◇ 11月も最終日。朝、中ノ沢温泉から帰宅。やはり眠い。十分睡眠をとったはずだが。まあ、心より眠気。
11月は、いろいろ動いたなと振り返る。2日に飯舘村長を塩竈の集会への往復。3日は農協との協同・全農フェア、そして経済学部90周年記念事業。4日は、いわき市へ・石炭化石館。炭鉱労働者の絵を見に。10−11日に終日、郡山での放送大学面接授業。声が出なくなりました。17日にはゼミ卒業生の結婚披露宴。18日仙台での中学校クラス昼食会。24日から26日まで、秋田・弘前の「みちのく一人旅」(講演旅行)。そして昨日今日の中ノ沢温泉(労福協研究集会)。小さな旅行が多かったが、愛車も良く走ってくれた。
明日からは師走。今年のまとめをしっかりすることにしよう。震災から2年目を迎える日が近づいてくる。(11/30)<15751>
◇ 午後から、県労福協(福島県労働福祉協議会)の第48回研究集会に、コープふくしまの理事長の仕事として、管理部長の山田さんと参加してきました。中ノ沢温泉の(財)沼尻勤労者保養センター『母成』が会場。
以前、大学の仕事で、この宿泊所と学生宿泊のための協定を結んだことがあり、懐かしい。高湯温泉の山の家を廃止したことへの代替です。二本の講演を聴いた後は、ゆっくり風呂に入り、夜は懇親会。全県の加盟団体から130人ほどの参加者。労働組合関係が多いので、生協連関係は少数派です。この際に、コープあいづの理事長さんにご挨拶ができました。残念ながら、県南生協の方には挨拶ができなかった。古いが新米理事長ですので、関連組織への挨拶は不可欠です。
90分にわたる2本の講演、いずれも充実していました。1本目は、「福島県の復興の取組み」(遠藤優子氏・福島県総合計画課主任主査)。「福島県の被害状況等」と「復興ビジョン及び復興計画の策定」を詳細に報告していただきました。いわき市から来ている私の後ろの席の方が、津波被害地に対する施策の問題点を指摘・質問していました。岩手・宮城の津波被害からの復興計画に比して、福島は原発事故という困難な状況もありながら、主として津波被害地(新地・相馬・いわき)への対応が遅れているのではと思っていたので、同感でしたが、やはり市町村と住民の取り組みや運動が不可欠と思いました。都道府県の位置づけに疑問もありますが、何かまたそれだけに依存することには疑問を感じています。
2本目は、「コミュニケーションのとり方」(深野健司氏・ラジオ福島アナウンサー)。やはりアナウンサー、軽妙な話しで、かつ時間ピタリと終了。声もいいが、聴衆の関心を引き付けて、まさに話術です。
宿泊は我々の申し込みが届いていなかったというトラブルはありましたが、キャンセルもあり、ホームレスになることはなかった。同宿は、コープあいづのS理事さん、中央市民医療生協のF理事さんと4人。ゆったりと話もできました。共通に知っている方もあり、興味が尽きない話ができました。各地・各分野での頑張りに期待しています。(11/29)<15742>
◇ 午前中は宅勤。昼過ぎ、銀行や本屋への用事を済ませて、浪江町のセンターへ。浪江町から福島市に避難してきている方々のための立派な集会所である。シニアライオンズクラブが事業主体になっている浪江町からの借り上げ住宅避難者(高齢者)のための支援事業。私も協力団体で構成している実行委員なので、見学へ。
ほぼ毎週集まっているが、今日は全市から集まった20人ほど。すでにヨーガ療法をやっているので、私も体を動かす。高齢者といっても、年代の差を感じない。80代の方もいたが。その後、集団傾聴。グループに分かれて、数人づつ避難者と傾聴者との話し合い。何の変哲もないことだが、孤立しがちな借上げ居住者にとっては必要なこと。一週間のこの日は楽しみのようだ。私も先月、一緒に会津・裏磐梯にバス旅行を共にしたので、違和感はない。
大上段の復興計画策定ということではないが、こうした一人一人の避難者と同じ時間を過ごすことが重要だと思える。1回きりの集まりには即効的な効果はないだろうが。町の将来の問題は、こうした町民一人一人の生活設計、人生の積み上げなんだろうと思う。今後も可能な限り参加したいものである。
今日も、喪中のハガキが4枚。多くは、高齢の親世代のものだが、娘さんを亡くした卒業生からの葉書には、息をのんだ。淡々と病状が書いているので、なお一層悲しい。「次女は・・5月に16歳で永眠致しました。昨年2月上旬の検査で大きなガン(ホジキンリンパ腫)が肺と心臓の間に見つかりました。抗ガン剤治療、骨髄移植を行いましたが、4月下旬には腎臓・肺・心臓等の機能が低下、天に召されてしまいました。病室で大好きな「嵐」の曲を聞きながらがんばりました。将来の夢は「パティシェールになること」で、病室でも自作のレシピ帳作りを続けていました。闘病生活は震災をはさみ1年半に亘りましたが」、医師・看護師・ヴォランティア・友人の皆さんなど多くの方々に励ましていただいて、家族ともどもがんばってこられたこと、ご厚情に感謝しています。家族3人、前を向いて進み始めているとのこと。
