日 記

(2013年9月)


<今野順夫の部屋>

◇ 9月も最終日になってしまいました。自宅に介護器具(ベット)の取り換えの業者が見えられるというので、車など邪魔になるかなと思って、外で用事。月末なので、銀行で引き出し(何か零細企業のような気分)。車の擦りの補修で、自動車整備工場へ。そっくり取り換えると8万円ほど、その物を修理すると3万円ほど、しかし1週間は乗れない。そうでなければ、擦ったところに念入りに同色を塗ること。これは1000円ほどか。取りあえずは、最後の選択。何よりも車を取り上げられるのが耐えられない。まあ、1年数カ月過ぎて2万2〜3千キロ乗ったから、この塗り薬でいいとしました。
 自宅に戻ってきたら、結局、まだ業者は来ていなかった。昼頃。眠くて仕方がないので、少々仮眠をとって、コープふくしまの常任役員会へ。10月からは、値上げラッシュのようで、売り上げも大変だが、組合員の生活も大変。生協は、出番だが、その役割をいかに発揮できるか。
 今日の楽天・オリックス戦は、12回までの延長戦。結局0対0で引き分け。負けなかったのはいいが、1点も入らない試合を3試合見続けている。どうかなっちゃったかな?
 9月よ、さようなら!(9/30)<20728>


◇ 日曜日、東京の病院に入院している友人の奥さまから電話あり。いろいろと関係者に相談のための電話の往復。
 午後、雑用で市街地へ。駐車場が狭く、コンクリート柱で車を擦ってしまった。どうも左前方が苦手。弱点。まあ、1年過ぎた車だから、少々の傷は仕方がないが、明日にでも自動車整備工場に行って来よう。運転が下手になったなあと思う。
 なぜか東北楽天戦がテレビ中継が続く。クライマックスシリーズで、その熾烈な戦い。楽天は少々緊張が解けたか、一昨日はロッテに6対0、今日はソフトバンクに5対0.こんな調子で、日本シリーズに出れるのかな?心配になってきた。(9/29)<20711>


◇ 土曜日。4週に一回の病院の定期診察。何年になるだろうか。1999年10月からの学部長就任直前に、定期的に来るように医師に指示されて以降だから、14年になる。当初の心配と内容が変化してきたが、まあ2010年の役職退任まで、何とか持ってくれた。病を貯めなかったのがよかったか。今日も、いつものように血液検査と問診。気になる値は、2〜3カ月前から改善しつつあるが、まだ標準値には届かない。意識的な努力が必要か。
 月々、料金を払って、強制的にジムに行こうと思っていたが、家族と話しているうちに気持ちが萎えてしまった。結構、本格的なジムだからついていけないという恐れはあったが。震災前から日曜日のウォーキングをやっていたが、それも震災でストップ。家の周りばかりだと、隣近所の「・・・の力」の皆さんに逢うので、少し離れたところまで車で行って、そこを起点に歩いた。一番、変化があっていいなと思っていたのは信夫山。ところが信夫山は、放射線が高い。そろそろ、また再開しようかとも思う。戸外に出ないのは、子どもと同じかな。
 深夜11時からのTV。ETV特集を見る。第5福竜丸時代のアメリカの核実験による海洋汚染問題。アメリカは健康に害はないと調査に圧力をかけたが、日本の研究者集団(顧問団)が、乏しい装備で海洋調査。マグロ等の調査結果は貴重な資料。現在の原発の海洋汚染について、こうした調査ができていないことを、当時調査に関わった研究者が指摘していた。
 当時と比べ、研究者集団ははるかに厚くなったが、主体的に自主的に調査をする力が衰えたようだ。当時は、研究費も乏しい中、研究領域(気象学、物理学、医学など)を超えて、研究者の良心的な集団が作られていたが、いまはどうなのか。専門に閉じこもって、木を見て森を見ない状況になっているのではなかろうか。避難している方々から、東京電力と科学者が加害者だと云われ恥ずかしかったことを思い出す。理工系にせよ、医学系にせよ、人文社会系にせよ、科学者・研究者の社会的責任意識が低くなっているのではないかと思える。私もその集団の一員であることに反省しながら。ETV特集は、半世紀以上前の事件を歴史的事件として伝えるだけでなく、現在の放射線汚染水問題に対する厳しいメッセージを出しているように感じた。(9/28)<20701>


