日 記

(2012年5月)


<今野順夫の部屋>
 

◇ 5月も最終日になりました。
 午前中の県の会議。招集文書の議題は少ないので、早めに終わると思っていたのですが、盛り沢山の議題。いろいろ難しい問題もあり、結局1時近くまでかかってしまいました。付き合ってくれた職員には、昼休みに食い込んで、昼食大丈夫だったかなと心配になりました。
 近くの杉妻会館の食堂で、会津若松のバス時間待ちの委員長と、遅めの昼食。会津のことを、いろいろと教えてもらって、面白かった。震災からの復興のためには、今までの三分割の県土(はま・なか・あいづ)を、全体として有効に、かつ協力し合った新生福島県に作れないかと思う。
 多極的な良さは維持しつつ、浜通りの復興の困難さを、県全体で支えて、県自体も発展させていく道は見つけ出せないか。いまこそ、県民が一体の取り組みが必要なのだろう。
 自宅に戻り、図書カードを贈る運動への支援、送料負担をしてくれないかとの本音で、打診してみたが、なかなか難しいような回答。1年が過ぎて、被災地支援も「当然」のことではない雰囲気である。だからこそ、踏ん張っていかないと。
 土曜日の講演のレジメを担当者に送ったが、明日は、講演の内容を詰めることにしましょう。
 5月は、いろいろ動きが多かった。盛岡の講演に始まって、名古屋で講演。東京(元気を送る会)や西宮での研究打ち合わせと学会。女川(尾浦)から多賀城へ。「じゅげむ」の開業めぐる動き、そして仙台の美術館と上野の博物館。落ち着かない5月だったが、来月は少し静かな月かな。いよいよ明日から6月だ。(5/31)<12406>


◇ 今日は、ショートスティから帰る義母のお迎えに行く予定だけで、特にありません。
 土日・土日と出張が続き、月曜日の二コマの講義で、休みがないので、少し機動力が出ません。
 女川の図書館の充実ということで、図書カードを贈る呼びかけはしたものの、受け入れ体制が曖昧だったので、女川から電話問い合わせが来たりして、少々、気疲れしました。
 まずは、「隗より始めよ」で、郵便局で簡易書留で送りました。ホームページとは別に、個人的にメールでも発信していますが、夜、大先輩から、私も送りますとの嬉しいメール。多分、数人しか来ないので、受け入れ体制というほどでなくていいよ、と言ってはいましたが、一人でも賛同してくれてありがたい。7月末という期限をつけることにしましたが、本音は、長期的・継続的な取り組みができる体制を作りたいものです。
 ツイッターを見て、ほぼ連日姪の店「jugemu」に通ってくれているお客さんがあり、お礼のツイートをしたら、すぐに返事がきました。「今、jugemuでキムチ雑炊とサラダを食べて帰って来ました。昨夜は6人でお酒をいただきに行きました。今日は二日酔いです。メニューが沢山あるので毎日楽しみです。」と、うれしいですね。まったく見ず知らずの方ですが、被災地の支援で長期的に入っていて、コンビニの弁当に飽きたと言っていたので、双方良かったです。
 最近、倒れて入院した(先輩)友人の娘さんと、昨日会食しましたが、今朝早く、友人の奥様から電話がありました。病状は、快方に向かっていて、本当に良かったです。2日の仙台での講演の際に、お会いしたいとのこと。並行して娘さんからのメール。「母は顔が広いから」、jugemuを大宣伝してくれるだろうとのこと。自分も仕事柄、「タウン誌など発行している地元出版社に取り上げてくれるよう情報提供します」とのこと。善意のつながりが嬉しいですね。
 主として、妻との話のお客さんが来られ、駐車場も開けるということで、郵便局・書店を回って、映画館で映画。どちらかというと、開始時間から選びました。
 観た映画は、「痛み」という韓国映画です。「幼い頃の交通事故の後遺症で痛みを感じなくなったナムスンは、家族も亡くして無気力に生きてきた。ある日、血友病に冒されながらも明るくたくましい女性ドンヒョンと出会うのだが・・・。切なく美しい愛の物語」。
 私のツイッターに掲げている写真の一番小さな孫を、韓流スターのようだと言ってきたが、昨日は「jugemu」で、福島の爺ちゃん似だよねと言われて、いやいや・・・と否定したものの、少しにんまり。それもあって、韓流スターの映画には、今は違和感がない。
 結構、真昼間ですが、中年のご婦人が多かったかな。韓流スターの人気は、根強いのかな。日流もいいとは思うんだが。時間がもったいない気もあるが、暗い中で精神を落ち着けている(眠っている?)には、いい時間。帰宅すると、客人は、今帰ったばかり。グッドタイミング。
 明日は午前中、県庁での会議だが、午後、土曜日の話の準備をすることにしよう。先輩たちに、何を伝えるのか、少し、苦慮するが。(5/30)<12387>


◇ 予定していることがなく、自宅待機もないので、開店以来気になっていた、多賀城の姪の店(じゅげむ)に出かけました。
 行くよと電話した時は、だれもお客さんはいないというので、閑散としていると思いきや、到着してみると、自動車が5−6台、並んでいて、ビックリ。テラスの方のテーブルまでお客さんがいます。
 確かに、2グループは、知り合いあではなかったのですが、娘の夫君(夜勤に行く前)が昼飯を食べに来ていた。そして全く別に夫君の実家の皆さん、4人(+1人の赤ちゃん)。えっつ?、なんと「身内」が半分占めています。父上は、初めて来たとは言っていたが、後の女性陣は常連?まあ、賑やかなことはいいことです。

 2時を過ぎると、従業員も夕方までは休息。店長たる姪だけ。そのうちに、昨日メールいただいた卒業生(先輩友人の娘)が、「じゅげむ」に来るというので、待っていたら、3時前に到着。
 1時間ほど、昼食をとりながら歓談。父親の病気のこと、卒業後の仕事のこと等など、卒業して15、6年ぶりかも知れません。大変な仕事ですが、頑張っていることを感じました。
 実家が利府で、近いようなので、家族でくるよと言ってくれた。リピーターも増えているらしく、店も、歩一歩進んでいます。

