日 記

(2013年6月)


<今野順夫の部屋>

◇ 6月の最終日。日曜日である。
 いろいろ計画は頭を巡るが、結局、6時からの古河君のお通夜参列。最初は、ゴッホ展でもみようかとも思ったが、後日に。
 次女と一緒に、介護施設に移った義母を見舞い、JAふくしまの新しい販売所「ここら」によって、一旦は帰宅、3時過ぎまた「ここら」で、サクランボを購入。女川に帰る次女と途中まで並走。私は、多賀城の「じゅげむ」に立ち寄り、塩竃の孫宅に宅配便。3人の孫の長孫娘は不在。父方の祖母と、遠出をしているらしい。昨夜も祖父母宅に泊まっていたらしいので、だんだん、親離れか。それとも孫兄弟姉妹の闘争からの回避か。子どもなりに、居場所を探しているのかもしれない。二人の孫をだっこして、さようなら。忙しい。
 時間の余裕がなかったが、何とか直前にお通夜の会場である「仙台東斎場 清月記」に辿り着く。車線が多いので、左に曲がるのは1車線だと思ったら2車線。気づいた時には直線には戻れず、迂回でその分遅れました。裏道も、一時停止の表示が、街路樹の枝で隠れていて、危ない。仙台も大都市になったものだ。結婚したては、鶴が谷なので、葬儀場のある南光台とは隣接。しかし、全く分からない。山がほとんどなくなったからかも。ハラハラしながら、何とか到着。大人数のお通夜である。明日の月曜日の葬儀は、何かと難しいのかもしれない。満68歳だから、まだまだやるべきことがあっただろうのにと、そう遠くない数ヶ月前の元気な姿を思い出していました。
 駐車が邪魔になるので、式終了後、早めの退散。泉インターから乗って、一路、福島へ。仙台宮城インター付近が工事中で、渋滞。午後8時半ごろ帰宅。
 悲しい出来事で6月を締めることになったが、猛暑から梅雨入り。不順な天候です。明日から7月、頑張りましょう。(6/30)<19402>


◇ 土曜日。東京の研究会に出かける娘を駅まで送り、午後はJAビルで開催されるTPPのシンポジウムに参加。
 地産地消運動促進ふくしま協同組合協議会の主催。コープふくしまが、県生協連の構成団体であることから、出席しました。「講演と寸劇」として志村尚一さん(有限会社ウィルビー代表取締役)の軽快な講演と、劇団ぜんとようようくらぶの寸劇。「TPPに興味を持とう!日本の暮らし、子どもたちの未来を守るために」というテーマ。いかに国民的課題として行くかという苦心の作です。
 第二部のパネル討議。「TPPが地域に及ぼす影響」をテーマに、福大の高瀬先生をコーディネータとして、農業者・消費者・医療現場・産業界の各立場から、その分野の問題点の指摘。県生協連理事の古瀬さん(コープふくしまの理事)が、消費者の立場から、説得ある発言をしていました。
 夜は、東京日帰りの娘を迎えに行って、一日は終了。明日は仙台、お通夜に行ってきます。(6/29)<19387>


◇ 金曜日。朝10時からのコープふくしまの梁川の関係者の憲法学習会で、話をしてきました。以前、いずみ店で行ったとき、都合がつかないというので、出向いて勉強会。充分に噛み砕いた話はできませんでしたが、30名ほどの参加者。私とほぼ同じ年代のご婦人達がほとんどですが、熱心に聴いてくれました。
 梁川町は、伊達市になる前に、子どもたちを連れて「希望の森公園」に行ったことがあります。何か、魅力を出そうと頑張っている町のイメージがありました。自己紹介がてら、郷里の女川町(尾浦)にある民謡の歌詞、「尾浦御殿の撞き鐘つけば、伊達の梁川思い出す。」の話をしました。撞き鐘を尾浦御殿に付けた梁川の職人と地元の女性の悲恋の物語。この鐘をつくたびに、伊達の梁川の方を思い出すという、福島県伊達郡梁川町のこと。深い縁を感じます。
 憲法改正の動向ですが、単純な「押しつけ」ではないこと、憲法9条の話、「個人」から「人」への転換の中で、個人尊重の規範が空洞化されようとしていること等、話はつきません。感想文は見ていませんが、もっともっとかみ砕いて、心の琴線に触れられたらと思います。また、来月末には相馬市の組合員さん達に話をしますが、充電をすることにしましょう。
 15人ほどで梁川のお寿司屋で昼食をする事が出来ましたが、皆さんの生活や、生協活動等、いろいろ聴くことが出来ました。第一線で頑張っている組合員の皆さんと、直接話し合えるいい機会を持てました。リタイアした男性の高齢者を、コープ活動に組み込むことが出来ればと思いますが、なかなかアイデアが浮かびません。
 企画している「ふくしま復興支援フォーラム」の第41回の会合の案内発送とFacebook等を通じての宣伝を行いましたが、コープ組合員活動をしている奥さん達のご主人に、参加してもらおうかな。コープ活動としても・・。女性の活用は叫ばれてから久しいが、今はリタイアした男性高齢者の社会的参加の受け皿作りが大切なような気もします。
 昨日、逝去した古河君の情報が入りました。昨日、昼前、癌で亡くなったとのこと。以前逢った時の元気さから予測ができませんでしたが、月曜日の葬儀には行けないので、日曜日夜のお通夜(仙台)に参列することにします。悲しいですが、いまはご冥福を祈るだけです。ありがとう。
 明日、東京での研究会に出席するという次女が、自宅で一泊して、明朝、東京に向かいます。(6/28)<19375>


