Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




 
 
              
       回天詩

                       藤田東湖

三決死矣而不死,
二十五回渡刀水。
五乞閑地不得閑,
三十九年七處徙。
邦家隆替非偶然,
人生得失豈徒爾。
自驚塵垢盈皮膚,
猶餘忠義填骨髓。
嫖姚定遠不可期,
丘明馬遷空自企。
苟明大義正人心,
皇道奚患不興起。
斯心奮発誓神明,
古人云斃而後已。




******
回天詩 

三たび 死を決して  而(しかう)して 死せず,
二十五回  刀水
(たうすゐ)を 渡る。
五たび 閑地を 乞
(こ)ひて  閑(かん)を得ず,
三十九年  七處に 徙
(うつ)る。
邦家の隆替
(りゅうたい)  偶然に 非ず,
人生の得失
(とくしつ)  豈(あに) 徒爾(とじ)ならんや。
(みづか)ら驚く  塵垢(ぢんこう) 皮膚に 盈(み)つるを,
(な)ほ餘(あま)す  忠義 骨髓(こつずゐ)を 填(うづ)むるを。
嫖姚
(へうえう) 定遠(ていゑん)  期す 可(べ)からざれば,
丘明
(きうめい) 馬遷(ばせん)  空(むな)しく 自(みづか)ら 企(くはだ)つ。
(いやし)くも 大義を 明らかにし  人心を 正さば,
皇道
(くゎうだう) 奚(なん)ぞ  興起(こうき)せざるを 患(うれ)へん。
(こ)の心 奮發して  神明(しんめい)に 誓ふ,
古人 云
(い)ふ:斃(たふ)れて 後(のち)(や)む と。

*****************

◎ 私感註釈

※藤田東湖:文化三年(1806年)~安政二年(1855年)。江戸末期の水戸学派の儒者。尊皇攘夷思想の主導者の一で、勤王家。水戸藩士。名は彪。通称虎之助
。藩主徳川斉昭(後の烈公)を助けて、藩政改革、弘道館設立などに尽力した。やがて、徳川斉昭の藩政改革に伴う行動が幕府の忌諱に触れて、隠居、謹慎した。腹心であった藤田東湖も失脚した。その蟄居中に著述に専念し、詩集『謫居詩存』を遺している。その思想は彼の代表作である『和文天祥正氣歌・有序』「天地正大氣,粹然鍾神州。秀爲不二嶽,巍巍聳千秋。注爲大瀛水,洋洋環八洲。發爲萬朶櫻,衆芳難與儔。…」によく顕れている。日本では、文天祥の『正氣歌』「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。皇路當淸夷,含和吐明庭。時窮節乃見,一一垂丹靑。… 」を超していよう。

※回天詩:天を回(めぐ)らすが如き革命的大変革を期すことの詩。尊皇攘夷思想を歌いあげた詩。回天詩は、失脚中の弘化年間の作。 ・回天:天を回(めぐ)らすが如き革命的大行動で、時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと。

※三決死矣而不死:三たび、死を覚悟したが、死ななかった。 ・三決死矣:三たび死を決意した。 ・決死:死を覚悟する。 ・矣:〔い;yi3●〕転折文の中で語気の停頓を示す。また、完了や過去を表す。ここは、前者の意。 ・而:…したが。…だったけれども。而るに。しかれども。ここでは逆接になる。 ・不死:死ななかった。

※二十五回渡刀水:(水戸と江戸の往復で)二十五回、利根川を渡った。 ・二十五回:水戸と江戸の往復の途次に、越えた利根川の回数。 ・渡:(利根川を)越える。渡る。 ・刀水:利根川。江戸と水戸の間にある大河。蛇足になるが、「-水」は川の流れで、日本の川の流れの名称は、例えば隅田川は「墨水」、淀川は「澱水」というような漢風にして詠っている。

※五乞閑地不得閑:(徳川斉昭の藩主襲封以降、御用調役、側用人…と重用されたが、重責のために)五たび、辞職を願い出たが、聴き容れられなかった。 ・五乞:五たび乞う。 ・乞:乞う。ここでは、「骸骨を乞う」(致仕を乞う=辞職を願い出る)の意。 ・閑地:閑職。 ・不得:得られなかった。主君の信任が厚かったために閑職になりたいということも聞き容れてもらえなかった。 ・閑:閑職。

