日 記

(2013年3月)


<今野順夫の部屋>

◇ 3月の末になりました。2012年度も最終日。
 午後から、会議なので、午前中に塩竈の孫宅に行ってきました。末孫の2歳の誕生日、そして長孫の小学校入学。もって行こうと思っていた品物の配達です。30分の滞在なので、孫に「爺は、何で来たの?」という質問。プレゼントを運んできたのに。まあ、子どもは同時に大きくなるし、部屋の大きさは変わらないし、窮屈になってきたようですが、彼らにとってはまさにお城です。
 午後、シニアライオンズクラブの事業の実行委員会。私の都合で、日曜日の会議と相成りました。最後です。浪江町から福島市に避難してきている借り上げ住宅にお住まいの高齢者対応の支援事業。毎週、やる等、本当に頭の下がる取り組みです。参加者の皆さんも喜んでくれています。ただ、残念なことに、温泉施設を使っての取組も、お互いの話合い、私も1度参加しましたが、大変有意義でしたが、財政措置は拒否されてしまいました。飲食は各自の負担ですが、移動と温泉施設の利用には、予算執行はできないということです。申請の際に説明しているというのですが、それは老健施設等の温泉だと思ったというのです。要介護者等でないと利用できない処を選んで、素人が支援するなんてありえないと思うのですが、あまり社会福祉関係のことが分からない人たちかも知れません。
 もし、国の基準であるならば、避難が長くて心身の負担が積み重なっている方々に、福島の温泉を利用することに補助できないというならば、関連死が絶えない、この現状を理解したものとはいえないでしょう。霞が関で、そうした基準を作っているのならば、地元自治体は、一生懸命主張すべきでしょう。それが自治体の役割だと思います。お金の額の問題ではない、何に使うかが問題でしょう。初めてボランティアでおこなった団体、今後の意欲に水を差さないようにしてほしいものです。
 二女が弘前を発って、女川に赴任する日。引っ越し業者の積み込み業務が遅れて、それを出してからの自家用車での出発。5時過ぎの出発で400Kほど距離。疲れているので居眠り運転が心配。岩手山、長者原のサービスエリアでテレホンチェック。午後10時、ようやく無事到着。まずは安心。明日から新職場に出勤。孫娘も、学童保育に初参加。「初」が続くでしょう。(3/31)<17839>


◇ 青森への旅行(ドライブ)から帰ってきました。1050キロの旅です。
 25日(月)は、午後からの県の委員会、そして退職する担当事務局長等の送別会。委員会が延びて遅くなってしまいました。丁寧な議論の必要を感じている。慣例・慣行を見直しながら、本来の役割を実質的に貫く必要があるのではないだろうか。宴会散会後、委員同士で喫茶店でしばし雑談。
 26日(火)は、孫の2歳の誕生日。震災の2週間後に誕生。震災後の歴史と共に歩む。復興とともに歩んでほしいものだ。
 27日(水)は、JAビルで、ふくしま大豆の会の総会。コープふくしまとともに、JA、製造業者等。地産地消、食品のあんぜんを掲げ発足してから十数年が経つ。コープふくしまの前理事長を受け継ぎ、大豆の会の会長として選出された。前任者が培ってきた蓄積や意義を、発展させるよう努力が必要。
 午後、青森(浅虫温泉)に民科法律部会の合宿参加のために、自動車で出発。まずは弘前の宿まで。弘前で娘と会い、浅虫での報告準備。28日午前、弘前から浅虫温泉へ。時間的余裕があったので、浅虫温泉を散歩。初夏のような暖かさである。労働法分科会で、4本の報告。私も(「東日本大震災と労働法」)引き受けたが、東北での開催の歓迎の辞に過ぎない。他の3報告は、専門的な報告で、これ自体勉強になった。28日の分科会懇親会、29日午前の研究会で終了。
 午後、京都のY先生を乗せ、一路仙台へ(秋保温泉)。仙台・山形のI先生・T先生に合流。懇談。
 今日・土曜日、4人で一路女川へ。女川原子力PR館、おかせい(昼食)、カタールから寄贈受けた冷凍施設(マスカー)、宿泊施設(エルファロ)、女川町つながる図書館、仮設商店街、かなり盛りだくさんの見学先、厳しいが復興の息吹を感じてもらった。京都に帰る先生を仙台空港に送り、秋保温泉で現地組と別れ、一路我が家へ、東北自動車道を南下。忙しい一週間の終了です。あす、年度内に終了せざるを得ない委員会を実施し、4月を迎えることになる。(3/30)<17816>


