幸徳秋水悼中江兆民先生口占　日本漢詩選詩詞世界　碇豊長の詩詞：漢詩 Ribengushi


悼中江兆民先生口占
	幸德秋水
寂寞北邙呑涙回，斜陽落木有余哀。音容明日尋何處，半是成煙半是灰。

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中江兆民先生を悼む　口占

寂寞せきばくたる北邙ほくばう　　涙なみだを呑のんで回かへれば，
斜陽しゃやう　落木らくぼく　　余哀よあい有あり。
音容おんよう　明日みゃうにち　　何處いづくにか尋たづねん，
半なかばは是これ煙けむりと成なり　　半なかばは是これ灰はひ。

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◎　私感註釈：

※幸徳秋水：社会主義者。１８７１年（明治四年）～１９１１年（明治四十四年）。名は伝次郎。高知県の生まれ。自由民権運動に加わり、上京後、保安条例により、退去を命じられ、中江兆民の学僕として住み込む。『中央新聞』『万朝報』などの記者として活躍。この間、次第に社会主義に近づき、片山潜らと社会民主党を結成したが、即日禁止。日露戦争反対を倡えて堺利彦らと『万朝報』を退社、平民社を創設して週刊『平民新聞』を発刊、開戦後も戦争反対を主張。戦後、アメリカを旅行、この間アナーキズムに傾き、帰国後、直接行動論を倡えた。大逆事件に関係ありとして検挙され、死刑。著書に『廿世紀の怪物帝国主義』『社会主義神髄』。蛇足になるが、「秋水」は中江兆民から譲り受けた号ではあるが、「秋水」とは「研ぎ澄ました刀剣」の意でもある。中江兆民や幸徳秋水は、どんな思いで使っていたのだろうか。【後日記：『幸徳秋水　日本の急進主義者の肖像』（F・G・ノートヘルファー著　竹山護夫訳１９８０年福村出版）の６３ページにはこのことに関して次のように記されている。「兆民は、『功名心あれ希望あれ楽天的なれと主張して』、伝次郎が『悲哀的』『厭世的』なのを戒めた。『今朝來訪せし所の高利貸を見よ、彼れの因循にして不得要領なる、人をして煩悶に堪へざらしむ、然れども彼れ甚だ富あり、處世の秘訣は朦朧たるに在り、汝義理明白に週ぐ、宜しく春靄の二字を以て雅號と爲せ』（『春靄』は駘蕩としたなごやかさを象徴している）。伝次郎は、自分のための雅号についての彼の先生の選び方にひどく驚いてこう答えた。『生甚だ朦朧を憎む、乞ふ別に選む所あれ』。これに対し兆民は笑いながら応酬した。『然らば秋水の二字を用ゐよ、是れ正に春靄の意と相反す、予壯時此號を用ゆ、今汝に與へん』。」と。またその原註によると：「秋水」は『莊子』からきたのだろう、と云う。『莊子・秋水』は、「秋水時至，百川灌河，涇流之大，兩涘渚崖之間，不辯牛馬。」と自然の川の流れを指す。

※悼中江兆民先生口占：中江兆民先生の逝去を悼んでの葬送時の即席の作。　*『兆民先生』の巻頭を飾る詩であり、更に「想起す去年我兆民先生われてうみんせんせいの遺骸を城北落合おちあひの村に送りて荼毘だびに附するや、時正ときまさに初冬、一望曠野いちばうくゎうや、風勁つよく草枯れ、満目惨凄まんもくさんせいとして万感胸に湛たゝへ、去らんと欲して去らず、悄然せうぜん車に信まかせて還かへる。這この一首の悪詩、即すなはち当時車上の口占こうせんに係かゝる。嗚呼あゝ逝ゆく者は如斯かくのごとき歟か、匆々そうそう茲ここに五閲月ごえつげつ、落木蕭々らくぼくせうせうの景は変じて緑陰杜鵑りょくいんとけんの天となる。今や能よく幾人の復また兆民先生を記する者ぞ。」とその場の情景と半年後の感慨を記している。　・中江兆民：政治家・評論家。幸徳秋水の師。１８４７年（弘化四年）～１９０１年（明治三十四年）。土佐藩出身。名は篤介。別号は青陵・秋水。（なお、秋水の号は、後に弟子の幸徳伝次郎（幸徳秋水）に与えた）。フランスへ留学後、フランス流民権思想の普及と専制政府攻撃に健筆をふるった。後に国民党を結成、国民同盟会に参加、国民主義への傾斜をみせた。「兆民」とは「億兆の人民大衆」の意。　・口占：口をついて出てきた詩歌。詩文を作る時、草稿を書かずに口ずさんで作ること。即席の詩。

