日 記

(2012年9月)


<今野順夫の部屋>

◇ あっという間に9月が過ぎてしまいました。
 29日(土)は、女川の復興まちづくり事業「着工式」に行ってきました。フリージャーナリストのIさんに同乗してもらって、「女川向学館」、「着工式」、「冷凍施設」、「女川つながる図書館」、「希望の鐘商店街」と、急ぎ足の女川見学。
 帰りは、多賀城の「じゅげむ」で夕食。近くの孫たち一家も合流しました。帰宅は午後10時。
 30日(日)は、台風の報道で占められましたが、家でゴロゴロしていました。9月の疲れが出たようです。8時前後から強い雨。石巻では避難者も多かったようです。明け方には雨も止んで、台風一過です。9月も台風とともに去りました。(9/30)<14753>


◇ 今日は、予定が無いので、土湯峠のイオンセラピー「イオラ」行ってきました。ホテルが、震災でお客さんが減少し、休業していたので、それに合わせてイオラも休業していました。
 少しずつ再開しているのですが、休業の合間の開店です。お客さんは少なく、大きな風呂も独り占め。ゆったりと寛いできました。11時頃出発し、15時の帰還。本当にのんびりしました。
 夕方、コープ本部に行って様子を見、明日の女川行きのためのガソリンを入れてきました。明日は女川の復興事業の起工式。フリージャーナリストのIさんも同行。女川をしっかり見て欲しいものです。
 ファンド団体・ReadyFor?の企画による、「女川つながる図書館」支援。今日の午後11時で終了。200万円の目標に対して320万円1千円。179人の支援者でした。プロジェクトが成立してホッとしました。あとは、女川で有意義に活用していただくことです。それ自体、大変なことですが、よろしくお願いしたいと思います。(9/28)<14701>


◇ 午前中は、県庁での会議。だいぶ涼しくなって、上着が必要。
 昼過ぎ、自宅に戻って、ゴロゴロ。塩竈の住民団体が、原発ゼロを目指して、飯舘の村長に打診して欲しいとのこと。連絡してみたら、新幹線車中。快く引き受けてくれた。有難い。福島の被災の経験は、繰り返し発信していく必要がある。
 夕方、ふくしま復興支援フォーラムの例会。今日は、国会事故調査委員会に出ていた、蜂須賀禮子さん(大熊町商工会長)の話を聞く。現地の生々しい状況と、国会の(事故調)の関連がよく理解できた。事務局で夕食をして、帰宅。氷雨の小雨。
 フォーラムも今日で20回目。20回までは続けると言ったが、あと2回分の予約がある。おいそれとやめることもできないが、出版など、外への発信の必要性が叫ばれている。どう具体化するか、思案のしどころ。(9/27)<14674>


◇ この頃は、日記を毎日夜、打ちこむ習慣が忘れたのか、翌日になって気が付く。昨夜も忘れてしまった。いろいろ考えて、気がつかないのかもしれない。脳のキャパが小さくなったのかな?行事の返信をすぐやらないと、頭の片隅には残っているが忘れてしまう。その封書を探すが、なかなか見つからない。(確か経済の同窓会の返信はがきがあったはずだが、見つからない)。第1の教訓は、受け取った時に締切り見て、「あとで」と思っていると忘れてしまう。受け取った時が勝負、出欠の返信・送金手続き。これは最近の教訓。
 昨日・火曜日は、ケアマネジャーの来訪があるというので、(お客分の駐車場がない)コープ本部へ。下請法の勉強。
 午後、シニアライオンズクラブが主体の、浪江町の借上げ住宅住民に対する支援のための実行委員会に出る。住民の要求・状態も変化しつつある。変化に沿った支援が必要な気がする。年度内の計画だが、残された半年、計画・実行が充実されることを期待している。
 大学に、明日のフォーラムの印刷した資料を受け取りに行く。控室にいると、元同僚が次から次へと寄る。懐かしいというよりは、昔の延長。みんな元気でいい。
 帰宅途中、本屋によって、予約雑誌の受け取り。雑誌は、だいぶ整理したが、なかなか読めない。今後のフォーラムの体制・方向、女川のこと、いろいろ考えることが多い。身の周り(机の周辺)を整理しながら、当面は、10月中旬の学会報告の準備に集中することにしたい。(9/26)<14631>

