南土茫茫古帝城, 三條九陌自縱橫。 籍田麥秀農人度, 馳道蓬生賈客行。 細柳低垂常惹恨, 閑花歴亂竟無情。 千年陳迹唯蘭若, 日暮呦呦野鹿鳴。 |
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寧樂(なら)懷古
南土 茫茫(ばうばう)たり 古帝城,
三條 九陌(きうはく) 自(おの)づから 縱橫。
籍田(せきでん) 麥 秀でて 農人 度り,
馳道(ちだう) 蓬(よもぎ) 生じて 賈客(こきゃく) 行く。
細柳 低く 垂れて 常に 恨みを 惹(ひ)き,
閑花 歴亂として 竟(つひ)に 情 無し。
千年の陳迹(ちんせき)は 唯(ただ) 蘭若(らんにゃ),
日暮 呦呦(いういう)として 野鹿(やろく) 鳴く。
◎ 私感註釈 *****************
※太宰春臺:延寶八年(1680年)~延享四年(1747年)。江戸中期の儒学者。古文辞学派。名は、純。字は徳夫。通称弥右衛門。紫芝園、春台(春臺)は号になる。信濃の人。
※寧樂懷古:(江戸時代当時の)奈良を見て、昔の(平城京が盛んな時代を)懐かしく思い起こす。典籍を踏まえた見事な詩である。詩風は後出・唐・高適の『宋中』に「梁王昔全盛,賓客復多才。悠悠一千年,陳跡唯高臺。寂寞向秋草,悲風千里來。」、とあり、唐彦謙の『金陵懷古』に「碧樹涼生宿雨收,荷花荷葉滿汀洲。登高有酒渾忘醉,慨古無言獨倚樓。宮殿六朝遺古跡,衣冠千古漫荒丘。太平時節殊風景,山自靑靑水自流。」
や、
の影響を受けていよう。後世、藤井竹外は『風雨望寧樂』で「半空湧出兩浮圖,更有伽藍俯九衢。十二帝陵低不見,黑風白雨滿南都。」
と詠う。 ・寧樂:なら。奈良。平城京。元明天皇の和銅三年(710年)藤原京から移り、桓武天皇の延暦三年(784年)長岡京に移るまでの間の都。現・奈良市の西南一帯。「なら」は『日本書紀』崇神天皇十年九月に「時官軍屯聚,時官軍屯聚、而蹢跙草木。因以號其山、曰那羅山。〔此云布瀰那羅須〕。更避那羅山…。」とある。余談になるが、この「なら」/寧楽/奈良に関して、わたしは次のように考える。「“なら”---奈良・寧樂の謎」である。
「奈良」 - この語は、古漢語として見た場合、「どうして、良いのか?」「なぜ、良いのか?」の意になる。(「なんぞ 良からん?」「いかんぞ 良ろしからん?」)。もっとも、「奈」や「良」は、万葉仮名でもあり、平仮名の「な」「ら」の祖型でもあり、偶然の配列だろうと思っていた。
しかしながら、「寧樂」と書いて、「なら」と読む場合がある。この場合、漢語と見れば、「どうして、楽しいのか?」「どうして、素晴らしいのか?」「なぜ、楽しいのか?」の意になる。(「いづくんぞ 楽しからん?」「なんぞ 楽しからん?」)。
こうなると、やはり、「なら」の都を貶したいのではないかと思われてくる。 話は飛ぶが、最近テレビニュースから「ウリ ナラ」「ウリ ミンジョック」と、朝鮮語をよく耳にするようになった。「ウリ ナラ」とは、「我が国」の意で、「ウリ ミンジョック」とは、「我が民族」の意だそうだ。つまり、「ナラ」とは、朝鮮語で「くに」という意味になる。もしや「奈良」「寧樂」の文字表記を始めたのは、朝鮮半島から来た、漢語を能くする帰化人ではないのか。当時の日本の都のさまに、ちょっと批判的な烏有先生の手になったのだろう…。勿論、咎められた時には「いいえ、『寧(ねんごろ)に楽しむ』です。」と言えるようにも配慮した…。
