百寺巡礼のサブ.ノ−トです。   
2012.1.30 更新
1.日本の主な仏教宗派
2.仏教用語解説
五山の制
3.本願寺派の分裂
4.言葉の解説
京都三大門
京都の三閣
大和三名園
日本三名鐘
南都七大寺
役行者

5.一番はじめは一の宮
カットは百寺巡礼のメル友「大和なでしこ」さんの年賀状のデザインを頂戴しました。
2008年分です。
今までの分

1.日本の主な仏教宗派 (13の選定は「百寺巡礼」による) 
 緑字は、下欄に用語解説があります。
発生の時代 系統 宗派名 開祖 本山 特色
奈良時代 南都六宗 法相宗
(ほつそうしゅう)
道昭 薬師寺興福寺 唐の玄奘(げんじよう)が伝えた。「成唯識論」などをよりどころとして一切の存在・事象を五位百法に分類し、すべての実在の根源は阿頼耶識(あらやしき)にあるとする。日本へは653年道昭により伝えらた。
律宗
(りっしゅう)
鑑真 唐招提寺 中国で興った仏教の一宗。戒律(とくに四分律)をよりどころとし、受戒を成仏の要因とする。日本へは754年唐僧鑑真によって伝えられた
華厳宗
(けごんしゅう)
良弁 東大寺 華厳経の教説に基づき、中国唐代の僧法蔵が開いた。華厳教学は天台教学と並ぶ仏教の代表的な思想。日本には736年に唐僧道(どうせん)が伝え、第二祖良弁(ろうべん)によって確立した。のちに衰えたが鎌倉時代に復興した。
平安時代 密教系 真言宗
(しんごんしゅう)
空海 金剛峰寺ほか 平安初期入唐した空海が恵果から密教を受けて帰国、開宗した。大日経・金剛頂経に基づき大日如来の悟りの世界を直接明らかにしようとするもので、即身成仏を説く。加持祈祷(きとう)を行なって平安時代の貴族の間に浸透した。
密教.法華系 天台宗
(てんだいしゅう)
最澄 延暦寺ほか インドの竜樹に始まり、隋の智(ちぎ)により大成された大乗仏教の一宗派。法華経を元に、止観の実践に基づき、中道・実相の世界を説く。日本へは奈良時代に唐の僧鑑真(がんじん)が初めて伝えたが定着せず、平安初期に入唐した最澄が比叡山に寺院を建て宣教して以後、大いに広まり、次第に密教色を深めていった。
鎌倉時代 浄土系四宗 浄土宗
(じょうどしゅう)
法然 知恩院 法然が浄土三部教や浄土論に基づいて創始した浄土教の一派。阿弥陀仏の本願に頼り、もっぱら念仏を唱えて極楽に往生することを教義とする。
浄土真宗
(じょうどしんしゅう)
親鸞 西本願寺ほか 法然の弟子の親鸞が創始した浄土教の一派。阿弥陀仏の力で救われる絶対他力を主張し、信心だけで往生できるとする。親鸞は初め比叡山で天台宗を学び、のち法然の専修念仏の門に入る。法然の思想をさらに徹底させ、絶対他力による極楽往生を説き、悪人正機を唱えた。
時宗
(じしゅう)
一遍智真 清浄光寺
(神奈川県藤沢市)
一遍智真の開宗した浄土宗の一派。阿弥陀の救済力の絶対的な強さを説き、信者の信仰のあり方を問わず、称名さえすれば往生すると説いた。諸国を遊行し、名号を記した賦算(ふさん)と呼ばれる札を配り、念仏踊りを行なった。広く民衆に浸透し、15世紀に最盛期を迎えたが、その後、本願寺教団の発展などにより、勢力を小さくした。
融通念仏宗
(ゆうづうねんぶつしゅう)
良忍 大念仏寺 良忍が開いた浄土教の一派。華厳経・法華経を正依(直接のよりどころ)、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を傍依(間接の副次的なよりどころ)とし、弥陀の直授による教えに基づいて、念仏はすべてのものにとけあうとする考えに立ち、口称の念仏で浄土に生まれると説くもの。
禅系 臨済宗
(りんざいしゅう)
栄西 建仁寺ほか 鋭く厳しい宗風をもち、公案の工夫による修行を重視。日本では鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。
曹洞宗
(そうとうしゅう)
