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Cool Cool Dandy  〜The First Step〜

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第16章

「未成年に酒を飲ませてどうするつもりだったんだね」
 マリーンをかつぎ込んだ先の小さな医院で、50がらみの医師が机に向かってカルテに何か書き込みながら、ヤムチャをちらっと横目で見て言った。マリーンはベッドに横になり点滴を打たれている。
「さ、酒って……オレは何も……」
 慌てて言ってから、ヤムチャはあっと声をあげてマリーンを見下ろした。
「こ、こいつ、どさくさに紛れてオレのビール……!」
 どうりで減るのが早いわりに一向に酔わないと思った。気持ちよさそうに寝息を立てている彼女を呆れて見ながらヤムチャは溜息をついた。
(マスターといい、この医者といい、完全にオレって誤解キャラかもな)

 医師はペンを置くとヤムチャに向き直った。
「空きっ腹に急激にアルコールを入れて酔っぱらったってこともあるが、この子が倒れたのはそれだけじゃないね」
「え? ……と言うと」
 医師は白髪混じりの生え際に手をやりながらマリーンを見て言った。
「かなり無理をしているようだ。若いから何とか今まで持っていたんだろうが。過労だよ」
「過労!?」
 そうだ。ヤムチャも気にはなっていたのだ。普段は美容師として働き―――それもまだ新米だからこき使われているに違いない―――その上、仕事が休みの日には居酒屋でバイトまでしている。休みが取れるのはせいぜい月に一日か二日がいいところだろう。

 ヤムチャは眠っているマリーンの顔を見た。まだ幼さの残る頬の線が、最初に会った頃と比べてこけている。
(なぜもっと早く気づいてやれなかったんだ)
 会えばいつも憎まれ口をたたいてばかりで、元気のあり余っている姿に紛れてわからなかった。
「わたしにもこのくらいの娘がいてね」医師は穏やかな視線をマリーンに向けた。「きみも恋人ならもっと彼女の健康に注意してやるんだな」
 いや、オレは別に……と言いかけてヤムチャは口をつぐみ、マリーンの顔を見つめた。


 点滴が終わるまでまだ一時間以上かかる。彼は薄暗い待合室の公衆電話からアメリアに電話を入れた。
「アメリアか? ヤムチャだ。実はマリーンが倒れた。今、点滴を打ってるんだが……。もしもし? 聞いてるか?」
 絶句していたアメリアがようやく返事をした。
「……は、はい。大丈夫なんですか?」
「ああ、ちょっと疲れが出ただけだってさ。心配するな。点滴が終わったらそっちへ連れて帰るよ」
 力強い声で励ますとヤムチャは電話を切った。
(かわいそうに。かなり参ってるみたいだな)
 アメリアの気持ちを思うと胸が痛んだ。


 点滴が終わり、ヤムチャはマリーンを連れて夜間出入り口から医院を出た。さすがに毒舌家の彼女もまだ体調が戻ってないのか、ヤムチャに悪いと思っているのか、うつむいたままおとなしく彼の腕を借りて歩いている。
 腕時計を見ると9時過ぎになっていた。
「そろそろバカ騒ぎが終わる頃だな」ヤムチャはライトで煌々と照らされたドーム球場を遠くに見て言った。「行こう。急がないと帰りの客で道が混む」
 そう言って懐をまさぐり、彼は「いっけねぇ〜」と情けない声をあげた。「カプセルのケースを店に忘れて来ちまった」
 慌ててマリーンをおぶって戸締まりだけして店を飛び出したので、彼は白いワイシャツに黒い蝶ネクタイというバーテンダーのスタイルのままだった。ケースはロッカーの私服のポケットに入っている。
「参ったなあ。仕方ない、タクシーを拾うか」
 イベント帰りの客を当て込んで流しのタクシーがちょうど通りかかった。

 乗り込んでからヤムチャが「もたれてもいいぜ」と言うと、マリーンは言われるままに彼の肩に頭を預け、目をつむっている。顔色がまだ紙のように白い。
 アパートまであと5分というところで、マリーンは口を手で覆い、苦しそうに呻いた。額には汗がにじんでいる。
「大丈夫か?」
「気持ち悪い」
 タクシーの運転手はいきなり車を路肩に寄せて止めた。ヤムチャが何か言う前に運転手は後部座席のドアを開けると言った。
「困るんだよ。中で吐かれちゃ商売上がったりだ。これからかき入れ時なんだから。金はいらないからここで降りてくれ」
 押し問答をしている余裕はなかった。ヤムチャがマリーンを抱きかかえるようにして降ろすと、タクシーは逃げるように走り去って行った。