 午前、自宅の机の周辺を整理しながら、下請法関係の論文の掲載されている最近のジュリスト特集号を読みたくなる。大学だとすぐに図書館で済むが、県立図書館に行く。配架されている場所は不案内だが、意外と見やすい所にある。1年分くらいの新刊中心の配架(あとは書庫か)で、肝心のところをソファーで読み、コピー。それも有料ではあるが、便利である。自宅を基地にして生活する人間としては、研究の条件が備わるのは嬉しい。この生活に早く慣れないと。現職の時のように、会議に忙殺されることはないのだから。
 「女川つながる図書館」支援のファンドは、300万円を前に少し躊躇しているようだったが、あっという間に4人の方が支援を申し出てくれて、いま302万1千円。支援者も164人になりました。心温まるメッセージもあり、感動的です。ホッとしました。(9/26)<14644>


◇ 今日は月曜日、昨日(日曜日)の女川往復は、少し疲れました。帰りは雨の高速道。神経が疲れます。
 朝、二女が新幹線で到着する時間にあわせて、仙台宮城ICで降り、仙台駅東口へ。5分前ほどの到着。45号線をまずは多賀城へ。姪の店「じゅげむ」に寄って、食事。長女一家5人も集合。賑やかなランチ。新人・孫坊は、すぐ抱っこさせてくれるから嬉しい。

 二女を乗せて、仙台港北ICから女川向け快走。少し時間があったので、女川つながる図書館に立ち寄る。「サンマ祭り」のせいか、職員以外は居なかったが、いろいろ図書館の様子を聞く。仮設住宅を回る移動図書の方は、ずいぶん待っててくれるが、この図書館は少し遠すぎるか。巡回バスとの連携もお願いしているが、可能かどうか分からない。図書館機能としては、この場所だけでなく、移動図書館、そして小学校の傍の「ちゃっこい絵本館」。この3つが図書館機能と言っていいのだろう。まあ焦らないで、期待することにする。

 旭が丘の住宅街を見て、病院へ。スイスの赤十字の支援で修理した「女川町地域医療センター・輝望(きぼう)の丘」。町立病院から、指定管理者のもとで運営されるようになった(地域医療振興協会)。病院から診療所(19床)と介護老人保健施設(100床)のぞみとなった(通所リハビリ40名)。いろいろ案内を受けたが、1階2階は診療所部分、3階4階は老人介護保健施設。何よりも、2階から4階のデイルームがいい。女川湾を真下に臨む。赤い灯台をもぎ取った津波の恐ろしさを忘れたわけではないが、外洋を望む女川の湾は美しい。私を育てた原点である。女川の出身の画家・佐藤幸子さんの仏像の「絵」。津波をくぐり、立派に修復された。

 病院を去って、隣のFMスタジオを覗く。ツイッターで、そのうちに図書館造りのインタビューをと言われていたので、挨拶。雨の中だが、サンマ祭りはまだやっているというので、会場へ。大雨のせいで大変だったが、サンマはすでになく、ライブコンサート。同級生の精一君がいるよというので聞いたら、今帰ったばかりと。電話をしたら、ずぶ濡れになったのか、風呂に入っていたので、残念。

 後は、福島に向かうが、小腹が減ったので、また旭が丘の「金華楼」で中華そばを食べてから帰ろうと寄る。あれ、半分閉めている。覗くと、奥さんが今晩は閉店と×サイン。これからサンマ祭りの「打ち上げ」があるという。店の中に同級生の店主・弘孝君がいて、例外で中華そばをもらう。奥さんは、同級生の岡君の妹らしいが、小さいころの思い出はない。お腹を満たして蒲鉾店・高政へ。福島でのサッカーのときにご一緒した息子の部長さんに会いたかったが、サンマ祭りにいるらしい。お土産に高政の蒲鉾(訳ありもの300円)と、高政以外のリアスの詩や、精一君の店の出荷品、YK社のものも購入して帰る。女川の産品が増えることはいい。
 帰りの一人、雨の高速道は疲れたが、休むことなく8時前に帰宅。興奮の一日だった。

 今日は、雨と時間調整ができず、二人を乗せて、まずはデイサービスへ義母を送り、そのまま妻の仕事場へ。帰宅して、木曜日のフォーラムの案内をメールで出すが、どうもうまくいかに、途中で、パソコンを変えたが上手くいかない。やっと上手くいったと思ったら中途ダウン。再三繰り返してやって終了。その結果、一定のグループの人には、同じメールが3通行ったようだ。怒られるかな。謝りのメールを出すと、またメールが増えるので、やめた。妻を迎えに行って、帰宅。コープからいろいろ気を遣う問題の連絡もあり、いろいろ調べて、また雑誌コラムの校正をやっているうちに夕となる。一日は早い。涼しすぎるので、ストーブをつける。

 こうして打っている時に、大学1年先輩(妻の親しい友人)が、今朝、亡くなったとのファックス。新聞記者だったはず。早すぎる。悲しい。ご冥福をお祈りします。(9/24)<14596>


