偶成 | ||
木戸孝允 | ||
一穗寒燈照眼明, 沈思默坐無限情。 囘頭知己人已遠, 丈夫畢竟豈計名。 世難多年萬骨枯, 廟堂風色幾變更。 年如流水去不返, 人似草木爭春榮。 邦家前路不容易, 三千餘萬奈蒼生。 山堂夜半夢難結, 千嶽萬峰風雨聲。 |
一穗の寒燈 眼を照らして 明かなり,
沈思 默坐すれば 無限の情。
頭を囘らせば 知己 人 已に遠し,
丈夫 畢竟 豈 名を計らんや。
世難 多年 萬骨 枯る,
廟堂 風色 幾 變更。
年は 流水の如く 去りて 返らず,
人は 草木に似て 春榮を 爭ふ。
邦家の前路 容易ならず,
三千餘萬 蒼生を 奈せん。
山堂 夜半 夢 結び難し,
千嶽 萬峰 風雨の聲。
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◎ 私感註釈
※木戸孝允:政治家。天保四年(1833年)〜明治十年(1877年)。長州藩出身。号は松菊。木圭など。通称は小五郎。後、準一郎。尊攘・倒幕運動に指導的役割を果たし、西郷隆盛、大久保利通とともに「明治維新の三傑」といわれる。幕末は桂小五郎として活躍した。
※偶成:たまたま出来上がった詩。これは、「照眼明」「人已遠」「豈計名」「年如流水」「去不返」「不容易」…と実に巧みな措辞と見事な表現構成による詩である。中国人の作かと思われる程に、よくこなれたできばえであり、当時の日本漢詩の水準の高さがよく分かる詩である。なお、書き下しは、聯単位でまとめるようにすべきだが、この作品は句単位でまとめて読む方が読み下しやすい構成であり、また、伝統的にそのようにしてきているので、それに倣う。
※一穗寒燈照眼明:一つだけの灯火(ともしび)さびしげに灯(とも)り、まぶしく照らして。 ・一穗:〔いっすゐ;yi1*sui4●●〕ほのような形をした一つだけの灯火(ともしび)。菅茶山の『冬夜讀書』に「雪擁山堂樹影深,檐鈴不動夜沈沈。閑收亂帙思疑義,一穗燈萬古心。」とある。 ・寒燈:さびしげな灯火。寒い冬の夜のともしび。寒々とした灯火。作者の心情が反映した語。盛唐・高適の『除夜作』に「旅寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。故ク今夜思千里,霜鬢明朝又一年。」とあり、南宋・陸游は『夜遊宮』記夢寄師伯渾で「雪曉C笳亂起。夢遊處、不知何地。鐵騎無聲望似水。想關河,雁門西,海際。 睡覺寒燈裏。漏聲斷、月斜紙。自許封侯在萬里。有誰知,鬢雖殘,心未死。」と使う。 ・照眼:まぶしい。まぶしく照らす。
※沈思默坐無限情:じっくりと考え込んで黙ったまますわり続けていると、限りの無い思い(が湧き上がってくる)。 ・沈思:じっくりと考える。深く考えこむ。思案にふける。清・納蘭性コの『浣溪沙』に「誰念西風獨自涼,蕭蕭黄葉閉疏窗。沈思往事立殘陽。被酒莫驚春睡重,賭書消得潑茶香。當時只道是尋常。」とある。 ・默坐:黙ったまますわ(り続ける)。 ・無限情:限りの無い思い。中唐・白居易の『楊柳枝』其三に「依依嫋嫋復青青,勾引清風無限情。白雪花繁空撲地,阪N條弱不勝鶯。」とある。 ・無限:限りの無いこと。限界のないこと。 ・情:思い。
※囘頭知己人已遠:(往時を)ふり返って(見れば)、自分の真価を知ってくれていた親友は、もはや遠い存在となってしまった。 ・囘頭:ふり返る。こうべを廻らす。 ・知己:〔ちき;zhi1ji3○●〕自分の心や真価を知ってくれる人。親友。『史記』刺客列傳・豫讓「嗟乎!士爲知己者死,女爲説己者容。今智伯知我,我必爲報讎而死,以報智伯,則吾魂魄不愧矣。」から出る。東晉・陶潛の『詠荊軻』に「燕丹善養士,志在報強嬴。招集百夫良,歳暮得荊卿。君子死知己,提劒出燕京。素驥鳴廣陌,慷慨送我行。雄髮指危冠,猛氣衝長纓。飮餞易水上,四座列群英。漸離撃悲筑,宋意唱高聲。蕭蕭哀風逝,淡淡寒波生。商音更流涕,酎t壯士驚。心知去不歸,且有後世名。登車何時顧,飛蓋入秦庭。凌脂z萬里,逶迤過千城。圖窮事自至,豪主正怔營。惜哉劒術疏,奇功遂不成。其人雖已歿,千載有餘情。」とある。初唐・王勃の『送杜少府之任蜀州』に「城闕輔三秦,風烟望五津。與君離別意,同是宦遊人。海内存知己,天涯若比鄰。無爲在岐路,兒女共沾巾。」とある。 ・人已遠:(そのような)人々は、もはや遠い存在となってしまった。
