ポッド発着場に着くと、セリパの言った通り、ひとりの女が隅に立っていた。いつかの朝、ドアから顔を覗かせてバーダックを見送っていた女だ。後ろには貨物船が停まっている。荷物の積み込みを終えて乗組員たちは既に乗船した後らしく、あたりは無人だった。
ロタの姿を認めると女はロエリだと名乗り、肩越しに親指を立てて貨物船を指し示して言った。
「辺境惑星TRW−03へ向かう船よ。船長を買収して貨物室に紛れ込ませてもらえるようにしたわ。なんだか知らないけど厄介なことになって、ここにはいられなくなったんですってね」
後のことは心配しなくてもいいわよ、とロエリは勝ち誇ったようにこちらを見返した。彼女にとってセリパの頼みは、恋敵を追い払うのにまさにうってつけだったのだろう。
早く乗ってと促されるままにロタは貨物船に足を踏み入れた。そのまま薄暗い貨物室へ向かいかけて立ち止まり、下腹を見下ろすとそこにそっと両手を当てる。
一呼吸おいて、彼女はいきなり身を翻した。すぐさまゲートに取って返し、船を飛び降りる。
「ちょっとあんた、どこ行くのよ! もうすぐ出航よ」
返事もせずにロタは発着場を飛び出した。いつも指令を受け取る場所、上級戦士のエリートだけが入れるコンピュータ室へ向かって。
このまま去ることなど出来ない。彼女が消えれば必ず次の暗殺者が差し向けられることだろう。
せめて……せめて暗殺指令を出しているのが誰なのか、突き止めてバーダックに知らせることが出来れば……。
足音を殺して誰もいない部屋に駆け込むと、ロタは端末を操作してフリーザ軍のネットワークの中枢へ潜り込もうと、あらゆる方向から試みた。だが、ことごとくはじかれてしまう。ネットワーク管理者が不正アクセスに気づくのも時間の問題だった。これ以上続けるのは危険だ。でも、やめるわけにはいかない。
ロタは絶望的な思いで目を上げた。
画面には暗殺対象のチーム一覧が表示されている。リーダーの名前のひとつに目が止まった時、バーダックの声が耳の奥で響いた。
――カリフもきさまが殺したのか。
(そうよ。私が殺した。あなたに良く似た男だったわ。闘い方も考え方も……)
天啓を受けたようにロタの頭の中に何かが閃いた。
そうだ、それぞれのチームのリーダーたちの性質には、皆どこかバーダックと共通点があった。戦闘力の著しい伸びだけではない。上からの命令に盲従しない反骨精神旺盛なところや、チームをまとめ上げる強い統率力といった精神面においても……。
この共通点はただの偶然なのか?
その時、コンピュータ室の奥に人の気配がした。扉の向こうには、上級戦士でもエリートの居室やフリーザ軍上層部の執務室に繋がっている部屋がある。ロタは急いで開いていた画面を閉じた。
扉が開く音と同時に、ロタは机の下に潜り込んで息を潜めた。いくつもの足音がこちらへ向かってやって来る。
「では、『間引き』は一時凍結ということになりますか」ゆっくりと部屋の中を移動しながら声が言った。何かの話の続きをしているようだ。
先頭を歩いているらしい落ち着き払った低い声の主が答えた。「そうだ。TSEW122Kを攻め滅ぼすには相当数のチームを注ぎ込まなければならん。ひとりでも多くの戦士が必要なのだ。たとえ異分子であったとしてもな」
「しかし、暗殺対象のチームはもうあと一つしか残っ―――」
「凍結と言ったのだ」冷徹さを帯びた低い声が遮った。「二度と言わせるな」
いくつかの足音が乱れ、ぴたりと止んだ。その中をひとつの硬質な足音がドアへと向かってゆく。息を呑むかすかな音がして、そちらへ向けてかしこまった声が答えた。
「はっ、仰せの通りに」
ドアを出た足音は一定の速度で廊下を遠ざかってゆく。それが完全に聞こえなくなると、部屋の中の空気が一気に緩んだ。
「余計なこと言うなって。肝が縮んだぜ」
溜息混じりにひとりがそう言うと、他の者たちもホッとしたように溜息を漏らし、その場で立ち話を始めた。ロタがうずくまった場所からは兵士たちの足だけが見える。
「残っていたのは確か……バーダックとかいうやつのチームだったな。『間引き』対象のやつらまでつぎ込まなきゃならんとは、TSEW122Kはさぞかし激戦区なんだな」