※三十九年七処徙:三十九年間で、七回、居所を移した。 ・三十九年:東湖が生まれてからの年数(年齢)か。単純な計算をすると、作者は文化三年(1806年)に生まれたので「1806年+39年-1(数え年)=1844年(弘化元年)」となり、東湖失脚の年〔弘化元年:1844年〕である。この『回天詩』は弘化五年に完成したとすれば、東湖激変の年〔弘化元年:1844年〕のことで、『回天詩』を作り始めた三十九歳の時、ということになる。 ・七処:七つの場所。七箇所。 ・徙:〔し;xi3●〕遷(うつ)る。場所をかえる。うつす。

※邦家隆替非偶然:国家の盛衰は、偶然のものではない。 ・邦家:〔はうか;bang1jia1○○〕くに。国家。邦国。日本国と水戸藩。 ・隆替:〔りゅうたい;long1ti4○●〕さかんになることと、おとろえること。盛衰。 ・非:名詞性の物を否定するときに使う。 ・偶然:ふと。たまたま。思いがけなく。予期しないことが起こること。
 
※人生得失豈徒爾:人生の(得たことも)失ったことも、どうして無駄なことと謂えようか。 ・人生:人が生まれてからの。 ・得失:(得したことと、)損をしたこと。余談だが「得失」は「失って損をした」の義が勝ち、「興亡」は、「亡ぶ」の義が勝つ。対等の並列ではない。 ・豈:あに。反語、反問。 ・徒爾〔とじ;tu2er3○●〕いたずらに。無駄に。

※自驚塵垢盈皮膚:自分でも驚くことなのだが、(幽居のため、風呂にも入れず)塵や垢や汚れが皮膚(の表面)に満ちてきた(が)。 ・自驚:自分でも驚く。 ・塵垢:〔ぢんこう;chen2gou4○●〕塵や垢や汚れ。世の汚れ。 ・盈:(だんだん)みちる。 ・皮膚:〔ひふ;pi2fu1○○〕ひふ。

※猶餘忠義填骨髄:(しかしながら)忠義の精神は骨髄(体の芯)に詰まって、なお余りある。 ・猶餘:〔いうよ;you1yu?○?〕ぐずぐずするさま。躊躇するさま。ためらう。疑い深く決しないさま。ただ、ここでの「猶餘」は「猶・餘」=「なほもあまりあるべし」の意で使っている。 ・忠義:欲をさしはさまないで、まごころを尽くして主君や国家に仕えること。忠節。 ・填:うめる。うめこむ。はめこむ。 ・骨髄:〔こつずゐ;gu3sui3●●〕骨の芯。身体の奥底。心の底。心中。最も大切なところ。

※嫖姚定遠不可期:嫖姚校尉であった霍去病(かくきょへい)や、定遠公となった班超(はんちょう)の(ような武略は、わたしには)期することが出来ない(が)。 ・姚:〔へうえう;piao1(2)yao2○○〕霍姚(姚は、軍官の位)、霍去病(くゎくきょへい;Huo2Qu4bing4)のこと。前漢の武帝時代の名将。叔父の衛青に従って姚〔へうえう;piao1yao2○○〕校尉となり、八百名の軽騎兵を率いて匈奴討伐に当たり、その軍功に因って驃騎将軍を授けられた。(前140年~前117年)。 ・定遠:〔Ding4yuan3●●〕定遠公。班超のこと。後漢の人。西域に遠征し、五十余国を平定したので定遠公に封ぜられた。「定遠」は普通名詞としても、「遠く化外の地を平定する」の意。蛇足になるが、清国の軍艦「定遠」「鎮遠」もこの意。地名としてもあるが、勿論中原から離れたところ。 ・不可期:(そのような武略は、わたしには)期待することが出来ない。陶淵明の『歸去來兮辭』「已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝鄕
不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘。登東皋以舒嘯,臨淸流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」とある。

