日 記

(2013年4月)


<今野順夫の部屋>

◇ 4月も最終日になりました。年度の初めとは言え、いろいろ忙しい月でした。
 4月から初孫が小学校入学です。本人も親たちも初体験。保育園とは異なり、両親が働いていると放課後が大変。学童保育に預けることができ、これも初体験。きっと環境の変化で戸惑っていると思いますが、いろいろあっても大丈夫でしょう。人生体験開始だね。私の二女の方も、この4月から弘前から女川へ赴任。人口減が進行している中での赴任ですから、これも大変です。復興のためには大切なこと、頑張って欲しい。
 妻の札幌時代の友人夫妻が来て、福島での懇親、平泉を経由し、秋田乳頭温泉での宿泊、女川の被災地も見てくれました。札幌からフェリーを使い、約1週間東北を周遊しました。喜んでくれて何よりです。女川も急速に復興事業が進行しています。工事車の動きを見ていると、実感します。
 東京にも2度参りました。10月に開催する松川事件無罪確定50周年記念集会の協力お願い。団体参りです。2日間、実質午後から午前まで、各団体を回ることが出来ました。また女川に元気を送る会の総会。また、新たな出逢いもありました。
 4月から、福島大学での講義(非常勤「労働法」)が始まりました。2コマ連続ということは180分の講義。いい緊張感ですが、体力が持つかな。必要とされている限りは頑張りましょう。
 夜、妻の鶴岡の友人から電話がありました。共通の友人である千葉市在住の小林(旧姓山本)節子さんがなくなったとのこと。学部は異なるが学生時代の妻の親友。病気は聞いていましたが、とても残念なことです。何か、悲しい4月の最後の日でした。長い闘病生活、お疲れさまでした。安らかにお眠りください。ありがとうございました。ゴールデンウィークの最中、列車も混雑するでしょうが、妻も参列の準備をしています。(4/30)<18354>


◇ 29日、以前は「天皇誕生日」でしたが、現在は「昭和の日」。ゴールデンウィークも前半の最後。
 昨日4月28日は、戦後処理で、(単独)講和条約を結び、占領下から、形式的に「独立」した日。政府は、主権回復の式典をやっています。しかし、とりもなおさず、沖縄を切り離し、アメリカの占領のままに放置した日です。日米安保条約を締結し、アメリカとの同盟国として突き進んできた出発点です。安保と憲法の二元体制を確立したと言っていいでしょう。以前は4.28沖縄デーとして、復帰の運動の原点でした。沖縄県民の、この式典に対する批判が多いのは理解できます。
 福島県9条の会が主催する「憲法塾」に参加してきました。シリーズで開催するとのことですが、第1回目は吉原元学長が3時間にわたって講演(講義)をしました。中高年を中心に70人以上の参加。関心の高さ、現政権の改憲の動きに対する危機感の表れでしょうか。コープの組合員さんの要望で、憲法の話をすることになり、その準備のためにも情報集めが必要です。もう一度、学生時代に戻った気持ちで、改めて憲法の勉強をしてみたいと思います。最初は少なくても、広くコープの組合員さんに伝える役割を果たしたいと思います。生協組合員の生活を守る運動に、「憲法学習」で基礎づけたい。これで組合員の拡大に寄与することも願いながら。
 FacebookでKさんから友達申請。最初、パッと浮かばなかったのですが、昔、草の根パソコン通信をやっていた仲間(ワープロでしたが)。電話線ですので、同時通信はできず、ちょうど4万番目になったと云って、温泉の無料宿泊券をいただいた仲間。その中心だった方とも連絡が取れ、友達になりましたが、みんな元気でいるとのこと。中高年+青年の男ばかりでしたが、オフ会等で交流を深めました。その間、大変な境遇の仲間もいたとのことですが、ものすごい頑張りで切り抜けたという感動的な話も知りました。私は、忙しくなって離れてしまいましたが、温かく見守っていてくれたようです。インターネットのルーツは、この草の根ネットにありました。分野も年代も異なる方々との、心温まる交流でした。年金生活者になって、こうした繋がりを、また大切にしたいと思うようになりました。
 今日の日曜日、帰省している娘も帰ります。飯舘村から避難している喫茶店「椏久里」(あぐり)で、ブルーマウンテンNo.1をいただきました。ゆったりした贅沢な時間です。3泊のゆっくりした時間を過ごしたせいか、帰り難そうでしたが、3時半頃帰りました。私は、コープふくしまの常任役員会を4時から7時まで。6月の総代会も近づいています。
 いま、10時1分、震源茨城県沖の地震。水戸などは震度3ですが、福島市は震度2。地震が頻発していますが、まだ震災後であることを自覚させます。被災地支援も、現地住民の気持ちにも支援に対する複雑な感情を感じますし、また支援側の「上から目線」の対応も気にかかります。被災地・被災者に寄り添って、協働して行けるように、静かでも持続的に努力していく必要があると思っています。(4/29)<18331>


