カルナバル
  
[Carnaval:スペイン語 〜カーニバル、謝肉祭の意〜]

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第29章

(まだ力を隠してやがったのか……)バーダックは武者震いした。
「望むところだ!」
 空に飛び上がると、ロタもすぐ後を追って攻撃を仕掛けてきた。その動きは見違えるように速くなっている。かわすだけで精一杯だ。あっという間に背後に回られ、背骨が砕けるような重い衝撃と受けたかと思うと、気づいた時には叩き落されて地中にめり込んでいた。

「これがあなたの実力?」
 頭上から嘲笑あざわらうような声が降ってくる。バーダックはようやく土の中から這い出して息をついた。左頬が熱い。いつの間にかざっくりと切れて血が噴き出している。顔に深手を負わされたのは初めてだった。
(畜生。遊んでやがる)
 悔しいが認めないわけにはいかない。これだけ手応えのある相手とは会ったことがなかった。胸を焼き尽くす憎しみの情念とは裏腹に、バーダックの全身を陶酔感が駆け巡る。

 風が強くなってきた。おさまっていた砂嵐が再び吹き荒れる時間が迫ってきているのだ。早くカタをつけなければ情勢はますますこちらに不利になる。
 見上げるといつの間にか紫色に黄昏たそがれた空に小さな星がまばらに瞬いていた。その間に君臨するようにロタが浮かんでいる。余裕の笑みを浮かべながら、彼女はゆっくりと地上に降りてきた。

 顎を引き、両脇に下ろした拳に力を込めると、バーダックはそれをゆっくりと肩のところまで上げていった。熱を帯びて盛り上がった上腕の筋肉から、白い水蒸気が立ちのぼる。
 次の瞬間、貯めていた力を一気に放出して彼は猛攻をかけた。研ぎ澄まされた刃のように、二人の腕と脚がめまぐるしく交差し合う。

 張り詰めた空気の中をロタの高揚した気分が伝わってくる。目を輝かせ、汗に光る全身の筋肉を軽やかに躍動させながら、今までにない闘いの歓びに身を委ねている彼女はたとえようもなく美しかった。


 やがて満月にほど近い月が昇り、砂地を白く照らしても、二人の攻撃の応酬は続いていた。風はうなりを上げながらますます強く顔を打つ。
 と、双方の拳が同時に打ち合い、弾かれたように彼らは後方に飛び退いた。ロタは肩を大きく上下させながら呼吸している。疲労が溜まってきているのだ。理論上の戦闘力は劣っていても、持久力ではこっちが上のはずだった。

 女を休ませてはならない。そうすれば勝機は見える。バーダックは呼吸を整える間ももどかしく、すぐに攻撃を再開した。
 動きが鈍っているとはいえ、それでもまだはるかに彼女の力は彼を凌駕りょうがしている。一瞬たりとも気が抜けない。
 ついにわずかな防御の隙を見つけ、すかさずバーダックはエネルギー弾を撃ち込んだ。

 ロタの体はまばゆい光を抱いたまま後方に吹っ飛び、地面に叩きつけられた。かなりのダメージを受けたらしい。起き上がることもかなわず、細い指先が苦しそうに地面を掻いている。
 とどめを刺すべく、バーダックは両手を構えた。
「さらばだロタ。地獄で待ってろ」
 女の目がこちらに向いた。彼女はかすかに微笑んでいた。

 バーダックの両手から白い光がほとばしり、女に向かって矢のように突進してゆく。だが、それは女に当たる直前で何かに弾かれ、ぐんと逸れて近くの地面を大きくえぐって爆発した。
 ハッとして顔を上げると、少し離れたところにセリパが立っていた。右手を構えたままで彼女は叫んだ。
「やめろバーダック。ロタを殺しちゃいけない」
「セリパ、なぜ助ける。こいつはオレたちを殺そうとした裏切り者だぞ」

「わかってる。わかってるよ。何もかも聞いた」セリパは左耳を覆うスカウターを指先で押さえてみせた。「みんなは大丈夫だ。もうすぐマシーンから出られるよ。あたしだけ一足先に出て、あんたたちの会話を聞いて飛んで来たってわけさ。周波数の設定がチーム内になっててよかった。他のやつらに聞かれりゃえらいことになるからね」

 ロタがふらつきながら起き上がる姿が視界の隅に入った。バーダックは反射的にそちらへ右手を掲げて照準を合わせた。
 セリパが悲鳴のような声で叫ぶ。
「バーダック、ロタはあんたの子どもを身ごもってるんだ!!」
「なんだと……?」
 バーダックはロタを見た。驚いた表情でセリパを見つめている女の目は、その言葉が嘘ではないことを物語っていた。

「なんとなくわかっちまったのさ。あたしも一度、トーマの子を流しちまったことがあるからね」苦く笑ってロタにそう言うと、セリパは再びバーダックに向き直った。
「ロタは不器用な女だ。殺し屋には最も向かないタイプさ。でなきゃ最初からもっと打ち解けて、あたしたちの油断を誘っただろう。あの堅苦しい態度は自分の心をガードするためだったんだよ。あたしたちに情が移らないようにね。
 それでもいつの間にか心を許しちまった……あたしはそう自惚うぬぼれてるよ。八つのチームを簡単に消した殺し屋が、あたしたちにはとどめを刺せなかったんだからね。
 あんたに闘いを挑んだのだって、任務を失敗して消されるくらいなら、せめて惚れた男の手にかかって死にたいと思ったからだ。だからわざと挑発してあんたを怒らせたのさ」

「あなたらしい考え方ね、セリパ」と、ロタは足を引きずって立ち上がると静かに言った。「でも私はそんな感傷的な女じゃないわ」
 セリパは片方の唇の端を上げて笑った。「じゃあなんで子どもなんてさっさと堕ろさなかったんだい。あんたの任務には邪魔になるだけだろ」
 ロタの答を待たずに、セリパはバーダックの方を向いて言った。
「あんたが何と言おうとあたしはロタを殺させやしないよ」
「邪魔をすればおまえも裏切り者として殺すぞ、セリパ」
「そうかい。せっかく命を取り留めた仲間を殺すって? たいしたリーダーだよあんたは」

 そう言うと、セリパは素早くバーダックの背後に回り込んで彼の尻尾を握った。
「何をする! 離せ!!」
「ロタ、ここはあたしに任せて、あんたはポッド乗り場に行きな。そこにロエリって女が待ってる。ここへ来る前に頼んでおいたんだ。その女の指示に従ってくれ」
「なぜ私を……」
「あんたを助けるんじゃない。お腹の子を助けるのさ。早く行きな!」

 もがくバーダックに振りほどかれそうになっても、死に物狂いで食らいつきながらセリパは怒鳴った。
「早く!!」
 ロタはためらいながらよろよろと走り出した。その背中を隠すようにたちまち砂嵐が吹き荒れた。

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