◇ 日曜日です。一日を振り返ると、若干寒いのか、眠気の一日でした。花粉症で、何度か目を覚ますせいでしょうか。
 勤務時間中に大津波が襲来し、ほぼ全員が犠牲になった事件で、使用者の安全配慮義務のことを考えていました。想定外で仕方がないのではないかというのが常識論なのかもしれませんが、そう簡単ではなさそうです。安全配慮義務については、事前の避難準備の問題と、その時点での指示の問題がありそうです。
 もう一つ、市町村長による避難勧告や避難指示の性格が難しい。それに従わない人間にペナルティを課すかといえば、そうは言えない。災害対策基本法60条にあるのは、避難勧告と避難指示。避難命令にはなっていない。しかし、市町村長の勧告や指示は、法的拘束力なくても、公的な勧告や指示であるが故に、それを守らなかった場合には、私法上の免責は難しいのではなかろうか。スピーカーで、避難指示しているにもかかわらず、労働者に対するそれと異なる指示をしていることについては、免責は難しいのではなかろうか。
 地域社会や一般社会の原則やルールが、企業内に入らないということなのか。よく、「企業内には憲法は入れない」ということで、様々な人権侵害が企業内で横行することが問題視されてきた。津波からの避難の問題は、地域社会でのルールを企業は軽視していることの現れではなかろうか。企業内であっても、日本の国内であれば憲法や法律の適用があり、ある市町村にいれば、それが憲法や法律違反でない限り、その部分社会のルールに従うことが当然ではないのか。学校でのいじめ問題・体罰もそうなのか、そうすると意外と根が深い日本社会の問題なのか。と考えつつ、一日、ボーっとしていて筆は進まない。(3/24)<17716>


◇ 土曜日。午前中は、あづま運動公園の体育館で行う、原発廃炉に向けての県民集会。全国からの支援者も含め、7000人の大集会です。コープふくしまも、食事調査等の展示をしているので立ち寄りました。昼食と思って、浪江焼そばでも食べようかと思って外に出たが、長蛇の列。それで、匂いにつられてイカの浜焼。1本500円のシロモノですが、天気も良いので、外で食べました。美味しいですね。
 3時からの山川さんの講演とレセプションに出るべく、集会は中座して、急いで駅前・エルティへ。どんぴしゃりの到着。山川充夫さんは、学長時代に副学長などを務めて頂きいろいろお世話になった先生ですが、3月に定年退職、4月から宇都宮の帝京大学へ行きます。彼の研究、教育、地域貢献、行政での活躍。本当によくやりました。退職記念の集いに、行政関係者や地域の関係者が多く見えられるのは、友人の鈴木さん以来かな。彼らの八面六臂の活躍には、足元にも及びません。そうした活動を通じて、福島大学と地域社会の繋がりを強固にしてくれたのだと思います。内堀副知事、菅野飯舘村長、遠藤川内村長なども見えられました。
 レセプションは、私の家族の都合で、乾杯の開始とともに中座をさせて頂きました。残念ですが、あまりの美食は、体に悪いし、丁度よかったかな。山川さんには申し訳ないが。今後とも、活躍を祈っています。
 高校野球が始まり、福島県から2校の出場。いわき海星高校は惜敗、聖光学院は大勝しました。今回は東北から5校。岩手の盛岡大付属も逆転勝ち。そろそろ白河の関を超す高校があってもいいのでしょうが・・・・。(3/23)<17708>


