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Cool Cool Dandy  〜The First Step〜

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第19章

 アメリアは目をしばたたいて涙を払い、きっぱり言った。
「お帰り下さい。わたし、ボリジおじさまのところへは行きません。お金なんていらないわ」
「しかし……50億ゼニーの資産ですぞ」
「帰れって言ってんのよ、おっさん。グズグズしてると残ってる毛を全部刈っちゃうわよ!」
 マリーンは商売道具のハサミを振り上げた。その剣幕にフェンネル弁護士は慌ててアタッシェケースを掴むと、玄関まで走り出た。
「もう一度よくお考え下さい。日を改めてまた参ります」
「何度来られても同じです。わたしの気持ちは変わらないわ」
 まだ何か言おうとする弁護士に向かってマリーンが怒鳴った。
「刈るわよ!」
 彼はあたふたと靴を履き、挨拶もそこそこに帰っていった。


 フェンネル弁護士のあわてぶりをひとしきり笑った後で、マリーンがアメリアに言った。
「ちょっと惜しいことしちゃったわね」
「マリーンったら、さんざん悪態ついてたくせに」軽くにらむとアメリアも笑った。それから真顔になって言った。「ごめんね、マリーン。わたしもバイトするから追い出さないで」
「バカね」
 微笑みを浮かべて二人を見ていたヤムチャは置き時計に目をやると、
「4時か。そろそろオレは失礼するよ。仕事に行かなきゃいけないし」
「そこまで送るわ」マリーンが言った。
「おっ、オレとそんなに離れがたいのか? 色男は辛いな」
「何言ってんのよ。夕食の買い出しのついでよ」
 玄関まで送りに出たアメリアをヤムチャは振り向いた。
「そうだ。まだ訊いてなかったな。アメリア、自分の顔を見た感想は?」
 彼女は困ったように笑った。 「何だか自分じゃないみたいなの。鏡でしか見られないし……。でも、好きになれそうよ」
「そいつはよかった。自信を持てよ。きみは美人だぜ」
「うそよ。信じちゃダメ。女ったらしの常套じょうとう文句なんだから」
「ひどいわ。マリーン」
 三人は久しぶりに明るい気持ちで笑った。


 ヤムチャとマリーンはゆうべ歩いた道を逆方向にぶらぶらと歩いている。道の両側には閑静な住宅街が続き、犬の散歩をしている住民と二、三人すれ違った後は誰も通らなかった。
「福祉手当が打ち切りになるって言ってたな。これからどうするんだ」
「頭が痛いわ。でも、何とかなるわよ」
「バイト、辞められないんならせめてもっと休みを取れよ」
「そうね、そうする。倒れたら元も子もないもんね」
「いつもそうやって素直に言うことを聞けばかわいいんだけどなあ」
「ふん、余計なお世話よ」
 ヤムチャはふと足を止めた。キョロキョロとあたりを見回し、やがて目的の物を見つけたらしく、そっちへ向かって走りながら振り返って叫んだ。
「ちょっと待っててくれ。いいか、そこで待ってるんだぞ」
「ヤムチャ? どうしたのよ」

 数分後、彼は走って戻ってきた。手には銀行の名前入りの分厚い封筒を持っている。彼はそれをマリーンの手に押しつけた。
「ほら、当面の間これを使えよ」
「銀行強盗してくれなんて誰が言ったのよ!」
「バーカ、これはオレの金だ」
 マリーンはまじまじとヤムチャの顔を見た。
「あんた、石油王の息子だったの?」
「これは契約金さ。あと2週間もすればオレはプロ野球の選手なんだぜ。知らないかなあ、タイタンズの強打者ヤムチャ選手って。伝説の3打席連続満塁ホームランをやってのけたのはこのオレさ」
「知らない。あたし野球見ないもん」
「じゃ、チケットやるからドーム球場に見に来いよ。アメリアと二人で」
「でも、これは受け取れないわ」
 マリーンは封筒をヤムチャの手に返そうとした。彼はそれを押し戻した。
「いいから取っとけよ」
 マリーンは強引にヤムチャの手にそれを押し返して言った。
「他人のあんたにこんなことしてもらう理由なんてないもの」
「他人でなきゃいいのか? それじゃ……」
 ヤムチャは彼女の瞳をじっと見つめて言った。
「オレの嫁さんになれよ」
「バ、バカねっ」マリーンはうろたえて目をそらした。「こんな時にふざけないで」
「ふざけてなんかいない。オレは本気さ」
 彼はそう言うと、そっとマリーンの背中に両腕を回した。
「きみが好きだ」
 キスしようとする彼の腕をすり抜けて背を向け、マリーンは言った。
「あんたはあたしに同情してるだけなのよ」
「同情なんかじゃないさ。でも、今の状況じゃそう取られても仕方ないかもな。
 ……わかった。返事はいつでもいい。ただし、オレがじじいになるまでには頼むぜ」
「物好きね」
「オレもそう思う」
 マリーンは後からヤムチャを蹴飛ばした。


