日 記

(2013年12月)


<今野順夫の部屋>

◇ 2013年も遂に最終日になりました。二女と身の回りの品々の買い物に行き、歳の市も覗いてきました。明日から新年ですが、みな急ぎ足で買い物をしています。4時頃、明日の仕事のため車で帰りました。長女一家も昨日帰り、年越しはいつものように静かに過ごしています。紅白歌合戦の音だけが響いて。
 今年の最後に、何を振り返るのか。まず浮かぶのは、親戚・親友の逝去です。1月に叔父、6月にF君、9月にS君、10月にU君、11月にはH君のご長男。続く悲しい別れ。心が晴れない年でした。自分の最後の生き方を考えさえられる年でもありました。やり残していることの大きさに、総括しえない現状に焦ります。
 復興に向けた活動として、「ふくしま復興支援フォーラム」の定期的開催で、復興の先頭に立って活躍している皆さんとの交流が広がりました。何とか復興に向けた市民的合意の形成への努力と思っています。2年10カ月近くが経過し、課題も変化してきました。責任所在・追及を明確にしつつも、それに止まらないで具体的な復興の形を作っていくべき時と感じます。特に原発再稼働問題は、今後の日本、地域社会が変われるかどうかの大問題。脱原発の広範囲な世論の形成と、住民本位の地域づくりが焦眉の課題。
 2013年が過ぎ、2014年を迎えます。希望に満ちた年にしたいものです。(12/31)<22058>


◇ 今年もあと1日。年末商戦で頑張っている店の激励回りに出かけるつもりでコープ本部へ。しかし、緊急の対策会議。
 帰宅したら、長女一家5人と二女の帰省。義母も含め、我が家は9人家族となる。さすが狭く感ずる。孫たちは、どんどん大きくなるし。
 娘たちが通った笹谷小学校に、長女一家と散歩。校庭の遊具で遊ばせてもらった。
 散歩していて、遠くから火の見櫓に気が付いた。近づけば、個人所有地内。しかし、小さいが結構、様になっている。午後の青空の下、いい写真が撮れた。
 孫たちは親の勤務の都合で、日帰り。早めの夕食を済ませ、あっという間に帰ってしまった。
 急に、また静寂が戻る。(12/30)<22049>


◇ 今年最後の日曜日。とは言っても年末年始の休業の中なので、特段、変わったことなし。一日中、年賀はがき書き。どうしてか枚数が不足するので、少しセーブする。頂いたらすぐに出すことにしよう。定年退職して、人間関係のスイッチが難しい。
 女川の姪から鮭1本のお歳暮。有難い。ただ下すのが大変と思って、コープの店で下してくれるだろうかと恥ずかしながらの質問。やってくれるというので、そのつもりで箱から取り出すと、既に切り身状になっていて、かつ姿は本来の鮭一本に戻してある。
 正月は、よく新巻鮭を父とともに配り、それぞれの軒先に吊るしてあったのを思い出します。やはり一般家庭で下すのは大変で、こんな仕掛けになったのでしょう。漁村と都会を結び付ける工夫は進んでいるのでしょう。それにしても、女川から送ってきた生鰹一本を、都会育ちの妻は、悪戦苦闘しながら下していました。私は、ただ食すだけ。ダメですね。鰹の送り方も変わって来るのかな?
 灯油5缶を店頭で買い、郵便局本局に年賀はがきを出し、ガソリンを満タンにして、新年を迎える準備は整いました。毎年の年末年始の様相は変わってきます。我が家の今年の十大ニュースは、なかなか出揃いません。孫の小学校入学(初めて)と二女の転勤くらいかな?もう少し考えてみよう。(12/29)<22041>


◇ 世は、今日の土曜日から年末年始の連休に入る。長い人で9連休とか。帰省する車の渋滞情報、そして痛ましい車の事故。
 午前中は訪問看護も来るので、その間に映画館で映画を見る。『清須会議』。ある方の面白かったという評判で、見てみようかという気になった。どちらかといえば、上映時間が都合が良かっただけだが。本能寺の変の後の信長の後継者争いの会議。会議の場面が多いが、その背後の権力闘争が面白い。
 昼以降は、NHKの女川関係のドキュメンタリーの再放送特集。午前中も、ドラマ「ラジオ」(芸術祭大賞?)の放映、一日女川特集。大変だけど頑張っているね。
 年賀状の宛名書き。宛名はほぼ完了。後は、何を付け足すか?明日考えよう。(12/28)<22028>