※寂寞北邙呑涙回：ひっそりとしてもの寂しい墓地から、涙が出そうなのを堪（こら）えて、もどってきた。　・寂寞：〔せきばく、じゃくまく；ji4mo4●●〕寂しく静かなさま。ひっそりとしてもの寂しいさま。さびしげな。　・北邙：〔ほくばう；bei3mang2●○〕北邙山のこと。洛陽の北にある陵墓が集まってある山。墓所をいい表す語である。『中国歴史地図集』第五冊　隋・唐・五代十国時期（中国地図出版社）４４－４５ページ「唐　洛陽附近」にある。洛陽の北２０キロメートルの所を東西に広がっている。位置関係を南側からいえば、洛水が西南西から東北東に流れ、その北側にも洛陽の市街が広がっている。その２０キロメートル北に、北邙山が東西に６０キロメートル横たわっている。その更に北側を黄河が流れている。漢・梁鴻『五噫歌』の「陟彼北芒兮，噫！顧覽帝京兮，噫！宮室崔嵬兮，噫！民之劬勞兮，噫！遼遼未央兮，噫！」東晋・陶潜（陶淵明）『擬古九首』其四「迢迢百尺樓，分明望四荒。暮作歸雲宅，朝爲飛鳥堂。山河滿目中，平原獨茫茫。古時功名士，慷慨爭此場。一旦百歳後，相與還北邙。松柏爲人伐，高墳互低昂。頽基無遺主，遊魂在何方。榮華誠足貴，亦復可憐傷。」や、やや後代の唐・沈期の『邙山』「北邙山上列墳塋，萬古千秋對洛城。城中日夕歌鐘起，山上唯聞松柏聲。」や初唐・劉希夷（劉廷芝）の『公子行』に「天津橋下陽春水，天津橋上繁華子。馬聲廻合青雲外，人影搖動綠波裏。綠波蕩漾玉爲砂，青雲離披錦作霞。可憐楊柳傷心樹，可憐桃李斷腸花。此日遨遊邀美女，此時歌舞入娼家。娼家美女鬱金香，飛去飛來公子傍。的的珠簾白日映，娥娥玉顏紅粉妝。花際裴回雙蛺蝶，池邊顧歩兩鴛鴦。傾國傾城漢武帝，爲雲爲雨楚襄王。古來容光人所羨，況復今日遙相見。願作輕羅著細腰，願爲明鏡分嬌面。與君相向轉相親，與君雙棲共一身。願作貞松千歳古，誰論芳槿一朝新。百年同謝西山日，千秋萬古北邙塵。」とある。　・呑：〔どん（とん）；tun1○〕飲む。飲み下す。　・呑涙：涙が出そうなのを堪（こら）える。口惜しさや無念さをじっと我慢する。　・回：かえる。とってかえす。出たものがもどってくる。ここでは､中江兆民の遺骸を荼毘に附し、その後、遺骨遺灰を持って、もどってきたときのことを謂う｡

※斜陽落木有余哀：（墓地からの帰途の光景は）夕日に、落ち葉と、かなしみの余韻がある。　*中江兆民は十二月十三日に亡くなった。　・斜陽：夕陽。夕日。宋・范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天，黄葉地，秋色連波，波上寒煙翠。山映斜陽天接水，芳草無情，更在斜陽外。　　　黯鄕魂，追旅思，夜夜除非，好夢留人睡。明月樓高休獨倚，酒入愁腸，化作相思涙。」や、宋・秦觀の『踏莎行』に「霧失樓臺，月迷津渡，桃源望斷無尋處。可堪孤館閉春寒，杜鵑聲裏斜陽暮。　　　驛寄梅花，魚傳尺素，砌成此恨無重數。郴江幸自繞郴山，爲誰流下瀟湘去。」とある。　・落木：落葉。唐・杜甫の『登高』に「風急天高猿嘯哀，渚淸沙白鳥飛廻。無邊落木蕭蕭下，不盡長江滾滾來。萬里悲秋常作客，百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢，潦倒新停濁酒杯。」とある。　・余哀：有り余るかなしみ。