 日曜の昼下がり、ヤムチャは物置からバットとグローブを出して手入れをした。明日から野球選手としての生活が始まるのだ。バーテンダーの仕事は2日前で終わり、その後マスターは彼の為に送別会を開いてくれた。短い間だったが気の合う同僚たちにも恵まれ、それなりに楽しい毎日だった。
(そうだ。これを返しておかないとな)
 彼はクリーニングから返ってきたばかりのワイシャツと蝶ネクタイに目を留めた。
 プーアルは夕べ遅くまでモデルの仕事があって、まだ寝ている。何でもCM撮りがあったのだと言っていた。今日もこのあと他の仕事が入っているはずだ。
(あいつもマリーンみたいに過労で倒れないように言ってやらないとな)

 マリーンからの返事はまだない。性急すぎたかな、と彼がちょっと後悔しているところへ電話が鳴った。
「マリーンか?」
 飛びつくようにして電話を取ると、相手は一瞬言葉を呑んだあと、クスッと笑った。
「ごめんなさい。アメリアよ。マリーンなら出かけてるわ」
「またバイトなのか? 今日は第三日曜だから美容室は休みだろ。」
「ううん。今日はどっちも休みよ。居酒屋は辞めたの。今は小さな雑貨屋で店番をしてるわ。給料は安いけど体は楽なんですって。わたしもバイトを始めたの。ベビーシッターよ。
 マリーンが今まで無理して貯めてくれた貯金もあるし、高校に入ったら奨学金を受けられるように先生が推薦してくれるって。だからヤムチャさん、心配しないで」
「そうか」
 少し何かを考えているような間があいた。しばらくしてアメリアは口を開いた。
「ヤムチャさん、わたしね、今日ボリジおじさまのお見舞いに行って来たの」
「えっ」
「ううん。養子縁組をするとかそういう話で行ったんじゃないのよ。ただ、あのままだとおじさまは悔いを残したまま逝ってしまう。そう思って……」


 ホテルの部屋と見まごうばかりの豪華な特別室の中に彼はひとりで眠っていた。青白く光るモニター画面は脈拍の波形を描き、点滴はゆっくりと規則正しく落ちている。壁に取り付けられた人工呼吸器の中の蒸留水からひっきりなしに生まれる気泡の音だけが、静かな病室に響いていた。訪れる者とてない、無機質な機器だけが見守る部屋で、ひっそりと彼は眠っていた。
 しおれかけていた花瓶の花をアメリアが取り替えていると、彼は目を開いた。その顔はやつれて土気色をしていた。元気な頃はもっと生気にあふれて若々しかったことだろう。だが、その声はアメリアが小さい頃に聞いたそのままの声だった。
―――アメリア……来てくれたのか。
―――はい。お久しぶりです。ボリジおじさま。お加減はいかがですか。
 彼女がそう言うと、彼は顔をくしゃくしゃにした。泣いているような笑っているような表情だった。
―――わたしを恨んでいるだろうね。
 「はい」とも「いいえ」とも答える事が出来た。その代わり、アメリアの目からは涙があふれ出た。


「なぜなのかしら。おじさまに会ったとたん、悲しかった事も悔しかった事も全部忘れてしまったの。思い出したのはただ、幼い頃に抱っこされたぬくもりと優しい声だけ……」
 かわいそうなおじさま……アメリアはつぶやいた。
「かわいそう?」
「ええ。莫大な富を得ても、彼をひとりの人間として愛し、必要としてくれる人はいなかった……。それはどんなにか寂しいことでしょうね」
 アメリアは彼のやせこけた手を思い出していた。両手で包み込むと、彼は目尻に涙を光らせ、かすかに何かつぶやいた後、静かに眠りに落ちた。
「おじさまの気持ちが少しでも楽になればいいんだけど……」彼女は言葉を詰まらせた。
「そうか。きみもそれで気持ちが吹っ切れたかい?」
 アメリアは受話器の向こうでしばらくためらっていた。
「ヤムチャさん、わたし、もう一度ピッコロ大魔王に会ってみようと思うの」
「アメリア!」
「大丈夫よ。仇を討とうとかそういうつもりじゃないから。ただ、会って確かめたいの」
「確かめる?」
 ええ、確かめるの―――彼女は自分自身に言い聞かせるようにつぶやくと、静かに受話器を置いた。


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