青田漠漠接青山, 僧舎民村煙霧間。 無限秋光無限意, 碧天涼冷白雲閑。 |
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高槻道中
青田 漠漠として 青山 接し,
僧舎 民村 煙霧の間。
無限の秋光 無限の意,
碧天 涼冷にして 白雲 閑たり。
◎ 私感註釈 *****************
※元政:江戸時代初期の僧侶。元和九年(1623年)〜寛文八年(1668年)。京都深草に瑞光寺を開山して、深草の元政、艸山和尚と称される。俗姓は石井。通称は吉兵衛。幼名は源八郎。
※高槻道中:京都伏見の深草を出て、大阪府東北隅の高槻市に到る街道の途上での作。京と大坂(大阪)とを結んでいた京街道の路上になる。
※青田漠漠接青山:青々とした田圃が遠く遙かに広がって、青々とした山に連なっている。 ・青田:青々とした田(畑)。 ・田:〔でん;tian2○〕田や畑。ここは「甸」〔でん;dian4●〕(郊外の意)とは混同、通用できない。この作品は近体詩の平仄律に則って作られており、ここは○となるべきところ。 ・漠漠:〔ばくばく;mo4mo4●●〕遠く遙かなさま。連なっているさま。広々として果てしのないさま。霞などが一面につづいているさま。 ・接:つながっている。接している。 ・青山:青々とした山。伏見から、高槻に向かっていた時とすれば、右手前方には、天王山や北摂の山々が広がっている。
※僧舎民村煙霧間:寺院や聚落が、霞(かすみ)の中(にある)。 ・僧舎:僧侶の宿坊。寺院。 ・民村:農民の聚落。 ・煙霧:もや。かすみ。名詞。 ・間:…の中。
※無限秋光無限意:限りがない秋の景色には、限りない意味がある。 ・無限:限りがない。無窮。李清照『玉樓春』「紅酥肯放瓊苞碎,探著南枝開遍未。不知藉幾多時,但見包藏無限意。道人憔悴春窗底,悶損闌干愁不倚。要來小酌便來休,未必明朝風不起。」 李U『菩薩蠻』「蓬莱院閉天台女,畫堂晝寢人無語。抛枕翠雲光,繍衣聞異香。潛來珠鎖動,驚覺銀屏夢。臉慢笑盈盈,相看無限情。」 毛沢東『爲李進同志題所攝廬山仙人洞照』「暮色蒼茫看勁松,亂雲飛渡仍從容。天生一個仙人洞,無限風光在險峰。」等、多く使われることば。 ・秋光:秋の景色。秋の風光。 ・意:心。思い。意味。
※碧天涼冷白雲閑:青空は、涼しくて、白雲はゆったりとして長閑(のどか)に(浮かんでいる)。 ・涼冷:〔りゃうれい;liang2leng3○●〕(秋口の)すずしさ。 ・碧天:青空。 ・涼冷:〔りゃうれい;liang2leng3○●〕(秋口の)すずしさ。白居易『曉眠後寄楊戸部』に「軟綾腰褥薄綿被,涼冷秋天穩暖身。一覺曉眠殊有味,無因寄與早朝人。」と秋の気候表現に使われている。 ・白雲:白い雲。はくうん。人間世界を離れた、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、道教では、「仙」「天」の趣を漂わせる。ただの白い雲ではない。王維の『送別』「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」 や蘇の『汾上驚秋』「北風吹白雲, 萬里渡河汾。心緒逢搖落,秋聲不可聞。」 王之煥に「黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。」や、晩唐・杜牧の『山行』「遠上寒山石徑斜,白雲生處有人家。停車坐愛楓林晩,霜葉紅於二月花。」、など多く俗塵を超越したものとして詠まれる。 ・閑:〔かん;xian2○〕ゆったりとして長閑(のどか)なさま。ひっそりと静かなさま。ここは「碧天涼冷白雲閑」句中の対である「涼冷」と「閑」とは、共に形容詞として使われている。「閑」字は形容詞とすれば「閑たり」(形容詞たり活用)と読むべきところ。また、漢文訓読文独特の断定の「たり」になる。当然のことながら、名詞と見れば、「閑+なり(助動詞)」になるが。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「山間閑」で、平水韻上平十五刪等。次の平仄は、この作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●○○○●○。(韻)
○●○○○●●,
●○○●●○○。(韻)
平成17.5.29 5.30 |
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