◇ 金曜日。夜はふくしま復興支援フォーラムですが、日中は宅勤。義母はデイサービス、妻は仕事です。
 昼食は、自宅でもとれましたが、天気もいいので、車で5分ほどのスペイン料理店。「笹谷バル ラ ボニータ」。散歩の際にいつも気になっていた店ですが、夕食ばかりと思っていたら昼食もうやっている。(散歩が夕方で、いつもその店の前を5時頃通る。マスターらしき人が、外の小さな黒板に白チョークで、その日のメニューを書いているのを横目で通過していました。昼食もやっていました。ほとんど(全員)が女性客。中年女性のグループ、隣は母と娘。肩身の狭い思いで、頼んだランチは「パスタランチ」980円。何時か、夕方来てみよう。
 夜のフォーラム。今日は呼びかけ人の一人である齋藤紀医師の「放射線被曝とその影響について」。関連する研究論文も引用して、アカデミック、かつ実践的な報告でした。私は、本当の意味で、福島県を日本一の「健康県」にすることが、最も重要ではないかと感じました。働き過ぎを止めさせ、いい環境をつくる、医療体制を抜本的に改善する等、「健康」をキーワードに地域づくりをやってはどうかと感じます。前評判も良かったのですが、なんと45人の参加者です。大学時代の友人(薬学)の家族も来てくれて、久しぶりの再会です。感想文も多く、帰宅してからタイプしていたら午前1時の就寝となりました。(3/22)<17697>


◇ 木曜日。午前中は、コープふくしまの監事会に出席。監事の皆さんから、とりわけ経理の件での示唆を受け、改めて勉強しています。
 翌日のフォーラムの資料等、自宅で整理していましたが、締切りを延ばしてもらった雑誌の校正が来て、また避難者支援の報告書の原稿など、いつも押し迫ってばかりで、反省が多いです。書斎が雑然としていることが問題かと思い、少し、整理をしようかと思っています。
 考えてみたら(?)、今日は結婚記念日。娘たちも同じ日。若くして亡くなった母親の告別式の日に合わせたことを思い出しました。43回になりますが、金婚までは無理かなと思いつつ、孫たちの成長を見たいとも思う日です。(3/21)<17682>


◇ 春分の日。土湯峠のマイナスイオン「イオラ」に行こうかと話してましたが、今日は水曜日で午後からのみ。デイサービスのお迎え時間があるので、結局、止めることにしました。
 自宅で、明後日のフォーラムの送受信、次々回の企画の送受信、ニュースや案内の作成などの事務作業で、過ぎてしまいました。それでも、明後日の企画(齋藤紀先生)の評判はよく、初参加も多い。大変ですが、うれしくなります。
 先日、大学時代の友人で詩人の斎藤紘二君が、詩集『挽歌、海に流れて』(思潮社2013年3月11日)を送ってくれた。4冊目の詩集。津波・原発事故の中の人々をとりあげ、感動する。「三陸慟哭」は女川湾を前に詠む。有難い。
 夕方、本屋まで散歩。途中、薬屋で目薬と点鼻薬を買う。花粉症から解放されてスッキリしたい。(3/20)<17761>


◇ 火曜日。女川往復の疲れか、花粉症で夜中に2−3度起きて、少々睡眠不足です。
 午前中に義母の通院の送迎。徒歩で10分ほどの病院ですが、待ち時間が長いと大変。それで7時からの受付で、早めの順番を確保するために7時5分前に病院着。驚きました20人以上が病院受付の椅子で待っています。雑談を聞いていると6時頃には来ている人もいるようだ。私の様に家族のために順番を確保するだけでなく、どうもご本人もいるのかも、朝起きの病院ロビーでの懇談。朝飯前の仕事です。
 帰ってきてからシャワーを浴びて、朝食。9時前に病院。終わると迎え。30分ほどでスピード診療でした。義母も乗せて、買い物等のドライブ。駐車場で待っていただけですが。
 午後は、コープふくしま本部へ。東京新聞の取材対応。地元紙の一角を借りて、駐在しているようですが、記事を書くというよりも、福島にいることによって、被災地の眼からの評論などの役割のようです。まあ、様々な機会に、この取り組みが広がればいいと思います。いろいろ新聞業界の話も聞けて、勉強になりました。帰りしな、専務と打ち合わせをして、帰宅。
 22日には、第34回のふくしま復興支援フォーラム。斎藤紀医師による「放射線被曝とその影響」。関心も高く、案内に対して多くの反応があります。オーストリアのジャーナリストも参加したいという。そろそろ国際化か。英文でのページが必要かな?報告者に、報告に基づく論稿をお願いしていたら、水産試験場長の五十嵐さんから原稿が届きました。3月末でお願いしていたが、仕事の忙しい人は原稿も早い。集まった原稿からPDFファイルにして、ホームページに貼り付けて、事後の出版に備えよう。事務体制の強化が必要なのだが。(3/19)<17647>


