日 記

(2013年2月)


<今野順夫の部屋>

◇ 今日で2月も終了。本当に逃げるような2月です。尻尾も掴めませんでした。
 県庁での午前中の会議(御前会議ではありませんが)。予定されている議題を見ると、10時半〜始まって、11時半頃には終了すると思っていましたが、いざ、机の上には大量の資料。12時が過ぎました。どれも重要な議題ですので、止むを得ません。福島の街を散歩がてらという目論見は消えました。
 しかし、諦めるのはまだ早いとばかり、同席しているT弁護士さんと、「かーちゃんの力プロジェクト」の店へ、ランチを。何とか辿り着きました。Tさんも興味を持ってくれて有難い。今度は、奥様を連れてくるかなと。
 早々、原稿締切も今日なので、仕事をしようと帰宅。所得税の申告の時期でもあるので、そろそろと思って関連書類を引き出して、びっくり。年金支給に関わって、25年分扶養親族等申告書が出てきました。昨年11月末に提出するものでしたが、変更なしなので油断しているうちに忘れてしまいました。変更なしでも出さないと不利益ではと持って、国家公務員共済組合連合会に電話。すぐに出してくださいとなったのですが、不提出だと2月の年金の税金部分が多くなっている、4月にいくらか戻されるとのこと。
 毎年やらないと控除されないということ。当たり前だが、大学に在職していた前年までは、大学事務から自動的に(?)来ていたので、忘れることは無かった。催促もされるので。大学から外れて、「使用者」がいなくなって、全部、自分でやらなければならないことの自覚の欠如。
 急いで、郵便局にはがきを出しに行って、戻って、再度、良く見ると「押印して」出してください。読んだはずだが、慌てたなと。再度電話、優しい女性職員が、押印は無くても大丈夫とのこと。地獄に仏だね。
 少し、自信が無くなりました。やたら文書やメールで事務処理が求められるが、文書の内容も、丁寧ですべてを読むには閉口する。それはいいとして、「そのうちに」と思った瞬間、忘却が始まる。暗記するキャパシティが少なくなって、簡単に忘れる。書類の整理も不十分だから、なおさら。自立していないな。とにかく、鉄則は、大した事ない書類でも、すぐに決断して処理を終了させること。(会合の出欠返事は尚更である。)この暗記キャパシティは、年とともに小さくなっているのだと思う。考えてみれば、スケジュールも手帳を見て気が付く。(手帳とスマホ、両方に書いていることも時に混乱する/関連のない仕事が多くなっているせいもかもしれない。)
 まあ、仕方がないと、気を取り直して締切り原稿の編集部に、4日(月)まで待って欲しいとメール。入稿は6日ごろまででいいとの返信。助かったと思って、油断するとすぐ来る。震災の同じテーマなので、書くべきことは決まっているのかもしれないが、どうも絞りきれない。乾いた雑巾を絞る苦しみで、何とか産み出さないと。
 1週間の尿管結石の病のせいにしたくはなるが、もっと、「必死に」仕事をしないとダメだなと猛省。机の周りをすっきりさせて、一つ一つ片付けていかないと。反省の多い2月でしたが、3月は頑張りたい。(2/28)<17337>


◇ 体調は大分、回復しました。後は、やる気です。
 昨日の火曜日。自宅での作業ですが、さっぱり進展しません。夜、午後6時から飯舘村の委員会があるので、5時15分頃出かければ間に合うと思って、その前に、運動不足解消のための散歩に出かけました。雑誌が届いたとのメールあり、その受け取り。
 ほぼ、往復7000歩ですが、往路・復路とも15分と設定して、5時過ぎには戻れると計算。しかし、往路25分かかってしまいました。15分と想定自体に間違いなのかも。途中で引き返すわけにもいかず、復路は急ぎに急いで帰宅。すぐに会議に出かけました。ジャスト到着。もう少し、計画的な運動をしないと。糖尿病に近づいているので、一日30分以上の運動をやろうと思っています。
 今日、水曜日は、午後から県議会への出席。1人(会派)だけの代表質問なので、3時頃には終了。夜の会議があるのですが、ガソリンスタンドで給油し、コープ本部に寄って、いくつかの文書の確認。非常勤理事とも歓談できました。帰宅し、夜の福島市の委員会。昨日と同種の会議ですが、内容は重い。8時に帰宅、遅めの夕食。
 明日は2月の末日。逃げるように過ぎ去っていきます。締め切りの原稿、皆さんにご迷惑をかけてしまいそうで、心苦しい月末。(2/27)<17318>