◇ 今日は一日宅勤。昨日のコープ店長会議で質問が出された安全衛生問題について、説明が不足していたので改めて3ページほどの説明書き。私自身知っているつもりでも、改めて勉強になる。明日は、コープ梁川店の近くに行って、組合員さんの集まりで憲法の話。いずみ店に続いて2回目だが、この前の難しいという感想に対応できていない。自分自身が深く理解していないと、誰にでもわかる話は難しいのかも。
 最近は、震災関係で駄文を書いていたので、購入している労働法や社会保障法関係の論文、判決文を読みたくなる。しばらく前からそんな習慣がなくなってしまったが、原点に戻って勉強したくなった。現職の時は、やりたくても時間がとれなかったので、やるとしたら今でしょう、か。
 東北楽天対西武の試合、10対1で楽天勝利。珍しく、今日も民放のBSで放映。そんな時に、仙台の中学時代の同級生から、同級生の逝去のお報せ。今年の正月に逢っているので、信じ難かったが、末期癌だったとの話も聴き、落胆。マレーシアの大学に勤めている同級生からもメール。50年ぶりの昼食会等を企画してくれて、懐かしい対面もできた。もう少し、長く、話をしたかったな。未だに信じがたい。(6/27)<19359>


◇ 水曜日、氷雨の夜です。
 昨日の火曜日。義母が病院から介護施設に移る準備の手伝い。立ち会うことはできませんでしたが、首尾よく完了したようです。私は、分担で県議会に出席。一般質問5人が20分づつ。これに対する執行部の回答。1時から5時までたっぷり4時間がかかりました。原発被災からの復興がメインのテーマ。質問の一つ一つの背後に、今ももがいている県民の姿が浮かびます。
 夕方、川俣町の会合に出かけます。帰りが遅い予想なので、途中のコンビニでおにぎりを買おうと考え、川俣の道の駅まで。6時閉店の直前でしたが、残念、おにぎりはありません。どら焼きを勧められ、会議の始まる前にいただきました。あまり体にはよくありませんが。結局9時半頃終了で、帰宅は10時半頃。
 今日の水曜日。先日開かれた国際交流協会の評議員会の議事録署名。押印。印鑑登録証明が必要なので厳格です。県庁の早朝からの会議。県議会での案件に関係するので、時間的に余裕はありません。早めに終わって、一旦帰宅。午後は、コープの店長会に出て、安全衛生の問題ついて報告。労災を何とかなくすことが課題。質問もあり、役に立ったかどうか分かりませんが、よかった。
 夜、飯舘村の会合が予定されていましたが、5人のうち2人が体調不良等で欠席。急遽、中止で延期になり。自宅で寛ぐことになりました。テレビで東北楽天対西武戦を見ましたが、結局、1対0で、楽天が惜敗。
 関連のない会合等の連続。リタイアした身は、こんな働き方なのかなと納得。(6/26)<19334>


◇ 月曜日、午後からの非常勤講義の準備。安全衛生・労災補償の問題。いろいろ、いつも目にはしているが、講義のようにまとめて話すとなると、再学習。特に金曜日に、厚労省から最近の労災認定の状況の発表があったばかり、ホームページから報道発表資料をダウンロードして、学生に渡しました。昨年度の統計、過労死の申請は減少したが。支給決定は2年連続で増加。精神障害の労災認定件数が前年度から150件増えて475件。過去最多である。仕事内容・仕事量の変化を理由とするもの59件と、嫌がらせ・いじめ等が55件。40代、30代、20代に精神障害が多く、過労死の方は50代、60代、40代の順。対照的である。20歳の受講生を見ていると、向かう企業等の厳しさを話さざるを得ない。どこかおかしくなっている日本社会。
 講義の終了後、コープふくしまの常任役員会。いろいろ前向きな話で、厳しいながら希望が持てる。
 大学の非常勤講師控室に、大学でクマ出没の目撃情報。以前もそんなことがあったな、特に今年は、このニュースは多い。クマも人間を恐れなくなってきたようで、従来の対策では難しくなってきたのか。クマと人間の棲み分けが難しくなってきたようだ。放射線の関係で山菜取りが激減。境界線が、どんどん里に下がってきたようだ。人間が山を荒らしているのかもしれないが、まずは人間の安全の確保をせざるを得ない。(6/24)<19295>


