あわれみや普き門の品々に
なにをかなみのここに清水
仁王門 | |
大講堂 | |
根本中堂 | |
おかげの井戸 | |
播磨地域を走っていると「ゆっくり走ろう播州路 清水寺」と書かれた緑色のステッカーを貼ってある車をよく見かける。このことからも清水播州では清水寺がメジャーな存在ということが分かる。今回の巡礼ではNSR50の慣らし運転をかねて、清水寺から東へと進むことにした。
さて、清水寺へは東条湖の南側から東条湖ランドの前を通って行くルートで向かった。この湖畔の道路は適当にコーナーが続き、以前は走り屋風の単車をよく見かけたものだが、警察の取り締まりが厳しくなって別の場所に移動したのか、それとも、そういうのが流行りじゃ無くなったからか全く見かけなかった。そういう道をサーキット用にいろいろいじってあるNSR50でのんびりと走った(なにせ、まだシリンダーとピストンを交換したてで慣らし運転中なので法定速度ぐらいしか出せないもんで)。湖畔の道を離れて山へと入るところで通行料を納めて、寺へと続くワインディングを登っていく。道の傍らには彼岸花がきれいに咲いている。そんな道を登り詰めると仁王門に到着し、その前が駐車場になっている。
この仁王門は、鮮やかな朱色をしており、近年塗られたことがうかがえる。で、ガイドブックを見てみると、この仁王門はもともとは表坂からの参道に建っていたのだが、明治45年に焼失し、その後再建されたものの昭和40年に台風のため倒壊。そして昭和55年に現在の位置に建てられたという。この寺の建物は、この仁王門に限らず、ことごとく火災、落雷、台風などの被害を受けているという。特に大正2年の山火事延焼のときには大半の堂宇が焼失してしまっている。そういうわけで非常に歴史のある寺にも関わらずほとんどの建物が比較的新しい。歴史のある寺と書いたが、寺伝によるとこの寺は今から約1800年前、景行天皇の時代に法道仙人によって創建されたとされている。景行天皇といえば日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父である。当然、仏教が日本に入ってくるずっと昔の話である。史実上の創建としては推古天皇35年(627年)に勅願によって根本中堂を建立したことによって始まるが、それでも1300年以上も昔の話である。
仁王門をくぐり、茶店の前を通ってまず訪れたのが大講堂。ここで、参拝してから朱印を貰い、大講堂裏の石段を登ると根本中堂に至る。根本中堂に祀られているのは法道仙人の手によるという十一面観音で秘仏である。この観音様は、先に触れた大正二年の山火事のとき自ら避難したという伝説を持つ、まさに「避仏」である(というダジャレがガイドブックに書いてあった・・・)。根本中堂の左裏手に回ると一段低くなったところに「おかげの井戸」というのがある。水不足の山なので、法道仙人が水神に祈って涌かせたという霊泉でこの清水寺の寺名の由来にもなっている。また、この井戸の水に顔を映すと寿命が延びると言われているということなので、とりあえず映してみたがその結果が分かるのはまだまだ先の話である。この寺は、海抜500mに位置しており、条件がよければ明石海峡大橋、淡路島から遠くは四国まで見渡すことが出来るというが、私が訪れたときは天気はいまひとつだったので展望はよくなかったのが残念。
清水寺の参拝後は、三田の番外札所・花山院へと向かった。