◇ 朝、東京で入院している旧同僚・親友の奥さまから電話。病状を報告していただいたが、一日も早く回復して欲しい。心配性な私には少し滅入った一日の開始だが、遠路を理由にお見舞いにも行けず、申し訳ない。
 昨日から訪問診察が始まったので、そこで処方された薬などをもらいにく。同僚の奥さまが薬剤師の薬局だが、立ち話で、親の介護で同じような状況で、同じ介護施設に入所しているらしい。適宜、デイサービスやショートサービスを利用した方がいいですよと薦められる。行政からの補助が受けられる証明書などを診療所でもらう。介護保険にせよ、自治体の補助にせよ、使ってみて問題点も分かるのだろう。社会保障制度の後退が、直接的に我が家の家計にも響く。
 午後、県議会に同席して、代表質問と答弁を聴く。やはり、原発事故問題、汚染水問題、復興問題、同種の問題が取り上げられるが、依然として進捗は遅い感じがする。当事者は、最大限の努力をしているのだろうが。
 テレビで大相撲、新入幕の遠藤に期待。新入幕なのに星がいいのか、三役との対戦。惜しくも負ける。昨日優勝した東北楽天。千葉でのロッテ戦をBSで中継しているが、6対0と敗戦。昨日までの緊張感が解れてしまったのか。星野監督が、「平幕優勝」だからと言っていたのが、何かよく理解できる。横綱優勝になれるよう期待多し。何か、「東北」に明るい兆しか。(9/27)<20684>


◇ いやー、凄いね!東北楽天、優勝してしまったよ。今日は午後6時からのBSでの中継から完全に見てしまった。美馬が打たれてしまって、今日はM2は消えないだろうと思っていました。ロッテも3対0でリードしているし。ところが、ほぼ同時に、札幌で日本ハムが逆転し、西武でも楽天逆転。9回裏の田中の登場は、劇的だが、連勝はここで切れるのか、と。3塁に走者が出てからが、本領発揮。まさに札幌と西武で、同時進行的に結果が出てしまった。野球での話だが、何か被災地に大いなる励まし。嬉しかった。
 しばらく、日記を書くファイトが出なかったが、何か元気が出てきた。(笑)
 連休明けの24日。ヨーロッパ帰りの娘は、午後1時頃福島着で到着。少々、仮眠をとってから、翌日の勤務のために車で帰る。疲れが出て、居眠り運転になるのではと心配したが、午後8時頃には無事到着。
 昨日25日午後には、義母が介護施設から退所。自宅に戻るのは半年ぶりか。最初は病院、そして退院後はショートステイ。度々、逢いに行ってはいたが。夕方、「放射能汚染水問題」で、フォーラム。関心が高く41名の参加。皆さんの感想文を見ていると、企画は大成功。息切れ気味だが、焦らないで前進しましょう。
 今日は、午前中は県の委員会。午後は、県議会に出席。代表質問なので3時には終了。楽しみは楽天のテレビ観戦とあいなった。テレビ中継がなかったので、不満だったが、逆転の連敗。気分が悪かったが、今晩ですっきり。仙台に見に行ったのは震災前だが、今年、コープの関係で郡山の球場で観戦。7回までで大負けなので、早々に退散。リストラ組や戦力外通告組の多い、チームで出発。まあ、よくここまで来たもんだと驚く。要因は何だったのか。組織が共同の目標で一体になれたこと。次から次と新人や二軍メンバーを登用して、活躍のチャンスを与えたこと。前日の失敗を引きずらないで、早めのリベンジをさせる。名コーチ等の力も大きいが、何か、事業体や組織等でも学べる大きな教訓がありそう。(9/26)<20662>


◇ 秋分の日。連休最終日です。次回のフォーラムの資料印刷のため、大学へ。プリントアウトしていったのですが、既に印刷は終わっていて、ただ折るだけの作業。助かりました。大学生協の弁当は売り切れで、松川のレストランで昼食を。何とか、午後の会議にほぼ間に合いました。
 会議は、来月の12日と迫った松川無罪確定集会の実行委員会。具体的になればなるほど、様々な問題が出てきます。何とか、全国からお出での方々に満足のいくような集会で迎えたいものです。
 会議は最後まで居ることができず、4時からのコープの常任役員会へ。2時からテレビ中継していた東北楽天対日本ハム戦を思い出しましたが、失念していました。5対0、見事な勝利です。新人の宮川が初先発で勝利を確保しました。マジックは3になりましたが、上手くいけば西武球場3連戦中の優勝決定・胴上げでしょうか?仙台に戻らなくても、早ければ早いほどいい。明日もルーキー則本の先発。期待できそうです。
 娘は、既にパリから成田に向かっているでしょう。明日の朝、成田に到着です。お土産話が楽しみです。12月、ドイツのクリスマス・マルクの観光と考えたが、丁度、不確定ですが、県関係の会議の時期。諦めなければなりません。残念。そろそろ悠々自適の生活を確保する時期かなとも思います。来年の年末には、全ての仕事から解放されたいとも思います。研究のまとめ以外は。(9/23)<20617>