◇ 今日はめっきり涼しくなった。汗をかかないだけでもいい。
 午前中は、コープふくしまの常任役員会。今までの努力で、経営の改善もなされているが、今後の消費税下の中で、どこまで継続できるか、真剣な議論が展開される。固定観念と前例に縛られない、展開が必要なのだろう。打開の道は、いつも暗い。暗中模索のなかから、光を見出さないと・・・
 明日の女川行きの準備をしながら、仕事は小休止。夜、吉田茂のドラマを見る。みんな若いので面白い。誰しも、子ども時代、青年時代、壮年を経て、高齢期に入る。淡々と辿り着いた道ではないのであろう。(9/22)<14572>


◇ 東京での講演を終わって、自宅に辿り着いたのは午後10時。昨日は、遅くまでかかったのと、準備不足であまり寝れませんでした。こういう時に不勉強が祟ります。
 朝、7時10分に自宅を出て、まずは妻を福島駅西口・バス停まで。盛岡への出張。同じ仕事をしている多人数の道中。一泊である。
 自宅に戻ってプリントして、9時47分発の新幹線。東京海洋大学なので、京葉線で越中島駅下車。(福島駅で、この名前を「こしなかじま」といったが、本当は「えっちゅうじま」。福島の連中は、ほとんど間違って読んでいたようで、笑い。)
 国公立関係の組合、全大協の「第24回教職員研究集会」。いわゆる『教研集会」である。毎年1回、3日間の予定。開会集会の記念講演なので、頭を抱えていた。主催者の要望に従ったテーマ(今集会のテーマでもある)「大震災・原発事故を教訓として『公共』と『共生』のあり方に高等教育はどう応えるのか」が講演題。震災の現地報告と大学に対する期待でいいかなと、安請け合いしたが、ポイントは、「公共」(新しい公共)等にあったようだ。皆さんの期待に沿った深め方をしていないので、心苦しい。まあ、何とか終了。ホッとしました。
 夕方の交流会に顔を出すことにしていたので、分科会に出てみた。法人化の中での財務状況の問題。極めて詳細で、議論が細かくなっていくので、大変だなと感ずる。それと猫の目のように大学財政制度が変わる。これでは、長期的展望をもって、対応するのは難しい。
 交流会は、福島大から出席している皆さんと一緒に懇談。昔に戻ったようで楽しい夜だった。(9/21)<14553>


◇ 木曜日。小雨が降ったり、涼しい一日です。
 午前、義母をショートスティに送り、午後の県庁での会議。時節柄、会議が続いています。
 女川の図書館への募金、クレジット決済の方法になれない方々もおり、直接、私の方に現金を送ってきて、私が身代わり決済。お蔭で200万円目標に対して、現在286万余。少し出来過ぎです。目標達成額に達した後、一旦、止まったかと思えたが、また最後の支援か、伸びています。有難いね。
 10月20日、東京日比谷公園での女川サンマ祭り。瓦礫処理を引き受けてくれた東京都及び関係者に対する感謝デー。10万トンの瓦礫処理に対して、10トンのサンマ。ツイッターやフェースブックで紹介したら、すぐに3人で手伝いに行きたいという女性の方からの問い合わせ。9月23日の現地女川でのサンマ祭り、29日の復興事業の起工式。女川に行くことが多くなりそう。
 もう少し、明日の東京での講演の準備ができるかなと思いましたが、どうしても落ち着いてできません。今から、就寝までが鍵。テーマが難しかったが、弱音を吐かないで、眠気に負けないで、頑張ることにしましょう。終わった時の爽快感に期待して。(9/20)<14535>


◇ 特に予定のない一日。久しぶりに、量は多くはないが小降りの雨。
 自宅での仕事、何とか講演のレジュメと雑誌コラムの原稿送信。暑さのせいか、体調が好調とは言えないので、休み休み。途中、銀行に出かけ、家族の送迎以外は特になし。
 尖閣諸島をめぐって、日中間がギクシャク。中国の日系工場の工場の休業は、コープを通じた消費にも影響の可能性がある。日中間は、日常的な経済活動に影響するほど密接な関係。Facebookには、テレビの反日デモに隠れた、暴動のエスカレートを憂慮する中国人の勇気ある行動がシェアされている。単純な中国観に短絡しないようにしないと。(9/19)<14521>