◇ 土曜日、近くのスペイン料理の店に、娘と昼食に。以前、一人昼食で行ったときは集団の女性客ばかりで、少し疎外感を感じましたが、今日は、土曜日の昼食のせいか、家族連れ等男性客もおり、ゆったり楽しく食べられました。1000円以下の昼食で、スペイン特有のものを理解をしてませんでしたが、美味しかったし、野菜が多く健康的でした。女川の復興で、スペイン風な街づくりも言われており、関心をもって、にわかにスペイン語ラジオ講座の聴講を再開しました(日本人にはスペイン語がとっつきやすいとは聞いていましたが)。
 大学の卒業生が、コープで実施している川内村での明日の移動販売車の支援のため、ボランティアで来てくれました。川内村の買い物困難は言われていますが、何とか解消して帰村者の生活不便を解消しようという取組みです。とても人件費を賄えるほどの売り上げがないので、生協本部からボランティアで来てくれるのは有難い。風が強い日ですが、飯坂の足湯を済ませた頃に迎えに行き、折角なので「花ももの里」(私も行こうと思っていて実現してなかったのですが)、また「梟のギャラリー」に寄ってきました。ご主人と話も出来て、勉強になりました。コープマートの新町店に寄り様子を見、2階を賃貸している会社の女社長さんの話を聞くこともできて、双方の交流のきっかけづくりです。
 送付しなければならない校正は、ギリギリ明日になってしまいましたが、何とか間に合わせないとと思っています。(4/27)<18302>


◇ 午後から、コープふくしまと取引業者関係の集い(7月)の呼びかけ人会を開催。5団体(生産・流通・加工)の代表とコープふくしまとの打ち合わせの会合。コープも、こうした業者の皆さんの支援や協働で成り立っていることを、特に感じます。特に、震災後、福島の産物が風評被害にあっているので、協同の取組みが多くなりました。福島の消費者は、福島の生産者等と無関係ではなく、その仕事で消費も成り立っています。地元の安全な食品を提供するという意味では、こうした取組みも重要になっています。
 昨年、初めて、この会合で新理事長として挨拶しましたが、理解が浅かったようです。この1年で、いろいろな経験をしながら、重要性を認識できるようになりました。今後とも、こうした協働の取組みを大切にして頑張っていきたいと思いました。
 帰宅すると、女川の娘が帰ってきました。4月1箇月の転勤後の仕事を無事終えたようです。仙台等から単身赴任している同僚が多いようですが、何か福島から単身赴任のような感じです。まあ、5月は忙しくなって帰ってくる暇もないでしょうが。家族が増えたような感じです。(4/26)<18298>