◇ 金曜日。明日28日は土曜日なので、事実上の「仕事納め」。常勤的な仕事のない年金生活者にとっては、仕事納めは無関係。
 昨日のフォーラムのこともあるが、会津電力への出資・1株の送金をする。カンパのような感じだが、頑張ってほしい。地域経済の自立ができればいいがと期待する。
 昨夜の忘年会の支払い。見込み数の2倍の参加。提示していた会費(2000円)は変えなかったので、結果的に余剰金が出てしまった。返すわけにもいかないので、今後のフォーラム活動の資金にさせてもらう。何かの機会に報告をしておこう。料理・飲み物に比して高い会費だったかもしれないが、報告者の会社の酒(彌右衛門)2本を差し入れてくれたので、受益(?)感に不満はないと思うのだが(?)
 コラッセで開かれている、「シェア・ラブ・チャリティーの会」の「フィリピン・タクロバンの現地調査報告会」を覗く。浪江の歌手・門馬よし彦さんの歌(「願い」)を聴き、会の代表菅野良二さんの現地報告、ジャーナリスト藍原さんの取材報告を、多くの写真や動画で。いつも世話になっている藍原さんのFacebookで知った報告会だが、台風30号の惨禍(風速100m〜90m)は、女川などの津波の様子とダブる。寝袋の中に、多くの遺体が放置されているのはまともに見れない。被災を経験したからこそ、フィリピンの被災の大変さが分かる。実のある支援をしなければならないと痛感。
 夜、テレビで映画「最後の忠臣蔵」(2010年)(原作・池宮彰一郎)を見る。歴史の表舞台だけでなく、その裏の舞台を見ると、その人間性に共感。<12/27>(22012)


◇ 木曜日。今年最後の「ふくしま復興支援フォーラム」。第54回になる。今日は、いつも愛飲している喜多方の大和川酒造の佐藤彌右衛門さんから「会津電力の話」をきく。原発から脱して、再生エネルギーで電気を生み出す。夢のような話だが、そうした庶民の動きに大きな関心を持っていた。
 年末の忙しい日、昼は「かーちゃんの店」を開店しているその2階での開催。東京はじめ37名の参加者があった。庶民には手の届かないと思っていた電力事業。地域社会からの復興ののろし。意外と全く夢想ともいえない。しかし、大きな夢。実現できたらいいなと思う。中央従属の経済からの脱却の開始になればいい。
 フォーラムは早めに切り上げて、1階のお店を借りて、忘年会。15名の予定が27名に。ここでも盛り上がりました。今年は、フォーラムに開けて、フォーラムに閉じた1年だったかな。1月10日の第28回から第54回まで。27回の開催となった。このペースで進むと来年末には80回、目標の100回は近いかな。回数でけの話ではないが。全く講師謝礼ゼロ、交通費ゼロで通すことができたが、少し虫のいい話だったかと反省。
 講師等を囲んで数名で寿司屋での2次会。楽しかった。珍しく、タクシー帰り。すこし贅沢だったかな。気分良し。(12/26)<21999>


◇ クリスマスイヴ。朝から雪が舞っています。ホワイトクリスマスほどではないですが。
 娘が送ってきたドイツパンでワイン等々、10時過ぎの遅めの夕食。
 午後7時からの田村市での委員会。高速を利用して1時間の道のり。雪の舞う高速は、未だ慣れません。外気温0度。田村市は−2度でした。イヴに会議をやっても支障がないのが高齢化した委員会かも。その結果、深夜の夕食となった次第。
 今夜は、孫たちサンタの夢を見ているかな?目を覚まして、喜びの顔を見たいものだ。