又、「『寧楽』は、やはり『青丹よしならの都』で、『寧(ねんご)ろで楽(たの)しい』ところの意ではないのか?!」との思いもあろう。慥かに「寧」字には、「ねんごろ」〔ねい;ning2○〕の義と、なんぞ・いづくんぞ〔ねい;ning4●〕の義…がある。「それではやはり、『寧(ねんご)ろで楽(たの)しい』ところの意とも取れるのではないのか?!」とも思われよう。しかし、その意味で「寧」字と「楽」字を使うのならば、「寧楽」とはせずに「樂寧」〔らくねい;le4ning2●○〕とすべきである。このことは、「寧」字や「楽」字の附く熟語や年号等を見れば瞭然としている。(2003年8月)
※南土茫茫古帝城:南都の平城京は、広々として果てしない昔の都(みやこ)で。 ・南土:南都。奈良。平城京。 ・茫茫:〔ばうばう;mang2mang2○○〕広々として果てしないさま。ぼうっとして、はっきりとしないさま。草が多く生えて乱れているさま。『古詩十九首之十一』の「廻車駕言邁,悠悠渉長道。四顧何茫茫,東風搖百草。所遇無故物,焉得不速老。盛衰各有時,立身苦不早。人生非金石,豈能長壽考。奄忽隨物化,榮名以爲寶。」や、東晋・陶淵明の『挽歌詩其三』「荒草何茫茫,白楊亦蕭蕭。嚴霜九月中,送我出遠郊。」
や、東晉・陶潛『擬古・九首』其四「迢迢百尺樓,分明望四荒。暮作歸雲宅,朝爲飛鳥堂。山河滿目中,平原獨茫茫。古時功名士,慷慨爭此場。一旦百歳後,相與還北
。松柏爲人伐,高墳互低昂。頽基無遺主,遊魂在何方。榮華誠足貴,亦復可憐傷。」
や、北宋・蘇軾の『江城子』乙卯正月二十日夜記夢には「十年生死兩茫茫,不思量。自難忘。千里孤墳,無處話淒涼。縱使相逢應不識,塵滿面,鬢如霜。 夜來幽夢忽還鄕。小軒窗,正梳妝。相顧無言,惟有涙千行。料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。」
とある。 ・古帝城:いにしえの帝都。蛇足になるが、唐・李白に『早發白帝城』「朝辭白帝彩雲間,千里江陵一日還。兩岸猿聲啼不住,輕舟已過萬重山。」
があるが、この「白帝城」は四川省東端、奉節県の東の長江北岸にあった城で、瞿塘峡にのぞむ白帝山上にある要害の名のことで、「古帝城」と「白帝城」と感じは似ているが、「古帝城」は、「古・帝城」⇒「古の帝城」(昔の帝都)の意で、「白帝城」は、「白帝・城」⇒「白帝の城」(秋の神(西の神)の山にある城郭。 ・城:城郭都市。都市。城市。街。
※三條九陌自縱橫:多くの街路は縦横に走っている。 ・三條九陌:多くの街路。「万戸千門」とともに首都の威容や賑わいを表現する語であるが、実際の平城京の街並みに無理に当て嵌めて考えれば、「三條」は三すじの南北に走る道で「九陌」は九すじの東西に走る道筋ということになる。徐凝の『寄白司馬』「三條九陌花時節,萬戸千車看牡丹。爭遣江州白司馬,五年風景憶長安。」は首都の威容と殷賑の表現。 ・條:すじ。 ・陌:〔はく;mo4●〕道。街路。あぜ道。(東西に走る)畦道。 ・自:おのずから。 ・縱橫:たてとよこ。南北と東西。
※籍田麥秀農人度:天子用の神田であったところは、(今は)麦畑となり(麦秀の嘆が思われ、)農民が通り過ぎており。 ・籍田:〔せきでん;ji2tian2●○〕天子が祖先に供える穀物を作るために、自ら耕す田。『史記・周本紀』に「宣王不脩籍於千畝」とある。 ・麥秀:〔ばくしう;mai4xiu4●●〕麦の穂が勢いよく伸びている晩春初夏の風景のように見えるが、それだけではなくて、昔栄えた都が畑となってしまっている悲歎を謂う。亡国の嘆。殷末周初・箕子の『麥秀歌』に「麥秀漸漸兮,禾黍油油。彼狡僮兮,不與我好兮。」とある。 ・農人:農民。 ・度:とおりすぎる。