◇ 昨日の日曜日。どうも体調が回復せず、一日中、家でゴロゴロ。痛みが収まらないので、かかりつけの病院に日曜診察(救急)の件で聞いたが、行っても仕方がない感じ。そもそも前週、4週間単位の診察予定だったが、担当医の所用で、6週間後に延びてしまった。あるいは、その先生がいるならと思ったが、やはり非常勤の先生らしい。事務から看護師さんに代わって、担当診療科のある病院の話を聞いたが、我慢することにしました。救急車ではないが、何かたらい回しの様な気もする。ウィークディは、長く時間を取れないし、土日はしっかりした検査ができない。就寝前は痛み止めを使ったが、早朝、眼が覚め、段々効果が切れるのが早くなったかなと。
 今日は、雪が多いので、県庁の駐車場に入れないのでは思って、電車にのって県庁(県議会)に行こうと思ったが、駐車場を空ける必要があるので、大学施設の駐車場もと考えて、車で出発。タイミングよく、県庁の駐車場に入れた。しかし、2時間以上も空きがある。本屋に寄って、銀行に寄って、昼食は避難者の「かーちゃんプロジェクト」の店で(旧長崎屋前)。天気も良かったので、ぶらぶら。久しぶりの福ブラ(万歩計で7000歩)。ランチは、鳥唐揚げオニオンソース、カリフラワーの和風スープ、前菜、コーヒー。締めて800円。かあちゃんたちのエプロンのせいか、美味しい。フォーラムの会場予約もできました。歩いて用を足すのは新鮮。意気揚々と県庁へ。体調はいつの間にか回復(怠けだったのかな?)。
 県議会は、代表質問なので一人だけ(自民党)。5時まで覚悟していたのですが、3時には終わりました。遅れて行くと言っていたコープふくしまの常任役員会。ほぼ間に合ってしまいました。6月の総代会に向けて、3月までの今年度の総括と来年度へ向けての準備です。寒く本格的な冬です。(2/25)<17273>

 


◇ 土曜日。午後からの二本松での環境省主催のイベントの出席を予定していました。コープふくしま専務の野中さんが報告(食品安全)するというので、参加を予定していました。ところが、この環境省の担当者の一人が、年末に亡くなった私の従兄の長男。お悔やみのお礼の電話で知りました。そんなこともあり、このイベントでお会いできると思っていたのですが、体調が今一つ、連絡して休むことにしました。
 二本松までの運転はきついと判断したためです。イベントの終了後、お見舞いのメールをもらいました。また、次の機会にしましょう。それにしても、土地は異なり、接点がなかった親戚と、こういう形で会えるとは不思議です。一つ一つの出会いを大切にしたいものです。
 夕方、気を奮い立たせて、7000歩の散歩。本屋まで往復。前向きに進まないと。(2/23)<17239>


◇ 帰宅したのは午後10時半。駅前は前が見えないほどの雪です。「ふくしま復興支援フォーラム」事務局など10名でファミリーレストランで夕食を済ませてきました。
 今日の「フォーラム」は第31回目。葛尾村の金谷副村長による葛尾村における避難と復興の話をいただきました。驚異的と感じるのは、避難行動から仮設住宅の配置(隣近所)まで、旧来のコミュニティを活かして実行していったことです。情報通信基盤整備事業が、住民同士・村当局と住民の連携を強くしていたことも、大きな優位点でした。偶然というよりも、長期的視点にたって様々な資金を探し、4億5000万の事業費のなかで、村負担が300万ほどに切り詰めたというのは、素晴らしいと思いました。
 1500人ほどの小規模の村ですが、優れたモデルです。今後の展開におおきな関心を持ちました。盛岡、神奈川、浜松の方もおいでいただき、このフォーラムの存在が広く知られていることを実感。
 フォーラムを開始する前、午後1時半、川内村商工会長さんがコープ本部まで見えられました。共同店の立ち挙げ協力へのお礼ということですが、川内村も着々と進んでいることは嬉しい。川内村への見学が増えているが、宿泊を伴う滞在型の支援の仕掛けをつくる必要があります。直接的な被災地は双葉8町村と南相馬市・田村市・飯舘村ですが、そのうちの3村(飯舘村・川内村・葛尾村)に希望の灯が見えます。小規模が、民主主義と共同体性を通じて、災害にもこまめに対応することができたのかもしれません。緊急時の帰趨は、平常時の延長という感を改めて感じました。(2/22)<17229>


