波の音松のひびきも成相の
風ふきわたす天の橋立
本堂 | |
真向の龍 左甚五郎作 |
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成相寺は、日本三景の一つ天橋立近く、成相山の山腹に建つ山寺である。成相寺に登るには、股のぞきで有名な傘松公園までケーブルで登りそこからバスで行くルートと、国分寺跡近くから寺まで直接、車で登るルートの2つある。傘松公園は以前に登ったことがあるのと、直接ルートの方が安そうなので直行ルートで成相寺を目指すこととした。
寺の駐車場の入り口で入山料を払いお寺へ。本堂は正面に千鳥破風を持つ入母屋造りで、天文17年(1548年)に落雷のため焼失したために、その後に再建された物である。この成相寺は西国札所の中で最も北に位置しており、冬は非常に雪深いという。そういう寺だけに次のような伝説が残っている。一人の僧が、山中の草庵に籠もり修行をしていた。冬になり雪深くなると里人の往来も絶え、食料が底をつき餓死寸前の状態になってしまった。このままでは死んでしまうと悟った僧は、観音様に「今日一日生きるための食べ物をお恵みください」と祈った。すると、堂の外に狼に襲われて傷ついた猪(鹿)が倒れていることに気がついた。その僧は、肉食の禁戒を破るということに対して、大いに悩んだが、命にはかえられないと考え、その猪の左右の腿の肉をそいで、鍋に入れて食べてしまった。やがて暖かくなり雪も消え、ある里人が登ってきたときに堂内を見ると鍋の中には木屑が入っていることに気がついた。それを見た里人は「こんな物まで食べて・・・。」気の毒がったのだが、それを聞いた僧は驚くと同時に、肉食の禁を破っていないことに内心ほっとした。そして、ふと観音様を見上げると両腿がそがれていることに気がつき、観音様が我が身を与えて助けてくださったのだと悟った。そこで、鍋の中に残った木屑を集め、観音様の腿にあてて「元の姿に成り相いたまえ」と祈ったところ、元の姿に戻ったという。これがこの寺に伝わる「身代わり観音」の伝説であり、この伝説がこの寺の寺名の由来にもなっている。そして、この伝説は「今昔物語」にも載っている話である。このような伝説を持つご本尊は秘仏でその姿を拝むことは出来ないが、えらいべっぴんさんの聖観世音菩薩だという。その噂の真偽を自分の目で確かめてみたい物である。参拝を済ませ朱印を貰いに行くと納経所の上には左甚五郎作と伝えられる「真向の龍」の彫刻があることに気付く。
本堂と山門の間には鐘楼があるが、この鐘には「撞かずの鐘」の伝説が伝わっている。慶長14年(1609年)に鐘を新造するため各所に寄進を求めた。そのとき、ある長者の妻が金を出す代わりに子供を労働力として出すといって寄進を断った。そうして出来た鐘は何故かならず、三回も作り直しを行った。その鐘の鋳造作業中に、長者の子供が誤って坩堝に転落して亡くなってしまった。そして、できあがった鐘を撞くとその子供の泣き声が聞こえるという。それ以来、その鐘は撞かずの鐘になったという。
駐車場の料金所のおっちゃんからお寺の奥に展望台のがあるので、是非そっちも行ってくださいと言われていたので、参拝を済ませてからどんな物か見に行くことにした。駐車場より奥の道はダートの上り坂でヘアピンカーブをいくつか通ってその展望台に到着。TTで来ていてよかったぁと思える道でした。といっても、超フラットダートなんでオンロードバイクでも走ることは出来るけどね。そこからは天橋立をはじめ宮津湾、天橋立の内海の阿蘇海などが一望できてなかなかの展望の良さ。道路を整備したら観光客を呼べるかもしれませんね。さて、ここからは舞鶴の松尾寺へと向かうのだが、山を下るのに来た道と同じじゃ面白くないということで、展望台からさらに奥に伸びるダートの道があるのでそっちに入ってみた。すると1kmも走らないうちに舗装された一車線道路に出た。この道をそのまま南下すると大内峠で府道651号線に出ることが出来た。こっちから入ったらお金を払わなくて済んだのになぁと野暮なことを考えてしまいました・・・。まぁ拝観料も布施波羅蜜の一つということでケチなことは考えないようにしようと思うYukkyなのでした。