 Merry Christmas ! 孫たちの作ったツリーの写真を見ながら。 (12/24)<21946>


◇ 土曜・日曜・月曜(天皇誕生日)の三連休は終了しました。
 昨日の日曜日は、仙台の叔父の一周忌。正式には、正月にかかるので繰り上げて年末の挙行です。会場は陸奥国分寺なので、中高生の頃住んでいたこともあり、迷わないと油断がありました。1時間近く早く到着しましたが、それらしい人の流れはありません。お宅にお邪魔して聞いたら、既に行っているとのこと。結局、わからず携帯電話のお世話。昔の聖和学園高校の跡地の反対側でした。
 喪主である叔母が入院しているというので、結局、長女一家とその親戚、そして我々世話になった甥たちの10数人でした。お参り後、場所を移しての精進揚げ。昔の話など、心温まる集まり。享年90歳の叔父でしたので、長い間の思い出。津波で犠牲になった実姉夫婦の取り計らいで、叔父さん夫婦、そして我々の家族一緒に、秋保温泉でゆっくり過ごしたのがいい思い出です。叔父さんの傘寿のお祝い、また私が学長に就任したことのお祝いだったか忘れましたが。
 翌日の今日も、石巻の友人の息子さんの49日の法要ということで、途中の、塩竈の娘宅に泊まりました。クリスマスが間近かで、部屋もクリスマスツリー。夕食前に、まずはカラオケボックスで腹減らし。カラオケも演歌だけでなく、アンパンマンの歌とか、子ども遊び場とか、随分変わりました。親が若いと子どもを置いていけないのでしょう。大音響が心配ですが、終わっても大興奮もせず、環境に慣れたのでしょうか。自宅で、きりたんぽやだまこ餅を戴いて、おとなしく就寝。夜中に起こされることはありません。日々、変わっているのでしょうか?
 朝、塩竈を出て、一路、石巻へ。正規の四十九日は正月なので、5*7日(35日)の今日に、繰り上げて法要。住職さんが来てくれて、自宅で精進上げ。親戚と近い友人たちなので、また和やかな雰囲気でしたが、享年41歳で、社会福祉分野でバリバリ活躍していた息子さんなので、返す返すも残念でした。
 石巻から自宅へ一直線。頑張りがきかず、眠くて菅生PAで数分間の仮眠。自宅に戻り、コープの常任役員会に10分ほど遅れて出席。疲れをとって、また明日から頑張りましょう。(12/23)<21921>


◇ 昨日の金曜日は、自宅で事務処理、それと送迎運転手。
 今日の土曜日は忙しい。昼からの福島大学退職者の会の準備。講演依頼したM先生のパソコンが不調で、レジュメがピンチというので、お宅に回り、マスプリをして、なんとか滑り込みセーフ。
 退職者の会の恒例の忘年会。35名程の参加。約150名の会員ではあるが。大学の学長さん、及び組合の副委員長さんからの来賓の挨拶。そして乾杯の後、M先生の講演。原発事故からの復興の状況と課題を手短にお話していただいた。職員の皆さんも、同期のレベルの皆さんが集まりがいい。同窓会も同じだが、同年代の繋がりをベースにするのがいいのだろう。やはり同期の方々との再会がなにより。開会に先立ち、総会以降に逝去された6人の会員に黙祷。
 退職者の会の終了後、松川全国集会の実行委員会のまとめの会合。800名ほどの参加で大きな成功と評価。問題は、いかに継続発展させるか。松川の学習・論文等、毎年「松川賞」を出してはというアイデアも出されたが、事件「現役」組を受け継ぐことが急務。場所を替えて、当日、ご協力いただいた「語り部」の会の皆さんにも参加いただいて、「反省会」と称する懇親会。年代が殆ど同じなので、話題に共通性があり、楽しい語らい。やはり、年代の若返りが承継には必要なのだが。(12/21)<21900>


◇ 木曜日。義母は、予定を変更して、自宅で休養しています。
 年末年始なので、散髪に。サービスカット。1000円に消費税50円。
 昼からグリーンパレスで開催しているコープ関係の集会に出てきました。「福島県 消費者と生産者等の理解・交流促進事業 ふくしまの今・・・風評を吹き飛ばせ!!」の集会。
 夕方、フォーラムを企画しているので、午後の部のパネルディスカッションのみ。高瀬雅男さんをコーディネーターとして、5つの報告を聴いてきました。@福島大・丹波史紀氏「地域の再生」、A福島医大・熊谷敦史氏「放射線被ばくと健康影響」、B福島大・小山良太氏「農の再生」、C東京海洋大・濱田武士氏「漁の再生」、D山形大・早尻正宏氏「森の再生」。早尻氏の報告は、森林組合の動向を触れながら漁協との協同を追求するもので、興味をそそられた。協同組合ネットワークの問題について、復興主体の問題として考えてみたいと思った。
 第53回のふくしま復興支援フォーラムのため、中座。今日は、京都大の今中哲二氏の報告で、発災当初からの飯舘村での放射線調査について、克明に報告。関心が高く、50名の参加。立場の違いはそれぞれあるが、情報を公開し、共有していく必要があると感じた。来週はフォーラムの忘年会。いい年を迎えたい。(12/19)<21879>