◇ のんびりした日曜日です。連休の中日ですが、土曜日と月曜日の予定が入っているので、今日だけが休日。フォーラムの案内をしたり、パソコンとにらめっこ。1階と2階のパソコンを使用していますが、無線ランのルーターのある1階のところにはノート型パソコン、2階の書斎の机にはデスク型パソコン。一長一短です。ノートは、度々フリーズ。デスク型は2階なので無線が微弱なのか、通信が上手くいきません。まあ、それぞれの長所を活用して、だましだまし仕事をしています。
 昨日の土曜日は、久しぶりに仙台の研究会(社会法研究会)。早めにバスで出かけて、県立美術館でシャガール展を鑑賞してから参りました。福島の若冲のように混んでいるかと警戒しましたが、ゆっくり見れました。オペラ座の壁画、教会のステンドグラス等々、数々の作曲家に対応しての絵なので、美術と音楽の合作を見た感じがします。
 研究会は、障がい者年金の時効に関する判例研究、日本の障害者雇用の法改正の問題等、関心のあるテーマで、意欲的な報告でした。研究報告を聞いて、頭の血管が通りが良くなったような気もします。恩師に見習って、年齢や体力を口実にしないで、勉強したいものです。
 帰りしな、国分町で数人で夕食。和気あいあいと心が和みます。私はノンアルコールのビールですが。
 世の中は3連休、娘はヨーロッパ、孫は親離れでデズニーランド。我々も、ちょっと出かけるかなと、気持ちがそそられます。暑くもなく、心よい秋晴れの日です。(9/22)<20598>


◇ 昨日19日の夜は、福島市の委員会。8時過ぎまでなので、東北楽天のテレビ中継は、最後のところを見れました。結局2対2を9回裏でサヨナラ安打。青山は前日、上手くいかなかったのですが、敢えて翌日に登板させて巻き返させるというのは、楽天の戦術か?失敗を、早く取り返す、何か積極的な奮起を引き出しているようだ。失敗すると、しばらく、経ってから再挑戦というふうに考えてしまう。それは失敗を引きずらせてしまう。今の楽天には、そんな余裕がないのかもしれない。何か再チャレンジのバネの使い方が奏を効しているようだ。

 今日は、仙台での会議の妻を駅に送り、銀行を一回り。午後は、県の委員会へ出席。この間頻度が多い。例年のことだが。
 全国の生協の皆さんが集う福島県生協連が主催する「福島支援交流会」。夜の懇親会だけと思っていたら、昼のワークショップにも参加することになっていたらしい。県の会議を終えて、そのまま会場へ。現地で頑張っている方々の報告を聴いて、数人のワークショップに参加。そして夜の懇親会。乾杯の発声を頼まれているので、感謝と実情報告をしたい気持ちを抑えて、すぐに乾杯。
 各グループの中での懇談、地産の農産物中心の料理。福島のために、支援の声や行動が続けられていることに感動。支援を受けることの立場は、精神的に辛い面もあるが、支援を受けて一日も早い、住民目線の復興(自立的復興)を実現していく必要があろうと思う。それがお返しなのだろう(9/20)<20581>


◇ 夕方、第46回のふくしま復興支援フォーラムがあり、その報告を依頼した名古屋の中原さんを駅頭に迎える。交通費なし、報酬なしの企画なので、申し訳ない。
 この機会に、被災地・福島の状況を見たいといというので、まずは飯舘村へ。飯舘役場に寄って、事務の窓口をしている若き職員と話す。2人だけの留守番役のようだが、結構、窓口に村民が見える。役場の本体は福島市の飯野支所なのだが、隣の南相馬市に避難している方々が、証明書などを取りに来る。
 役場の前の線量計は、0.8μSv前後。近くで働いている方との雑談。カラスもいなくなった、スズメもいなくなった、生態系が壊れてる、等々。やりきれない話。今後、どういう打開をするか、住民一人一人考えるときなのだが・・・。福島への帰り路、飯舘村役場飯野出張所(福島市飯野支所)に立ち寄る。母ちゃんの力プロジェクトの店に案内し、フォーラムの会場へ。
 中原さんの報告は、マーシャル諸島の帰還に向けた現状が中心で、文化人類学の立場からのもの。25人の参加と少々、少なかったが、チェルノブイリ、スリーマイルのみならず、アメリカの核実験で被ばくしたマーシャルの住民の苦悩と希望を知ることが、福島の再生に向けた貴重な報告だったと思う。
 いつのもように、ファミレスで遅めの夕食を、中原さん、そして親友・松野さんの娘さんも含めて、賑やかに。ホテルに送って行ったが、お二人の女性は、翌日に、県立美術館で若冲の展覧会を見る計画を合意。せめて遠くから福島に来てくれた甲斐があったと言ってくれれば、少し負担は軽くなる。(9/18)<20563>