◇ 日曜日です。沖縄戦の慰霊の式典が行われました。1945年6月26日〜6月20日までの戦闘で沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。今に続く、沖縄の悲劇。何か、今の福島も沖縄とにた道を歩むのでしょうか。曖昧なまま、何とか封じ込められる・・。真正面から抜本的な解決策を提唱する政権内部の政治家はいないのでしょうか。
 昨日22日、病院への通院の後(高値ですが、2カ月連続、値が下がっています)、コープマートあだたら店に、東北の生協(宮城・岩手・山形・福島)の産直担当者の経験交流会に参加しました。簡単な報告の後、9人で川内村の視察へ。役場で井手課長の詳細な説明の後、誘致した野菜工場の見学、そして仮置き場、さらに富岡まで足を延ばして、ようやく立入ることができるようになった被災現場の様子。夕食は、宿泊する川内村の旅館・小松屋で、村長や課長を交えて震災の状況・復興の状況をお聞きしました。何とか出来る限り、復興の支援をしたいものです。
 今日の朝、寒い感じですが、いい天気。帰る前に、観光スポットである平伏沼のモリアオガエルの産卵状況を見てきました。116個だそうですが、池ノ上の木々の枝に、丸い大きな袋(大きな果物のようです)。袋の中は、蛙の卵、これがオタマジャクシになって、そのまま池に落ち、生育するということになっています。が、雨が少なく、池は干上がっています。このまま落下したのではオタマジャクシは蛙になれない。管理人も雨乞いの切実な願いです。不思議な自然現象ですが、この天然記念物、何とか原発被災から復興して、後世に伝えたいものです。
 郡山のJA全農の直売店「愛情館」によって、昼食弁当を買って帰宅へ。丁度、昼食介助から帰宅した妻と半分っこ。テレビは、東京都議選の開票速報。12月の総選挙とパターンは変わりません。民主が大敗、そのお陰で自民・公明の大勝利。共産も議席を倍化しました。7月の参院選も、この延長戦でしょうか。授業の準備は、明日午前に期待して、休みます。(6/23)<19275>


◇ 金曜日、午後、福島大学に行き震災研の研究会に出席。代表の丹波さんから特に参加するよう誘われていたのですが、2人の弁護士さん(法テラス)の原発被害の損害賠償の問題、特に時効の問題についての報告を聴きました。昨日のフォーラムでも損害賠償問題を取り上げましたが。精神的損害、物的損害と少しづつ動いていますが、コミュニティの崩壊の損害など、また、今後生ずる可能性のある健康被害等、色々考えなければならないことがありそうです。
 コープ本部に立ち寄り、夕方からの郡山・開成山球場での東北楽天対ソフトバンク戦を見てきました。楽天が、川内村の住民を招待したようですが、その関係もあり関心を持ちました。駐車場を探すのに苦労しましたが、何とか間に合いました。結果は、13対2、東北楽天の惨敗。私は福島に帰る時間も心配になり、7回で中座して、10時半頃帰宅。テレビ観戦の方が、選手の表情もよく見えるのですが、現場に立ち会う、また全体の状況が見渡せる等、それなりのメリットがありました。川内村の方々、楽天敗北でがっかりしたでしょうが、プロの野球を楽しんでくれたらいいなと思います。
 明日は、東北のコープの仲間たちと、川内村の視察に入ります。(6/21)<19252>


◇ どうも季節の変わり目のせいか、眠くて仕方がない。
 昨日・水曜日は、午前中、福島県国際交流協会の評議員会。年度の総会なのだが、活動状況、収支決算は淡々と進む。最後に、自由討議で、震災の中での国際交流における協会の役割について話題が出された。分担した昼食介助に向かうべく、急いだが、結局、妻も到着したので、通常通り。夜、川俣町での会議に出る。片道50分位の行程か。
 今日・木曜日。コープふくしまのセンター長会議で、安全衛生問題について話をする。安全教育の一環。センター長が、よく部下を指導してくれることが肝要。夜、第40回になった「ふくしま復興支援フォーラム」。いわきの渡辺淑彦弁護士による、「原発損害賠償」について報告。司会を弁護士のよびかけ人に任せたので、二人の弁護士の熱心な報告と討議、まるでシンポジウムのようだった。40名ほどの参加で盛況。参加者に喜んでもらえるのが何よりにもの励まし。50回に向けてラストスパートかな?。(6/20)<19233>