◇ 珍しく積雪です。どうも体調、今一つ。自宅で休んでいました。
 東京に住む親友からメール。入院中の病院からです。大変な病気で、今まさに闘病中。淡々と書いていることに、その意思の強さを感じます。一度、お見舞いに行こうと思っていますが、なかなか難しそう。それもあって、盛岡で闘病中の親友に電話。出ないので、あるは入院かと思い、携帯にメール。入院してはいなかったのですが、返事が来ました。一歩一歩、闘病しています。一日も早い快癒を祈っています。
 寒い中、体調も狂いますが、遠く離れた娘もインフルエンザ、遠くで何もできないことがじれったい。自分の体調回復も遅くなり、情けない。明日こそ、爽快な朝を迎えましょう。(2/21)<17209>


◇ 水曜日。義母の96歳の誕生日。デイサービスの施設でもお祝いをしてくれたようです。ヘルパーさんとの記念写真ももらってきました。帰宅後、好物のおはぎを食べ、夕食後はイチゴのショートケーキ。嬉しそうです。
 午前、腹痛がぶり返して、思い切って、森合の泌尿器科に参りました。1時間半ほどの待ち時間が、とても長く感じました。レントゲンを撮って、結石はすでに膀胱に辿り着いており、痛みはその余波でしょう。痛み止めと結石しにくくなる薬をもらって、帰宅したのは12時半過ぎ。
 これは、大変。シニアライオンズクラブが主体にやっている、浪江町からの避難者で、福島市内借上げ住宅にすむ高齢者の支援の事業の実行委員会が1時から。痛み止めを使い、会場へ。車中に電話を受け取るが、ジャストタイムで到着。
 今日は6回目だが、皆さんが集まる日に合わせて、避難者と馬場町長さんとの懇談もなされた。帰郷して、冷蔵庫をどう処理するという質問もある一方、年齢だから戻ることを考えないで、現在の生活を楽しく送りたいという要望など、避難している方々にも相違が出てきている。建前だけではなく、それぞれの人生を大切にできるようにしながらも、選択権は保障せねばならない。基本の気持ちは共通だが、こうした事態を生み出したものに怒りを禁じえない。「町長さん、お体を大切に」という話は、ホッとさせる。(2/20)<17189>


◇ 火曜日。ショートスティへのお迎え。施設の掲示板に、義母の誕生日(96歳)のお祝いのメッセージがあった。明日だ。
 腹痛はほぼ治ったが、風邪を引いたのか、少し悪寒がする。大丈夫だろう。
 新聞に出たいた被災地(石巻市雄勝地区・牡鹿地区)で、要介護者に関する調査(東北大医学部の教授)を知ったが、問い合わせに対して、丁寧に資料を送ってくれた。有難い。2月末締め切りの原稿に間に合わせたいと思っているが、体調もあり、なかなか進まない。
 元気な明日になればいい。(2/19)<17170>


◇ 月曜日、最終的には、まだ痛みから解放されていません。偶にですが。痛い部位が少し下がりましたが。
 治ったと思って、郵便局まで行きましたが、乗車した途端、痛みが走ります。横になると痛くなるが、立っているとそうでもない。結石の位置かな?郵便局で、可愛いアニメの記念切手。ついつい孫娘の顔を思い出して買ってきたら、妻も買っていたとのこと。同じことを考えているのか。
 午後3時半からの県庁での委員会。行こうとしたら激痛。仕方なく痛み止め。5時までの会議、何とか持ちました。他の委員に話したら、それぞれ「石持ち」ベテラン(?)。これでは、あんまり同情されない。コープの会議は、やむを得ず欠席。結石のため欠席(?笑)。あだたら店のリニューアルオープン、業績は上々らしい。開店後3日のうち2日詰めかけたが。テナントとして入った浪江から避難した「サニーズ」、テレビの5時テレでやってたみたいです。
 県庁から直帰。妻の帰りと同時刻になりました。義母は、明日までショートスティ。明日、お迎えに行きます。(2/18)<17150>