◇ 連休3日は過ぎました。休んで体調管理と宿題をやる予定は、なかなかできません。土曜日は仙台、日曜日は1周忌、昨日月曜休日は、松川無罪確定記念事業実行委員会。
 昨日の会議に、久しぶりに東京から臼井さんが来てくれて、終了後、しばらくお茶を飲んで雑談。現役で東京で頑張っています。
 松川は最高裁無罪確定の50周年が来年の9月12日。その前後に、行事をやろうということです。学長時代に事件発生60周年記念集会を大学で行いましたが、どう継承させるかが大問題。松川事件の当事者も含め、運動の担い手の元気な姿が集まりましたが、どう継承していくのか難しい問題です。特に教育現場でどう扱われているのか、どう扱うべきか、冤罪事件問題へのいかなる教訓を継承すべきか、まさに現代的問題であろう。それにふさわしい行事であるべきと思います。
 雑誌コラムの原稿送付と、金曜日の講演のレジメの送付は、今日の約束。朝、義母の病院への送迎後、さて取り掛かることにしましょう。昨夜は、図書館への大口の寄付をしてくれる同級生と電話で話す。カードの上限金額があり、思い通りにはいきませんが、何とかなるでしょう。(9/18)<14499>


◇ 日曜日、社会的には三連休の中日です。火曜日には、金曜日の講演のレジュメと雑誌のコラム欄の締め切り。しかし、毎日何かあります。
 「女川つながる図書館」への支援プロジェクト(ReadyFor)の目標額200万円が、なんと達成しました。あと1000円。それを狙って支援のクリックをしてくれた方がいました。あとで分かったのですが、多賀城に避難している姪の同級生。みんな応援して、何か達成がみんなの喜びになってくれて、それ自体感動しました。支援をしていただいた方々の温かい眼差しとともに。
 昨夜の最後は、194万9000円。今晩では、208万1000円。なんと13万2000円の延び。目標額に近づくと伸びが急速です。図書館の職員も大きな関心。また議員さんも。いやー、私だけ、やきもきしていると思っていましたが、間違いでした。目標は額面の達成だけではなく、こうした運動に女川の人々が共鳴し、達成感を持ってくれたこと、また自信を持ってくれたことならば、それこそ本望です。支援者130人を、できれば200人に伸ばしたいし、300万円に近付きたいですね。28日までにはまだ時間があります。細やかな経験だが、女川の人と、そして女川を支援してくれる人と、連帯感ができました。
 午後、元学長の篠笥(ささき)先生の1年祭。1周忌です。昨年9月20日のご逝去でした。元同僚、教え子、運動の仲間など、多くの方が出席しました。告別式とは異なり、故人の様々なエピソードなど、これはまた心温まる集いでした。本当に多彩な人生でした。私は単純明快なので、羨ましくなります。もう少し、長生きしてほしかった。80歳前半では早すぎる。私は、義母のショートスティに行った時、偶然、お会いしました。普通に話ができて、「女川の津波」の話をしてくれて、「今野君は、逃げ足が速いので、大丈夫だと思っていたよ。」と。福島にいる私が津波に巻き込まれることはないが、何か、意味深と思いました。いつも、ニコニコしながら本質的な話をする先生だったなと思いだしています。
 少し睡眠不足なので、もう休むことにしましょう。(9/16)<14461>


◇ 忙しい土曜日でした。朝イチは、定期の通院。値が少々悪くなりました。高値安定ではありますが、少し悪化。気を付けないと。やはり運動不足か。主治医は、暑くてねと慰めてくれましたが。
 少々、早めに終わったので、欠席予定のコープ常任役員会へ。今日から名前が変わりました。もっともっと叡智を集められるようにしたいと思います。遅刻して中座するのですから、良くありませんが、急いで福島駅へ。12時29分の臨時の新幹線に乗りました。いつもこの電車があるといいのだが。
 仙台・川内での研究会、判例研究の報告。朝になっても準備が終わらず、半分諦めでしたのですが、参加者がフォローしてくれました。準備の不十分な研究会にわざわざ時間を費やすのは申し訳ない。常日頃の勉強不足が効きます。早めの終了と夜の予定の間が開きすぎたので、友人たちの夕食懇親に付き合いました。肴処えんどう。いろいろ珍味をいただきました。店主は、相馬出身とか。
 女川つながる図書館へのファンドの支援で知り合った方から、読書普及協会の懇親会で募金を訴えるよう持ちかけられたので有難く、参加。図書カードをいただき、また募金への協力を訴えさせてもらいました。女川の小学校同期生の経営する串専門店「串正」に立ち寄って、また駅からまた友人宅へ電話。帰ってきて、静岡の同級生に返電(今日、来ていた)。図書館の募金支援に関するが、まあ、それを通じて近況の確認か。お陰様で194万9千円(97%)まで到達。明日には目標額に達成することでしょう。額とともに、支援者数も目標を大きく超過することが楽しみ。期待して、明日を迎えましょう。(9/15)<14445>