◇ 午前中、「HuRP通信」(特定非営利活動法人 人権・平和国際情報センターの機関紙・月刊)への特別連載の最後3回目の原稿を書いていました。別な仕事で知った編集者の団体。津波被害の「女川」と原発事故被害の「福島」に両股をかけているので、何か書けると思ったらしく、また自分も書けると思ったものの、なかなか書けない。3回、各1500字だから短いエッセーのようなものだが、ジタバタする必要もないと思ったのだが、そうもいかない。既刊の4月号は「被災の多様性に対応する支援への期待―ふたつの『被災地』から<1>」、5月号は「協働による原発事故被災からの復興ーふたつの『被災地』から<2>」、そして今日送付したもの(6月号)のタイトルは、「自主・自立の復興とその支援ーふたつの『被災地』から<3>」。タイトルは自分でつけるが、少し被災地の生々しい事実の方がよかったかなとも思うが、私自身、被災者の近くにいるが、自ら「被災者」とはいえない。自己規定は難しいが、この位置での感想と思ってもらえばいいかと、居直り気分である。
 午後、県庁での会議。公務員給与の削減問題が浮上しているが、地方自治の軽視を感ずる。なかなか地方自治制度が定着しない。定着しないまま、ここでも憲法「改正」問題が出てくる。メンツやポーズではなく、公務労働をどのように位置づけるか、その位置づけ通りの仕事をすることの方が重要と思うが。各地方の審議会も、建前ではなく、もっと自らの頭で、その役割を果たして欲しいと思う。単に、形式的にオーソライズする「無花果の葉」ではなく。
 夕食介助に付き合って、夕食後なんとなく映画『電車男』を観てしまった。よく話題になっていたが、まあ、こんなもんかなという感じ。
 東北も今日、梅雨に入った模様。じめじめしている。(6/18)<19204>


◇ 昨日の日曜日、四季の里を歩いたせいか、疲れが出てしまいました。次女も、夜、2時間の帰路・ドライブには、自信もなさそうで、今朝5時に出発しました。7時には無事到着したようで、安心しました。すぐに勤務が開始し、かつ当直らしいので大変です。
 午後の非常勤の2コマ連続講義、準備を午前11時頃まで続け、何とか大学に到着。暑い日です。30度は超えています。受講生も少なめで、学生も暑さのせいか、ぐったりしています。そんなときは、脱線しないで、どんどん進むべきですが、私の頭の方も散漫で、どうしても気付いたことを口に出してしまいます。さぞかし、迷惑だったことでしょう。それにしても、真面目に聴いている姿をみると、我が学生時代を反省します。
 夕方、コープふくしまの常任役員会。定期総代会が終わったばかりで、即座に解決すべき課題は少ないですが、新年度における懸案の課題で、真剣に話し合いがなされました。私も、組合員理事を中心とした憲法についての勉強会を通じて、多くの組合員の意見を聴くべく動き出していますが、また職場内での安全衛生について、一般的なことですが、所属長等の会議で話すことになっています。組合員及び職員との接点を多くしたいと思っています。それが、事業経営の改善に結びつくことに期待をしながら。
 今日〆切の小原稿、頭が集中しないので、明日、午前の仕事と相成りました。(6/17)<19191>


◇ 6月の第3日曜日は「父の日」。今日16日は「父の日」です。娘から花をいただきましたが、「父親」らしいことは何もしていないので、済まないと思います。いかなることが、その時点その時点での「父親らしい」ことなのか、考える機会をくれました。
 今日は、京都・東京から、義母へのお見舞いに来てくれました。義弟の奥さん、娘さん(病人の孫)、息子(孫)の奥さん、そしてその子ども2歳半(曾孫)。駅に迎えに行き、病院でお見舞い。そして昼食は、四季の里のレストラン、2時半頃になりました。雨は降らないでもってくれましたが、いつも子ども達が騒ぎまわる芝生は、除染中。残念ですが、広々とした広場で気持ちも清々しくなりました。自宅に戻り、6時過ぎの新幹線で、仙台に移動しました。2歳ですから大変な旅行ですが、宇都宮までは熟睡だったようです。
 明日は、講義と小論文の〆切。疲れて、明日送りになってしまいましたが、四季の里の散歩が効いたのか、いつもの運動不足が祟ります。医療機関の状況説明に、疑問を感じていますが、そうした疑問を解決してくれる窓口がないようです。医療機関一般の状況なのか、上からの目線ではない対応が望まれます。(6/16)<19167>


◇ 土曜日。昼食介助を済ませてから、次女と会津若松市へ。以前、会津若松市議会へ用事のついでに、在住の知人に昼食をご馳走になったことのある城の堀を見はらす瀟洒なお店に行こうということでした。「アドリア 北出丸カフェ」
 短時間ですが、鶴が城を眺めて、その雄大さに感激。八重の桜のブームか、悪天候にもかかわらず人出は多い。会津の美味を購入すべく、「会津葵」そして「五郎兵衛飴」に寄って、一路、自宅へ。ほぼ片道70分の所要時間。夕方前に帰宅できました。
 震災後は、会津に対する関心が高くなり、誇りに出来るようになりました。同じ被災を蒙って、とても親近感が増しました。不思議な感情です。福島は浜通り、中通り、会津の三地方が分立していますが、原発地域の浜通りから、中通り・会津への避難のなかで、県民同士が一体感を持ち始め、一体となった新しい福島の再生へと向かわなければならないと感じています。(6/15)<19158>