◇ 昨日(16日)は、福島大学教育学部時代(1982.10〜1987.9)に担当した小学校教員養成課程のクラス(59社B=昭和59年入学小学校教員養成課程・社会系Bクラス)の合宿。懇親の積み重ねだと思っていたら、私の福島大学退職記念だと知りました。前回十数年前に飯坂温泉んで開いたのですが、今回は岳温泉。いろいろ用事も重なり、集まったのは私を含め7人でした。
 前日開店したばかりのコープマートあだたら店でつまみを買い、高級?ワイン(私にとっては、高畠の貴婦人は高級。隣のワインの2倍価)を奮発して参加。コープマートの店は前日同様、買物客が一杯。嬉しいね。
 クラス会の方は、美味しい料理とお酒で満足。2次会でもいろいろ話ができました(コープで買っていったものが役に立ちました。)。教育現場の者が多いのですが、問題多い教育現場、みんな奮闘しています。中間管理職になってきたので(40代後半)、身心の健康が心配です。元気にいつまでも頑張ってほしいと思います。
 朝、部活で早く帰らざるを得ない者もいましたが、9時頃散会。ところがです、朝、私は背中が痛く、持病ですが10年ほど発症のなかった「尿管結石」と判断。腎臓から膀胱に行くまでの狭い管に結石が詰まる病気です。かかりつけの病院(わたり病院)に行くことにして電話をしたら、9時からの日曜診察に行くことにしました。岳温泉から渡利までドライブするのは危険と思ったので、夫婦で参加している水沼さんに運転を依頼し、夫婦で病院に居てくれました。見立ては、予想通りの尿管結石。痛み止めをもらい自宅で静養することにしました。水沼さんは、自宅までも送ってもらいました。義母をショートスティに送り、東京の美術展に行く予定の妻は、予定を中止。自宅で水沼夫妻と歓談することができました。
 激痛は和らぎ、このまま行ってくれれば明日からの予定には支障がないでしょう。教え子といっても、もう50歳に近いですが、本当に有難いものですね。私も、健康に留意して、迷惑をかけないようにしないとね。本当に、懐かしい再会と思わぬ病気。忙しい2日間でした。(2/17)<17131>


◇ 金曜日の今日、理事長を務めているコープふくしまの店(コープマート)あだたら店のリニューアルオープンである。仕事始めにあたって挨拶するようにとの連絡。9時15分からというので、8時前に自宅を出発。福島の南隣・二本松にあるので、福島の北部にある我が家から遠い。ラッシュを危惧して、余裕をもって出発。順調に早めに到着。
 工事を担当してくれた建設会社・安藤組の幹部に挨拶。コープの建築・改築にお世話になっている。震災時の復旧時には、無理を言って修復・開店することができた。地元の建設会社を大切にしないと。大手ゼネコンに依存している除染活動に対して疑問をもつ。
 今回のリニューアルオープンは、レイアウトの改善ではあるが、新しいテナントの入居・オープンも同時に行われた。浪江から避難して3店目の開業をする株式会社マツバヤの店・「サンプラザ」二本松店の開店。ファッション衣料とバックの専門店である。社長の松原さんの挨拶もいただいた。昭和2年の創業というから、浪江町の老舗である。時季を見て、我が「ふくしま復興支援フォーラム」での報告をお願いすることにした。小売業の再開が一番遅れているし、復興に向けた重要なテーマと考えている。
 10時の開店、すでに200名ほどが押しかけてくれた。7つのレジには長蛇の列。一日で3800人ほどのお客さんになりそうである。コープがこんなに長蛇の列であることは見たことがない。開店のサービスも影響しているのであろうが。
 昼過ぎに自宅に戻って、宅勤。夜はテレビで映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を見る。清々しい映画である。(2/15)<17106>