 帰宅後、図書カードを送る運動を提起していながら、自ら送ることから開始しないとと思い、書店へ。私にしては、少々多額の図書カードの購入です。明日にでも送りましょう。
 書店の協力も得られる気配はないし、受け取りの機関も、今のところ歓迎というよりも、仕事の増加感のようですが、それに配慮していると、何も進まないので、一方的にせよ、「善意の押しつけ」をすることにしました。仕事が増えることは知りながらも、女川の子どもたち、住民の方々が、多くの本を手に取って読めるように、それだけが願いです。

 福島ー多賀城往復は、帰路、睡魔が襲い、蔵王PAで暫し休眠。心がゆったりした一日でした。(5/29)<12364>


◇ 月曜日は、いつもの非常勤科目・2コマ連続。今日は、介護保険法の話をする予定ですが、冒頭、生活保護問題をとりあげました。
 最近の人気タレントの母親の生活保護問題をマスコミでとりあげ、まさに生活保護受給者に対するバッシングの様相。
 信頼できる弁護士さんや研究者の生活保護問題の団体が、声明をあげたので、ツイッター(mixiも)とフェースブックでも紹介しました。今朝出した声明ですので、まさにグッドタイミング。
 学生の感想も、ほぼ同意見で、こういうことを理由にして、本音の政策を実行する手法フェアではない。何か、ネタを探していたのでは勘ぐりたくなる。官僚出身のエリート議員が、こんな手法を使うとはあきれる。

 女川に図書館をの夢を発信していましたが、一応、「女川つながる図書館」として実現したので、次の展開が必要です。どのように持続的に発展させていくか、どう支援するのか、私は、「基金」を作って、そこにお願いすると思っていましたが、なかなか役場や教育委員会の本体の方が、それに手が回ら無さそう。図書館の現場で働いている方々も、震災の緊急雇用の位置づけで、そこにお願するのも困難。
 一番、手っ取り早いのは、「図書カード」を送る運動を起こすことと思って、大学の帰り、注文していた雑誌をとりながら、近くの書店に立ち寄りました。仕組みと、可能であれば、被災地の担当者に送っていただく事務処理を協力してくれないかと思った次第。
 書店の震災支援としてもありうると思っていますが。福島の書店が、女川へというのも、問題がないわけでは無いので、インターネットで、図書カードを発行している所に、問い合わせのメール。まあ、なかなか難しいかな?「被災地に本」というのは、書店の支援活動としては面白いと思うのですが。
 夜、ホームページのタイトルを、「『女川つながる図書館』応援」と変更しました。まずは、図書カードの運動から起こしてみようと思っています。

 夜遅く、今週土曜日に仙台の会合で話をする予定でいましたが、そのお世話役の先生の御嬢さんからメールが来ました。先週金曜日に、倒れられて入院中とのこと。びっくりしました。その会合の準備を気にされていて、その事務的な代行を娘さんにお願いしたようです。
 我々のフォーラムにも、仙台から車で駆け付けてくれるほどの元気なのに。一日も早い、ご回復を祈っています。明日、多賀城の「じゅげむ」に行って、その帰りにでも、病院に寄って来ようかな。

 「じゅげむ」も、お客さんがブログに懇切・丁寧な紹介をしていただいて、着実にお客さんが集まり始めているようで、うれしいです。まだまだ大変でしょうが。頑張ろう!(5/28)<12339>


◇ 午後6時頃、昨日、出かけた名古屋から帰ってきました。名古屋大学の職員組合のシンポジウムですが、津波の被災と原発の被災の状況を報告して、大学職員、学生、市役所職員のボランティアの報告を含めて、ディスカッション。参加者は30人程度だったと思いますが、益川さんのノーベル賞受賞を期して建築されたという立派な建物の一角。フロアからもいろいろ議論が出て、さすが名古屋大学という感じでした。
 労働法の研究者として大活躍するとともに、組合の委員長としても頑張っている和田先生から頼まれました。やはり、被災の実態は、マスコミ通じて以外には伝わっていない。忘れ去られるというよりも、まだ知られていないのではと思います。やはり被災地からの発信の責任がありそうです。我々の努力の必要性は大きいという感じです。
 大学の近くの瀟洒なレストランで、早めの夕食。数人の組合の皆さんと歓談。福島大に居て、東海大、そして名古屋大にいる下山さんもご一緒できました。元気に頑張っているようです。ホテル(メルパルク)まで送ってもらって、休みましたが、夜、友人の娘さんが、明朝女川を見に行くけどどこに行けばいいかとと電話。バスを乗り継いでいくというのですが、一応ポイントをいいました。心配になって、娘のところに連絡したら、ちょうど、女川に行く用事があるとのことで、同乗させてもらいました。なんとか一応の「見学」はできたようですが、まだフラッと行って見るような受け入れ態勢ができていないの実態。

 今日は、10時半発の新幹線で帰途。東京・上野の東京国立博物館(「ボストン美術館 日本美術の至宝」)と国立科学博物館(「インカ帝国展」)の、博物館めぐり。天気も良く、休日なので、入場に10分から15分。中でもなかなか進みません。めったに見れないもの、受け入れる能力に欠けますが、凄いですね。
 明日からは、また新しい週が始まります。明日の授業の準備をして、休むことにしましょう。(5/27)<12311>

 


◇ 26日朝です。名古屋で話をしようと準備をしていましたが、昨日、なかなか日中は落ち着かず、ドジばっかりしています。
 午後8時頃からようやく集中しましたが、まずは月曜日の講義の準備で、9時頃から、結局午前2時になってしまいました。
 5時半には起きないといけないと思って目覚ましをかけ、シャワーを浴びて、7時半頃の新幹線に向けまずは、順調な準備。

 多賀城の姪の店について書いたブログと、私の応援HPを、ブログに掲載していいかと、塩竈の蜂屋食品さんから問い合わせ。もちろん大歓迎。長女もお世話になっており、姪に聞くと、ご家族で来てくれているとのこと。こういうお客さんは大切にしないとダメだよと、姪にメールすると、「はーい!」と返信。でも順調な滑り出しです。
 今日は、名古屋大学の職員組合主催のシンポジウムでの講演。役者としては、あまり相応しくなさそうですが、被災地からの思いを伝えるだけです。
 明日の帰りには、上野の博物館などを見てきたいと思いますが、その気力が残っているかどうか。
 とにかく、求められているときは、一生懸命、それに応えるだけです。行ってきます。(5/26)<12279>


