Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




 
 
              
      思鄕
                       龍草廬


總角辭家客洛陽,
秋風一望白雲長。
歸心不爲蓴鱸美,
衰白慈親在故鄕。


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思鄕
                       
總角 家を辭して  洛陽に 客たり,
秋風に 一望すれば  白雲 長し。
歸心   蓴鱸
(じゅんろ)の美なるが 爲(ため)ならず,
衰白の 慈親  故鄕に 在り。

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◎ 私感註釈

※龍草廬:正德四年(1714年)~寛政四年(1792年)。姓は武田。字は君玉。通称は彦二郎。草廬は号。京都の人。

※思鄕:故郷を思い偲ぶ。

※總角辭家客洛陽:幼い頃に家を離れてより、(ずっと)都に留寓してきた。 ・總角:あげまき。小児の髪型。転じて、小児。 ・辭家:家を離れる。賀知章の『回鄕偶書』に「少小
離家老大回,鄕音無改鬢毛摧。兒童相見不相識,笑問客從何處來?」 というのがある。 ・客洛陽:都への訪問者となる。王維の『九月九日憶山東兄弟』「獨在異鄕爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高處,插茱萸少一人。」にも似たイメージがあるが、王維は「客」を名詞として使っている。  ・客:旅人。ここでは、動詞の意で使われている。 ・洛陽:本来は中国の河南省北西部の都市で、漢代・魏・西晋・北魏などの都として栄え、隋・唐は東都となったところ。ここでは、日本の都の京都を指す。

※秋風一望白雲長:秋風が吹き始めて、白雲がひとめで見わたせる季節となった。それは、故郷の名産が美味になる時季でもあり、嘗て、晋の張翰はそれを味わいたい、という理由で、官を辞したことがあったが。 ・秋風:秋の風で、故郷の名産が美味になる時季のこと。後出「晉書・張翰傳」の青字部分に拠る。 ・一望:ひとめで見わたす。 ・白雲:白い雲。俗世間を超越したことを暗示する語でもある。唐の王維の『送別』「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,
白雲無盡時。」 や、唐・杜牧の『山行』「遠上寒山石徑斜,白雲生處有人家。停車坐愛楓林晩,霜葉紅於二月花。」 また、崔顥(さいかう:cui1hao4)の七律『黄鶴樓』「昔人已乘白雲,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡州。日暮鄕關何處是,煙波江上使人愁。」、漢の武帝・劉徹の樂府『秋風辭』「秋風起兮白雲,草木黄落兮雁南歸。蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何。」 「白雲」の語はなく「雲」だけになるが、晉・陶淵明の『歸去來兮辭』の「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。悅親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝鄕不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘。登東皋以舒嘯,臨淸流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」 や唐の賈島『尋隱者不遇』「松下問童子,言師採藥去。只在此山中,深不知處。」 があり、日本・江戸・太宰春臺の『白雲』に「白雲山上白雲,幾戸人家倚翠微。行盡白雲雲裡路,滿身還帶白雲。」とある。 ・白雲長:(秋の天候の特徴である空が晴れ渡っている(天高)ために、)雲が遠くまで見えるさま。

※歸心不爲蓴鱸美:(わたしが)故郷に帰りたいと思う心の理由は、故郷の秋の風味である蓴菜(ジュンサイ)と鱸魚(スズキ)が美味になったのを味わいたいためではなく。 ・歸心:故郷に帰りたいと思う心。唐・賈島の『渡桑乾』「客舍并州已十霜,
歸心日夜憶咸陽。無端更渡桑乾水,卻望并州是故鄕。」 と詠われている。杜甫の『八月十五夜月』に「滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。」とある。 ・不爲:…のためではない。「爲」は去声の意味「…のために」で使われており、平仄から見てもそれが相応しく、そのつもりで作られているが、構文からすると、平声(陽平)の「する、なす」の意にとりたい。 ・蓴鱸:〔じゅんろ;chun2lu2〕蓴菜(ジュンサイ)と鱸魚(スズキ)。故郷の名産。それを味わいたい、ということで、故郷を思う情の喩え。「晉書・張翰傳」には、蓴菜(じゅんさい)と鱸魚(スズキ)は、膾(なます)にするのに堪えられる食べ頃の状態である。晋の張翰(字は季鷹)が、吹き始めた秋風に逢って、故郷の蓴菜や鱸魚(スズキ)が膾(なます)に堪えられる状態になったということで、官を辞して、故郷へ帰った故事に基づく。『晉書・張翰傳』の原文には「…(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。 「蓴羮鱸膾」のこと。辛棄疾の『水龍吟 登建康賞心亭』「楚天千里淸秋,水隨天去秋無際。遙岑遠目,獻愁供恨,玉簪螺髻。落日樓頭,斷鴻聲裏,江南游子。把呉鉤看了,欄干拍,無人會,登臨意。   休説鱸魚堪膾,儘西風、季鷹歸未。求田問舎,怕應羞見,劉郞才氣。可惜流年,憂愁風雨,樹猶如此。倩何人、喚取紅巾翠袖,英雄涙。」でも使われている。 ・美:おいしい。すばらしい。

※衰白慈親在故鄕:(年をとって)減って白くなった髪の慈しみ深い親が、故郷にいる(からである)。 ・衰白:減って白くなった髪。 ・衰:〔つゐ;cui1〕髪の毛などが一本一本と抜けていって減っていくこと。 ・慈親:やさしい母親。 ・慈:(母)親のやさしさ、いつくしみ深さを形容する常套語。蛇足になるが、妙齢の女性の優しさ、友達の優しさ。君王のやさしさ…などには「慈」は使わない。 ・在故鄕:故郷にいる。






◎ 構成について

韻式は「AAA」。韻脚は「陽長鄕」で、平水韻下平七陽。次の平仄はこの作品のもの。

●●○○●●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
○○●●○○●,
○●○○●●○。(韻)

平成16. 4.18
       4.19
       4.20完
       4.23補
平成29.12.25



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