事情を知らなかったが、何の励ましもできなかったことを悔やむ。震災の1月前の病気発見、震災をはさむ闘病生活。あの時期に、家族が生活困難と闘病生活。今想像しても、心が痛くなる。せめて、お家族に愛されて、夢を持ちながら旅発った若い命。遅ればせながら、ご冥福をお祈りします。(11/28)<15712>
◇ 福島も雪が舞いました。冬の到来です。
午前、ショートスティに義母を出迎え。いつものんびりした雰囲気とは異なり、一人のお婆ちゃんが大きな声で、周囲の人に怒鳴り散らしている。何を言っているか分からないが、どうも無断で自分の部屋を掃除したのはけしからん、ゆったりしている人に、早く帰りなさいよと、・・・。どうしたのか分からないが、義母に聞いてみたら、どうも自分の家にみんなが入り込んでいると誤解しているみたいと。様々な事情があるんだろうね。
秋田・青森は終わったので、今度は自身のフォーラム報告準備と山形での研修、そして学会誌の原稿で頑張らないと。すこし始める。1月最初のフォーラムは、水産試験場長にお願いして実現する。有難い。昨日のフォーラムの実況中継を、元同僚がツイッターでまとめてくれた。ありがたい。昨夜は、呼びかけ人が来てくれないので、少々気落ちしていたが、オスロからメール。同行している研究者に頼んでみようかと。みんな忙しいなかで心配してくれているのだ。がんばりましょう。
夕方、コープで書類作成。夜、開始する飯舘村の委員会。数は少なくなったが、いずれも背景が重い。苦難から一日も早く脱却したいもの。次回会議予定は来年。コープも年頭の挨拶の原稿依頼。もうそんな時期か。それにしても毎日、「喪中につき・・」のハガキが絶えない。今夜は特に寒い。(11/27)<15692>
◇ 二泊三日の「みちのく一人旅」から、ようやく自宅に帰ってきました。24日の昼前に旅立ち、秋田へ、そして弘前へ、そして帰り。
24日は、北上から秋田道、錦秋湖SAの地面は雪。冬の到来です。秋田に着いたのは午後4時頃。夜は秋田大教職員組合50周年祝賀会です。その第1部で記念講演。「東日本大震災と大学の役割」。全大協教研集会の際の話をコンパクトにしましたが、1973年から1982年までの9年半の秋田大学での頃を思い出しました、往時の教職員のみなさんに逢うことができました。在外研究の直後の転勤で、大きなご迷惑をかけましたが、温かく迎えてくれました。
25日は、午後2時からの弘前大学での講演。秋田のホテルを8時前に出発(くじ引きで、1等賞を当ててしまいった。宿泊料と同じ5000円の商品券。つきすぎで怖い感じです。)「復旧・復興に向けた生業・雇用問題」がテーマ。社会保障法学会報告(30分)をベースにしていますが、3倍の時間をくれました。迷惑をかけましたが。欲求不満を吐きだした感じです。
弘前大関係者らと街中で懇親会。今後、どう進みますかと聞かれて、それほど個人的展望を持っていないことを痛感。弘前大の先生方も岩手野田村に入って、調査支援活動をしている。「ふくしま」のフォーラムをやっているが、東北地方の研究者のネットワークを作らないと。最初はそう考えていたが、その困難さにたじろいで、「ふくしま」になっている。東北自体の再生、そのためには、東北在住の研究者の貴重な研究をつなぐネットワークが夢。
娘のアパートに泊めてもらって、今朝は、8時前に雨の弘前を出発、福島に向かう。休憩の岩手山SA。盛岡のS君に電話。奥様の話では、昨日入院したとのこと。彼の闘病生活に心が痛む。一日も早い回復を願いながら、南下。長者原SA、蔵王PAで休憩・短時間仮眠の後、何とか自宅に辿り着く。福島ー秋田ー弘前ー福島と、東北5県を回って1000キロ。少々、グロッキー。
自宅でシャワーを浴び、4時からのコープふくしまの常任役員会に出席。中座して「ふくしま復興支援フォーラム」の第25回目。川俣町長の報告。25名の出席者。終了後、福島大学に短期に就職した知人のお祝いを兼ねて、夕食。忙しい三連休が終わった感じです。(11/26)<15677>
◇ 勤労感謝の日。明日・明後日の旅行のための準備で、結局、終日自宅に居りました。以前だと、殆ど、予定がなければ研究室に閉じこもっていたのですが、家に閉じこもっているのも慣れてきました。年金生活者も板についてきたかな?(笑い)
明日は、定期の診察で病院に行き、帰って来てから自家用車で秋田市へ。夕方から始まる秋田大学教職組の50周年記念祝賀会に出ます。私の在任していたのは10年〜20年の時期。その後の展開が大きかったのでしょう。場に相応しい話ができるか心配です。秋田のホテルで、翌日の弘前での研究会の報告の追加準備をして、弘前へ。吹雪に逢わないことを祈るだけです。(11/23)<15639>