◇ 24日朝。22日・23日と日記を書きましたが、寝ぼけ眼で操作をしていて、他のページで更新してアップしてしまいました。辛うじて、2階にあるパソコンのフォルダーに残っていたもので再生。22日、23日は消えてしまいました。
 22日は、ある村の弔慰金の審査会に出ましたが、日記には、災害対策基本法の改正について書いた記憶があります。その趣旨は、ブログに残していますが、日記にはもう少し書いたような気もしますが。プリントアウトもしていないので、仕方がありません。忘れてしまいました。
 昨日は、外出して、コープふくしまの理事会に出ました。来月の総代会総会に向けた準備。なんとか経営的には上向きで、安心しましたが、これからも大変でしょう。
 そして昨夜は、第12回の「ふくしま復興支援フォーラム」。小山さんに報告してもらいました。26名の集会で多いとはいえませんが、説得的・感動的な報告でした。(5/24)<12228>

 なんと、スマートフォンに更新される前の、2日分の日記がありました。重複していますが、張り付けました。なんか、ドジの上塗りだね。(5/24)<12235>


◇ 今日は、外での会議などで、久しぶりの忙しさ。
 午後、コープふくしまの理事会。来月の総代会総会に向けて、その準備的会議。経営状況は良好で総会を迎えられ、よかった。
 いったん帰宅し、ふくしま復興支援フォーラムへ。
 経済経営学類の小山良太さんに、農地の除染などについて報告していただいた。チェルノブイリ後の経験と比較しながら、説得力のある話。参加者も喜んで頂いたようだ。今回のフォーラムは12回目。13回、14回と6月に行うが、単なる連続ではなく、いかに情勢と絡むことができるか、さらなる努力が必要。
 夕食を、中井さんとともにし、帰宅。(5/23)<12216>


◇ 一日雨でぐずついた一日です。少々、寒いです。
 夕方に予定されている「弔慰金審査会」に出かけるだけですが、机の前で、いろいろと講演準備などをしていますが、どうも焦点が定まりません。
 どんな資料を使うか、基本は、被災地の実情ですので、ヴィジュアルなものにしたいのですが、印刷が大変。写真資料だけをパワーポイントにして、文字や数字は、紙媒体で配布しようかと思います。パワーポイントだけをつくるために時間をかけるのは、あまり意味のあることではないと思う。
 新聞で、災害対策基本法の改正案が、閣議を通過して国会に出されるとの記事を読む。注目したのは、市町村からの要請が無くても県や国が救援に入るということ。郷里・女川で、3日も水だけで過ごしたという体験を聴いて、心が痛んだ。なんで、県は連絡がないと言わないで、連絡がないからこそ被害が大きいと判断しなかったのか。町長がコメの買い出しに行くなんて・・・。そんな気持ちが拭いきれないでいたので、法改正の報道と関連して、フェースブックに書く。同じものをブログに転載。命を失う者も、生き延びた者に対する救援の遅れを許してはくれまい。生き延びている者は、死せる者の命や思いを引き継ぐものだから。
 カーラジオは、南三陸町で被災した方の遺体が、300キロ南の茨城の海岸に辿り着いたと報道している。震災は終わってはいない。
 姪の店「Jugemu」(じゅげむ)は、グルメGyaoにも掲載。昨日の昼食は12名とか。焦らないで、お客さんをつかんでほしい。(5/22)<12194>


◇ 土日出張後の月曜日の講義は、大変です。
 午前中、義母を2つの病院に車で送って、大学へ。講義の準備のために資料をプリント。2コマの最後の方の講義ノート(とはいってもワープロ原稿用紙だが)が、見つからない。あれ?、新幹線の中で予習のために読んでたはず。居眠りして、ノートを落としてしまって、眼が覚めて拾い上げたが、全部拾い上げなかったのか。講義ノートなので、プライバシーの侵害はないが、このドジさには、赤面の至り。何とか話のまとめはしたが、次回に補足しないとダメだ。なんとも資料のプリント等の準備をあわただしくやると、緊張感をもって講義に臨むことが欠けてくる。非常勤講師としては初心者なので、慣れていない。
 また土曜日には、名古屋でのシンポジウムでの報告。準備を急がないと。
 第12回の福島復興支援フォーラムは、水曜日の夕方。職員のKさんが、作ってくれた資料がずしりと重い。ありがたい。自宅で準備するのは、研究室でやっていたときの延長では上手くいかない。何とか6月に2回、14回までは目途がついたが、公約通り20回目まで(9月頃か)の責任を果たして、スムーズな継承ができるようにしないと。
 諸活動が、全面展開する5月。振り回されないようにしたいが、できることを行うスタイルが必要と痛感。(5/21)<12171>


◇ 20日深夜、ようやく帰ってきました。
 昨日は、新宿での「女川に元気を送る会」の総会に出席。いろいろ出会いがあるものです。
 沢田の従姉さえ子さんに逢えたのも久しぶり。昨年夏、ご主人を亡くされましたが、元気に前向きに生活しているので安心しました。この総会にも、遠い大田区から出てきました。
 私の実家の前の家(ほや屋さん)の正勝君も千葉から出てきました。半世紀以上の時間が過ぎましたが、じっと顔を見ると思い出します。定年後、保育園の経営をしているという。図書館に協力してもいいよと言われて、嬉しいですね。
 面識はなかったのですが、小さい頃、病弱の母親を往診してくれた三浦医院の娘さん。三浦先生(過疎医療に燃えて女川に入った来たようです)の診察を見ながら、医師になりたいと志を立てたが挫折。しかし娘たちが継いでくれました。
 また、学長時代に会議で同席させて頂いた長崎大学の学長だった方の奥様が長崎から来てくれました。不思議な縁だと思いましたが、ご主人は仙台の医学部だったので、なるほどと得心。まあ、いずれにしろみんな女川人です。
 それは第3部の懇親会の席。ここにも30名が参加しました。
 肝心の総会は、予定の議題をスムーズに済ませ、女川前教育長の遠藤先生の講演。「女川の今、子どもたちの今」と題して、震災時のリアルな状況、そして子どもたちの状況。逞しく育っている様子を伺うことができました。持続的な支援が必要です。何よりも心を寄せて。
 ホテルに泊まって、早朝6時26分の新幹線で新大阪ー西宮へ。関西学院大学での労働法学会です。メインは午後のミニシンポ(大震災と社会法)。その午前中に、秋の社会保障法学会のシンポジウムの報告者の研究会。私も老体に鞭打って報告します。福島は逃げるわけにいきません。報告者6人中3人が福島大学関係。主として、原発災害が中心になるでしょう。
 最終電車の関係で、最後までは居れませんでしたが、また西宮ー新大阪ー東京ー福島と乗り継いで、11時半到着。自宅には12時。珍しく妻が起きていましたが、明日の朝かと誤解していたので、万が一、鎖をかけられたら大変だっと苦笑い。珍しく買ってきたお土産、「聖護院八ッ橋」を食べて、休むことにします。明日は、午後に講義がありますが、準備が足りません。明日の朝、頑張りましょう。(5/20)<12147>