◇ 月曜日。今日は、女川町の復興計画策定委員会の会議で、女川へ。会長の鈴木浩さんを車に乗せて、福島から女川へ。
 11時半過ぎに女川着。まずは「おかせい」で寿司(特上)をいただく(鯨のにぎりも)。中学校同期生の岡さんに店で逢えた。経営は、息子さんに移っているが、店で、一生懸命働いている。美味しい寿司。同期生の頑張っている姿に励まされる。会議の前に、カタールから寄贈された冷凍施設。国際的支援に感謝。また、最近できたばかりの宿泊施設「エルファロ」。女川町宿泊村協同組合理事長の佐々木里子さんに案内してくれた。行方不明の姪・容子の友だちで、2分前まで電話で話していたという。家族を亡くしながら、女川の復興のために立ち上がっている佐々木さんにエールを送りたい。がんばって。
 委員会は、復興の推進状況の報告だが、やはり原発被害からの復興が見えない福島との差を感じる。技術的なことは難しいが、ぜひ、女川町が、どのような街をめざすのか、町外の方も住みたいと思う町はどんな町か、単に以前の状態に戻るのではなく、新たな街をつくりあげて欲しい。
 会議終了後、希望の鐘商店街(仮設商店街)に案内。甘酒を飲みたいというので、いただく。亡くなったご主人の写真を前に話。そして「大新」のお店。Facebookで知り合い。娘さんは大学院に進学という。良かった。帰途、「高政」に寄って買い物、一路福島へ。
 車の往復時間5時間。花粉症の二人、少々しんどかったが、また女川に帰れたのがいい。(3/18)<17633>


◇ 日曜日・3月17日。この日は、私にとっては忘れがたい日。大学の卒業式の直前、1967年3月17日に実母が亡くなった。46年前だが、当時のことを思い出す。若いからショックが大きかったのでしょう。
 15年ほど前に福島大学から転勤された元同僚・地域福祉論担当の藤松さんが福島に来るというので、帰りしなに駅前の喫茶店で雑談。専攻が近いこともあり、実習などで共同することも少なくなかった。15年前と殆ど変らず、元気にやっている様子。安心しました。
 午後、JFLに昇格した地元・福島ユナイテッドのホームでの試合。相手は強豪・横河武蔵野。ハラハラして見てましたが、2対0で勝利。開幕2連勝です。このまま、続けて欲しい。1500人の応援団というが、JFLでは多いようだ。ユナイテッドは、福島の「統一」を意味するみたいだが、何とか福島県全体で支えていけたらと思う。大相撲も、福島市出身の双大龍。気合が入り過ぎたのか、4連敗だったが、今日は格上に勝利。2勝6敗になった。幕内を維持するのはかなり厳しくなったが、諦めないで頑張ってほしい。
 テレビで録画をとってみたのが、葛尾村のドキュメンタリー。テレビに出てくる金谷副村長さんの話を、我がフォーラムで聞いていたので、良く理解できた。またチェルノブイリの特集第1弾。身に詰まされる。何とか打開をしていかないと・・。
 明日は、一日、女川へ。早めに就寝することにしましょう。(3/17)<17618>