※丈夫畢竟豈計名:立派な男子たるべき者は、つまるところ、どうして(自分の)名声・名利を考えようか、誰も考えてはいなかった。 ・丈夫:〔じゃうふ;zhang4fu1●○〕一人前の男。心身ともにすぐれた立派な男子。ますらお。また、おっと。周の制で、一丈は八尺で、一尺は、22.5cm。故、22.5cm×8=180cm。これを男子の身長としたところからいう。なお、『孟子・滕文公下』「富貴不能淫,貧賤不能移,威武不能屈,此之謂大丈夫。」や『韓非子・解老』「所謂大丈夫者,謂其智之大也。」では、「大丈夫」とは(身長、体格ではなくて)人格であると云う。東晉・陶潛の『雜詩十二首』其四に「丈夫志四海,我願不知老。親戚共一處,子孫還相保。觴弦肆朝日, 樽中酒不燥。緩帶盡歡娯,起晩眠常早。孰若當世士,冰炭滿懷抱。百年歸丘壟,用此空名道。」や晩唐・陸龜蒙の『離別』に「丈夫非無涙,不灑離別間。杖劍對尊酒,恥爲游子顏。蝮蛇一螫手,壯士即解腕。所思在功名,離別何足歎。」とあり、南宋・陸游の『金錯刀行』に「黄金錯刀白玉裝,夜穿窗扉出光芒。丈夫五十功未立,提刀獨立顧八荒。京華結交盡奇士,意氣相期共生死。千年史冊恥無名,一片丹心報天子。爾來從軍天漢濱,南山曉雪玉嶙峋。嗚呼,楚雖三戸能亡秦,豈有堂堂中國空無人。」 とあり、同・陸游の『樓上醉歌』に「我遊四方不得意,陽狂施藥成キ市。大瓢滿貯隨所求,聊爲疲民起憔悴。瓢空夜静上高樓,買酒捲簾邀月醉。醉中拂劍光射月,往往悲歌獨流涕。剗却君山湘水平,斫却桂樹月更明。丈夫有志苦難成,修名未立華髪生。」とある。また、作者・木戸孝允が「丈夫」の語で、暗に指していると思われる西郷隆盛の詩に『偶成』「幾歴辛酸志始堅,丈夫玉碎恥甎全。一家遺事人知否,不爲兒孫買美田。」がある。 ・畢竟:ひっきょう。結局。つまりは。つまるところ。現代日本語ではマイナスイメージの内容に使われることが多いが、漢語では、そういうことは特にない。辛棄疾の『菩薩蠻』書江西造口壁に「鬱孤臺下C江水,中間多少行人涙。西北望長安,可憐無數山。 山遮不住,畢竟東流去。江晩正愁余,山深聞鷓鴣。」とある。 ・豈計名:どうして名声・名利を考えようか。 ・豈:〔き;qi3●〕どうして。あに。疑問・反語の助辞(字)。 ・計名:名を揚げることを図り考える。
※世難多年萬骨枯:世の中は、多年に亘る難儀に(遭遇し、)一人の将軍の成功の下には、多くの兵士の犠牲があった。 ・世難:世の中が難儀な状態にある。 ・難:〔なん;nan4●〕わざわい。災難。難儀。なお、形容詞の「むずかしい」は〔なん;nan2○〕。ここは、平仄上、前者の意で使われている。 ・萬骨枯:多くの兵卒の骸がひからびている。晩唐・曹松の『己亥歳』に「澤國江山入戰圖,生民何計樂樵蘇。憑君莫話封侯事,一將功成萬骨枯。」とある。 ・枯:〔こ;ku1○〕ひからびる。「枯骨」となる。白骨となる。≒〔ku1〕。王昌齢の『塞下曲』には「飮馬渡秋水,水寒風似刀。平沙日未沒,黯黯見臨。昔日長城戰,咸言意氣高。黄塵足今古,白骨亂蓬蒿。」 がある。
※廟堂風色幾變更:朝廷のながめ(政治的な情況)は、何回変わったことか。 ・廟堂:〔べうだう;miao4tang2●○〕朝廷。政府。天下の大政をつかさどる所。また、みたまや。宗廟。ここは、前者の意。幕末・久坂玄瑞の『失題 』に「皇國威名海外鳴,誰甘烏帽犬羊盟。廟堂願賜尚方劍,直斬將軍答聖明。」とある。 ・風色:景色。ながめ。天気。 ・幾變更:何回変わったことか。
※年如流水去不返:年月は、流れ行く川の水のように過ぎ去ってしまい、戻ってくることはなく。 ・年如流水:年月は、流れ行く川の水のよう(に過ぎ去ってしまう)。 ・流水:流れ行く川の水。年月の経過を云う詩詞の常套表現。『論語・子罕』「子在川上曰:逝者如斯夫!不舎昼夜。」からきている。盛唐・崔惠童の『宴城東莊』に「一月人生笑幾回,相逢相値且銜杯。眼看春色如流水,今日殘花昨日開。」とあり、盛唐・李白の『把酒問月』「天有月來幾時,我今停杯一問之。人攀明月不可得,月行卻與人相隨。皎如飛鏡臨丹闕,拷喧ナ盡C輝發。但見宵從海上來,寧知曉向雲陝刀B古人今人若流水,共看明月皆如此。唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。」とある。 ・去不返:去っていって、引き返すことはない。「一去不復返」の表現は『史記』卷八十六・刺客列傳第二十六にある戦国末・荊軻に「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」とあり、唐・崔(さいかう:cui1hao4)の『黄鶴樓』に「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡州。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」とある。 ・返:引き返す。元へ戻る。かえる。