道元 永平寺.総持寺 1227年道元によって日本にもたらされ、永平寺四世の瑩山紹瑾(けいざんじようきん)のときに地方の武士・農民に教勢を伸ばした。臨済と並ぶ禅宗の二大宗派。只管打坐(しかんたざ)をもっぱら重視。
法華系 日蓮宗
(にちれんしゅう)
日蓮 久遠寺ほか 日蓮は「法華経」によってのみ末世の国家の平安もありうることを悟り、1253年に日蓮宗を開き、辻説法で他宗を激しく攻撃し、論破した。60年「立正安国論」を幕府に献じ国難を予言していれられず、伊豆に配流。その後甲斐身延山に隠棲。
江戸時代 禅系 黄檗宗
(おうばくしゅう) 
隠元 万福寺 曹洞宗・臨済宗と並ぶ日本三禅宗の一つ。1654年明の僧隠元(いんげん)によってもたらされた。宗風は臨済宗とほぼ同じだが、明代の仏教的風習が加味されている。1874年(明治7)に臨済宗と合併したが、二年後に独立して一宗派となった
.仏教用語解説
数珠と念珠 もともと数珠(じゅず)は念仏の回数を数える道具でした。その使い方から、数珠と呼ばれて来た。同じものながら、手を合わせて念ずると言う意味合いから、念珠とも呼ばれています。故人の念珠は故人と一緒に御浄土へ持たせます。
南都六宗 1.の3宗(法相宗.律宗.華厳宗)と三論宗・成実宗・倶舎宗の総称
日本八宗 平安時代までに日本に伝わった仏教の八つの宗派。南都六宗と天台宗・真言宗
阿頼耶識
(あらやしき)
現在で言う深層意識のことで、人の心の奥底に眠る無意識層である。そこに宿った思念は、やがて開花し、実を結ぶ。すなわちそれは、実現するのである。幸せになるのは簡単である。自分も他人も幸せになることを願えばいい。無理やりに力を入れて、成功しようとしない方がいい。それよりもその願いを阿頼耶識に託し、日々を楽しく暮らすことだ。すると、それは叶ってくれる。西洋思想における成功哲学と同じ。
大乗仏教 仏教の2大宗派に分けた時の一つ。 紀元前後ごろ、従来の正統学派が限られたエリート層のみの救済にしか目を向けなくなったことに対する反動として、広く大衆一般の救済を目的に説かれた、一種の社会・思想運動。「大乗」はサンスクリットのマハーヤーナ(Maha-yana)の訳で、大きな乗り物を意味し、衆生救済を重んじる自派の自讃を込めた呼称。これに対し旧来の仏教のことを「小乗」と呼んだ。これは大乗側からの蔑視を込めた呼び方であり、正統学派の自称である「上座部仏教」がふさわしい。日本に伝来した仏教は基本的に大乗仏教であり、 スリランカ、タイ、カンボジア、ラオス、ビルマ等は上座部仏教である。
絶対他力 あらゆる自己のはからい(自力)を捨てて、阿弥陀如来の本願力を信じることによってのみ救われるという教え。
悪人正機 有名な親鸞の言葉、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」である。仏を前にした時、わたしたちは誰しも「罪悪深重の凡夫」そのことを仏はなげきつつも、捨てずにおけない、というのが阿弥陀如来の本願であるということ。悪人正機の正機とは、正しくその教えや救いを受けられる機根(心に内在し、縁あって仏の教化に会えば、発動する能力)の人、という意味。
五山の制 五山とは禅宗の寺格を表す言葉である。 南宋の末期に中国で制定され、日本でもこの制度に倣って、1386年に制定された。京・鎌倉に五山の制を定め、臨済宗寺院の京・鎌倉の大寺五つを選んで、それを頂点として諸国の禅院を統括。その下に十刹(じっせつ)全国で十ヶ寺。十刹の下位には諸山(しょざん)として位置づけられた禅刹(ぜんせつ)がある。諸山は十五世紀中頃には二百ヶ寺にも及んだ。五山には諸説があるようだが、一般的には下記の通り。
鎌倉五山は建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺。
京都五山は南禅寺を五山の上位に置き、天龍寺・相国寺(金閣寺、銀閣寺も込み)・建仁寺・東福寺・萬寿寺(非公開)。
3.本願寺派の分裂