◇ 朝はだいぶ寒くなりましたが、昼は好天でした。8時半頃自宅を出発、コープふくしまの共同購入の支部長会議を郡山センターで行うというので、実情視察の目的で、高速道へ。冠雪している吾妻連峰、安達太良連峰の美しさは、目を見張ります。迫ってくる福島の冬の山を見ると涙が出るといって、同僚に冷やかされたことがありますが、なんとも言えない神々しさです。
カーナビは本宮ICと指示するが、部長の教えを守って郡山東IC下車。郡山のセンターは、各地に向かうコープのトラックが集合していて壮観です。朝一斉に、配達に出発します。会議は全県からで(店は県北中心ですが)、福島一円が見えます。あいづや県南の状況も知ることができます。なかなか分からないことが多いのですが(業界用語もあり)、その流れに触れてきた感じです。川内村も堅実に伸びているようですが、全県的視野から意識的に入っていくきっかけを作るのが私の役割とも感じています。
夕方まで続く会議ですが、お昼に失礼して、福島駅前のホテルで行われるシニアライオンズクラブ主宰の、浪江町の借り上げ住宅居住高齢者への支援事業の実行委員会へ。ほとんど毎週の企画で、30回にもなります。参加者には大変喜んで頂いているのですが、それを担う事務局が大変。持続できる方法を検討する必要があるでしょう。(11/22)<15624>
◇ 午後、男女共同参画の講演会を聞きに出かける。途中、気になっていた「釜揚げうどん」の旗。寄ってみました。何が違うのか分かりませんが、いつも食べているのは、茹でてから水で締めるが、釜揚げはそのままめんつゆで食べるとのこと。280円、いか天をプラス。もう少し、研究して、美味しい食べ方を研究しないと。通勤途上で、滅多に寄るチャンスはない。近くのラーメン屋も、行列は見るが、並ぶ勇気もチャンスもない。
AOZで、1月のフォーラムの会場予約をした。なかなか取れないから。1月10日と22日の予約、しかし報告者は決まっていない。日程を会場の都合で決めて、報告者を探す。逆立ちしているが、会場を取れないので、やむを得ない。きっと、いい報告者を探せるはず。会場だけは、11月末から始まって、12月2回、1月2回となった。事務局メンバーに呆れられるかな?
同じAOZで開催されたのは、「福島市男女共同参画トップセミナー」の講演会。渥美由喜氏(東レ経営研究所研究部長)の「イキイキ職場、魅力あふれる福島に! 未来のためのワークライフバランス」をテーマに、熱弁。少子化・高齢化の中で、ワークライフバランスの今後の企業経営・地域経営にとっては不可欠。自らも育児・介護・看護を実践し、説得力ある話。人や環境のせいにしないで、慣例の呪縛からの解放が必要なのだろう。
労働における安全配慮義務に関して、気になっている裁判の資料をいただこうと、弁護士さんに電話。すぐ送ってくれるという。有難い。数字や理論に解消されない、現実の人々の息吹から出発して考えてみたい。(11/21)<15604>
◇ 風邪気味の咳・鼻水は止まりませんが、インフルエンザ予防注射には影響ないと思い、予約通り病院へ。65歳以上は市の補助があり、1200円の自己負担で済む。検温は65度9分。何人かはいましたが、それほど混んでません。
今年は予約していませんが、いつもの人間ドック(1泊のガンドック)。胃も大腸も内視鏡検査なので、なかなか空きがない。結局、来年の2月4日・5日。1年に1度は、やっておくことが必要でしょう。
病院からコープ本部に寄り、必要な書類作成。帰宅後、週末の秋田ー弘前旅行の準備。話すことの準備。声は出ると思うが、内容の詰めが必要。弘前は、研究会の報告のような感じなので、研究的なものとして準備が必要。
寒さが進行しており、2階の書斎は、足温器だけでは対応できなくなってきた。冬の寒さの到来は、早い。(11/20)<15588>
◇ 月曜日。今日は義母の病院通い。7時に病院が開き、皆さん、待ち時間の短縮のため、朝飯前に病院の受付。私も、それに混ざる。だんだん早くなってきて、7時についたころは、先客はみな帰宅し、誰もいません。何とか罹りつけの科の4番の番号札をつけて投函。いかに病院での待ち時間がきついのかのと思います。大病院では、3時間待って3分診察。
9時前に義母と妻を乗せて、病院へ届けて、自宅で連絡を待つ。今日は早く10時前に迎えの車。
昼前、自動車整備工場へ行き、昨日のタイヤの交換の御礼と、新しいタイヤ一本をつけてもらいました。パンクしたタイヤに気づかず、長距離走っていたのも、ショックです。工場のお母さんは83歳の誕生日という。孫たちは、長生きを願って、10年日記をプレゼント。我が家の95歳と比較すると、まだまだ若い。毎日の天候・気温などをメモっているらしいので、そのためのものになるという。
私も3年日記など挑戦しましたが、1年ほどで断念。私にとって、残っている日記は、このホームページの日記のみですが、何人かに見られていることを意識して書いているので、変な日記です。(誰も傷つけないよう、また秘密を曝さないで)。しかし、効用もあります。1年前にどこにいて、(外部被ばく量の計算等)、何をしていたか、思い出させてくれます。それ以外の私文書もないのが寂しい気もしますが。
