君勾踐, 臣范蠡。 一樹花, 十字詩。 南山萬樹花如雪, 重埋鑾輿無還期。 蠡也自許亦徒爲, 誰使越王忘會稽。 呉無西施, 越有西施。 |
吉野山の如意輪寺。本堂の背後(写真:右上)には後醍醐天皇の御陵・塔尾陵。平成19年4月19日 | 如意輪寺と谷を隔てて聳える蔵王堂。吉水神社(後醍醐天皇の行在所よりの眺め)平成19年4月19日 |
頼山陽『日本樂府・十字詩』 |
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十字の詩
君は 勾踐(こうせん),
臣は 范蠡(はんれい)。
一樹の花,
十字の詩。
南山の萬樹(ばんじゅ) 花 雪の如く,
重ねて 鑾輿(らんよ)を 埋(うづ)めて 還(かへ)る期(とき) 無し。
蠡(れい)や 自ら許すも 亦 徒爲(とゐ),
誰(たれ)か 越王をして 會稽(くゎいけい)を 忘れしむ。
呉に 西施(せいし) 無く,
越に 西施 有り。
◎ 私感註釈 *****************
『太平記』 備後三郎高德事付呉越軍事
『太平記』「備後三郎高德事付呉越軍事」の十字の詩。 『前賢故實』 備後三郞兒島高德 『日本外史』白櫻樹書二句
※頼山陽:安永九年(1780年)~天保三年(1832年)。江戸時代後期の儒者、詩人、歴史家。詩集に『日本樂府』、『山陽詩鈔』などがある。この作品は、詠史詩集ともいうべき『日本樂府』にある。雄渾で歯切れ良く、日本人離れした驚嘆すべきものである。
※十字詩:児島高徳の「天莫空勾踐,時非無范蠡」の白桜十字詩のこと。元弘の変(かつては元弘之乱ともいう)の時、後醍醐天皇を救出しようとし、身近にまで接近するが果たせずに、詩を書いて残す。翌朝、帝がこれを見、尽忠の士のいることを悟られた。その誠忠は万古に伝えられている。児島高徳が隠岐に流されてゆく帝を追って、船坂山、杉坂と果たせず、院庄
で、夜間に天皇の行在所に忍び入り、その庭にある桜の幹を削り、そこに「天莫空勾踐,時非無范蠡」の白桜十字詩
のを書き、その義烈を表した。同じ主題のものに菅茶山の『備後三郞題詩櫻樹圖』「騎馬撃賊下馬檄,三郞奇才世無敵。夜穿虎豹達行在,衛騎眠熟柝聲寂。慨然白樹寫幽憤,行雲不動天亦忿。中興誰旌首事功,一門猶懷貫日忠。金輿再南乾坤變, 五字櫻花千古恨。」
がある。『太平記』の記述、や『十字詩』そのものが越王・勾踐、臣下の范蠡の故事に基づいているので、この作品も、呉王・夫差や愛姫の西施に及んでいる。
※君勾踐:君(後醍醐天皇)は、(越王)勾践(と同じで)。 ・君:君主。 ・勾踐:〔こうせん;Gou4Jian4●●〕越王・勾践のこと。春秋時代の越の王。呉王・闔閭を敗死させたが、その子、夫差と会稽山に戦って敗れ、後に忠臣・范蠡と謀って西施を使い、呉を弱らせ、やがて呉を滅ぼす。
※臣范蠡:臣(児島高徳)は、(越王・勾践の忠臣)范蠡(のようである)。 ・臣:臣下。 ・范蠡:〔はんれい;Fan4Li3●●〕越王・勾踐の忠臣。春秋時代の越の功臣。越王勾践(こうせん)に仕え、呉王・夫差を討って「会稽之恥」を雪(すす)がせた。後に、去って、経済的にする。
※一樹花:一本の桜の木に。 *ここでの「一樹花」は、後出「萬樹花」とセットになっており、「一樹花」は後醍醐天皇の院庄での行在所の庭の十字の詩が書かれた一本の桜の木。後出「萬樹花」は、吉野山の桜の木。
※十字詩:十字の詩句「天莫空勾踐,時非無范蠡」(天が勾踐を見殺しにすることはなかったように,必ずや、危機を救う范蠡のような忠臣が出てくる)を書いた。
※南山萬樹花如雪:南の方の吉野山では、数多くの桜の花が咲いて、雪のようだ。 ・南山:ここでは、吉野山のことになる。王維の『送別』には「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」や白居易の『賣炭翁』「賣炭翁,伐薪燒炭南山中。滿面塵灰煙火色,兩鬢蒼蒼十指黑。賣炭得錢何所營,身上衣裳口中食。可憐身上衣正單,心憂炭賤願天寒。」
、陸游『金錯刀行』「黄金錯刀白玉裝,夜穿窗扉出光芒。丈夫五十功未立,提刀獨立顧八荒。京華結交盡奇士,意氣相期共生死。千年史冊恥無名,一片丹心報天子。爾來從軍天漢濱,南山曉雪
玉。嗚呼,楚雖三戸能亡秦,豈有堂堂中國空無人。」
では、終南山のことだが、陶潛の『飮酒』「結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。采菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,飛鳥相與還。此中有眞意,欲辨已忘言。」
の場合の南山は、陶淵明が住んでいたところの南側の廬山のことになる。 ・花:ここでは、桜花のことになる。 ・如雪:雪のようだ。