◇ 今日も日中、宅勤でしたが、夜の「ふくしま復興支援フォーラム」のために、早めに駅前のAOZに出かけました。福大の初澤さんの報告。中小企業の復興の課題ですが、現状は大変です。7万都市から2万人以上が出ており、難しい課題ですが、アンケート調査を駆使して、勉強させていただきました。
 このフォーラムも、36回。39回まで企画が進んでいるので、年内に50回に到達すると思います。復興が進むことと反比例して、全国的な関心が薄れてきていますが、ここ被災地でも、当初は、同種のシンポジウムも多くなっていましたが、資金が切れるのとも相まって少なくなってきたようです。
 全くの資金なし、人手なしの、わがフォーラム。それ故に継続できるし、意味がありそうです。昨日は30人でしたが、新しいメンバーもあり、一度でも覗いた方は150人を超していると思います。続けることの重要性を認識して、「生きがい」として続けましょう。
 やってみると、この地元に沢山の専門家がいることを確認できました。自信を持ちました。(報酬出さないので、地元しか頼れなかったのが本音ですが。)。頑なに、ビラの1枚も出さず、貧弱な手作りホームページとメールの一斉配信のみです。人数だけではないのですが、マスメディアが事前の案内をしてくれたらと思いますが、その価値がないということでしょうか。その程度のものでしょうが。まあ、シコシコと進むことにします。(4/25)<18276>


◇ 今日は一日、宅勤。午後、雨が降ってきたので、家族を仕事場まで送迎。
 なかなか自宅の書斎が整理されないので、妻が書類などを集めて、必要なもののみ残す作業。古くても残しておきたいものはあるが、時間の経過で処分に躊躇しなくなったものが多い。定期的に整理の時間をとらないと、際限なく多くなる書類の山。新刊本や雑誌、抜き刷りをいただくことが多く、その量もばかにならない。どんどん読んでみたい気もあるが、またどうしても積読になってしまう。本当に申し訳ない。
 Facebookで女川関係者(出身者・在住者・勤務場所があった人、親戚がいる方等)を構成員とするグループをつくっているが、だんだん、女川に関係する方が分かってきて、見ず知らずで失礼ではあるが、女川復興の一点でお願いしている。思いは同じで、快い返事が返ってくる。女川のネットワークを広範囲に作りたいものだ。復興は長期戦に入りつつある。(4/24)<18247>


◇ 慌ただしい日が続いたので、少し疲労気味です。自宅を中心に寛いでいました。
 ケアマネジャーが訪ねてくる日というので、私は、自動車整備工場に出かけ、夏タイヤに交換してもらいました。しばし、社長のお母さんを交えて雑談。息子さんが、NPOの活動をして、駅前の「かあちゃんの力プロジェクト」の店で働いているとのこと。理事長の松野さんに電話したら出なかったが、夜、電話をくれた。久しぶり。28日に福島に来る用事があるとのことなので、会えるかな?
 コープふくしまの本部に寄って、昨日、全部は出席できなかった常任役員会等の資料を読む。パワーある組合員理事の皆さんと立ち話。6月には、憲法の話をすることになっているが、改めて勉強してみないと。
 夕方、サティ通りを散歩。電気屋さんに行って、プリンターのトナー購入。スマホにつけるキーボードを見せてもらったが、スマホのタイプの面倒さを克服したいものだ。気候も良くなり気持ちがいい。
 夜、東北楽天とオリックスのテレビ観戦。3連敗を脱出できた。田中マー君、塁に出しても抑えるところはさすが。被安打15本だったが、9対3と逆転で勝利。新しい戦力が出てくるので楽しみ。(4/23)<18231>


◇ 月曜日です。冬から春にまた帰ってきた感じの天気です。自宅では、風呂がまの交換工事。車2台で工事に来ているので、私の車は邪魔。午後からの講義もあるので、早めの出勤。郵便局で、JSAと女川に元気を送る会に送金。約束していた「ふくしま連携復興センター」で、必要な書類への捺印。一つ路地を間違えて、車でウロウロ。ようやく到着。抜けていた監事就任の住所と氏名・捺印。重要な書類ではあるが、1分も要しないので、郵送してもらっても良かったかな。そろそろタイヤの交換。馴染みの自動車整備の宇田さん宅に立ち寄り。明日交換約束。
 11時半に、大学で後任の長谷川さんに逢い、ゼミの卒業研究報告集、早稲田大との学生ジョイントの成果物をいただく。土曜日に東京で逢った酒井君の同期生でもある。昼食をともにしながら、充実した教育研究活動の展開を聞く。学生も幸せである。私の長女と同じ生年というので、新しい世代への転換を感ずる。
 午後の講義、先週の旅の疲れか、準備もいま一つ。留年して卒業研究を完成できなかった卒業生と偶然会い、私にまで卒業研究をもらう。気が済まないんだろう。急いでコープ常任役員会に、30分ほど参加し、夜は飯舘の委員会へ出席。17時までの校正締切りを、24時と間違えて、催促後送信。どうしてバタバタしているんだろう??明日は、ゆったりできる日です。(4/22)<18215>