午後4時からのコープ常任役員会。当初は土曜日午前中の定例だったのですが、なかなか時間が合わず、月曜日の夕方に変更になりました。営業の細かい数値の結果を見ながら、予算編成が必要です。どこもそうですが、各部門の予算案の積み上げが前提ですが、一つの予算案にまとめるには、全体的な重点の置き方、必要な場合には部門間での調整も無ければ、全員が責任を持てるものは難しいのではないかと思います。消費税引き上げの時代、どのように業務運営をするか、真摯な議論が必要でしょう。(11/19)<15573>
◇ 日曜日で、午後、仙台での中学時代のクラスメートとの昼食会がある。
11時24分の新幹線に乗るべくマイカーで出発。どうも、ガタガタという音があり、どうしてだろうと思いながら走る。一瞬、タイヤかなと思いつつも、ハンドルは取られることないので、まずは駅に向かう。途中で、信号で止まった前の車の運転手さんが、降りてきて、「タイヤパンクしてますよ」と教えてくれた。早めに降りて点検すべきだった。とにかく、駅前の店の駐車場に入れたら、まったく左後輪がペシャンコ。失敗!!耳が悪いのか、それほど聞こえなかった??。
早速、日曜だが、宇田自動車やさんに電話。携帯電話に出てくれた。仙台から帰るまでに、夏タイヤに替えてくれるという。有難い!タイヤは夏も冬も宇田さんに預けてある。4時半頃戻ってきたが、履き替えてくれていた。先日、買ったばかりスタッドレスタイヤ1本。ボロボロにしてしまった。多分、昨夜、家の近くの病院の角を曲がってくるとき、縁石の端に後輪を乗せて、ゴトンしたのが原因と思う。それほどの衝撃でなかったので、よく点検していなくて。タイヤの壁面に傷がついたのではと。まあ、明日の昼頃、行って、新しいタイヤに交換してもらう。今週土日の、秋田ー青森は大丈夫か、ちょっと心配になったが、気を付けて行こう。
仙台は、東華中学校3年8組(1959年度)のクラス会・昼食会。去年、震災後、集まって1年ぶり。神奈川・東京からも含め13人の昼食会。前回のメンバーと重なっているので、話も続き。私だけでなく、会えるときには会っておこうという心情のようだ。帰りしな駅構内の喫茶店での2次会(?)。
福島に戻って、車を確認し、5時からの会合に出てきました。福島の原発問題についての会合。県議会も「脱原発依存」を掲げているが、市民レベルでどのようにすべきか、福島県民としては避けて通れない問題。
長女が送ってくれた「ドンコ」。味噌汁仕立てのどんこ汁。亡き父の得意料理。この美味しさは、昔を思い出させる。(11/18)<15557>
◇ 午前中は、見守り留守番でしたが、午後、市内でのゼミ卒業生の結婚披露宴。
2001年3月、ゼミ卒業生で、福島市役所に就職した新婦ですが、新郎も福島市職員なので、双方の来賓は、それぞれの上司・部長さん。ほとんどの列席者は、市役所関係か。200名近い人で盛大だ。
余興も、総務部と市民部の競争のような感じしたが、大変洗練された、若者風イベント。友人としてきた福大の卒業生等と歓談。楽しいひと時だった。(11/17)<15542>
◇ 今日の衆議院本会議。丁度、天皇の国事行為としての「衆議院の解散」をテレビで見ることになりました。来月の16日の投票日に向けて、選挙一色になりそうです。復興の作業が後景に退いてしまう危惧を持ってしまいます。また、何か、民主から自民への政権復権に何も展望を見いだせないことも事実です。
昼飯時、福島市郊外の茂庭に出かけ、ソバと温泉を楽しんできました。摺上ダムの下のふるさと館ですが、舞茸そばと天ぷらを食べ、隣の温泉で湯を楽しみ、帰ってきました。そばに辿り着く前に、道を間違えてお猿さんの家族に会ってしまいました。お互い、あまりビックリしませんでしたが、アトホームの感じ、微笑ましい様子。
福島の郊外には、素敵な場所が残っています。茂庭は、飯坂温泉、穴原温泉を過ぎて、山形県(高畠町)とかなり近いのですが、放射線が低いのか、子どもの遊び場もあります。咳は止まりませんので、明日の卒業生の結婚式、心配になりましたが、挨拶をしなければならないか気になりましたが、招待状を見たら、何も書いていないので、うまくすり抜けられるかも。雨の日のようですが、心温まる結婚式になるでしょう。(11/16)<15530>
◇ 声は出るようになりましたが(高音はまだですが)、風邪の症状か、咳が抜けません。体に力が出ないので、横になっていました。
午後、車で街に出ましたが、あとは夕方、お偉方との懇親会。以前に、出席の通知をしていて、ドタキャンは迷惑と思って、参りました。会費が高いので、栄養価の高いものだけを食べて、早く帰ろうと思いましたが、そうもいかず、8時まで付き合いました。アルコールは飲みませんが、それほど具合が悪くないので、そろそろ治るのでしょうか。