◇ 台風一過、秋晴れの快晴となりました。
 昨日は、空を見つめながら、心配の一日でした。朝早く、京都の義弟から、家の周りが水浸し。庭の植木等も流されたとの電話。送ってもらった動画は、家から外を撮影していますが、膝までの水の中を歩いている人の画像。住んでいる所は避難勧告・指示は出ていませんが、避難準備をよびかけています。京都の桂川、嵐山、大変です。
 土曜日の夜に歓迎会をして、日曜日、帰った生協コープ滋賀の皆さん、無事到着したか気になり、理事長さんと部長さんにメールを差し上げましたが、全員無事帰宅、コープも特別対策本部をつくり対応していると聞いて安心しました。即座の対応は素晴らしく、見習わなければと思います。
 翌日、成田からヨーロッパに旅行(夏季休暇)予定の次女が成田まで辿り着くことが大問題。同行する青森から羽田までの友人の飛行機が飛びません。ハラハラしていましたが、東北新幹線もほぼ予定通り、青森からも飛行機を新幹線に切り替えて、予定通り。後は翌日のフライトを待つだけ。(快晴だから大丈夫でしょう。)
 私の方は、郡山での午後からの会議。会場が、よく水浸しになるということで、朝のうちに中止・延期。夕方からのコープふくしまの常任役員会に出席。
 孫一家は、娘の高校時代の友人たち家族との共同宿泊。大玉村のフォレストパークあだたらです。母親の友人関係で、夫たちも含め一緒に行動するから面白い。その方が子どもたちも生き生きするのでしょうが、時代は変わったね。男が優しくなったのかね。父親の友人たちの家族づき合いというのは難しいね。夫の友人たちの家族同士のキャンプ。想像がつきません。きっと、妻同士が気を遣いすぎて疲れるのでしょう。まっ、孫たちも思う存分楽しんだろうし、母親たちも遠慮も心配も無く、交流できただろうし、大満足でしょう。夫たちは、家族がニコニコしていれば、それで満足。そういう人種(?)なんでしょうね。いつまでも交流が続くといいですね。
 台風18号の来襲は、津波だけではなく、自然の恐ろしさを感じます。人間の傲慢さを排して、自然を知り、自然と共生して行くことが必要ですね。
 今夕は、飯舘村の委員会。震災は継続しています。(9/17)<20539>


◇ 昨日14日土曜日は、午後からの憲法の講演を聴きに行ってきました。若い弁護士さんの話で、なかなか話術も巧みです。若い人の感性が滲み出ています。コープで憲法の学習会をしていますが、聴いている方々の心に響く話へは、もっと努力が必要です(この歳にして)。
 妻は大学時代の学部同期会が仙台で。私も対象ですが、滋賀県から被災地視察に来た「コープしが」の皆さんの歓迎会で、飯坂温泉奥の穴原温泉・吉川屋に宿泊。コープ組合員に公募したようで35名の参加者があり、早朝、米原を発って、午後、福島からバスへの乗車、飯舘村・南相馬(小高)等を視察しての帰り。強行軍ですが、東北自体に初めて来た人もおり、被災地の現状を見て、衝撃を受けていたようです。
 歓迎懇親会の後、コープふくしまの宿泊組6人で、飯坂温泉にある餃子屋「照井」までタクシーで駆けつけましたが、お客が一杯で、しばらく店外で待つことに。他の待ち客もおり、噂の店らしい。円盤餃子3枚、野菜炒めを食べて満腹。体重が気にかかります。
 今朝は、次の行程(吾妻スカイライン・須賀川の生産業者)へのバスを見送り。台風の影響が心配ですが。吉川屋の社長夫妻・息子夫妻とも話ができましたが、客数の戻り等、復興の足音が聞こえそうです。
 帰宅して、仙台から妻と次女とがシャガール展を見て帰ってきましたが、娘は、明日、成田へ。
 今日は敬老の日。長女一家から、義母への花と我々へのマグカップのプレゼントが届く。うーん、「敬老」はほど遠いと思っているが(?)、素敵な柄なので有難く使わせてもらうことにしましょう。台風の影響がなく、過ぎ去って欲しいと願っています。(9/15)<20517>


◇ 9月12日は、妻の誕生日。特にお祝いは予定していないが、娘二人からそれぞれ花の宅急便。家族持ちの方は、ゾロゾロと5人の名前。私は朝の一言以外は特になし。
 午前中、義母の介護施設に早めの訪問。娘の誕生日だよと教えたら、ニコニコ笑顔。誕生の時を思い出しているのだろうか。
 午後、妻の仕事場への送りを済ませ、県庁の会議へ。早めに終了。自宅に戻り、夕方、ふくしま復興支援フォーラムの第45回目。鈴木浩さんに、2年半を経過しての課題を報告してもらった。第1回目で鈴木さんから、原発に依存しない県のビジョンを出したばかりで報告してもらった。課題解決の道筋を提起されたが、具体的にどう進むか、また話してもらうことになろう。帰り、いつものところで遅めの夕食を食べながら懇親。帰宅は10時半。提出していただいた感想文などをまとめ、ブログに掲載して一応終了。
 今日は13日、金曜日。午前中に来月福島大で行う松川事件無罪確定50周年全国集会の会場・周辺視察。現地の実行委員会の役割だし、大学なので同行。金谷川駅からの通路などを確認し歩いたが、運動不足のせいか、足が痛い。運動しないと。早めに退散して、コープふくしまの定例理事会に参加。専務に報告してもらってから、3つの分散会で質疑応答・意見交換。少人数になるので、3つの会の報告をもらうと課題は広範囲。和気あいあいの話合い。消費税の嵐の前の緊張感。手を拱いていないで、風の中を進んでいかなければ。
 テレビ放映しない東北楽天の試合。ラジオを聞いて、田中の21連勝の56年ぶりの新記録。6対2の完投勝利。まずは気分好。(9/13)<20499>