◇ 昨日13日は、外に出ずっぱり。10時半からの県の会議に参加して、杉妻会館で昼食を共にする。いろいろ女川図書館へのご支援をいただき恐縮。申し訳ない。しかし、心をかけていただき有難い。こうした日記などで、自分の行動を公開するのが不思議がられたが、まあ、昔から日記(3年日記とか)をつけることを何度も挫折していたので、こうした一定の緊張感は続けることに必要かも。
 プライバシーを懸念するが、それほど秘匿すべきものはない。ただ、プライバシーについては、秘匿していたはずが、他人に暴かれる(?)時のショックはある。効用もある。過去の行動で、飯舘村に入ったのは何時かとを思い出すのは便利。老化のせいか、すぐ忘れる。今日は、女川に行くと書いていると、仙台の友人が女川に来ることを知っていて、連絡を取ってくれたり。まあ、害もあるかも知れないが、今のところは気にならない。他の人のプライバシーを侵害しない限りは。まあ、しばらくあってない人には、「生きているよ、元気だよ」と伝える効果も。しばらく休むと、病気なの?と心配の問い合わせがくる。まあ、しばし、自分の備忘録として続けることにしましょう。
 午後、駅前の「チョコラボ」で、10月始めに福島で開催される災害復興学会の現地実行委員会。形式的ではあるが、私は委員長。ほとんど学会の事務局と福島の事務局が準備しているが、スムーズに学会が運営できるよう、支えることが課題。
 一旦、自宅に戻り、図書館基金関係の事務処理をして、夜のふくしま復興支援フォーラムへ。呼びかけ人のほとんどが参加できないので、いつも出席してくれる方に、お手伝いを頼んで助かった。有難い。会津若松に帰る人たちとソバの夕食。そういえば、昼飯も会津若松の方、そして夕食も同じ。何か会津に縁のある日だ。
 今日は、午後、コープの定例理事会。明日は仙台の研究会での判例報告。ほとんど進んでいないので、今日は急ピッチ。本当に要領が悪くなった。嘆かず進みましょう。(9/14)<14415>


◇ 今日は妻の誕生日。何回目かは、個人情報だが、外に出た帰り、イチゴのショートケーキを3個買ってくる。3個は、義母を含めて3個である。いつもはマロンケーキが私の定番なんだが、お祝いには向かない。やはり、お祝いは紅白だ。それと少し安い。この際、糖尿病警戒は忘れることにする。
 義母も、おはぎとケーキには目がない。いつもより大きな口を開いて、頬張り、美味しそう。イチゴは、少し酸っぱい。孫だとあっという間にイチゴだけを取ってしまうが。
 知人の訃報を知ったばかりで、それと比較すると、思えば「長く生きたもんだ」。お誕生祝いは、それで終わりだが、来年も何事もなく迎えたいものである。

 図書館支援は急ピッチに伸び始め、166万円で達成率83%。こうなると金額だけでなく支援者数も欲しくなる。
 こうした図書館、そして読み聞かせは、行方不明のままの姪(容子)が、一生懸命やっていた。女川に入って、多くの人から彼女が中心になってやっていた話を聞く。こうした、特に子どもたちが本に囲まれている姿は、彼女の願い(遺志)だったと思う。そうすると、ご無沙汰している彼女の友人たちに、こうした運動を伝えたく思い連絡先を聞く。
 パソコンを新しくした時に、メールなどが見えなくなってしまった。彼女の夫君に聞き、石巻の友人に電話。そして大変お世話になった、岩手・雫石のペンション経営者に、ホームページを手掛かりに電話。「1年半経ったんですね」と。この間も、元高校の先生など、女川まで来てくれたらしい。何も対応できる環境もなく、大変心苦しい。有難い。
 3人は、遺体も探せないまま、1年半が過ぎた。何か、時間が止まったような気もするが、生き延びた者は、死者の分まで生きなければ。死者を悲しませてはならない。前を向いて、溜まった原稿と研究会報告・講演の準備に勤しむことにしよう。明日は午前中から県の会議、福島で行われる復興学会の実行委員会、そして夕方フォーラム。午前・午後・夕の三レンチャン。焦るべし!(9/12)<14396>