一昨日、開催した「フォーラム」の新聞記事が出ました。当日の感想文も、私だけ見ているのではもったいないので、ブログにアップししました。こんなフォーラムの縁で塩竈の保育関係者のKさんを経由して、神奈川からのドングリが福島の保育園にも届けられるそうです。もっと盛んにしていきましょう。(11/15)<15509>
◇ 今日はコープぐんまの理事&組合員の皆さんが、大玉村の仮設住宅(富岡町の方が多い)に支援に来るというので、昼頃、大玉村へ。弁当を食べながら交流会。40人ほどがバスに乗って、3時間かけて来てくれました。富岡町の自治会長の挨拶など、仮設住宅生活の実態を話し、質問などに応じていました。日帰りなので、あとの時間は、コープ安達太良店で買い物支援。不思議と「いか人参」や、「喜多方ラーメン」等が話題になっていました。
3時前まで付き合って、コープに寄って帰宅。外に出て、安達太良山からの吹きおろし、小雨で寒かったためか悪寒が続く。6時前からベットに入り、サッカーのオマーン戦に気づき、ベットでみていたが、1対1になってしまい、最後、階下で応援しようと思い起きたが、なんと2対1での勝利。暑かったでしょうが、良かったね。
声の出ないことを心配して、ゼミ卒業生も、同病の際に、鍼か、耳鼻科がいいと教えてくれた。若いのに、何とか克服して頑張っているんだ。私は、歳のせいにするが、反省。いろいろ体の心配してくれて、有難い。サッカー勝利のせいか、少し体調が良くなったような気がする(単純!)。まあ、大事を取ることにしよう。(11/14)<15492>
◇ 昼過ぎ、コープ関係の書類を届けて、組合員理事の会合を少し覗いて、帰宅。(ポツリポツリと必要な書類が出てくるので、閉口。)
早めに夜のフォーラムの会場に集まり、研究打ち合わせ。夜のフォーラムは、寒さもあり、20名ほどの参加。なかなか宣伝が上手くいきません。観光業は、福島の復興にとって重要です。観光業者のしぶとい経営戦略の展開を垣間見ました。
声は出てきましたが、悪寒がして、風邪の症状。風邪ひいてはいられません。ゆっくり休むことにしましょう。(11/13)<15478>
◇ 今日も、なかなか声が戻りません。妻から別人がいるみたい、と言われて、少し無言。特に、高音が出ません。森進一状態と言っては、森進一に悪いのですが。
自宅でボーッとしているので、昼までに仕事が終わった妻と、昼飯時の映画鑑賞。いつもはパラパラなのですが、中年のご婦人がいっぱい。映画は、吉永小百合主演の「冬のカナリアたち」。何か現代の教育問題への批判、何か「生きる」ということを強調するのは、震災が原因でしょうか?
涙腺が緩くなってきて、すぐ涙ぐみがちですが、涙が溢れてきてしようがなかった。年のせいだから仕方がないが、感情が何の制約もなく自然に出てくるのは、自由になってきたのでしょうか。それにしても、同じ年代の吉永が老け役はともかく、その20年前の若い先生の役をやっても違和感がない。凄い女優だ。
来年度の非常勤講師の打診もきたが、声が回復すればだが、あてにされるうちが花。がんばることにしましょう。(11/12)<15463>
◇ 朝起きたら、声の方は、ますます出なくなりました。発声練習をするも、なかなか高音がでません。森進一状態です。
何とか、10時に講義の開始までに治るのでは思いましたが、そうもいきません。それでも、ガラガラドンの声ですが午前が終わり、午後に期待したら、ますます悪くなっている様子。単なる声のかすれで、病気の前兆でなければいいのですが。様子を見てみて、治らない時には、病院に行くことにしましょう。とにかく、何とか2日間の集中講義は終わりました。
子どもたちは、みな日曜出勤のようです。来週は、ゆっくりしながら次に向けて進みましょう。(11/11)<15446>
◇ 土曜日。一日放送大学の面接授業です。場所は郡山の福島学習センター。
随分前に頼まれていたのですが、結局、前日準備となってしまい、1時半頃の就寝、眠い一日でした。8時半頃自宅を出発、福島飯坂ICから一路郡山へ。途中、安達太良SAに寄り、昼食のおにぎりを買って、ついでにカリントウ饅頭。
北村センター長とお会いし、10時から85分授業が4コマ。声をセーブするために、2コマ目からはマイクを使いました。授業科目は「労働と法」。受講希望者は18人でしたが16人の参加でした。社会人がほとんどなので、真面目な受講態度で、話していて気持ちがいい。内容の満足はあるかどうかは別ですが。
明日も、同じ時間帯。声が枯れましたが、明日まで回復するでしょう。しかし、また明日の準備。早めに就寝となりたいが、・・・・(11/10)<15431>
◇ 今日、金曜日。終日、コープふくしま本部に詰める。