◇ 2月14日、バレンタインデーとテレビで大騒ぎ。関係ないと思っていたら、宅急便が届く。小さな荷物。なんとビックリ、仙台の画家を・佐藤さんから。女川の誇らしい先輩(3年上?)。昨年、共通の中学校の恩師である大方先生を、一緒にひたちなか市まで訪ねました。今日は、思いがけないプレゼントで大喜び。心をかけていただいて有難い。今度、女川に行ったときには、女川病院にある佐藤さんの絵を、じっくり見てきたいと思います。
 バレンタイン・プレゼントは、4歳&6歳の孫娘と70歳代の尊敬する大先輩から。我ながら、この年代の広さ(中抜き?)からのプレゼントに大満足です。(負け惜しみなどではありません。)
 コープふくしまの非常勤理事2人と連絡して、組合員活動の協力をすることにした。会議でも、話を聞きたいとの要望もありそうなので、無理のない範囲で、勉強会でもしてみたい。できるとしても、限られているテーマだが、要は継続的な協働が必要だろう。
 予算編成の時期、小さな大学も、社会的要請に応える要求の提出が求められる時期。福島であれば、放射線関係に予算もつく可能性があると思う。単純に予算がつく場合には有難い場合もあるが、多くの大学関係の予算は、既存組織の改革=リストラを求められる。
 大学は、高等「教育」機関なのだから、有為な人材の育成が基本。福島の復興問題を考えたら、数年の成果で満足してはならない。数十年の将来を展望するならば、人文社会系の教育を後退させるのではなく、大事にしていくことが肝要。
 欧米と比べると、日本は基礎研究や人文社会系の研究が軽んじられていると思う。原発依存への反省、便利さのみを追求してきたことへの反省は、大学のつくり方への反省も迫っているように思うのだが。お金が集められる研究のみが偏重されつつあるいまの大学。お金に無縁でも、社会に必要な研究が尊重されてきたはずだが、お金に支配される大学が多くなっている気がする。社会を牽引する役割から、社会から遅れるものになってはいないだろうか。今の大学は。(2/14)<17081>


◇ 先週金曜日のフォーラムに参加し、翌日仙台の友人からメールで話題になった中原さんから著書『放射能難民から生活圏再生へーマーシャルからフクシマへの伝言』(法律文化社)を送っていただいた。アメリカの水爆実験の被災地マーシャル島民が避難し、数十年、帰還をめざして生活している姿を文化人類学及び平和学の立場から調査し、今の福島への伝言としてまとめている。序章と終章を読んだ段階だが、福島の復興に大きな示唆を与えているようだ。ついつい読み込んでしまった。

 午後、妻の客があることも在り、コープ本部へ。特別の会議はないが、助け合いの会やボランティア等の組合員活動について、話を聞くことができた。市民社会レベルでの共助として大きな役割を果たしているが、こうした活動がコープの強み。理事長の机で、しばし震災にかかわる勉強。常務が来て、15日に「あだたら店」リニューアル・オープンでの挨拶。開店前だから、早く、二本松に向かうことになる。店が組合員・住民にますます愛される店になれればと期待している。(2/13)<17060>


◇ 北朝鮮の3回目の核実験が行われたとの報道で、緊張感が広がっています。日本の安全保障の問題について、自主的な判断が日本外交には必要なようです。核抑止力が必要だとして原発の再稼働の促進の国内的影響も無視できません。
 午後、ショートスティに迎えに行って、帰ってから運動不足解消のために、本屋まで散歩。雑誌「世界」3月号を購入。特集「安倍『改憲政権』を問う」を読むため。憲法問題や社会保障問題で、生協の組合員との勉強会もできればいいと思う。一度、いかなる学習要求があるか、聴いてみたいものである。なかなか経営上の知見を持つのは難しいので、生協を支える方々の輪をつくることに努力するのは可能かも。生協は事業活動のみならず、組合員活動の強化の二本柱の強化が必要だし、そこが強みでもあるのだから。
 昨日、仙台の社会法研究会のメンバーである照井先生がご逝去されたとの連絡があった。県職員、神戸商船大学の教員、そして仙台に戻ってきて研究会にも見えられていた。私の方が欠席がちなので、なかなかお会いする機会が少なくなっていたのが実態ではあるが。明日の告別式(仙台)、弔電を打ちました。ご冥福をお祈りします。(2/12)<17042>


◇ 建国記念の日ですが、大震災から1年11か月目。来月の11日には2周年になります。(3回忌ですね)
 今日は、ある町長さんからのヒアリングが延期になったので、いわき市から本宮の仮設住宅にボランティアで来ていた、親友の松野さんの娘さん(医師)と昼食を共にして、話ができました。震災を契機に、被災地の病院に意識的に入りました。
 食堂は、山菜の店「魚菜草」。もともと、この店は松野さんに教えてもらったところ。家族でも行っていたようで、女将さんも良く知っています。今は、大宮に居を移して、父親ともなかなか逢えません。
 帰宅して、飯舘村のテレビ特集番組を見て、コープの会議へ。非常勤の方々からの様々なご意見について、いろいろ議論しました。非常勤と常勤の間には、情報把握に差があるのは仕方がないですが、それが誤解であっても、丁寧な解きほぐしが必要でしょう。そこから新たな視点を掴むきっかけとなるかも知れない。建前では、みんなの意見で運営をしていくということでもあるので。
 明日の最低気温予想は、マイナス6度。今夜は、いつにもまして寒い。春が待ち遠しい。(2/11)<17022>