◇ 昨夜知ったが、心の置き場がなく、朝になって書いている。母校仙台一高の同窓会から「会員名簿」(平成24年7月)が届いた。膨大な冊子なので逐一見ていないが、自分の情報の間違いないことを確認したままになっていた。昨夜、同窓会名簿を見た妻が、「鈴木隆城さんが亡くなったのね」と、ビックリの情報。
 隆城さんは、1年上だが、一高の補講科に通っていて妻とも知り合いである。私の方は、仙台二軒茶屋の下宿(二関宅)で、多分3年ほど同じではなかったか。私の高校2年から大学2年までの期間であるが、3人の三食付の下宿で家族的雰囲気。4畳半1間の3つの部屋が並んでいたが、庭には多彩な草花が咲き乱れていた。歴史専門の大学生の入間田さんを含めて3人である。
 隆城さんは、気仙沼のお医者さんの息子さんで、医師志望で仙台に出てきて、福島医大を卒業後、仙台や石巻赤十字等で勤務していたはずである。若い時は、私の結婚式にも出ていただいたが、その後はなかなかお会いする機会がなかった。私などと異なり、お医者さんの息子さんなので、礼儀正しく、清楚で、繊細な気持ちの方だった。
 驚いて、インターネット検索機能を使ったら、福島医大の卒業生で亡くなった方の名簿が出ている。17回生。今年の2月のご逝去。病気とも聞く機会もなかったが、本当に残念である。多分68歳である。元気なうちに、お会いしたかった。気仙沼の津波(階上)はどうだったんだろう。自分のことで精一杯で、なかなか気を配れなかったのは、残念。今は、お会いできず、また遺族の方とも面識はないが、何か情報があればと思いだしている。今としては、安らかな眠りをお祈りするしかない。
 同窓会名簿も、末尾の物故者名簿の数が多くなってきた。350名の同期生のうち39名。同窓会名簿を見て、知るのは悲しい。(9/11)<14375>


◇ 昨日、日曜日は、義母をショートスティに迎えに行って、昼。ここ数日のの行動で、少し心身疲れたのか、自宅でゴロゴロしていました。ゼミ卒業生の就職の問題のことなど、相談が来ますが、メールを通じてなので、うまく伝わらない。メールを最大限利用しているが、精神的な問題など微妙なときは、メールは使いたくなる。
 今朝は、2時頃目が覚め、仕事をしなければと思い、机に向かう。間接的に、ファンド関係の新着情報への情報がきて有難いが、アップしようと思ったら、写真が上手くいかない。添付のファイルが、エクセルに貼り付けた写真。これを写真のファイルとしてアップロードするには、独自の写真として引き出さなければならない。
 ツイッターでやり方を聞いたら、知人がすぐに回答。深夜である。なかなかうまくいかないとの報告をして、Facebookで、ファイルそのものを貼り付けたら、取り出して送ってくれた。ありがたい。ということで、夜中から朝、夜更かしというか、朝更かし。結果は、それほどのことではないが。一件落着。
 今日、月曜日は、コープの仕事で、川内村に3人で行く。帰村宣言している川内村だが、買い物が大変とは聞いている。いままでコープは川内村には付き合いが少ないが、店はともかく、共同購入の活動を展開できないかとの相談へ。村長や、商工会長と会って、期待していただき有難い。帰村した村民の生活の実際に支援になればと、期待する。経営上のこともあるが、それが住民の生活改善になればいいなあと思う。
 自力で経済復興が期待されますが、雇用しようとしても人が集まらない、やめていく。一番の問題は、除染活動の時給が1300円ほどと高く、そこに流れているらしい。それに対抗できる時給は出せないが、一時的な除染就労も必要だが、村の自律的産業復興がピンチ。折角、進出してくれた企業が人が集まらない。それに見合う帰村が未だし。なんとか解決しないと。(9/10)<14364>