福大のセンター教員からの要請で、川内村の共同店舗関係の相談。コープも共同購入を開始したばかりだが、利用いただく組合員世帯も増えている。帰村を実質化するために、いかなる協力が出来るか、説明を聞いた上で、事務レベルでの検討が必要となっている。
昼休み、取引している都市銀行の書類書き換え。書類の多さに驚く。
午後1時半からは、コープふくしまの第6回定例理事会。専務からの報告の後、3つの分散会に分けて質疑応答・討論。再開の全体会で、論点を整理したペーパーを出して、報告。ほんの5分位でペパーが出るからすごい。問題が多岐に提示されているので、分散会での発言者も多くなっていると思うが、各理事の発言を直接的に聞けないのは少し寂しい。それは、理事会メンバーレベルでの自由な勉強会等で補うべきか。
帰宅夕食後、映画館へ。「いわさきちひろー27歳の旅立ちー」。没後38年というから随分経ったものである。1974年の逝去というから、私が秋田大学に就職した頃。その後、子どもが生まれて、いつもちひろの絵本が、周りにあったので、つい最近のような気がする。作品の生命力か。上映最後の日だからなのか、いつもと違い30名くらいの大入り。知人とも逢う。
てなわけで、明日の放送大学(郡山)での長時間講義の準備の再開が遅くなった。今から頑張りましょう。(11/9)<15406>
◇ 午前中に、県の会議。終了後、委員同士で昼食会。大切な委員会ですので、なすべき課題について様々な意見交換ができました。委員としては、もう少し積極的に、主体的に対応しないといけないかなと実感しました。自らの役割に対する責任を感じます。
午後から、主宰しているフォーラムでの報告の依頼に、川俣町役場まで。震災で近くに移転していることを知らず、少々探しました。町長さんと1時間近く懇談。川俣町は山木屋のように避難している地区、飯舘村の小学校を受け入れ、自らの除染・産業復興の課題があって、何か福島全県の課題の縮図のような感じ。きっと、福島県の復興に大きな示唆を与えてくれると思います。誠実な町長さんです。箱根駅伝の選手だったと新聞で知りましたが、そのことは触れませんでした。
川俣町からの帰路、飯舘村役場が避難している、飯野支所(福島市)に立ち寄りました。飯舘村と福島市の協定に基づく取り組みのヒアリングです。飯舘村総務課で資料をいただき、避難状況を聞き、隣の飯野支所、そして飯野町商工会。飯野の文化、飯舘の文化、ともに発展し、花開くことを期待しています。意識的な問題提起と協力が必要なようです。(11/8)<15392>
◇ 今日は立冬である。冬も近い。
知人の自動車整備工場から、新しい冬タイヤを購入したとの連絡があり、いつ取り替えるかと思っていたが、結局、今日取り替えた。異例の速さである。新タイヤは少し乗らないと効かないということもあるので。11月下旬の秋田及び弘前での講演の旅行には、新幹線で行く方針を変更して、自動車で行くことにしましょう。まさかこの時期にタイヤは交換していなくて、万一の雪を心配していたが。
夕方、来年3月8−9日の科学者会議の原発災害のシンポジウムの内容打ち合わせに出席。お手伝いの域を出ないが、当日はコープの理事会があって全部の出席はできない。
ふくしま復興支援フォーラムの意見交換が必要なので、なかば「遊び」だが、ブログを作った。フォーラム限定のブログである。いつも上手くいかないブログだが、窓は開いている必要があるだろう。(11/7)<15367>
◇ 午前中、ショートスティへお迎え。遠くから見つけてくれました。午後は、妻が仕事なので見守り留守番。
先日、飯舘村の菅野村長に聞いていた、福島市との協定の締結がテレビのニュースで知りました。正式には、「いいたて までいな復興計画に基づく帰村のための取り組みへの支援に関する協定」。飯舘村が村外の子育て拠点整備として計画する復興公営住宅やコミュニティー拠点、学校給食センターの整備、村民の就業支援について村と福島市が協議しながら進めることとしている。町外コミュニティーの参考になると期待されている。
受け入れ自治体の福島市の動きが見えなかったので、大変うれしい。早速Facebookにメッセージを書き込む。「飯舘村が避難し、役場を置いている福島市と、飯舘村が協力協定を締結したとニュースは伝えています。歓迎します。行政の協力はいうまでもありませんが、必要なのは、飯舘村民と福島市民の交流の強化が必要と感じています。飯舘村は6000人の村民の半数をかなり超える住民が福島市に居住しています。「までいな村」づくりをしてきた飯舘村の経験に学んで、福島のまちづくりに生かしたいものです。特に福島市南部、旧飯野町や旧松川町のまちづくりへの大きな期待をしています。市民レベルで、「飯舘村民と福島市民の交流を進める会」のようなものが欲しいですね。飯舘村の文化と福島市の文化の共同の発展が夢です。同じ思いの方はいないですか?」と。