◇ 金曜日。新聞切り抜きなど、貯めていた雑用の整理と、映画を観に行く妻の送迎と本屋に定期購読物を取りに行くぐらいで、後は机にしがみついていましたが、あまり有意味の仕事はできていません。17日締め切りの小論(連載の最後)を、どうまとめるか考えていました。
 それにしても、復興庁の幹部が被災者やその支援者を揶揄するツイートには驚きました。表現の自由は公務員にも保障されるべきですが、交渉の面前(建前)では、誠実を装っても、実は本音は違い、被災者等を侮辱していることは、何か寒々とします。それが、革新でも保守であっても。
 単にトカゲのしっぽ切りのように、幹部のお詫びと当事者の処分だけでお茶を濁されるのか。原発事故子ども・被災者支援法の基本方針が定まらないのに、不信を持っていましたが、その担当者ですから驚きます。個人の品性の問題のみならず、昨年6月に成立しながら、なかなか実効性を持たせない理由の一つが分かった様な気もします。対象地域の確定の難しさもありますが、担当公務員の誠意ある執行がなされていないような気がします。日弁連の会長が声明をあげていますが、賛成です。何とか誠意ある被災地支援行政を望みます。
 長女の学会報告はどうだったのかな。次女が女川から2時間かけて帰ってきました。仕事も段々慣れてきたようで、被災地の住民の頼りになってきているのではと期待しています。復旧・復興は長期に真面目に取組まなければなりませんが、復興行政も、真剣に取組んでほしいものです。(6/14)<19142>


◇ 木曜日。ベトナムの弁護士会の副会長のチュオン・チョン・ギア国会議員が福島に来て、学生向けで、「これからの日本とベトナムの協力関係」を講演されるとのこと。その後、ベトナム問題研究会として、特に被災した福島の現状と法整備について懇談したいとのこと。私も、呼び出されて、「被災地の現状と法的課題」について話さなければならないというので、津久井弁護士の岩波新書「大災害と法」の原発関係個所について話しました。通訳に対する事前レクもなかったので、どれだけ伝わったか。課題が多すぎて、消化不良か。少し、絞って、質問に答える方式がよかったかなと思っています。しかし、原発を輸入しようとしているベトナム。原発事故前に、既に国会は通っているらしいですが、数十人の反対があったというのも初めて聞きました。
 ホテルへの送迎は、結局、私が行わなければならないことになりましたが、もう少し組織的な準備がないとお客さんに失礼になるのではと、心配。夜は、駅東口に移り、「おりおり」で懇親会。ベトナム留学生のアルバイトも居て、色々懐かしそうに話していました。素敵なネクタイをいただきました。
 最近、外から復興支援をする立場から現地の方々と交流を強めようとすると、その思いの違いを指摘されて考え込んでいます。外からの支援が、何か押しつけのようなことと感ぜられているようです。そういうこともあるのかなと思い、反省していますが、あまり気が付きません(鈍感?)。被災地に在住している方々のご意見を十分に聞いてとは言っているのですが、やはり在住している人の厳しさがあるのでしょうか。「違い」はあることは事実でしょうが、在住者の中でも「違い」があり、外部の人間にも「違い」はあるのでしょう。「違い」を認めつつ、どのように協働できるか、考えていきたいとは思っています。被災地が忘れられないように・・というのが、自分も含む被災地の願いです。被災地への支援について、新たな段階での課題でしょうか。支援を、自らの手で、閉じ込めて、人間だけでなく、地域も孤独化してしまわないようにしたいものです。(6/13)<19123>


◇ 水曜日。コープふくしまの通常総代会。300人規模ですので、賑やかです。冒頭に理事長の挨拶をしなければならないので、緊張します。少し長めの原稿の準備をしたので、進行に迷惑をかけないかと心配。なんとか若干の遅れで済ませることができました。
 昨日の夕に来た京都の義弟と、昨夜は近くの焼き肉店に出かけました。焼きしゃぶが店の自慢らしく、それを賞味しました。確実に今朝の体重は0.6キロの増加。義弟は、今日の夜、帰りましたが、高速バスに送って行くついでに、駅前の沖縄料理店で夕食。来るのも帰るのも、高速バス。低料金だが、体がきつそう。
 コープ総代会の発言で、委員会等経験者が、任務終了して以降も参加して欲しい旨の発言がありました。若い幹部の登場と、ベテランの協働関係の問題です。企業等では、退職者の再雇用のあり方で悩みが多いようですが、高齢社会ですから、実質的にリタイアしてしまうことが不可能になってきました。生涯現役のつもりで、プライドを保持しつつ、時間は短いが能力を発揮してもらうことが大切と思います。コープの委員会活動にも通ずることと聞いていました。(6/12)<19101>