◇ 水曜日。午後からの仕事の前に、児童養護施設を訪問。先日の施設長会議の資料の返却のためです。アポイントなしでしたが、園長さんが対応していただいて、暫し懇談。児童養護の問題は、聞けば聞くほど新しいこと。それだけただ、不勉強ということです。虐待問題は、配偶者へのDV。高齢者に対する虐待、そして子どもに対する虐待。それに対応するための施設問題。
 児童養護問題は、施設から地域へ。里親制度に舵を切っているようです。施設の充実によって、地域、里親制度が生きると感じます。なかなか協力関係が難しそうですが、相互に対等な協力関係の構築が必要と感じます。勉強してみたい課題です。
 自宅に帰ってビックリしました。デイサービスに行った義母が、施設で熱を出したということで、大事を取って、かかりつけの医者によって、帰宅していました。何とか元気なようで、ひとまず安心。高齢ですから、寒さの折、肺炎などならないように気をつけなければ。肺炎は起こしてないようですが。
 午後、県の委員会、今年最後です。終了後、委員や担当部局の全ての職員との忘年会。隣席の女性職員は、3人の子供を抱えて頑張っている話。孫の家を思い出しました。女性が働き続けることは、大変です。もっと支える体制を強化しないと。また、非正規職員など、そもそも子どもを持つ自由がないことなど、この分野は、まだまだです。
 忘年会終了後、3人の委員で喫茶店で歓談。どうしても仕事の話の延長ですが、相互の信頼関係を維持しつつ、年を越せるのは嬉しい。来年も、役割をきちっと果たしながら、委員同士、委員と事務局の協力を強めていきたいと思います。(12/18)<21867>


◇ 火曜日。朝早く、義母の薬をもらいに薬局へ。往診なので、もらった処方箋を持参して薬を受け取る。高齢なので無料。高齢化社会で、医療費の負担の大きさを感ずるが、有難い。
 午前、コープふくしまが請け負った除染作業の費用を、東京電力に請求する説明会に参加。ADRでの集団的和解交渉のための説明会で、市内の弁護士さんが協力してくれる。原発事故が無ければ、除染などは不要。各家庭が損害賠償が取れると思って除染を頼んだわけではないが、子どもたちを守る等已むに已まれない気持ちだったのだろう。しかし、冷静に考えてみれば、賠償すべきもの。生協も、こうして組合員の生活を守ることはいいことだ。
 急いで昼食を済ませ、県議会へ。今日は最終日である。3時半に終わり、デイサービスから帰る4時半には間に合うと思っていたのだが、延びてしまい終了は4時15分。超スピードで帰宅。幸いにも到着が遅れて助かった。郡山出張の妻も6時には到着。
 県議会も最終日だと、閉会中も行う特別委員会(エネルギー問題、風評被害対策、子ども支援)の設置等があり、問題山積。各議案・請願・意見書などの採択があるが、各会派の対応の違いで、一括採決の順番が異なる。賛否のみならず、棄権として各会派がぞろぞろ退場し、また戻ってくることの繰り返しで、時間はかかる。県政は、こうしたことを通じて動いていくのだろう。
 女川は、震災前からやってきた「海ボタル」が開催されている。規模は小さいが、暗い町が明るくなっているようだ。ゆっくり行ってみたいのだが・・・。(12/17)<21848>


◇ 依頼されていた仕事を持参して桜の聖母短大へ。学長さんも見えられて、震災被災地での活動について話を聞く。南相馬を中心に、学生とともに入っているという。「福島学」の一環である。現場を見ることは重要である。
 コープふくしまの常任役員会に冒頭の部分のみ参加して中途退席。県の委員会関係の仕事の一つで、「年末知事懇談会(県議会議員)」。恒例となっているが、ソバを食べながらの懇談。行政委員会関係はホスト役なのかもしれないが、なかなか議員さんには知り合いはいないので、懇談は難しい。今日のソバは、高郷のソバと紹介された。福島のソバは美味しい。
 以前も参加したことはあるが、確か国家機関の地方の長との懇談だったかもしれない。大学もその中に入れてもらったようだ。県議会議員47名、県側38名の出席だが、県側の一員なのだろう。県の部長さんたちは、いろいろとサービスをしていたが、私にはそんなことは無理のようだ。(12/16)<21828>


◇ 日曜日。12月も半月となった。朝起きたら雪景色。玄関前を除雪。久しぶりだ。これからが除雪の開始。
 午後から二本松市で、県内の全原発の廃炉を求める会結成集会に向かう。呼びかけ人を乗せて二本松市へ。呼びかけ人の一人、前県知事の挨拶に始まり、安斎郁郎氏の講演「福島原発事故の現状と廃炉の展望」、玄侑宗久氏(ノーベル賞作家)の講演「柳の根っこ」。お二人とも話が具体的で、説得的。
 県当局、県議会、地方自治体59自治体のうち52議会までが全原発の廃炉を要求。市民運動のレベルで、広範囲な層を巻き込んだ廃炉要求は初めてか。遅かったのかも。
 帰りの車、学部は異なるが学生時代の動機M君も乗せて帰る。彼は福島に勤めながら、しばらく四国の大学に勤務。最近戻ってきた。何歳になっても、学生時代と同じ気楽さで話せるのは不思議だ。この年になって、20代前半の友人と、同じ地に住み、同じ思いでおられることは有難い。「八重の櫻」も最終回、そして吉永小百合の『北のカナリア』をテレビでみる。(12/15)<21809>