どんな反応があるか期待していたのですが、だれも「イイね」とも押してくれない。夜、気が付きました。自分向けだけのメッセージになっていて、「公開」されていなかった。変更したら、35人の方々が「いいね」と押してくれた。飯野や松川に住んでいる福島市民が、町の活性化のために動けるか。大学の役職の時に、松川町自治振興協議会のアドバイザーになっていて、福島市南部の地域の活性化に、大学も含めて期待を持っていたテーマ。福島市北部(笹谷)に住んではいるが、南部に対する熱い眼差しと行動でムズムズしている。(11/6)<15360>
◇ 月初めの月曜日は、コープの朝礼。本部職員が9時に集まり、専務理事からの業務報告があるのですが、その冒頭に理事長が挨拶することになっています。
仕事の前ですので、あまり混乱をさせてはいけないし、実質は専務が詳細な報告を行います。私なりに理解していることは、また1か月元気に頑張りましょう、ということなのですが、毎回同じでも芸がありません。
今年は国際協同組合年でもあり、全県の生協大会、JA全農フェアとの協同の取組み等、協同組合並びに協同組合間の協同の必要性を強調し、生協の地域社会における役割の大きさを強調することの挨拶にまとめました。最近の川内村や飯舘村の動きのなかで、そのことの重要性を特に感じます。もっと、生協運動の理論的な問題を勉強してみたいと思います。
午後、大学の担当者から、川内村でのコープとの協働の問い合わせがあり、可能性があるかどうか話し合いをすることにしました。コープは、生協法に基づくもので一般会社とは異なりますが、諸団体との協働の中で、独自の役割を果たしていくべきでしょう。(11/5)<15339>
◇ 好天の日曜日です。気持ちのいい秋晴れです。やるべき宿題はあるのですが、何か今までの延長ではダメだなと思い、敢えて手を付けていません。迷惑をかけないようにはしたいのですが。
妻と約束をしていた、いわき行きです。いわき市石炭・化石館でやっている「ユネスコ世界記憶遺産『山本作兵衛コレクション』全国産炭地キャラバン展inいわき」を見に行くことです。筑豊の炭鉱夫として働いた山本の炭鉱画など。当時の炭鉱労働の様子を克明に描いています。妻は、前に山本の画集は購入して、先日の福岡出張の折、田川市の石炭・歴史館に立ち寄る予定だったのですが、台風襲来のため断念。いわきでやっているというので、付き合いました。今日が最終日です。
作兵衛氏は、14歳から63歳まで採炭夫・鍛冶工として筑豊各地の中小炭鉱で働きましたが、66歳から描き始め、92歳まで描いたとのこと。「世界記憶遺産」は、失われていく歴史的記録遺産を保全し、公開することを目的にした事業で、世界遺産(不動産対象)、無形文化遺産と並ぶ三大遺産事業の一つです。山本作兵衛の作品群は、実際に働いていた一坑夫の体験に基づくものであること、公的なものでなく全く個人的な記録であること、当時の風習や生活も記録されていることなどが評価されたようです。
絵は緻密で、かつ解説文も記録性を増しています。リアルな労働の様子は、過酷な様子が良く解ります。そのあと、館内の模擬坑道(常磐炭鉱)を見学すると、そこはかなり機械化された様子で、時代の違いを示しているようです。福島大学が所蔵している常磐炭鉱の膨大な資料が、もっと生かされればと思っています。(公開には提供者との関係で難しい問題もあるようですが、せめて未来のために整理をしておく必要を感じますし、「遺産」としても)。
石炭・化石館は、化石や大きな恐竜の骨格の再現をしていますが、「うちのチビタチ」を連れてきたいねと話していました。
遅めの昼食を済ませて、帰宅は4時半。夕方になってしまいました。ゆっくり見ることができ、満足です。孫たちは、嵐のように(?)京都を襲い、無事、塩竈に戻ったようです。(11/4)<15327>
◇ 今朝は、コープふくしま、JAグループ協同組合間協同「2012秋の地産地消まつり『JA全農フェアー』のオープニングセレモニーに出てまいりました。コープマート方木田店で、開店の30分前9時半からのセレモニーです。店を開ける前の職員や関係者を前にしての集まりですが、主催者として理事長挨拶。
いろいろ担当者からレクチャーを受けてはいたのですが、創立80周年になるコープふくしまが、地域の皆さん・組合員の皆さんの暮らしと健康を守る取り組みをしてきましたが、その中でも消費者と生産者と一緒に取り組んできた産地直送など積極的に地産地消を推進してきたこと。しかし昨年の大震災での原発事故からの放射線汚染、風評被害で福島県産農産物への打撃は福島の地域経済にも大きな痛手となっていること。コープふくしまは、福島県と共同して県産品の応援、JAの果物ギフトを応援するために「応援隊」をつくって、大きな成果をあげています。
今年21012年は国際協同組合年、地域とともに存在する協同組合が、この震災、原発事故からの復興に向けた取組みを、今日を契機に、JAとの共同をさらに強めたいと思う。という趣旨のつもりだったが、どこまで伝わったか?