 親鸞の没後、娘覚信尼は、廟を京都大谷の地に造り、その留守職として、門弟たちから援助をうけつつ、親鸞の墓  所を守った。留守職は、親鸞の子孫へと受け継がれていったが、しだいに力を持ち、門弟たちの保護管理から独立  の気運を見せ、本願寺と称した。とくに第八代蓮如の時代には、北陸方面を主として各地に布教を行ない、強大な  教団を築き、大名にも匹敵するほどの勢力をもち、各地に一向一揆が勃発して、城主達を悩ませた。

 最後の戦いは、石山本願寺(大阪城の近く)が紀州雑賀の門徒を中心とし、織田信長と戦った石山合戦であった。長 年続いた戦も、朝廷の斡旋によって信長と和解したが、第十一代門主顕如と長子 教如とは、和睦をめぐって対立 し、顕如が天正八年(1580)四月退城したのちも、教如は石山に籠っていたが同年七月ついに退城した。これにより 、父顕如は長子教如を義絶する。

 顕如が文禄元年(1592)に没すると、その室如春尼は、顕如の遺書により門主の地位を第三子准如に継がせること を主張した。この譲状の真偽が紛争の元になった。豊臣秀吉は、第十二代の門主の地位を准如に継がせた。
 のちに徳川家康が、教如に対し、京都鳥丸六条の地に寺地を与え独立させる。
 ここに、本願寺教団は准如の本願寺派に対し、教如の大谷派と二分された。
上の文章を整理すると下記のようになる。
親鸞
(1193-1262)
(浄土真宗・宗祖)
蓮如(8代)(1415-1499)
(浄土真宗・中興の祖)
顕如(11代)
(  -1592)
准如(12代)
<豊臣秀吉>
西本願寺
(浄土真宗本願寺派)
真宗最大の宗派
龍谷大学・崇徳学園
津村別院(北御堂)
教如(12代)
<徳川家康>
東本願寺
(真宗大谷派)
大谷大学
難波別院(南御堂)


4.言葉の解説
京都三大門 南禅寺三門知恩院三門東本願寺御影堂門
京都の三閣 京都の美しい国宝の建物

金閣
銀閣飛雲閣(西本願寺)
大和三名園 當麻寺中之坊香藕園(こうぐうえん)、竹林院、慈光院
日本三名鐘 4つある(笑)良くあることだが割愛出来ないのだろう。多分他にもありそう。
「銘の神護寺」勢の東大寺「姿(形)の平等院」音の三井寺(園城寺)
南都七大寺 (なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)及びにその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの大寺を指す。
興福寺(奈良市) 東大寺(奈良市) 西大寺(奈良市) 薬師寺(奈良市) 元興寺(奈良市)
大安寺(奈良市) 法隆寺(生駒郡斑鳩町)