◇ 三連休の中日です。塩竈の孫一家が、日帰り温泉と昼食で福島まで来てくれました。
 温泉は穴原温泉・吉川屋。大人3人、子供3人(1歳11か月、4歳、6歳)の温泉。一番ちびは、震災後2週間で生まれた子。震災後っ子です。大きなお風呂で、はしゃいで走り回っている姿を見ると、震災後の歴史を感じます。ヒヤヒヤしながら露天風呂にも入りました。
 昼食は、信夫山中腹の「御山角屋」でソバ食。静かに食べる場所なのに、はしゃいだ声に気を遣う。隣のお婆ちゃん。都会に住む自分の孫と逢えないと・・・子どもたちにキャラメル。放射線が強いので敬遠されているのかな?
 自宅には寄らないで、そのまま帰宅の途。駐車場で、孫娘たちからバレンタインのプレゼント。ありがとう。現職の時は、ゼミ学生や職員からもいただいたが、退職後は、孫娘だけが頼り?。美味しくいただくことにしよう。
 昼前の風呂で、いい気分になったか、炬燵でウトウト。6時過ぎに福島駅に到着する妻を迎えに。連休の一日、こころ癒された一日だった。(2/10)<17004>


◇ 今日は一日かかりで、郡山の集会に出かけました。「県内の全原発廃炉を考えるつどい」です。
 朝、9時に自宅を出て、北沢又、森合、蓬莱の各自宅を寄って、郡山へ。元学長・学部長の3人の先生で、平均年齢84歳ほど。運転も気を遣います。我が車、4人乗車のことはありますが、体重はともかく4人合わせて300歳以上とは、さすがに重かったようです。

 基本的には、安斎育郎先生(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)の講演がメインですが、今後の運動の展開についても話合いが行われました。元福島県知事の佐藤栄佐久さんも、その思いを長く発言していました。
 せめて、福島県の10基の原発を廃炉にしたいという思いで集まりました。事故を起こした4基までの廃炉は決まっていますが、残りの6基は未定。県議会や市町村議会は全原発の廃炉を求めていますが、東電や国ははっきりしません。次第に、県内の有力経営者の中から、福島第2原発の再稼働によって、福島の復興をという意見が出されてきています。次第に巻き返しの風が強くなってきています。その意味では、当然に福島の全原発が廃炉になるとは言えない情勢もあるのです。
 一応、「福島県内の全原発廃炉を求める県民の会(準備会)」が主催していますが、県内全原発廃炉の一点で統一する全県民の組織をつくる段階に来ていると思います。

 大学の後輩の矢吹君がいわき市から奥さんと共に来ましたが、奥さんも学生時代知っていましたし、同期の三浦君の妹さんでした。40年以上の以前で、記憶も薄れていますが、いわき市で頑張ってきているようで、これも嬉しいことです。
 何とか、午後6時には帰宅しましたが、妻は弘前の雪灯篭祭りに行っており、家の中は静かです。とはいっても、テレビでドラマスペシャル「上意討ち〜拝領妻始末」を見る。緒方直人、仲間由紀恵、田村正和もいい芝居。ただ、田村の言葉が聞きづらい(耳が悪いのかな?)。少し意外な結末だが、それもまた清々しい。(2/9)<16988>


◇ 金曜日、午前中は自宅。
 午後1時半からのコープふくしまの定例理事会に出席。理事長が議長を勤めなければならないが、開会にあたっての理事長挨拶をしなければならない。具体的な業務報告は、専務理事が詳細に行うので挨拶にすぎないが、私なりに思うところを話すことになる。
 前回の定例理事会から1か月が経ち、仮設住宅支援の組合員の活動が順調に進み、事業関係でも1月の業務報告と今年度の累計をみれば、全体としては、設定した予算水準を大きく越していることで望ましいことではあるが、個別的にみると店舗等での経営状況は厳しい。競合店の出店もあるが、来年4月からの消費税の引き上げのなかで、思い切った経営改善が望まれる。
 新内閣のもとで、消費税のみならず、生活保護水準の引き下げ、公務員はじめ労働者の賃金引下げの中で、組合員の生活は、ますます厳しさを増していること。このなかで、持続的な事業活動・組合員活動を展開するために、皆さんの知恵を貸していただきたいことをお願いした。生協は、利潤追求が主ではなく、組合員の生活を守ることであり、そのためにも、組合員活動及び事業活動の改善が不可欠であるということである。
 難しいことではあるが、経済環境・生活環境などが急激に変化している時であり、具体的な調査分析をもとに、発想の大胆な転換をしていかなければならないのだろう。(2/8)<16969>