◇ 明日は2013年9月12日ですが、50年前の1963年9月12日に、松川事件最高裁判決が下され、全員無罪が確定しました。我が国の最大の冤罪事件です。半世紀を期して、10月12日―13日ですが、福島大学で全国集会を開催します。その集会への協力を願って、松川事件の無罪判決を求める運動の中心地・仙台の関係団体を訪問してきました。
 松川事件は、今、福島大学のある金谷川駅と松川駅の間で、列車が転覆して機関士等3人が犠牲になった事件。当時の人員整理に反対していた国鉄と東芝の労働組合員20人が捕まり、1審は5人の死刑を含む厳しい判決が下され、基本的には高裁でも維持されました。しかし、多くの運動、広津和郎氏等の運動等もあり、最高裁で差戻し。舞台は仙台高裁に移されましたが、1961年8月の高裁判決を前に全国から支援者が集まりました。門田判決で、全員無罪の判決が下されましたが、仙台の高校2年生であった私自身、この事件は進路に大きな影響を与えました。大学1年生の1963年9月12日、上告審である最高裁で改めて無罪判決が出され、無罪が確定しています。
 当時、仙台でこの松川事件を担当し、無罪確定まで先頭に立っていた、勅使河原弁護士の事務所を訪ねました。ご高齢ですが、当時の思い出をスラスラと話されていました。書棚に掲げられている広津和郎氏から勅使河原氏宛の感謝の言葉が、額縁に飾られていました。半世紀以上前の事件担当ですが、弁護士とは何か、「正義の実現」という言葉を、若い弁護士さんにも絶えず問いかけている姿に感動しました。この松川事件から何を学び、いかに受け継ぐか、私たちに課されていると痛感する一日でした。(9/11)<20470>


◇ 福島県立図書館で、ILFA(国際図書館連盟)年次大会のベストポスター賞受賞の展示をしているというので、見に行く。主任司書の鈴木さんが、東日本大震災後の県内の図書館や学校図書館等に勤務する図書館館員の活動をまとめたもので、復興に向けて歩み続けていることを、世界の図書館員に伝えたいという思いから作成されたもの。図書館員がクレヨン描きの似顔絵とともに紹介されています。突然ですが、鈴木さんにお逢いできて、被災後の自治体図書館等の様子、図書館員の活躍を聴きました。
 紹介されて、自宅から10分ほどで、浪江の仮設住宅のある地区に建てられた「浪江in福島ライブラリー」を訪ねました。館長には逢えませんでしたが、仮設住宅と福島市民の交流の場になっています。こうした整備は、役場をどこに置くかというと共に、復興にとっては重要だと思いました。
 自治体図書館に関心をもっているのは、女川の「つながる図書館」を思いつつ、その復興に当たっての独自の意義を感じているからです。すこし拘りを持ちつつウォッチングしていきたいと思いました。
 それにしても図書館となりの美術館。若沖の絵を見ようと長者の列です。東京からのバスも多いようです。びっくりしました。(9/10)<20453>


◇ 月曜日。用務はコープの常任役員会のみ。二つの子会社の経営状況を聴く。コープも組合員のほとんどの生活にわたる取組みに広がっていることを知る。各事業分野の週単位の経営状況を報告していただくが、課題も多いが着実に前進している。それは職員の頑張りに基づくが、それゆえその生活自体を守ることが大切と思う。
 ガソリンの値段がジリジリあがっているが、私はコープ提携の店で購入。その値段は後にホームページに掲載されるが、1リッター160円の店頭表示があるなかで、9月3日の値段だが152円。そのメリットは大きい。利用者が増えるといいのだが。提携店が少ないのが不便なのか。セルフでやれれば店も多いのだが、私はセルフができない。食わずきらいなのだろう。
 娘の友人からFacebook友達申請。娘と一緒の写真に「いいね!」を押したのが誤解の出発。メッセージも無く、変なリクエストが多いので、ほとんど無視していたが、ついつい知っているので承諾をした。その後、間違ったとの謝りのメッセージ。こんな経験は初めてだが、まあ笑い話の一つでしょう。(9/9)<20438>