※音容明日尋何処：（恩師・中江兆民先生の）声と姿を、あすからは、どこに尋ね求めれば（いいのだろうか）。　・音容：声と姿。唐・白居易の『長恨歌』に「風吹仙袂飄飄舉，猶似霓裳羽衣舞。玉容寂寞涙闌干，梨花一枝春帶雨。含情凝睇謝君王，一別音容兩渺茫。昭陽殿裡恩愛絶，蓬莱宮中日月長。」とある。　・何處：どこ（に）。いづこ（に）。

※半是成煙半是灰：半分は、煙となってしまい、半分は灰となってしまった。　*この句、実にクールな描写で、幸徳秋水の考え方がよく現れている。彼はその著作『死生』の中で「無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る、生は時としては大なる幸福ともなり、又た時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない、然し死が何の事大であろう、人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではない歟か。」と述べている。また、師の中江兆民は唯物論者として、「無神無霊魂」の哲学をもっていた。　・半是：なかばは…である。半分は…である。「半是」の「…是」は、「都是…」「總是…」「全是…」といった「是」の使い方の一。唐・劉禹錫の『再遊玄都觀』に「百畝庭中半是苔，桃花淨盡菜花開。種桃道士今何歸，前度劉郞今又來。」とあり、南宋・陸游の『春游』に「沈家園裏花如錦，半是當年識放翁。也信美人終作土，不堪幽夢太怱怱。」とある。　・成煙：（荼毘に附して遺骸が）煙となることを謂う。中国詩では「煙」は「けむり」や「かすみ」「もや」のような意で使われ、「荼毘の煙」としての例は少なく、中国現代詩・郭小川の『秋歌』に「不止一次了，淸爽的秋風把我從昏睡中吹醒；不止一次了，節日的禮花點燃我心中的火種。聽，冰雪遼河，風雨長江，日夜激蕩有聲；聽，南方竹陣，北國松濤，還在呼號不停。看，運糧車隊，拖拉機群，一直轟轟跳動；看，無數戰馬，百萬雄兵，永遠向前奔行。淸爽的秋風呀，已經把我的身躯吹得飛上晴空；節日的禮花呀，已經把我的心胸燒的大火熊熊。我知道，總有一天，我會化煙，煙氣騰空。」とある。　・灰：遺灰。荼毘に附された後の灰。土に帰ること。中国詩では「塵土」「戦火の跡」のような意で使われることが多く、この作品の「荼毘後の遺灰」の意で使われる例は少ない。ただ、次の例は当てはまろうか。魏・曹操の『歩出夏門行・神龜雖壽』に「神龜雖壽，猶有竟時。騰蛇乘霧，終爲土灰。老驥伏櫪，志在千里。烈士暮年，壯心不已。盈縮之期，不但在天。養怡之福，可得永年。幸甚至哉，歌以詠志。」とあり、晩唐・杜牧の『悲呉王城』に「二月春風江上來，水精波動碎樓臺。呉王宮殿柳含翠，蘇小宅房花正開。解舞細腰何處往，能歌奼女逐誰迴。千秋萬古無消息，國作荒原人作灰。」とある。陶淵明の『挽歌詩其三』「荒草何茫茫，白楊亦蕭蕭。嚴霜九月中，送我出遠郊。四面無人居，高墳正嶢。馬爲仰天鳴，風爲自蕭條。幽室一已閉，千年不復朝。千年不復朝，賢達無奈何。向來相送人，各自還其家。親戚或餘悲，他人亦已歌。死去何所道，託體同山阿。」のことでもある。

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◎　構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「回哀灰」で、平水韻上平十灰。この作品の平仄は、次の通り。

●●●○○●○，（韻）
●○●●●○○。（韻）
○○○●○○●，
●●○○●●○。（韻）