 都心部と違い、ここらあたりはこんな時間になるともう歩道に人通りはない。車のライトだけが時折二人を照らして行く。
 マリーンは街灯につかまってしばらく肩で息をしていたが、やがて吐息をひとつつくと、「おさまったわ……」とつぶやいた。ヤムチャは彼女の前に回ってかがんで背を向けた。
「オレにおぶされよ」
「いいわよ。平気」
「病人は言うことをきくもんだぞ」
「わかったわよ」
 アパートが見えてくると、彼女はおぶさったままヤムチャの耳元に小さな声で言った。
「ありがと」
「なんだよ。そんなに素直だと調子狂うな」
 マリーンは彼の耳を思い切り引っ張った。
「人が素直に言ってる時は素直に聞くものよ」
「いててて。それだけ元気だともう大丈夫だ。ここから歩けよ」
「やあよ。楽ちんなんだもん」
 彼女は笑ってヤムチャの首に両腕を巻き付けた。
「あんたに借りが出来ちゃったわね。あたし、いつか自分の店を持つわ。そしたら来て。あんたの髪はあたしが一生タダでカットしてあげる」
「そいつは光栄だ。ハゲないようにしないとな」
 二人は笑いながらアパートの前までやって来た。


 アパートは5階建てで横に細長い形をしており、全ての部屋が通りに面している。階段は両端にひとつずつついていてエレベーターはない。彼女たちの部屋は2階のほぼ中央だ。
 マリーンを背負って階段を昇りながら、ヤムチャがひとりごとのようにつぶやいた。
「いつも不思議に思うんだけど、男と女じゃ何でこんなに抱えた感じが違うんだろうな。男はたとえ子どもでも中に岩石が詰まってるみたいに腕にずっしり来るのに、女はどんなにグラマーな子でも、まるで羽根が詰まってるみたいに軽くてしなやかなんだ。体重は関係ないんだぜ。どうしてなんだろうなあ」
「ふーん。そうやっていろいろ研究できるほど、女の子を抱いたことがあるわけね」
 マリーンは階段の途中でいきなりヤムチャの背中から滑り降りた。
「ここでいいわ」
「どうしたんだよ」
 彼女はずんずん階段を昇り、2階の外廊下を歩いて行く。
「研究の成果を論文にまとめて学会に発表でもすれば。『男と女の抱き心地の違いに関する考察』。ふん!」
 ヤムチャは目を丸くした。「妬いてるのか?」
「バッ、バカねっ、誰があんたなんか―――」
 マリーンが足を止め、くるりと振り向いて叫ぶと、後からついて来ていたヤムチャは危うくぶつかりそうになってつんのめった。
「あたしをそこらの女と一緒に扱わないで」
 大きな瞳でキッとにらみ据えると、マリーンはまたずんずん歩いて行く。

 部屋の前まで来ると、バッグから鍵を取り出しながら、彼女はふと首を傾げて言った。
「あたし、何か大事な事を忘れてるような気がする。何だったかしら」
 それからおもむろに鍵を鍵穴に差し込みながら言った。
「まあいいわ。とにかく、アメリアにはあたしが過労だとか何とか余計な事は言わないでよ。ただの貧血。いいわね?」
「バイト辞めたらどうだ? そんなに働かなくったって食べて行けるんだろ」
「そう言うわけにはいかないわ。わかんないの? あの子の目は見えるようになったのよ。福祉手当が打ち切られちゃう」
 鍵が開き、マリーンはバッグに鍵をしまってドアノブに手をかけた。ヤムチャは言った。
「せめて明日は休めよ」
「土曜はかき入れ時よ。親が死にでもしない限り休めやしないわ。―――あっ」
 ドアノブに手をかけたまま、マリーンはヤムチャを見上げた。
「思い出した。あんた何か言ってたわよね。あたしがぶっ倒れる前。確か」
 その時、鍵の開く音を聞きつけてアメリアがドアを開け、転がるようにして飛び出してきた。
「マリーン! 大丈夫なの!?」
「ピッコロ大魔王って―――」
 同時に残りの言葉がマリーンの口から漏れると、アメリアの顔から血の気が引いた。