◇ 今日、京都在住の学生時代の友人・佐藤好威さんが、「NPO法人 京都がん医療を考える会」の理事長として、9人の会員とともに福島を訪れた。早朝、京都を出発。福島から相馬までバス旅行。福島に戻ったところで、夕方、お会いできた。理学部出身の彼が、この会の理事長をやっている経緯についてはあまり知らないが、総勢10名、楽しく夕食をともにすることができた。明日、AOZで人形遺作展とシェーンハット・ミニピアノコンサートがある。
 福島に対する京都の方々の視線、もっと情報を発信して、関心を持ち続けてもらいたい。
 23日のフォーラムの準備で、講師からパワーポイント用のパネルの印刷を頼まれた。カラーだし、こんな印刷をやったことがないので、大学のKさんに相談。快くやっていただけることになりホッとしている。地獄に仏だね。次々回の講師依頼、メール投稿の問い合わせなど、我が書斎の事務能力の限界を感じさせられる。
 明日からは、東京での「女川に元気を送る会」の総会に出席、翌朝、学会で西宮に向かう。そのまま、とんぼ返りなので厳しい。月曜日は、非常勤講師科目の仕事。週末・週明けは忙しい。(5/18)<12106>


◇ 5月17日は、長女の誕生日だが、いつまでたってもお産の日のことを思い出すもんですね。一番上の子は、家に誰もいないので、小さな産院でしたが、泊ってしまいました。本当は規則違反かな。なかなか生まれず、深夜になってしまったのです。二女は、2月雪の秋田。長女を寝かせたまま、そっと車で近くの産院に送るのですが、何度もエンストを起こして、慌てました。なんということはない、サイドブレーキかけたまま発車していたのですが・・・。みんな大変な思い出ですが、それが次の世代の話になっていく。命のリレーなのでしょうか。
 津波で亡くなった実姉の2番目の娘(姪)は、多賀城の借上げ住宅で避難生活をしているが、女川での経験を生かして、多賀城でトレーラーハウスの店を出すことになり、今日は開店日。妻とともに、プランターの花を買って、多賀城へ。開店10時なので、行列が出ているかなと思ったが、お客さんは皆無。宣伝をほとんどしていないので、仕方がない。11時過ぎて、中年のご婦人が一人、入ってきたのには感動。そのうちに女性二人連れが3組か。われわれ含めて10人ほどの昼食客。そのうちに、ツイッターで、「私もさっきランチいただいてきました♪カワイイお店でした(^^) 」と。私のツイッターを見てくれたんだ。夜、「仙台市の震災復旧で多賀城に宿泊しています。歩いて10分くらいなので、お邪魔して見ます。」、また「凄く近いので、行ってみたいのですが場所がイマイチわかりません(^-^; 仙台銀行さんからどう行けばいいでしょうか? もっと広く映ってる写真でもいいのでお願いしますo(^-^)o」、さらに「いいですねえ♪食べたいです。7月仙台で仕事があるんで、そちらまで足を伸ばせたらと思っています。」などなど。やはり女川の被災者だというのに皆さん支援の声なんだ。福島に帰ってきて、何もできないので、親戚などに開店お報せメールや、多賀城「じゅげむ」応援のホームページを作成して、メニューを出したら、意外といい。
 女川から避難してきた方がたの多い地域。そこが女川の情報基地、交流基地になればいいなあと考えている。夜は、長女の誕生祝いを義母や義姉・友人や家族でやっているらしいが、早くリピーターができればいいなあと思っている。嬉しい日だった。(5/17)<12082>


◇ 午前中、講義関係の資料を作り、ドコモショップへ。
 同じ発信地と思われる迷惑メールが、昨日から集中してきていました。スマホの迷惑メール撃退の方法がうまくできないので、教えてもらいに行きました。それほどベテランではない研修生が、本を見ながら一生懸命やってくれて、その効果はでたのか、来なくなりました。いつまでもつか分かりませんが。新人職員、ガンバレーと言いたくなります。
 この前、ガソリンの給油の際に、エンジンオイルの交換の時期といわれていましたので、ガソリンの給油とともにオイル交換を頼みました。純正のオイルのようで6リッター。1万円を超しました。この車は、1か月半後には、別な車に替えるといったら、店員は怪訝な顔をしていました。そうか、どうせ替えるのなら、いまオイル交換しなくてもということかなと考えましたが、廃車にするわけでもなく、どなたか中古で買って乗るでしょうから、車のエンジンのためには必要なことと納得。機械ではあるのですが、12万キロ近く、7年間も一緒に走ってくれたのですから、私の命を預かりながら。さっぱり洗車もしないので可哀そうですが、何かペットのような感じがするもんですね。いい人に買ってもらえればいいね。

 午後、大学へ。災害復興研究所の定例研究会。一橋大学の猪飼周平さんの話を聞きに行きました。「ヨソモノからみた 原発震災被災地福島の未来」がテーマ。レジメを見ると、短期的課題として、@生活支援の強化、Aゼネコン除染のチェック、長期的課題として、@恒久除染の重要性、A復興への種蒔き、B域外の友人をできるだけ多くつくる、C生活史アーカイヴスの構築から構成されたが、Aのところで、以下のようにいう。<放射能ゆえに人口の流入はごく少なく、労働力世帯から流出、結果として急速な高齢化を経験することになると考えておく必要がある。その意味では、東京(関東大震災)や神戸(阪神淡路大震災)のような意味における「復興」は現実的な目標にならないと思う(福島・郡山・いわきなどは別かもしれないが)。例えば50年後に放射性物質を一掃すると約束するとすれば、できるだけ多くの集落(自治会)において、50年間人口が0にならないようにするという政策がありうるのではないか。」>と。
 デイサービスのお迎えの時間に間に合わせるために、議論は聞けなかったが、話はリアルな冷めた目だが、当面の除染のみならず、長期的な展望の中での復興の見通しを検討する必要があると思っている者にとっては、示唆に富む話だった。