※馳道蓬生賈客行:天子の御成道には、ヨモギが生えて荒れはて、行商人が通って行く。 ・馳道:〔ちだう;chi2dao4○●〕天子の通る道。輦道。『樂府詩集』に遺された南朝斉の謝に『入朝曲』で「江南佳麗地,金陵帝王州。逶
帶
水,迢遞起朱樓。飛甍夾馳道,垂楊蔭御溝。凝笳翼高蓋,疊鼓送華
。獻納雲臺表,功名良可收。」
とある。 ・蓬生:ヨモギが生えるような草深い荒れ地となる。 ・蓬:〔ほう;peng2○〕ヨモギ。中国の詩の「蓬」は、日本のものと異なる(根が土から離れて流浪する)が、中唐の張仲素の『塞下曲』「朔雪飄飄開雁門,平沙歴亂捲蓬根。功名恥計擒生數,直斬樓蘭報國恩。」
や、李煜の『浣溪沙』に「轉燭飄蓬一夢歸,欲尋陳跡悵人非,天敎心願與身違。 待月池臺空逝水,蔭花樓閣漫斜暉,登臨不惜更沾衣。」
とある。 ・賈客:商売人。行商人。 ・客:旅をしているひと。 ・行:ゆく。
※細柳低垂常惹恨:ほっそりとした柳は枝を低く垂らして、いつも(千載の)恨みを引き起こしている(かのようであるが)。 ・細柳:ほっそりとした女性を思わせる柳。ここでは、昔からあって昔の出来事を見てきた柳の木の意で使われている。杜甫が『哀江頭』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一箭正墜雙飛翼。明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。人生有情涙霑臆,江水江花豈終極。黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」と詠った。前漢の将軍・周亜夫が布陣をした地の細柳の町の名でもある
。 ・低垂:(木の枝が)低く垂れ籠める。 ・常:いつも。つねに。とこしえに=長。 ・惹:〔じゃく;re3●〕思い起こさせる。ひきおこす。ひく。 ・恨:うらみごと。ここでは、歴史上の栄枯盛衰に纏わる恨み言のことになる。宋・王安石の『桂枝香』『金陵懷古』「登臨送目,正故國晩秋,天氣初肅。千里澄江似練,翠峰如簇。歸帆去棹殘陽裡,背西風酒旗斜矗。彩舟雲淡,星河鷺起,畫圖難足。 念往昔,繁華競逐。嘆門外樓頭,悲恨相續。千古憑高,對此漫嗟榮辱。六朝舊事隨流水,但寒煙衰草凝綠。至今商女,時時猶唱,後庭遺曲。」
とある。
※閑花歴亂竟無情:咲き乱れる花は、結局、感情がない。 ・閑花:ひっそりと咲く花。静かに咲く花。 ・嫻花:雅(みやび)な花。 ・歴亂:〔れきらん;li4luan4●●〕入り乱れるさま。中唐・張仲素の『塞下曲』「朔雪飄飄開雁門,平沙歴亂捲蓬根。功名恥計擒生數,直斬樓蘭報國恩。」がある。 ・竟:結局。ついに。とどのつまり。畢竟。北宋・柳永の『雨霖鈴』に「寒蝉淒切,對長亭晩,驟雨初歇。都門帳飮無緒,留戀處,蘭舟催發。執手相看涙眼,竟無語凝噎。念去去千里煙波,暮靄沈沈楚天闊。 多情自古傷離別,更那堪、冷落清秋節。今宵酒醒何處?楊柳岸、曉風殘月。此去經年,應是良辰好景虚設。便縱有千種風情,更與何人説。」
とある。 ・無情:感情がない。また、情が無い。ここは、前者の意。欧陽炯の『江城子』「晩日金陵岸草平,落霞明,水無情。六代繁華,暗逐逝波聲,空有姑蘇臺上月,如西子鏡,照江城。」
、孫光憲の『後庭花』其二「石城依舊空江國,故宮春色。七尺靑絲芳草碧,絶世難得。」
、唐・韋莊『金陵圖』「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」
