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Cool Cool Dandy  〜The First Step〜

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第18章

 ドアの向こうに立っていたのは小太りで背の低い50代半ばくらいの紳士だった。グレーのスーツをきっちり着込み、黒いアタッシェケースを抱えて、白いハンカチでひっきりなしに首の汗を拭いている。額は禿げ上がり、顔も目鼻立ちも何もかもが丸まっちく、かけている銀縁眼鏡も楕円形だ。
 ちょっとせっかちに、でも柔らかな物腰で紳士は訊いた。
「こちらにアメリアさんという方はいらっしゃいますか」
「はあ……あの、何か?」
 警戒しているマリーンに彼は懐から名刺を出して差し出した。
「失礼、わたしはボリジ氏の命を受けてやってまいりました。弁護士のフェンネルと申します。アメリアさんに大事な用件があるのです。上がってよろしいですかな?」
「ボリジおじさまの!?」居間からアメリアが小走りに出てきた。「一体何のご用件なんです?」
「ボリジって……アメリアのお母さんからダイヤモンドの原石をだまし取ったって言う、あのおっさんなの!?」
 マリーンがフェンネル弁護士に向かってかみつきそうな剣幕で尋ねた。弁護士は酸っぱいものを食べたような顔をすると、眼鏡を取ってハンカチで拭き、またかけた。
「上がらせていただいてよろしいですか?」
「どうぞ。散らかってますけど」
 アメリアは硬い表情のままで招き入れた。

 居間のソファにアメリアと向かい合って腰掛けたフェンネル弁護士は、差し出されたアイスティーに「や、どうも」と一礼すると、こちらを監視するように腕組みしたまま突っ立っているマリーンをちらっと上目づかいにうかがい、彼女の隣のヤムチャに気づいて尋ねた。
「あちらは?」
「大切な友人です。どうぞお話を」
 アメリアに促され、フェンネル弁護士は彼女を正面から見つめながら、テーブルの上に丸まっちい指を組んで置き、話しだした。
「ボリジ氏はご存じの通り、中の都で貿易商を営んでおられる有数の資産家です。あの方はアメリアさん、あなたのお母様からお預かりしたままのダイヤの原石についてずっと気に病んでおられまして」
「預かったですって!?」マリーンがさえぎった。「奪ったのよ。だまし取ったんだわ。はっきり言ったらどう?」
「マリーン」
 ヤムチャはそっと後ろから彼女の両肩をつかみ、ダイニングの椅子に座らせて自分もその隣に座った。

 弁護士は丸い目をさらに丸くしてぱちぱちまばたきさせながら言った。
「さよう、持って行ったまま6年間もの間そのままにしていた訳ですから、不正に入手したと非難されるのはもっともなことです。しかし、ボリジ氏が馴染みの宝石商に原石を持ち込んだのは、本心からあなたがたのお役に立とうとしてのことだったのです。
 ところがダイヤをボリジ氏の持ち物だと早とちりした宝石商に、資産の運用方法についてあれこれ勧められているうちに、預かり物であることをとうとう言いそびれてしまった。魔が差してしまったんでしょうな。
 そのうちに、自分で原石を元手に資産を増やし、その分の金をあなたのお母様にお返しすれば同じ事ではないかと考えた」

 弁護士はちょっと言葉を切り、アイスティーで口を湿した。
「すぐにお返しできるはずだったんです。相場にさえ手を出さなければ。ボリジ氏はそのおかげで一時は資産の殆どを失うまでに追いつめられてしまいました。しかし、紆余曲折うよきょくせつの末、莫大な資産を築き、4年前に今の地位まで登り詰めることが出来たのです。
 そこでアメリアさん、あなたとあなたのお母様に資産を分与すべく行方を探したのですが、あなた方の行方は杳として知れなかった」
「母は亡くなったんです」
 弁護士は眉を寄せ、深くうなずいた。
「存じておりますよ。つい先日ですが、やっとあなたの行方を突き止めることが出来たのです。お母様が亡くなられたのは6年前のことですな。お気の毒なことをしました。そしてあなたは孤児院にお入りになった。そこを出られて、今あなたは孤児院のお友達と―――マリーンさんとおっしゃいましたな―――ここでこうして暮らしておられることも、手術をして目が見えるようになったということもうかがっております」
「調べは全部ついてるって訳ね。いったいそれでこの子をどうしようってわけ?」
 マリーンが努めて冷静に口を挟んだ。弁護士はちょっと間を置くと、ゆっくりと答えた。
「ボリジ氏はアメリアさんと養子縁組することを望んでおられます」
「養子ですって!?」
「さよう。赤の他人に財産を相続させるのは何かと複雑な問題が絡んできますのでな。アメリアさんを養子にした上でご自分の財産を全てお与えになるおつもりなのです」
「だってご家族がいるでしょう? おじさまには確か奥様とわたしよりひとつ下の息子さんが」
 大きく見開いたアメリアの瞳を見つめながら弁護士は悲しげに首を振った。
「息子さんは交通事故で亡くなられました。奥様とはそれが原因で離婚されたのです。全てはボリジ氏がダイヤの原石を手に入れた直後の事でした。あの方は莫大な財産と引き替えに家族を失われたのですよ」
「そんな……」
「その後、近寄って来る女性と浮き名を流すこともあったのですが、みんな長くは続きませんでしたな。あり余る財産を持ちながらも、今に至るまであの方の私生活は幸福ではなかった。お気の毒なことです」