◇ 日中は、自宅。街中への送迎と雑用処理。
 夕方、ふくしま復興支援フォーラムの第30回目。以前、福大行政社会学部に勤務していた元同僚・村山武彦さんにお願いした。「放射線のリスクをめぐるコミュニケーション」と題して報告をいただき、35人の参加者で、活発な討論がなされた。
 新しい切り口なので、概ね好評だったようだ。漠然と考えていたリスクコミュニケーション。かなり客観的な分析。そして化学物質のリスクコミュニケーションを参考としながら、説得的な分析。同僚で居続けたら、きっと福島の被災復興の先頭に立ってくれていただろうと思う。事務局中心に、8人でファミレスで夕食。結局、宿泊してくれたが、無報酬・無旅費で心苦しい。
 継続していることだけが貴重といわれないように、さらに頑張りましょう。(2/7)<16944>


◇ 朝から関東・東北南部、雪の予報。郡山へ行く予定だったので、心配していましたが、意外と腰砕けの雪模様。
 郡山は、「ふくしま・地域産業6次化推進協議会と福島県主催の、「6次化商品展示交流会」。コープふくしまの理事長としての出番です。根本部長の車に乗せてもらって、郡山へ。ホテルハマツの大広間で、43の出展社が福島の農産物を使っての6次化産品。様々な産物があり、復興への気迫を感じます。
 私は、交流会での「応援店での取組み紹介」で、根本さんからレクチャーを受けながら、報告をしました。コープが、福島の農産物の普及に大きな役割を演じていることに誇りを感じます。
 心配した雪もなく、スムーズに福島に帰ってきました。(2/6)<16919>


◇ 月曜日と火曜日。一泊二日の人間ドックに行ってきました。
 毎年、長い間行ってきたドックですが、いつも9月前後だったのですが、今年度は遅れてしまい、2月の初めになってしまいました。それは、胃及び大腸ともバリウム透視ではなく、カメラをお願いしたので、なかなか予定が入れませんでした。
 第一日目の昨日は、大腸カメラ。前日から検査食で、最終的には下剤でお腹を空にする必要があります。健診センターに到着したのは8時半。ドック室(ホテルのシングルのよう)で、2時間、さらに下剤を使って空にする努力。1時過ぎに、ほぼオーケーが出て、2時から大腸カメラ。安定剤を使ってないので、30分ほどでしょうか、大腸の中を詳しく検査。モニターテレビで見ながら診察を受けていますが、時々、激痛。壁面にカメラが当たるのです。「腹黒い」(笑)と思っていたのですが、ピンクの色で綺麗(?)。それでもポリープの跡や、今すぐは治療不要な小さなポリープ、そしていくつかの憩室(前から指摘)。先生の話では、心配はないとの話で安心。

 全国コミュニティ放送局(番組「アフタヌーンパラダイス」/月曜日担当:岸田敏志・光部愛)からの電話インタビューが、15時30分から10分間、何とか10分前に検査は終了して、穴はあけないで済みました。「ふくしま復興支援フォーラム」についてのインタビューです。放送後のブログに、こう紹介されていました。「本日のハロコミプラスはふくしま復興支援フォーラム 呼びかけ人(http://www5a.biglobe.ne.jp/~tkonno/FK-forum.html)今野順夫さんにお話を伺いました。それぞれの立場から福島の事を真剣に思う事、考える事を感じ取ることのできる場だと思います。 お時間を作って是非!!」と。

 今日の検査のイベントは、胃カメラ。苦手なので安定剤使用。点滴の針がなかなか入らず苦労をかけましたが(血管が細く、柔らかい)、始まったら、全く気がつかず終了していました。終了して、1時間程で、覚めていました。本当にやったのか、心配になるほどのこと。この結果は、後日ということになります。