◇ 日曜日、朝から2020年オリンピックが東京に決まったことのニュースで持ちきり。前回は1964年なので、大学2年生。テレビも持っていないし、仙台での学生生活では、それほど振り回された記憶はない。きっと東洋の魔女とか、マラソンのアベベとか、新聞・ラジオ等を通じて、湧いていたはずである。それから50年ほど、大会までは、56年。
 旅館の息子さんがfacebookで、東京開催について原発被災地の立場からのメッセージをだしていたので、私もコメント。「東京開催の喜ぶ声に違和感があるわけではないのですが、福島とは無関係と、福島封じ込めを危惧しています。開催準備のために原発再稼働が進むとすれば、福島は何だったのだろうかと思います。批判だけでは進まないでしょうから、福島の教訓をしっかり学んで、人類のとるべき方向を福島から世界に発信することが必要ですね。アジアの皆さんにも喜んでもらうオリンピックであればいいのですが。福島・穴原温泉で、福島の教訓を生かす世界大会か開かれる夢をみています。(笑)頑張りましょう。」と。
 オリンピック開催を、経済効果で期待する声がほとんどですが、本来は世界の平和・友好の強化なので、世界、特にアジアの諸国との友好の強化に資するものにしたいですね。それがオリンピックの主な目的だったと思いますが。
 午前中、介護施設に義母を見舞い、丁度昼食時なので、妻は食事を手助け。あと2週間ほどで、自宅に帰ってきます。
 仙台も雨模様のようですが、開始時間を45分ほど遅らせた東北楽天対日本ハム戦を、ラジオ(TBC)で聴きながら雑用処理。則本頑張って、3対1の勝利。ホームランが3本の試合でしたので、あまり粘っこい打撃ではなかったようです。
 昨日葬儀の砂山君との簡単なメールの交換。コピーしてまとめて、娘さんに送りました。何か、まだ生きているようで、現実を信じがたい。津波で亡くなった姉の携帯電話がまだ電話帳に残っているが、既に解約したはずなのでありえないが、あるいはと思うと、何か不思議な感じだ。怖くてかけることが出来ない。さりとて電話帳から削除も出来ない。砂山君のも、しばらく電話帳に有り続けることになるのでしょう。
 マーシャル諸島に滞在している中京大の中原さんから、水爆実験等で避難しているマーシャル諸島から福島への伝言をフォーラムで話してもらうことになった。9月12日と25日の間で、18日に追加的なフォーラムを企画することにした。ただ、現地でパソコンが壊れたらしく、近々帰国を待って詳細はお願いすることにする。(9/8)<20408>


◇ 昨日・6日(金)。折角時間の余裕が出来たので、妻が東京・上野の美術館などに行くとのことで、福島駅まで送る。少しトラブッて、駅と自宅を2度往復。樋口一葉記念館も含め、一日楽しんできたようで、私の少し前帰宅。よかった。
 私の方は、川俣町の夜の委員会で、出かけるが、帰宅は9時半頃になった。どうしても帰りの道は苦手だ。山道が多いが、対向車が多く、ライトをアップできず、神経がすり減る。仙台からのラジオ放送で、東北楽天・田中の先発。会議が始まる前に、早々ホームランを打たれ、今日はダメかと持っていたが、会議終了後のラジオは、田中完投、3対2で勝利。田中の新記録。気分のいい帰宅。
 今日7日(土)。親友砂山君の盛岡での葬儀。10時の火葬の前に逢いたいと思い、9時の出棺前の読経へ。5時過ぎに起きて、朝飯は取らず6時過ぎに妻を乗せて、盛岡へ。休憩は少しにして、ほぼ9時過ぎに着いて、彼の遺体に逢うことが出来た。安らかに眠っている。本当に辛かったね。10時に火葬、火葬している間に奥さま、二人の娘さんらとお話ができました。
 12時半からの葬儀は40人ほどの小じんまりしたものですが、仙台等からの友人・研究者仲間が来てくれました。弔辞を述べることになっていましたが、私一人だけ。50年の親友の立場で用意をしていたので、退職された岩手大学での活動をふれる予定はありませんでした。予定の方が高齢で体調を壊されてということで、思いだす範囲で、付け加えました。原稿にはありません。弔辞という形式では、なかなか気持ちを伝えるのが難しいのですが、なんとかすませました。読んでいることに関わって、思いがこみ上げ、耐えられなかった。半世紀、兄弟のように、継続的な付き合いで、その関係を途絶されたのは返す返すも残念で仕方がありません。用事はありますが、来週の大学入学50年の懇親会に出れなかったのには、病床の砂山君も出れないのに・・という思いも重なっていたことは否めません。
 初7日の法要に出て、4時前に盛岡を出発。仙台に帰る友人を盛岡駅まで送ったので、ICに行く路をたどるも少し迷子。結局、カーナビの導きは盛岡ICではなく盛岡南IC。あとはただ南下。朝とは違い、睡魔に襲われて2度ほどSAで仮眠・休憩。何とか福島飯坂ICに辿り着きましたが、降りてから注意力が散漫になっており、ヒヤッとしました。帰宅は8時頃。夜、雨、睡眠不足、疲れ、葬儀等々、こうした悪条件下では、注意をして運転しないとと、反省。まずは、疲れを取りましょう。弘前まで往復800キロを日帰りでやった時代とは、同じでないと感じさせられた日でもあります。(9/7)<20395>