※丘明馬遷空自企:(しかしながら)左丘明(さきゅうめい)や司馬遷(しばせん)の(ような歴史家)になろうと、何もできないものの、自分でやっていこうと、企てているのだ。 *武ではなくて、文をもって我が事をなそう、ということ。 ・丘明:〔きうめい;qiu1ming2○○〕左丘明〔さきうめい;Zuo3Qiu1ming2○○〕のこと。春秋・魯の歴史家。『春秋左氏伝』『国語』の著者。 ・馬遷:〔ばせん;ma3qian1●○〕司馬遷〔しばせん;Si1ma3Qian1○●○〕のこと。前漢の歴史家。『史記』を著した。字は子長。蛇足になるが、「司馬遷」の姓は「司馬」、名が「遷」。 ・空自企:(そのような歴史家になろうと)何もできないものの、自分でやっていこうと、企てているのだ。

※苟明大義正人心:かりそめにも、大義を明らかにして、人心を正そう(と思うのならば)。 ・苟:〔こう;gou3●〕いやしくも。仮にも。もしも。こりそめにも。 ・明:あきらかにあする。動詞として使われている。 ・大義:人のふみ行うべき大切な正しい道。人倫の大きな筋道で、君臣、父子、男女の道など。 ・正:ただす。動詞として使われている。 ・人心:(世の中の人々の考えや気持の意で)人民の心。民心。人の心。人間が普通に持っている人間としての心。また、人の私欲におおわれた心。ここは、前者の意。

※皇道奚患不興起:天皇が仁徳をもって行われる政道が、どうして奮い興らないと憂えることがあろうか。 ・皇道:天皇が仁徳をもって行われる政道。昔の帝王の道。 ・奚:〔けい;xi1○〕なんぞ。なにをか。いづれ。疑問、反語を表す。 ・患:わずらう。 ・興起:奮い興る。奮い起こす。盛んに興る。立ち上がる。

※斯心奮発誓神明:この心は気力をふるいおこして、神祇に誓う。 ・斯心:この心。 ・奮発:気力をふるいおこす。心がふるいたつ。発奮。 ・誓:誓う。 ・神明:神。神祇。天照大神。

※古人云斃而後已:昔の人も「死して後(のち)、已(や)む」と云っているではないか。 ・古人:昔の人。ここでは、『禮記・檀弓』での曾子の言のこと、或いは、『論語・泰伯』のことになる。 ・云:書中の引用や人物の発言で、「…といっている」「…ということだ」という伝聞表記。 ・斃而後已:倒れて後、已(や)む。『禮記・檀弓』に「曾子曰:『爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。吾何求哉。
吾得正而斃焉斯已矣。』とあり、『論語・泰伯』に「曾子曰:『士不可以不弘毅,任重而道遠。仁以為己任,不亦重乎。死而後已,不亦遠乎。』」とある。後世、明治・廣瀨武夫は『正氣歌』で「死生有命不足論,鞠躬唯應酬至尊。奮躍赴難不辭死,慷慨就義日本魂。一世義烈赤穗里,三代忠勇楠氏門。憂憤投身薩摩海, 從容就死小塚原。或爲芳野廟前壁,遺烈千載見鏃痕。或爲菅家筑紫月,詞存忠愛不知冤。可見正氣滿乾坤,一氣磅礴萬古存。嗚呼正氣畢竟在誠字,呶呶何必要多言。誠哉誠哉斃不已,七生人閒報國恩。」と使う。





◎ 構成について

韻式は「aaaaaaaa」。韻脚は「死水徙爾髄企起已」で、平水韻上声四紙。この韻部が使われることは比較的少ない。「斃而後已」を是非とも言いたかったのだろう。次の平仄はこの作品のもの。

○●●●○●●,(韻)
●●●○●○●。(韻)
●●○●●●○,
○●●○●●●。(韻)
○○○●○●○,
○○●●●○●。(韻)
●○○●○○○,
○●○●○●●。(韻)
○○●●●●○,
○○●○○●●。(韻)
●○●●●○○,
○●○●●○●。(韻)
○○●●●○○,
●○○●○●●。(韻)
平成19.5.21
      5.22
      5.23
      5.24
平成23.8. 8



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