◇ 県の役職の関係で、県議会の関連委員会に出席。事務局メンバーが簡潔に説明をして、主要課題は終了したが、一般的事項として様々な質疑応答がなされた。議員さんは不満だったようだ。
 県の行政組織上は、狭い意味での担当事項ではないが、当然、担当職務の遂行のためにも情報を収集しておくべきことと反省。議会と行政機関との関係では、別の部署の担当と弁解はできないのだろう。関連事項である限り。
 以前から、気にはなっていたが、少ない事務局体制を煩わせるのに躊躇があったのかもしれない。職員相互間の分担意識や、相互不干渉的気分もあるのかも。ただ、担当職務に関連する事項については、可能な限り情報を収集して、担当職務を処理することが必要なのだろう。非常勤の「遠慮」(結果的に「無責任さ」)があったかなと反省。
 午後、コープふくしまの定例理事会。年内最後の理事会である。冒頭の挨拶では、事業活動の順調な展開は、組合員・職員の頑張りの賜物と思うが、職員の新たな採用が困難になっていることを指摘せざるを得なかった。給与水準は低い方だが、なんとか生協の遣り甲斐・働きがいをアピールする必要がある等、長めになってしまった。
 来年に向かう政治経済情勢においては、憲法改正問題、集団的自衛権問題、特定秘密保護法の問題とともに、昨日の税制大綱(自民・公明)が、「家計圧迫、企業優遇」と言わざるを得ないなかで、生協の活動の意義が高まっていることを訴えた。
 分散会での議論も活発で、来年6月の総代会総会にむかう日程も確認した。この総会では、役員の改選もあるので、残された半年、非常勤ではあるが、頑張っていきたいと思っている。定年退職者なので、どうしても「非常勤」の仕事が多いが、それ故に手を抜いてもいいとは思わないようにしたいものだ。(12/13)<21788>


◇ 10時半から県の委員会のため、県庁へ。昼前に終了のつもりだったが、12時半頃までになってしまった。職員の皆さんの昼休みに入ってしまって、申し訳ない。進行に責任持つ者として、議論の展開を予測しながら、過不足なく議論できるような進行に心がけるべきだろう。
 3人の委員で、職員食堂でラーメンを食べながら歓談。楽しいといっては不謹慎だが、楽しい。
 帰宅して、明日のコープの定例理事会の関係資料を読む。「八重の桜」の影響か、山本覚馬に関心をもち、新刊の吉村康著『闇に虹をかけた生涯 山本覚馬伝』(本の泉社)を読み始める。会津からは人物が生まれていることに改めて感心。県民健康管理調査に関する新書も面白い。
 右腕の痛みは、なかなか消えない。車のハンドル操作の時も、痛みが走る。そのうちに治ると思うが、やはり歳かな。(12/12)<21771>


◇ 水曜日。介護施設に義母を見舞う。小さな買い物をして、午後は妻を職場に送りながら、フォーラムの会場申込。
 女川つながる図書館のM先生から電話がありました。東京の大学の先生から、図書館に対する多額の寄付の申し出。以前、呼び掛けて数百万円の募金を寄せていただいたが、順調に購入が進み、次の資金計画を考えようと思っていた時期だから、大変ありがたい。持続的な図書館の充実が可能なればいいと期待する。
 最近、神谷隆史『無から生み出す未来 女川町はどのように復興の軌跡を歩んできたから』(PHP研究所)を読んだ。女川の復興にかける若手実業家の思いが伝わって感動する。何か光が見えてくる感じだ。女川の産業復興は困難でも進むだろう。
 私としては、それとともに女川の医療・福祉と文化・教育の充実に大きな関心。持続的に街が発展するためには、不可欠。復興計画の策定の際、産業復興とともに、この二つの柱を追加していただいた。図書館はその一つ。住民に多くを求めるのは大変だが、長期的にみると教育・文化は女川のアイデンティティの幹。住民に迷惑をかけない範囲で、静かに持続的に支援していこう。今日の支援の話に静かに喜んでいる。静かに持続的に支援の輪を広げていこう。
 今日は震災2年9カ月。(12/11)<21751>