と六朝の古都であった金陵の寂れようを詠っている。また、范仲淹『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。 黯鄕魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸, 化作相思涙。」
とある。後者の例では、晩唐の韋莊に『思帝郷』「春日遊,杏花吹滿頭。陌上誰家年少、足風流。妾擬將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」
がある。
※千年陳迹唯蘭若:千年前の古跡は、(今は)ただ寺院のみである。 ・千年:遥かな昔。ここでは、作者の時代から見て千年前の都奈良。 ・陳迹:〔ちんせき;chen2ji4○●〕むかし、物事のあったあと。なごり。古跡。旧跡。唐・高適の『宋中』に「梁王昔全盛,賓客復多才。悠悠一千年,陳跡唯高臺。寂寞向秋草,悲風千里來。」、とあり、唐彦謙の『金陵懷古』に「碧樹涼生宿雨收,荷花荷葉滿汀洲。登高有酒渾忘醉,慨古無言獨倚樓。宮殿六朝遺古跡,衣冠千古漫荒丘。太平時節殊風景,山自靑靑水自流。」
とある。 ・陳:ふるい。ふるくなって腐りかかったり、色が変わったりすること。 ・唯:ただ(…だけ)。 ・蘭若:〔らんにゃ;梵語aranyaの音訳「阿蘭若」の約〕寺院。本来の「阿蘭若」は閑寂、遠離の意で、人里を離れ、仏道の修行に適する閑静な場所。劉長卿の『尋盛禪師蘭若』「秋草黄花覆古阡,隔林何處起人煙。山僧獨在山中老,唯有寒松見少年。」
がある。
※日暮呦呦野鹿鳴:日が暮れてきて、ユウユウという鹿の鳴き声(が聞こえてきた)。 ・日暮:日が暮れる。日暮れ。 ・呦呦:〔イウイウ;you1you1〕鹿の鳴き声。擬声語。(鹿の)ユウユウという鳴き声。魏・曹操の『短歌行』に「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。 慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。 青青子衿,悠悠我心。但爲君故,沈吟至今。 鹿鳴呦呦,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。 明明如月,何時可輟。憂從中來,不可斷絶。 越陌度阡,枉用相存。契闊談讌,心念舊恩。 月明星稀,烏鵲南飛。繞樹三匝,何枝可依。 山不厭高,水不厭深。周公吐哺,天下歸心。」や、『詩經』「小雅・鹿鳴」に、「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我行周。」が一解となり、「呦呦鹿鳴,食野之蒿。…」「
鹿鳴,食野之
。…」として、「呦呦鹿鳴,食野之…」がある。
◎ 構成について
韻式は「AAAAAA」。韻脚は「城横行情鳴」で、平水韻下平八庚。次の平仄はこの作品のもの。
○●○○●●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
●○●●○○●,
○●○○●●○。(韻)
●●○○○●●,
○○●●●○○。(韻)
○○○●○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成19. 5.29 5.30完 平成22.12.15補 |
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