◇ しばらく日記も途切れがち。日記を書くのもファイトが必要なのでしょうか。
 一昨日(6日)は、東北北海道の人事委員協議会で、盛岡に出張です。10時過ぎの福島発の新幹線で盛岡へ。午後の会議では、各道県の取組みが詳細に報告されました。積極的な取り組みには感動します。自らの頭で考えて、何が必要か、試行錯誤の努力が分かります。どうしても、慣行が出来上がっている場合には、その前例に踏襲になっています。設定されている役割を、自覚的にとらえて、環境の変化を直視しつつ、悩むべきでしょう。
 いかなる業務もそうですが、前例踏襲という麻薬には気をつけなければなりません。一度、「常識」とされていたものを疑って、結果的に前例も踏まえて、悩むべきでしょう。前例踏襲に安易に依存する気持ちは、私にもあります。どこか責任逃れのような気もします。そうした前例を作ったものの責任と思いがちですが、前例を踏襲した者の責任は、前例を作った者と同じ責任を感じるべきでしょう。しかし、常に「新たに」考えることは、皆さんには「迷惑」をかけて効率的では無いのかもしれません。まあ、一言。「弁解はやめましょう」
 昨日は、岩手の被災地の職員の職務遂行の実態に触れるという趣旨で、宮古周辺の職員の活動、ならびに被災地の現状視察のバス旅行。宮古の合同庁舎で、救援や復興に向けた取組みを拝聴。その後45号線を北上、仮設住宅(愛宕地区)視察、田老の防潮堤。昭和8年の防潮堤は残ったが、それとX字型に作った新しい防潮堤は、破壊されている。古いのは、津波を分散させるものだったが、新しいものは、津波を防ごうとするもの、結果的に防げず、大被害。自然に対する人間の驕りなのだろうか。その意味で、防災から減災という転換は、理解できる。絶対防げるのではなく、防げない場合もありうることを想定して、いかに逃げるか・・。想定外とされる場合には、特に重要と思われる。
 いつもは会議のみの付き合いの委員の皆さんと、長い時間、駄弁ることは、いろいろ新鮮で楽しかった。午後7時頃帰宅。
 今日(8日)は、午前中、コープの常勤役員会。中座して、県労福協創立50周年記念式典及び祝賀会への出席。コープふくしま理事長としての出席。参加団体である。福島市長や県知事も出席。知事から、コープふくしまの陰膳方式等の取組みの評価をいただき嬉しい。午後2時過ぎに帰宅し、塩竈の孫宅に。明日が誕生日だが、今日、前倒しで出かける。3人ともそれぞれ、成長している。帰りしなファンドについての長距離電話。またゼミ卒業生からの相談。旅先でも、話ができるのは、携帯電話のお蔭か。
 9時過ぎたが、途中、「じゅげむ」の立ち寄って、暫しコーヒーとワイン(妻のみ)。夜も混んでいたので、良かった。帰宅は深夜11時半。(9/8)<14336>


◇ 昨日(4日)は、特に用事もないので、自宅に蟄居。体調がいま一つなので、ゴロゴロしていた感じ。鼻水から喉・咳に変わっているので、やはり夏風邪かな?だいぶ良くなっているが。
 今日は、午後から県関係の会議。明日から盛岡出張。会議終了後、宮古方面の被災地に足を延ばす予定。復興の息吹を感じて来よう。
 というわけで、午前中、締切りすぎた小原稿2つ、少し目途を付けるべく机に向かっている。(9/5)<14271>
◇ 懐かしい友と話が出来た。女川の時にバスケなどで一緒だった智明君。恥ずかしながら、図書館のファンドへの協力をお願いした携帯メールを送っておいた。たまたま携帯のメールアドレスを登録していたので、お願いした。(電話をかけるのは恐れ多いが、メールだったら読み流しもあり得るだろうと気楽に)ホームページの場所やカード決済の方法、ややこしいので問い合わせの電話。何とかPCのメールの交換もできた。早速、支援の申し出をしてくれて、到達度が上がった。申し訳ない。こんな恥ずかしいお願いを通じて、懐かしい声も聞くことができた。
 目標額の60%近くまで来たが、約束しているものを考慮すると85%くらいの到達度か。後は15%(30万円)が頑張りのしどころ。15日に仙台の研究会(報告)がある日、読書講演会が行われており、主催者からファンドを訴えないかとのお誘い。その時の状況にもよるが、研究会の報告の合間に、セールスに行くかもしれない。「求めよ・・・」でなければ進まないかな。
 午後、県の会議に出て、大学にフォーラムの際借りたパソコンを返しに行き、給油をして、コープで書類の作成。夜は、「花は咲く」の放送を涙流して聞き、結局、朝、机に向かっていた仕事の半分も出来ていない。銀行に行くのを忘れていた。明日からは県の仕事で盛岡出張。翌日は宮古の視察。岩手県の被災地現場を見ていなので、遅かりしだが、復興の息吹を感じて来よう。宿題は、ホテルと列車でどのくらい出来るか・・・。(9/5)<14284>