◇ 終日、自宅。資源ゴミをコープマートに持っていきながら、ちょっと買い物。風邪気味なのか、寒気がする。大事を取って、外出は避けた。
 福島市から、「内部被ばく検査結果報告書」が届いた。去る11月6日に、福島県労働保健センターで検査したものの結果。
 結果は、@体表面汚染は「無し」。A全身検査は、Cs-134は「検出されず」、Cs-137は「検出されず」。(検査の検出限界は、Cs-134は210Bq、Cs-137は260Bq)。「あなたの体内の放射性物質の測定結果から推定される 預託実効線量は、1mSv 未満です。」それが結論です。
 特に、何も検出はされないと思ってはいたが、まずは安心。こうした検査をして健康に配慮しなければならないのは、原発被災地であるが故。こうした心配から解放されるには、今後、何年必要なのか。原発被害の過酷さを痛感する。(12/10)<21734>


◇ 忙しい月曜日でした。毎月初めの月曜日早朝に行われている朝礼での理事長挨拶。毎月だと、情勢をどう反映するかに気を遣う。やはり特定秘密保護法案に採決強行問題に取り上げることにした。少し、生協内在的な話ではなかったなと反省。
 10時半から市内音楽堂で行われているコープの組合員活動の「ワーイわい交流会」。一度、出たいと思っていたが挨拶を頼まれました。今日は、歌でつなぐふるさとの“わ”がテーマ。地元出身の若い演歌歌手・こおり健太さんの歌謡ショー。何か、コープはクラシックとかかなと先入観があったが、ちょっとびっくり。コープの活動の先頭に立って活動している方々の内部的な交流会なので、リラックスした雰囲気。
 理事長挨拶で、私は歌謡曲は好きです。一番初めに覚えた歌は、「湯の街エレジー」。皆さんのような若い方々には分からないかも知れないがとリップサービス。こおり健太さんの歌唱力は素晴らしかった、デビュー5年らしいが、相馬で生まれ、宮城山元で育ち、福島で学生時代を過ごしている。4年間は保育士として働いていたらしい。出口でCDの安い方(1200円)を買って、立ち話ができました。福島を励ませる歌手活動を期待している。ゲームにも付き合って、午後の告別式に向かうために急いで帰宅。
 午後の告別式は、元教育学部社会科時代にお世話になった内田詔夫先生、哲学の先生である。昨日の臼井先生とともに同じ社会科、先日の明珍先生も同じ社会科。どうして、こう続くのだろう。内田先生はまだ71歳。お若い。碁の強豪としても知られた先生。大学時代の懐かしい顔も見えられた。こうした機会にしか会えないのも寂しい。
 急いで帰宅し、喪服を着替えて、コープの定例常任役員会へ。さすがへとへと。3時間ほどの会議を終え、帰宅し、しばらく休んで9時20分着の函館旅行から帰る妻を迎えに行く。時間の切れ目のない一日。予定のない明日・明後日は、少し休もう。(12/9)<21717>


◇ 太平洋戦争開戦72年の12月8日です。1941年12月8日、日本軍が英領マレー半島とハワイ真珠湾への奇襲攻撃を行ってアジア太平洋戦争を開始してから72年になります。再び戦争の道を歩まないよう、緊張感をもって生活する必要があるでしょう。あの時頑張っていれば・・という後悔をしないように。
 早朝、函館ツアーに出かける妻を福島駅まで送って、午後の偲ぶ会の主催者挨拶を考えていました。時間がなく、コープで灯油を買いに。慌てていたのか、レジで、組合員証やポイントサービス券を忘れたことを思い出し、自宅に戻る。なんとか、済ませたが、夜になって右腕が痛い。灯油4缶を運んだことを思い出した。軟だね。
 14時から始まった「臼井嘉一先生を偲ぶ会」。「偲ぶ会」実行委員長として主催者挨拶をさせていただきました。遺族4人も来ていただき、110人の参列者。いろいろ思い出のスピーチが続いた。臼井さんの若かりし日のスライドも、よかった。短期間の準備ではあったが、心温まる集まりにすることができたと思う。臼井さんの残念な気持ちを満たすことはできないが、彼の思いを忘れず、民主的な社会・教育を実現する努力を続ける必要があろうと思います。帰宅して、炬燵に入ったら、居眠り。どっと疲れが出たようです。(12/8)<21688>