※人似草木爭春榮:人は草木に似て、世の春にときめき栄えることを争っている。 ・人似草木:人は草木に似ている。 ・爭:あらそう。 ・春榮:世にときめき栄えること。また、春の花。ここは、前者の意。漢魏・蔡琰(蔡文姫)の『悲憤詩』其二章(七言騒体)に「嗟薄兮遭世患,宗族殄兮門戸單。身執略兮入西關,歴險阻兮之羌蠻。山谷眇兮路曼曼,眷東顧兮但悲歎。冥當寢兮不能安,飢當食兮不能餐,常流涕兮眥不乾,薄志節兮念死難,雖苟活兮無形顏。惟彼方兮遠陽精,陰氣凝兮雪夏零。沙漠壅兮塵冥冥,有草木兮春不榮。人似禽兮食臭腥,言兜離兮状窈停。」とある。
※邦家前路不容易:我が国の前途は、容易なものではなく。 ・邦家:(我が)くに。国家。 ・前路:行くさき。ゆくて。これから先の行程。将来。前途。前程。但し、「前途」「前程」としないのは、それらは○○であり、ここは●●としたいところなので、「前路」○●(●●のところに使える形)とした。東晋・陶淵明の『歸去來兮辭(歸去來辭)』に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。」とあり、盛唐・高適の『別董大』に「十里黄雲白日曛,北風吹雁雪紛紛。莫愁前路無知己,天下誰人不識君。」とある。 ・不容易:容易ではない。簡単ではない。多難である。
※三千餘萬奈蒼生:三千余万人の人民をどのようにしていけばいいのか。 ・三千餘萬:当時の我が国の人口の概数。明治十年(1877年)の日本の総人口は、3,587万人(総務省統計局統計調査部国勢統計課「国勢調査報告」…より)。 ・奈:〔な、だい;nai4●〕いかん。いかんせん。いかんぞ。疑問、反語の辞。秦末漢初・項羽の『垓下歌』に「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何。」とある。 ・蒼生:人民。万民。蒼氓。
※山堂夜半夢難結:隠棲している屋敷での夜半は、眠りにつきにくく(、そのわけは)。 *この聯に似たイメージに南宋・陸游の『十一月四日風雨大作』「僵臥孤村不自哀,尚思爲國戍輪臺。夜闌臥聽風吹雨, 鐵馬冰河入夢來。」がある。 ・山堂:(作者が)隠棲している屋敷。山奥の建物。 ・夢難結:夢を見がたい。眠りにつきにくい。
※千嶽萬峰風雨聲:多くの山々から雨風の音(が聞こえてくるからだ)。 ・千嶽萬峰:盛唐末・杜甫の『詠懷古跡』に「羣山萬壑赴荊門,生長明妃尚有邨。一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黄昏。畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。」とある。 ・風雨聲:雨風の音。唐・孟浩然の『春曉』に「春眠不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少?」とあり、我が国の江戸時代中期・荻生徂徠の『寄題豐公舊宅』に「絶海樓船震大明,寧知此地長柴荊。千山風雨時時惡,猶作當年叱咤聲。」とあり、前出・陸游の『十一月四日風雨大作』に「夜闌臥聽風吹雨, 鐵馬冰河入夢來。」とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAAAAA」。韻脚は「明情名更榮生聲」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●●○,(韻)
○○●●○●○。(韻)
○○○●○●●,
●○●●●●○。(韻)
●●○○●●○,
●○○●●●○。(韻)
○○○●●●●,
○●●●○○○。(韻)
○○○●●○●,
○○○●●○○。(韻)
○○●●●○●,
○●●○○●○。(韻)
平成22.4.1 4.2 4.3 |
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