 特に、浜通りは、子育て可能な地域社会の復興には、時間がかかる。そういう意味では、一定期間、将来的な産業振興の見通しと、就労の場としての復興に重点を置いて、生活的な復興は距離を置いて、しかし全県的な支援と連携の中で実現していくべきではないかと思っている。その為の自治体は、現行の基礎自治体の範囲だけでなく、県も加わった広域連合も視野に入れながら、それも双葉郡が自足的に行うのではなく、全県的な支えが必要と思っている。
 関東圏も含め全国的には、福島それ自体に対する関心は低くなっている(原発再稼働問題はともかく)。震災前も中央依存経済で疲弊してきた東北の地を、ただ震災前に戻すだけではなく、自らの地域に対する自己評価をしつつ、新たな復興の目標を、50年単位で考える時期かもしれない。(孫たちは生きているだろうから。)

 明日は、女川で被災して多賀城にいる姪の店(食堂)の開業日。お祝いに行くことにしよう。(5/16)<12064><P>


◇ 今日の午前中は、福島シニアライオンズクラブが申請して採択された「福島県地域づくり総合支援事業実行委員会」があった。知人に依頼されて出席することになったが、浪江町から福島市に避難して特に借り上げ住宅居住者に対する生活不活発病予防のためのリハビリ訓練、栄養障害防止のための口腔ケア、温泉を活用した生きがい健康づくり事業を行うことになっている。65歳以上で要支援と要介護1を中心としているが、高齢者の孤立化を防ごうとしている。
 午後、事業の説明と協力を行うというので、避難している方々の実情も知りたく、春日町借り上げ住宅浪江会の集まりに陪席。説明だけでなく、その後の馬場町長の話も伺ってきた。復興に向かう町の現状を丁寧に説明していて、大変参考になった。
 夜、テレビで映画「馬鹿まる出し」を見る。「無法松の一生」に通ずるものとの評価。山田洋次監督の作品。
 どうしてか、携帯のメールに、迷惑メールがわんさと来て、閉口。本当に迷惑をかけて喜ぶやつがいると思うと不快。対応するにも、いろいろパスワードを失念したりして、うまくいかない。他方、多賀城に開店する姪の店の宣伝をツイッターでしていたら、50人近くがリツイートしてくれ、近所の人も行ってみたいとの反応。見ず知らずの土地、何とかみんなに愛されて欲しい。メニューをブログに紹介した。(5/15)<12043>


◇ 月曜日、非常勤講師の日です。
 朝はやく義母を市内の医院に送って、引き返して講義の準備。「年金」についての講義ですが、いまの「社会保障と税の一体改革」が今回で論戦を繰り返しているので、まずは、現在提出されている年金関係の法案の概要をまず。現在の年金法の動きを伝えて、その後、そもそもの年金制度の話をした方が、問題意識と現状から出発していいのではと思ったのですが、どうだったか?学生の興味を引く内容にしたいのですが、どうしても平板です。何年やってもうまくいかないな。今日は国民年金法、厚生年金は来週です。
 帰り、本屋に寄り、新着の連絡がっあった労働関係雑誌(労働法律旬報)を購入。自宅生活年金生活者はには、定期刊行物をどう入手するか一つの課題。合わせて地元新聞社が編集した「報道記録集/福島の1年」も購入。女川周辺の津波の写真集は集めたが、福島の写真集は少ない。名古屋・仙台と続く講演で、写真などを紹介したいが。
 夕食後、福島フォーラムでの映画鑑賞(レイトショー)。井上靖原作の「わが母の記」。次女に教えてもらって見たいと思っていました。年老いた母親のイメージがなく(実母は48歳での他界)、大変だろうが、何か羨ましい感じもする。迷惑がられても、子どものためにも、長生きしてほしものだ。一緒に仕事をしている60代の男性。息子の帰りが遅い時は、いつまでも起きている実母の話を聞いて感動している。(5/14)<12024>


◇ 昨日12日(土)は、塩竈の孫宅に宿泊。
 昨日の午後3時から、女川で被災した姪が、多賀城に店(coffee & dining)を開店するというので、姉妹・従妹家族でお祝い会。私も予定に組み込んでいましたが、いい機会ですので、早朝出発して女川を目指しました。
 まずは、女川経由、尾浦の保福寺のつりびな飾りを見るべく参りました。大広間一杯に絢爛豪華です。いろいろお笑い芸人の出し物もあるらしく、お祭りです。好天のなか、多くの方々が見えられていました。女川への戻りの道、尾浦の浜、竹浦浜、桐が崎の浜に降りて、復興の様子を見てき来ました。以前来たときは、船すらありませんでしたが、多くの船の姿は見えます。復旧へ向けて動き出しているのでしょうか。建物は、まだですが海は元の海です。
 女川つながる図書館では、元木先生や山下さんに話ができました。正規の図書館ではなく、教育委員会の図書室ですが、絵本館とともに一般図書館としての充実を見つつあります。何とか、行政としても明確な位置づけをして、「図書館」としての名実ともの発展をして欲しいと思います。
 女川高校グランドに仮設商店街(きぼうのかね商店街)に立ち寄りました。木造で煌びやかさはありませんが、観光客(被災地の見学)向けのものが中心のようですが、ここから出発でしょう。昔の洋品店の店、軽食をいただいたが、出してくれた娘さんが大学卒業直後らしく、いろいろ話ができました。去ってからツイッターで挨拶がありましたが、この年齢段階の青年がいること、すごく励まされました。子どもとともに、元気な青年が支えて欲しいと思っています。交流が持てればと思っています。
 塩竈の孫宅によって、みんなで多賀城の店へ。開店は5月17日にずれましたが、立派に完成です。名前は「じゅげむ」。店の中、ベランダも含め30人ほどは入れそうです。メニューの多さに、大丈夫?と。どれも美味。味でリピーターを作って欲しいと思います。久しぶりに、カニピラフと白ワインを頂きました。孫宅に一泊。
 今朝は、宮城県美術館の企画展(世界遺産 ヴェネツイア展)をみるべく出かけましたが、仙台ハーフマラソンのため通行止め。いろいろ迂回しながら、48号線八幡町から川内経由で美術館へ。最終日なので、結構人が入っていました。マルコポーロを出した都。世界を望み、躍動的な都市の発展と美術に、しばし見惚れました。次の用事で、急いで東北道のICへ。
 午後1時に約束した新車の契約締結に、ようやく間に合いました。SAIの契約をしましたが、7月頃の納車になりそう。7月下旬の車検の時期に間に合えばいいのですが。というわけで、ようやく帰宅。明日から新しい週が始まります。(5/13)<11993>