 ドックの期間中、あまり仕事もやる気も起きないので、故岡部健医師についての本、『看取り先生の遺言 がんで安らかな最後を迎えるために』(奥野修司・文芸春秋)を読んでました。岡部先生については、良く知らなかったのですが、長女が大変お世話になり、かつ尊敬する恩師ということで関心を持ちました。検査を受けに来ながら、検査の意味に疑問を呈し、抗がん剤使用についても手厳しい批判をされており、複雑な気持ちで検査を受けていました。他分野のことで同じではありませんが、スタンスは分野は超えて共通な感じがします。それにしても、惜しい人を亡くしました。一度、岡部医院を見てきたいと思っていたので、残念です。それを受け継ぐ若い医師たちに期待することにしましょう。(2/5)<16890>


◇ 日曜日、節分です。娘一家が孫たちを3人引きつれてやってきました。
 それに間に合わせるように、コープマート笹谷店に予約していた「恵方巻」を受け取りに。ジャストタイミングで、帰宅。2番目の孫娘の4歳の誕生日が2日後なので、一緒にお祝い。恵方巻とともに、長ーいロールケーキでお祝い。3人は、2歳づつ離れています。一番上が、4月に小学校入学。この子が5年生になると、1年、3年、5年となるなんて、想像するだけで楽しい。アヒルの行列のようになるのでしようか。
 自宅で遊んでいるUNOにつきあわせられました。結構、勝つために計算するので成長しているのでしょうか。私は、明日からの人間ドック(大腸カメラから)のため、検査食しか食べられず、みんなが大きな口で食べているのを、羨ましそうに眺めていました。残念。
 孫たちは5時前に帰宅。二度の喜び(?)。「来ては喜び、帰っては喜ぶ」。明日は立春。春の足音が聞こえだすでしょう。孫も小学校入学。新しい世界が広がる。不安と期待とをもって。(2/3)<16839>


◇ 土曜日です。午前中、ショートスティへの送り。暖かい日です。
 午後、除染関係のシンポジウムで勉強してきました。原子力学会副会長の研究者、伊達市の次長、二本松の除染業務を担う協同組合の専務が、パネリストです。具体的な話で、とても勉強になりました。フロアからも積極的な発言があり、町内会などでの繰り返しの議論の上に、仮置き場の設置を進めている話に驚きました。
 除染の責任は、国や県や、自治体であることは疑いないのですが、それを待つことなく、自ら議論を重ねている姿に感動しました。町内会に除染対策委員会を作っているんですね。指導力、決められる力等が強調され、乱れ飛んでいますが、やはり住民の議論の積み重ねが重要ですね。私も、「会議ばかりやっている会社は潰れる」等と気軽に考えていましたが、徹底した議論が必要だと実感しました。民主主義の原点ですね。もちろん、それに基づいて、適時に「決定していく」ことは必要だし、一旦決まっても、それを遂行し、点検監視することも住民本位でなければならないでしょう。
 除染を確実に進めながら、生活のあらゆる場面で復興させていかなければならないと思いました。明後日から人間ドック(癌ドック)。前日の明日は検査食で、食の喜びから隔離(?)されます。恵方巻を受け取る日なのに、残念至極。(2/2)<16819>


◇ 2月になりました。新年1か月も過ぎました。早い感じがします。
 今日は、午後から、4省庁(内閣府食品安全委員会、消費者庁、厚生労働省、農林水産省)と福島県の主催の「食と放射能のシンポジウム」に参加してきました。消費者庁以外の3省庁の代表からの講演、そしてパネルディスカッション。そこでは、コープふくしまの理事の日野さんが登壇。食事調査やホールボディカウンターへの取り組みについて、簡潔に報告していた。実践の重みがある。単に解釈していては進まない。
 ふくしま復興支援フォーラムも30回も辿ったが、報告を資料として残すことを勧められているが、コープの取組みも、その経験が貴重な故に、書物にまとめることが必要とも思える。
 2月になって、もっと復興に向かう被災地からの発信が必要な感じがする。被災地の人間として、発言が求められる機会が多かったが、それは消える。聴きたい、聴くに値する発信を、語弊があるが「自己顕示的にも」発信する必要を感ずる。そうでないと忘れ去られるし、自らの経験を日本社会の変革に活かしていかなければならないのだろう。(2/1)<16799>



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