「どういうこと!? どういうことなのよ? マジュニアさんがピッコロ大魔王だなんて。おかしいと思ってたのよ。アメリアが自分の境遇を話したとたんにマジュニアさんはこの子と会おうとしなくなるし、あんたはあんたでアメリアがピッコロ大魔王の顔を知ってるのかなんて気にするし。
 あんたたち一体何を企んでるの!? この子に近づいて何をしようとしているの?」
 大きな声で一気にまくし立てながら、マリーンはヤムチャに詰め寄ってくる。2軒隣の住人が声を聞きつけて何事かとドアを少し開けて顔を覗かせた。
「な、何でもないんです。すみません」
 ヤムチャは住人にひきつった笑顔で軽く頭を下げた後、開いているドアの陰にマリーンとアメリアの二人を引き込んで声をひそめて言った。
「とにかく、今日のところはマリーンも疲れてるし、話は明日だ。マリーン、きみは何とかして仕事を休め」
 何か言おうとする彼女をさえぎってヤムチャは続けた。
「明日1時頃にここへ来る。それでいいか? ピッコロについてオレの知っている事を全部話してやるよ」
 そして、蒼白な顔で彼を見つめているアメリアに向かって静かに言った。
「ピッコロもオレも、きみをだましたり傷つけたりするつもりはなかった。それだけは信じてくれ」
 アメリアは眉を寄せ、目を伏せた。


 ヤムチャは彼女たちと別れるとその足で神殿へ向かった。満月がやや南寄りの低空に浮かんで神殿の庭を青白く照らしている。
 ピッコロはケヤキの木にもたれて腕を組み、何ということもなしに月光に照らされた下界を眺めていた。
 もう長いこと悟飯に会っていない。悟空にそっくりだという悟飯の弟の顔も見ておきたい気がした。
 しかし……。

 海でアメリアに会ったあの日以来、彼の心は重石おもしが乗せられたようになっている。憎悪と怒りと恐怖。彼女の顔に浮かんだのは確かに自分が恐れていた表情だった。
 だが、それに加えて彼女の瞳を覆っていた深い悲しみの色が最もピッコロを苦しませた。
(たおやかな外見に似ず、悲しみを微笑みに変えて生きてきた芯の強い娘だ。いつかは立ち直る日が来る。このオレのことなど忘れて……)
 アメリアが自分を忘れる―――そう思うとピッコロの胸に鈍い痛みが走った。心から彼を信じ、まっすぐに想いをぶつけてきたあの屈託のない笑顔をもう見ることはないのだ。

 少し離れたところにヤムチャが着地するのがわかった。ピッコロは顔をそむけたままで言った。
「今、オレは誰の顔も見たくない。帰れ」
「おまえに話があるんだ、ピッコロ」
「聞こえなかったか。帰れと言ってるんだ」
 ヤムチャが動く気配のないのを知ると、ピッコロは神殿の方へ向いて立ち去りかけた。その背中に向かってヤムチャは言った。
「アメリアはまだおまえのことを愛している」
 思わず振り向いたピッコロにヤムチャは畳みかけた。
「オレはそう思う。でなきゃあんなに苦しんだりしない。あの子の中では今、ピッコロ大魔王への憎しみとおまえへの愛がせめぎ合っているんだ」
「愛だと? バカな。オレがあの娘の片割れであるはずがない」
 ピッコロは下界に目をやった。冴え冴えとした月が海面に光を落としている。入り江の水は鏡面のように穏やかに偽りの月の姿を映し出していた。
「愛って何なのか、さんざん恋愛を繰り返したはずのオレにもまだわからないさ。でも、おまえが恋愛というものを理解できないナメック星人だと知っても、彼女のおまえへの想いはきっと変わらないと思うんだ」
 オレは何も力になれないが……とヤムチャは少し微笑んだ。「もつれた糸を解くことはできる」
「邪魔したな」と片手を挙げて帰ろうとするヤムチャに向かってピッコロは叫んだ。
「待て、ヤムチャ、きさま何をするつもりだ」
 余計なことはするな―――そう言い終わった時には既にヤムチャの姿はなかった。


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