◇ 昨日20日(土)は、東京・新宿で「女川に元気を送る会」の総会。10時半頃の新幹線で上京。50人ほどの参会者。
 活動報告と新年度の計画の承認の後、女川つながる図書館の実質的運営者の元木先生の講演。そして三宅先生からの女川の地名の話。まためだか大学の女川の唄。充実した総会でした。女川FMの活動等を通じた女川の復興への足取りを描いたNHKドラマ「ラジオ」の評判も良く、また女川FMの代表の松木さん、さらに東京の大学に進学した阿部さんも来てくれた。取材ではあるが。突然、阿部さんからインタビュー。準備なく言い足りないまま、流れるのは恥ずかしい。しかし、いろいろリンクが出来てきてうれしい。
 懇親会でも、殆ど中学校の卒業年次順に、話があった。長崎大学の前の学長さんも、奥さまが女川出身でもあり、参加していただいた。また亡くなった姉の同級生とも話が出来て、写真を見せてもらえるかもしれない。従姉のさえ子ちゃんとも話が出来た。親戚なのにこうした機会に逢えるもこの会のいいところ。しかし、若い人も入れるように活動内容の工夫が必要。二次会にいくためエレベーターを降りたら、私のフェースブックを読んで、酒井君が逢いに来てくれた。女川出身で、お父様にもお世話になっているし、私の労働法ゼミの後輩である。弁護士として東京で活躍しているが、ネット以外で逢えたのは久しぶり。二次会は、若い彼を含めて盛り上がったが、福島に帰る私は、残念ながら中座。帰宅した。雨が降っていた。
 今日、起きてみると雪。4月の雪、みんな驚き。岳温泉に行っている新入生合宿研修。以前も4月末のこの行事が、大雪に見舞われたことを思い出した。我が家の風呂のボイラーが壊れて風呂に入れないので、帰宅していた次女と穴原温泉に日帰り入浴。信夫山の角屋で蕎麦を食べ、買い物をして、ゆっくり休んで次女は女川に帰って行った。弘前よりもやはり近い。順調な帰路だったようで、7時前には無事到着の電話。また、1週間頑張って欲しい。
 明日は、授業もあり忙しい。元気にいきましょう。(4/21)<18195>


◇ 今日は、午後からのコープ顧問会議。10年以上の理事経験を持つ方々との懇談。苦しい中、生協再建を推し進めてきた諸先輩。貴重なご意見とともに、励まし。有難いです。
 夕方の県委員会関係の歓迎会。会議終了後懇親会が普通ですが、私のスケジュールが合わず、懇親会を最初にして、明日朝からの会議。二人の委員は福島のホテル泊り。遅れないように参りましょう。(4/18)<18147>