◇ 金曜日。11日、大震災から1年2か月。あの時も金曜日だった。
 午前中、義母の開業医での診察のために送迎。10時から診察開始なので、予約もしていないので、12時頃までかかる。
 午後は、自宅でデスクワークをしながら過ごし、5時半頃に市内で行われる懇親会へ。役職を満期退職した方の慰労が主目的。高齢者中心ですが、みなさん元気です。
 明日は、多賀城で開店する女川の姪の店にお祝いに行く。その前に女川・尾浦の保福寺で開催されている「つるしびな飾り」と「つながる図書館」に寄ってきたいと思っています。久しぶりの女川の変容を見てきます。予告はしていませんが。
 塩竈の孫宅に集って、多賀城の店に行きます。親戚たちが集まるでしょう。孫宅に泊まって、その翌朝は宮城県美術館の「ヴェネツィア展」を見て、福島に戻りますが、車の購入の正式契約の場に直行。(5/11)<11962>


 

◇ 今日の午前は、ショートスティへのお迎え。
 週末が忙しく、月曜日は講義なので、講義の準備。コメント書きも、抑制的で、今までは16頁(A3裏表2枚)でしたが、8頁に収めました。コメントは質問事項以外は、書かないことにしました。
 夕方、第11回のフォーラム。事務局常連5人のうち、3人が休まれたので、会場設営などハードでした。岩下哲雄さんの「震災後の福祉・介護の現状と課題」をテーマに報告していただき、質疑応答。報告1時間の予定が、1時間半でハラハラ。何とか鈴木浩さんが司会で、うまくさばいてくれました。会場は、いつもと違う「チェンバおおまち」でしたが、30人の参加者があり、盛況でした。
 事務手伝いをしてくれた皆さんと、遅い夕食のソバを食べて、帰宅。(5/10)<11936>


◇ 今日は、買い替える車の見定めで、動いていました。
 今乗車しているマークXも7年目の車検が7月末に迫っています。4年間続いた副学長職の終わりが迫って、少し遠くのドライブを想定した購入でした。しかし、予定通りは行かず、さらに4年間の任務。少し、欲求不満でしたが、それでも通勤用の倍は走ってくれました。
 最近になって、トラブルが出てきましたが、11万5千キロほど走ってくれました。女川往復は300キロ。難点は、燃費。新車の時からハイオク専用で、1リッター8キロがやっと。震災時のガソリンがない時には、かなり不利。コーナーワークは良く、乗り心地はグートなのですが。
 車検前の購入。運転もそれほど高齢までは難しいでしょう。候補車はハイブリッド、プリウスかサイかの選択肢。試乗をして、少々値が張りますが、サイにしました。納入は生産が追い付かず、7月になるでしょう。今度は、果たせなかった国内のドライブに行きたいものです。
 明日はショートステイにお迎え、夜は第12回の復興支援フォーラムです。テーマによって、新たな出席者も来てくれます。県民の合意形成に向けては、小規模・歩みは緩慢ですが、継続は力、復興への支援になればと思っています。(5/9)<11912>


◇ 今日は、別に予定は入っていません。好天です。
 行こうと思っていた川内村に電話をしました。帰村宣言をし、役場が以前のように稼働して、新聞報道をみるといくつかの企業が進出して、具体的な事業復興と雇用の回復の道を動き出しています。ぜひ、その現状をお聞きしたいと電話をしました。114号線を通る道かと思いましたが、放射線の非常に高い津島を通るので、磐越自動車道から入ると教えられました。
 磐越自動車道の三春・船引ICで降りて、国道288号線、それを都路から399号線を南下するというルートです。399号線に入る地点を間違えたか、山の中。気持ちの良い5月の新緑と風ですが、ここが放射線で侵されたとは残念です(福島より低いはずですが)。なんとか399号線にのり、役場に辿り着きました。
 復興対策課の井出寿一課長さん、三瓶守衛さんに、詳しい説明を受けました。3000人の村民のうち、帰村した方は545人。今までは隣の富岡に学校・通院等依存していましたが、独り立ちをしなければならないこと。定住人口の拡大を掲げて来たが、雇用を確保しなければならないこと。店も19店舗あったが再開したのは9店舗。除染で200人の雇用を生み出しているが、大阪の会社の進出(20人雇用)、そして高校の廃校の校舎を使った工場進出。数は少ないが動き出している。
 双葉郡は、川内村の動きが成功しないと、なかなか展望が出てこないという意味では、キーポイント。作成中の「川内村災害復興ビジョン」を頂いて、今後、何度か通いますということ。福島大学のサテライトができる予定や、多くの教員との交流の実績もあるが、村長さんにできれば「ふくしま復興支援フォーラム」で話をしていただきたいと申し入れ。快諾していただいた(日程は詰める必要あるが)。遠藤雄幸村長にもお会いできて、福島大学の卒業生でもあり、ぜひ可能な連携を強化したいと話し合い。
 役場の後ろにある「かわうちの湯」。温泉好きにはパスはできない。午後1時からということで、限定時間で、かつ露天風呂は開いていないが、大浴場で、村の古老たちと一緒に入浴。温泉である。食堂は開業していないので、隣のコンビニで菓子パンの昼食。今度は、小野ICに向かい、山道をすいすい。間違わない一本道だが、油断すると対向車とすれ違うのが危ない。小野町は、懇意にしている職員の実家のあるところだなと考えつつ、ICへ。あとは一路福島へ。自動車整備工場で、購入する車種の相談をして帰宅。ちょうど仕事から帰ってきた妻とほぼ同時。一日、阿武隈山系の中をひた走り。気持ちよかった。役場の職員も親切だったし。
 お世話になっている他の首長さんから、懇親会のお誘い。復興に向けて、精神的に少し余裕ができてきたのかな。これからが地元の支援が大事。
 来週の講義の直前の時間が取れないので、学生の感想文のタイピング。中には、資源の無駄使いだから全員のではなく、限定してはどうか、余談の分を減らして本題をと、いろいろ耳の痛い話。3時間ぶっ続けなので、少し気分転換と思って脱線していたが、やはり不快だったのかな?少し簡素化して、淡々と本題を進むことにしましょう。学生の気質を、よく理解できていないのかもしれません。全体としては、いい気分で一日終了。(5/8)<11886>


