずれに住みついたアメリカ人夫婦のうち、妻が悪魔に取り憑かれたというのです。その夫婦とはなんと、ラングレーの旧友ウェザーオールと美しい妻アリスでした。山小屋を訪れてみると、かつてラングレーが惹かれていたアリスは正気を失い、獣のような振る舞いをするばかりでした。ウェザーオールに、身に覚えのない不倫を疑う言葉を投げつけられ、ショックを受けて逃げるように村を去ったラングレーは、パリ行きの急行電車の車内でピーター卿と出会います。興味をひかれたピーター卿は一計を案じ、自ら魔法使いを名乗って迷信深いバスクの山村に乗り込みます。発端の怪奇性と中盤のユーモア、ラストの合理的解決が見事に融合した佳作。カー好みかも。
「盗まれた胃袋」:ピーター卿の旧友で医師のトマスは、95歳で死んだ大伯父の遺言で、大伯父自身の消化管(食道から肛門まで)のホルマリン漬けを遺贈されます。一方、もうひとりの相続人ロバートは、自分の遺産の取り分が少ないことに不満を持っていました。ある晩、トマスの家に泥棒が押し入り、大伯父の消化管が盗まれてしまいます。タイトルを見ると戦前の海野十三あたりの怪奇ミステリを想像させられますが、ホームズもののさる作品を彷彿させる洒落たオチの一篇。
「完全アリバイ」:高利貸しが自室で刺殺されますが、彼を殺す動機のある人物はすべて、遠く離れた場所にいたという完璧なアリバイがあります。ピーター卿は自ら実験して、犯人の巧緻なトリックを暴きます(このトリックは現代ではちょっと難しそうですが)。
「銅の指を持つ男の悲惨な話」:ロンドンのクラブに現れた映画俳優ヴァーデンが、昔ニューヨークで体験した奇妙な経験を語ります。金属彫刻家ロウダーの屋敷に滞在していたヴァーデンは、その頃モデルを務めていたマリア(ロウダーの愛人でもありました)に心惹かれていましたが、仕事のため海外へ行かざるを得なくなります。ニューヨークへ戻ったヴァーデンはマリアが失踪したことを知りますが・・・。
「幽霊に憑かれた巡査」:冒頭、ピーター卿の赤ん坊の出産シーンがあって驚かされます。もちろん生んだのはハリエット。つまりこれは、「学寮祭の夜」や「忙しい蜜月旅行」の後の出来事なのですね。さて、頭を冷やすためにピーター卿は外に出ますが、うちひしがれた様子で歩いてくる巡査に出くわします。この地域を担当したばかりだというその巡査は、13番地と表示が出た家で悲鳴が聞こえ、郵便受けから覗き込んだら男が刺殺されて倒れているのを目撃したと言います。ところが、この通りには偶数番の番地しかなく、応援の巡査と聞き込みをしても事件の目撃情報もなし。挙句の果てに、巡査は勤務中に酒を飲んでいたのだろうと疑われる始末。存在しないはずの部屋が現れるというM・R・ジェイムズの短篇「十三号室」もかくやという怪奇な現象を、ピーター卿は鮮やかに解き明かします。
「不和の種、小さな村のメロドラマ」:田舎の小さな村を訪れたピーター卿は、滞在先の治安判事ピムから、地元の大立者バードックがアメリカで死に、死体が送り返されて葬儀が大々的に行われることを聞かされます。しかし、バードックは長男マーティンのスキャンダルを契機に逃げるように村を離れており、遺言の内容も公開されていません。また、都会から来た新任の牧師は村人たちをそりが合わず、ピム家の雇い人プランケットは前夜、幽霊馬車を目撃したことに恐怖して寝込んでいます。その晩、旧友の家で酒食をともにしたピーター卿は、馬に乗って帰る途中、雨模様の闇の中を音もなく走る無気味な馬車を目にします。4頭の馬には首がなく、首無しの御者が操るという、イングランドの言い伝えにある幽霊馬車そのものでした。また、その頃、教会には賊が押し入り、遺体を守っていたメンバーは納屋へ押し込められてしまっていました。その後、バードックの次男に招待されたピーター卿は、古書の隙間から遺言状を発見しますが、そこには奇妙な文言が書かれていました。
オススメ度:☆☆☆☆
2007.4.25