◇ 昨日は金曜日。税の申告最終日です。再度計算し直しをしたら、いろいろ計算間違いを発見。結局、10万円ほどの還付申告になる。家族の医療費が多く、医療費の控除です。高齢の義母の医療費を含め、貯金の積立額より、医療費が多いのは、高齢社会の反映でしょうか?あまり、眺めていては落ち着かないので、昼頃、税務署へ。間違いを発見されたら、呼び出しを受けることでしょうが、まずはホッとしました。。
 夜は、第33回のふくしま復興支援フォーラム。社会的企業の意義について報告してもらいました。参加者15人といつもと比較すると少なかったのですが、前回から1週間なので、少し宣伝が行き届かなかったのかなと思います。報告者や事務局メンバーと遅めの夕食の後、帰宅。
 今日・土曜日は、昼から郡山での会議の予定ですが、朝に、孫娘から電話。「今日ね、保育園の卒園式。」そうなのです。5年間通い続けた保育園の卒園式、4月には小学校に入学します。大震災も、保育園で迎えました。思い出が一杯の保育園生活。写真でみる、「卒園証書」は素敵な言葉で綴られています。

 < 卒園おめでとう / きょうが来た きょうが来た とってもだいじな きょうが来た きょうが来た きのうはしらないことだって きょうはきっと よくわかる かぜの子 たけのこ 地球の子 ねをはれ むねはれ めをみはれ / あすよ来い あすよ来い だれもしらない あすよ来い あすよ来い あすよ来い きょうはけんかをしてたって あすはきっとなかなおり かぜの子 たけのこ 宇宙の子 すくすく まっすぐ のびてゆけ >

 母親である娘は大感動。母親が働いている保育園児は、幼稚園とは違う思いがあるのだろう。仕事で充分とは思えなかった育児と、すくすく育っている子どもに。生まれた時の感動を思えば、私も感動。
 午後、郡山へ。10月12日―13日と開催される、松川事件無罪確定50周年記念集会の実行委員会。どうしても高齢者が中心だが、こうした取り組みを通じて、いかに伝えていくのか、大きな課題です。(3/16)<17603>


◇ 木曜日。午前中、所得税の申告のための作成。多数の小口支払が積み重なって、どうも数万円の追加納入をしなければなりません。ウーン、仕方がありません。国民の義務ですから。
 午後、県庁での会議。スムーズに進み、少し雑談。
 夜は、「第2回つながろうCO-OPアクション交流会」の懇親会。全国のコープの仲間が集まり、分科会、シンポジウムなど真面目な議論は昼の部。私は夜の部のみ参加。乾杯の音頭と挨拶ですが、少し長くて、皆さんの乾いた喉に申しわけなかった。折角の機会、今までのご支援に感謝を述べなければという気持ちが強くて。わざわざ、全国から駆け付けていただいて、感謝です。(3/14)<17573>


◇ 遅れてしまいましたが、昨夜は花粉症がひどく、書けなかったので、翌朝に昨日の分。
 12日・火曜日は、コープ関係三者と福島県との「地域の見守りに関する協定」を締結に県庁に参上。コープふくしま、コープあいづ、県南生協の三者です。健康福祉部長が対応してくれました。いつも連携の強化が欲しいと思っていた三生協、こんな形で一緒にやれるのは喜ばしい(定期的に専務同士は会合していますが。)。高齢者の孤独死を無くそうという発想がありますが、地域社会の下支えができればいいと思います。挨拶で、「自助・共助・公助が云われますが、基本は公助です。しかし、コープなど共助がそれを支えて住民を守りたい」と述べましたが、新聞記事では触れていませんでした。共助の役割が重要ですが、公助の役割の強化は必要です。
 昼食は、大宮からきた松野さんと、カーちゃんの店「わいわい」で。大宮に住みながら、飯舘に通っています。学部創設時期からの親友。25年になるでしょうか。共に夢を抱き、時には落胆しながら、今に辿り着きました。共に、「現役」ではない感じですが、部署は異なるが、常に現役でいたいものです。
 13日・水曜日。郡山に行く用事はあったのですが失礼しました。税務署に出す申告、資料が欠落して再発行してもらいました。一日一日きちんと書類を残していればいいのですが、これができない。いつも反省。来年こそはです。夕方、本屋まで散歩。家を出た途端、花粉の急襲か、鼻水が止まりません。そして夜。翌日に期待しながら、就寝。(3/13)<17566>


