第十八番 紫雲山 頂法寺(六角堂)

わが思う心のうちは六の角
ただ円かれと祈るなりけり

山門
ビルの谷間にひっそりと建つ
本堂
ご本尊
本堂
裏から見たところ
稲荷神社
へそ石
つり鐘
一言願い地蔵

 清水寺での参拝を済ませ、東大路通を北へ、四条通を左に曲がり烏丸通へ。四条通は相変わらずの大渋滞。左車線にはタクシーや路駐している車が詰まりすり抜けもあまり出来ずにイライラしながらの渋滞にはまっていた。この渋滞はある程度予想はしていて、それを避けるために別のルートも考えたが、一番分かり易そうなのでこの道を選んだがやっぱり失敗だったようだ。烏丸通に入ると順調に流れ出し六角通を右にはいるとすぐに六角堂に到着。六角堂の周りにはビルが建ち並び、本当に町中のお寺という印象が強い。清水寺では人間の多さに辟易としていたので、ここではそれほど人もいないようなので一安心。
 山門前に単車を停めて境内へ。山門を抜けると正面が本堂となる。この本堂、これまでに何度も火災にあっており、現在ある物は明治10年の再建と非常に新しい。本堂から右側を見ると六角形のお堂が目に入る。さすが六角堂、でも本堂は四角いやん・・・。そんなことを考えつつ、まずは本堂にお参りをしてから太子堂にお参りしようと本堂の裏手にまわって初めて気付いた。やっぱり本堂も六角形やったんやと。本堂を正面から見ると前に大きな向拝が張り出しているので四角いお堂に見える。というわけで、このお寺は本堂が六角形をしているので六角堂という。正しくは紫雲山 頂法寺。太子堂もやっぱり六角形。そこから本堂に沿って歩いていると、境内から直接入れるようになっているビルがある。入り口には「華道家元 池坊総務所」の看板が掛かっている。この太子堂が建っている場所は、太子沐浴の池の跡だといわれている。この太子沐浴には寺の創建に関する次のような伝説が残っている。聖徳太子がこの地を訪れたときに泉を見つけた。念持仏を木の枝に結んで沐浴をした後、外そうとしても枝から離れようとしない。その夜、夢の中で太子はお告げを受けて、ここに六角のお堂を建ててその像を安置したという。この像は淡路島の岩屋海岸に打ち寄せられた高さ5.5cmほどの如意輪観音像だという。
やがて、その沐浴の池のほとりに寺坊があり、池坊と呼ばれていた。そこで代々に渡り住職がいけばなを発展させが完成されていった。この代々の住職が家元となり、それが華道家元池坊であり、この地は「いけばな」発祥の地といわれている。
 本堂のまわりをぐるっと一周してきて、本堂前にへそ石という六角形の石があることに気がついた。これは京都の中心つまり「へそ」を表す物だともいわれているが、このへそ石には次のような伝説が残っている。平安遷都の際、東西の小路がちょうど六角堂にあたってしまった。そこで天皇は使者を立てて少し南北どちらかに移動していただくように祈願すると、礎石(=へそ石)を残して御堂が5丈(約15m)ほど北へ移動したという。
 参拝を終えて、山門から道路へと出ると道を隔てた向こう側に鐘楼があることに気がついた。これは平安遷都のときに残された物だという説があるが、その真相は不明である。

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