◇ 札幌からの友人夫婦と一緒の秋田等への小旅行から、帰ってきました。自宅を留守にしました。
 15日(月)、義母をショートスティに送り、大学へ。新年度初の講義。月曜日の3コマ目・4コマ目(13時から16時10分まで)。あまり急がないで、じっくり進めたいと思っているが、受講生が確定するまでは、少々、慣らし運転。
 非常勤講師控室で、新しい講師の先生と雑談ができた。一人は、行社の比較文化の卒業生ということで、私の講義も聞きましたと言われ、赤面の至り。もう一人は学類長就任の補完で、東北大の国際政治学の先生。いずれも女性の先生。女性の社会的進出の現われ。しかし、もっと常勤化の道が用意されるといいのにと思うが。
 終了後、札幌からのお客さんとの行動。妻が札幌に転校(中学)した時の友人。半世紀も前であるが、奇跡的に連絡が取れ、積み重ねられたクラス同窓会に組み込んでいただいた。震災の時には、北海道に避難する家を用意すると言ってくれた方。実現は難しかったが、その気持ちが嬉しかった。見学途中の花見山で拾って、信夫山、コラッセふくしま(展望台)を経て、駅前の料亭での懇親。
 昨日・16日(火)は、我が家に集合、東北道を北上。平泉の中尊寺(金色堂等)を見学、最高級の前沢牛をご馳走になってしまった。前沢・西岩寺で墓参り。札幌の先生はご主人の出身の前沢の代々の墓に眠る。忘れがたい恩師のようで、暫し、感動の墓参り。先生の亡くなった年齢より年を重ねた教え子(?)たちであるが。
 少しゆっくりしてしまったので、急いで宿泊先へ。秋田・乳頭温泉の「鶴の湯」。6時を過ぎてしまったが、露天風呂に入り、7時頃から陣屋で懇親・夕食。疲れたのか早めの就寝。
 今朝、朝食前の温泉。何ともいい雰囲気。掛け時計も、テレビもなく、聞こえるのは、温泉の流れる音か。この鶴の湯は、2度ほど来た記憶があるが20年もなるか。若かりし日の思いが浮かぶ。
 朝食を済ませ、温泉を出発、一路・女川へ。被災地・女川を見たいという強い要望。午後1時頃の着。まず実家の流出した場所を暫し見つめ、女川病院の駐車場から女川町の全体像を見る。瓦礫もほとんどなく、工事の車が多いが、港に停泊している漁船・定期航路船も多くなった。病院の食堂で昼食を済ませ、女川駅跡地周辺、仮設の役場、トレーラーの宿泊施設、希望の鐘酒店街(仮設)、蒲鉾屋の高政で買い物、4代目とも話ができました。なぜか、サッカーチーム「コバルトーレ女川」の話。
 被災した姪が経営している多賀城の店(じゅげむ)で、夕食。お客さんともお話ができた。みんなの支援で何とか頑張れている。ありがたい。そこで別れて、我々は福島へ。一連の行動は終わった。彼らは19日夜の青函のフェリーに乗って札幌に帰る。東北一週間の旅行。いい思い出になってくれればいい。明日から、また日常に帰る。(4/17)<18129>


◇ 日曜日が過ぎようとしています。昨日13日の土曜日は、いつもの定期診察。予約していた先生が不在で替わりの先生。血液検査の結果が悪く、娘たち聞かれて正直に話したら、少々、フェースブックで叱られる。6週間前も同じだったが、隠していた。ああ、病人として、きちんとしないと。まずは体重を減らすよう食事の制限と運動。真剣にやらないとダメだ。埃が溜まっていた体重計を、再度出して自己管理の開始。月曜日の授業準備。
 今日、日曜日は、JA新福島の新築のお祝いの会へ。9時開始なので早い。市長等も来ていたが、私はコープふくしまの理事長としての参列。午後、惜敗した東北楽天のテレビ中継を見つつ、授業準備と小論の原稿書き(深夜を過ぎてから)。月曜日に頑張って(とはいっても、授業と懇親会があるが)、火曜日になる前に送信することにしましょう。遅筆というよりも、スタートが悪い。なかなか悪い癖が抜けない。お世話になっている担当者にご迷惑をかけないように頑張ることにしましょう。(4/14)<18077>