「『間引き』が凍結になっても戦闘で死ぬんじゃ、ラッキーなんだかどうなんだかわからんな。オレはつくづくサイヤ人でなくてよかったと思うぜ」
「それにしても何だって重要な戦力であるサイヤ人を間引く必要があるんだ? リストアップされたやつらってのはみんな精鋭チームなんだろ」
「異端児なんだよ、こいつらは。戦闘力の伸び方が他のサイヤ人に比べて突出している上、チームプレイで大きな戦果を上げやがる。勝手気ままなサイヤ人は本来団体戦は苦手なはずなんだがな。よほどリーダーに統率力があると見える」
「わからんな。それはうまく使えば大きな戦力になるってことじゃないのか」
「うまく使えればの話だ。ただでさえ扱いにくいサイヤ人の中でもこいつらの扱いにくさは伊達じゃねえ。精鋭チームと呼ばれながらも、こいつらが正統なエリート集団から外れている理由はそれだ。上官にへつらったりしない生意気なところが上からの受けを悪くしてるのさ。
反骨精神旺盛ってことは忠誠心が薄いってことだ。そんなやつらが一致団結したらどうなるよ? 切れ味のいい刃でもいつ刃先がこっちを向くかと思えば、おちおち使ってられねえってことなのさ」
「だから『間引き』か」
「今はフリーザさまの許可を得て実験的に試しておられるだけらしいがな。効果を見てサイヤ人全体に適用するよう進言するかどうか決められるんだろう」
「そんなに心配するほどのことはないんじゃないか。相手はサイヤ人だぜ。ただの猿だろ。フリーザさまに反抗するような知恵が回るとは思えんがな」
「ザーボンさまは神経質だからな」
「フリーザさまの下にいればそうならざるを得んだろうよ」
兵士たちは小さく笑い合うと自分たちの持ち場へ戻って行った。
ロタは机の下にうずくまったまま震える体を両手で抱き、唇をきつく噛み締めた。そうしていないと叫びだしそうだった。
(ザーボンさま……ザーボンさまが暗殺の指令者だった!?)
手持ちの駒の力を弱めてまで危険と見なしたサイヤ人を排除するようフリーザを説得したということは、あの怜悧な参謀はいち早くサイヤ人の脅威に気づいたということだ。
サイヤ人という民族が持つ底力に。
このままではすまないだろう……。ロタの胸に暗雲が広がった。今のところ共存共栄を保っているサイヤ人とフリーザの関係は、この先大きな転機を迎えるに違いない。
それが明日になるか、数年後になるか。少なくともこの子が―――と、ロタは下腹を押さえた―――生きているうちにそれは起こるだろう。
知らせなくては。一刻も早くバーダックに。
しばらくの間、逸る心を押さえてロタは身じろぎせずにいた。やがてあたりが静まり返っているのを確認して机の下から出ると、用心深く周囲を窺いながら部屋を出て、ポッド発着場へと戻った。
「何やってたのよ。早くしなきゃ船が出ちゃうじゃない」
ロエリに腕を掴まれ、貨物船に押し込まれながら、ロタは必死になって言った。
「ロエリさんといったわね。お願いがあります。バーダックに伝えて。指令を出していたのはザーボンさまだった。フリーザさまもご承知だったって」
「何ですって。何のことを言ってるの」
「言えばわかります。お願い。このままでは今にきっとサイヤ人は滅ぼされてしまう……!!」
出航時間になり、二人の間を隔てるように、貨物船の扉が閉まった。ロタは舷窓越しに訴えるような目でこちらを見ている。
「わ、わかったわよ」ロエリは頷《》いた。
ようやくロタは安堵した表情を見せた。彼女を乗せた貨物船は発着場を飛び立ち、瞬く間に宇宙へ吸い込まれていった。
船はその後、辺境惑星TRW−03に着き、ロタはそこで男の子を産む。その子は戦闘力検査のため惑星ベジータへ送還され、父親と対面を果たすことになるのだが、それはまた後の話となる……。
ロエリは星空を見上げて大きく溜息をつくと、踵《》を返して発着場を後にした。
(冗談じゃないわよ。ザーボンさまとフリーザさまがどうとかって。ちょっとやば過ぎるんじゃない? 何を探ってるのか知らないけど、これ以上バーダックに危ない橋を渡らせるもんですか。あのひとには悪いけど、あたしさえ黙ってりゃわかりゃしないわよね)