◇ 今日は3月11日。震災から満2年。三周忌です。2時46分を中心に多くの被災地で慰霊祭が行われています。心で祈りました。
 昨夕、大変お世話になった静岡の佐藤先生が、釜石・大槌からの帰り、福島に寄りました。吉原先生や永倉さん、中井さんと一緒に、「もめん亭」を開けてもらって、懇親会。喜寿の先生は、いまでも蔵王にスキーに来るなど、元気です。
 今日の3月11日、佐藤先生と約束していましたが、飯舘村、南相馬小高に向けて114号線を走りました。飯舘では、特養で少し話を聞いて、誰も見えない村を走りました。南相馬は、小高支所をめざして走り、許可なくして入れないところまで走り、Uターン。海の見えるところまで東へ。まだ田圃の中には、流された車の残骸が放置されています。最近ようやく入れるようになって、復旧が進んでいません。津波や地震で破壊されたままの家屋が痛々しい。楽しい家族の語らいがあったとは思えません。
 6号線を北上し、道の駅で昼食をとり、さらに相馬市の慰霊祭会場のスポーツアリーナへ。始まる前だったので、その様子を覗き見て、市長さんに電話で挨拶をして、帰途。
 帰り道は115号線。あまりにも眠いので、霊山で一休み・仮眠。ソフトクリームを食べて、また一路福島駅へ。途中、文字刷り観音。虎女の石を見る。4時半頃、駅到着。その後、コープの常任役員会へ。
 昨日・日曜日は、昼間、期待したほど原稿が進まず、夜の懇親会から帰宅したのは10時半。2時頃まで足掻いて、朝6時に起きて、1時間ほど補筆。7500字の予定が2000字オーバー。これを縮める余力はありません。ギリギリ、朝まで延ばしてくれたので、まずは守らないと。冗長な部分もあるので、短くしなければならないのですが、まずは送ることにしました。送信して、急いで朝食をとり、佐藤先生のホテルに迎えに行ったので、眠いのは当たり前。事故を起こしてはまずいので、申し訳ないが仮眠を取らせて頂きました。安全に到着して、まずは安心。
 孤独になって、集中できた研究室生活が懐かしい。そんなの贅沢だが。まずは、次の宿題へ。(3/11)<17525>


◇ 震災2周年が近づいたからなのか、テレビは特集番組を組んでいます。統合される母校・女川一小の子どもたちがつくる卒業式の歌。後輩の元気な笑顔に励まされます。中村雅俊の歌も良かった。総合テレビは、福島の状況。本当に悔しさが込み上げます。
 昼は、コープマート方木田店で行われた「漁業復興のイベント」に参加。県の農林水産部、漁協の海産物の安全の検査の努力。オールオアナッシングではない対応が必要です。魚種・海域、冷静に食の安全を確保していきましょう。場所を提供し、協働の取組のために、コープふくしまの理事長として挨拶をさせていただきました。11時と1時の2回の出番。皆さんにお土産を提供しながら楽しいイベントでした。
 昨日のコープふくしまの理事会でも紹介されましたが、地元紙・福島民報の「論説」欄に、生協の食事測定について、詳しく紹介・評価してくれています。ほぼ全文を使っての紹介なので、恐縮します。まだまだやるべきことは多いのですが、さらに前進をしていかないと。3割ほどの組合加入率、ぜひほとんどの住民が加入してくれればと期待しています。
 原稿猶予、明日一日。うーん、頑張るしかないね。(3/9)<17502>