◇ 午前中の県の委員会。昼帰宅し、家族の仕事への送迎。ゲリラ的豪雨で、自転車では到底無理です。

 自宅に戻って、車のエンジンを止めた途端、仙台の伊藤さんから電話。盛岡の砂山克彦君が亡くなったと。言葉にならない。難しい病気で、入退院を繰り返していたが、まさか、こんなに突然のご逝去とは。
 先日(9月1日夜)に、私の携帯メールに奥さん宛らしい彼からのメールが舞い込んできた。間違ったなと思い、どうしました?と返信したら、すぐに間違えましたとのメール。笑って、「あははは。(笑)。元気ですね?」と返信しましたが、それが最後の彼との交流でした。直接お逢いできたのは、昨年5月3日に盛岡で憲法の集会で話したおり、彼を知っている弁護士さんの車に乗せていただいて、ご自宅を訪ねました。病人とは思えない元気さで、いつものように夫婦円満。温かい気持ちにさせられました。

 葬儀にかけつようと思います。砂山君とは、同じ大学法学部の同期生。1年次の時から楽しい時を過ごしました。学部・大学院と労働法のゼミで、10年間の大学・大学院生活で常に一緒でした。同じ釜の飯の間柄です。悲しみも喜びも、行動も、いつも同じ。大学院の一時、同じアパートの同じ部屋。6畳ほどの部屋に一緒でした。短期間だったと思いますが。朝から晩まで研究室にいて、食事も大学生協ですから、家庭生活のようなものではありませんが、いつもお世話になりました。同じ1944年生まれですが、彼が早生まれ。現時点では69歳の同じ年です。ほぼ同時に、私は秋田大学、砂山君は岩手大学に就職し、その後も研究会・学会・調査等、いつも一緒です。お互いの結婚を見届け、育児の話をし、そして孫の成長を自慢してきた間ですが、突然の難病の発見で、本当に言葉が出ません。気がもめるが、なかなか具体的な援助はできませんでした。

 新潟出身の生真面目な友人で、人格は足元にも及びません。壁にぶつかると、いつも相談というか、慰めてくれました。粘り強い、いわば押し相撲のタイプで、信頼が厚い。長年の大学での評議員、そして定年退職時まで学部長の要職を務められ、誠実に職務を遂行していたようです。
 思い出はきりがありません。信じがたい知らせです。何か心にポッカリと穴が空いてしまったようです。今年は大学入学50周年行事を企画されていましたが、本当に50年間の親交、ありがとう。病が発見されてからも、粘り強く、家族と一緒に闘病生活をしていました。本当に辛かっただろうと思います。今は、心からの感謝と、安らかな眠りを祈るしかありません。

 夕方、フォーラムの事務局会議。何とか、100回目指して進めたいと思います。(9/5)<20372>


◇ 天候不順で、竜巻が昨日の埼玉・千葉から、今日は栃木・茨城を襲う。明日は、福島か?原発の廃炉作業にまた、なにか支障が出なければと思う。
 朝日新聞で「プロメテウスの罠」という連載があるが、いろいろいきさつがあるが、中心を担ってきた方が、我がフォーラムで報告してくれることになった。無報酬のボランティアではあるが。有難い。昨日のインタビューの校正が来て返送したが、フォーラムが広がっていくのは嬉しい。
 午前中、老健施設に義母を見舞い、午後は、労働局に寄る。コープふくしまの求人活動でのサジェスチョンをいただく。高校卒の回帰現象が起きているらしい。ここ2年は県外就職希望が拡大したが、県内就職希望者が多くなってきている。それも郷里の復興に役立つ仕事をしたいという。そういう意味では、賃金の額のみを気にしていたが、今までのコープふくしまの除染や食品調査、自治体支援等々、社会的に大きく評価されてきたことは多いので、求職者にもっと、そのような面を強調すべきかなと思った。企業・事業における肝は、「人」であるので、意欲的な従業員をいかに集めるかが、将来を決めるのだろう。
 眼科に久しぶりに行って診察。悪化はしていないので安心したが、薬もきちんと使わないと・・。
 夜のプロ野球のテレビ観戦。BSで完全放送。2画面にして「ためしてガッテン」を右目と耳を使い、楽天戦は無音で左目。4時間見たのに、なんと0対0の引き分け。負けるよりはいいのかもしれないが、打撃陣、もっと頑張ってほしい。(9/4)<20360>