◇ 土曜日。朝、仙台のY君夫妻が寄ってくれました。福島の知人のお宅を訪問する途中です。奥さんがお見えになるのは初めて。短時間で、名残惜しかったですが、久しぶりに4人で歓談。
 義母がお世話になっている施設に行ってきました。待っている間、スマホを操作していたら、80代後半の入所しているお婆さんに、「めごいこと!」と云われて、ああ、この年になって初めてモテたと傍にいた職員さんと大笑い。みんな元気です。
 午後、福島市内で講演する樋口陽一先生を福島駅に迎えに行き会場へ。福島県九条の会主催の講演会。数え年で80歳と自己紹介をしていましたが、若いですね。髪も。講演内容は、今の憲法改正動向に触れながら、立憲主義の問題。今の改正動向は、明治憲法への回帰ではない。それ以上のもの。他面、明治憲法下での議会やその元で活動する政治家などの活躍を、今の時点で、もっと注目すべきだと。
 東京に帰る電車までの時間、駅前で暫し、樋口先生を囲んで事務局の皆さんとお茶。温かい話し合い。樋口先生は、仙台の中学、高校、大学の10年先輩。輝かしい先輩です。いつまでも頭があがりません。充実した一日でした。(12/7)<21678>


◇ 金曜日。昼から県議会の2日目の代表質問に付き合う。自民党と民主・県民連合。昨日、参院の委員会で採決された特定秘密保護法案。県議会にその問題が反映してくる。昨日に続いて、県の姿勢を問う。県議会自体は、以前に慎重審議の意見書を出しているが、議長の会見もあったようだ。
 福島は、一般的な取材の自由などというよりも、原発の情報がテロ行為問題に絡んで、情報の隠しに最も気を遣っている。ニュース速報によれば、今夜、参院の本会議で成立。新聞報道は、一強の国会の形骸化を問題としている。民主主義は、単に多数決ではないのに・・。
 経営者が、今国会では経済政策の展開を期待していたのに、特定秘密保護法問題にそれてしまったと、述べているのが印象的。このまま、消費税増税のみが残ることになるのか。

 5時過ぎ、川俣町の委員会に向けて夜のドライブ。スムーズに会議は終了し、8時半には自宅に戻る。

 私たちがよびかけている「ふくしま復興支援フォーラム」の企画案が、来年の3月までの見通しを作りつつある。紹介された東京及び愛媛の方に、お願いできそう。年度内に60回となる。100回までの道のりはまだまだ。炬燵に入って、パソコンとスマホで、具体化している。最初に想定していない方々にお願いできているので、面白い。まだまだ隠れた人材が多い。震災3年をどう迎えるか。「石の上にも3年」。我慢の限界、真剣に復興を進めないと。

 地方紙によれば、教育学部時代社会科でお世話になった内田先生の訃報。享年71歳。早すぎる。大変な闘病の末か。ありがとうございました。ご冥福をお祈りしています。9日の告別式に参列する予定。世界のマンデラも死んだ。(12/6)<21671>


◇ 木曜日。昼前に県庁へ。県議会の代表質問に参加。会派が増えて、代表質問は二人から四人へ。未来クラブと共産党の番。30分での総合的な質問。明日も続く。
 一旦、帰宅し、夜の「ふくしま復興支援フォーラム」へ。「かーちゃんの力・プロジェクト」の取り組み状況と課題。小さな経験だが、こうした積み重ねが復興には重要なのだろう。(12/5)<21655>


◇ 水曜日。午前中に義母のショートスティへ送り手伝い。
 午後から、県庁での委員会の定例会。3時頃に終了。帰宅後、妻の甥がエキストラで出ているということで、映画を見に行きました。『すべては君に逢えたから』。6つのエピソードが重なり合うものだが、ロマンティックなクリスマス映画。児童養護福祉施設も出てくるが、サンタと母を重ねあわせて、悲しみをこらえる「アカネちゃん」には、先日のバス旅行とも重なり、涙なくして見れなかった。甥の出演(?)映画を見に行くということだったが、映画の内容も、心温まるものだった。
 今日は、大震災から1000日。一日一日、努力してきた毎日。歩みはまだまだ遅いが、足を前に出して進む必要があるのだろう。(12/4)<21630>


◇ 火曜日。昼から県議会に出席。12月議会の開会日。1時間ほどで終了したが、知事の説明が唯一実質的なもの。注目したのは、双葉郡に設置を要望されていた中高一貫校の方針。「双葉郡の教育長及び町村会から要望のありました中高一貫校につきましては、双葉郡の中学校と連携し、大学進学を目指す生徒、職業人やトップアスリートを目指す生徒など、入学する子どもたちの幅広いニーズに応える、魅力ある学校を広野町に設置してまいります。開校時期は、既存の施設を利用するなどして平成27年4月を目指し、その後も新たな施設・設備を整備するなど、中高一貫校の充実を関係機関と連携しながら進めてまいります。」と。広野町設置は、県の方針として出したことが明らかになった。
 夜は大学へ。来年4月に福島大で行われる「原発と人権」の全国研究集会の現地実行委員会。東京からみえられた弁護士さんを含めて、実務的な運営体制の議論。帰り、学長選挙の選考会議の結果を聴いた。同僚だった中井さんが4月からの新学長に就任することになったという。大変な時期、頑張ってほしい。
 帰途、東京から来て福島に宿泊しているSさんと遅めの夕食。全国的な活動で、少々、疲れ気味。あまり無理しないで、頑張ってほしい。明日は震災から1000日目。節目を作りながら進まないと、疲れてしまう。同年代の友人と、そして私の健康を気遣いながらの夕食。同期も全国に拡散してしまって、少し寂しい。(12/3)<21614>