◇ 金曜日11時過ぎ、テレビのチャンネルを回したら日本対台湾戦(野球)。延長10回4対3で日本勝利。録画と思ったらライブ。凄い戦いです。

 昨日・木曜日は、夜の「ふくしま復興支援フォーラム」のみで、日中、前日までの締め切り原稿を書きあげようと思っていたら、トラブル。デイサービスからの迎えに立った義母が転倒してしまい、鼻血を出してしまいました。額に掠り傷がありますが、心配なさそう。しかし、デイサービスの方は、大事をとって休むことになり、運悪く一日中妻の仕事。在宅している私が、近くの医院に連れて行くことになりました。何とか、心配なさそうなので、まずは一安心。妻も、途中、仕事から帰ってきましたが、午後も仕事で大変。原稿はできません。催促のメールに、状況を書いたら、月曜日の朝にということになりました。もう、放棄したい気分ですが、仕方がありません。
 夜は、第32回の「ふくしま復興支援フォーラム」、斎藤毅さんに震災下での高校教育問題を報告してもらいました。私が、秋田から福島に転勤した当時の社会科の学生ですが、高校で活躍しています。

 今日・金曜日、11時半からの県庁での会議の予定でいたら、その前の会議に出席予定の委員長の乗車した高速バスが、事故による高速道の通行止めで、間に合わない可能性があるので、代理に対応できるようにとの要請があり、早めの登庁。ギリギリ間に合ったようですが、手続き上、代理で出席。10分ほどの会議。その後予定の委員会に参加。
 午後からコープふくしまの定例理事会へ。午後4時頃終了し、その後打ち合わせ。午後7時からの送別会の前に、飯坂温泉で開催している原発シンポに参加している秋田大学当時の友人に会いに行く。ほんの立ち話で残念だったが、元気な姿に懐かしさ。午後7時、街中で開かれている「臼意さんのありがとうの会」。11年前に、経営困難なコープふくしまの立て直しに、札幌から支援に来てくれたようだ。今度、宮城を経て、札幌に帰るというということで、感謝の送別会。
 学部は異なるが、東北大の後輩。大変な経営状況の中で、再建を共にしてきた職員の皆さんとは、親密な人間交流。理事会側だけでなく、労働組合の皆さんも中心なった「送別会」。心温まる送別会だった。(3/8)<17487>


◇ どうも毎日更新する習慣が崩れています。火曜日が過ぎて、水曜日になりました。
 昨日・火曜日は、労働審議会の打ち合わせで労働局へ。午後は、本宮市役所に行くので昼飯を外で。「カーちゃんの力」の店に寄りました。丁度居合わせたSさんと同席。いろいろ雑談。飯舘村と福島市の市民レベルの交流の会をつくりたいねとの夢。故郷帰還の夢を持ち続けながら、結構長い期間ここに滞在する可能性も見つめて、共生のしかけ。問題は受け入れ地域の発展が実現できるものでなければならないと思っています。なかなか足が出ませんが。
 本宮市は、情報公開等審査会。特に審査する案件はありませんが、年度末の報告。早めに終了したので、高速で帰宅。残務(翌日締切)に手を付けて、夜の懇親会。市内大学で要職終了した先生との慰労懇親。大学での生活の記憶が薄らいでいきますが、大学内での苦労に同情。もう少し、教育と研究に集中でき、夢が語れる大学で在りたいものです。
 今日・水曜日は、午後から地方労働審議会。公労使の各委員の積極的な発言で、労働行政に対する期待を感じます。福島県民が少なくなっていますが、20代―30代女性、0歳から9歳までの子どもが激減しています。テレビは、避難生活ゆえの家庭の不和問題などを報じています。ある人のツイッターに、最近、震災や避難の本が売れなくなっているとのこと。急速に忘れ去られているのでしょうか。相手は、当然、知りたいと思っているということに乗っかった前提から脱却し始めないと。耳を塞いでいる方にも、聴いてもらえる説得力を付けていくことにしましょう。それにしても、原稿が進まない。うーん!(3/6)<17447>