◇ 月曜日、総代会での理事長挨拶の原稿(要約)を提出しなければならないと思って、机にしがみついていましたが、なかなか要約ができません。何とかつくり、メールで送信。慌ただしく福大の非常勤講師へ。何とか駐車場を確保できましたが、滑り込みセーフ。何とか4時10分まですませ、コープふくしまの常任役員会へ。
 女川関係の記事の配信のなかに、私の姉の三女(姪)とその長女の冥福を祈るため、女川町を訪ねてくれた方のブログ。Facebookの女川グループにも紹介。改めて、悲しみが押し寄せます。本当に惜しい姪を亡くしました。きっと、女川を発展させる原動力になれた姪です。生前の彼女の活動を聞きながら、また新たな出逢いをさせてくれています。
 先日、取材を受けた民間テレビ放送の記者から、再確認の電話。長い深夜の番組を、夕方の短くして特集の中にまとめたものです。より短くなりましたが、また汗顔の至りです。(6/10)<19067>


◇ 暑い日曜日です。福島は30度5分と、全国ニュースで報じられています。原発被災が忘れ去られつつあるなかで、全国ニュースで福島の文字が出ると、暑いけど嬉しい(?)。
 午後、会合に出掛けたが、そのため、東北楽天と巨人戦のテレビ放映は見れず、最初と9回裏のハラハラだけ見ました、結果は5対3。田中マー君は勝利投手、両リーグトップの8勝目。自ら2塁打を打つなんて凄い。折角7回まで無得点で抑えてくれたが、後継投手がうたれてハラハラ。それも楽天らしいか。
 明日の講義の準備と、12日のコープ総代会の理事長挨拶の原稿書き。ニュースに出すための要約らしいのですが、なかなか苦手。やっぱり、時間が切羽詰まらいと、気持ちが燃えない。大相撲の取り組みを見て、何度かの仕切りをする姿、ああやって闘志を燃やしているのだと思うが、挨拶原稿もそうなのかな。まあ、当日の雰囲気なのだが、あす講義に行く前に、コープの事務局に届けよう。真面目な方々を困らしてはいけない。1時半になってしまったが、まあ明日の朝に追加しよう。(6/9)<19052>


◇ 土曜日。午前中、10時からのコープ本部での「憲法の学習会」。組合員活動の一環で、コープの平和委員会主催。理事を含めて、20人ほどの参加者。
 「最近の憲法『改正』動向」をテーマに話したが、特に、「押しつけ憲法論」に対応して、憲法の成立過程、96条「改正」論、「改正」の動向ー自民党「改正草案」、憲法9条をめぐっての構成で話した。資料として自民党の「改正草案」+現行憲法全文を使用。なかなか関心とフィットしたかどうか。
 最後に出された感想文をみると、憲法はむずかしいが、話は分かりやすかった。こういう勉強の機会を増やしてほしいや、子どもにも伝えたいという積極的な内容もあって救われる。消費税と同じくいくら反対しても通されるのではと、悲観的な話も出たが、少ないかもしれないが、今日参加した人が、周りの人に伝えて広げて行ってくれれば、何よりだと思います。そのためには、伝えやすい内容のメモも作らないとダメかなと思っています。
 すでに梁川や相馬でもという要望も来ているので、可能な限り、努力してみたい。郡山やいわきなどにも。生協の事業活動に直接結びつかなくても、組合員が社会を直視し、希望をもって頑張ってくれれば、自ずから事業活動にもいい影響を与える事を期待しています。
 終わって、小1時間、手作りの昼食会。炊き込みご飯など美味。ワイワイとだべりながら食べるのはいいね。十数人だが、男性は常務と私の二人だけ。それぞれ、家族を支えながら頑張っているのだろうなと、尊敬。
 コープから戻って、すぐに、憲法9条の会が主催している憲法塾に出ました。地元紙の元編集委員の紺野さんの話。ニューギニア、硫黄島などの戦跡を巡っての話。ジャーナリストの目からも、戦争の悲惨さを具体的に訴えていました。
 夜は、珍しく東北楽天の野球テレビ観戦。東京ドームからですが、惜しくも巨人に5対3で敗れてしまいました。そして映画「明日の記憶」。映画館では見る機会がなかったが、身につまされます。若年性のアルツハイマーを抱える家族の問題ですが、若年性認知症等の知り合いなどを思い浮かべ、我がこととして考えさせられました。病気を治す・防ぐことが一番必要でしょうが、病を受けとめながら、それぞれが人間らしく生きることができるようにしないとと思います。(6/8)<19046>


◇ 午後からコープ本部で、安全衛生関係の担当者との打ち合わせ。大事故ではないが、労災事故が増大しているので、取り組みを強化するために、所属長の会議にでて話をすることにした。店長会議とセンター長会議であるが、話の内容もさることながら、安全衛生を常に重要課題として認識してもらうためである。
 今年度(とはいっても2012年度だが)最後の定例理事会。いつも分散会等で詳細な議論をしているが、「タコに間違うようなイカ」の商品の話。もっと、分かりやすい表示や説明が必要なのかもしれない。
 明日のコープの委員会主催の憲法学習。久しぶりの憲法の勉強なので、すこし調子が出ない。時間の関係で出れないので、別の会場でもとの要望もあるので、可能な限り回って、話に行きながら組合員(幹部が多いかも)の話を聞いてくる機会にしてみたい。(6/7)<19036>