◇ なかなか一日一日、更新できません。ペースが乱れているのかな?
 11日木曜日。5月のフォーラムのについて、除染作業及び仮置き場の設置が進んでいる桑折町の担当課長さんに頼みに行きました。隣町といっても、自宅から30分ほど。役場はコープマート梁川店の前。今日はコープの活動ではありませんが、早く着いたので役場の駐車場から店を見ることになります。課長さんの前向きな話に感心します。帰りに、高橋町長に挨拶しながら、懇談できました。なかなか桑折町政に触れる機会はないのですが、独自の取り組みをしながら復興に向かっているのは心強い。
 夕方は、第35回のフォーラムのために、AOZへ。福島在住の元気象庁の幹部研究者であった佐藤さんから、SPEEDIの話を聞きました。十分な活用がなされなかったことは衆目の一致する処ですが、そのメカニズムや有効活用するためのシステムに大きな欠陥があったと理解できました。縦割り行政の欠陥も露呈しました。自然科学の知識がないと、なかなか理解できない面もありますが、報告者も、自然科学者や素人の前で話の経験はあるが、人文系の研究者に話すことは初めてで、難しかったようです。有意義なフォーラムで、感想文にも示されています。
 今日は、松川事件無罪確定50周年記念集会についての記者会見に同席するために、福島大学へ。直前に、松川資料室に関する大学と松川運動記念会との協定の更新があり、取材する方も多かった。私は実行委員会の副委員長なので、委員長や他の副委員長と同席しました。10月12日から始まる全国集会、成功させてこの松川事件の意義を受け継ぎ発展させたいものです。関係者と共に、大学生協で昼食を共にし、ゆっくり懇談できました。
 来週からの非常勤のために、臨時駐車証を総務Gに寄り、元気に働いている職員の皆さんと話ができました。大変な時期ですが、頑張ってほしいですね。(4/12)<18045>


◇ 昨日は東京に泊まりました。
 昨日・9日の朝、新幹線で、10月に予定している松川事件無罪確定50周年記念集会への協力をお願いに、東京の中央団体への要請。午後、いくつかのビルに分散している労働団体等の中央組織を訪ねました。電車を乗り継いでですが、現地の方が効率よい案内をしてくれましたが、結構歩きました。今日、午前中までかかりました。
 昨夜の夕食は、東京にいるSさんと共に、新宿駅構内のレストランで豆腐料理。福島でしばしば逢ってはいるのですが、東京の雰囲気で夕食をとるのも、また別の気分。
 松川事件を、どのように引き継ぐか、弁護士団体に立ち寄って、死刑制度廃止の問題との関わりも指摘されました。確かに松川事件の一審判決・二審判決とも、死刑を含む判決。もし、最高裁で8対7で差し戻しにならなければ、取り返しもつかない事態になっていたかもしれません。松川事件を、そうした死刑制度廃止の問題としても、語り継がなければなりません。
 20人の被告人のうち14人は亡くなり、支援運動経験を有する方も高齢化しています。今後、20年が過ぎても引き継げる体制の見通しを、早急に打ち立てる必要があると思います。いろいろ考えさせられる要請行動でしたが、当面は10月の集会の成功のための尽力が必要でしょう。
 久しぶりの東京、人の多さに酔い疲れました。福島に戻ってホッとするのは、歳のせいか、単なる慣性の問題なのか。早めの就寝で、疲れをまず取りましょう。(4/10)<18002>


◇ 強風の月曜日はあけて、風は強いもののよく晴れています。コープの月初めの朝礼のため、早めに出ました。
 短時間ですが、朝イチの会合なので、気を遣います。総代会を前にして、改めて生協の二つの活動、組合員活動、そして経営事業活動。組合員の生活を守るために、この二つの活動をいかに統一して進めるかが重要だとの認識を伝えました。特に、消費税導入1年を切った段階で、1年後にも事業活動を継続的に展開できる構造を作り上げることの重要さを感じます。
 すぐに帰宅し、義母の眼科通いの予定でしたが、昨日までのショートステイで疲れたのか、昼寝をしており、ようやく昼前に目が覚めて、早速眼科へ。何と臨時休診。同系列の眼科に行き、当面の目薬を確保しました。帰り、花見山の横を通り過ぎて桜を見ようと思ったのですが、自家用車は完全ストップ。かなり歩く駐車場では、困難です。事情を話せばよかったかなと思いましたが、「観光客」にみなされて断念。簡単に諦めたことに、後で反省しました。
 夕方は、コープふくしまの常任役員会。4時に始まって、8時が過ぎました。少し長かったな。
 今日入学の、塩竈の孫娘に入学祝の電話。弾む元気な声で、早口で興奮しています。先生の名前は覚えてこなかったが、保育園時代の友だちが同じクラスで喜んでいました。集団登校ではないらしいですが、友だちの兄弟姉妹と一緒らしく、まあ大丈夫でしょう。明日から、どんな新生活が始まっているのか、こちらもドキドキです。(4/8)<17969>


