後の世を願うこころはかろくとも
ほとけの誓いおもき石山
仁王門 | |
仁王像 | |
珪灰石 | |
本堂 | |
瀬田川 | |
紫式部像 |
大津市街から瀬田川沿いに南に下ると、右手に石山寺の仁王門が目に入る。仁王門の正面は駐車場の出口となっているのだが、間違って入ってしまいUターンをして出ていく車が多かった。駐車場の入り口は仁王門よりやや南側にある。入り口の看板が分かりにくいのだろうか?私は単車ということもあり駐車場には入れずに仁王門の前に駐車して参拝することとした。
ここの仁王門は、仁王像のまわりに鳥害防止の金網が張られていないので、その姿をクリアーに拝むことが出来、よかったぁ。でも、金網が張っていないのに鳥の糞などで汚れていないところを見ると相当手入れに気を使っているんでしょうね。仁王門をくぐり石畳の参道をしばらく行くと拝観料を払う場所がある。ここで拝観料を払い有料ゾーンに入るとすぐ右手にくぐり石という場所があったのでとりあえず挑戦してみる。東大寺の大仏殿にある大仏様の鼻の穴と同じといわれる穴をくぐるように這いつくばって通らないといけないぐらいの穴を想像していたのだが、入ってみると案外高く、かがんだ状態で通り抜けることが出来てちょっと拍子抜けな感じ。そこからしばらく行くと右手に本堂へと続く石段がある。この石段を登り詰めるとまず目にはいるのが正面にある大きな石。この石は珪灰石という種類の石でこれだけ大きな物は世界的にも珍しく天然記念物にも指定されている。寺号の由来はこの石による。石山寺は山号を石光寺といい、寺号、山号とも石の文字が入ることから分かるように、この石山寺が建つ場所はもともと石がゴツゴツと出ていた場所らしい。この石山の左手が舞台造りの本堂となる。本堂は内陣と外陣は建てられた時期が異なり、内陣は900年あまり前、外陣はそれより500年ほど遅れる約400年前の建造。外陣に関しては淀君の寄進による物らしい。内陣脇には源氏の間と呼ばれる部屋があり、ここで紫式部が源氏物語を執筆したと言われているが、実際のところ、この内陣が再建されたのは紫式部よりわずかに後の年代らしい。まぁ、でもそういう細かいことは気にせずに雄大な歴史を体感しましょう。
本堂でのお参りをすませ、経蔵、鐘楼、多宝塔などを眺めながら少し登ると芭蕉庵、月見亭となる。ここからは瀬田川が一望できなかなかの眺め。私が参拝した日は曇りということもあり遠くは霞んであまりよく見えなかったが、空気が澄んでいるときに行くと琵琶湖までの眺望を楽しむことができたんじゃないだろうか?ここからさらに登ると一番高いあたりに宝物殿をかねている豊浄殿という建物がある。私が訪れたときにはちょうど紫式部展が開かれていたのだが今回はパス。月見亭から先は梅、牡丹、桜など種々の花が植えられている。季節ごとの花を楽しみに何度も訪れてもいいかもしれませんね。牡丹園の中には執筆中の紫式部の銅像も建つ。