※重埋鑾輿無還期:後醍醐天皇は(隠岐の行在所、吉野の行宮と都から遠く離れることが)二度に亘り、終(つい)に都へ帰ることはなかった。 ・重埋:二度に亘って地方に埋もれた。後醍醐天皇は、元弘の変=京⇒隠岐配流・隠岐脱出⇒京都・建武中興の新政の開始⇒光明天皇即位・北朝成立・京都⇒吉野行幸・崩御となっており、隠岐、吉野の二所への行在をいう。 ・鑾輿:〔らんよ;luan2yu2○◎〕天子の乗り物。陸游の『病起書懷』「病骨支離紗帽寬,孤臣萬里客江干。位卑未敢忘憂國,事定猶須待闔棺。天地神靈扶廟社,京華父老望和鑾。出師一表通今古,夜半挑燈更細看。」や、前出・范成大の『州橋』「南北是天街,父老年年等駕迴。」
南宋の張孝祥の『六州歌頭』「念腰間箭,匣中劍,空埃蠹,竟何成!時易失,心徒壯,歳將零。渺神京,干羽方懷遠,靜烽燧,且休兵。冠蓋使,紛馳鶩,若爲情?」
や「聞道中原遺老,常南望,羽葆霓旌。使行人到此,忠憤氣填膺,有涙如傾。」
に同じ。 ・還期:戻ってくる時。
※蠡也自許亦徒爲:范蠡よ、(児島高徳よ、)よくやったと自負してもよかろうが、無駄骨だったなあ。 ・蠡:〔れい;Li●3〕越の忠臣・范蠡のこと。 ・也:…よ。…や。呼びかけの語気を示す。『論語・公冶長篇』「或曰:雍也,仁而不佞。」。『論語・雍也篇』「子曰:囘也其心三月不違仁,其餘則日月至焉而已矣。」とある。 ・自許:自負するところがある。南宋・陸游は『夜遊宮』記夢寄師伯渾「雪曉淸笳亂起。夢遊處、不知何地。鐵騎無聲望似水。想關河,雁門西,靑海際。 睡覺寒燈裏。漏聲斷、月斜紙。自許封侯在萬里。有誰知,鬢雖殘,心未死。」
とあり、金・宇文虚中の『在金日作』に「遙夜沈沈滿幕霜,有時歸夢到家。傳聞已築西河館,自許能肥北海羊。回首兩朝倶草莽,馳心萬里絶農桑。人生一死渾事,裂眥穿胸不汝忘。」
とある。 ・亦:…もまた。 ・徒爲:〔とゐ;tu2wei2○○〕むだごと。無益なしわざ。
※誰使越王忘會稽:一体誰が、越王・勾践に会稽の恥を忘れさせたのか。一体誰が、後醍醐天皇に都落ちの屈辱を忘れさせたのか。 ・誰:いったいだれが。 ・使:…に…をさせる。(…をして)…しむ。使役表現に使う。 ・越王:前出・勾践のことであり、後醍醐天皇を暗示する。 ・會稽:〔くゎいけい;Gui4ji1●○〕越王・勾踐の「会稽山之恥」(敗戦と降服の屈辱)を指す。
※呉無西施:呉の夫差側(また、北朝側)には(越から献上された)美女の西施はいないが。 ・呉:春秋時代に越と争った相手の国。呉王・夫差は、越王・勾践が献上した絶世の美女を受け取った側。日本の南北朝時代の北朝側を暗示するか。 ・西施:〔せいし;Xi1Shi1○○〕春秋時代、紀元前五世紀ごろの越の国の美女。呉に敗れた越王勾践は西施を呉王夫差に献上、夫差がその容色に溺れた隙をついて呉を滅ぼしたと伝えられる。樓穎の『西施石』「西施昔日浣紗津,石上靑苔思殺人。一去姑蘇不復返,岸傍桃李爲誰春。」や、李白の『蘇臺覽古』「舊苑荒臺楊柳新,菱歌淸唱不勝春。只今惟有西江月,曾照呉王宮裡人。」
や、五古『越中覽古』「越王勾踐破呉歸,義士還家盡錦衣。宮女如花滿春殿,只今唯有鷓鴣飛。」
や、李白の『登金陵鳳凰臺』「鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。」
、牛
の『楊柳枝』に「呉王宮裏色偏深,一簇纖條萬縷金。不憤錢塘蘇小小,引郞松下結同心。」
と、がある。
※越有西施:越(後醍醐天皇側、南朝側)には、美女・西施がいた。 *詩全体から見ての隠喩の意図するところが掴めない。後醍醐天皇側に北朝討滅の気を削ぐ美女がいたのか?歴史学者の頼山陽は、その何かを掴んでいたのだろうか。ここの「呉無西施,越有西施」の意味するところは、今ひとつ分からない。
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◎ 構成について
韻式は「(A)AAA(A)A」。韻脚は「(蠡)詩期稽(施)施」。「蠡」は多音字で〔れい;li3●〕上声をはじめとして多く、平声もある。詩の形から見てここは韻をふむところで〔れい;li2○〕もあるが、現代語では歴史上の人物「范蠡」は〔はんれい;Fan4Li3●●〕で「蠡」は〔れい;Li3●〕上声で言う(読む)。「施」も多音字だが、本来、姓なので平声。次の平仄はこの作品のもの。
○●●,
○●◎。(韻)
●●○,
●●○。(韻)
○○●●○○●,
○○○◎○○○。(韻)
◎●●●●○○,
○●●○◎●○。(韻)
○○○○,(韻)
●●○○。(韻)
平成19.8.21 8.22完 9. 3補 |
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