◇ 日曜日。時に暴風雨です。午前、ショートステイに迎えに参りました。施設の方は、風の音も聞こえず、快適なようです。
 午後、NHK総合テレビで、楽天対ロッテの観戦ですが、3回で雨で中止。ノーゲームです。夜は、「サザエさん」の福島特集。花見山やさざえ堂、桧枝岐歌舞伎など名所等が出てきて親近感。有難い特集だが、これが必要というのも悲しい。
 相続問題の相談への返事など、難しく、頭が痛い。親の財産の処分、受ける方は不労所得。大切な家族の絆を破壊する時限爆弾かな?被相続人は、相続人の不和を喜んでいないだろうが。
 明日は、一番上の孫娘の小学校入学。いい天気ならいいが。(4/7)<17951>


◇ 土曜日。午前、なんとなくテレビを見ていたら「あのマイケル・サンデルが東北に登場/復興をテーマに千人と白熱教室スペシャル!」を見てしまいました。東北大学での集まりですが、研究者というよりも、津波や原発事故に遭遇した現場の声が数多く出されました。サンデルが、問題を整理して、かつ根源的な問題に迫っていく。その技術に驚きました。対立的な議論に整理しながら、いずれの意見にも根拠を見出し、積極的に評価しながらも、双方の議論を尊重しながら、解決の鍵を探し当てようとする、討論を終わっての感想としてはさわやかです。凄いね。
 午後から行われる、大学の法学系教員と弁護士との共同研究会(第5回「原子力損害賠償・災害法制研究会」)に出席してきました。テーマは「原子力損害賠償紛争解決センターの現状と課題」で、1) 運用面の検討として高瀬さんが、2) 内容面の検討として富田さんが報告。具体的な和解案が紹介され、面白い議論でした。震災復興における損害賠償問題は、重要な課題ですが、その問題をどう位置付けるか、全国的な理解を得て、支援が進むかどうかのポイントのような気もします。
 夜は、懇親会(高瀬さんの送別会)。研究会・懇親会、16−18名の参加、弁護士さんの積極さに圧倒されました。協働で法律面での役割を果たしていけたらなと期待しています。若い弁護士さんや研究者に大いに期待したい気持ちです。(4/6)<17936>


◇ コープふくしまが、JA等生産者と加工メーカーと一緒に作っている「ふくしま大豆の会」の会長に就任したので、午前、地元紙の民報及び民友に就任挨拶。翌朝の朝刊に、掲載されているが、あまり得意ではないが、それぞれ存在をアピールする意味があるのかもしれない。県産の大豆の地産地消の運動体で14年前に発足。コープ理事長の八島さんが会長を続けてきたが、この機会に引き継いだ。納豆や醤油など、「大豆の会」のマークを気にして欲しい。国産が4%というから、この会を大切にして発展させたいもの。
 女川町の広報紙「広報おながわ」4月号をWEBからダウンロード、25年度の(町長)施政方針全文がある。「平成23年10月から指定管理者制度へ移行した地域医療センターについては、安定的な運営を図るとともに、指定管理者との協調のもと医療と介護の一体的施設として、地域に根ざした包括的なサービスの充実を推進して参ります。本年4月には、小児科医が地域医療センターの常勤医師として着任予定で、保護者が安心して子育てできる環境が強化されるものと期待しているところです。」と。被災地の子育て、福島のみならず、地域社会の存続の肝要な課題。大いに期待している。
 テレビで東北楽天の対ロッテ戦を観戦。外人補強もあり、猛打撃。17対5で圧勝。新人・則本の好投。継投の投手に不安。今年は、期待できるかも。また震災前の様に、クリネックスに行ってみたい。(4/5)<17927>