◇ 花粉症か、夏風邪か、鼻水が止まらず、大変な一日です。
 デイサービスのお迎えの時間では、遅くなるので、自家用車で送っていきました。まっすぐコープ本部へ。月初めの月曜日は、毎月、本部職員の朝礼。理事長挨拶がある。車の中で、どんな話をするか考えていたが、あまりまとまらず。
 酷暑の8月を経て、やや涼しくなったが体調の管理に気を付けて欲しい旨、まずは挨拶。主には、消費税の話をしました。一般的なこととともに、コープの経営への影響の懸念。組合員の生活を守るということと、従業員の労働条件を守る努力を前提に、様々な乗り切る知恵を出してくれるよう頼みました。
 従来の経営の改善だけでなく、新たな業務の拡大。女性中心の生協活動は、家事労働が女性に負担をかけていることの反映であるとともに、男性の要求を反映するような活動や業務も考えてもいいのではないかと。生協の強みは、組合員や従業員の意見を反映すること。この有利さを最大限生かして、難局を乗り切る準備をしたい。という趣旨。
 具合が良くないので、早めの帰宅。午後1番に、福祉会の方の来訪。10月末の社会保障等の講演の打ち合わせ。社会福祉担当者に社会保障・社会権・公共の福祉の話をするのは、緊張。少しでも仕事を支えられる話の準備をしたいものである。
 夕方にかけて、体調回復のために横になる。図書館に大口カンパしてくれる同級生から電話。持っているカードが対応できないので、銀行に行って、(庶民用の)カードを作ってから送るので、気を揉まないように・・。本当にありがたい。というわけだが、早く体調回復することを最優先へ。とはいうものの、9時からヘップバーンの「ローマの休日」がある。見ないで寝るほどの勇気はない。早く寝ればいいのに・・。(9/3)<14238>


◇ 9月に入りました。昨日(1日)の午前中は、コープふくしまの常勤理事会。いつものように各部門の経営状況の報告を聞きます。
 会議は早めに中座して、松島向け出発。法律関係の研究合宿。
 途中、多賀城の「じゅげむ」(最近『月刊復興人』11号7頁に紹介されました)に立ち寄り、昼食を食べ、松島のホテルへ。国道45号線で、意外と多賀城ー塩竈ー利府ー松島と近いのに気が付く、最近はほとんど三陸道しか走らないので、風光明媚な松島湾を見ながら走るのは気持ちがいい。
 研究会開始の午後2時前に到着。法律の研究会だが、法学の専攻を超えた研究会。国際法、日本法制史、そして私の労働法の報告。準備が十分でなく恥ずかしい限りだが、震災における雇用の課題について、法律時報の拙稿をもとに報告。11人の参加だが、川崎夫妻・神戸さんらの関西勢力を含むが、その他は東北。しかし、定年退職者は私を含めて3人。ここも高齢化から免れない。
 夜は、久しぶりに逢えた皆さんとの夕食(懇親会)。ホテル松島大観荘。魚の豊富な料理です。夕食後は、入浴、そして二次会。午前1時頃まで、歓談。

 今日(2日)の午前、研究会の継続。憲法、刑事訴訟法と続き、興味あるテーマ。求められた労働判例のコメント、不勉強のせいで、対応できず赤面。常日頃の判例の勉強、継続しないと。12時にホテルを出て、仙台に向かう神戸さんとともに、多賀城の「じゅげむ」での昼食。孫たちが帰宅するのの時間調整。偶然、女川の姪(長女・訓子)も立ち寄る。
 孫宅で、しばし遊ぶ。先日、一番小さな孫は、お爺ちゃん似だと塩竈の人から言われて、信じがたいが嬉しい。大泉の「孫」の歌詞にも出てくるが、似ていると言われると、可哀そうにとは思うが、何か嬉しい。「分身」のような気になるのかな?
 帰宅のドライブ、やはり、昨夜の夜更かしが立ったのか、眠い。鼻水が、未だ止まらず、夏風邪か、花粉症か。喉も痛い。昨夜のホテルのクーラーがきつかったかな。涼しかったが、寝込んだりしないように、早めに休むことにしましょう。
 女川の図書館への地元の人の期待の声をお願いしていたが、送っていただいた。なんと、福大卒業生の声。震災の状況と図書館との関わり、会う機会がなかったが、心が温まる。達成率54%、111万2千円となった。少額のコースと多額のコースを追加したので、目標の達成と支援者の拡大を同時にできればいいなと思う。きちんとした、事前の相談を経なかったのでご迷惑をかけてしまい、スマホからのお詫びと弁解のメール。丁寧な作業が必要。(9/2)<14230>



<2012年8月> ・<2012年7月> ・<2012年6月> ・<2012年5月> ・<2012年4月> ・<2012年3月> ・<2012年2月> ・<2012年1月> ・<2011年12月> ・<2011年11月> ・<2011年10月> ・<2011年9月> ・<2011年8月> ・<2011年7月> ・<2011年6月> ・<2011年5月> ・<2011年4月> ・<2011年3月> ・<2011年2月> ・<2011年1月> ・<2010年12月> ・<2010年11月> ・ <2010年10月> ・ <〜2010.10.9アーカイブ>