 フェンネル弁護士は膝を進めた。
「時間がありません。アメリアさん。わたしと一緒にボリジ氏の元へ行ってはいただけませんか」
「時間がないとはどういう事ですか」
「あの方は死の床についておられます」
「おじさまが!?」
「はい。末期の肺癌なのです。お若いだけに進行が早く、2ヶ月前にわかった時には既に手遅れの状態でした。今、かろうじて意識は保っておられますが、もう1ヶ月も持つまいと医師が……」
 死に直面し、彼は今までの人生を省みた。そこで心の底にいつも引っかかっている自分の犯した罪のことを思った。せめて死ぬまでにそれを償いたいと願ったのだ。アメリアに財産の全てを譲り渡すことによって。
「今、病床のあの方を見舞う人間は誰もおりません。周りの者は寿命の尽きようとしている人間よりも、遺される財産をどうするかの方に関心が向いています。側近も会社の役員たちも後継者争いに狂奔し、マスコミは亡くなってもいないうちから遺産の額を書き立てる始末で。嘆かわしいことです」
「自業自得よ」マリーンが低い声で言った。「今頃出てきて、莫大な財産をあげますから今までのことはなかったことにして下さいって言ったって、それで自分は気が済むかもしれないけど、アメリアの気持ちはどうなるの。そんなことであっさり許せるとでも思うの!?」
 アメリアは両手を膝に置いてうつむいたまま身じろぎもしない。
 弁護士は言った。
「お怒りはごもっともです。ですが、これはあなた方にとってもいい話なのではないですかな? 養子になればアメリアさんの将来は約束されたようなものです。それに、マリーンさん、アメリアさんを扶養する義務がなくなれば、あなたも体を壊すほど仕事を掛け持ちしなくてもすむのではないですかな?」
 アメリアはハッとして顔を上げた。フェンネル弁護士はうなずきながら言った。
「まったくうるわしい友情です。この方は美容師として働くかたわら、居酒屋でもアルバイトに励み、生計を維持するために実に涙ぐましい努力をしておいでなのですよ」
 椅子から立ち上がりながらマリーンが怒鳴った。「こ、この―――おしゃべりなクソおやじ!」
 フェンネル弁護士はちょっと心外な顔をすると、また眼鏡をはずしてハンカチで拭いた。

「マリーン、ほんとなの?」
 アメリアが立ってきてマリーンの顔を覗き込んで言った。マリーンは不機嫌に顔をそらしている。横からヤムチャが口を出した。
「ほんとだよ」
「ヤムチャ、言わないでって言ったでしょ!」
「もうごまかせないさ。これを機会に無茶なことはやめるんだ」
「あたし平気よ。無理なんてしてない。ゆうべ倒れたのだって、ただの貧血だったんだから」
「わたし、やっぱりお荷物だったのね。わたしがいない方がマリーンは……」
「バカなこと言わないで! あんたこそこんなつましい暮らしよりも大富豪の娘になった方がいいんじゃないの? 行きたいなら勝手に行けば。あたしは止めないわよ」
「いやよ! そんなのいや! マリーンと別れて暮らすなんて」
 アメリアは涙ぐみながらマリーンに抱きついた。マリーンは意地を張ってそっぽを向き、涙をこらえている。二人を見ながらヤムチャはフェンネル弁護士に向かって言った。
「もう答は出ているようですよ。どうやらあなたは無駄足だったようだ」


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