◇ 日曜日から月曜日。2日が過ぎてしまいました。
 昨日の日曜日は、ショートスティに義母を送り、午後は、原稿を書けず右往左往。夜は、結局WBC中国戦を見てしまいました。5対2と快勝です。実力なのでしょうが、段々、力が発揮していくのでしょう。キューバも勝って、日本とキューバと第1次リーグは突破したようです。
 月曜日、月の初めはコープの朝礼。理事長の挨拶をしなければなりません。震災2周年の3月に入って、被災地への帰還が主要課題になっていますが、短時間では無理が多いので、敢えて帰還に拘泥しないでここで充実した生活(残された人生)を送りたいとの人も出ているので、コープとしても「お客さん」や「一時的滞在者」として見ないで、同化するのではなく共生の観点で、見方を変えるべきとも思うこと。またTPPの問題を、単に農産物だけでなく、医療、雇用、官公需、食品の安全基準の問題を含めて、組合員の生活を守ることを軸に考えるべきことなど、話をしました。生協労働自体が、自己実現できる働き甲斐のある労働であることを説得的に話したいのですが、まだまだ勉強が足りません。
 朝礼を終えて帰宅し、原稿の初校。昼に、午後1時からの県議会出席のために自宅発。4つの会派が、各30分づつの質問、執行部答弁がほぼ30分。結局終了は5時10分過ぎ。そこからコープふくしまの常任役員会へ。いつもは4時から7時頃までなので、授業時間の終了前の学生みたいに考えていたが、なんと8時半まで。帰宅して夕食。映画「旭山動物園」を見たが、あまり頭の回転が良くないので、明日の朝にかけましょう。明日も、労働局打ち合わせ、本宮市の委員会、そして夜はこじんまりした懇親会。じっとできない日になりそうです。明日の朝にかけましょう。(3/4)<17417>


◇ 土曜日。定期的診察で病院へ。この間に、日曜(救急)診察、専門診療所への通院はあったが、体重の減少と継続的運動が、相変わらず課題。本気になってやらないと。本気とは、淡々と継続すること。「継続は力」とは本当だ。
 孫娘の卒園式の制服姿(お下がり)の写真をフェースブック(グループ)で見る。小学校入学が最大のイベントだろうが、しかし、長い間お世話になった保育園を「卒園」できるというのは、特に感慨深い。もっと、もっとという気持ちはあるが、あの赤ちゃんが、ここまで成長したという方が感動的。これからの小学校生活はどうなんだろうと不安が無いわけではないが、何とか元気で楽しい学校生活を過ごして欲しいものだ。
 午後、野暮用で出かけたが、いつも車に同乗させてもらっているというので、奥様からたくさんの立派なイチゴ(箱入り)のお礼をいただいた。早速、夕食後に頂いたが、甘くて、大きくて、食べごたえがある。有難い。
 夜、テレビでWBCの初戦を見る。楽勝を予想していたが8回まで苦しんだ。5対3で、結局勝ったが、大リーグ部隊がいないので心配。しかし、若手中心のチームで、きっと戦いが進むうちにチームワークが強化され、見違えるようなチームになると思う。明日は、中国戦。見ている訳にはいかない状況だが、結局は見るのかな。(3/2)<17382>


◇ 3月になりました。大震災から二周年の月が始まりました。
 大学にハラスメントの研修で来た、仙台のM君を囲む会に出てきました。いつもの大学のメンバー、そしてすでに退職している職員の皆さんを含め、和気あいあいの飲み会でした。
 昼、散髪と散歩。車を使わないで片道25分ほどの理髪店までの距離。帰りは少々、しんどかったですが、続けないとダメですね。お金を出してジムに通う方法もあるが、ケチな自分としてはウォーキングがいい。特に今日は、春のような暖かさ。散歩日和です。明日の検診にすぐには反映しないとは思うが、少し期待。他方、今夜のご馳走は、検査結果に不安材料。一喜一憂しないで、続けましょう。少し疲れて、うたたね。
 夜の宴会から帰宅すると、石巻の従姉からのメール。3回忌が近づき、私の姉の写真を探していたら、偶然見つかったという。ほとんどの写真は津波で流されたので、こうやってポツリポツリと出てくるのも有難い。5日には、お寺の合同(三回忌)法要だというが、未だに時間が止まってしまったような気分。poco a poco = little by little = 少しづつ、前へ進みましょう。(3/1)<17363>



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