JA全農代表や生産者(麓山=はやま=高原豚)の挨拶、具体的な指示に基づいて、店のオープニング。来場者に福島のオリジナルブランド「天のつぶ」の配布(先着順)に、法被も来て参加。朝から、多くの来店者。ライシーホワイトのお嬢さん(ライス+ヘルシー+ホワイトらしい)も参加したが、この前の写真の方とも異なるので、聞いたら、なんと福大行政の学生。友人・境野さんのゼミ生。いろいろとゼミの様子など聞く。大学職員も買い物に来たが、こちらの法被姿にびっくり。いい経験をしました。
昼前に帰宅、午後は「福島大学経済経営学類創立90周年 記念式典・記念講演会・記念祝賀会」に参列。経済学部卒業生である村田副知事が、知事の代理で参加し、来賓あいさつ。集会の前に挨拶したが、いわき市助役、総務部長時代から、いろいろお世話になった。記念講演は、吉原元学長。「東北に知の梁山泊ありーアカデミーとしての福大経済」。半世紀前以来の学部のアカデミックな雰囲気は語り尽くせない。なんと900人もの出席。ホールに入りきれません。祝賀会も大盛況。多分、今夜は、同期生などが温泉で旧交を温めていることでしょう。この輝かしい軌跡を、受け継いで、新たな発展を模索する時期と思います。現・旧教職員、大多数の同窓生の熱気が伝わってくる会合でした。
新しい田中文科大臣が、大学設置に関して審議会の答申をひっくり返して設置を否定。手続き上、大いなる疑問であるが、少数の大学の高度化を狙い、特に地方の弱小大学の整理に向かう狼煙のような感じもする。ノーベル賞獲得をめざせる研究大学院を重点にしようとしているのかもしれないが、国民の高等教育要求にどう応えるか、その視点は弱い。50%前後の進学率は、韓国や台湾と比較しても、まだまだ低い。単なるいつものパフォーマンスなのか、もっと奥深いものか、目は離せない。
孫一家の京都旅行。京都から元気な電話の声。(11/3)<15307>
◇ 吾妻山は初冠雪。例年より遅いというのですが、寒さが身に沁みます。自宅にいて、山の様子が分かっていましたが、今は隣・山の方向に住宅が建設されたので、テレビの報道で知り、あとで目視の確認。ちょっと残念。
午前中、義母をショートスティに送っていきました。施設の中は、今年の作品で、花のよう。1月から入所者の作品など、1年の総集編か、年末の様子。
午後、飯舘村の菅野村長を乗せて、一路塩竈へ。私が仲介してお願いした講演会。「−原発ゼロをめざす塩釜・多賀城・利府・七ヶ浜・松島地域連絡会ー 結成総会・記念講演」。第1部の記念講演をしていただきました。「『お金の世界』から『いのちの世界』へ」。そのレジメによれば、「1.第3の転換期 2.世界一安全な国が危ない国へ 3.「スローライフ」を「までい」ライフへ 4.計画的避難区域?? 5.原発事故の特異性 6.おカネの世界からいのちの世界へ」。ユーモアがあり、巧みな話術で感動。思えば、会議が一緒になるものの、講演をまとめて聞いたのは初めて。
帰途、多賀城の姪の店「じゅげむ」に立ち寄り、コーヒーをいただく。姪は自宅に帰っていたが、電話して来てもらった(悪いね)。菅野さんも、店を気に入ってくれて、トレーラーハウスに大きな興味を示してくれ、姪に詳しく聞いていた。あるいは、飯舘村のトレーラーハウスの居酒屋ができるかも(笑)。
往復の行程の3時間ほど、飯舘村のいろいろ課題を教えていただいた。本当に人間味のなる村長さんだ。何とか、飯舘の復興が進んでほしい。ささやかでも支援しなければと思う。急速に進む風化。被災地としての継続的な発信が不可欠である。
娘の婚家先の娘の義父母にお会いし、美味しい寿司もいただいたが、孫一家は京都へ行っていて不在。(11/2)<15294>
◇ 11月になりました。霜月、霜が降る月です。寒さが感ずる時期になりました。
「ふくしま復興支援フォーラム」の準備で、次回の報告者に説明に土湯温泉まで行ってきました。お忙しい人なので、なかなか連絡が取れません。福島の観光業の現状と課題の報告をしていただきます。
土湯温泉では、1年以上震災のために関係の休業を余儀なくされた旅館が、今日、再開業です。それでも5施設が廃業になったようです。観光業は、福島の主要産業。まだ県内の客、あるいは復旧事業の作業者の宿泊が中心で県外のお客さんはまだまだ。
観光と被災地視察、何か違和感がないとは言えませんが、復興の過程では、そうした企画も必要ではないかとも思えます。被災地が忘れられない、被災地の経済活動を動かすためには必要かなと思います。コープの旅行センターでも、全国の善意の旅行者の便宜を図るような企画をしてはどうかとも思いますが。既に、市場で売れない柿落としのボランティアと温泉旅行とのパックもあるようです。
役場の首長さんの報告のシリーズも考えて、役場に電話。ようやく、ご本人とお会いできる日時を確保できました。24回にもなると、惰性になりがちですが、その段階に必要な発信を、新鮮に作り出す必要があるでしょう。明日は、講演する村長さんを乗せて、塩竈に行ってきます。日帰りです。天気が心配ですが。(11/1)<15269>
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