◇ 連休明けの月曜日。午後からの講義の準備をして、11時までにショートステイに義母を送る。
 急いで、大学へ。受講生配布の資料3枚をプリント。非常勤講師控室で、おにぎりをほうばって、教室へ。連休明けなので疲れた感じですが、受講生は少なめですが、出席者は真面目に授業を受けてくれました。
 帰路、宇田自動車によって、購入新車の相談。見積書が届いてなく、また来ることにしましたが、今の車の車検が7月なので、それまでに購入しないとアウトですが、すぐに手に入れるのは難しいらしい。間に合うでしょうが。
 プリウスαか、サイか悩みますが、身の丈に応じて小さめの方になるでしょう。今のは2500t程なので1500tはかなり力が弱くなるかな。脱暴走です。
 社長の初孫、5月1日の誕生。おめでとう、良かったね。少し遅れると、社長の奥さんの誕生日(実は私の誕生日でもある)と同じだったのに。残念(?)
 帰宅後、穴澤親子と我々夫婦の飲み会予定。焼き鳥トッチャンに確かめたら、今日は肉が入荷なく、後日ということになり、他の近間の寿司屋を探す。結局、少し歩いて、「玉や清ずし」。次女の同級生の実家だったはず。
 穴澤さんの父親の方は、大学時代のセツルメントの同じサークルメンバー。私も妻も。昔の思い出話に花が咲く。息子さん(長男)は、たまたま大学で手伝ってもらっていて偶然知りました。笹谷の目と鼻の先に住んでいますが、母親は、妻と同じ仕事をしています。ペーパークラフト作家の息子さん、彼の力を生かして、事業化ができればいいのですが。私がマネジャーやってもいいが、なにせ芸術力ゼロ。小学校では、図工だけは成績悪かった。
 楽しい語らい。珍しくビールジョッキー2杯飲んでいい気分。帰宅して、こたつで12時頃まで寝てしまいました。これから、地域(笹谷)の店、地域の人との交流を深めるきっかけかな?(5/7)<11866>


◇ 連休最終日。天気がいいと思っていたら、午後から強い雨、雷鳴が轟いている。つくばでは竜巻の大被害。落ち着かない天候である。
 昨日の飲み会、先方から今晩はどうかと誘い。いいでしょうとた楽しみしていたが、店は開いているのか。ちょっと心配になって、サンダル履きで焼き鳥屋まで。
 残念でした、日曜・休日(3〜5日を除く)は休業。どこか別のすし屋にでも思っていたが、明日にのばしたらと言う。なるほど、ショートスティの関係から開く日。毎日、こんなことで時間を費やしているのかなと誤解されることも覚悟して、また明日に延ばさない?と再電話。結局、明日の晩になりましたが、店の予約は取っていない。貸し切りはアウトだが、連休明けの月曜日、貸し切りする人もいないだろうとまずは強気。
 近所の焼き鳥やさんは。10年以上のご無沙汰。笹谷に住む大学の同僚と、一緒に宴会(?)をやった記憶もある。亡くなった先生もいるが。住宅街で経営は大変でないのかなと思っていたが、頑張っている。まずは、店にもご無沙汰のお詫びの挨拶から。
 明日の講義(非常勤)の準備。受講生の感想文にひいひい言っている。何とか終了。あとは講義内容。明日の朝に続けましょう。(5/6)<11839>


◇ 子どもの日です。孫たちは来ていません。近くの友人に、近所の「焼き鳥や」で一杯と誘ったら、孫が来ているのでということで実現せず。
 なんだかんだとしているうちに、深夜1時が過ぎました。今日は、雑誌(法律時報)の論文の初校を送り、フォラームの世話人との打ち合わせ。かなり壮大な意見も聴けた。今後のフォーラム、どのように具体化していくか。
 夜、月曜日の講義のためのコメント書き。結構、書くことがある。まだ40人分くらいが残っている。しかし、「教える」ことは「学ぶ」こと。大変だけど楽しい。
 女川の図書館についての提案に対するご返事をいただいた。やはり外から、思いつきを言っていては、当事者に迷惑をかける。もっと内実に寄り添っていかないと。
 今日は泊原発が止まり、全国の原発は全て止まっている記念すべき日。
 再稼働の声が大きくなってきているが、再稼働では、福島は見捨てられることになる。あるいは、マズイモノにふたをさせられる。
 福島の教訓が生きていなければ、我慢しなさい、皆で福島を忘れましょうということになりかねない。
 福島は同情を期待する時期は終わりつつある。誰かに期待するのではなく、「痛さ」を感じた者が、「痛い!」と叫び、先頭に立って再稼働をやめさせなければならないのではなかろうか。
 被災地・被害者の「責任」と考えている。そんなことをフェースブックの中で、呟いていた。(5/5)<11821>