◇ 日中は、妻の仕事の関係から病院へ昼食介助に。だいぶ調子がいいので助かります。妻も戻って来て、自宅で寛いでいたら、妻の会議の連絡。忙しく、手帳にはあったが、失念していたようです。車で緊急送迎。何とか僅かの時間の遅刻で済ませることが出来ました。一日のうちに、午前と午後の会合、そして三食の食事介助。家族がやる必要は無いのかも知れませんが、病院は忙しく、どうも残してしまうようです。病人は、元気なので助かりますが、仕事と介護の両立も大変だなと思います。育児も大変ですが、高齢になって当面する介護は、独自の大変さがあるようです。育児も介護も、公的支援の部分が必要です。新政権が、反対方向を歩んでいるようで、市民レベルの運動が必要でしょう。
 夕方、39回目のふくしま復興支援フォーラム。避難所・仮設住宅で、活躍してきた天野さんの報告。組織的・体系的に交流と自治を促進してきた「おだがいさまセンター」の感動的な報告でした。震災から2年、こうした絶えざる努力が、復興を進めてきていることを痛感。いい会合でした。(6/6)<19020>


◇ どうも慢性的な疲労か、運転時も睡魔が襲う。午後6時半からの川俣町の委員会(弔慰金審査)のため25キロの道程・50分ほどだが、睡魔で辛い。タイミングなのか、午後8時過ぎの帰りのドライブは睡魔なし。女川往復の疲れか、暑さか、睡眠が浅いのか、十分睡眠をとって回復しようと、10時半には就寝。
 民放テレビから取材を受けたテレビの録画を、予約で失敗したが、ある方からDVDをいただいた。自分の画像は、どうも気恥かしくて見ていられないが、除染作業の手当が労働者に届かない仕掛けを、よく構成されている。日本の多重下請構造の弊害が、こうした所にも如実に出てくる。もっと分析をしっかりしていかないと。
 元ゼミ生で、愛媛大で教鞭をとっている鈴木さん、松山に避難している福島県民の話を学生に聴かせたり、生活保護法改悪の批判的社会活動を活発に展開している姿を地元紙が報道している。フットワークの良さに感心。何よりも社会に真正面から対峙している姿に、教えられる。さらに頑張って欲しい。(6/5)<19009>


◇ 火曜日、自宅勤務。土曜日に生協で憲法の話をしなければならないので、準備のための勉強。中学・高校・大学の先輩で恩師の樋口陽一さんの本を読む。『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(岩波)だが、理論的な学術書でありながら、極めて現実的で、かつ具体的で、憲法を初めて勉強する人にも分かりやすい。難しいことを、いかに分かりやすく伝えるか、いつも感心させられる。
 午後、合間を見て、映画館へ。3回行っていたので、今日の分はタダ。映画は『くちづけ』。余命3カ月の父親と知的障害の娘との感動的な話。障がい者の生き、幸福を追求することが難しい現実生活を、痛いほど教えてくれる。映画は、何も解決するものではないが、共感する協働者を、いかに多くつくっていくかだろう。
 義母の夕食介助に付き合う。リハビリの効果か、しっかりした受け答えで喜ばせる。
 夜はサッカーテレビ観戦。勝つか引き分けでワールドカップの出場権を獲得するというので、大丈夫かなと思っていたが、苦戦。最後の10分ほどで1点先取されたが、ロスタイムのペナルティキックで同点・引き分け。薄氷を踏む思い。海外で活躍している日本選手が多いので、大丈夫と思っていたが。世界に活躍している日本人選手が多くなったが、なかなかチームプレーが上手くいかないのだろうか。
 サッカー観戦の途中、東京の病院で闘病している友人の奥さまからの電話。気にはなっていたが、様子が分からないので、携帯のメールで、簡単に「どうですか」と聴いたら、奥様を通じて電話が来ました。措置をした4月中旬からの1箇月ほどは、大変な状況だったようですが、いまは山を越しているみたいで、まずはホッとしました。また、元気に話し合える機会をつくりたいと思います。頑張ってください。(6/4)<18985>