なお、法隆寺の代わりに唐招提寺を入れる説もある。
また、歴史的経緯(四大寺から数を増やしていったとする見地)からして西大寺の代わりに由緒ある弘福寺(現在の川原寺)を加える説もある。
四大寺 国家の保護を受けていた寺で『日本書紀』『続日本紀』に記述のある寺。言わば古の奈良の都に歴史を持つ寺。
大官大寺(現在の大安寺) 弘福寺(現在の川原寺) 法興寺(飛鳥寺、現在の元興寺と本元興寺)
薬師寺。本元興寺については、元興寺に併載
役行者 役行者(えんのぎょうじゃ)本名は役小角(えんのおづぬ)。
修験道の開祖。役行者を開祖とする寺は多い。
舒明天皇6(634)年、葛木山(葛城・金剛山を合わせて葛木山と称した)ふもとの茅原(ちはら)に生まれたとされる。幼少の頃から博学で知られていたが、葛木山で修行を重ね、若くしてすぐれた呪術者として名を馳せたという。20代のころ、藤原鎌足の病気を治した。
小角が修行の場としたのは葛木山の他に、生駒山をはじめ近畿・東海一円にわたった(足跡、伝説は全国の山々におよぶ)。とくに小角が霊峰として崇めたのが大峯山である。山中深く分け入り一千日におよぶ厳しい修行に身を投じた。このとき感得されたのが修験道のシンボル、蔵王権現である。  

『続日本紀』の文武天皇3(699)年に、伊豆島に流罪になったという記事がある。罪状は「鬼神たちを思うままにあやつり、世間を惑わせた」というもの。小角は囚われている間も毎夜、富士山で修行にはげんだという。海を風のように走り、鳳凰のように空を飛んだそうだ。3年後に許される。晩年の消息は不明である。                            
小角の名声は後世ますます高まり、平安時代に“行者”の尊称を贈られて以 
来「役行者」と呼ばれるようになった。さらに寛政11(1799)年、光格天皇より「神変大菩薩」の尊号を賜わった。この尊号は、歴代の高僧の中でも役行者ただひとりである。 
役行者像の代表的なのは、二人の高弟を従えた形である。この弟子は実は鬼で、名を前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)という。生駒山中で暴れ回っていたのを役行者に調伏されて弟子になった。彼らが住んでいた集落は今もあり、地名は奈良県生駒市の鬼取(おにとり)と言われている。      

役行者像

犬鳴山 七宝瀧寺
身代わり不動明王の隣に
5.一番はじめは一の宮
一番はじめは一の宮(いちばんはじめはいちのみや)は、明治後期から昭和時代にかけて、
全国で歌われていた手まり歌・お手玉歌のひとつであり御利益のありそうな神社仏閣を歌にして伝えたものと思われる。

曲は明治時代に日本軍隊の指導のために来日したフランス人が作曲した軍歌「抜刀隊」のメロディーを借用したものである。
歌詞は、口承による童歌のため、作詞者は未詳で、また、歌詞にいろいろなパターンがある。

一般に唄われていたものは、16行からなり、前半は数え歌形式で、この歌では、御利益のありそうな神社仏閣尽くしになっている。
後の6行は、徳富蘆花の小説「不如帰」をモチーフにしている。
本来は10行目までで終わりになっていたのが、1908年(明治41年)前後から「不如帰」が劇として各地で上演されることが
多くなったのを受け、後を付け足したものと思われる。

歌詞 解説  具体的な寺社名例 リンク先は参拝記
一番はじめは一の宮 地元(律令時代の)で一番格上の神社 和泉国では大鳥大社
二は日光東照宮 栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。 日光東照宮 遠い昔に参拝したことがあるが、いつかはと思っている。
三は讃岐の金比羅さん   金比羅宮(ことひらぐう.こんぴらさん)
四は信濃の善光寺 長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院である 善光寺(ぜんこうじ)
五つ出雲の大社(おおやしろ)   出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ)
六つ村々鎮守様 地元の鎮守社 わが町では大森神社
七つ成田の不動様   成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)
八つやはたの八幡宮 八幡宮は全国に一杯ある。総本宮は宇佐神宮である 宇佐神宮
九つ高野の弘法さん いわゆる 高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)
十は東京招魂社 東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創祀され、後に現社名靖國神社と改称された 靖国神社
これだけ心願かけたなら
浪子の病も治るだろう
ごうごうごうと鳴る汽車は
武男と浪子の別列車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐くほととぎす
   

一番はじめは一の宮 曲が流れます you tubeから頂きました。

大和なでしこさんのカット
永観堂のみかえり阿弥陀です。 2007年分です

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