◇ 連休後半2日目。昨日の盛岡行き(帰宅は10時ですが)のせいか、少し疲れました。
 新聞の切り抜き(憲法記念日の新聞なので、全国紙5紙・地方紙1紙の憲法記事を読みました)、来週の講義の準備(というよりも学生の感想文のタイピング&コメンティング)、次の仕事の資料をみたり、あまり集中しなくて、また睡魔が襲い、グダグダと過ごしました。
 仙台の伊藤先生から、盛岡や山形の研究者仲間の健康を気遣う電話。明るい話ではありませんが、年齢とともに体にも異常が出てくるのは、私も例外ではありません。できることを楽しんでやるしかありません。
 双葉郡内でいち早く帰村宣言した川内村。新聞をみると事業の開始、雇用の場の創出の動きがあります。ドライブがてら生業と雇用の回復の状況をヒアリングすべく行ってこようと思い立ったが、休日に入るのは目的が達せられないかと思い、思いとどまる。ペーパークラフトの穴澤さん父子と、近所の焼き鳥屋で一緒に飲むかと誘ってみたが、この日の夜は仕事とか。と、なかなか思うようにはいかない。暇を持て余した年金生活者のようですね。
 夜、珍しく東北楽天のテレビ中継(NHK)。見てしまいました。5対0でソフトバンクに快勝。というよりはハラハラしない試合。ゲームは、やはりハラハラドキドキの緊張感が大事。夕方、昼寝をしましたが、心身の疲れが取れません。こんな時には、無理しないで休むことにしましょう。(5/4)<11798>


◇ 今日は5月3日、憲法記念日です。盛岡で講演を依頼されていたので、新幹線で盛岡へ。停電で遅れていたので心配しましたが、到着予定の10分遅れで盛岡駅に到着できました。
 憲法記念日のつどい「日本国憲法の視点から復旧・復興を考える」のテーマで、1時間半の講演です。「盛岡市プラザおでってホール」に90人余りが集まっていただきました。会場からは、地方自治体の形態の問題、食品の放射線基準の問題、復興の進め方、がれき処理の問題など積極的な質問も出されました。会場には知り合いの学長さんも参加していただき、申し訳ない思いです。話していて気持ちのいい集会でした。盛岡・岩手の雰囲気なのでしょうか。
 つどいの終了後、構成団体(岩手憲法会議・いわて労連・自由法曹団・県革新懇・憲法改悪反対共同センター・県平和委員会)の代表の方々と同会場で懇親会。東北レベルでの連携・運動の重要性を感じました。
 夕方、体調を崩している盛岡市の友人宅を訪問。いろいろ病状などについてお聞きしましたが、元気でしたので安心しました。病気につきあいながら、日々楽しく暮らすことを願っています。長居してしまいましたが、温かい家族に囲まれて幸せだなと思いました。雨の盛岡を去って、新幹線で福島へ。遅れて発車した新幹線に乗れてラッキーでした。
 近所に住むペーパークラフト作家の穴澤さんから、女川でのワークショップの提案。連絡していますが、やはり現地のニーズを確認して、進めたいと思っています。(5/3)<11782>


◇ 連休と連休の合間、しかし連休が続いているような気がします。
 今日は、誕生日ということで、孫たちから電話のお祝いコール、娘たちからお花(宅配便)。フェースブックをみると20人近くのお祝いメッセージ。ケーキは健康に悪いのでありませんが、年に1度の日です。重ねた年齢に笑われないように、日々を過ごしましょう。
 昼前は、明日の盛岡での講演のレジメつくり。いろいろありましたが、結局、大学の同僚・中井さんに頼んでしまいました。メール添付で送り、印刷をお願いしました。やはり、自宅生活は、原版は作れますが、大量印刷は難しい。研究室を離れて一番の不便です。まずは、この環境に慣れていかなければなりません。講演などの資料は、早めに作って現地に送ることです。いままでのような直前まで準備して、さっと印刷して持参する(講義の時と同様)ことは不可能です。自覚する必要があります。
 昼食の後、デイサービスに義母が行っている間、妻と土湯峠のイオラへ。連休が終わると、しばらく閉店。ホテルの休業の期間の閉店です。ここまで、原発事故の被害があるのは悔しいです。夏前の最後と思い、行ってきました。大きな浴場を一人独占です。
 帰宅後、大学へ。印刷をお願いしていたレジメを受け取りに。久しぶりなので、いろいろお茶を飲みながら長居してしまいました。いろいろ現職の方々は、課題が山積していて、気の毒です。何とか、厳しさを潜り抜けて、長期的展望をもった大学づくりをして欲しい。
 明日の盛岡は、講演もあるが、闘病している友人のお見舞いをしてきたいと思っている。アポイントを取っていないが、取れば遠慮するだろうし・・・。同じ被災地ながら、行く機会のなかった岩手県。出遅れたが、被災地の復旧・復興の姿をみる機会を作りたい。孫たちは、女川の商店街・図書館を見て、雄勝(石巻市)、志津川(南三陸町)まで足をのばしているようだ。(5/2)<11756>


◇ 冬と夏の同居のような4月が過ぎ、今日から5月です。
 五月の陰暦は「皐月(さつき)」。5月は好きなんですが、2日は私の誕生日。何か今日だけが、若い一日?、明日から年寄(確実に1つ重ねます)。
 5月2日は、なにかメーデーや憲法記念日に囲まれて、自己主張のない日にちのようですが、まあ、それもいいかなと思っています。
 小さいころは、「♪夏も近づく 八十八夜♪」の八十八夜が5月2日。女川では、ウミネコが産卵する日(?)だったか、孵化する日だったか?。
 お得意さんの自動車整備工場の社長の奥さまが5月2日生まれ、そして今や遅しと待っている初孫の誕生が、あるいは。そういえば、我が家の長女もほぼ同じ頃の予定日でしたが、2週間遅れで、なんと給料日。
 新聞を見たら樋口一葉は、今年生誕140年。誕生日が5月2日。そんなことを次女に言ったら、同僚にいるよ、ベッカムもだよ・・。とひろがる。
 そういえば、今日のデイサービスのお迎え車のナンバーは、502。一人喜んでいます。年金生活者は、暇だな。

 それはそれとして、5月は結構忙しいようだ。3日に盛岡での憲法の話、19日ー20日は女川に元気を送る会総会(東京)に出て、西宮の学会へ。
 26日は名古屋での話。6月2日は仙台での話と続きます。復興支援フォーラムや、シニアライオンズクラブから頼まれた浪江町から避難してきている高齢者に対する支援プロジェクトの立ち上げ等など。
 非常勤科目も、一番、力の入る時期。ご無沙汰している女川へも行きたいし・・。

 今日は一人宅勤。原発事故の事故調査委員会の中間報告などを読んでいると、勉強になります。
 力不足ですが、被災地からの発信を強めましょう。被災地の人間の責任です。5月は頑張る月にしたいですね。(5/1)<11728>



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