◇ 月曜日、月の初めなので、コープふくしまの朝礼。来週には総代会があるが、5月の振り返り等、経営状況の報告が中心。あまり参加者は多くない。理事長として挨拶を述べざるを得ないが、少し課題が不鮮明だったなと反省。経験主義に陥らないで、情勢の変化に対応していかなければならないのだろう。一般の企業の共通性と生協の独自性を意識しながら。個人的には、今後の社会の中心は、協同組合活動であるべきとは思いつつ、現実にそれを貫き通すことの可能性を確信づけるものの獲得の努力がさらに必要。
 帰宅し、午後の非常勤講師(福島大)に出かける。いつものように、印鑑を押し、教材の印刷を済ませるが、何か「優しい言葉」を、複数の女性職員からかけられる。印刷するとき、立ったまま終了するのを待っているが、「疲れますので、お座りになって下さい」と云われ、初めてのことでびっくり。「大丈夫」と礼を言ったが、少し同情に値する風情だったかなと反省。途中の休憩をはさんで、3時間の講義。
 いつものことだが、1時間遅れのコープの会議に合流。省資源で会議のデータ等をプロジェクターで映すが、眼が悪くなったのか、十分に見えなくなったなあと思う。事前の知識があり、予習をしていれば、眼を瞑っていても理解はできるだろうが、私のような新参者には難しい。耳も老化したのか、早口の業界用語?には、ついていけないのか。いつも、講義の関係で途中参加のせいもあるのだろう。
 やはり研究型の問題提起と、事業経営の実践型の課題解決思考とは異なるのだろう。データ見て、ぱっと反応できる皆さんが羨ましい。そういえば、何か考える時、同じものをじっと見つめて考えている習慣が長かったせいであろう。研究では、どうするかという発想より、まずはどう理解するか、どう分析するかで終わっていたのかもしれないが。もう少し、努力することにしましょう。
 東北楽天と中日戦。テレビはやっていなかったが、テレビを消してラジオを聴く。田中マー君が1対0で8回まで抑えていたが、9回の表にうたれて同点。しかし延長11回裏の嶋の逆転サヨナラヒット。ハラハラだが2対1で勝利。マー君が勝利投手にならなかったのが残念。(6/3)<18967>


◇ 今日・日曜日。京都からのお客さん4人を、松島海岸駅前のホテル(大松荘)から乗せて、東松島・石巻・女川にむかう。8時半の迎えの約束だったが、出発が20分ほど遅れてしまい15分ほど遅刻。
 東松島の、野蒜駅や野蒜小学校付近を中心に見る。野蒜駅、架線を支える電柱が傾いたままをみると改めて震災の記憶を呼び覚ます。
 いつもと違った海岸線沿いの道路を通り、女川へ。まず病院前の駐車場から被災した町の全体像をみる。混むといけないと思い、開店11時に寿司どころ「おかせい」で、高価な特製女川丼をおごられる。次女と姪らも、おかせいへ。腹ごしらえして、離半島へ。尾浦の集落の見学。随分、船が多くなって、復興の動きを特に感ずる。
 女川の街への帰り道、桜で有名な「崎山公園」によるも、地割れ等で立入禁止。禁止の窓から女川湾の全貌をみる。宿泊施設エルファロ、我歴Stock(女川の新しいお祭りで姪たちに逢う。阿部精一君とも久しぶりにあう。獅子舞と太鼓と笛も興奮気味。女川つながる図書館、希望の鐘商店街(仮設)でお茶を飲んで、蒲鉾の高政でお土産買い。
 帰路に入るが、石の森萬画館を忘れている事に気がつき、急きょ直行。6時までの時間なので、何とか間に合う。私も初めての見学。さらに寄り道。多賀城の姪の店に立ち寄る。蟹甲羅焼き、茶そば巻で、夕食とし、後は一路仙台空港へ。何とか余裕を持って、届けることが出来て肩の荷を落とす。あとは順調にドライブで帰宅。明日の朝礼挨拶と授業準備ができていない。朝早くに期待。ああ、眠い。(6/2)<18948>


◇ 6月になった。福島市は「東北六魂祭」ということで、繁華街は大賑わい。20万人の人出。それに合わせて、郡山市も県庁所在地ではなく、全国の都市から祭りを呼んで、大賑わいらしい。郡山で会議の予定。その祭りのためにスムーズに帰ってくるのは難しいとのこと。急遽、会場が変更した。
 郡山での会議は、10月12日―13日に開催される「松川事件無罪確定50周年記念全国集会」等に向けた実行委員会。事務的なこともあるが、単に一過性の集会に終わらせないで、どのように引き継いでいくか、活発な議論が展開された。「松川賞」等のアイデアも出されたが、松川事件を引き継ぐ現代の事件の担い手や弁護活動、その運動等の担い手に、授賞することも有意義なように思ったし、かつ具体的に語り継ぐための手段になるような気もする。私も含め、実行委員会は高齢化しているが、遺産を生かす方法を考えていきたいものである。
 先日、鑑賞した『約束ー名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』を見て、松川の精神を引き継ぐ運動等が絶えず生きていることを感じたので、どう結び付けていくか、優れて現代的問題と痛感した。
 明日は、京都からお出での4人の皆さんを案内して、女川に入る。3月末に、案内した先生が感動した話を奥さんにして、女川に行く機会があれば同乗させて欲しいということに相成った。奥さんの友人も含め4人が急きょ来られる。勿論、温泉や松島観光も含めているので、私は松島から東松島・石巻・女川へ。そして仙台空港へ。明日は、女川で若者たち中心に「我歴Stock in 女川」の開催があるので、その雰囲気を知りたいとは思っていたが、安全運転の運転手に徹したいと思う。月曜日の授業の準備が、少々、心配だが、遠来から被災地・女川を視察して頂くことは有難い。天気に恵まれればいいが。(6/1)<18934>



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