◇ 月曜日。昼から本屋に寄って、コープの本部へ。
 本屋で、2014年用の手帳を買う。去年と全く同じ生産性出版のエグゼティブ・スリム(商品番号33)。手帳を買うと、1年が終わり、新年を迎える心の準備。11月下旬より始まり、2015年の3月まで続く。年内には、4月以降のスケジュールが入り必要。早速、今日以降のスケジュールを書き込む。
 4時から7時頃まで、コープの常任役員会。年を越すと消費税の引き上げ。経営上も試練を迎える。
 福島大学は、学長選挙が最終番らしい。今日の学内意向投票の結果は、中井教授193票、入戸野学長186票、無効10票、棄権(投票せず)67票。明日の学長選考会議で、正式に来年4月からの新学長が決まる。選考会議の判断が注目される。
 必要があって、加藤忠史&ブレインバンク委員会編『脳(ブレイン)バンク 精神疾患の謎を解くために』(光文社新書)を読んでいる。今まで触れたことのない分野で新鮮である。まだまだ知らない分野や知見があり、一生の間にどれだけ勉強することができるのだろう。(12/2)<21591>


◇ 昨日の11月末日は、午前7時過ぎ慌ただしく自宅を出て、コープふくしまの本部へ。福島市内の児童養護施設を招待、元気応援企画のバス旅行の出発です。
 7時半過ぎに企画の中心のN部長の車で、福島駅前ビユーホテルへ。この企画は「コープおおいた」の支援で可能になったので、もし福島に来て同行していただけると幸いと急遽よびかけたら、お二人の生協幹部が来てくれました。そのお二人を迎えて4人で施設へ。100人以上のなる子どもたちと職員が集まり、まずは出発前の挨拶。3台のバスに分乗して、いわきに向かいました。
 フラガールでも有名になったスパリゾートハワイアンズ。11時に到着して、まずは昼食。昼食後は、ハワイアンズのなかで自由行動。プールに入る者、滑り台、流れるプール、ビーチシアターではフラガールの踊り、あまりにも大きいので、皆がどこに行ったのか分かりません。3歳児から高校生までですが、2〜3人に1人の指導員が付いているので、迷子になるのもありません。中高生になると、自由に行動していたようですが。そして大宴会のような夕食。オジサンたちのお膳とほとんど同じ料理ですから、大ご馳走。ビンゴゲームも楽しみ、最後は中高生は、夕食の片付け作業を皆で。みんな真面目にやっていました。
 夕食後は、小さい子は指導員とともに就寝ですが、なかなか興奮気味です。福島の生協関係は7人、大分のお二人や園長先生も交えて、夜のポリネシアンショー。昼とは異なり、また絢爛豪華。観光客も舞台でフラダンスの練習・披露。ビールの味もいい。後の感想では、やはりプールに入れたのは最も面白かったようです。
 二日目の今日は、昼食後、アクアマリンに向けて移動。1時間半ほど楽しんだでしょうか?いろいろ愚図る子もいましたが、みんな羽目を外しながらも、何とか無事に終え、三崎公園で野外のお弁当。いい天気でした。後は、一路福島に向け快走。4時頃には施設に着きました。コープ大分の皆さんは、夕方レンタカーを借りて、相馬方面へ。明日、浜通りの被災地を視察して、明日夜には大分に帰ります。
 宿泊は、園長先生との二人部屋。児童養護の諸問題に、その現場の実情を教えていただきました。27年からは里親制度が基本になるそうですが、施設の役割の大きさも感じます。主たる原因は児童虐待への対応策ですが、児童のみならず、高齢者虐待、障がい者虐待、妻に対する虐待(DV)など、未解決な問題が多く、勉強したいと考えています。園長さんから、貴重な資料も貸していただきました。研究者の端くれとしては、やはり制度的な改善に向けた研究に関心が高まります。疲れたけど、いい旅でした。(12/1)<21576>



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