◇ ゆっくり起きました。午後、ユニセフの募金を届けに、ユニセフ協会へ。コープふくしまの組合員・職員などの募金、総額205万円弱の募金。生協が1984年以来、中心的に推進しています。世界の子どもの幸せを祈っています。
 夕方、昨日に引き続きコープふくしまの管理職会。始まる前に、今日は永年勤続表彰を行いました。30年勤続8人です。大変な時期に、コープを支えてくれました。今後とも、お体に気を付けて、ご活躍を期待しています。管理職会は、緊張感があって、今後に期待を持ちます。
 夜は、次女が作った「女川カレー」。震災時に、炊き出しに使って支援を受けた代物。当時の話を思い出しながら食べる。思い出深い。(4/4)<17903>


◇ 暴風雨の2−3日が過ぎました。女川から帰ってきて、炬燵で寛いでいます。
 昨日2日(火)は、義母をショートスティに送り、その足で、妻と女川へ。次女が弘前から転勤し、女川の病院に勤めることになり、その引っ越し手伝いです。31日に荷物の搬送、自家用車での移動、深夜までかかりました。夜中の長時間走行、心配しましたが、無事到着して安心。1日は、挨拶を済ませ、荷物の整理。その手伝いに出かけました。荷物の整理は殆ど終了。テレビの設定がまず仕事。近くの「きぼうのかね商店街」の電気屋さん。なんと私の兄(故人)の同期生。すぐに来てくれました。上手くいかず、設定した別の電気屋さんに連絡してくれました。すぐに来てくれ、一挙解決。彼も、姪たちの知り合い。本当に狭い町です。有難い。
 昼飯は、近くの金華楼で、メカブそば、メカブ丼。この店の主は、また私の同期生。役場に転入届を出しましたが、役場の知人等にもお会いできました。泊まりは、トレーラーの宿泊施設「エルファロ」。震災以来、女川で宿泊できたのは初めてです。
 今日は、役場の義弟に寄り、女川つながる図書館に立ち寄って見学。先日寄ったばかりなので、「続けて女川にいらっしゃったのですか?」と聞かれ赤面。女川図書館の支援をしてくれた人には案内しないと・・。元木先生・加納先生にもお会い出来て、いろいろお話も伺いました。何とか充実させたいものです。
 一緒に、石巻で買い物と出かけたのですが、結局、福島まで同行。疲労回復のため休養が必要でしょう。
 帰宅後、5時からのコープふくしまの管理職会に出席。6月の総代会に向けて、意思を統一して、前進のための一段階。新年度の活動が開始しました。きびしい経営環境、組合員の生活を守るために頑張りましょう。(4/3)<17884>


◇ 4月になりました。2013年度の開始です。
 午後4時からのコープふくしまの常任役員会の予定だけですが、午前、市役所支所で印鑑登録証明書をもらい、コープ本部へ。取引銀行との書類の更新には、保証が必要です。自宅に帰る前に、自分が貯金している銀行に寄り、本屋に寄り、郵便局に寄って帰宅。昼が過ぎていました。いい天気の中の散歩的ドライブは気持ちがいい。期待していた高校野球、仙台育英も2対0で敗北しました。昨日の聖光学院に続いて、ベストエイトに残っていた東北2チームは姿を消しました。残念。
 コープの役員会は、年度末で締め切る事業報告と新年度の対策。第19回通常総代会は6月12日。4月11日から26日にかけて、10の地域コープが20の会場(委員会・地区)に分かれて、「地区別方針検討会」が開かれます。組合員の意思が結集される総代会にしたいものです。
 7時半頃帰宅のため、コープ駐車場に向かったら、地元紙の論説委員に会いました。先日の論説に、社説全体でコープふくしまの食事調査について書いてくれた方です。一度、取り上げたいと思っていましたとの嬉しい言葉。大学在職時代によく交流のあった方ですが、真正面から評価していただきました。マスメディアが好意的に取り上げてくれることは、何よりもの励ましです。多難な前途ですが、継続して頑張ることにしましょう。(4/1)<17849>

 



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