含み笑いをしながらエレベーターで上級戦士の居住区まで降りると、彼女は愛人の部屋へ入り、コンピュータの前に座った。セリパに頼まれた通り、辺境惑星TRW−03に下級戦士のデータをひとつ偽造しようとしたのだ。
ふと彼女の手が止まった。
(このまま放っておけば、あの女は脱走兵として処分される。そうすれば二度とバーダックの前に現れることもないんだわ)
しばし躊躇して、ロエリの手は再びキーを叩き始めた。セリパは上官にはあの女が戦闘の傷が悪化して死んだと報告すると言った。どっちみちあの女が惑星ベジータに戻ってくることはないのだ。何も自分が寝覚めの悪いことをする必要はない。
ひとり分のデータを偽造し、その痕跡を消した後、ロエリはコンピュータの前から離れて部屋を出ようとした。
その前に大きな影が立ちふさがる。彼女は小さく息を呑んだ。
「あ……あ、びっくりした。あんたなの。い、いないなら帰ろうと思ってたところなのよ」ロエリは笑顔を作って愛人の男を見上げた。
「今何をしてやがった」
「え……何って。別に」
「とぼけるな。ここんとこオレに隠れて何かコソコソしてやがったな。気がつかないとでも思ったか」
男の目が邪悪な光でぎらつくのを見て、ロエリは震え上がった。
「そ、そんな怖い顔しないでよ。何もしてないわよあたし。やだ……そんな目で見ないでったら」
後ずさってゆくと背中が壁に突き当たった。目の前に迫ってきた男の顔がニタリと笑う。
「男だな。きさま、他に男がいるだろう」
「そんな、いないわよ。男なんて」
「オレを裏切ればどうなるか、教えてやらなきゃな」
男の太い腕がゆっくりと伸びてくる。
「やめて。お願い。いや……ナッパ、許して……」
男は大きな手で女の頭を掴み、無造作に捻《》った。小枝の折れるような音がして、女の体からぐったりと力が抜ける。手を放すと糸の切れた人形のように、か細い体はそのままそこへ崩折れた。
「ケッ、出来損ないが」男はペッと唾を吐くと、廊下に向かって怒鳴った。「おい、誰かこのゴミを片付けておけ」
数日後―――。
バーダックたちは新しい任務のターゲットであるTSEW122Kに降り立った。レベル特Aの星だ。フリーザ軍は全兵力を挙げてこの星を攻略しようとしているらしい。膨大な数のチームがここへ送り込まれ、あるものは全滅し、あるものは撤退していた。そして今、バーダックたちを含む第2陣が送り込まれて来たところだった。
作戦を確認し合うと、メンバーはそれぞれ出陣に備えて装備の最後の点検に入った。
「ロタが抜けたのは痛かったなあ」
携帯用食料をモグモグやっているトテッポの隣で、パンブーキンは指をボキボキ鳴らしながらそう呟いた。彼らにはロタの正体を知らせないまま、彼女は死んだことにしてあった。
実際のところ、ロタがどの星へ向かったのか、生きているのか死んでいるのかすらセリパにはわからなかった。すべてを託したロエリはあの日突然消えてしまったのだ。嫉妬深い愛人に殺されたのだという噂が広まったが、確かめる術《》もない。
ロタをああいう形で失い、やり場のない憤りと憎しみはバーダックの心に翳《》を落とす結果となった。セリパからすべてを聞かされたトーマが話し合おうとしても、「いいか、オレの前で二度とあの女の名前を口にするな」と、彼はただ吐き捨てるだけだった。
あの日を境に自分たちの関係もまた変容してしまったことを感じながら、セリパは思った。時が解決してくれるのを待つしかないのだ、と。
自分の周りで大きな渦がゆっくりと廻り始めているのをバーダックは感じていた。サイヤ人の未来も彼の運命もすべてを巻き込み、飲み尽くそうとする渦が。その中心で待っているものが何なのか、彼には計り知れなかった。
だが、ただひとつわかっているのは、波に翻弄され、叩きつけられながら、それでもその中で生き抜いてゆくしかないということだ。
バーダックはスカウターをつけ直した。やがて彼は肩越しに仲間を振り向くと、不敵な笑みを唇の端に乗せて言った。
「行くぜ。祭の始まりだ」
(おわり)
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