◇ 私たちが企画している「ふくしま復興支援フォーラム」について、出されている機関紙用のインタビューをしたいという要望があって、その事務所を訪ねました。訪ねてくると言われたのですが、我が家は応接のスペースがなく、こちらが行った方が気楽(掃除をしなくてもいい)なので、参上。事前予習で、私のホームページはともかく、この日記までプリントアウトされているので、こちらがビックリ。離れている娘たちへの近況報告のつもりで書いていたが、と弁解しきり。本当の日記等は、人に見せるものでないのですが、日記帳を密かに書いていると、いつも三日坊主。公開しているのは、自分の弱い気持ちを抑えるためか。まあ私生活ブログと思えばいいのかな。
 50回に近づいた「フォーラム」。いつまで続くかと聴かれたが、やれるところまで。しんどくなったら、すぐにでも止めると。「仕事」として強制もないので。何とか、市民レベルでの復興に向けた合意形成をできたらいいなと考えている。
 しばらく行っていない眼科に出かけたら、火曜日の午後は手術のため休診。(以前からそうだったようだが)。近くのいつもお願いしている自動車整備工場に寄って、社長夫妻&母上様と歓談。お盆の時の、家族全体での裏磐梯のキャンプの写真を見せていただいた。25年間同じ所でキャンプ(3泊?)をしているというので驚く。親子4代一緒の大家族キャンプ。羨ましい。
 夜は、東北楽天の試合を、仙台からのラジオ放送で聴く。2回には3対0にされ、ああ、この連敗も3になるかと思いきや、ジョーンズのソロホームラン、そしてマギーのスリーランで逆転。9回は地元・齋藤がしっかりセーブ。機嫌が悪く、もう聴く気になれないほど腹が立ったが、勝てばすっきり。マギーは、障がい児を抱えて来日したらしいが、そのこともあって施設の子たちを試合に招待しているという。彼の、そうした生活態度に共感。外国人2人によって4打点。日本人選手の奮起を期待したい。優勝できても、最後までハラハラだね、きっと。それも楽天らしいか。女川にも度々来てくれている、「ももクロ」も楽天(田中?)応援。勝利の女神かな。女川に来たことで、初めて知ったのだが。機会があったら、チャンネルを合わせてみよう。
 フェースブックで、震災前の女川の写真を掲載してくれている方とメッセージ交換。亡姉の店の写真も見せてくれた。こんなこともあろうと、きちんと写真に残していなかったことを悔やんでいたが。懐かしい。「あまちゃん」は、震災時の東京の方々の心境を教えてくれる。ドラマとは言え、扱い方に苦労を感ずる。(9/3)<20350>


◇ 月曜日、月初めの月曜日はコープの朝礼。用務が多かったのかもしれないが、参加者はいつもより少ない。中学生の職場体験の一行と出会ったので、そのことで忙しいのかもしれない。
 9月になって、今年もあと4カ月。来年の4月には消費税も上がるし、購買生協としては多難が待っている。消費行動が鈍り、前回同様、供給高が減少する危惧である。消費税に対して有識者の意見を聴く会を政府はやっているが、社会保障制度の関係もあり、3分の2は賛成意見のようだ。増税の中で、いかに打開策を見出していくのかが大事。
 原発事故の収束は、未だ遠し。地下汚染水の問題があり、水産業に大打撃を与えているし、避難住民の帰還の気持ちをさらに萎えさせている。収束どころか、被害と不安を広げている。復興の課題の困難さを増しているが、他方では再稼働の動きが急ピッチである。こんなときだから、体を大切にしながらも、頑張ってほしい等の話をした。
 自宅で、朝日新聞の記者さんに送っていただいた『プロメテウスの罠5』を読みつつ、また医大の先生方の本を読み、原発事故当時の緊迫感が思い出す。私等は、家族を守るので精一杯だが、その場に遭遇した医療従事者・水産関係者の緊迫した情景を思い浮かべる。朝ドラの「あまちゃん」も、今日の放送は3月11日当日。一気に蘇る。関係者が全て大変な状況だが、結果的に生きて再会できた者は、思い出になるが、それを果たせなかった者は心の置場がない。もう1週間で2年半になるのだが。
 雨模様なので、家族の仕事場への送迎。そして夕方、コープふくしまの常任役員会。子会社の部門閉鎖等、厳しい環境は変わりがない。
 天気は荒れ模様。埼玉越谷や千葉野田では、竜巻の被害が大きい。(9/2)<20339>


◇ 今日から9月です。日曜日です。朝晩、だいぶ涼しくなりましたが、日中は30度を越しています。
 昼前、所用で街に出かけましたが、あとは静かに自宅で休んでいました。夏の疲れがでたのか、眠い午後です。福島医大の先生方が、震災対応の活動について刊行した著書を読んでます。『放射線災害と向き合ってー福島に生きる医療者からのメッセージ』(編・福島県立医科大学付属病院被ばく医療班、ライフサイエンス出版)です。期待が大きい故に、大変ですが、各医師が真剣に、困難ななか尽力している姿に感動します。もっと、直接、お話を聞く機会を広げたいと思っています。
 9月になって、夏休みモードは終了し、年末までの秋の決戦(?)の始まりです。がんばりましょう。(9/1)<20327>



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