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松風や音羽の滝の清水を
むすぶ心は涼しかるらん
仁王門 解体修理中 |
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三重の塔 | |
轟門 | |
本堂(清水の舞台) | |
大黒天 | |
地主神社 縁結びの神様として有名なところ |
順序は逆になるが、六波羅蜜寺を先にお参りしてから清水寺へ。五条通(国道1号線)から五条坂へと進む。五条坂はやがて清水坂と合流して清水寺へと続くが、この合流点より上は歩行者専用となっていて単車で寺の前まで行くことは出来ない。合流点付近に単車を路駐出来るところは無いかと行ってみたが客待ちタクシーの列でとても路駐を出来るような状況じゃなかったので仕方なく五条坂の途中にある有料駐車場(200円)に単車を停めて清水寺へと向かうことにした。清水坂は両側に土産物屋などが建ち並んでおり、その土産物屋の軒先を冷やかしながらブラブラ歩きつつと行きたいところだったが、さすがに日本中に名前が知れているお寺の参道だけあって観光客であふれており、とてもそんな気分になれなかったので人混みをかき分けながら清水寺まで一気に登ってしまった。
清水坂を登り詰めると正面に立派な仁王門が見えるはずなのだが、今回は解体修理中ということで無粋な鉄骨で周りを囲まれてしまっている。残念。西門(さいもん)と仁王門の間を通って三重の塔を見上げて随求堂へ。ちなみに仁王門、西門、三重の塔とも重要文化財に指定されている。随求堂は境内に入って最初に中に入れるお堂ということもあってか、人でゴチャゴチャしているのでさっとお参りを済ませて、経堂、開山堂の前を通り轟門へ(経堂、開山堂、轟門ともいずれも重文)。轟門から奥の本堂にはいるには拝観料300円が必要となる。拝観料を納めて本堂へと進むとまず迎えてくれるのが大黒天。この大黒天は誰でも触れることが出来る。そこで右に折れて舞台の方へと進む。ここが有名な清水の舞台である。この舞台は舞楽などを奉納する文字通りの舞台であり、その両側にある翼廊は楽舎ということである。舞台の正面にある本堂内は土禁ということなので、靴を脱いで本堂外陣に上がりゆっくりとご本尊様の十一面千手観音にお参りをする。舞台の方は人で溢れているのに本堂内に靴を脱いで上がっている人は他には誰もいなかった。靴を脱ぐのが面倒なのか、上がっていいことを知らないのか、それとも清水といえば舞台ということで本堂には興味がないからだろうか?。いずれにせよ、観光客で溢れたこの境内の中でここだけはゆったりとした気持ちになることが出来た。一番前まで行ってご本尊の十一面千手観音のお姿をじっくりと拝ませていただいたのだが、実はこの像はお前立ち仏像で、本尊は秘仏として内々陣の厨子の中に祀られている。まぁ、お前立ちでも本尊の姿を写した物なので基本的には同じお姿のはずなんで。ここの十一面千手観音は一般の四十臂千手観音よりも二臂多い清水型観音と呼ばれる独特な姿をしている。
本堂でのお参りを済ませ、本堂裏の納経所で御朱印を戴いてから地主神社へ。地主神社はちょうど本堂の裏手の一段高くなっている場所にある。この神社は元は清水寺の鎮守社だったということだが、縁結びの神様として非常に有名な神社である。狭い境内にはいくつもの社殿が建っている。本殿は三代将軍徳川家光の再建で重要文化財。本殿の前には恋占いの石という石が二つあって、その片方から目をつぶって歩き反対側の石までたどり着ければ恋の願いが叶うという。しかも、早く着ければ早く叶い、遅ければ叶うまでに時間がかかり、また、他人の応援を受けてたどり着けた場合には、実際の恋も他人の援助が必要になるらしい。実際にやっている女の子もいました。境内には若い女の子やカップルで溢れ、単車に乗るために防寒着で着膨れした私ははっきり言って浮いていたと思います。さっさとお参りを済ませ、さっさと退散・・・。本当はじっくりお参りしたかったんやけどね。
再び清水寺へと戻り釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院と参拝してから石段を下りて音羽の滝へ。この石段のわきにある排水用の溝にはモミジの落ち葉が大量にありそれの掃除をしていた。その掃除のしかたが、エンジンブロワーで落ち葉を吹き飛ばして一カ所に集めてから回収するという方法なのだが、お寺の中でエンジンの音はちょっと似つかわしくない・・・。手間がかかってもやっぱり箒で集めて欲しい物です。石段を下りきるとそこが清水寺の寺名の由来になった音羽の滝。音羽の滝の水を飲むために待っている人で長蛇の列になっている。並んでまで飲む気にもなれず音羽の滝からは舞台を見上げるだけですぐに移動することに。音羽の滝を後にして、仁王門へ向かって歩いていると、舞子姿の女の子が二人、歩いている。見るからに偽物(この表現はまずいのかな?京都には舞妓さんの格好をさしてくれる店は結構あります)。普段、着物を着ない人はどうしても歩き方で分かってしまうもんですね。そうしてまた、清水坂の人混みをかき分けて駐車場に戻って参拝終了。清水寺は人・人・人という印象のお寺でした。
さて、ここで清水寺の起源について簡単に触れておきたいと思います。話は今から1200余年前の奈良時代の末期にさかのぼる。大和國、子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」という夢のお告げを受けて音羽の滝を尋ねあて、そこで行叡居士に出会い、霊木を授けられた。その木で千手観音像を刻み草案を結んだことに始まる。そして、その翌々年に坂上田村麻呂が妻の安産のためにと鹿を求めて山に入ったところ、延鎮上人に出会った。そして上人から殺生の非を諭され、観世音菩薩の功徳を知らされた。妻にその話をしたところ深く感銘し、共に観世音に帰依して仏殿を寄進して十一面観世音菩薩をご本尊として安置した。しかし、現存する建物はほとんどが江戸時代初期に再建された物であるが。